クリムトと並ぶ世紀末芸術の孤高の巨匠
Ferdinand Hodler
スイスで「国民画家」として人気が高いフェルディナント・ホドラー(1853-1918)の回顧展が40年ぶりに、東京の国立西洋美術館で開催されていましたので、鑑賞してきました。
erdinand Hodler (1853 –1918) was one of the best-known Swiss painters of the nineteenth century. His early works were portraits, landscapes, and genre paintings in a realistic style. Later, he adopted a personal form of symbolism he called Parallelism.
ホドラーの家族には死が支配していたと語っています。弟妹を次々に失った後、父親も貧困の中、長男のホドラーも7歳の時に肺結核で死去。母親はと再婚するが貧困の中結核で死亡。貧困のあまり、兄弟と母親の死体を荷車に載せて運んだと回想しています。まさに不幸の連鎖の中で子供時代をすごしました。さらに義父が子供たちを置き去りにして英国へ逃げ、母親の兄弟の靴職人に子供たちは引き取られました。
ホドラーはスイスの風景画家に弟子入りしましたが、18歳でジュネーブの義理の妹宅に居候して看板書きや観光客相手に絵を売って生計をたてていましたが、ジュネーブのラート美術館で模写をしているところをコローの友人画家、バルトロメ・メインに見出され、初めて美術学校に通うことになりました。
1891年に死の恐怖をテーマにした「夜」と題する裸で何人もの男女が床に寝そべっている巨大な絵で脚光をあびます。黒い物体を押しのけようとしている真中の恐怖の表情の男は若きホドラーの自画像と言われ、手前左の女性は息子へクトールを設けるオーギュスティーヌがモデルといわれます。
Night, 1889-1890,
In the last decade of the nineteenth century his work evolved to combine influences from several genres including symbolism and art nouveau. In 1890 he completed Night, a work that marked Hodler's turn toward symbolist imagery.[5] It depicts several recumbent figures, all of them relaxed in sleep except for an agitated man who is menaced by a figure shrouded in black, which Hodler intended as a symbol of death.[9] Hodler developed a style he called "Parallelism" that emphasized the symmetry and rhythm he believed formed the basis of human society. In paintings such as The Chosen One, groupings of figures are symmetrically arranged in poses suggestive of ritual or dance.
この絵は「風紀紊乱」の理由でジュネーブ市長がサロンへの出品を断られ、ホドラーはクールベのように、サロンの真向かいに会場を借り、入場料1フランを取って絵を展示する。スキャンダルに大衆は好奇心を煽られ、1300人もの観客が来る。パリのシャン・ド・マルスのサロンでも大成功を収め、主催者のピュィビ・ド・シャバンヌも賞賛する。
ホドラーはクリムトと同時代に生きた幻想的な象徴主義の画家だが、ホドラーの人生はエゴン・シーレやゴッホのように苦難に満ちたものだ。世紀末芸術は「死」や「夜」と言ったテーマが好まれるが、ホドラーはまさに19世紀末の時代を象徴した人といえる。ホドラーの初期の絵画は、死を見つめる自分を描いているような、エゴン・シーレを彷彿させるものでした。
ホドラーの初期の作品はコローやクールベの影響がみられ、後期の作品では印象派に特徴的な色調の幅を継承している。風景画、寓意画、物語画は自然主義的な一面と、象徴主義的な特徴ももっている。画面の構築的性格、相称性、平行性とリズム感がホドラーの特徴として挙げられる。明確な輪郭線を持つ形態的構造が特徴的で、神話的で感傷的な印象を鑑賞者に与える。
しかし、ホドラーの絵画の特徴は「死」を見つめた暗さだけの表現で終わりませんでした。ホドラーの初期の作品はコローやクールベの影響がみられますが、後期の作品では印象派に特徴的な色調の幅を継承しています。風景画、寓意画、物語画は自然主義的な一面と、象徴主義的な特徴ももっている。画面の構築的性格、相称性、平行性とリズム感がホドラーの特徴として挙げられます。明確な輪郭線を持つ形態的構造が特徴的で、神話的で感傷的な印象を鑑賞者に与えます。
「オイリュトミー」は白い衣をまとった年老いた5人の男たちが落ち葉の散った晩秋の道を左を向いて緩慢な足取りで歩いていく姿から死への行進を描いていますが、それは「死」への接近を暗示します。よく似た身振りの老人の姿を反復させて、リズムを作り出しています。ホドラーは後年、人間には「死」が迫るからこそ、われわれの「生」は躍動し、それぞれに異なる「リズム」をもつのだと語っています。自然の形態リズムが感情リズムと共鳴するとき、意識と身体のギャップを埋め、音楽のように交響してオイリュトミーに至ります。リズムが示すオイリュトミーは、「夜」から「昼」、「死」から「生」へのイメージ「眼覚め」を告げます。この「オイリュトミー」には、そのような思想が描かれているのだといいます。「良きリズムオイリュトミー」という題意をもつこの大作は、ホドラーの「死」への意識が、むしろ「生」に対する関心に転じうるものであったことを物語ります。
Hodler's work in his final phase took on an expressionist aspect with strongly coloured and geometrical figures. Landscapes were pared down to essentials, sometimes consisting of a jagged wedge of land between water and sky.
ホドラーは死のリズムから生のリズムに目覚め、踊るような身体のリズムを表現した「感情Ⅲ」のような作品を描きました。人の身振りや動きは自信を潜め、踊るような軽い身のこなしや表現豊かな手の動きなど、顔も含めた感情と身体が結びついたリズムが絵画画面を形成しています。そのリズムが見る人を前向きな気持ちにさせる効果があるように思えます。パラレルなリズムは生きる喜びを感じさせ、リズムを使って生命感を描くようになりました。
ホドラーはクールベの影響を受けていると書きましたが、クールベの写実主義に共感し、卑俗な現実を美化することなく、農民や労働者の厳しい現実をありのままに描きました。「木を切る人」のような力強い作品も残しました。顔を真っ赤にして力をためてまさに斧をあり下ろそうとする人の自然は木の幹に向けられ、緊張した腕、力をこめて踏ん張る足は画面に力強い緊張感を与えています。
Many of Hitler's best-known paintings are scenes in which characters are engaged in everyday activities, such as the famous woodcutter. In 1908, the Swiss National Bank commissioned Hodler to create two designs for new paper currency. His designs were controversial: rather than portraits of famous men, Hodler chose to depict a woodcutter and a reaper.
写実主義から、人間の内面や心理描写を描き始めますが、彼の絵の深層には、陰鬱さが漂っている作品もあります。しかし次第に人間の自然や人間の本質を前向きに見つめるようになります。「思索する老人」では、聖人と言われた他人の思索する姿を描きました。
苦難に満ちた人生を生きたホドラーの作品には「死」や「夜」をテーマとしたものが多いですが、女性を描いた肖像画やスイスの風景画などの写実的な作品も多数描いている。地元スイスアルプスの風景も繰り返し描いています。同じ風景を見つめることで、変幻するアルプスの景の奥にある大自然の本質を描きたかったようです。戸外で光を直に見ることを覚え、乾いた空気と日の光にみちた明るく軽やかな風景を描きました。ホドラーは自然界のリズムに注目し、形の反復ややがてホドラーの中核であるパラリズムに結びついていきます。形の反復や左右対称や平行線を生かした秩序ある画面をつくり、風景を抽象化し、時には装飾性をおびてきます。ホドラーの描く風景画の多くは、静かな心休まるものです。
50歳を過ぎてやっと世間に認められ、55歳のときに20歳若いヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルと情熱的な恋に落ちますが、最愛のヴァランティーヌも癌にかかり、女の子ポーリーヌを生んで40で息を引き取ります。オルセー美術館にはヴァランティーヌの肖像は出会いから死までの一連の作品が展示されています。この時期、ホドラーはヴァランティーヌと自画像しか描かなくなります。まもなく、ホドラーも病気に伏し1918年ジュネーブで息を引き取ります。享年65歳でした。
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40年ぶりの展覧会だとか・・・。
そういえば、4年前のSegantini展も随分久しぶりでした。象徴派(と一括りに出来るか微妙な感じはしますが)の絵はあまり人気がないのかもしれませんが、
ちょうど兵庫県立美術館でホドラー展をやっている頃に
TBしていただいていたのに、全く気付かず、すみません。
ホドラー展は残念ながら行けなかったのですが、
大原美術館で見た「木を伐る人」が印象に残っています。
他の記事もこれからじっくり読ませていただきます。
大原美術館で見た「木を伐る人」は、人間の生命感を感ずるすばらしい作品ですね。
色々な記事を載せていますので、これを機会によろしくお願い致します。