ボッティチェリの魅力とフィレンツェ・ルネサンスの盛衰
Botticelli and Florence Renaissance
ボッティチェリ(1445-1510年)に代表されるフィレンツェ・ルネサンスは、メディチ家に代表されるフィレンツェ金融業の繁栄が生み出した偉大な文化遺産といえます。東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム では、ヨーロッパの貿易と商業を支配しルネサンスの原動力となった金融業の繁栄と、フィレンツェと運命をともにした画家・ボッティチェリのイタリア、フランス、アメリカから集めた10数点を含む絵画や工芸を紹介する『ボッティチェッリとルネサンス』展が開催されました。これらのボッティチェリの作品を中心に、彼の作品の変遷と魅力をレポートしてみました。
15世紀、花の都フィレンツェでは、銀行家でもあったメディチ家の支援を受け、芸術家達が数々の傑作を生み出しました。ルネサンス期 の芸術の誕生には、地中海貿易と金融業によって財を成し、ヨーロッパ全土の貿易とビジネスを支配したフィレンツェおよびメディチ家の金融業の繁栄と資金力が不可欠でした。メディチ家は銀行家と言ってもお金を貸すのではなく、外国の金を両替することで利益を稼いで財を成しました。聖書では金を貸して利息をかせぐことは悪いとされていたので、お金を美しいもの・芸術に投資することにより、自らの仕事を正当化しようとしたと考えられます。こうして多くの金が投資され、ルネサンス美術が生まれました。
フィレンツェ・メディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニフィコは、芸術擁護活動に非常に力を入れた人物で、弟のジュリアーノとともに、芸術家や文学者らと交流し、自らの美術コレクションを見せて、芸術家を育てました。フィレンツェでのルネサンス美術の開花は、フィレンツェの一族メディチ家に支えられていました。金融業で財力を得たメディチ家は、芸術家たちを支援しました。特に最盛期ロレンツォ豪華王は、フィレンツェの芸術の見事な成果に憧れる他国の君主たちに対する外交手段とするため、ポライウォーロ、ヴエロッキオ、ダ・ビンチら招くなど、フィレンツェにイタリア各地から優れた才能が集まり育っていきました。
フィリッポ・リッピは、美しい尼僧をモデルとして、天使のような清らかで美しい聖母を描き続け、フィレンツェ人が好む、フィレンツェ・ルネサンスの典型的な画家でした。ボッティチェッリはフィリッポ・リッピの工房で修行時代していたため、フィリッポ・リッピの「聖母子」を手本として修業したため、初期のボッティチェッリの聖母像にはフィリッポ・リッピの影響が顕著で、フィレンツェ人好みの画家に育っていきました。
Sandro Botticelli Hani I was born in the city of Florence. He was initially trained as a goldsmith. He was apprenticed to Fra Filippo Lippi. Influenced by the paintings of monument of Masaccio anche, it Botticelli seemed from learned Lippi through more intimate and detailed manner. As has been recently discovered, during this time, his work, drawn with clear contours were caratterizzata by the concept of numbers, completely would show the modeled form of light and shadow you can reduce the strong contrast to a minimum.
ボッティチェリの最初期の作品で、フィリッポ・リッピの作品の模写かと思うほど画風の類似性が顕著です。構図に安定感を持たせている建築物を背後に、聖母子に幼子イエスを支える天使が寄り添う図像は、フィリッポ・リッピが生み出した構図です。衣服の襞(ひだ)や装飾にみられる繊細な線描や、聖母の清楚ではかなげな表情と聖母子の親密な描写が印象的ですが、これもフィリッポ・リッピ特有の表現です。フィリッポ・リッピの華麗な画風を素直に学んだボッティチェリ初期の瑞々しい作品です。
ボッティチェリは師のフィリッポ・リッピとシャナ派の巨匠シモーネ・マルティーニの繊細な描線による叙情表現の伝統にさらに磨きをかけ、繊細な美の極地まで高めようとしました。しかし僧侶なのに女性を身ごもらせるなど奔放なフィリッポ・リッピの描く聖母はどこか女性の色香があり、まじめ人間のボッティチェリの聖母は人間味をあまり感じないような気もします。ボッティチェリはシモーネ・マルティーニのように純粋に神キリストを生んだ聖母を描きたいという気持ちがあり、人間の女性に対する意識は希薄だったかもしれません。
ボッティチェリは、フィレンツェのメディチ家の庇護を受け生涯にフィレンツェで活動したフィレンツェ人の好みと美意識を象徴する画家といえます。ボッティチェリの描く女性像は聖母マリアにしてもヴィーナスにしても、朝露に濡れたようなさわやかさとほのかな官能性といつか壊れてしまうようなはかなさを感じさせるものが多いような気がします。
サンドロ・ボッティチェリ《ケルビムを伴う聖母子》
フラ・アンジェリコの代表作《聖母戴冠》(ウフィツィ美術館)のプレデッラ(祭壇画下部の小壁板絵)のひとつ《聖母マリアの結婚》も展示されていました。
ボッティチェッリは、フィリッポ・リッピの工房を後にし、アントニオ・デル・ポッライオーロやアンドレア・デル・ヴ ェッロッキオの工房に出入りし、彼らから影響を受け絵画様式を徐々に進化させました。ヴェッロッキオの影響は、「バラ園の聖母」「セラフィムの聖母」「聖母子と天使たち」に現れています。人物像は「窓」のような絵画の縁に遠近法的に配置され、背景の建造物は観念的空間となっています。構図は次第に進化し、遠近法で描かれた理論的空間と現実的人物像の空間の調和を図っています。ボッティチェッリは初期の模範から徐々に距離を置き、同時代人の画家たちの様式と本質的に異なる様式を生み出すことで、当時のフィレンツェの芸術の孤高の存在となりました。
In these works, the influence of Gothic realism is enhanced by the study of Botticelli of antique. If can be understood is pictorial means, charming leave for the subjects themselves of their ambiguity. Complex meaning of these paintings, mainly focuses on poetry and philosophy of the humanities was a contemporary of artists, continue to receive a wide range of academic interest. Work, does not indicate the specific text. Rather, each is dependent on some of the text for its significance. As illustrated the "grace" as having a linear rhythm, characterized by Vasari by John Ruskin, its beauty, of no doubt. Photo, a soft continuous contours and pastel color has a linear style of emphasis Botticelli
フラ・サンドロ・ボッティチェリ《聖母子と二人の天使》
カトリックでは聖母像は信仰の支えの一つで、ルネサンス時代には身近な若い女性の姿で表現された聖母像が数多く制作されました。ボッティチェリの描く優雅で繊細な表現は清楚で優美なマリア像を表現しました、処女マリアの純潔のシンボルとされる白百合の花は画家の想像力の賜物かも知れません。聖母の衣装も画家は自らの最良と考えた当時の最もファッショナブルな服で、架空の世界を作り出していたのでしょう。聖母の症状や髪の表現はフィピッポ・リッピの影響だが、聖母の身体や天使の彫刻的な表現は彫刻家でもあったヴェロッキオの影響とみられます。
サンドロ・ボッティチェリ 《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》
通常の《キリストの降誕》は素朴な厩馬屋ですが、この作品ではイエスは積み重ねられたバラの上に敷かれた布の上に横たわり、聖母は最も美しい花とされるバラの垣の中の様子が描かれています。遠景にはダ・ピンチの理想的な風景が広がっています。人物の~田のカーブも遠景によく調和しています。ボッティチェリ特有の優美な表情と繊細な輪郭線が際立っていて、聖母マリアの優美さと深い母性を象徴的に表現がボッティチェッリのテーマだったようです。
ボッティチェリの絵画の魅力は、彼自身の好みの反映でしょうが、聖母に限らず、青年や少年、天使たちが瑞々しく優美に描かれ、ルネサンス的の力強さ、若々しさ、斬新さの魅力に溢れていて、それはボッティチェリ作品の特徴となっています。『回廊の天使』では、ルネサンスらしい遠近法で覗かれた建物を背景とした聖母が打ち解けた雰囲気でわが子を抱きしめています。『聖母子とふたりの天使、洗礼者聖ヨハネ』では、聖母と洗礼者聖ヨハネは眼を伏せてイエスを見つめ、幼子イエスはまっすぐと天を向いています。青空はイエスの天国での未来を示しているかのようです。イエスが聖母に手を伸ばすポーズはヴェッロッキオの影響だそうです。
サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知》1481年、
新プラトン主義、古代文化を説得的方法で再評価することで、古代文化が内包する異教性の非難と人文主義の運動を結び付けました。倫理的模範として古代の美徳を積極的に提案し、キリスト教の理想と古典文化の理想とを一致させようとしました。新プラトン主義の表象芸術に与えたこれらの理論の影響は大きく。美および愛は新プラトン主義の芸術の中心的な主題となりました。ボッティチェッリは新プラトン主義者たちの考えを完全に認め、理論化された美を彼独自の憂鬱で感傷的な性格で個人的な解釈加えて視覚的に表現しようとしました。代表作「プリマヴェーラ」「ヴィーナスの誕生」も新プラトン主義の影響を受けています。
Pallas and the Centaur, one of the best-known Botticelli masterpieces in the Uffizi Gallery’s collections, will return to Japan after a hiatus of 34 years. Botticelli, who enjoyed the patronage of the Medici, a family celebrated for its vigorous support of the arts, is a painter closely associated with the Uffizi Gallery. Along with Pallas and the Centaur, which is thought to be produced for the Medici, the exhibition will also display his fresh and vibrant, early period Madonna and Child and works of strong individuality from his late years.
ロレンツォ豪華王の死後、息子のピエロは女と快楽に溺れ、フィレンツェ人から見放されてしまい、最終的にメディチ家は追放されました。フェラーオで生まれボローニャで修業を積んでサヴォナローラは、ロレンツォ豪華王の末期、フィレンツェの腐敗した享楽生活を激しく告発し、素朴な神への信仰を説きました。サヴォナローラは大聖堂の説教壇の上から、すでに病床にあったロレンツォ豪華王を痛烈に非難しました。メディチ銀行の衰退とともにフィレンツェは危機の時代を迎えます。この頃、台頭した修道士サヴォナローラが行った「虚栄の焼却」では贅沢品や宗教上好ましくない芸術作品が燃やされます。たヴォナローラの武器は天性の弁舌の才能だけでしたが、多くのフィレンツェ人がサヴォナローラに心酔しました。ヴェロッキオ工房にいた仲間のロレンツォ・ディ・クレディもサヴォナローラに共感して芸術作品の焼却に参加しました。ボッティチェリも次第にサヴォナローラの思想に心酔していきました。
"Like many of Florence, Botticelli to had come under the domination of Savonarola, his art, was converted from decoration to deeply pious - mysterious Nativity I bear all the signs of this change. Botticelli, searches for his psychological development of artists through the Madonna, in the deepening of insight and expression in the rendering of Mary of physiognomy, Steinmann tell the proof of influence of Savonarola on Botticelli. Steinmann is Botticelli, believe rather that the psychological impact under Botticelli of Savonarola drew, emotional virgin is followed directly from the teachings of the Dominican monk.
サヴォナローラの理想は独裁政治で、享楽的な現実主義のフィレンツェの人々に修道士のように未来への信仰に生きることを強要しました。ボッティチェリの傑作『ヴィーナスの誕生』の裸のヴィーナスも、サヴォナローラの説く信仰、慎み深さに対立する享楽的社会を体現するものとされました。この時期ボッティチェリの工房で描かれた『聖母子』では、聖母の顔が長く引き伸ばされ、幼子イエスの不均質な肉体表現、聖母のぼんやりと遠くを見ている顔などサヴォナローラの要求する表現に従ったものか、ビザンチンの古い図像を借用しています。空間の圧迫感、聖母の悲しみに黙祷に没頭する様子から感ずる不安感、幼子の頭と体の不均等、過度の悲しみ、敬虔さ、哀悼心と聖母の顔の生気のなさが晩年のボッティチェリの作品の特徴です。
一方、アンドレア・デッラ・ロッビアの『聖母』のような厳しい宗教性と全体に華美を抑えた装飾などは、サヴォナローラの芸術観に勝地するものでした、彩色デラコッテは光り輝く姿を顕示し、サヴォナローラの思想を完璧に体現するものとしてこの時代発展しました。
しかし、このような禁欲的な生活を強いる独裁政治は反発を買い、サヴォナローラは焚刑に処せられました。ボッティチェリはサヴォナローラの思想に一時かなり心酔していたころ神秘主義的なうつろな不安定な絵画を描いています。サヴォナローラの焚刑後のボッティチェリは創作意欲を失い、活動も僅かになってしまいます。晩年の代表作『神秘の降誕』では、サヴォナローラの宗教的影響を受け、友愛の精神と祈りによって罪悪が裁かれることを意味しており、画面全体を支配するという激しい感情の表現が面全体を支配、激しい感情性や宗教的古典表現などの多様性が交錯して孤高の画家となったボッティチェリの内面の瞑想の表れと考えられ、硬質で細かく、小さい描写になっています。難解なギリシャ語で、黙示録にある災いと勝利が描かれていると銘文で示していますが、奇妙で難解な作品となっています。ボッティチェリはサヴォナローラ信奉者の芸術上のよりどころとなり続けようとしましたが、市民たちの要求に事故の作品を適合させることはできず、次第に危機的状況に陥り、晩年は貧しい境遇に陥ってしまいました。
フィレンツェの絵画の仕事はペルジーノやフィリピ―ノ・リッピ、ギルランダイオらが分け合うこととなり、市民たちの要求にしこの作品を適合させようとしました。ギルランダイオは定規も使わず実物そっくりに描き出す技量でフィレンツェの人々に高い評価を得ましたが、もはや創造的や役割は果たせませんでした。ペルジーノは一時期高い人気を得ましたが、次第に事故の作品を模倣したような通俗的な画家になってしまい、人気を失って祖国ペルージャに引きこもってしまいました。
フィレンツェの最盛期、ロレンツォ豪華王は、フィレンツェの芸術の見事な成果に憧れる他国の君主たちに対する外交手段とするため、ポライウォーロ、ヴエロッキオ、ダ・ビンチら招くなど、フィレンツェにイタリア各地から優れた才能が集まり育っていきました。
しかし、マザッチオ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、マンテーニャ、ダ・ピンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどはある程度フィレンツェの美術を吸収すると、フィレンツェを出て、他の地で活躍しました。これは、フィレンツェ人の趣味は好みがはげしく、強い装飾趣味と感性の鋭い、感覚人間で上品で気高くどこか弱さがある繊細さを求めていたのに対して、芸術家たちはフィレンツェ人の好みの範囲では飽き足らず、より斬新な芸術を求めるようになっていったからと思われます。民主的なフィレンツェ共和国の市民たちは優れた趣味を持っていましたが、けた外れの優れた天才の存在を許さない風土があったからかもしれません。ブルネルスキは反感を持たれ、ドナテルロに対してフィレンツェの人々は冷淡でした。ピエロ・デラ・フランチェスカは、ギベルディからの伝統である国際ゴシックの流れをくむ洗練された繊細な趣味に抵抗を感じてフィレンツェを去って行きました。15世紀のフィレンツェは優れた芸術的風土で輝かしい新しい芸術の誕生の地でしたが、新芸術が成熟し当時としては前衛的な芸術が生まれていく風土ではなりえなかったと言えるのかもしれません。
その中で、ボッティチェリは生粋のフィレンツェ・ルネサンスの最大の巨匠であることには間違いないと思います。フィレンツェでは、ボッティチェリの美しい線描作品のなかにも男性的なものを認めるほど男性的なものと認められていました。今回の美術展で他のフィレンツェの画家の作品や工芸品などを見て、フィレンツェの一般的市民の趣味が女性的優美さに対するあこがれにあったことを改めて感じました。ボッティチェリの画風は、そんな中で世紀前半、マザッチオやドナテルムが写実を基礎に置いた堂々たる人間表現により新しい芸術の方向を示した新様式の男性的表現の特徴を作品に残していたとも言えます。サヴォナローラの影響を受けた宗教感情みなぎる作品まで、ボッティチェリの初期から晩年までの作品を見ることができました。
参考文献
ブルーノ サンティ (著), 関根 秀一 (訳)
アサヒグラフ別冊「ボッティチェリ」西洋編朝日新聞社 編
ロナルド・ライトボーン(著), 森田 義之、小林 もり子訳)
イタリアの美術の教科書では、ルネサンスとフィレンツェ・ルネサンスは別の項目として扱われています。ヴェネツィア派も北方ルネサンスと日本で呼ばれているフランドル派も別扱いです。日本と、本場イタリアでは美術史の区分がかなり違うようです。
ブログを通じて情報やご意見のこ交感などできればと願っています。これを機会に、よろしくお願い致します。
さきほど、初めてトラックバックが成功したかもしれません。字数が多すぎて後半はカットしました。よろしければ、舌足らずな拙記事(ボッティチェリに寄す)に、この充実した貴記事をトラックバックしてくださいませんか。どうぞよろしくお願い致します。
http://rolingwest.exblog.jp/24255912/
たまには200名山レポート公開して下さいね~!楽しみに待っています。
desire_sanさんのブログは高尚でとても勉強ねなりますね。
もう15年位前になりますが、ウフィツィ美術館に行き、ボッティチェリの作品を見ました。「勉強してから行けばよかった」と後悔しております(笑)
毎回の圧倒的な情報量と鋭い視点に脱帽しております。
特に今回の記事の、ダ・ビンチ、ミケランジェロやラファエロ等の天才と、フィレンツェ人気質を絡めた考察は、とても勉強になりました。
そして、desire_sanさんの解説を拝読しながら、あの日の感動をもう一度味わっています。
「ボッティチェリに寄す」のブログは詩情ゆかな表現蛾あふれていますね。私にはなかなかここまでの表現はできません。「ももさへずり」のブログも、美しい写真や教養あふれる記事で、いつも感服して拝見しています。
さっそくブログ拝見させて頂き、とても勉強になりました。またお邪魔させて頂きたいと思います。
フィレンツェは天才を育てる土壌がありますが、その天才が大きく育ちすぎると、フィレンツェ仁の美意識出は理解できなくなってしまうようです。新しいものを受け入れる進歩的な性格と保守屋的な気質が混在している感じがします。
ルネサンス美術が好きですが、知れば知るほど奥が深いことが分かってきます。一生勉強ですね。
当方ブログへのコメントありがとうございましたm(__)m
今回こちらの図録買わずに帰って来ちゃったので、desireさんの記事を見て思い出しました。
惣領冬実さんの「チェーザレ」を読みこの時代のここフィレンツェの事、
ちょっと興味が湧いて来たんです。
もっとじっくりと勉強できる時間でもあれば良いのですが・・・
私はサヴォナローラに傾いてからの作品よりも昔の華やかな方が好きですが・・・
難しいですね(^_^;)
でも、こうして日本で世界的に有名な絵画が観られるって素晴らしい事ですね!
ボッティチェリは、純粋な心の人だったらしく、商況的に純粋な理想主義者だったサヴォナローラに共鳴したのでしょうね。しかしサヴォナローラの思想には新美主義的なところがあり、ボッティチェリは絵画の美の指針を失ってしまい、精神的混乱に陥ってしまったものと考えられます。ボッティチェリの絵画の繊細さは彼の性格とコインの裏表だっのでしょうね。
フィレンチェの市民の好みが繊細で装飾的なものであったということ、なるほどと思いました。その中に力強い表現を取り込んでいるボッティチェリという構図も興味深いです。
desireさんのブログを拝見してから観たらまた違う味わい方ができたのかも♪
フランチェスコ・ボッティーニ作の「大天使ラファエルとトビアス」が印象に残りました。
ある画家を漠然と追いかけるだけでなく、先人や同時代の画家と照らし合わせることにより、一層それぞれの輪郭や輝きが浮かび上がること、いつもdesireさんに教えていただき気づかせていただいております。ありがとうございます。
会期終了が迫っていますが、もう一度、観たくなりました。
有名なサン・ジョヴァンニ洗礼堂の「天国への門」の製作者コンクールでも、装飾性の高いギベルティの作品が大胆で宝強いブルネレスキ作品を抑えて選ばれたことが示すように、フィレンツェ人は、装飾的で繊細な美しさを好み、大胆で前衛的なものには抵抗があるようですね。
さっそくdesire_sanさんのブログを拝見させていただきましたが、とっても勉強されてますね。絵など観た時にそのまま感じるところも大切にしたいけれど、描かれた背景やその人となりなどを知るとより感動が深くなり、リアルさが増す気がします。
他にも興味ある記事タイトルがいろいろあります。また時間のある時に、読ませていただきます。
ボッティチェリの女性よりリッピの描く女性の方が魅力があるという人もいます。リッピの描く女性の方が、女として魅力的だと私も感ずることがあります。ボッティチェリの描く女性には生きた女性の色香というものは感じられませんので、その違いかもしれません。
今回は、タイトルにもあるように、富と美を結びつけた企画がユニークでした。これほど有名な画家は、世界中の研究者によって考察されつくしているのだと思いますが、現実はそうした考察を超えたところにあると感じました。本物を見ることの大事さですね。
フィレンツェの富により、ルネサンスの有力な芸術家たちは育てられた、しかし、フィレンツェ人の身意識の枠にはまらない芸術家はフィレンツェを去り、ボッティチェリのようなフィレンツェ人の美意識と会った画家はフィレンツェと運命をともにしたということでしょうか。いろいろ考えさせられる企画だったと思います。
拝読させて頂き、詳細なレポートと分析に大変勉強になりました。
特に、フィレンツェはヴェネツィアが頭脳流入国であったのに対してフィレンツェは頭脳流出国と言われるのですが、こちらのブログを拝見して、それはひとえにフィレンツェ人の好き嫌いが激しく、前衛的な芸術やけたはずれな天才の存在を許さなかったからと納得の解説でした。
ありがとうございました。
これからも楽しみにブログを拝見させて頂きます。
いい展覧会でした。イタリア旅行を懐かしく思い出しながら見ました。
ボッティチェリの作品は焼かれたものも多いときいていましたが、まだけっこう残っているのだとの思いました。
また都内で見る機会があったら、ぜひ行こうと思います。
来年2016年1月16日(土) ~ 4月3日(日に東京都美術館でボッティチェリ展が開催されます。
http://www.tobikan.jp/exhibition/h27_botticelli.html
過去最大級のボッティチェリ展になるかもしれません。ボッティチェリは日本で人気があるようですね。