イタリア代表する作曲家・ロッシーニが生まれた街と世界的美術の至宝
Pesaro
ベーザロは、ベーザロ・エ・ウルビーノ県の県都でアドレア海に面した観光の中心です。ロッシーニが生まれた町として知られ、彼の家だった博物館やロッシーニの名を冠した音楽学校や劇場などがあります。
The Ducal Palace,constructed by Alessandro Sforza in the second half of the 15th century. TheRomanesque Cathedral Basilica, built in the 5th century over remains of a lateRoman edifice and dedicated to St. Terence during the Middle Ages. The façade,in Romanesque-Gothic style, is unfinished: it has a simple ogival portalsurmounted by a band of small arches. The Baroque Sanctuary of Beata Verginedel Carmelo).Church of St. Augustine, with a splendid Gothic portal. Themassive Rocca Costanza, built in the 15th century by Costanzo I Sforza, laterfor a time used as prison. It has a square plan with four cylindrical cornertowers and a wide dry moat.
ロッシーニの生まれた町
ロッシーニははペーザロで生まれ、ボローニャの音楽院に学び、ヴェネツィアでオペラ作曲家としての活動を始め、19世紀ヨーロッパのオペラ界を牽引しました。1815年から1823年のわずか8年で20のオペラを作曲しました。18世紀のイタリアを代表するオペラ作曲家として、『セビリアの理髪師』『チェネレントラ(シンデレラ)』など30曲以上のオペラを作曲しました。
1808/09デメトリオとポリビオ(Demetrio e Polibio)
婚約手形(La cambiale di matrimonio)1810
ひどい誤解(L'equivoco stravagante)1811
幸福な錯覚(L'inganno felice)1812
バビロニアのキュロス (Ciro in Babilonia, ossia La caduta di Baldassare)
絹のはしご(La scala di seta)1812
試金石(La pietra del paragone) 1812
成り行き泥棒(L'occasione fa il ladro, ossia Il cambio della valigia)1812
ブルスキーノ氏 (Il signor Bruschino, ossia Il figlio per azzardo)1813
タンクレーディ(Tancredi)1813
アルジェのイタリア女 (L'italiana in Algeri)1813
パルミーラのアウレリアーノ(Aureliano in Palmira)1813
イタリアのトルコ人(Il turco in Italia)1814
シジスモンド(Sigismondo)1814
イギリスの女王エリザベッタ(Elisabetta, regina d'Inghilterra) 1815トルヴァルドとドルリスカ(Torvaldo e Dorliska)1815
セビリアの理髪師 (Il barbiere di Siviglia, ossia L'inutile precauzione)1816
ガゼッタ(新聞)(La gazzetta, ossia Il matrimonio per concorso) 1816
オテロ(Otello, ossia Il Moro di Venezia) 18163幕
チェネレントラ(La Cenerentola, ossia La bontà in trionfo)
泥棒かささぎ(La gazza ladra)1817
アルミーダ(Armida)1817
ボルゴーニャのアデライーデ(Adelaide di Borgogna, ossia Ottone, re d'Italia 1817
エジプトのモーゼ(Mosè in Egitto)1818
アディーナ (Adina, ossia Il califfo di Bagdad)1818
リッチャルドとゾライデ(Ricciardo e Zoraide)1818
エルミオーネ(Ermione)18192幕
エドゥアルドとクリスティーナ(Eduardo e Cristina)1819
湖上の美人(La donna del lago)18192幕
ビアンカとファッリエーロ(Bianca e Falliero, ossia Il consiglio dei tre) 1819
マホメット2世(Maometto II)1820
マティルデ・ディ・シャブラン(Matilde di Shabran)1821
ゼルミーラ(Zelmira)1822
セミラーミデ(Semiramide)1823
イタリアの王ウーゴ(Ugo,re d'Italia)1824
ランスへの旅(Il viaggio a Reims, ossia L'albergo del Giglio d'Oro) 1825
コリントの包囲(Le siège de Corinthe)1826
モーゼとファラオ(Moïse et Pharaon, ou Le passage de la mer rouge)1827,
オリー伯爵(Le comte Ory)
ウィリアム・テル(Guillaume Tell)18294幕
アイヴァンホー(Ivanhoé)
ロバート・ブリュス(Robert Bruce )
ロッシーニは管弦楽に華麗な表現を追求し、ロッシーニ風クレッシエンドの呼ばれる速度と強弱が目まぐるしく変化するクレッシエンドと当時としては圧倒的な迫力を持つ序曲で、聴衆を魅了しました。37歳でオペラ・セリアの大作『ウィリアム・テル』を作曲すると、オペラの作曲をやめ、諸診の料理とサロン風の歌曲やピアノ曲、宗教作品の作曲に余生を過ごしたそうです。
The birthplace ofGioacchino Rossini, located at 34 Via Rossini. It has a museum dedicated to thecomposer, with manifestoes, prints, portraits and his spinet.
ロッシーニは「セビリャの理髪師」など意外の数多いオペラの多くは日本では一時ほとんど上演されず、時代遅れの作曲家と見る人もいるようです。しかし、イタリア、特にペーザロではロッシーニはオペラ史上でモンテヴェルディ、モーツァルト、ワーグナーに比肩する傑出した天才であったという認識蛾され「オペラ王」といえる天才として尊敬されています。
ペーザロで見つけた美術の世界的至宝
ジョヴァンニ・ベッリーニは、ヴェネツィア派の創始者で最大の巨匠のひとりですが、彼と彼の姉ニコロシアと結婚したのがパドヴァ・フィレンツェで活躍した卓越した天才画家・アンドレア・マンテーニャで、ベッリーニは、彼から遠近法やテンペラ画法を学びました。
ペーザロの町の中心アリンゴ広場の一角に ローマ時代の公会堂の遺構を基に建てられた大きな聖堂が聳え、その右奥の側廊にサクラメント礼拝堂があます。この礼拝堂に、カルロの21パネルの多翼祭壇画が飾られています。クリヴェッリはヴェネツィア派をベッリーニ一族と共に支えた 2大勢力の一つヴィヴァリーニ一族の下で修業しました。 その後パドヴァで学び、マンテーニャの影響を受けました。
ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル
このブログを読んで下さったAnakreonさんから、ペーザロの『ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル』について教えていただきましたので、以下に引用させていただきます。
ロッシーニのオペラを上演するこの音楽祭は1980年から始まりましたが、ロッシーニのオペラ・セリアが続々と復活上演され、ロッシーニの人と作品が再評価されるにつれ、音楽祭はワーグナーのバイロイトと比較されるほど世界的に注目されるようになりました。
毎年2,3の演目が上演され、ひとつは必ずクリティカル・エディションによる今世紀初演、というペースを守っています。このフェスティヴァルはロッシーニ・ルネサンスの発信元となり、その結果、現代にベルカント歌唱を復活させる重要な役割も果たしました。
参考文献
イタリア、マルケ州 :ペーザロ飼料
ペーザロ市立美術館 パンフレット
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今後ともよろしくお願い申し上げます。
これを機会に、よろしくお願い致します。
「荒れ狂う夏の猛威に身も震え 穏やかな日々こそありがたし」
今年の日本は全国でかつてないほど異常な夏になってしまいましたが、心休まる秋が迎えられますように・・。
(PS)久しぶりに200名山記事を掲載いたしました。
コメントの内容は気になさらないでください。
私も知らない分野に紀陽身を持ちのすので、テーマによっては、全く素人の場合もあり、知識がほとんどないのに勝手なかんそうをかいたりしています。詳しい方からお叱りのコメントをいだきますが、それはそれで勉強になり、少し賢くなった気分です。
思ったことやご質問など気軽に書き込んでください。
なお、ロッシーニの「オテロ」は私は聴いたことがありません。ロッシーニマニアの人がいますので、今度会う機会があったら聞いてみます。
イタリアは、観光都市として、最高ですね。ミラノ、フィレンツェ、ヴェネチア、その他どの都市もすばらしい。
desireさんのブログにもそうした雰囲気が良く出ていると思います。
現在のイタリアがデザインがすばらしいのは、こうした都市にいろいろと文化的財産が残っていて、それを素材として簡単に使えるということではないでしょうか。
イタリアオペラもすばらしいですね。
ロッシーニはもちろん、ドニゼッティ、ベルリーニ、ヴェルディ、プッチーニ・・・。モーツァルトもオペラを若い頃にイタリアで学んで作曲できるようになりました。今、ドニゼッティのオペラが好きで、いろいろ聞いています。
音楽にも疎いですがセビリアの理髪師は聞いたことがあります
昔、イタリアで小物を買おうとしたら時間ですからと売ってくれなかった。日本だったら絶対に売ってくれたのに。。。と
憤慨したことを思い出しました。
今になるとあちらが正しいと納得しています。
イタリア人が小物を買を売ってくれなかったという話ですが、イタリア人は職人が多義の人が多く、日本人のような「おもてなし」という感覚はあまりないようです。
komakusa2tさんのお話とは関係ありませんが、以前中国人が高価な川のジャケットを買うとき、盛んに値切っていたら、イタリア人の店主が、「この服は私の工場で職人が心を込めて作ったものだから、貴女には似合わない。」と言って結局売りませんでした。「爆買いのお客お断り」なんて、日本では信じられない店もありました。