ナポレオンがイギリス・プロイセンなど同盟軍に敗れた古戦場
ワーテルロー
Waterloo
1815年6月18日、ナポレオン率いるフランス軍7万2,000とウェリントン将軍率いるイギリス・オランダ・プロイセン連合軍11万6,000のヨーロッパの覇権を賭けた戦いが繰り広げられた戦場跡です。戦いの結果、ナポレオンは敗れ、イギリスに降伏。退位したナポレオンはセントヘレナ島に流され、1821年にセントヘレナで死去しました。
TheBattle of Waterloo was fought on Sunday, 18 June 1815, near Waterloo inpresent-day Belgium, then part of the United Kingdom of the Netherlands. AFrench army under the command of Napoleon Bonaparte was defeated by two of thearmies of the Seventh Coalition: an Anglo-led Allied army under the command ofthe Duke of Wellington, and a Prussian army under the command of Gebhard
ただし、ワーテルローは戦場ではなく、イギリス軍の司令部の所在地で、「ワーテルローの戦い」の命名者もそのイギリス軍の司令官ウェリントン公である。実際の戦場の名を取り、「モン・サン・ジャンの戦い」「ラ・ベル・アリアンスの戦い」とも呼ばれています。
ワーテルロー南南東5kmのモン・サン・ジャンのワーテルローの古戦場には通称「ワーテルロー・ライオン」と呼ばれる巨大な記念碑がそびえ立っていますがあり、ライオン像がフランスを向いている。記念碑のある人工の丘は「ライオンの丘」と呼ばれており、丘というより、ピラミッドのような所にライオンの像が設けられていて、上から古戦場が一望できるようになっています。丘の上には、幅の狭い、300段ほどの階段で登ることができ、観光名所となっています。丘の頂上にあるライオン像はナポレオンが撤退した際に置いていった大砲を溶かして鋳造したそうです。現在のワーテルローは牧草地が広がる静かなところで、ここで激しい戦闘が繰り広げられたとは、とても想像できないと思いますが、ナポレオンがヨーロッパを支配していた時代が終結した場所という意味でヨーロッパ史において最も重要な場所でもあります。施設内にある博物館、ビジターセンターがあります。
300段の階段を登るとライオンが。。
日本の古戦場とは違いますね。
ここは記念碑のようです。ワーテルローの古戦場は、関ヶ原の古戦場のように原っぱのようなは所で、今は昔のままでは残っていないようですね。
ライオン像がフランスを向いています。「ワーテルローの戦い」の命名者もそのイギリス軍の司令官ウェリントンであることから、ライオン像は、イギリス軍の司令官ウェリントンを表していると思われます。