ブログトップ | ログイン

dezire_photo & art

desireart.exblog.jp

芸術と自然の美を巡る旅  

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る

ジョルジョ・デ・キリコ
Giorgio de Chirico
過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_1553562.jpg


 東京のパナソニック 汐留ミュージアムで「ジョルジョ・デ・キリコ -変遷と回帰」という美術展が開催されていました。これを機会に、過去に来日したことのあるキリコの傑作絵画を回顧して、デ・キリコの形而上絵画について整理してその魅力を考えてみました。 



 ジョルジョ・デ・キリコは、1888年、ギリシアのテッサリアのヴォロスにイタリア人の両親のもとに生まれました。1910年、フィレンツェに移住し、最初の彼独自の形而上絵画を手がけました。1911年7月にキリコはパリへ向かう途中、トリノで数日間過ごしました。トリノは敬愛するニーチェの故郷でもありましたが、トリノの町はサボリア家により1000年も支配された歴史があり、装飾のない幾何学的町並みで昼間、人々は働きに出て街には人がほとんど歩いておらず、生活環のない街でした。デ・キリコはこの町の雰囲気に馴染んで、トリノの広場やアーチ状の建築の「形而上学」的形態に深く心を突き動かされました。

De Chirico is best known for the paintings he produced between 1909 and 1919, his metaphysical period, which are memorable for the haunted, brooding moods evoked by their images. At the start of this period, his subjects were still cityscapes inspired by the bright daylight of Mediterranean cities, but gradually he turned his attention to studies of cluttered storerooms, sometimes inhibited by mannequin-like hybrid figures.

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_1674317.jpg 形而上学とは、世界の普遍的な原理を理性的な思考で認識しようとする学問で哲学とも言えます。世界の根本原因、物や人間の存在の理由や意味などについて理性的な思考で解決しようとします。マルクスのような唯物論からみると、実証主義や客観的実在や認識可能性を認める弁証法を用いない形式的な思考方法だと言っています。

 ニーチェは産業革命や科学の進歩を背景として、「ツァラトゥストラかく語りき」で「神は死んだ」と宣言しまし た。真理はどこかにあるわけでも、誰かが知っているものでなく、自らに対して掟を掲げ、自身の立てた掟を厳守し、生への限りなき挑戦的姿勢を「ツァラトゥストラかく語りき」で象徴的に表現しています。ニーチェは人間が神にひざまずき来世に向けて生きようとする人間のあり方を否定し、神の導きに従うという考え方を捨て、孤独の中で自力で力強く生きなければならない、自らこそが掟の立法者となり、自らが自らの神になれと言っているように思えます。

 デ・キリコにより始められた形而上的絵画では、モチーフは造形的に簡潔な表現明らかではっきりと表現され、容積、空間、色彩なども正確な幾何学的な計算により、定められた秩序に従ってなされ、実際にない事物が組み合わされて、感覚や経験を超えた世界、自らの思考の世界を真実在として築き上げようとしました。激しい明暗で、冷たく神秘的な色彩で、人間や動物のような形を持たず、幻想的な遠近法、人間がまったく描かれていないか、小さくしか描かれていなません。デ・キリコのいう形而上絵画は、描かれたものの本質を描こうという一つの試みで、ニーチェの思想の影響もあります。ニーチェは形而上学に対しては否定的ですが、デ・キリコはニーチェを敬愛していました。

The Nostalgia of the Infinite ; This painting is an example of the tower theme, which was a recurring element in De Chirico’s works, The Nostalgia of the Infinite of which is the most famous. According to art historian Robert Hughes, the tower draws inspiration from the Mole Antonelliana, a landmark tower in the city of Turin, Italy. During his travels as an emerging artist, De Chirico traveled to Turin, and was inspired by its metaphysical presence, especially the architecture of its piazzas and archways. It was also a city he connected with Nietzsche, who occasionally summered in Turin, and of whose philosophy De Chirico was a follower. In modern media, this image has influenced the painting for the box cover of the video game Ico, which draws artistic inspiration from the many vast and lonely expanses apparent in De Chirico’s works.

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_1683826.jpg トリノの街とニーチェの思想が結びつき、「孤独な詩性」という思想が生まれました。デ・キリコにとって優れた絵画とは、瞑想的静けさが生み出す孤独、モチーフそのものの奥にある孤独が重要な要素でした。トリノの街のように、デ・キリコの絵画には生活感が全くありません。人間の存在すら感じない作品を描きました。

 ボローニャから近い街で、ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯が世界文化遺産に登録されたフェラーラに移り住んで、この町の不思議な美しさに魅せられました。オレンジ色のレンガ屋根が並ぶこの静かな地方都市は、パドヴァからの道筋やラヴェンナ、ポンポーザへの道。この街がデ・キリコの作品のモデルになったといわれています。

 この街では、昼休みになるとエステ城を見た後道路に出ると、なんと人が消えて、教会の前にも広場にも、市役所も前にも人が見えなくなってしまいます。閑散としている街。道路の真ん中で立ちすくんでいると、バスが乗客をたった一人だけ乗せて通って行きます。他に歩いている人を探しても、遠くにちらほらしか見えません。この町では昔の習慣どおり、昼はみんな自宅へ戻って昼食を食べるらしいのです。イタリアでも少し大きな街だとそういう習慣も消えかかっていますが、フェラーラではしっかり残っているのでした。

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_1693699.jpg 画家のデ・キリコは、引越し魔で住む場所を国際的に移動し、イタリア国内の場合1年ごとに街を引っ越していますが、フェラーラだけは、数年暮らしていました。人気の無い街角、閑散とした宮殿などの風景がデ・キリコに影響を及ぼしたといわれているが、彼の絵のあの奇妙な寂しさが、実感として分かるような気がする街です。

 デ・キリコはエステ城の広場を舞台として、「吟遊詩人」「不安を与えるミューズたち」などの傑作を描きました。事物は徹底的に写実的に描き、濃厚な色彩と立体感を生み出す陰影表現は古典的絵画手法を継承しました。しかし、矛盾した遠近法や一見無関係なものを同じ空間に置くことによって、神秘主義的な雰囲気を絵の世界に与えました。このような特徴の絵画表現は、作品を見る人に、静謐、郷愁、謎、幻惑、困惑、不安など不思議な絵画体験を与えます。

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_1695839.jpgThe Disquieting Muses ; One of the most famous paintings both by De Chirico and of all metaphysical art, The Disquieting Muses was painted in the city of Ferrara, Italy, during World War I. De Chirico considered Ferrara a perfect “metaphysical city,” and used much of the cityscape of Ferrara in the painting. The large castle in the background is the Castello Estense, a medieval fortress in the center of the city. The three “muses,” in the foreground of the painting, are “disquieting” due to the fact that they were the pathway to overcome appearances and allowed the viewer to engage in a discourse with the unknown. This painting inspired a poem by Sylvia Plath, also entitled “The Disquieting Muses.”



過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_16112821.jpg 20世紀のイタリアを代表するデ・キリコ、その代表作「通りの神秘と憂愁」は、強い日ざしが照りつける午後の街角に、輪を転がす少女のシルエットが描かれている。交錯する光と影。異様な静寂に包まれる通り。キリコは影や構図を自在に操り、何気ない日常の一場面を、見る人に不安をかきたてる舞台に変えました。荒涼と通りに秋の午後の日差し、長い影が質感や動きを強調し、暗い影に夜はすでに来ているようです。仮想の媒質による光が世界に夢の外観を与えています、不気味な宇宙のように深遠はあり、我々はそのシーンに関与していない空のステージで、見えないドラマを前に道に向かって輪を転がす少女を描いています。切迫した悲劇の感覚を強調し閉じ込めを示すようにも感じられます。暗い建物の印象的なファサードが前景を支配し、左側の白い壁と遠近法の消失点が異なっていて短縮誇張視点を与えます。この空間歪曲が非現実不吉な感覚に、各アーチは閉所恐怖症空間を感じさせます、この作品で、•デ•キリコは、形而上絵画スタイルの創始者、シュルレアリスムの先駆者として、憂鬱な謎の世界の可能性を緻密な概念で示し。平凡な通りでも、光の中でこのように不吉で不安な美しい見ることができることを示しました。デ・キリコは人間心の奥底にある孤独や不安、記憶を描き出しました。それは今までなかった「新しい絵画」の誕生を意味していました。

Melancholy and Mystery of a Street, 1914, oil on canvas, 88 x 72 cm
In this eerie space something profound has or will take place, but we are not privy to that scene. This is an empty stage. We are shown the street soon after or just before an unseen dramatic event. The threatening shadow of a statue, out of sight, draws towards it a girl - also appearing as little more than an emanation. The box on wheels, with its shadowy interior, seems to indicate entrapment, further emphasising the sense of impending tragedy. The imposing facade of a dark building dominates the foreground while an extended white wall on the left gives the illusion of depth, an exaggerated perspective foreshortening the vanishing point, creating an ominous sense of unreality, of sur-reality through spacial distortion. Each arch seems as if an eye, silently staring into the claustrophobic space. As De Chirico explains visiting Versailles, "Everything gazed at me with mysterious, questioning eyes. And then I realised that every corner of the palace, every column, every window possessed a spirit, an impenetrable soul."

 デ・キリコの典型的な作品の特徴は、画面の左右で、遠近法における焦点がずれている。人間がまったく描かれていないか、極小さくしか描かれていない、長い影が描かれている、彫刻、または、マネキンなどの特異な静物が描かれている。時計は正午に近い時刻を示しているのに、影がひどく長いなど画面内の時計が示している時刻と影の長さの辻褄が合わない。汽車が描かれており、煙を出して走っているのに煙はまっすぐ上に向かっている、などです。

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_16123287.jpg デ・キリコは1911年にパリに移住して、サロン・ドートンヌの審査員であるピエール・ラプラドに会い、そこでデ・キリコは「神託の謎」「午後の謎」「セルフ・ポートレイト」の3つの作品を展示した。1913年、キリコは、サロン・ド・インデペンデントやサロン・ドートンヌなどで作品を展示しました。そのときにパブロ・ピカソやギョーム・アポリネールらがキリコに関心を持ち、初めて彼の作品に買い手がつきました。売れた作品は「赤い塔」でした。1913年ごろの作品は塔を主題ものが多くなっています。

 第一次世界大戦が勃発すると、キリコはイタリアへ戻りますが、徴兵されるには体力不足とみなされ、フェラーラ病院に配属され、そこで絵を描き続けました。そこで。かつての未来主義者カルロ・カッラと出会い、自分たちの絵画を示す言葉として「形而上的」という言葉を使いはじめました。この二人のいう「形而上的」とは、どこか辻褄があわない、納得のゆかない、不思議な、程度の意味で用いています。絵で目立つのは、誇張された不自然な遠近表現、非日常的な、幻覚的ともいうべき強烈な光と影のコントラスト、古代的なモチーフと現代的なモチーフとの共存などで、一種の幻想絵画の世界かも知れません。

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_16135230.jpg 「愛の歌」では、古代のアポロン像の頭部と手術用の赤いゴム手袋が並び、その後ろを蒸気機関車が走るという現実にはありえないような不条理な取り合わせで、何を持って「愛の歌」と言っているのか分からないような状況設定をしています。それは、1920年代に始まるシューレアリスムの先駆ともなりました。

 デ・キリコの形而上作品を、それが見る人に引き起こす感覚ゆえに、高く評価され、シュルレアリスムを創始するときの1つの源泉として位置付けられました。ダリが憧れ、デ・キリコの存在なくしてダリはいなかったとまで言われています。また、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォー、ピエール・ロワなどに、強い影響を与えました。

 1918年にローマへ移動し、作品がヨーロッパ中で広く展示されることになりました。しかし、デ・キリコの作品で高く評価されているのは、1909年から1919年の間の作品でした。

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_16194677.jpg 1919年以後、デ・キリコは一度古典主義に回帰します。第一次世界大戦後ヨーロッパでは「秩序の回復」の風潮が強くなり、デ・キリコも14~15世紀のイタリア絵画技法を学び直す必要性を主張しました。 「形而上芸術について」、「技法への帰還」などを出版し、シュルレアリストたちとの決別を表明し古典主義に回顧する作品を描き始めました。前衛的絵画を引き続き牽引すると思われていた矢先に、デ・キリコは懐古主義に戻ったような作品を描き、シュルレアリスムを提唱したブルトンから「デ・キリコの才能は終わった」と評されました。個展を開きましたが、美術史家のロベルト・ロンギに酷評されました。

In 1930, De Chirico met his second wife, Isabella Pakszwer For, a Russian, with whom he would remain for the rest of his life. Together they moved to Italy in 1932, finally settling in Rome in 1944. In 1948 he bought a house near the Spanish Steps which is now a museum dedicated to his work.

 しかし、かつての形而上絵画を、アンディ―・ウオッフォルがその独創性を絶賛しました。デ・キリコは再び形而上絵画に回帰します。しかし、古典的絵画手法を用いつつ、遠近法や素材を絶妙に非日常から不思議な世界を作り出し、人間心の奥底にある孤独や不安、記憶をよみがえられた形而上的絵画、容積、空間、色彩なども正確な幾何学的な計算により、定められた秩序に従ってなされうるはずの絵画様式でしたが、正確な幾何学的以上に彼の鋭い感性により築かれたものでした。時を経て感覚や経験を超えた世界を構築する絶妙な感性はすでに彼から離れていました。「形而上絵画」は全盛期のデ・キリコの比類ない感性を不可欠とするもので、「形而上絵画」の表現は本質的に自己矛盾を抱えていたのかもしれません。

 デ・キリコは「新形而上絵画」と評して、形而上絵画時代の自己模倣ともいえる作品を多数制作しました。しかし、微妙な色使いや、遠近法の消失点の違いの全盛期の絶妙な表現は再現できず、観る人に強い神秘性を感じさせることはできませんでした。作品の年号を昔のものに変更して展示してトラブルも起こすこともあり、デ・キリコは過去の自分の作品を模倣する作家として、過去の人になってしまいました。

過去に来日した傑作を回顧してデ・キリコの作品の意味と魅力を探る_a0113718_162382.jpg 本来のデ・キリコは「形而上絵画」は1909年から1919年の間に制作された作品のみで、その中で傑作は30数点程度と言われています。デ・キリコ展は日本でも時々開催されていますが、全盛期の作品は僅かで、大部分は、懐古主義に戻った時の作品と自己模倣作品が占めています。今回の汐留ミュージアムで「ジョルジョ・デ・キリコ -変遷と回帰」でも見るべき作品は、「謎めいた憂愁」と「通りの神秘と憂鬱」くらいだったような気がします。デ・キリコの傑作の多くは、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン地術館、ポンピドゥー・センター、パリ市立近代美術館、グッゲンハイム美術館など外国の有名美術館が所有しており、仕方がないのかもしれません。デ・キリコはどんな画家だったかを知る上では有意義な美術展だったと思いました。
(2014年12月24日、パナソニック 汐留ミュージアム)

参考文献
峯村 敏明 (著), 多木 浩二 (著) (訳)「 (アート・ギャラリー 現代世界の美術) 」 1986/5
佐藤まどか(著))「デ・キリコ」講談社、2013


















にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村
この記事を読んだ方は上のマークをクリックして下さい。
by desire_san | 2014-12-27 16:29 | 美術展 & アート | Comments(35)
Commented by slow33jp at 2014-12-28 08:32
こんにちは!

私はあまり詳しくは知らないのですが
同じシュルレアリストの中でもダリやマグリット、
デルヴォーよりも もっと直接で深く心の奥を
表現していると思います。

キリコの初期のころの世界は革命や戦争がありましたが
芸術の世界はすごく活気に満ちていたような気がします。
Commented by aamori at 2014-12-28 08:53
おはようございます。
キリコの絵は空気がない感じが面白いと思います。特に町。
初めのころの絵は好きですが、
ポスターのように絵の具を塗ったので、まねされたようです。
画家がいろいろ悩んだりしていることが面白いと思いました。
初めてのキリコはMOMA.もう昔のこと。
絵についてよく知らない頃に出会ったのですが、
面白くて印象に残りました。
いろいろ、旅に行ってられるのですね。
アッシジ、行きたいと思いました。
またゆっくり、いろいろな場所のブログを見に行きます。
Commented by amadeusjapan at 2014-12-28 10:13
興味深い論考でした。
Commented by oyamanoouchi at 2014-12-28 10:15
はじめまして^^こんにちは
おやまのおうちです
遊びにきちゃいました!

ほ、ほ、本格的なアートの世界ですね…
お勉強になります!
あんな、絵を描くんじゃなかった、、、
お恥ずかしい…(T_T)

知らない世界を知るために
お気に入りさせてくださいm(__)m
Commented by desire_san at 2014-12-28 10:59
slow33jpさん、コメントありがとうございます。
デ・キリコの画家としての生涯は、葛藤の連続のような気がします。
Commented by desire_san at 2014-12-28 11:03
aamoriさん、コメントありがとうございます。
MOMA.にはキリコの傑作がたくさんありますね。
キリコの透明感のある空気がないような感じは私も好きです。
色々記事を載せておりますので、これを機会によろしくお願い致します。
Commented by desire_san at 2014-12-28 11:05
oyamanoouchiさん、私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立ててうれしいです。これを機会によろしくお願い致します。
Commented by taki at 2014-12-28 11:54 x
こんにちは。
ぼくのブログへのコメント、ありがとうございます。
ぼくは建築屋で美術は門外漢なのですが、
イタリアの建築家でアルド・ロッシというひとがいました。
建築でメタフィジカに近いことをやっています。
ご興味があれば。
Commented by desire_san at 2014-12-28 12:20
takiさん、ありがとうございます。
早速アルド・ロッシの建築をネットで見てみました。19世紀末建築家のような装飾が少なく、行き歳感覚の豊かな作品が多いですね。住民の存在を感じさせない無機的な要素はデ・キリコの描いた都市に通ずるものがあるようにも感じました。
Commented by 平石悟 at 2014-12-28 12:32 x
デ・キリコの話でなくて恐縮ですが、キリコの絵画に影響を与えたというトリノに何度か仕事で行ったことがあります。トリノ大聖堂はファサードの装飾の美しさは素晴らしいものでした。1つの尖塔アーチに3つの細い柱を組み入れ横一直線に狭い間隔で柱を見せ、上段は幅を広く取り太目の柱多重柱でアーチになり見事に均衡に驚きました。正面には手の込んだ彫刻群があります。ファサードの各段の装飾が美しく、三角形の頂点にはキリストその下は最後の審判のように左側は聖人細い立像が規律正しく並び天国へ行ける人々、右側は地獄行きを告げられ泣き叫んでいる人々を彫刻で示されていました、デ・キリコにはこの大聖堂は関心がなかったようですね。
Commented by Masayuki_Mori at 2014-12-28 12:39 x
平石さんからトリノのお話が出ていましたので、もうひとつのデ・キリコに影響を与えた町、フェラーラについて書かせていただきます。15世紀中頃、エステ家で教育熱心だったフェラーラのボルソ公が、ピサネッロ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、フランドルからファン・デル・ウェイデンも招き、各地の新しい芸術を積極的に導入しました。教会の側面は商店街になっていて、アーケード上部の装飾は教会のものでした。ここが広場になっていて、沢山の人が集まっていました、しかし、奇妙な寂しさがあり、、で・キリコがそれを実感したのも分かるような気します。
Commented by Keiko_Kinoshita at 2014-12-28 12:50 x
デ・キリコの「憂鬱とストリート」は私も以前見たことがあります。この不気味な宇宙のような深遠、その場面に我々は関与していないは空の舞台です。道は前に我々が目に見えないドラマチックなイベントを示している要です。彫像の脅迫影は、見えないところに向かって行く女の子を描いています。車輪の上の箱には、その影の内部に閉じ込められそうな切迫した悲劇の感覚を強調ているように思われます。
Commented by Haruna_Takahashi at 2014-12-28 12:59 x
Kinoshitaさんの感性鋭い感想に感服しました。Kinoshitaさんが書いておられないことで私の感じた事を書かせて抱きます。左側の延長白い壁が空間歪曲を通じて幻想的な世界の現実の非現実不吉な感覚を作成し、深さの錯覚、消失点を短縮誇張視点により、暗い建物の印象的なファサードが前景を支配しています。各アーチに閉所恐怖症空間を眼が見つめているような感じがあります。デ•キリコは、目に疑問を、神秘的で私を見つめた。私は宮殿のすべての列の隅々はまで、精神的に不可解な魂を内在していると井つています。
Commented by pa-ru at 2014-12-28 21:41 x
先日はコメントいただきましてありがとうございました。
dezireさんの記事も興味深く読ませていただきました。
私は専門家ではないので難しいことは分かりませんが、
今回の展覧会はとても面白く回れました。
最初はスケッチが並んでいたので少し物達ない感もありましたが進むにつれ色々な作品が目に飛び込んできて、
気が付いたら夢中になっていました。
なぜ、このような生活感がなく、意味不明のオブジェがならんでいる絵に惹かれるのでしょうか。
記事にも書かれていましたが「孤独の詩性」という思想に引っかかりました。
瞑想的静けさが生み出す孤独に惹かれていたのでは、と感じています。

シュルレアリスムを知るうえで重要な絵画展であったと感じました。
Commented by tabinotochu at 2014-12-28 21:56
desire_san、いつもありがとうございます。
デ・キリコに限りませんが、通して作品を見ると学べることが多いですね。
そういうのも結構楽しく感じます。
Commented by desire_san at 2014-12-29 03:55
pa-ruさん、 tabinotochuさん、コメントありがとうございます。 pa-ruサンがお書きになっているように、デ・キリコの絵画が高く評価された一つとして、「孤独の詩性」があると思います。理不尽な人間社会を離れて、孤独の世界に詩性を求めたのではないかと思います。夢や空想、心の遊びの世界求めたシュルレアリスムに通ずるところが、そこにあるのではないかと思えます。
Commented by ディック at 2014-12-29 14:43 x
 受験生活を抜け出て大学に入学した頃、目の前に開けた自由な世界に圧倒される反面、そこへ飛び込んでいく勇気のない自分に、私は苛ついていました。
 「さあ、何をやってもいいぞ」と言われても、すなおに飛び込んでいけない。それは結局生い立ち(過去の生活や環境)に、自分が知らず知らず縛られているからで、これを断ち切らないことにはどうしようもない。しかし、自由意思のつもりが知らず知らず縛られているとすれば、そこからフリーになることは容易ではありません。
 その自分の前に出てきたのが「シュルレアリスム」の考え方でした。
 シュルレアリスムというのは「美術革新のための運動の、その手法の一群の総称である」といまは考えていますが、当時はとにかく画面上に現れる不思議な世界に魅了されていて、キリコもダリもマグリッドもエルンストもタンギーも、当時の私にとってはみんな一緒くたでした。

 大半の画家たちは若い時期にシュルレアリスム運動を通過し、やがて独自の境地を開いて大画家へと成長していく。シュルレアリスムを踏み台に使って、自分の世界を構築していく。
 でも、キリコという画家はそうではない、と感じております。
 キリコは、最初から自分が描きたい世界を描いていたのであって、他人が認めた「シュルレアリスム絵画との親和性」とか、画家が自分で語った「形而上絵画という理論(理屈)」とかは、キリコの描く絵画を他人から認めてもらいたくて、画家自身や評論家が言っていることだ、と理解しています。
 それは確かにキリコはニーチェに傾倒していたかも知れませんが、キリコに限らず画家たちが振り回す屁理屈は、誤解やらねじ曲げやらが多くて、「ああ、この人はこう考えていたんだな」という程度に聞いておかないと、筋が通らないことや、論理的に考えて妙な屁理屈が多く、たいへん理解に苦しみます。
(つづく)
Commented by ディック at 2014-12-29 14:46 x
(前のコメントからのつづき)
 「若い頃にキリコが描いて見せたくれた世界」は私を魅了しましたが、私が感じていたのは「どうしようもない閉塞感」だったのに対し、キリコが見せてくれたのは「この世界はとても奇妙だけれど、でも静かで案外と居心地がいいんだよ」というものだったように、いまでは感じています。
 キリコは、若い頃に自分が描いた世界から、とうとう抜け出しはしなかった。むしろ進んでそこへ戻っていった、というのがぼくが言いたいことです。
 彼の絵が、もしシュルレアリスムの成果だというのなら、彼はシュルレアリスムを踏み台にして大家に成長したのではなく、ずっと同じところにとどまっていようとした人なのでしょう。
Commented by desire_san at 2014-12-29 15:22
ディックさん、貴重なご見解ありがとうございました。
 キリコの1919年までの絵画は、ディックさんの「この世界はとても奇妙だけれど、静かで案外と居心地がいいんだよ」という世界を見せてくれたという表現に共感します。しかし、前衛的な絵画は美術批評家も含めて、理解されないものが多く、「形而上絵画」というような理屈をつけて、キリコ自身が本に書いて説明したりするのでしょう。しかし、ディックさんが言われる屁理屈のようにも思えます。
 ダリとモンドリアンが芸術論を闘わせていますが、絵画は理屈で見るものではなく、感性で味わうものです。ダリを好きな人にモンドリアンの魅力を理屈で分からせようとしても無理だと思います。
 シュルレアリスムの魅力は画家の遊びこころだと私は思っています。自分独自の自由な世界を作って、その中で画家が子供のように思い存分遊びまわった時、その世界のすばらしい魅力が、我々の感性を通じて伝わってくるのだと思います。
 
Commented by toomochon at 2014-12-29 16:05
desire_sanさん
コメントありがとうございます。
CBR600RRに乗り始めて!のTomochonです。

私は絵画等にほとんど詳しくないので、
ここでうまくコメントできません。
ただ、素人なりに、惹かれる絵やデザインもあり
そういう感覚だけは、いつも大切にしていたいと思っています。
Commented by desire_san at 2014-12-29 16:51
toomochonさん、ありがとうございます。
絵画は感性で見るものだと思っています。
作品に魅力を感ずると思う感覚が大切ですね。
Commented by よしひこ at 2014-12-29 20:49 x
おじゃまします。
拙ブログのデキリコ記事へのコメント有り難うございました。
こちらのブログは内容豊富ですね!
時々来てみようと思います。
Commented by donburakon at 2014-12-29 20:51
こんにちは。
キリコ面白かったです。小さい頃こんな感じで生きてたかもって思いました。
子供って自分にとって印象が大きいものがクローズアップされてるところがありませんか?人も物も同じ基準っていうか。
そんな感覚をすご~く久しぶりに思い出しました。

私しつこくて長生きの画家が好きなんです。よっぽどなのねって思って。理解は出来なかったとしてもよっぽどな気持ちの強さは感じられるので。
キリコの世界静かで良かったです。
Commented by 山脇由美 at 2014-12-29 23:28 x
イタリアにいるときフェラーラに行ったことがあります。フェラーラは、15世紀中頃、エステ家で教育熱心だったボルソ公(1413-71)が、ピサネッロ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、フランドルからファン・デル・ウェイデンも招き、各地の新しい芸術を積極的に導入したのだそうです。この教会の建物の側面は、商店街になっていて、アーケード上部の装飾は教会のものです。ここは広場になっていて、沢山の人が行き来して。昔から住民の大事な市場だっただったと思われます。の奇妙な寂しさが、今、で・キリコとフェラーラの関係を知り、私は実感として分かるような気がします。
Commented by desire_san at 2014-12-30 11:47
よしひこさん、 donburakoさん、コメントありがとうござます。
キリコの絵画は現実社会と別の次元の世界を体験できますね。
年明けにはミレーのレブューを書く予定ですので、よろしかつたらまたご訪問いただけると嬉しいです。
Commented by desire_san at 2014-12-30 11:49
山脇さんはイタリアに住んでおられたこととがあるので、我々が行けないような所も行っておられるのですね。フェラーラの街もなかなか魅力のある街のようですね。イタリアには魅力ある街が限りなくあるようで、イタリアが大好きになっています。
Commented by ururu at 2014-12-30 21:04 x
こんばんは。
キリコ展、色んな灌漑がありました。
(しつこいけど)私がキリコの絵に出会ったのは40年位前^^日本橋のブリジストン美術館でした。
ユトリロやローランサンしか知らなかった二十歳の私にとって、『吟遊詩人』は不可思議な、何とも心惹かれる絵でした。
あの『吟遊詩人」は今回出展されていたのとは少し違う気がします。(定かではありません。何しろ40年前の記憶ですので)

その後、(だいぶたってから)
朝日新聞の日曜版で『通りの神秘と憂愁』が取り上げられていた時、
キリコに何故惹かれたのか、分かった気がしました。
ズバリ、表現しようのない不安感です。
(今年の夏観た、ヴァロットン展でも同じイメージの絵に惹かれました)

あの『吟遊詩人』はブリジストン所蔵とは違う??
そんな疑問で、我が家の本箱の奥から、
埃だらけの昭和42年版・同美術館解説書を見つけました。
転記します。(同作品は白黒写真)

吟遊詩人 油彩61.8×49.3㎝

この絵の裏にキリコは自筆で「この絵はメタフィジカルの時代の作品で、「吟遊詩人」にして、我が真作なりと書いている。
メタフィジカルは形而上的絵画を意味し、実際にないもので、人間や事物が組み合わされ、幻想的な遠近法、激しい明暗で、冷たく神秘的な色彩が用いられている。
対象は造形的な明晰さで現され、容積、空間、色彩なども正確な幾何学的な計算により、定められた秩序に従ってなされ、そこにある風景も、自然主義的な意味はなく、人物らしいものも我々の日常とは何ら関係はない。
「事物が相互的に実用的な或いは論理的な関係から引離されたときに、孤独なそして神秘的で陰気な、然も魅せられたような外観に変貌する」というキリコによって、提出された神話の世界である。



今読み返して、(じゃ、何なの?)という、当時の思いが蘇って来ます。
あの『?』がキリコの魅力と思うのです。

良いお年をお迎え下さいませ。
Commented by desire_san at 2014-12-30 23:42
ururuさん、形而上的絵画に関する詳しいご説明ありがとうございました。なぜ「形而上的絵画」と名付けたのか良く分かっていませんでしたが、「容積、空間、色彩なども正確な幾何学的な計算により、定められた秩序」に従って描かれた絵画というご説明で、理解できました。それが見る人に引き起こす孤独な神秘性や不安、そしてその感覚経て生ずる感動や現実の不条理な社会からの解放感が、キリコの絵画の魅力だと思います。現実社会とは別の社会を絵画空間に造りだす、という芸術活動は、後のシュルレアリスムや抽象絵画で実現され、悩める現代人に価値観の多様性を教え、私も生きる力をもらっています。キリコは絵画に現実社会とは独立した絵画空間を築いた先駆者と言えるかもしれません。

いろいろご教示頂きありがとうございました。
ururuさんの木たるべき年のご多幸ほお祈り申し上げます。
Commented by rtravel at 2014-12-31 20:13
 キリコの記事読みました。自分の作品を模倣したり、古典主義に戻ったり、それはそれなりにおもしろく、生き方は様々だなと思いました。
 ジャズトランペッターのマイルスデイビスがピカソのようにスタイルをどんどん変えるので昔のようにやってほしいと思っているファンがいるという話を思い出しました。
 自分は発信するのが楽しくて、人のブログを見ることはあまりないので参考になりました。ありがとうございます。          林間トラベルより
Commented by るね at 2014-12-31 20:49 x
desireさん、先日はご訪問とコメントありがとうございました。

ご考察、興味深く読ませていただきました。
デ・キリコがニーチェに傾倒していたことは、今回の回顧展でもあまり触れていなかったように思いますので(単に見落としていただけかもしれません(-_-;)が)、ニーチェの思想が画家に与えた影響という点から考えると、なかなか面白いなと思います。

後年の「新形而上絵画」への回帰に関して、私自身は自己模倣というよりもそれが画家の原点回帰であり、キャンバスに描き出した「形而上」が、画家の眼に映る現実だったのかな、なんて風に感じておりました。
文字通り”孤高”の画家だったのではないかと。

あと、今回の汐留には「通りの神秘と憂愁」は出展されていなかったようです(持ち帰った目録で確認してみました)。

今後もちょくちょく覗かせていただきます。
良い年をお迎え下さい。
Commented at 2014-12-31 20:55 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by snowdrop-momo at 2015-01-10 12:48
むかしキリコの絵を見たときは、世界のどこにもない宙吊りの不思議な空間だと思っていましたが、
イタリアやギリシアの古典世界に親しむようになってから改めて見ると、なつかしさに似たものを感じました。
今回の展覧会にあたり、キリコがシエスタの習慣のある街に住んでいたことなどを知り、頷いてしまいました。
これほどまとまった数の実作品をじかに見られるとは、やはり首都ですね。羨ましいです。
Commented by desire_san at 2015-01-10 14:40
snowdrop-momoさん、常々フィレンツェを中としたイタリアの写真を拝見して楽しませていただいています。
キリコは世界のどこにもない不思議な空間を描く画家ですが、されは容積、空間、色彩などな計算により、定められた秩序により、感覚や経験を超えた世界、自らの思考の世界を築き上げようとしました。しかし、そういう視点でキリコの作品を見ると、キリコの天才は1909年から1919年の僅か10年くらいしか加賀谷描いていなかったような気がします。キリコの作品を見られるのは幸せなことですが、キリコの世界のどこにもない不思議な空間に感動できる作品を数多く集めるのは至難の業のようです。
Commented by maricobabylon at 2015-01-10 20:29 x
先日はblog訪問とコメントありがとうございました。
長文によろめきつつ、読ませていただきました。
読ませていただき、勉強になりました。
ただ、desireさんが絵を観て感じたことをもっと知りたいなぁと思いました。

あと、「形而上絵画」という言葉は、デ・キリコがカルロ・カッラと出会ってから使い始めた言葉なのでしょうか?
(二人が出会ったのは1916年で、デ・キリコは1910年頃から形而上絵画を描いていて、カルロ・カッラはその影響で形而上絵画を描き始めたということしか、調べてもわからなかったので)

今回の汐留には「通りの神秘と憂鬱」は残念ながら未出品だったので、他の作品と勘違いされていらっしゃるかと思います。
desireさんが気になった作品が「謎めいた憂鬱」ともうひとつが何だったのか、気になります!
ちなみに、作品リストはコチラ→ http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/14/141025/pdf/list.pdf

さしでがましいようですが、読んでいて気になったところをお伝えします。
・ボローニャから近い街ネサンス期→ボローニャから近い街で、「ル」ネサンス期
・「知る休み」になるとエステ城→昼休み?
・フェラーラでは「が」しっかり残っているのでした→フェラーラではしっかり残っているのでした
・までなかった新しい「絵画画」の誕生→までなかった新しい「絵画」の誕生
・煙を出して走っている「と」のに→煙を出して走っているのに
・本来のデ・キリコは「「新」形而上絵画」は1909年から1919年→ 本来のデ・キリコは「形而上絵画」は1909年から1919年
(新形而上絵画は多分晩年に形而上絵画を自分で模写したものをいうのかと・・・?)
・「1014年」12月24日→「2014年」12月24日、
Commented by desire_san at 2015-01-10 22:20
maricobabylonさん、丁寧に私のブログを読んでいただいてありがとうございます。誤記のご指摘までしていただいて恐縮です。さっそく見直して訂正させていただきます。
 なお、今回は「過去に来日した傑作を回顧して」ということで、今回出品されていないが、過去に日本に来た重要な作品をテーマとして書いています。キリコは膨大な作品を描いていますが、優れた作品は1909年から1919年に集中しておりそれを世界中から集めるのは困難なため「キリコ展」と言っても、キリコの絵画を論じることができる傑作は数点しかありません。今回出展されていた作品だけでキリコの絵画は論じられないと思っています。
 キリコは未来主義者カルロ・カッラと知り合ってから、自らの絵画を示すのに「形而上的」という言葉を使い始めていますが、それはそれまで描いていた作品も含めてだとおもいます。しかし、形而上学は唯物論と対峙し、世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする思想で、計算しつくされた絵画空間を創造することを「形而上的」と呼んでいるとしたら、何か違うような気がします。ラファエロやアングル、フェルメールなども計算しつくされた絵画空間を創造しながら描いていたわけで、キリコに始まったことではありません。むしろキリコに特徴的なのは、結果として生まれた絵画が、結果としてどこか辻褄があわない、不思議な、不自然な遠近表現の、非日常的な絵画空間にあると思います。だだ、自らの絵画をどう呼ぶかは勝手ですので、彼の言う「形而上的」が、従来の形而上学と全く無関係でも、責任を問われる様な話ではないとは思います。

by desire_san