バッハとヘンデルの音楽性の違いを考える メサイアの魅力
Handel "Messiah"
年末のクラシック音楽といえば「第9」を聞く人が圧倒的に多く、コンサートも「第9」一色の感があります。しかし私は、年末に「第9」を聴きたいと思ったことは一度もありません。私にとって年末に聴きたい音楽といえば迷わず「メサイア」で、過去に通算5回「メサイア」を聴いています。意外に12月の「メサイア」のコンサートは少なく、唯一時間的に聴くことができたのがこのサントリーホールの演奏でした。
しかし、ヘンデルの時代になるとオラトリオは教会よりは大規模なオペラ劇場で演奏されるようになりました。「メサイア」も作曲当初から大規模劇場での上演を前提に作られました。「メサイア」は教会で演奏されることはほとんどなかったようです。即ち、形式や歌詞の内容は宗教的でも、舞台装置や歌手の演技のないオペラという性格を帯びた作品のようです。このあたりが同じオラトリオでもバッハの「クリスマスオラトリオ」などとは根本的な違いでもあります。
This Messiah is music form of "oratorio."It is said thatthis is a musical composition for telling a religious tale intelligibly using asolo, a chorus, orchestra, etc., and originally expressed the words ofreligious moral contents epically at the prayer room of the church.However,when it became the Handel era, oratorio came to be performed at an operatheater larger-scale than a church.The "Messiah" was made from thetime of composition on the assumption that performance at a large-scale theater.Itseems that the "Messiah" did not almost have being performed at achurch.Namely, even when form and the contents of words are religious, it seemsto be the work which is tinged with the character of opera without theperformance of a stage setting and a singer.This hit is also the difference inwhich Bach's "Christmas oratorio of the same oratorio", etc. isfundamental.
そもそも、ヘンデルはドイツに同時代に生まれたバッハと並ぶバロック音楽の二大巨匠ではありますが、音楽性は全く異質の物です。バッハは音楽一族の家系に生まれ、神への信仰を表現するため教会音楽を作曲しました。一方ヘンデルは当時自由の地であったイギリスで音楽活動をし、劇場音楽や公開演奏会用の楽しむための音楽作曲していきました。ドイツ国内に留まって自己の音楽を掘り下げ、限りなく自己の技を磨いていったバッハは、札曲においても内面を深く掘り下げた意味深い緻密な音楽を目指していました。それに対しヘンデルは速筆で、おおらかでのびのびとしており、明るく生気と弾力に富み外に発散するようで、耳に快い響きを聴衆に与える音楽を目指したようです。バッハは純粋にドイツ音楽的であるのに対し、ヘンデルはイタリア音楽の遺伝子があったのかも知れません。これは、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」とヘンデルの「合奏協奏曲」を聴き比べてみると良く分かります。
ヘンデルは本来オペラ作曲家を目指していたようです。ヘンデルが活躍したイギリスでは2つの革命を経て市民層の台頭を背景に宮廷音楽は衰退し劇場音楽が発達しようとしていました。イタリアでオペラを学んだヘンデルは、このようなイギリスの自由な空気のイギリスに魅力を感じてイギリスに移り、オペラの作曲に意欲を燃やし11曲のオペラを作曲しました。しかしイギリス人はイタリア人とは気質が違ったようで、華やかで貴族趣味的でもあるイタリア・オペラは当初こそ人気がありましたが、次第に飽きられオペラの興行成功しなくなってしまいました。風潮の変化を読み取る柔軟性を持っていたヘンデルは、イギリスで生まれた独特の音楽形式で「宗教的な主題を持ったオペラ」ともいえるオラトリオにオペラから転向を試みました。
Although Handel is the two major maestros of the baroque musiclocated in a line with Germany with Bach born to simultaneous cost, musicalityis a completely heterogeneous thing.Bach was born to the music family's familyline, and he composed church music in order to express the faith to God.themusic composition for Handel performing musical activities in Britain which wasa ground of freedom those days, and on the other hand, enjoying oneself theatermusic and for open concerts -- it carried out.Bach who stopped in Germany,investigated self music and polished self infinite work aimed at the meaningfulprecise music which delved into the inside deeply .It seems that the musicwhich gives an audience sound pleasant to an ear was aimed at so that Handel iswriting with a facile pen, was generous and felt relieved to it, and it mightbe brightly rich in vitality and elasticity and might emit outside.Bach wasmusical, possibly Handel had a gene of the Italy music.This is well understoodthat it listens to and compares Bach's concerto with Handel's concerto.
ヘンデルはアイルランドの総督から慈善演奏会用のオラトリオの作曲を依頼され、友人であるチャールズ・ジェネンズに台本を依頼しました。チャールズ・ジェネンズは無神論者だという説もあり、この辺にも宗教的な音楽に対するバッハとの考え方の違いが読み取れます。しかし、ヘンデルは柔軟性のある作曲家で、深い聖書の理解に基づく素晴らしい「救世主」の物語の音楽「メサイア」をわずか24日間で書き上げました。
第2部はキリストの受難の物語で、第1部とは雰囲気が大きく変わって荘厳な合唱から始まり、キリストの受難が描かれます。キリストへの期待と現実の落差からキリストを侮蔑しあざ笑い、キリストを死に追いやる人々、キリストの復活、心が乱れた人々の騒ぎ、神の怒など宗教音楽らしくなります。神の子としてイエスの変容を称えるテノールのレチタティーヴォとアルト、ソプラノのアリアは美しい曲です。最後は「全能の神が支配者になった」神の国の到来を賛美するハレルヤコーラスで終わります。
メサイアを宗教音楽として聴くとき第2部で終わった方がすっきりするのにと思います。しかしヘンデルはなぜかキリストを信じる者への復活の約束や最後の審判など説明的な内容の第3部を作っています。音楽としては第2部の重たさはなく、アリアは美しく合唱は希望に満ちて明るい音楽です。第3部も宗教音楽というよりオペラ的な要素があるように思えます。最後に信仰の告白とアーメンのコーラスで結び、宗教音楽の体裁を整えています。
この作品は18世紀あたりからイギリス中産階級の合唱ブームに乗って人気となり、コヴェントガーデン劇場のオラトリオ・シリーズの締めくくりに必ず演奏される習慣が定着しているそうです。この「メサイア」により、ヘンデルはオラトリオ作家としてヘンデルの地位を築き、優れたオラトリオを書き続け、作曲したオラトリオは18曲に及びました。「メサイア」は作曲家・ヘンデルの人生にとっても「救世主」であったともいえます。
今回のサントリーホールでの演奏は、「メサイア」を毎年年末に演奏して35回目の実績のある昭和音楽大学管弦楽団の演奏で、ソロも昭和音楽大学を卒業して活躍している歌手が出演していました。曲の始めのアンサンブルが今ひとつまとまりに欠けるとか、ソロの歌手で声量が相対的に不足している歌手がいるとか、細かいところで気になるところもありましたが、ソロと合唱のバランスは良く、全体としてまとまりのよい演奏でした。演奏の質を求めるなら、4倍のチケット代を払って、海外からソロの歌手を呼んだ12月24日のバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏を聴くべきかもしれませんが、「メサイア」の雰囲気を味わうには十分だったと思っています。
ホールで実際生演奏を聴いてみると、「メサイア」は「オペラ」のような近親感を感じます。私はバッハの「マタイ受難曲」や「クリスマスオラトリオ」は大好きですが、これらの作品を演奏会で聴いたときの不思議な宗教的体験は、「メサイア」では全く感じられません。これは以前、海外からソロの歌手を呼んで演奏した東京シティーフィルの演奏を聞いたときも同じでした。この曲には主観的な宗教観の印象が薄く、「救世主」をキリストと限定しなくてもよいような雰囲気さえあります。逆に宗教音楽として聴くと、「マタイ受難曲」や「クリスマスオラトリオ」より説得力が弱いような気がします。宗教音楽ではなく、劇場音楽だと思って聴くとけっこう納得して聴ける音楽なのです。そして「ハレルヤコーラス」に代表される生きる喜びの賛歌のように聴くこともできます。これが「第9」とともに年末の歌として演奏される理由かも知れません。
(2010.12.17 サントリーホール)
p・デュブーシェ「バツハ」 知の発見双書 創元社
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⇒風土・環境が音楽に影響を与えるんですね。
今度聴くときの参考になります。
宗教的背景は分かりにくい面がありますが、それはそれで別として。
バッハの音楽のヘンデルにない精神に染み渡るような奥深さは、豊かな和声によるところが大きいと思います。バッハの音楽では、一定の間隔でコードが変わり、コードの進行に合わせて旋律やリズムが組み合わされ調和した和声(ハーモニー)が展開されるのです。コードには明るさ、楽しさ、悲しさ、暗さなどなどのそれぞれのコードの性格が持たされ通り、これらの組み合わせにより音楽を高揚させていくことにより音楽を作り上げて行きます。バッハの音楽の精神性はここから生まれます。ヘンデルの「メサイア」の記事のコメントをしてこんなことを書いては申し訳ありませんが、大衆が喜ぶような心地よい音楽を速筆で作っていたヘンデルと比べ、バッハは時間をかけて考えに考えをつくして音楽を作っていました。ヘンデルとバッハでは、同じ作曲家でも住む世界が違うのだと思います。
バッハの緻密な音楽は畏敬の念を感じ、ヘンデルの鷹揚な音楽には敬愛の気持ちを抱きます。バッハの音楽では少しバッハらしくないところも感じのカンタータ「いとも美しき暁の星が好きです。ヘンデルのメサイアも好きですが、合奏協奏曲作品6が一番好きす。ロマン派のような悲嘆の表情などは大変魅力です。
分かりやすい解説で「そうだったのか!」となるほどと頷きながら記事読ませていただきました。私はまずこの曲が英語の歌詞であるところがポイントだと思っているのですが、欧州の作曲家は今のEU内大移動をしており、本当に芸術は国境を越えるのだなというのを実感しますね。
受胎告知の絵、解説にぴったりで一気に気分が盛り上がりました。
ヘンデル「メサイア」はよく聴いた事がありますが、バッハの「マタイ受難曲」は聴いた事がありませんでした…。
これから聴いてみます…。
ひと目でレオナルド・ダヴィンチ作「受胎告知」という絵は分かったんですが、絵の近くに作者名を併記してもよかったかな…。
音楽だけでなく、これから有名になって欲しい画家の紹介記事もいいですね♪
受胎告知の次の次の絵はサンセポルクロにあるピエロ・デラ・フランチェスカの「キリストの復活」ですね。昔,フィレンツェに行った際に遠出をして見に行きました。
記事の内容に直接,関係のないコメントですみません。
まず最初に、desireさまのブログにすぐ飛べるように、私のブックマークに追加させていただきました。ご了承いただけますことを、願っています。
私も、音楽・美術・文学など楽しんでおりますが、
最近、すべての根っこに「人間好き」がある、ということに気づきました。
desireさまはいかがでしょうか?
バッハは昔から好きでしたが、ヘンデルの良さは、年を取ってからのほうが感じるようになってきました。
日本で言う、歌舞伎のようなイメージがあります。
宮廷の古めかしくも優雅なコスチュームがそのまま音楽上に現れているような感じです。
desireさまの考察も、非常に興味深く読ませていただきました。
ご案内いただき、ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いします。
わたしもメサイア行きました___♪♪
すご~~~くよかったったですょ~~♪
あ(^ - ^) り(- ^ ) が( ) と( ^ -) う\(^ 0 ^)/★ という気持ちでした ☆彡☆彡_
年末はやは~り、メサイア~~~~☆ ですね ξб。бξζζ
ヘンデル、バッハとまるでわかっていないのですが、大変わかりやすいエントリでありました。クラシック コンサートもぜひ近々聞きに行きたくなりました。
バッハの音楽にたいするコメントを読ませて頂き面白い考え方だと思いました。しかし、個人的にはバッハの音楽よりモーツアルトの音楽のほうが好きです。音楽は楽しむことに意味があるのだと思います。大衆が喜ぶような心地よい音楽を作ることのどこが悪いのかと思います。バッハよりヘンデルの音楽に対する考え方に共感しました。
私はバッハの音楽が音楽の中で一番魅力があります。バッハの声楽曲は器楽なところがあり、例えば、カンタータのコーラスは、そっくりそのままオルガン曲に編曲した曲はオルガンで弾いてもしっかりとしたオルガンのフーガとなっているそうです。従って器楽的な音楽を合唱で歌わせているともいえます。これがオペラから入ったヘンデルとの大きな違いだと思います。
ヘンデルの音楽には水上の音楽くらいしかなじみがなかったのですが、ブログを読ませていただき、「メサイア」に興味を持ちました。
早速CDを買ってきいてみましたが、すばらしい音楽ですね。
すてきな曲を紹介していただき、ありがとうございました。
ヘンデルとバッハの両者による音楽の違いは、当然のことながらありますが、優劣を論ずるのではなく、違いを楽しむことが、豊かな音楽鑑賞ライフを広げていくことに繋がるのではないかと思います。
バッハのハレルヤコーラスでは、BWV140「目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声」第1曲コラール合唱で歌われるものが大好きです。天国が今まさに近づいてきたような、至福感に包まれます。同じハレルヤの表現一つでも、それぞれ違いがあるなと感じますね。
年末のクラシック音楽といえば「第9」としか知らないので新鮮でした。
ゴッホ展行ってきました
詳しい説明をここで学習していったので
なんだかとても身近に感じました、
ありがとうございます。
BWV140冒頭合唱曲で歌われるハレルヤ(アレルヤ)は、曲の途中で登場します。曲の一部ということで、ヘンデルの「ハレルヤコーラス」に相当するものとは言えないかもしれず、私個人(素人)の意見でお許し下さいませ。
ですが、BWV140は神の国の到来(イエス再臨)を表現した、バッハのカンタータの中でも素晴しい名曲ですので、その世界をお楽しみいただけましたら幸いです。
こんなみごとなパイプオルガンが備わったコンサート会場があるんですね。演奏もきっとすばらしいものだったことでしょう。うちの夫は一時期オルガン奏者になりたいと考えて、学校にも通ったことがあるのですが、伯父の勤める教会にあったオルガンで練習するのに、特に冬は寒さがこたえたことなどもあり、断念したそうです。そのためか、毎年夏に聖フランチェスコゆかりの聖地、ラヴェルナで開かれるパイプオルガンのコンサートには何度か足を運びました。楽器が同じでも、様々な種類の曲を聞くことができて興味深いのですが、夫はバッハのファンのようです。
ヨーロッパでは、音楽や絵画を始めとする芸術が、芸術そのものではなく、神の教えや聖書の物語を大衆に教えるため、あるいは神に捧げるためと、宗教と深い関係にあるのが、興味深いです。
新しい年が、desireさんにとって、実りの多いすてきな1年でありますように。新年もよろしくお願い申し上げます。
夏目明美と申します。
非常に詳しい解説を読ませていただき、勉強になりました。
実は「メサイヤ」を聴くのは今回が初めてでした。
第九は年末にコーラスで出演したことがあるくらい聴いていますが。
「メサイヤ」のコーラスに何度も出演されている友人に誘われ、聴きました。オーケストラのコンサートもいいですが、声楽があるコンサートも魅力的ですね。
これからも時々訪問させていただきますので、よろしくお願いいたします。
興味深く、記事を読ませていただきました。
ヘンデルと言えば、実は水上の音楽しか鑑賞したことがありません。メサイアも有名な曲ですよね。今度、鑑賞してみます。
あと、「ブランデンブルグ協奏曲」と「合奏協奏曲」の聴き比べ・・・ぜひ、してみたいです。
(実はトラックバックを理解できておらず、ドキドキしています)
貴重な情報とご意見を読ませて頂き、とても勉強になりました。ヘンデルの「メサイヤ」を聞いてみたいと思います。
これを機会に音楽名遂げについて感想やご意見を交換できればと思います。
私のブログにもトラックバックして抱くことは大歓迎です。
よろしくお願い致します、
http://musicarena.exblog.jp/13150906/
また、ヘンデルのイタリアにおける先輩作家で、生前にヘンデルとも信仰があったとされる人の作品を紹介しておきます。
http://musicarena.exblog.jp/20871818/
「メサイア」も演奏によりだいぶ印象の変わる曲で、演奏家ではアルトをだけが歌うかが重要だと思っています。「メサイア」は殆ど生演奏で聴いていますが、それそれ良いところが゜たくさんありますが、演奏の完成度というえと、なかなかCDの名盤のようには行かないようですね。