生演奏で聴いたブルックナー「交響曲第7番」の魅力
ブルックナー「交響曲第7番」
Anton Josef Bruckner "Symphony No. 7"
ブルックナー交響曲第7番・ハース版の生演奏を始めて、尾高忠明 指揮 藝大フィルハーモニアの定期演奏会で聴きました。この曲の日本初演は藝大フィルハーモニアの演奏で奏楽堂で行われたそうで、尾高忠明さんの力の入った指揮でブルックナーの世界を体感することができました。
ブルックナーは、ウィーンで和声法と対位法を学び、リンツ大聖堂のオルガニストになりました。ブルックナーは、ワーグナーの「タンホイザー」に強い感銘を受けて「ニ短調ミサ曲」を作曲します。ブルックナーは、ワ日に日にーグナーに傾倒します。後期ロマン派の保守派に属するブルックナーが崇拝したワーグナーは、同じ後期ロマン派でも前衛的でした。ブルックナーは、崇拝する作曲家ワーグナーとは対極の音楽を作っていたといえます。
ブルックナーは、ウィーン音楽院教授となり、オルガニストとしてヨーロッパで活躍しながら、長い交響曲やの宗教音楽を作曲し、ウィーンで72年の生涯を閉じました。ブルックナーの交響曲は、当時は理解されず評価されませんでしたが、近年再評価されるようになりました。
ブルックナー交響曲第7番は、1881年に第1楽章の作曲が開始しましたが、第2楽章の制作中崇拝していたワーグナーが危篤状態となり、ブルックナーはワーグナーの死を予感しながらこの曲を書き進めました。ワーグナーが死去すると、その悲しみの中で主題部とは独立した終結部分を加え、ワーグナーのための葬送音楽となっています。この曲は完成後ワーグナーを崇拝したバイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈されました。
第1楽章
ソナタ形式で、三つの主題を持っています。ブルックナー固有の原始的霧のかかった森のなかいるような音楽で始まります。次第に霧が晴れていき、チェロが弾く第1主題をオーケストラが引き継いていきます。オーケストラ全体の演奏で伸びやかな雰囲気が広がって響きわたります。第2主題はオーボエとクラリネットの木管楽器群から始まって、徐々に他の楽器に引き継がれます。オーケストラ全体を奏でた後、第3主題はロ短調から始まり転調を繰り返していきます。その後チェロで演奏される旋律は美しく心に強く響きます。音を楽しみながら最後はオーケストラ全体で力強く歌いあげます。
第2楽章
非常にゆっくりとしたアダージョの美しい旋律が穏やかな音楽を奏でます。次第に希望に満ちてきますが、重たい響きに変わり、再び元気を取り戻し楽しげな旋律を歌います。さらに再び荘厳な音楽となり、ワーグナーのための葬送音楽が始まり、4本のワグナー・チューバが厳粛な音楽を奏で、最後は主要な主題の旋律が演奏されて、弦楽器を中心に穏やかで安らぎのある響きでオーケストラ全体で歌い上げてこの楽章が終わります。
第3楽章
第2楽章の切々としたな緊張感から解放され、野性的な雰囲気にあふれるブルックナー・スケルツォは自由にのびのびと軽快に力強くオーケストラが歌い上げます。中間部のどかな旋律が美しいです。再び野性的な音楽に戻り、自由に観たち音楽表現は元気づけられます。
第4楽章
軽やかな音楽から始まり、金管楽器が鳴り響き、その後コラールのような旋律が鳴り響き、めまぐるしく音楽が変わっていきます。再び金管楽器が鳴り響き。合唱のような音楽に戻り、軽快で元気づけられるような合奏と安らぎのある弦楽器を中心とした音楽と一緒になり、最後は高らかに生きる喜びを歌い挙げます。
ブルックナー音楽は、ワーグナーの音楽を崇拝しながら保守的であり古典派的な作風になっています。ブルックナーの交響曲の多くは、1楽章が古典派の曲の1曲にも相当するほど長いことが特徴です。
ブルックナーの音楽は、音楽を聴く耳が一度音楽の響きを抹殺した後ではじめて可能となる音楽といえるかも知れません。ブルックナーの音楽は現実とはかけ離れた神話と戯れているようなところがあり、ブルックナーの音楽に馴染んでいくとブルックナーと共有している神話があり、現実のブルックナーの音楽の響きが神話の中にあり、そこには現実社会の矛盾や葛藤のようなものを忘れさせ、心がしだいに安らいきます。
音楽を聴いている自分は社会の煩わしさから一時逃れることができます。神話は傷つけられることなく。ここでは、こうした両者のずれに身を置きつつ、ブルックナーの音楽を聴いていきたいと思います。ブルックナーの現実に音楽の響きは自ら成長して行けよしていけよと語りかけてくるようです。
ブルックナーの音楽は、聴く人の耳に心地よい緊張を強いながら聴いている時間だけブルックナーの神話の中に快くとどまっていられるのです。ブルックナーの音楽を楽しむことは彼の神話の中で遊ぶことだと思います。遊びには筋書きなどありません。ブルックナーの音楽の響き聴くことは遊びに興ずることに他ならないように思えます。ブルックナーの音楽の魅力はそこにあるように思います。
ブルックナーの音楽を語るときワーグナーの存在を忘れるわけにいきません。ブルックナーは生涯ワーグナーの音楽に翻弄されました。ワーグナーの影響を受けたブルックナーの重々しい音楽は当時の人々には受け入れられませんでした。ブルックナーの音楽の根底に流れるワーグナー的要素は、ブルックナー派とワーグナー派の対決を呼び起こすことにもなります。
私は新国立劇場ができてから、生演奏はオペラしか聴かない時期があったため、ワーグナーの音楽を生演奏で聴き続けていました。確かにワーグナーを聴くと非常に濃密な音楽であるため、今まできいてきた音楽が希薄に思え、それまでは音楽の一部しか聴いてこなかった、理解していなかったと感じたときがありました。
そんな時自宅でのステレオでブルックナーのCDを聴いたとき、初めはワーグナーの亜流の音楽を聴かされているような気がしました。ワグネリアンがたくさん生まれたように、ワーグナーの音楽に酔わされた経験がある人はワーグナーの病にかかってしまうのです。ブルックナーが活躍していた時代彼ブルックナーの音楽がワーグナーの亜流レベルに見られ全く評価されなかったのも分かるような気がします。
ワーグナーを終生尊敬していたブルックナーが、自分の才能のどこに悩み感じ、どんな音楽に憧れを持ってきたのか、ブルックナーの周辺の人たちがブルックナーの音楽を残酷し、友人たちがブルックナーに音楽の改訂を勧めたり、勝手に改定して演奏してしまったりしました。
ブルックナーとワーグナーを丁寧に聴き比べると、当時の状況が少しわかるような気がします。しかし、今回初めてブルックナーの交響曲の生演奏を聴いて、初めてブルックナーのワーグナーの音楽にはない魅力を感ずることができました。
(2013.6 東京藝術大学奏楽堂)
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日本初演とのこと、少しびっくりしています。
滝がまるで生きているかのようにダイナミックに撮れていますね。
こういう水の動きを撮るのは難しいのにさすがです。
私もはやくこのような写真が撮れるようになりたいです。
僕も学生時代からブルックナーの音楽が理解できませんでしたが、ある時忽然とその美しさに目覚め、一時ブルックナーばかり聴いていた時期があります。
記事を拝見しながら、またブルックナーを聴きたくなってきました。
ブルックナー「交響曲第7番」の日本初演は藝大フィルハーモニアの演奏で奏楽堂で行われたというのは少し驚きました。その当時は上野公園に今も残る木造の奏楽堂ですから、おのような小さなホールでフルオーケストラでブルックナー「をよく演奏できたものだと思いました。
「私もはやくこのような写真が撮れるようになりたい」とはご謙遜を!
駒の小屋 さんの写真は大変すばらしく、綿もこんな写真を撮れたら!
といつも思っていまする
尾高さんのブルックナーはまさに正統派のオーソドックスな゜演奏だと思いました。CDではそうでない演奏も聴いていましたが、生演奏でブルックナーに向き合うには、良い機会だったと思っています。
サワリッシュ・N響、メータ/ロスフィル、ハイティンク/アムステルダム、スイットナー/ベルリン国立歌劇場、ハイティンク/ロンドン、朝比奈さんのブルックナーもよかったですね。Dezireさんも書かれていますが、ブルックナーの曲交響曲は特に生演奏で聴きたいと音楽ですね。
人間の脳の機能がもっと解明できたら、ブルックナーの和音や転調がどうやって脳内に電気信号を伝わらせて、あんな宗教的な感動を生み出すのか解明してほしいなんて思ったりします。
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· 返信する · 2時間前 · 編集済み
HIroyuki Shinada
HIroyuki Shinada 8番の終楽章コーダが始まると、それまで立ち込めていた霧がみるみると晴れて眼前に言葉に表せないくらい壮麗で偉大な山並みが眼前に開けるという感覚を味わえますよね。
第一楽章の無限の広がり、第二楽章の神秘的な慰め
スケルツォの躍動感、簡潔に纏められた第四楽章。
私も好きです。ライブ演奏の経験はありませんが、
BDで、バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンの
ライブで楽しんでいます。
好きでLP集めました(除く;カラヤン)。
you-tubeで探したデータを添付します;
https://youtu.be/gPsoZzAXN8c
https://youtu.be/bOAIdMkgASU
https://youtu.be/wSAbtjMeArg
https://youtu.be/HSYICt4iWZs
https://youtu.be/zo0PF4lACUY
https://youtu.be/aSnIu8gfFjU
https://youtu.be/jYgLf-9NJhc
https://youtu.be/gPsoZzAXN8c
どれがbest演奏?そういう議論はしません
第2楽章で描かれる頂点のカタルシスは凄まじいものがあり、豪快に築かれるクライマックスのパワーに圧倒されました。
それまで、ブルックナーもワーグナーも聴きたくなかったのです。
朝比奈さん指揮の7番をフェスティバルホールで聴いてからやみつきになりました。
そうすると、不思議なことに、ワーグナーもやみつきになりました。
この前の琵琶湖ホールのWEB配信良かったそうですね。
残念ながら、聞き逃しました。
7番なら オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管の演奏です。この闇夜に魑魅魍魎が跋扈するような奇怪、異形の演奏を何と言ったらいいのでしょうか。夜の闇の中でうごめくものがいる、何かただならぬ妖しい気配がする、姿の見えない何かが霧のように広がって迫ってくる。異様にテンポが遅く、幻想が極限まで肥大してしまったような重たく奇怪極まる演奏です。
これはマーラーの7番として最初に聴いてはいけない演奏です! ところが、私は、最初にこれを聴いてしまったのです。おかげで他の演奏が聴けなくなってしまいました。完全に毒気にあてられたのです。他の演奏は軽すぎたり、綺麗すぎたりとしか思えなくなってしまいました。