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芸術と自然の美を巡る旅  

バッハが人類に残した至高の贈り物、貴重な自省の時間を与えてくれる音楽

バッハ『マタイ受難曲』

ohannSebastian Bach “Matthäus-Passion

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バッハの最高傑作『マタイ受難曲』を生演奏で聴くと何度聴いても、深い感動と生きる勇気を与えられます。そのような体験を求めて、バッハの『マタイ受難曲』の演奏会が開催されるのを知ると、何度も演奏会を聴くために足を運びました。『マタイ受難曲』を聴くたびに、新たな発見があり感動があります。言葉で書くのは難しいですが、『マタイ受難曲』すばらしさを私なりに書き綴ってみました。






Bach's"Mathew's passion" is the work which expressed as music the centralfigure of the Reformation, and the tale of Christ's sufferings of Chapter 26 or27 of the New Testament "Matthew Gospels" in which Martin Luther didthe German translation.It is considered the music which Bach who had respectedChrist's sufferings considered it to be Bach's own subject to tell human beingsthe meaning given to the human beings of Christ's sufferings, andcomposed."Mathew's passion" makes many people in the world withreligious sensitivity or musical sensitivity consider the way of life of one'slife, and it is composed so that healing of the heart may be felt.





バッハが活躍した時代は、日本の江戸時代の徳川幕府最盛期で、元禄期で俳句の松尾芭蕉、井原西鶴、歌舞伎の近松門左衛門らが活躍し歌舞伎も隆盛期の時代でした。



バッハの『マタイ受難曲』は宗教改革の中心人物、マルティン・ルターがドイツ語訳した新約聖書「マタイ福音書」の2627章のキリストの受難の物語を音楽として表現した作品です。キリストの受難を重く受け止めていたバッハが、キリストの受難の人類に与えた意味を人類に伝えることをバッハ自身の課題と考えて作曲した音楽と考えられます。『マタイ受難曲』は宗教的感性、あるいは音楽的感性のある世界中の多くの人たちに、自分の人生の生き方を考えさせ、心の癒しを感ずるように作曲されています。





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バッハの作曲の天才のメロディックな美しさ、リズミカルな活力、そして楽しい精神に満ちたエンターテインメント音楽であり、バッハの精神的および知的思考の重要性を思い起させます。所々は非常に世俗的で面白く聞こえ、オペラように感じるアリアは、信じられないほどの旋律の曲線が効果的です。バッハの音の豊かさ、権威、自然なリズム、脈動、情熱の高揚の瞬間の展開は連続性と耐久性、重力の切り込みが深く驚異であり、それらが私たちを満たします。


 


『マタイ受難曲』では、多彩な登場人物とイエスとのやりとり、それぞれの主観的な省察や感動が独唱や重唱となり、オペラのような感動的なクライマックスを作っています。一つ一つの曲を独立して聴いても絶品と言えるものが多いのも魅力です。



合唱も弟子たちと師イエスの美しい関係の表現、イエスの思いがけない言動に反応する弟子たちの心理描写、何とかしてイエスの悲劇を食い止めたいと焦る独唱による人間の叫び、同一旋律が何度か和声の装いを変えて挿入されるコラール、見事といえる変化の多い合唱の使い方は感動を深めていきます。




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広大な絵巻を繰り広げる冒頭の合唱、第一部を締めくくる「大人よ、汝の大きなる罪を嘆け」というコラールの大合唱と混声合唱の和声、すすり泣きの動機に終始するオーケストラの、最後の慟哭をぶつけるような最終合唱、人々は圧倒され茫然となり、やっと気を取り直して大きな事件を体験したような昂揚した自分を見出します。愛に貫かれたイエスの生涯が音楽の世界の記念碑のように迫って来て強く印象に焼き付きます。



バッハの音楽は音を通じて音楽を超え、感覚ではとらえきれない神秘の世界へ踏み込んでいきます。バッハき、本当に大きな価値のある芸術は、音楽や美術の枠を超えて、人間を超えようとする、人間の精神世界を豊かにする態度によってしか生み出すことは出来ないと語っています。バッハの音楽は音楽として完結すると同時に、音楽を超えてロゴスの世界に広がろうとする力が働いています。音を超えようとする生き生きとした至高性は、聴く人を聴く人の精神を刺激します。現実に立ち向かうバッハの音楽の力を感じるとき、私達の心が自由になるのを感じ、改めてバッハの精神を普く享受できるような気がします。行動も考え方も極端に抑制されている現在の状況において、大切なのは『個』の在り方を丁寧に思索し続け、自分がどういう人間か、何を志向しようとしているのか、どういう芸術に感動するのか、そうした自省の時間をバッハは寄り添ってくれる、『マタイ受難曲』を聴くとそんな気持ちになります。それは、遠藤周作が小説を通じて「神の存在」を追い求めて到達した「寄り添ってくれる神の存在」に通ずるもののようにも感じました。



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 ヘンデルの名曲「メサイア」もキリストの受難を扱っていますが、「マタイ受難曲」とは全く違った音楽と考えられます、バッハは内面を深く掘り下げた意味深い緻密な音楽を目指して、神への信仰を表現するため教会音楽を作曲していました。それに対して、ヘンデルはイギリスで、おおらかで明るく生気と弾力に富む気持ちを発散するような耳に快い響きを聴衆に与える音楽を目指し、劇場音楽や公開演奏会用の楽しむための音楽作曲していきました。「マタイ受難曲」と「メサイア」の本質的な違いは、バッハとヘンデルの音楽に対する根本的な考え方の違いでもあります。




 「マタイ受難曲」はレチタティーヴォ、アリア、コラールと合奏から構成されています。レチタティーヴォはキリストの受難の物語を客観的に語り、コラールは弟子たちの心理や聴衆がその場にいたとしたら感ずる心理を考えて作曲されています。

 例えば、総督ピラトが民衆にイエスの運命を託し、赦免するべきは極悪人バラバかイエスかと選択を民衆に問場面で、民衆は赦免すべきは「バラバ!」と叫び、イエスを十字架に架けるべしと叫ぶ群衆心理をコラールで表現し、聞く人の心に、「あなたもバラバと叫ぶ群衆の一人ではないか?」と問いかけてきます。

 「マタイ受難曲」の魅力は、キリストの受難が人類に残した意味を考えさせ、コラールを中心とした聴く人への心の問いかけをするという重いテーマの中に、天の声ともいえる美しいアリアを織り交ぜて、聞く人に心の癒しを与えるところだと思います。



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 「マタイ受難曲」を通じてバツハは何を伝えたかつたか、それにはいろいろな解釈があるようです。その有力な説のひとつとして、「イエスの受難は人類の罪を一身に背負ったものだ」「罪深い存在であることを自覚し、自分の罪深さと向き合いながら生きることを人類に教えるために、イエスは命をかけた」という解釈に私は共感します。グローバル社会の中で弱肉強食的な価値観の人も増えているようで、道徳的価値観、共生の価値観の軸が失われつつあるような気がします。「罪深い存在であることを自覚し、自分の罪深さと向き合いながら生きる」「受難の中に復活がある」というイエス・キリストが残した、あるいはバッハが残したかったのかもしれないこのテーマは、キリスト教徒に限らず人類が幸せに生きるために、現代にも通ずる価値観のように思いました。








 「マタイ受難曲」についは、昭和18年に海軍で出征する前に「マタイ受難曲」を聞いたという話を聞きました。軍国主義一色の戦争中にキリストの受難を音楽にした「マタイ受難曲」が演奏されたなんてありえないと思っていたのですが、東京バロック・スコラーズの方が調べて頂いた結果、実際に「マタイ受難曲」の演奏会があったようです。ハンセン病の治療に生涯をささげ、日本のマザー・テレサと尊敬されていた精神科医、神谷美恵子さんなどが著作にこの様子を残しているそうです。


1943年(昭和18年)1118日(木)

バッハ「マタイ受難曲」演奏会(出陣学徒の為の演奏会)日比谷公会堂

指揮:ローゼンストック 演奏:日本交響楽団(N響の前身)、成城合唱団

   Sop:三宅春恵 Alt:川崎静子 Ten:薗田誠一 Bar:伊藤武雄 

   Bass:矢田部頸吉



 音楽を愛する出陣学徒たちはバッハ「マタイ受難曲」を涙ながらに合唱して戦場に向かったそうです。出征を前にした青年が、「マタイ受難曲」を聴いて受けた感動がどのようなものだったのか、想像を絶するものがあったと思います。「罪深い存在であることを自覚し、自分の罪深さと向き合いながら生きる」「受難の中に復活がある」というバツハがこの曲に込められた思いが、歴史の時間を超えて伝えられ続けていると思いました。




 今本当に必要とされているのは、このような歴史を超えた「マタイ受難曲」にこめられたような価値観の共有のような気がしました。今の社会で本当に求められるのは、このような歴史を超えた「マタイ受難曲」にこめられたような人間各自に敬謙さ、謙虚さを求める価値観の共有にあるような気もしました。このような考え方は、実務能力本位の論理思考とは別の次元の、感性から感じ取って初めて理解できるものだと思います。世の中のより多くの人がバッハの「マタイ受難曲」のような世界に接する機会をもつことが大切だと思いました。




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実際に、音楽の父と呼ばれるバッハから音楽史を見ていくと、、ショパンやドビュッシーら軽やかなサロン音楽の系譜もあり、一方で音響を音波としての構造をスペクトル解析するフランスを中心とする潮流や、クラシックにはシェーンベルク、ブーレーズとクラシック音楽のアカデミズムの流れがあり、12音技法を開拓し、いわゆる不協和音を多用した現代音楽の系譜もあります。耽美的なメロディに息づくサティから影響を受けて、ポストクラシカルの耳心地のよさの系譜に通じ、クラシックで身につけた教養や技術をベースに、実験的なロックやテクノで培ったセンスと現代音楽の音響的要素も貪欲に取り入れ高い評価を受ける現代のクラシック音楽に繋がっていきます。



 東京バロック・スコラーズは、新国立劇場合唱団を世界に通ずるレベルまで育てた合唱指揮の第一人者ともいえる三澤洋史さんが、自身のバッハにかける思いを実現し、21世紀の「今」を生きる我々にとってのバッハを追求していくために立ち上げたものです。今回の演奏は、バッハがバロック時代の音楽家であるという視点が感じられ、トリフォニーの美しい演奏でした。それについては実際にアリアを歌われた高橋ちはるさんのご感想が演奏会の雰囲気をよく表現されているのでご参照ください。




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バッハ「マタイ受難曲」 (東京バロック・スコラーズ第8回演奏会) 

  日時:201271日(日)■14:10開場/15:00開演

  会場:すみだトリフォニーホール 大ホール

  指揮&チェンバロ:三澤洋史

  独唱:福音史家&テノール♪畑儀文/イエス♪浦野智行

  ソプラノ♪國光ともこ/アルト♪高橋ちはる/バス♪薮内俊弥

  ソプラノ・イン・リピエーノ:♪すみだ少年少女合唱団

  管弦楽:コンサートマスター♪近藤薫/オルガン♪浅井美紀 他







参考文献

礒山 雅「マタイ受難曲」2019 筑摩書房

大村 恵美子著「バッハの音楽的宇宙」1994 丸善

礒山 雅 () JS・バッハ」1990 講談社

松原 薫 ()「バッハと対位法の美学」2020

礒山 雅 ()「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」 (講談社学術文庫)







 


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by desire_san | 2020-06-14 23:38 | 音楽・オーディオ | Comments(64)
Commented by rollingwest at 2012-07-12 20:46
明日から北海道200名山に入って参ります。ニペソツ&石狩岳
Commented by tkomakusa1t at 2012-07-13 06:09
読ませていただきました。音楽に精通されて山にも
詳しく。。。又おじゃまさせていただきます。
Commented by Haruna_Takahash at 2012-07-13 15:40 x
こんにちは。
読んでいて、いろいろ考えさせられました。聖書は、歴史文学的に要素が大きく、必ずしも真実を伝えているとは限りません。バッハも宗教改革を起こしたルターの考えに共感していたようで、教会音楽に奉仕しながら、当時の教会のあり方に疑問を持っていたようで、「マタイ福音書」の内容をすべて真実とはかんがえていなかったふしがあります。おそらくバツハは、ローマ法王や教会の姿勢に関係なく、イエス・キリストがじ受難で自己を犠牲にして、人類に伝えたかったものを音楽にしたかったのだと思いまして。
Commented by Nukaya at 2012-07-13 18:45 x
こんにちは。
バッハ「マタイ受難曲」は、バッハのイエス・キリスト観を音楽で表現した作品だと思います。「マタイ受難曲」から読み取れるのは、イエス・キリストは自分を人の子と思い、したすら聖書の預言に従って生きようとしていた、そして人間をほんとうに愛していた、しかし聖書の預言に従ってイエス・キリストが死を選んだ時、地震が起こり、「本当にイエスは神の子なのだ」とわかる。このところの音楽表現は感動的です。「愛ゆえに」のアリアは最高に美しいアリアだと思います。
Commented by Masayuki_Mori at 2012-07-14 05:26 x
バッハ「マタイ受難曲」はi人間が積み深いがゆえに、イエスが現れて、人の罪深さを体現した、イエスが人の罪を背負ったという思想に基づいていると思われます。讃美歌の和声がすばらしく、コラールが何度も繰り返されて、聴く人に訴えかけてきます。本当に心が洗われるような音楽だと思います。
Commented by Satoshi at 2012-07-15 08:57 x
こんにちは。
昭和18年に海軍で出征に「マタイ受難曲」を演奏をしたというのはすごい有機ですね。お国のため、天皇陛下のために命をささげよ、という事態に、それをキリストの受難と重ね合わせた音楽を演奏する勇気もすごし、よく認められたと思います。案外軍国主義に染まって神風が吹くと信じていたようなレベルの人は、この曲の意味を知る人がいなかったのかもしれませんね。
Commented by Masayuki_Mori at 2012-07-16 10:55 x
こんにちは。
マルクス主義は人類が公平に生きるためのユートピア思想と理解していますが、権力を持った人にエゴにより、共産主義夜会の社会実験は失敗したと理解しています。福祉国庫という理想も、経済ののグローバル化の中で国家の財政赤字の拡大を背景に崩れていきました。小さな国家、新自由主義経済の中で、若者が失業や不安定な雇用にさらされ、仕事、ビジネスなどに能力のある人間が価値があると思っている火度増え、道徳感が薄れているように思います。自殺、いじめなと若者の精神的劣化の中で、戦前の教育に戻そうという時代錯誤なことを平気でいう人もいます。
私は戻るとすれば、dezireさんが触れているように、イエス・キリストの愛の思想や孔子の思いやりの思想だと思います。イエス・キリストが本当に残したがったのは宗教ではなく、人が幸せに生きるための哲学だったのではないかと、「マタイ受難曲」のお話を読んで思いました。
Commented by maistto at 2012-07-16 11:14 x
こんにちは。
軍国主義一色の戦争中にキリストの受難を音楽にした「マタイ受難曲」が演奏されたというお話、音楽の分かる演奏家と学徒たちの暗号的な心の交流のような気がします。軍国主義の軍人たちは、バツハが同盟国ドイツの音楽だったので、そこにこめられた深い考えも気づかず、演奏を許したのだと思います。
バッハの音楽は、ミサ曲やカンタータ、賛美歌なども、キリストの受難が原点になっているのですね。バッハの音楽に、他のクラシック音楽なにい精神性を感じる理由が分かったのような気がします。
Commented by KAMEIRA at 2012-07-16 11:27 x
こんにちは。
興味深く読ませていただきました。海軍で出征する前に「マタイ受難曲」が演奏されたというお話に興味をもち、調べてみました、指揮をしたローゼンストックはユダヤ系ドイツ人で、ユダヤ人を適視していた当時のドイツでは活躍する場が徐々なくなり、日本に活躍の場を求めたようです。そのローゼンストックを受け入れたのは、当時の日本政府がヒトラーのユダヤ人を迫害している政策を理解していなかったふしがあります。
ドイツ音楽であるバッハ、ベートーベン、モーツアルト、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスなどは、軍国主義政府はひとまとめに体制的な音楽とみなされ演奏を許してていた野だと思います。リヒャルト・シュトラウスは、日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲を作曲しており、ヒットラーや日本軍国主義に共感していた、あるいは協力していたようですが、自分たちの考えに酔っていた日本の軍人たちには、リヒャルト・シュトラウスとバッハの区別など眼中になかったのかもしれません。

Commented by Mornetaria_77 at 2012-07-16 11:40 x
戦時中の「マタイ受難曲」の話知り、驚きました。東京などでは 戦争中もドイツ音楽が認められていたのですね。しかし聴くところによると、地方では、日本的なもの以外はすべて悪いという風潮があり、西洋音楽に対する強い偏見があったようです。天皇が神様という時代に、キリスト教などとんでもないといことだったらしいです。
Commented by 山脇由美 at 2012-07-16 15:06 x
「マタイ受難曲」には美しい曲や感動的な曲かたくさん詰め込まれていますね。特にアリアはすばらしいです。第12曲のソプラノ・アリア 「血を流せ わが心よ!」 、第19曲のソプラノ・アリア 「われは汝に心を捧げん」 、第47曲のアルト・アリア 「憐れみたまえ,わが神よ」 は特にすきです。最後の合唱 「われら涙流しつつひざまずき」 も感動的ですね。ただ、生演奏は、カール・リヒターの「マタイ受難曲」のような伝説的な名演奏などがあり、なかなか難しいですね。
Commented by 平石悟 at 2012-07-16 16:50 x
こんにちは。
いつもながらおもしろく読ませていただきました。
バッハのに「マタイ受難曲」は、デュッセルドルフに駐在員としているときに、教会で何度か聞き、言葉にならないくらい感動した思い出があります。
とにかく心を揺さぶるからのある音楽だと思います。
Commented by 失われたアウラを求めて at 2012-07-16 23:07 x
こんばんは。しばらく《マタイ受難曲》は聴いていないので、ブログを読ませて頂きましたら、また聴いてみたくなりました。(自分のブログで確認したところ、2010年4月以来実演を聴いていませんでした)。確かに人類史上、極めて独特といいますか、傑出した作品ですね。そういえば神谷恵美子もバッハの音楽に魅了された一人でしたね。
Commented by desire_san at 2012-07-16 23:22
皆様、いろいろコメントをいただき、またいろいろ私の知らなかったことをおしえていただき、ありがとうございます。
平石さんが教会で「マタイ受難曲」を聴いて感動したと書いておられますが、私も今年「ロ短調 ミサ曲」を教会で聴いて、今までにない感動を覚えました。バッハの音楽は本来教会で演奏するために書かれているので、大きなホールで聴くより、教会で聴くのが適切かもしれないと思いました。三澤洋史さんも自身もそのようなお考えを持っておられるようで年末は「クリスマスオラトリオ」を教会で演奏するようです。
Commented by desire_san at 2012-07-17 00:00
失われたアウラを求めてさん、神谷美恵子さんは、私の最も尊敬する日本人の一人です。著作「生きがいについて」は私の人生の価値観を変えてくれた本です。生きることに信念と哲学をもっいいた数少ない日本人と私は理解しています、戦後GHQと渡り合って戦後の教育に大きな足跡を残しました、また、自らは人類は公平に幸せを求めるべくして生まれてきたという哲学があり、必ずしも天皇制に肯定的ではなかったようですが、心理学の権威と称する心理者が手に負えなかった、失語症に苦しむ美智子皇后をカウンセリングなどを通してお助けしたという逸話もあります。神谷恵美子さんもバッハの音楽に魅了されていたと話は初めて知りましたが、神谷恵美子さんがキリストの音楽の巨匠めバッハの音楽に傾倒していたというのはなっくくできることですね。
Commented by yurikamome122 at 2012-07-18 07:49
バッハの「マタイ」を深く論じられるほど宗教観も知識もないのですが、バッハの音楽が現そうとする厳粛で慈愛に満ちた世界観は私にも何となく感じることが出来る作品であります。日本軍が戦地に送り出す時に「マタイ」を聴かせたというのは私も聞いたことがあります。ローゼンシュトックほどの演奏家がなぜそのような演奏会の指揮を引き受けたのかは興味があります。
ただ、宗教的なバックボーンを持たない私がこの音楽に感銘を持つことは、とりもなおさずキリスト教にどこかで理解をしていることに他なりません。そしてそれはバッハの偉大な才能のなせる技であることも理解せざるを得ない事実であろうと思います。
Commented by desire_san at 2012-07-18 08:52
yurikamome122 さん、コメントいただきありがとうございまます。
 私もキリスト教の信者ではありません。信念を持ってはいませんが、無神論に近いと思います。しかし仏像にこめられた人々の祈りや、「マタイ受難曲」のような音楽にこめられた精神には心を打たれます。本当はイエス・キリスト自身も自分を神の子などと言ったことはなく、人間は愛の精神を持ち、「罪深い存在であることを自覚し、自分の罪深さと向き合いながら生きる」謙虚な生き方という哲学を伝えたかったのではないかと、マタイ受難曲」を聴いて考えるようになりました。バッハ自身もローマ法王や教会のいうキリスト教に疑問を持ち、ルターに思想に傾倒していました。「マタイ受難曲」はキリストの埋葬と哀悼までで終わっていて、キリストの復活は描いていません。宗教音楽に分類されますが、聴き方によっては、キリストの生涯の歴史文学をベースに、音楽の力で人間の生き方を問いかけてくる作品のようにも感じます。
Commented by desire_san at 2012-07-18 08:58
(続きです) ただ、そうとらえても非常に哲学的で、純粋音楽とは全く違う聴き方を要求されるような気がし、気軽な気持ちで楽しめる音楽ではないでしょう。
 人の好みはそれぞれですので、聴いて幸せな気分になるなら、それがその人の音楽だと思います。 私は「良いものは良い」と思って、ジャンルにこだわらず楽しめるものは楽しんでおり、バッハもその一つです。
 
Commented by yurikamome122 at 2012-07-19 04:18
>人間は愛の精神を持ち、
これこそまさにキリスト教の核心ですよね。新約聖書そのものがそう言ったものでしょうから、バッハの作曲した宗教音楽も当然そう言う方向なのは自然なことと感じます。そしてエルサレム入場から最後の7日間は本当にいろいろなことがあり、疑問も多々あります。それに対しての宗教的な解答の一つがここにあるのだろうと感じます。
敬虔なルター派の信者であったバッハが作ったこれは紛れもなく宗教音楽ですから、本当のところはやはり鑑賞をすると言うよりも、聲明がコンサートホールではなくお寺で聴かれるものであろうのと同様、本来初演時のように教会で聖金曜日の典礼として聴かれるべきものであろうと思います。
その一連の宗教的儀式の中でこそこの曲の意味を理解できるような気がするのは、宗教曲でありながら、私にはオペラ的に感じるこの作品を聴いてそれに感動を禁じ得ない私が本当にこの曲を理解したことになっているのかどうかわからないからなのです。
圧倒的感動を得ながらも私にはそう感じるこの曲であります。
おっしゃるように私はまだ「良いものは良い」と思ってこの曲を楽しめる境遇には残念ながら達していないようです。
Commented by desire_san at 2012-07-19 08:19
yurikamome122さん
バッハの音楽は本来教会で演奏されるべきものという感覚は私も持ています。今夏の演奏を指揮した三澤洋史さんもそのように考えているようで、教会でのバッハの演奏を試みています。ただ教会の演奏は入場者数も限られ、入場料を取ることは教会の精神に反することになるようで、結局演奏家はボランティアになってしまい、難しいところがあるようです。年2回くらい教会演奏が行われているので行こうと思っています。

それから、「良いものは良い」の話ですが、その感覚で広く興味を感じた音楽を聴いていますが、逆に好みに合わないと思うものは全く聴きません。yurikamome122 さんは音楽に高い感性をお持ちですので、自分の感性に従って良いと思う音楽を深く掘り下げて鑑賞されている、その姿勢には、私は敬意を感じています。
Commented by yurikamome122 at 2012-07-19 14:36

なんだか話を引っ張って恐縮ですが、
> 教会でのバッハの演奏を試みて
そこなんですよね、宗教的バックボーンがない私が教会での演奏を聴いてみて、それはコンサートホールで聴くのと結局は同じではないかということなのです。
教会で「マタイ」を演奏する、それは魚を水族館で鑑賞するのではなく、ダイビングをして実際の生態を目で見て感じるのと同じことかも知れないのですが、魚になれたわけではありません。それでも発見はより多いでしょうから意味がないなどと言うつもりはありません。ただ、試みですよね。
実は今、ジョン・ケージを集中的に聴いていますが、私にはケージがわかりません、と言うか嫌いです。ある意味傲慢さも感じますし音楽には思えないものがいくつかあるからです。

続く
Commented by yurikamome122 at 2012-07-19 14:37
それでもなぜ聴いてみているかといえば、なぜみんながモーツァルトのようにケージを知っているのか。私にもケージが好きになれるかも知れないからです。
ケージの試みだけではない何かを探しているのです。
話が逸れましたがそんなわけで、「マタイ」が苦手なのはそのへんで、私に楽譜が読めればもっとこれらの音楽が近いものになるのでしょうけど。
そんなわけで残念ながら「良いものは良い」という心境にはまだなれませんし、実は本当によいのかも私にはわからないのです。
そのあたりは正直に告白すればわかる人を尊敬しますし、嫉妬も感じます。
長々とお付き合い下さりありがとうございます。もうこのへんに致します。
Commented by desire_san at 2012-07-19 16:17
yurikamome122さん ありがとうございます。
音楽とは何か、芸術とは何か、という根本的な考え方の問題ではないかとご推察しました。お会いしたとき、いろいろお話をお聞きしたら楽しいなと思いました。ただ、議論することではないような気もしました。
 
イスタンブールに行ったときはイスラム教徒の方と一緒にブルーモスクで祈りをささげながらブルーモスクの内装の美しさに酔いしれました。カトリック寺院ても似たような経験を求めます。私は宗教団体は信じませんが、宗教に敬謙に祈りをささげた人たちが作り上げた芸術は非常に魅力を感じます。その不謹慎な神経が信じられないと批判する友人もおりますが、その一瞬は今までの自分を捨てても新しい美学を楽しみたいのです。グループに参加するときは、そのグループの空気、価値観のまず受け入れて順応してみる、そうすると新しい発見があり喜びを感じます。
変な男だとお思いになるかもしれませんが、また仲間に入れて頂きたく、よろしくお願い致します。
Commented by めいすい at 2012-08-16 21:07 x
 バッハの音楽は、ゴールドベルク変奏曲、管弦楽組曲、ブランデンブルグ協奏曲、無伴奏バイオリンソナタとパルティータ、平均律クラヴィア曲集、いくつかのカンタータなど私にとって親しみやすい曲ばかりを時々聴いていますが、マタイ受難曲は敬遠気味です。
 disireさんのバッハの深い洞察力とわかりやすい解説を読み、先日NHK BSプレミアムで放映された聖トーマス教会での「マタイ受難曲」のBDをもう一度、しっかり聞いてみたいと思います。
Commented by desire_san at 2012-08-17 03:44
めいすい さん
コメントありがとうございます。私もゴールドベルク変奏曲、管弦楽組曲、無伴奏バイオリンソナタとパルティータ、平均律クラヴィア曲集は好きでCDで楽しんでいます。マタイ受難曲はずっと気になっていたのですが、自宅では時間の演奏時間に集中力がもたず、聴いていませんでしたが、全曲演奏の生演奏でこの曲のすごさを知り、興味を持つようになのーりました、まだ何度も聴いても分からないところがあり日々勉強です。
Commented by Merosica at 2013-02-06 18:14 x
バッハのマタイ受難曲ではペテロの否認を受け、ペテロを批難するのでは無く、己の罪として共感を示し「神よ憐れみたまえ」という美しいアリアを置いています。これがカトリックとプロテスタントとの違いと言ってしまって良いのかは解りませんが。
Commented by saheizi-inokori at 2016-06-29 10:12
素晴らしいTBをありがとう。
今こそ、人類はバッハを聴くべき時ですね。
神谷さんのご子息は藁で面白い笛をいろいろ作って精神病院の慰問にいらして素敵な曲を聞かせてくれます。
友人の経営する徳島の病院で聴いて感動しました。
Commented by desire_san at 2020-03-07 13:11
「ピエタ」といえば、聖母マリアが世界で最も美しい「ミケランジェロのピエタ」を思い浮かべます。ご存知のように「ピエタ」は、十字架から降ろされたイエス・キリストの遺体のそばで、聖母マリアや聖パウロらが、悲しみ嘆く場面を指します。バッハの「マタイ受難曲」では、コラールを歌っているソプラノパートと2、3人の表情や旋律に合わせてわずかに動くは姿に、ここにイエスがいて、それが彼女たちにははっきり見えていて、悩み苦しむ彼に向かって自分たちの歌を捧げているように感じました。
Commented by rollingwest at 2020-06-16 07:06
こういう時期は昔の記事をレビューして噛みしめ直してみるのもいいですね。
Commented by desire_san at 2020-06-16 12:50
rollingwestさん

今あえて、バッハのこのテーマを書き直してみたのは、スマホの時代になり若い人が本を読まなくなって、自分の生き方を振り返ろうとしなくなり、行動が短絡的になっていると感じたからです。

大切なのは『個』の在り方を丁寧に思索し続け、自分がどういう人間か、何を志向しようとしているのか、何に感動するのか、そうした自省の時間を持つことだということを伝えたかったからです。

私のブログは、学生のレポートにかなりパクられているということを知り、せめて、パクるだけでなく考えさせてやろうともおったわけですが、馬耳東風かもしれません。



Commented by Haru_Takahasi at 2020-06-18 00:16 x
素敵な記事をご紹介頂きありがとうございます。私もマタイ受難曲に取りつかれた一人です。もう何年も前に、クレームでご迷惑をお掛けしたお客さんとそのクレームがきっかけで仲良くなり、ご自宅に何度も呼ばれることになり、その時に、「是非マタイを一緒に聞きに行こう!」と言われて、当時ヘルムート・リリング=シュトットガルトバッハ管のコンサートに誘われて当時のシンフォニーホール(大阪)に参りました。それが私のマタイ体験の最初でした。その時にはそれほど感動しなかった(そもそもマタイの感動は自分の音楽的・人間的な成長とともに味わいが深くなるもの)のですが、その後本当に30年以上が経過して、ドレスデンの聖十字架合唱団が来日し、本当に久しぶりにマタイを聞いたのです。もうその時の感動と言ったら、本当に言葉には表せないぐらいでした。それからというもの毎年のようにマタイとヨハネを3月になると楽しみに聞いております。そしてこの作品を聞くことで学んだことは、ヨーロッパ文化の核心の一つであるキリスト教の基本となる物事、考え方を実地で理解できるという事でした。実は私は仕事の関係で約7年半ドイツに駐在していたのですが(その時にはマタイに気が付かなかった・・遭遇しなかった)、日本に帰国してこのドレスデンのクロイツコアを聞いてから、キリスト教のベーシックな理解が出来て(決して信仰しているわけではないのですが)、たびたびその後欧州に出張で行った折、休日に美術館を訪れて、ホルバインの祭壇画(シュテーデル美術館とかアルテ・ピナコテークとか)を見るにつけ、ああ・・ここでピラトの部下は耳を切り落とされたのだとか、ユダがイエスに口づけするシーンとか、オリーブ山で弟子が寝てしまうシーンとか、もうそれはそれはリアルに味わうことが出来ました。長々と書いてしまいお恥ずかしいですが、マタイ受難曲はこれからも一生お付き合いして、棺桶の中でも聞きたいそういう人類の遺産だと思っています。
Commented by Siri_FrOW at 2020-06-18 14:14 x
『マタイ受難曲』を20年余り前、ビオラで全曲演奏しました。3時間あまりの演奏大変でしたが、マタイの良さがすこしわかったよう気がしました。3年ほど前、東越谷でアマチュアの合唱団の演奏を聴いて感銘を受けました。マタイは演奏するのも、聴くのも素晴らしいと思いました。
Commented by gejki at 2020-06-20 19:43 x
バッハのマタイは聴くたび涙が出ます。私は全くの無神論者ですがレシタティーブ含め全曲ヒットパレードを聴く気分です。
バッハは唯々神のために作曲したと思います。その純粋さが心を打つ、と思います。従って余計な解釈、色付けは不要だと思います。そのままバッハの心を表現しようとするリヒターの演奏が私には最高です。ヘルタ・テッパー、フィッシャー・ディスカウ等名歌手が揃っています。人間が精神的にここまで高みに達したことを示す『人類の未来への遺産』の一つだと思います。


Commented by Yuichironyjp at 2020-06-21 17:34 x
はじめまして。ブログ拝見させていただきました。海外、旅行、フリーランス、副業などをテーマに、個人ブログを運営しているyuichironyjpです。そちらのブログといくつかキーワードが重なるところがあり、情報交換(共有)できるのではと思いました。まだまだ始めたばかりなので、コンテンツは少な目ですが、フリーランスで稼ぐ方法や、海外旅行に役立つ情報など発信しています。よければ立ち寄ってください(http://mywordtripyuichironyjp.travel.blog/)。facebookやinstagramはyuichironyjp で検索して、友達申請を!
Commented by Karuna_kahashi at 2021-03-30 04:34 x
私も東京バロックスコアラーズの演奏を聴きました。学徒出陣のために日比谷公会堂でこの曲が演奏されたとは驚きです。


Commented by desire_san at 2021-03-30 04:41 x
戦時中の学徒出陣の時に、『マタイ受難曲』を歌って送り出すということは、あなたたちは神の子イエスのように、次に善良な世界を築くための殉教者として、戦場に向かう学徒を送り出すという意味を送り出す人々も、学徒たちも心に刻んでいたということです。これは、戦前の軍国主義に真っ向から立ち向かっていったことを意味し、その勇気と覚悟はすばらしいと感動しした。


Commented by Koya Kusakabe at 2021-03-30 04:43 x
宗教的な意味でおっしゃられることは良くわかります。一方で戦時下、ナチスは音楽を宣伝活動に積極的に利用したのでしたが、キリスト教との距離感をどうとったのでしょうか。オーバーアマガウ村で10年ごとに400年にわたって演じられている受難劇は、ナチス政権下では聖書の解釈をイエスを追いやったユダヤ人として排撃したのですが、10年前私が観た受難劇は、その反省からシナリオが書き換えられました。戦中ローゼンストック指揮でどう演出されたのでしょうか、興味がありますね。



Commented by desire_san at 2021-03-30 04:44 x
出征を前にした青年が、「マタイ受難曲」を聴いて受けた感動がどのようなものだったのか、それから70年の時が流れても、今なお、その方の胸には「マタイ受難曲」が鳴り響いている、という事実が、その感動の大きさを物語っていると思います。「受難の中に復活がある」との解釈は、出征を前にした青年の気持ちを体現されていると言えるのではないでしょうか。                                  日本のユダヤ人政策とナチス・ドイツのユダヤ人政策は異なっていて、日本政府は日本の占領地でユダヤ人の取扱いを決めていませんでした。決めていたのは、収容所の所長や師団長など、現地の指揮官でした。


Commented by Haruna_Takahashi at 2021-03-30 13:14 x
作家トーマス・マンの夫人でもあるクラウス・プリングスハイム教授 (Prof.Klaus Pringsheim)は,ミュンヘン大学で数学と物理学を学び、東京音楽学校の外人教師シャルル・ラウトルップがクラウス・プリングスハイムに自分の後任として東京音楽学校に赴任しました。973年7月14日(土)バッハ《マタイ受難曲》の公演が東京カテドラルにおいて行われました。出演はソプラノ:マルガリータ・シャック(コルロイター夫人)、アルト:長野羊奈子、テノール:鈴木仁、バリトン:渡辺明、バス:宇佐美桂一、オルガン:河野和雄、チェンバロ:広野嗣雄各氏のお名前に続いて、合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団/グローリア少年合唱団、合奏:東京アカデミカー・アンサンブルメンバー、指揮:H.J.コルロイターと記されています。プログラム・ノートは磯山雅氏執筆による“《マタイ受難曲》の「偉大さ」の背景”、そしてコルロイター教授の“何故《マタイ受難曲》は小編成で演奏されるか”が掲載されています。バッハは《マタイ受難曲》成立の前後に起こった価値観の大転換にも、その軸足を狂わせることなく、イエスの受難を内省的に捉え、聖書の語る一回性に立ち帰ることを重要視し、コラールを用いることによって共同体的基盤を確認したとし、さらに「数」を始めとする象徴を多々用いた点を高く評価した上で、象徴から物事の本質を読み取る能力にも言及しています。

Commented by ueder_Janmel at 2021-03-30 13:15 x
1943年にローゼンシュトック指揮でマタイ受難曲が日比谷公会堂で演奏されていたというのは存じませんでした。しかも神谷美恵子さんの著作にそれがあるとはビックリです。私も学生時代から神谷美恵子さんの「生きがいについて」は何度も紐解いていたし、みすず書房の著作集も一応全巻持っていた(何しろ知性のレベルが違う)ので、もう一度探してみます。マタイ、ヨハネは二つともかけがえのない音楽作品で常に生演奏で自分のために聞きたい音楽ですね。



Commented by Yuongrio_Rewat at 2021-03-30 13:16 x
神谷美恵子さんの著作集、「若き日の日記」を探してみたら、神谷さんは1943年5月25日に青山会館でヨハネ受難曲を聞いています。指揮はプリングスハイムという人と日記にあります。マタイは1943年11月18日でした。当時彼女は29歳、日記の内容を少し拝見しましたが、まあ驚くべき知性です。


Commented by desire_san at 2021-03-30 13:46 x
私も東京バロックスコアラーズの演奏を聴きました。学徒出陣のために日比谷公会堂でこの曲が演奏されたとは驚きです。戦時中の学徒出陣の時に、『マタイ受難曲』を歌って送り出すということは、あなたたちは神の子イエスのように、次に善良な世界を築くための殉教者として、戦場に向かう学徒を送り出すという意味を送り出す人々も、学徒たちも心に刻んでいたということです。これは、戦前の軍国主義に真っ向から立ち向かっていったことを意味し、その勇気と覚悟はすばらしいと感動しました。





Commented by Koya Kusakabe at 2021-03-30 13:48 x
成城学院指揮者の柴田巌著「戦中のマタイ受難曲ー成城学院、ヒューマニズムの光彩」という本があるようです。成城学院合唱団は、昭和11年から18年まで、マタイを演奏したということです。

Commented by Koya Kusakabe at 2021-03-30 13:53 x
宗教的な意味でおっしゃられることは良くわかります。一方で戦時下、ナチスは音楽を宣伝活動に積極的に利用したのでしたが、キリスト教との距離感をどうとったのでしょうか。オーバーアマガウ村で10年ごとに400年にわたって演じられている受難劇は、ナチス政権下では聖書の解釈をイエスを追いやったユダヤ人として排撃したのですが、10年前私が観た受難劇は、その反省からシナリオが書き換えられました。戦中ローゼンストック指揮でどう演出されたのでしょうか、興味がありますね。

Commented by desire_san at 2021-03-30 13:54 x
出征を前にした青年が、「マタイ受難曲」を聴いて受けた感動がどのようなものだったのか、それから70年の時が流れても、今なお、その方の胸には「マタイ受難曲」が鳴り響いている、という事実が、その感動の大きさを物語っていると思います。「受難の中に復活がある」との解釈は、出征を前にした青年の気持ちを体現されていると言えるのではないでしょうか。                                  日本のユダヤ人政策とナチス・ドイツのユダヤ人政策は異なっていて、日本政府は日本の占領地でユダヤ人の取扱いを決めていませんでした。決めていたのは、収容所の所長や師団長など、現地の指揮官でした。



Commented by Koya Kusakabe at 2021-03-30 13:56 x
私も三澤さんのマタイ受難曲公演の前の聖書学者佐藤研さん、バッハ 学者の礒山雅さんのレクチャーを受けた記憶があります。それにしても、ユダヤ系の指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックが、昭和19年2月まで、N響の前身母体で指揮ができたというのは驚きですね。そもそもドイツを追われながらも、近衛秀麿の推挙で首席指揮者に就いたというのと、周りのバックアップがあったからでしょう

Commented by Koya Kusakabe at 2021-03-30 13:57 x
日本人の多くは、ユダヤ人には理解がありました。一つの有名な例が、バッハ 学者の樋口隆一先生の父季一郎陸軍中将が、ハルピン陸軍特務機関長であった時、満州に押し寄せたユダヤ人を助け、生活支援や、亡命を助けたため、ドイツに知られることになったが、不問に付された、という事件がありました。一方で、今朝の朝ドラを見ていたら出征する青年が壮行時に愛用のトランペットを吹いたら、敵性音楽が聞こえたということで、近所の人がお巡りさんを連れてくる、というシーンがありました。


Commented by Haruna_Takahashi at 2021-03-30 13:58 x
1943年にローゼンシュトック指揮でマタイ受難曲が日比谷公会堂で演奏されていたというのは存じませんでした。しかも神谷美恵子さんの著作にそれがあるとはビックリです。私も学生時代から神谷美恵子さんの「生きがいについて」は何度も紐解いていたし、みすず書房の著作集も一応全巻持っていた(何しろ知性のレベルが違う)ので、もう一度探してみます。マタイ、ヨハネは二つともかけがえのない音楽作品で常に生演奏で自分のために聞きたい音楽ですね。

Commented by Koya Kusakabe at 2021-03-30 14:15 x
私も三澤さんのマタイ受難曲公演の前の聖書学者佐藤研さん、バッハ 学者の礒山雅さんのレクチャーを受けた記憶があります。それにしても、ユダヤ系の指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックが、昭和19年2月まで、N響の前身母体で指揮ができたというのは驚きですね。そもそもドイツを追われながらも、近衛秀麿の推挙で首席指揮者に就いたというのと、周りのバックアップがあったからでしょう。


Commented by mituo_Kanaka at 2021-06-24 19:33 x
イエスがゴルゴダの丘に向かうあの究極の心情を学徒に受難曲により、慰める、あるいは犠牲の精神の崇高の価値と崇める意味かもです。
しかし、ほとんどの学徒には、この曲が重要な意義とは感じられない。
これが戦争の悲惨な姿でしょうか。
12弟子のマタイもベンテコストの後に。もはやイエスに対し、遅かった。







Commented by Akio_Himagekawa at 2021-06-25 18:01 x
全共闘運動を経て宗教音楽の演奏に明け暮れ、ついにカトリックに改宗した老信徒です。カンボジアでの3年間の使徒的生活を終え、現在はコロナ禍と時を同じくして、人生の終活を始めました。必ずやマタイ受難曲の全曲演奏をと、夢見ては待ち望んでおります。特に属七の和音が鳴る「バラバ‼️」には、人間の大罪を直視させ、回心を訴える力が充満しています。マタイ受難曲の演奏に取り組もうとされる、演奏団体が少ないのが現実です。西宮から芦屋周辺の阪神地域で、探し求めております。

Commented by Hanakiyoshi at 2021-06-26 10:36 x
西洋の芸術は、パトロンであるカトリック教会によって成立しています。
のちにルターによって指弾されますが、芸術の発展に大きく寄与したことは、間違いありません。
新約聖書の「マタイ福音書」は、マルコ福音書を資料にした共観福音書であります。同じ共観福音書の「ルカ福音書」に比べて、大きく違うのは、劇的要素です。これは、福音書記者の性格もありますが、それぞれが擁していた地域との関わりが大きいと思います。
聴衆に受ける表現をマタイが記述したので、後世の芸術家が、それに触発されたと思います。何しろ、そうすることで収入になりますから。





Commented by High_Watson at 2021-06-26 10:47 x
私が聴いている『マタイ受難曲』はミシェル・コルボ盤です。

 バッハの『マタイ受難曲』は名曲だけに、昔からすぐれた演奏も少なくないのですが、その中にあってこのコルボの実に明快な演奏は、この曲を初めて聴く人にも分かりやすい演奏で、彼がマタイから引き出す抒情的な美しさは、リヒターの超人的な巨大な世界とはことなり、人間の弱さや悲しさをしみじみと感じさせてくれます。

 臨場感に富む録音で左右の位置感がはっきりしているために、第一、第二合唱団の歌い分けがよく分かります。やや速めのテンポですが、各アリアにおける抒情表現の美しさは素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。とりわけ福音史家の演唱に端的に現れています。



Commented by Keiko_Watson at 2021-06-26 13:30 x
私が聴いている『マタイ受難曲』はミシェル・コルボ盤です。

 バッハの『マタイ受難曲』は名曲だけに、昔からすぐれた演奏も少なくないのですが、その中にあってこのコルボの実に明快な演奏は、この曲を初めて聴く人にも分かりやすい演奏で、彼がマタイから引き出す抒情的な美しさは、リヒターの超人的な巨大な世界とはことなり、人間の弱さや悲しさをしみじみと感じさせてくれます。

 臨場感に富む録音で左右の位置感がはっきりしているために、第一、第二合唱団の歌い分けがよく分かります。やや速めのテンポですが、各アリアにおける抒情表現の美しさは素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。とりわけ福音史家の演唱に端的に現れています。
Commented by Sanpou_Horikaewa at 2021-06-28 17:49 x
学徒出陣の非正規兵をマタイ受難曲で送ったと
いう話はこれまで聞いたことがなかったので大変驚きました。昭和18年といえ
ば1943年、これから暗闇に向かう少し前、まだバッハ演奏の余力があった時代
なのでしょうか。おそらく当時はマタイでも感情移入濃厚な演奏を聞いたでしょ
うから、非常に強い印象を受けたに違いなく、人生の最後に聞く音楽と思った
人も多いかもしれません。私は、メンゲルベルクの1939年の歴史的演奏をもっ
ており、有名な憐れみ給えの曲ですすり泣きの音が入っていることでも有名で
す。出陣時の指揮者がローゼンストックということはドイツ系でしょうか、か
なり上の演奏を彷彿とさせるものだったのかもしれません。


Commented by Rpou_Kaewa at 2021-06-28 17:54 x
この曲は昔と今で演奏のスタイルが大きく変わりました。同様に曲の印象も同様であろうと思います。まず、昔の演奏では第2部が大幅なカットがあり、ペテロの否認のあと、バラバの叫び、そして磔刑へと途中経過の部分をほとんど
カットするというスタイルです。

二部のほうが聞きごたえがあり、より感動的だと思うだけにこの大幅カットは残念に思います。リヒターの56年の録音、クレンペラーの録音はカットがありませんが、前者で3時間20分、後者で同45分の長さとなり、中々聞きとおすのが大変です。最近の演奏はオリジナル楽器によるものが多くなり、演奏時間も2時間40分となり、この差は、ヴィ
ブラートがない分歌わせなくなった影響が大きいのではと思っています。したがって感傷的感情移入的なものが希薄になり、かえってバッハの別の良さが出てきたように思います。


バッハは音の魔術師だとここの所思うようになってきております。今の楽器を使っては、昔の素朴な楽器の音の印象を出すことはできません。アリアでよく使うオーボエダモーレ、オーボエダカッチャの音は大変印象的で、一部のテノールのアリアにいきなり、通常のオーボエのソロ(非常に鋭い)を使っている曲は何らかの意図があるのではと思ったりしています。バッハの音楽はバッハ時代の響きに基づいて解釈するのが一番妥当なのではと思います。その意味では、オルガン曲は当時のオルガンがまだ残っているので
一番正しく、正当に音楽を今の世界にそのまま伝えていると思うと非常に感動を覚えます。








Commented by Sakaewa at 2021-06-28 17:58 x
「マタイ受難曲」と「メサイア「」の比較ですが、おっしゃるように一方は外面的、もう一つは内面的な追究で、マタイにある多様性はメサイアにはなく、何年か前に生でこ
の曲を聞いたとき似たような曲が続いているのに驚いたことがありました。



Commented by Sawa_Andou at 2021-06-28 18:04 x
バッハの『マタイ受難曲』は、本当に尽きせぬ音楽の愉しみ、愉悦の源泉ですね。

個人的な経験では、ベルリン勤務の2000年、バッハ没後250年の年で、あれこれ、世界各地でイベントが行われた時のことを思い出します。

今はピリオド楽器といういい方が一般的ですが、バッハ時代以来の古楽器の数々が展示され、さながら西洋楽器の系統図を見る思い。一弦のバイオリン、仕込み杖型チェロなどもあり、今は淘汰、消滅してしまった数々の珍種が沢山ありました。現代に伝わっているものは、弦にせよ鍵盤にせよ本当に一部分なんですね。おそらく、時代が受け入れる「音」や「音響」はそれぞれに違って来ていて、それはそれで当然なんでしょう。その中で、変わらないものを常に探し求めるのもまた尽きせぬ悦びのように感じます。それが聞く人に「寄り添う」ものなのかもしれませんね。

キリスト教は、文化の領域で接している限り広く人道的な世界に終始できますが、一旦現実の領域に目を向けると、なかなか厳しいものがありますね。

バッハは、職業作曲家として数限りない宗教曲を書きましたが、音楽にあんまり興味を示さないカルヴァン派のケーテン公に仕えた時代に注文が減ったのを幸い、器楽曲の傑作を多数残した由。ジャンルを超えて愛されるバッハの音楽性の源泉はこんなことろにもあるかもしれません。





Commented by 山崎俊助 at 2021-06-28 18:14 x
クラシック音楽の中で最高、最重要だと思う曲は"バッハのマタイ受難曲"が第一位になりました。マタイ受難曲、主イエスの受難曲に耳を傾け、主の御旨を聴きたいです。

全曲は六十八曲から構成されますがマタイ伝の聖句楽曲(福音史家が担当)が二十八曲、コラール(讃美歌風で主に合唱団が担当)十三曲、レチタティーボとアリア(ソプラノ・アルト・テナー・バスの独唱が担当)二十五曲、その他二曲、という膨大なものです。

中でも五回調子を変えて歌われる有名なコラール「血潮したたる」はマタイの中心的な楽曲で、、長大なこの曲に統一感と色彩を与えて見事です。初演時には礼拝の中で演奏されたのですから、この礼拝はどんなに短めにみても五時間は要したでしょう。大変な事です。






Commented by Keiko_Kinoshita at 2021-07-05 19:14 x
バッハが活躍した時代は、日本の江戸時代の徳川幕府最盛期で、元禄期で俳句の松尾芭蕉、井原西鶴、歌舞伎の近松門左衛門らが活躍し歌舞伎も隆盛期の時代でした。
実際に、音楽の父と呼ばれるバッハから音楽史を見ていくと、見ていくと、ショパンやドビュッシーら軽やかなサロン音楽の系譜もあり、一方で音響を音波としての構造をスペクトル解析するフランスを中心とする潮流や、クラシックにはシェーンベルク、ブーレーズとクラシック音楽のアカデミズムの流れがあり、12音技法を開拓し、いわゆる不協和音を多用した現代音楽の系譜もあります。耽美的なメロディに息づくサティから影響を受けて、ポストクラシカルの耳心地のよさの系譜に通じ、クラシックで身につけた教養や技術をベースに、実験的なロックやテクノで培ったセンスと現代音楽の音響的要素も貪欲に取り入れ高い評価を受ける現代のクラシック音楽に繋がっていきます。





Commented by 細川 昭雄 at 2022-05-01 11:50 x
畑さんは、マタイ他の指揮活動も始めておられます。大学では全共闘運動で敗北し、洗礼を受け、世界を旅しました。まさにバッハのマタイは、被造物である人間の原罪を贖い、その後の自罪をも悔い改めよと呼びかけるイエスに、全生涯を捧げた音楽家です。「バラバ‼️」の叫びが属七の和音で鳴るとき、人間の飽くなき傲慢を感じます。それでも三位一体の神であるイエスは、優しく聖愛をもって回心を求めます。ユリアハマリの独唱する27番(?)、Erbaume dich (憐れみたまえ)を、ザルツブルクの音楽祭で聴き、決意しました。死ぬまでに、機会が与えられるなら、マタイを演奏し、歌いきろうと。‼️











Commented by dezire-san at 2022-05-01 11:51 x
「マタイ受難曲」が、宗教色のきわめて濃い音楽作品でありながら、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのは、バッハが、「イエス・キリストの受難」を、宗教の枠を超えた普遍的な意義をもつところまで深く掘り下げて考察しており、バッハが自身の思想が到達したレベルまで鑑賞者の認識を音楽の力で導いていく力があるからだと思います。バッハ「マタイ受難曲」を鑑賞することで、現実の理不尽が混在する世界において、生きることに対し論理的に統括する体系を構築していく過程が生まれると思います。








Commented by 鈴木 雄三 at 2022-05-01 11:54 x
合唱経験者です。長い宗教曲だと思って敬遠されがちですが、個々の曲は数分で案外聴きやすく(長い冒頭合唱曲も、くっきり4部分に分かれる)、美しいメロディーやオペラティックな迫力にも事欠かず、ぜひ多くの方に味わってほしいですね。そして繰り返し聴くほどに、Hasumi様お書きの、底なし沼のような魅力がスルメのように滲み出てきますね。実は最近ご無沙汰でしたが、改めて聴きたくなりました。

個人的には、初めての方にはこの動画がおすすめです。言わずと知れた名演に、対訳がノーカット・リアルタイムで、適度な演出を加えて展開します。  https://youtu.be/ba9TMBUAmMc
















Commented by Keiita at 2022-05-01 11:56 x
「マタイ受難曲」、私も大好きです❤️
情感溢れる「マタイ」と形式美の「ヨハネ」。聴くたびに心が震えます。
バッハの受難曲はクラシックの最高峰と私は思います。







by desire_san