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芸術と自然の美を巡る旅  

贅沢と快楽に生きる娼婦的な女性と純愛に生きる青年の物語

プッチーニ『マノン・レスコー』
Puccini “Manon Lescaut”
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 『マノン・レスコー』はプッチーニの彼の第3作目のオペラで出世作となった作品です。当時プッチーニは借金紛れの状態で、このオペラがヒットしないと首をくくるしかないほど追いつめられた状態で、この作品を書きました。しかしそのような状況でも、台本作家を6人も代えて、原作小説をプッチーニが好きなように変えて、自分の持てるものを出し切って作品にしました。




 プッチーニはこの作品で情熱的恋愛を描こうとしました。音楽は恋愛の情熱にあふれています。円熟期のオペラ作品と比べ、魅力あるメロディーを乱用していると感じさせるほど随所に使い、恋に落ちることを音楽で表現するという点ではプッチーニが最高の作曲家であることを強く印象付けます。

贅沢と快楽に生きる娼婦的な女性と純愛に生きる青年の物語_a0113718_14272717.jpgManon Lescaut is an opera in four acts by Giacomo Puccini. The story is based on the 1731 novel L’histoire du chevalier des Grieux et de Manon Lescaut by the Abbé Prévost.Puccini took some musical elements in Manon Lescaut from earlier works he had written. For example, the madrigal Sulla vetta tu del monte from Act II echoes the Agnus Dei from his 1880 Messa a quattro voci. Other elements of Manon Lescaut come from his compositions for strings: the quartet Crisantemi , three Minutes and a Scherzo . The love theme comes from the aria Mentia l'avviso.

第1幕では愛の旋律を表している音楽の後に美しいグリューのアリア「美しい方の中に・・」のアリアとともに登場します。到着した馬車から降り立つ乗客の中に18歳そこそこのマノンを見つけます。グリューの「こんな美しい娘は見たことがない・・・」と歌うアリア、そしてまた愛の二重唱、修道院に入る予定だったマノンがが、偶然にグリューに出会ってその恋愛に生きることを選んだようにグリューには思えたのです。これでもか、これでもかと愛の歌と旋律をたたみかけてくる作風は、この当時のプッチーニならではのものです。マノンはデリューと駆け落ちします

第2幕、第1幕と話が飛んで、マノンは金持ちジェロンドの情婦となり豊かな生活をしていますが、「この柔らかいレースに包まれても・・・・・」と満ち足りない気持ちを歌います。美しく着飾ったマノンがデリューと再会し再び恋愛感情が盛り上がります。「貧乏だが愛に満ちたデリューとの生活に郷愁を感じてと歌うマノンのアリアから二人の二重唱。グリューは、マノンの華やかさを好む気性で飾り立てずにはいられない贅沢三昧、そして快楽に対すし浪費的である肉体性に、完全に混乱していきます。デリューが一緒に逃げようとするとき、マノンが宝石箱の中をかき集めて持って行こうとするとき、つかまってしまいます。

第3幕、マノンは生まれついての男を翻弄する女でありながら、グリューにはそれが理解できていないのです。落ちぶれたマノンに愛を捧げるデリュー。『ラ・ボーエム』に似たような構成で、マノンはあまりにもいちずに愛に生きる女性のように描かれています。現実にはない『トリスタンとイゾルデ』のような愛に生きる男であることをデリューに求めている展開はオペラならではのものです。
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 囚人として送られていくマノンの船にデリューが乗り込んでしまいます。「ご覧ください。私は狂っているのです。」と歌うデリュー悲痛なアリアは、常軌を逸した激しい愛を表現しています。オーケストラもデリューの激しい愛を一体となって盛り上げて幕が閉じます。

 間奏曲は通俗的なメロディーで構成されています。甘いメロディーもたくさん用いられ、泣けるメロディーもあふれています。プッチーニはワーグナーからも多くのことを学んでいますが、マジメ一筋のワーグナーの音楽と一線を画しています。「娯楽である芸術」これがプッチーニの世界であり、「芸術」に志向しすぎたオペラをオペラ本来の「娯楽である芸術」に引き戻しました。



第4幕、説明の部分が一切なく、場面は当時イギリスの領地であるニューオリンズに近い砂漠に変わります。音楽に必要のない説明は一切カットする、これもプッチーニの本質です。マノンがルイジアナ州の流刑地に送られグリューもルイジアナに追いかけていきます。二人して身も心もとことん堕ちていくのですが、グリューにはそこにこそ新生活があると思えてしまうのが憐れです。今まで可愛い女を演じていたマノンが全く違ったイメージの強くきつい性格の女に変貌します。「ひとり寂しく捨てられて・・・」「私は死にたくない・・・」「私は愛に生きる・・・」強烈でドラマティックなソプラノのアリアが続きます。ここが終始ロマンチックなマスネの『マノン』との大きな違いであり、マスネとプッチーニの人生観の違いかも知れません。

Puccini's music will come piled up song and melody of love. This opera is used a lot of sweet melody, also melody you cry has been flooded.. Intense love song of Deryu of large three-act will boost the passion of love, intense and dramatic click soprano arias of the fourth act of Manon represents the attachment to raw.

贅沢と快楽に生きる娼婦的な女性と純愛に生きる青年の物語_a0113718_14343852.jpg 『マノン・レスコー』は『ラ・ボーエム』『トスカ』『蝶々夫人』といった円熟期のバランスのとれた作品と比べると、専門家によると作品に多くの弱点があるそうです。生活に困窮し、これにすべてを懸ける気持ちで描いた作品ということもあり、自分持っているものをすべてぶつけたような迫力があり、プッチーニの持っているものをすべて出し切られている作品ともいえ、最もプッチーニ的なオペラという評価もあります。実際鑑賞してみると、どこが弱点なのか考える余地がないほどオペラの世界に引き込まれていきます。おそらくCDで聴くと話が飛んでいたりして整合性が無いように感じて良さが分からない作品かもしれません。しかし、生の舞台を見ると音楽の力を感じることで、このオペラのすばらしさが分かったような気がします。

 同じ小説オペラ化したマスネの『マノン』では、第1幕と第2幕の間らにマノンとデリューとの初めての二人の愛の生活の場面が1幕入ります。音楽も愛の音楽をたたみかけるように聴かせて二人の恋の物語であることを強く感じさせます。マスネのオペラをバレエ化した『マノン』も含めて、原作の恋愛小説に比較的近く、マノンはわがままな可愛い、男を誘惑する女として描いています。それに対しプッチーニの『マノン・レスコー』は、『トリスタンとイゾルデ』に近く、可愛い女マノンとデリューの恋も恋愛に純化したような強さがあり、恋愛に陶酔するような面があります。18世紀は秩序を重んじる世の中で、恋愛は秩序を乱すものという価値観がありました。恋の達人ドン・ジョバンニは結局地獄に落ちます。このオペラが絶大な人気を博したのもこのような時代背景によるのかもしれません。

 今回の演出はシンプルな演出で、演劇的な要素の強い演出だったと思います。衣装は18世紀の衣装そのものですが、舞台装置も最小限にし、歌手の細かい演技を要求していたようです。

贅沢と快楽に生きる娼婦的な女性と純愛に生きる青年の物語_a0113718_14331123.jpg このオペラでマノンは。可愛い女性、娼婦、絶望的な死と変貌し、これらを演じ分ける歌唱力と演技力、そして第4幕で強烈でドラマティクなソプラノのアリアをキツイ声で歌える歌唱力が要求されます。マノン・レスコー役のスヴェトラ・ヴァッシレヴァは上品で清楚な美しい歌声でしたが、マノン役としてはもう少しアクの強さがほしかったように思いました。

 『マノン・レスコー』のデリューは、プッチーニの作品では最も人気があるイタリア的情熱を音楽にしたような役で、極論すれば物語そのものなどどうでもよく、イタリア的ドラティクな歌を情熱を歌えることが重要です。デリュー役のグスターヴォ・ポルタは、歌唱力では光っており、その上割腹が良いため、終始堂々としていて舞台をリードしていました。ただ、マノンに翻弄される純朴で繊細な男というイメージとは少し違うような感じがしました。

 オーケストラは多少大げさでも情熱的なものを前面に出したイタリア人指揮者らしい演奏でしたが、主役の二人キャラクターのせいか、プッチーニの情熱的な恋のオペラというより、ふたりの純愛物語のような雰囲気でした。
(2015.3.1.15 新国立劇場・オペラパレス)
















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by desire_san | 2015-03-27 14:26 | オペラ | Comments(9)
Commented by Ruiese at 2015-03-29 09:42 x
プッチーニ『マノン・レスコー』の記事を拝読し、前回のマスネの『マノン』と比べると、プッチーニのオペラはずいぶん話を飛ばしているのですね。マノンとグリュウとの最初の生活、心機一転して神父にたなったグリュウをマノンが訪ねてきて誘惑する場面、金が尽きたグリュウが賭博詐欺に手を染める場面などが、プッチーニのオペラにはないようですね。おそらくマスネの『マノン』の方が原作に忠実なのでしょうね。
Commented by Haruna_Takahashi at 2015-03-29 09:52 x
プッチーニ『マノン・レスコー』では、マノンという女性をそんなに悪い女に描いていない様に感じました。道徳観によらず、どこまでも可憐で美しい女性として生き続けるマノンという女性は自由奔放に生きようとするカルメンと同様、新しい女性像ともいえると思います。むしろグリュウは恋に盲目になっているのか、マノンのあらゆる欠点に目をふさぐためには、彼女への恋心にすべてを捧げようとしているという見方もできるのではないでしょうか。
Commented by Keiko_Kinoshita at 2015-03-29 10:09 x
前にマスネの「マノン」のことを書かれていましたが、パリを舞台にしたこのオペラは、当時のフランスの瀟洒な風俗や耽美的な趣向を表し、マノンの歌う歌もシャンソン風で芳しいパリの香りで現代ュージカルとして上演しても違和感が無いように思います。プッチーニの「マノン・レスコー」は音楽による劇的展開が重視して、プッチーニの美しい音楽が、マノンを淫欲な女性ではなく、生来の美貌が禍となって男性による運命に翻弄される普通の女性像というイメージを浮かび上がらせているように感じさせていまうのです。
Commented by desire_san at 2015-03-29 13:36
Ruieseさん、そうですね。マスネの『マノン』の方が忠実に原作を舞台化して音楽をつけてます。プッチーニの『マノン・レスコー』は、演劇性よりイタリアオペラらしい音楽で聴かせるオペラに仕上げています。ただひとつ、アメリカに流刑されるシーンは、プッチーニの方が忠実で、マスネパリの街でマノンを死なせています。フランスの調中を意識した計らいですね。、
Commented by desire_san at 2015-03-29 13:42
TakahashIさん、コメントありがとうございます。
いかにも女性らしい見方ですね。でもそうだと思います。プレイボーイの悪い男はいくらでもいるのに、それは男の生き方だなんていうなら、カルメンやマノンもそういう生き方だと言えますね。
Commented by desire_san at 2015-03-29 13:47
Kinoshita さん、たしかにマノンはカルメンのように魅力的な悲劇のヒロインとなりうるキャラクターで、プッチーニも彼女をヒロインとして描いたのかも知れません。多少設定をいじって現代ミュージカルとして上演できるでしょうね。
Commented at 2015-03-30 12:04
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by desire_san at 2015-03-30 14:06
snowdrop-naraさん、コメントありがとうございます。
早速「浄瑠璃寺」に伺います。
Commented by 1944tourist2004jp at 2015-04-06 09:18
こんにちは。
 久し振りにブログを更新する機会があったので、
リンクのトップんしているdesire sanのブログを開きました。
 いつもながら情操分野での更新を有難く読まさせて頂きました。
椿山荘と聞いて、囲碁や将棋の番勝負の場所と知っていましたのでついついコメントを出しました。

by desire_san