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遠藤周作の最高傑作の完全映画化 と 窪塚洋介の完全復活

映画『沈黙-サイエンス』
"Silence" by Martin Scorsese  

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 戦後日本文学の金字塔にして、世界20カ国以上で翻訳され、今も読み継がれている遠藤周作の最高傑作といわれる「沈黙」を、アカデミー賞に輝き、世界の映画人たちに尊敬されている巨匠マーティン・スコセッシ監督が、全員でアカデミー賞®受賞6回、アカデミー賞®ノミネート23回の最高のスタッフと、時代考証や美術で日本人チームも参加して江戸初期の長崎を再現し、映画化しました。人間の強さ、弱さとは?信じることとは?そして、生きることの意味とは?貧困や格差、異文化の衝突など、この混迷を極める現代において、人類の永遠のテーマをあまりに深く、あまりに尊く描いた、マーティン・スコセッシの最高傑作という触れ込みに期待して、久しぶりに映画館に行ってみてきました。




Cocks and Scorsese, basedupon the 1966 novel of the same name by Shūsaku Endō. Although the story is setin Nagasaki, Japan, the film was shot entirely on location in Taiwan,specifically around Taipei. The film stars Andrew Garfield, Adam Driver, LiamNeeson, Tadanobu Asano and Ciarán Hinds. The plot follows two 17th-centuryJesuit priests who travel from Portugal to Japan to locate their missing mentorand spread Catholicism.



《ストーリー》


a0113718_09103359.jpg 島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマ入ります。フェレイラの弟子であった若き宣教師のセバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは,キリスト教が禁じられた日本で棄教したとされる師の真相を確かめるため日本に潜入しようと、マカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に五島列島に潜入します。


 ロドリゴたちは、ここで弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会います。ロドリゴたちは隠れキリシタンたちに歓迎されますが、長崎奉行が訪れ宣教師であるロドリゴらを守るため、隠れキリスタンのリーダー格のイチゾウとモキチは十字架にかけられ、激しい海の荒波にさらされ命を落とします。



a0113718_10395444.jpg やがて長崎へとたどり着き、彼らは想像を絶する光景に驚愕し、幕府の取締りは厳しさを増し、隠れキリシタンは厳しい弾圧を受けていきました。幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルペは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とします。ロドリゴは厳しい弾圧を受けながら自らの信仰心と向き合いながら、ひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」したままでした。キリストの教えを誇りに思っていたロドリゴでしたが、「神は自分が苦しむ姿を見ながら、何故沈黙を続けるのか」と呼びかけても応えない神を疑い始めます。神は本当にいるのか。もし神がいなければ、幾つも幾つも海を横切り、この小さな不毛の島に一粒の種を持ち運んできた自分の半生はなんと滑稽ではないか。 逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられます。 連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにありました。 頑固なロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と「お前の神に対する栄光の代償は日本のキリスタンたちだ」と言って信仰を捨てることを諭します。


 長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行の井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられます。 奉行所の門前では、キチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは、追い返されます。神の栄光に満ちた殉教を覚悟して牢につながれたロドリゴの前で、隠れキリシタンのジュアンは胴体と首が切り離され、切り離されたジュアンの顔だけがロドリゴを見つめています。


a0113718_09122744.jpg フェレイラが訪れロドリゴに語りかけますが、彼の説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く音を止めてくれと叫びます。フェレイラは、その声は拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げます。守るべきは信仰を守る大いなる信念なのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い目の前で苦しむ弱々しい人々の命を救うべきなのか、心に迷いが生じ始めます。 強いと疑わなかった自分自身の弱さを知り、究極のジレンマを突きつけられ追い詰められた彼ロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れます。



Fr. Rodrigues and hiscompanion Fr. Francisco Garrpe arrive in Japan in 1639. There they find thelocal Christian population driven underground. To ferret out hidden Christians,security officials force suspected Christians to trample on a fumi-e, a crudelycarved image of Christ. Those who refuse are imprisoned and killed by anazuri (穴吊り), which is by being hung upside downover a pit and slowly bled. Rodrigues and Garrpe areeventually captured and forced to watch as Japanese Christians lay down theirlives for the faith. There is no glory in these martyrdoms, as Rodrigues hadalways imagined – only brutality and cruelty. Prior to the arrival ofRodrigues, the authorities had been attempting to force priests to renouncetheir faith by torturing them. Beginning with Fr. Ferreira, they torture otherChristians as the priests look on, telling the priests that all they must do isrenounce their faith in order to end the suffering of their flock.



 夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになり、すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛みを感じますが、そのとき踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。私はお前たちと一緒に痛みを感じ、苦しみをともにしている。」と語りかけてきます。



Rodrigues' journaldepicts his struggles: he understands suffering for the sake of one's ownfaith; but he struggles over whether it is self-centered and unmerciful torefuse to recant when doing so will end another's suffering. At the climacticmoment, Rodrigues hears the moans of those who have recanted but are to remainin the pit until he tramples the image of Christ. As Rodrigues looks upon afumi-e, Christ breaks his silence: "You may trample. You may trample. Imore than anyone know of the pain in your foot. You may trample. It was to betrampled on by men that I was born into this world. It was to share men's painthat I carried my cross." Rodrigues puts his foot on the fumi-e.



a0113718_09192192.jpg こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねてきます。イエスは再び、今度はキチジローの顔を通し「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」とロドリゴに語りかけます。踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚します。




 遠藤周作は、生まれながらにしてクリスチャンではなく、伯母の影響でカトリックの教会へ通うようになり洗礼を受けさせられました。しかし、「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」に気付いた遠藤ですが、キリスト教は自分を少年時代から青年時代の心の支えた一つの柱でも考えるようになり、日本人としてキリスト教を見つめ直します。多くのキリスト教信者、聖職者たちから批判を受けながら、キリスト教をモテーマとした作品を通じて、自分の納得できるキリスト教を生涯追い求めました。この『沈黙』は、遠藤周作が追い求め到達して彼なりのキリスト教の答えではないかと考えられます。後に遠藤周作は、後に、『イエスの生涯』『キリストの誕生』で、その考え方に説得力持たせた作品を書いています。



a0113718_09215013.jpg マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイエンス』は、遠藤周作の『沈黙』という純文学の傑作を完成度の高い映像作品に仕上げたと思います。遠藤周作の『沈黙』という難しいテーマ見ごたえのある映像作品にできたのは、マーティン・スコセッシ監督の手腕と、江戸時代の五島列島や長崎の雰囲気を感じさせる台湾で撮影した重厚で美しい映像美とともに、絶妙な俳優のキャスティングと、出演俳優の見事な演技によるところが大きいと思います。



《配役と演技について》

a0113718_09122744.jpg ロドリゴ神父役のアンドリュー・ガーフィールドは、ロドリゴ神父が乗り移ったように宣教師を演じ、信徒に対する温かい眼差しや、信仰を持った人生をどう生きるかの格闘し、を見事に演じていました。ガルペ神父を演じたアダム・ドライバーは、より人間臭く宣教師を演じ、ロドリゴと絶妙な対照を見せて、映画に厚みを持たせていたように感じました。フェレイラ神父役のリーアム・ニーソンはヴェネチア国際映画祭で男優賞を受賞し、アカデミー賞でも主演男優賞にノミネートされたハリウッドの大物俳優ですが、信仰を捨てた高名な神学者という難しい役を見事に演じていました。


 隠れキリスタンの秘密の教会のリーダー格であるイチゾウを演じた笈田ヨシは、堂々とした風格のある演技で、気高く感動的なほど魅力がありました。 イチゾウとともにロドリゴらを守ろうと命を懸ける塚本晋也演ずるモキチも気品を感ずるほど、凛としていて、十字架に張り付けられて荒海の中で死が近づいて来たとき、聖歌を歌い続けるイチゾウの姿は感動的でした。   

 

a0113718_09163461.jpg 日本人の俳優の中で最も存在感を示したのは、窪塚洋介が演じたキチジローでした。ロドリゴたちが初めて出会ったキチジローは、汚く、醜く、正気のないグータラ男で、ロドリゴたちもこんな男に託してよいか迷ったほどみすぼらしい青年でした。ロドリゴたちはこのキチジローに導かれて日本の隠れキリスタンたちと出会いますが、長崎ではキチジローの裏切りでロドリゴの裏切りで長崎奉行所にとらえられてしまいます。つかまると踏み絵に足をかけ、聖母マリアの像にツバをかけ、裏切りを繰り返しますが、それでも信仰を捨てずあきらめない、転んでもすぐ起きて、もう一度信じたいと生き続ける、どこまで弱いのだか、強いのだかわからないキチジローという人間の心底や表裏の解釈も含めて、窪塚洋介は新鮮に演じました。キチジローのある意味での人間的な純粋さは、踏絵を踏んでしまった後のロドリゴとかなる所が姉ように感じました。最後にロドリは、許しを請いに来たキチジローに「一緒にいてくれてありがとう」というシーンは感動的でもあります。


 キチジローを演じた窪塚洋介は、芸能界デビュー後5年目の21歳で映画『GO』に主演・杉原役で出演し、最年少で日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、受キネマ旬報賞主演男優賞。報知映画賞主演男優賞、高崎映画祭主演男優賞、ヨコハマ映画祭主演男優賞など主要映画賞の最優秀主演男優賞を独占し注目を浴びました。当時から芸能界のプリンスだった妻夫木聡も彼の演技にショックを受けて、意識を変えて演技力研鑽に励んだと語っています。しかしそれから数年後、自宅マンション9階のテラスか転落事故を起こし、奇跡時に命を取り留めました。原因は彼自身何も語っていませんが、若くしてトップ俳優になった重圧、芸能界独特の厳しい人間関係などを示す言動もあり、自殺未遂説や薬物説なども報じられていました。その後事も激減し、能界で生き残る道を絶たたれたかに思えましたが、その彼を拾ったのがあの蜷川幸雄さんでした。 寺山修司の下、演技をゼロから鍛えなおされ、安保闘争時の政治思想が色濃くあるなかの若者たちの憤りや葛藤を描いた寺山修司の脚本を寺山修司が演出した舞台『血は立ったまま眠っている』で、森田剛、寺島しのぶらとともに舞台で復活しました。マーティン・スコセッシ監督:の映画『沈黙-サイエンス』での窪塚洋介のキチジローの演技は、一度地獄を見た窪塚洋介だからこそ成し得た名演かもしれません。この映画は、映像作品での窪塚洋介の完全復活を強烈に印象付けました。


a0113718_09273648.jpg 隠れキリスタンとしてとらえられたモニカを演じた小松菜奈の熱演も新鮮でした。ジュアンを演じた加瀬亮は、見せしめとして胴体と首が切り離されるだけの役でしたが、もちろん特撮ですが、ロドリゴを見つめる切り離された加瀬亮の顔の表情は強烈に印象に残りました。ただこれだけの役でしたが、 演技派俳優の加瀬亮を使った効果は十分出ていたと思いました。



 長崎奉行の井上筑後守を演じたイッセー尾形は、信徒たちの拷問を部下たちに平然と命ずるこの映画最大の悪役ですが、時折に優しい笑顔や子供のような振る舞いを見せ、失意のロドリゴにふいに歩み寄り、その体にふれるなど多面的な人物として演じていました。


 浅野忠信が演じた通辞は、井上筑後守の下、残酷にキリスタンたちをさばいていく側の代表的な人物ですが、浅野忠信の英語力に象徴される教養と自負心を持ち、難しいことをわかったふりをして残酷な冗談もいう冷酷な人物のようでしたが、神のための殉教を願うロドリゴに「日本は草木も育たない沼地だ。日本にキリスト教の布教は根付かない。日本人の信仰は神への信仰ではなく、お前たち宣教師に対するものだ。死んだのは日本人の本能ではないのか?」語る場面で浅野忠信は人間味感じさせる演技を見せていました。実は彼もまた神学校で学び洗礼を受けた過去を持ち、宣教師の傲慢さと日本人への侮蔑意識に失望し棄教した人物という原作の人物設定を示唆させる絶妙な演技だったと思いました。


 他にも、要所に個性的な俳優を配して、最近の映画には珍しくドラマとして人間の多様性を感じさせる映画でした。ロドリゴが棺桶の中で、イチゾウが作った十字架を握っていたラストシーンは、ロドリゴから強制的にキリスト教から切り離された生活をおくる中で、自らの信条、信念を固く持ったままであることを示し、映画を後味の良い作品に仕上げていました。



《感想》

 遠藤周作の原作でもそうですが、ロドリゴは踏み絵を踏むことで「同伴者・キリスト」を実感し、日本で日本の武家社会に仕え、フェレイラとともに禁制品の取り締まりに協力ながら生きる道を選びました。しかし、ロドリゴたちを守るために命をかけて死んで行ったイチゾウやモキチに対するロドリゴの悔恨の苦しみや、「全治、万能の神」という教えを受けてきたカトリック教会に対する思いは、遠藤周作の原作にも描かれておらず、最後にロドリゴが棺桶の中でもイチゾウが作った十字架を握っていたという事実だけで、彼のために死んでいったイチゾウやモキチが納得するのかと思うと、何か釈然としないものが残りました。ユダの役割を演じたキチジローが常に罪の意識で苦しんでいたように、ロドリゴに罪の意識や苦しみはなかったのかは、少なくても映画では明確に描かれておりませんでした。


a0113718_09300625.jpg そもそも遠藤周作が行きついた「同伴者・キリスト」という考え方は、善良な神が存在するならば妥当な解釈かもしれませんが、善良な神が存在することの証拠があることを少なくても私は知りませんし、神が存在したとしても、ギリシャ神話の神々のような肉欲に満ちた放蕩の神かもしれませんし、ワーグナーの『ニーベルングの指環』に描かれているような、欠点だらけで世界を安穏な平和に導く能力がない神かもしれません。あるいは神ではなく悪魔である可能性もあります。現代宇宙論を研究している世界的な理論物理学者・スティーヴン・ホーキング博士は、米国の物理学者レナード・ムロディナウとの共著で、「宇宙は混沌(chaos)から生まれるのではなく、神によって創造されたに違いない」というニュートンの信念に反論し、地球が人間のためにデザインされたという証拠はなく、地球のような惑星だけでなく、別の宇宙も存在する可能性もあること主張しました。自然の中に生きている人間だけでなく、まさにその自然のためのダーウィン主義を支持し、「「時空に始まりはなく、宇宙の始まりは大きさのないビックバンで、宇宙を想像できる瞬間はありえない。現代の物理学は、宇宙の創造において神の場所を与えない。神は人間の妄想である」と主張しています。(リチャード・ドーキンス (), 垂水雄二 () 『神は妄想である―宗教との決別』 2007 )



a0113718_09354897.jpg ではこの映画に描かれている隠れキリスタンのように、世界の人々はなぜキリスト教徒になったのか。日本の隠れキリスタンは本当に神を信じて居たのでしょうか。日本の江戸時代のように、残酷な専制君主の世界で、イエス・キリストの「愛の思想」を持った宣教師が人々に愛を注いだ結果、人々はキリスタンになる道を選んだとしても不思議はありません。この映画で浅野忠信演ずる通辞に、「日本人の信仰は神への信仰ではなく、お前たち宣教師に対するものだ。」と語らせています。不幸にも、沼のような愛のない世界に住んでいた日本人が宣教師の愛に触れ、天国のような世界があると信じてしまったことが、残酷なキリスト教弾圧という歴史を生んでしまったのかもしれません。



 私はキリスト教徒ではないのでキリスト教会の考え方は分りませんので、これは全く個人的な見方ですが、イエス・キリストは全知全能の神の存在を主張したのではなく、人が生きる上で最も大切なのは「愛の哲学」であると説いたのではないかと考えています。それは仏陀の説いた「慈悲の精神」、孔子が人間関係の基本として説いた「仁」も即ち「他人に対する親愛の情、優しさ」、イスラム教の教えでも重視されている「平等」「相互扶助」の精神とも通ずものだと思います。


 カトリック教会は、キリストや聖母マリアを玉座に座らせ、中には専制支配にも加担しました。しかし、根本にイエス・キリストの「愛の哲学」をもったキリスト教がなかったら、世界史はもっと悲惨で残酷なものになっていたでしょう。イエス・キリストの偉大さは、受難という自己犠牲をもって、人類の未来に「愛の哲学」を残したことだと私は思っています。



a0113718_09153696.jpg マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイエンス』は、遠藤周作の『沈黙』という純文学の傑作のストーリーを忠実追って、完成度の高い映像作品にしただけでなく、戸初期のキリシタンの弾圧が過激な時代の日本を舞台に、ポルトガル人宣教師の目を通し、人間の弱さ、信ずることの意味、人間撮って大切なものは何か、生きることの意味は何かという人間の本質に迫り、信ずること、疑うこと、葛藤、懐疑心をじっくりと描いていました。 


 この映画で描かれていた江戸時代初期のキリスタン弾圧の時代は、キリスタンだけでなく、弾圧する側の井上筑後守や通辞のような侍たちも飲み込んでいく巨大な蟻地獄のように描かれているように感じました。また過去の長崎の隠れキリスタンの人々を誠実に描くことで、現代社会の貧困や格差社会、宗教や文明の衝突など混迷を極める現代に重ね合わせているように感じました。


a0113718_09251601.jpg グローバル化が進み、多くの国で新自由主義経済が主流となっている現代社会では、物欲が社会を支配し、一握りの富裕層と大企業が富の大部分を独占し、経済的な面のみならず、知的な面でも格差が拡大しています。経済的に結婚し子供が作れない人たちが増えて、日本でも子供の6人に一人は貧困家庭で、自らの運命を切り開く機会を奪われています。、国は政治は少子高齢化を食い止める手段を持てずにおり、若い世代にも高齢者世代にも貧困が蔓延しています。貧困は、宗教や文明、人種間、世代間で衝突と混迷を極めています。 現代人の多くは、勝者が歴史を勝ち取っていくことしか知らず、貧しいもの、才能のない弱きものははじかれていきます。  



 この映画でキチジローが「弱きものは生きる場所があるのか?」と問いかける場面があります。それに対して、この映画は「弱きものは弾かず抱擁する、否定するのではなく受け入れる」という思想を描いているように感じました。分断を深め、排他性が漂う世界の現状の中で、精神のよりどころはそれぞれ異なるかもしれませんが、互いの理解と尊重が重要であり、自分と違うもの認め、価値観の多様性を知ることが重要であることを改めて考えさせられました。違った人々を結び付けるのがイエス・キリストが命を懸けて人類に残した「愛の哲学」なのかもしれません。観客が映画を見ながらゆっくりとこれらを体験しながら成長していけるのではないかと感じました。

2017.1.27 TOHOシネマ・スカラ座)






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by desire_san | 2017-02-12 09:35 | バレエ・演劇 | Trackback | Comments(23)
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Commented at 2017-02-10 21:43
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by rollingwest at 2017-02-11 06:25
何と凄いリキの入った感想と解説!遠藤周作の『沈黙』は先月読み終えたばかりですが、映画はこれから観に行こうと思っていたので大変参考になりました。マーティン・スコセッシ監督の完成度の高い映像作品も大いに楽しみです。→江戸初期のキリシタンの弾圧が過激な時代の日本を舞台に、ポルトガル人宣教師の目を通し、人間の弱さ、信ずることの意味、人間撮って大切なものは何か、生きることの意味は何かという人間の本質に迫り、信ずること、疑うこと、葛藤、懐疑心をじっくりと描いていた・・。 この感想文に全てが表わされていますね。
Commented by desire_san at 2017-02-11 11:49
peace-511さん こんにちは。
マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイエンス』は、非常に遠藤周作の難しい作品を見事に映画化していたと思いまました、配役も塩蔵もすべてが最高で、日本文学作の傑作をこれだけ見事に映画化し他のを見たのは、黒澤明世代の名監督依頼ではないでしょうか。peace-511さんも見て公開することはないと思います、是非お出かけください。是非、ご感想を聴かせていただきたいですね。
Commented by desire_san at 2017-02-11 11:55
rollingwestさん、コメント売りが等ございます。
私も遠藤周作の『沈黙』は読んでいて、一度日本で映画化しましたが、テーマが蒸すかしく過ぎて、成功しませんでした。ハリウッドの名監督マーティン・スコセッシ監督だからこそ、映画化に成功したのだと思います。とにかくrollingwest さんもご覧になって頂くことをお勧めします。「人間撮って大切なものは何か」を問い直すことは、大切なことだと思います。
Commented by mukashinoeiga at 2017-02-12 12:11
desireさん、ども。
 ぼくのブログにお越しいただき、ありがとうございます。ぼくのブログと違い、格調高いブログなので、圧倒されました(笑)。
 ぼくは、desireさんと逆で、スコセッシ版より、篠田版の方がしっくりきました。最近のスコセッシは、どうも「映画の力」が弱くなっているようです。
 昔はヘヴィー級でしたが、今はバンタム級というところかしら。
 なお、気になっているところを二三。

>日本の江戸時代のように、残酷な専制君主の世界で、イエス・キリストの「愛の思想」を持った宣教師が人々に愛を注いだ結果、人々はキリスタンになる道を選んだとしても不思議はありません。

 現代の視点からすれば、江戸時代は「残酷な専制君主の世界」かもしれませんが、それはあまりにも後出しじゃんけんの奢り。
それは現代の視点で、Windows 95 を批判するようなもので、上から目線を感じました。「当時」としては、もっとも統治機能の最新版が「江戸時代」で。固定観念はよくありません。
 実際、キリスト教布教の後には、白人商人、白人軍隊が「進出」してきて、「あそこ」でキリシタンを弾圧しなかったら、日本の現在は、白人の植民地だったかもしれません。

>根本にイエス・キリストの「愛の哲学」をもったキリスト教がなかったら、世界史はもっと悲惨で残酷なものになっていたでしょう。

 キリスト教を含めた「世界のメジャー一神教」がなかったら、少なくとも数度にわたる「世界大戦」は、あるいはなかったのかもしれません。
 そういう「後出しじゃんけん」も、思考としては、ありだと思います。
Commented by desire_san at 2017-02-12 13:33
mukashinoeigaさん、コメントありがとうございます。
私は江戸時代の日本人リスタンを上から目線で見ているわけではありませんが。ご指摘のように、リスト教布教の後には、白人商人、白人軍隊による侵略があったことは、スペインが南米のインカ帝国など原住民を侵略して行ったという史実からも想像されることで、ウド幕府がキリシタンを弾圧したのはこのこのようなことを恐れていたとも感が売られます。しかし為政者の視点で、江戸幕府の政治に抑圧されていた貧しいし鵜民がキリスタンになった心情とは別の次元の事だと思います。
 また、キリスト教が権力者と結託して残虐な行為や戦争に加担したのは史実ですが、これはイエス・キリストの精神とは何の関係なく、利用できるものは何でも利用しようとする人間の我欲の問題で、キリスト教の根底に流れるイエス・キリストの精神が、何らかの歯止めとして働いていたと考えられる事例は多くあると思います。
Commented by hitoshi-kobayashi at 2017-02-13 12:02
つたないブログにご訪問いただき、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
Commented by blues_rock at 2017-02-13 13:52
拙ブログ記事シネマの世界「沈黙 サイレンス」への丁寧なコメント、ありがとうございました。
貴ブログの「遠藤周作の最高傑作の完全映画化と窪塚洋介の完全復活/沈黙 サイレンス」を拝見し、desire_san さまの慧眼と博識、恐れ入りました。
原作を読みこまれ、映画を丁寧にご覧になった感想と批評に敬意を表します。
貴ブログの芸術(美術と音楽)についての記事も興味深く拝見いたしました。
併せて貴ブログを拙ブログの外部リンクに貼付させていただくことお許しください。
これからも貴ブログの記事、楽しみにしております。
Commented by iyim2012 at 2017-02-13 17:06
desire_sanさん、こんにちは♪
コメントいただきまして、ありがとうございます。
同じ映画を見て、共感できる事ってブログならではで、嬉しく思います。
キチジローは最初、情けない人っていう思いで見てましたが、
一番人間として正直で、誰もが持っている弱さなんだと思いました。
Commented by suzuki-ri at 2017-02-13 18:26
suzukiriと申します。
妻がキチジロー役・窪塚さんのファンだったのですが
「狂気の桜」の個人的思想が全面に出た時などは戸惑っておりました。
しかし、ブレイクした「池袋ウェストゲートパーク」でも
つかみどころのない役を演じると抜群にうまい役者だったので
「転ぶ」役としては最適だったと思います。

篠田版は中学生か高校生の時に見た以来で
最近再見したところ、「日本人が描く外国人」の限界も感じましたが
スコセッシ版と決定的に違うのは、取り締まる側のスタンスに感じました。
個人的に「悪役」と宣伝されていたイッセー尾形も
ある意味お役目だからという冷めた感じがあり、その中で頑なに信仰でもがく
主人公への疑問を観客に持たせるところが個人的には好きです。
Commented by desire_san at 2017-02-13 19:03
hitoshi-kobayashiさん、hitoshi-kobayashi 産のブログもたのしいですよ。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
Commented by desire_san at 2017-02-13 19:06
blues_rockさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
ご丁寧なコメント阿野が等ございます。 外部リンクの貼付大歓迎です。
これを機会によろしくお願いいたします。
Commented by desire_san at 2017-02-13 19:14
iyim2012さん、コメントありがとうございます。
私も、久しぶりに見ごたえのある映画に出会い、感激しました。
キチジローに対して、私も次第に共感してきました。キチジローを認めていなかったロドリゴが最後に、キチジローに「一緒にいてくれてありがとう」と言って彼の生き方を認めたシーンは感動的でした。キチジローを演じた窪塚洋介の演技は最高に良かったと思います。かつて天才と言われながら地獄を見た窪塚洋介の復活は、日本映画界にまた目が離せない俳優が増えて、私も嬉しく思いました。
Commented by desire_san at 2017-02-13 19:36
suzukiriさん、私も反町隆史の「GTO」に出ていたころから窪塚さんに注目しており、「池袋ウェストゲートパーク」もよかったですし、『GO』の演技を見て、将来の日本映画界を背負っていく俳優だと思っていましたが、自殺未遂とも思われる転落事故依頼、テレビや映画から消えてしまったので残念に思っていました。誰も相手にしてくれないときに蜷川幸雄さんが手を差し伸べ、演技を鍛えなおして舞台で復活させたことを知り、蜷川幸雄さんの人間としての凄さを改めて環奈字ました。蜷川実花、園子温など奇才監督が映画に使い始めましたが、スコセッシ監督が彼の才能を認めて大役に起用したのは、窪塚洋介の完全復活を意味すると思います。
スコセッシ監督の凄さは、鍛圧される農民も、団明日する武士も、多面的な視点で描いていることだと思います。今の日本では物事を多面的に見る力が政治家から国民に至るまで欠落していることを感じていましたが、スコセッシ監督の映画を見て、救われた気持ちになりました。
Commented by arujue at 2017-02-13 22:31
こんばんは。
拙いブログに、コメントありがとうございました。
この映画は、最近では結構気に入った映画でしたので、とても興味深く読まさせていただきました。
原作の「沈黙」を読んだときは、キリスト教と日本の風土との葛藤というようなことに目が行っていましたが、映画の方は、もっと人間の弱さと強さ、人間への愛情といったことに力点が置かれてる気がしました。
70歳を超えているスコセッシ監督が、長く温めた映画だけど、もっと前にできていたら違うものになっていただろうとおっしゃっていましたけど。
本当に、今だからこその人間を見る目の優しさに、しっとりした後味がして良かったです。
こちらの感想は力作で、読み応えがありました。また、お邪魔しますね。
Commented by desire_san at 2017-02-14 06:22
arujueさん、私のブログ読んでいただいてありがとうございます。
私も原作を読んでいましたが、原作に忠実にストーリーを追っていましたが、この映画はポルトガルの宣教師の視点から、日本キリスタンを客観的に捉え、ご指摘のように人間の弱さと強さ、人間への愛情などをじっくりと表現していたように感じました。、キリスト教の日本での布教活動に対する捉え方も、微妙ではありますが原作より冷徹に現実を観る人に突き付けて考えさせていたように感じました。久しぶりに心に強く残る映画観ることができて、心地よい感動が残りました。
Commented by anan627 at 2017-02-14 20:05
こんにちは。映画レビュー拝見しました。あらすじ、感想、キャストにまで詳しく言及されてて圧倒されました。
スコセッシ監督の映画は面白いものもあるけど、ちょっと(^^ゞ・・というものもあって、正直見るまで不安だったのですがこれは本当に素晴らしかったと思います。今の時代にこの映画は何か強いメッセージを伝えるものだと思います。

私も窪塚洋介のファンで(GOはすばらしかった!)、彼の映画はずっと見続けてます。またこうして表舞台、いやハリウッドにまで登場してくれて嬉しい限りです。
Commented by desire_san at 2017-02-15 08:42
anan627さん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
この映画はスコセッシ監督の映画でも屈指に入る傑作ではないでしょうか。原作が日本文学の傑作ということもあり、ご指摘のように映画全体を貫くメッセージ性があって、充実した時間を味わえました。
窪塚洋介さんは、転落事故を起こしてからテレビには全く出ませんでしたが、蜷川幸雄さんが再教育したこと手もあり、この映画で見事に俳優として復活してきたのは嬉しく思いました。今後の活躍が楽しみですね。
Commented by flying049 at 2017-02-16 05:51
こんにちは。ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
大変深く考察されていて、興味深く読ませていただきました。
改めてこの映画について考えるよい機会になりました。
そのほかの記事もおもしろく、また遊びに来させていただきます。
Commented by desire_san at 2017-02-16 10:18
flying049さん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
私はエゴン・シーレの作品に非常に興味を持って説いたためどんな人間かりたくてこの映画を見ました。少しでもお欲に建てたとしたら嬉しいです。
これを機会によろしくお願いいたします。
Commented by dscorp-japan at 2017-02-16 18:36
はじめて投稿させていただきます。
先日、desire_sanから拙ブログにコメントをいただいたdysmasと申します。
映画『沈黙』についてですが
私はカトリック信者ですので、良くも悪くもカトリック的視点からしか本作を観られない人間です。ですからカトリック信者でない方々の感想に非常に興味がありました。その点においてdesire_sanの本作の捉え方がとても参考になりました。
有難うございました。
Commented by desire_san at 2017-02-17 06:40
dscorp-japanさん、コメントありがとうございます。
私のレポートはキリスト教の信者の方から見ると、無神論者の意見を併記したりして、少し冷めていると感じられたかもしれません。しかし、私は遠藤周作の小説なども読んだ上で、イエス・キリストを尊敬しております。私なりの感想を書いてみましたが、読んでいただいてありがとうございました。
Commented by rollingwes at 2017-02-18 22:08 x
沈黙、先週見に行きました!やはり素晴しい内容でした。アカデミー賞取ってほしかったのに残念ですね。

心に残った自然とアート   


by desire_san
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