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プラハに残したミュシャの芸術遺産:『スラヴ叙事詩』への道

プラハ  ミュシャ

Prague and Alphonse Mucha


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 アールヌーヴォーの世界的画家として、パリで成功と名声と富をアルフォンス・ミュシャは、祖国に強い想いを抱いていました。1902年の春、彼は彫刻家の友人ロダンを連れてプラハを訪れ、スメタナの曲「モルダウ」を聴いたことでスラヴの文化に尽くす決意をしたと言われています。1910年、ミュシャは、プラハ市民会館の建築装飾の仕事のため、祖国へ戻り、スラヴへの仕事を熱心に行うことになります。ここでは、チェコの首都・プラハに残したミュシャの芸術遺産をみながら、大作『スラヴ叙事詩』への道程を考えて行きたいと思います。





文字をクリックすると下記のサイトにリンクして、内容を見ることができます。
『スラヴ叙事詩』


Muchareturned to Prague with success, fame and wealth in Paris, as a world painter of Art Nouveau, From 1910,when he moved back to Prague, Mucha’s vibrant murals and ceiling painting haveadorned the Lord Mayor’s Hall in the Municipal House, illustrating the glorioushistory of the Czechs and the unity of the Slav nations. On the ceiling frescohe even portrayed Czech historical personalities. After Czechoslovakia wasestablished in 1918, Mucha became a fervent supporter of the newly-foundeddemocracy and designed the country’s first postage stamps and banknotes.




聖ヴィート大聖堂のミュシャのステンドグラス


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 プラハ城の中でも高い建物で目立つ聖ヴィート大聖堂の色彩豊かなでダイナミックなステンドグラスの窓に、ミュシャの華麗な技能を総動員して適用しました。ミュシャは1931年にこのステンドグラスの原画を描きました。中央の赤い服を着た少年は、チェコの守護聖人・聖ヴァーツラフ。ミュシャの息子イジーをモデルにして描いたという逸話があります。中央のパネルには祖母セント・ルドミラの生活に焦点を当てたパネルになっています。聖ヴァーツラフに自然と注目が集まるよう中心部は暖色、周りは寒色を使用しました。ミュシャのステンドグラスはヴィート大聖堂の左の回廊入り口から数えて3番目にあり、他の伝統的な図柄のステンドグラスとは一味違った異才を放っています。にステンドグラスの下部には、ミュシャが制作時に融資を受けていた「BANKA SLAVIE」(スラビア保険会社)の名前が書かれていますが、ステンドグラスの芸術性を損なうことがないよう、ステンドグラスの雰囲気に溶け込んだデザインになっています。




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In1931 he applied his brilliant skills to colorful, dynamic stained-glass windowsin Prague’s Saint Vitus’ Cathedral, depicting Saint Wenceslas, the nation’spatron saint, as a child with his grandmother Saint Ludmila in a central panelsurrounded by 36 other panels focusing on the lives of Saints Cyril andMethodius.





プラハ市民会館

 


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 プラハ市民会館は、「建築博物館」とも呼ばれ様々な様式の華麗な建築物が並ぶ都・プラハで、プラハの街を代表する、世界的にも名高いアールヌーヴォー様式の建築物です。旧市街の入口となる火薬塔のすぐ近くに建ち、1912年に完成した壮麗なアールヌーヴォー様式の建物で、クリームイエローの優雅な外観は、まるで宮殿のようです。チェコはオーストリア=ハンガリー二重帝国に属していました。チェコの人たちに、自らのアイデンティティを自覚させ、鼓舞するために、チェコの文化を象徴する壮大な市民会館の建設が計画されたのです。市民会館には「祖国の文化復興」の願いが込められています。




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 市民会館には「プラハの春」と呼ばれる国際音楽祭が開催されるスメタナ・ホール、ミュシャが内装を手がけた「市長の間」などがあり、ガイドツアーで見学できました。


 館内に入ると目に入るのが、迫力のある大階段が備わった玄関ホールで、館内の美しさに圧倒されます。プラハの春国際音楽祭のメイン会場となる「スメタナ・ホール」は、チェコの国民的作曲家、べドジフ・スメタナにちなんで名づけられ、プラハ交響楽団の本拠地でもあります。ステージ上にあるパイプオルガンです。世界最大級のオルガンで、毎年国際オルガンフェスティバルでは、世界中から選ばれしオルガン奏者たちが集まります。




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 市民会館には、豪華絢爛な大広間グレゴリーホールなどもあり、アールヌーヴォーと、東洋の様式が見事に調和した興味深い空間も造られました。当時、ヨーロッパでは東洋趣味が流行していたため、アナトリア美術を原点として創造されたデザインが施されたのです。壁面の木材部分や調度品には繊細な彫刻が施され、優雅で上品であり、色彩豊かなイスラム風の装飾が、美しいアクセントを加えています。グレーグル・ホールは、19世紀のチェコにおける重要な政治家、ユーリ・グレーグルにちなんで名づけられた部屋で、パーティーや社交のための会長として造られました。





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「市長の間」は、天井や壁の絵、柱の彫刻、ステンドグラス、カーテンの刺繍まで、ミュシャが全ての装飾を施した部屋で、中央の天井には、色ガラスと装飾格子からなる採光窓があり、ホール全体を色と光の幻想的な空間に仕立て上げています。



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 ミュシャはフランスで世界的な画家として成功していましたが、愛する祖国チェコのために無償で引き受けた仕事でした。祖国を離れて暮らしていたミュシャですが、チェコへの愛国心はひときわ強く、市民会館のデザイン、制作はまったくの無償で引き受けたそうです。




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 「市長の間」の天井画は、パリで成功したミュシャが祖国に戻って手がけた最初の作品です。壁と天井は、スラヴ民族の団結をテーマにした絵画で覆われていて、天井画「スラヴの団結」には、スラヴの人々の営みと、人々を守る鷲が描かれています。制作時に『スラヴ叙事詩』の構想も固まっていたとのことで、「市長の間」の天井画も同じ世界観で描かれています。正円の形をした天井画の中央には、大きなワシが描かれています。スラヴ民族の間で文化の守り神と伝えられる存在。その回りを民衆が囲んでいます。中心を占める民衆を、スラヴ民族の歴史にとって重要な役割を果たした偉人が守護するように周りに配されています。





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 頭に赤い花飾りがつけている女性も見えます。ミュシャがチェコに戻ってから手がけたポスター「ヒヤシンス姫」でも、赤い花飾りを頭につけた様子が印象的ですが、スラヴ民族の女性はお祭りなどでよくつけるとのこと。またミュシャの研究者によればパリ時代と違い、パリで描いた女性よりも顔つきが丸っこくなる“スラヴ顔”だそうです。腕なども、パリのような都会の女性と違ってよく見ると太い。農作業をする人の力強い手です。



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 天井にはスラヴ民族を守る鳥の絵が描かれたフレスコ画「スラヴの協調」。それを支える柱には、フス派戦争の英雄ヤン・ジシュカ、チェコの宗教改革の先駆者ヤン・フスをはじめとした、チェコの歴史上重要だった人物が描かれています。壁を飾る3つの壁画は、それぞれ過去、現在、未来を表しており、チェコ人が歩んできた暗い歴史と、これから訪れる明るい未来への想いが込められています。中心を占める民衆を、スラヴ民族の歴史にとって重要な役割を果たした偉人が守護するように周りに配されています。その人物たちは『スラヴ叙事詩』に登場する人々と重なっており、ダークブルーを基調とした重厚な雰囲気と人物の力強い眼差しも、『スラヴ叙事詩』に通ずるものです。



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 窓はロマンティックなステンドグラスが美しく、全体に神秘的なムードを演出しています。カーテンには鮮やかな孔雀の刺繍が美しく、細部に至るまでミュシャ独特の美しく幻想的な芸術で彩られた空間は心癒され、離れがたい魅力を感じます。当時のチェコにおける第一級の画家や彫刻家が生み出した芸術品で埋め尽くされたプラハの市民会館。その華麗なる世界は、ため息を突くような美しさでした。




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ミュシャ博物館

 

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ミュシャ博物館はプラハ市民会館からも近くにあります。舞台女優サラ・ベルナールのポスター『ジスモンダ』をはじめ、アールヌーヴォー時代の商業的な作品を中心に展示されています。


文字をクリックすると下記のサイトにリンクして、内容を見ることができます。

アールヌーヴォー時代のミュシャの美術


 ミュシャは、レストランなどの壁のデザインなども多く手掛けており、プラハの街のところどころにミュシャの作品を見ることができます。



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クレメンティヌム内の礼拝堂「鏡の間」

 ミュシャが「スラヴ叙事詩」を着想するきっかけは、パリからアメリカに移り住んだ後に、スメタナの交響詩『わが祖国』を聴いたことと言われています。市民会館の近所の「クレメンティヌム 礼拝堂『鏡の間』でスメタナの演奏を聴くことができます。




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ズビロフ城

 ズビロフ城は、プラハから車で西に1時間の場所にあり、『スラヴ叙事詩』は1910年から16年にわたってこの場所を住まい兼アトリエにして制作されました。 


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 縦6m☓横8mにも及ぶ『スラヴ叙事詩』にはたくさんの人物が描きこまれていますが、ミュシャはズビロフの町の人たちを代わる代わる城に呼んで、民族衣装を着せてポーズもつけて写真を撮影し、それをデッサンして絵の中に配置するという制作手法を取っていました。このホールには現在、ミュシャが描いた垂れ幕が飾られています。 


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ミュシャが生まれた町、イヴァンチツェ

 ミュシャが生まれたのはチェコ東側のモラヴィア地方で、チェコ第2の都「ブルノ」から近いイヴァンチツェという町です。聖母マリア被昇天教会はイヴァンチツェのシンボルです。この建物はミュシャがパリ時代に描いた『イヴァンチツェの思い出』という作品の背景に描かれています。


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 教会の向かいのミュシャの生家は、イヴァンチツェ博物館として使われており、その中にミュシャ記念ギャラリーがあります。「スラヴ叙事詩」の下絵が数点収蔵されています。

 同じチェコで地域性や文化も若干違っていて、現在ボヘミアは工業の町というイメージですが、モラヴィアは農村地域的な印象で、モラヴィアは温暖で果物がよく獲れることもあってブドウの生産が盛んで、ワインやブランデーといったお酒がよく飲まれているそうです。

 また『スラヴ叙事詩』の中にも「イヴァンチツェの兄弟団学校」という一枚があり、この教会が登場します。「イヴァンチツェの兄弟団学校」にはチェコ語で初めて印刷されたという聖書を手にして、学校の校庭で人々が平穏に過ごしている様子が描かれています。また絵の中に描かれた、老いた男性に聖書を読み聞かせる少年は、若き日のミュシャ自身をモデルにしていると言われています。


イヴァンチッツェのモラヴィア兄弟団学校 

― クラリッツェ聖書の発祥地 ―イヴァンチッツェ教会塔 テンペラと油彩 1914 610×810 cm


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 『スラヴ叙事詩』の中でも、一番希望を感ずる明るい色彩を感ずる作品です。ペトルヘルチツキー (1390-1460) の教えを受けて1467年に北東ボヘミアで誕生し、16世紀はじめにはボヘミア、モラヴィアに信徒10万、教会数200を数える組織に成長しました。人文主義を受け入れて教育水準の高い宗教教団になりました。ミュシャの生地のイヴァンチッツェのモラヴィア兄弟団学校は教育レベルが最も高いことで広く知られていました。モラヴィア兄弟団学校の新約旧約聖書はクラリッツェ聖書と呼ばれてつい最近の20世紀末まで使われ、チェコ語文章体の基礎になりました。学んでいる生徒にも、各人の個性や真剣さが伝わってきます。左に描かれた学生は、真剣に人類の未来を考えているようです。

 1620年のビーラー ホラー白い山の戦いで穏健フス教徒(ウトラキスト聖杯派) のチェコ貴族たちはボヘミア支配を狙うハプスブルク・オーストリアに抵抗して殲滅されました。これ以降チェコの暗黒時代が続きます。非カトリック教徒追放令が出てフス派のチェコ兄弟団は弾圧され信徒の多くは国外追放になりチェコ国内の兄弟団は壊滅させられます。しかし、信仰中心の清貧生活、友愛主義などチェコ兄弟団の信条はキリスト教プロテスタント信仰に影響を与え民主主義思想の根幹となって世界中に広まり現代に生きています。


参考文献: チェコ観光局公式サイト

      Alphonse Mucha Biography,Art, and Analysis of Works

                        The Art Story




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by desire_san | 2017-06-05 20:31 | チェコ | Trackback | Comments(15)
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Commented by 開運言魂アーティスト☆紫水 at 2017-06-07 10:13 x
こんにちは紫水です。ブログにコメント下さり有り難うございました。

お写真も文章も素晴らしいですね。ガイドツアーとございましたが実際にご訪問され撮影されたのでしょうか!?

私も実際に訪れた様な氣分にさせて頂きました。

有り難うございました^^

紫水
Commented by lacejewelry at 2017-06-07 13:03 x
ブログを拝見させていただきました、私はジュエリーを制作しているものです。日本よりも宝飾品の歴史が深い、ヨーロッパ美術と歴史に関心があり、とても楽しく読ませていただきました。私のブログにもコメントしていただきありがとうございます。スラヴ叙事詩とdezireさんのこちらのブログ記事を見て、チェコに訪れなくては!という気持ちになりました。パリやフェレンツなどに美術研修で訪れた頃のワクワクドキドキが蘇ってくるようでした。
ところでブログ右上のアイコン写真はアルノ川でしょうか
10年前にフィレンツェの彫金学校へ2週間ほど通っていたので、とても想い出深い景色です。違っていたらごめんなさい(^^)
Commented by desire_san at 2017-06-07 19:13
開運言魂アーティスト☆紫水さん コメントありがとうございました。
プラハ市民会館の写真は、ガイドツアーでプラハ市民会館の内部を案内してもらって廻っているときに撮影したものです。その時ある程度『スラヴ叙事詩』に関して知識を持っていましたので、ガイドツアーの案内とは離れて、ミュシャの制作したと思われる部分の写真を撮影していましたが。結果的に、『スラヴ叙事詩』に結び付いたミュシャの作品をたくさん撮影することができました。
Commented by desire_san at 2017-06-07 19:23
lacejewelryさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
私も、海外旅行は美術志向で、隠れた美術品を自分の眼で見ることを目的に旅をしています。
ジュエリーを制作されている方の眼で見ると、ヨーロッパの古都では、素晴らしい芸術品との出会いもたくさんあるのではないでしょうか。
ブログ右上のアイコン写真は、アルノ川の対岸から見たフィレンツェ旧市街です。フィレンツェに行った時、旧市街のアルノ川の対岸をずっと散歩しましたが、予想以上にこちらから見たフイレンツェの後は美しく、良い写真が撮れました。
Commented by robotic-person at 2017-06-08 01:51 x
『ミュシャ展』に展示の市民会館に関連する作品が実際にどのような形で表現されているのか、よく理解することができました。ありがとうございます。
Commented by desire_san at 2017-06-08 09:27
robotic-personさん、コメントありがとうございました。
市民会館の内装は非常に美しいですが、ミシャが描いた装飾画は、『スラヴ叙事詩』の内容に非常に近いのに、私も始めて見た時驚かされました。
Commented by Keiko_Kinoshita at 2017-06-08 14:23 x
こんにちは。ミシャのプラハの街に残した芸術遺産の全貌をご紹介いただき、ありがとうございました。ミシャはパリで認められる前のチャコ国内で芸術家としての活動を整理してみました。モラヴィア東南端の町ミクロフで、劇場の演出、似顔絵描き、寄木細工のデザイン、室内装飾などいろいろな仕事をしていたようです。ミクロフの西約20キロのフルショヴァニのクエン伯爵の城の装飾も手掛けていた記録もあります。夫人エンマホフの薦めで、ティロルにある伯爵の弟のガンデグ城を装飾し、そこで伯爵夫人の肖像を描きいて気に入られ、伯爵のために数多の絵を描きました。ミシャの作品を見たウィーンの画家クレイKray教授の助言で伯爵は、ミシャのパトロンになる決心をした。1885年ムハはミュンヘン芸術アカデミーの3年級に入り、2年後パリに出たミシャはアカデミー・ジュリアンに入り、流行のコートと帽子を買い、さらに優れた教授陣のいるコラロッシ・アカデミーに移りました。1889年ミシャは世界万博を訪れてエッフェル塔を賛美し、チェコ民族を代表し参加した、ソコル体育団の見事な演技を見て、スラヴを主題とする最初の芸術プランを立てた。伯爵からの援助は打ち切られましたが、雑誌“La Vie Populairesh”に挿絵を載せる仕事をしていました。1891年アルマン・コランArmand Collin出版社と契約を結び、翌1892年には優れた歴史家セニョボスの「ドイツ史」に、有名な画家ロシュグロスと共に挿絵を描きました。その後、大女優サラ・ベルナールと出会うこととなります。ミシャは彼の才能を認めたいろいろな人の出会いがあって、偉大な画家に成長したのだと思いますね。
Commented by desire_san at 2017-06-08 14:28
Kinoshita さん、いつも貴重な情報をコメントいただきありがとうございます。

ミシャはパリで才能をを開花させたわけではなくて、チェコにいた時から、ミシャの才能を高く評価した人たちに支えられて、加賀と成長してきたのですね。

おかげさまで、ミシャに対する見方が広がりました。ありがとうございました。
Commented by asuka_maru at 2017-06-09 16:55
こんにちは!
ブログ 拝見させていただきました。
私は 美術も芸術も それほどの知識もなく
ミュシャも ミーハー的ファンですので
とても勉強になりました。

私は 木版画をやっているのですが
ミュシャのポスターにも、浮世絵の影響が強く出ていて
それが、興味を持ったきっかけでした。

今回のスラブ抒情詩を見て 彼の祖国への想いと
宗教に対する畏敬の念を感じました。
改めて 彼の素晴らしさを認識しました。
Commented by desire_san at 2017-06-11 12:39
asuka_maruさん、コメントありがとうございます。
浮世絵の大きな魅力とひとつは、繊細な線の美しさですので、ミュシャのポスターの繊細な線の表現の美しさは、浮世絵の影響かもしれませんね。

スラブ抒情詩に観るミシャのスラブ民族に対する思いは、戦前の日本の愛国心のような歪んだ優越感とは全く違った、歴史の中で虐げられた自分たちスラブ民族に対する愛情のようなもののような気かします。そういうものだからこそ、スラブ民族でない私たちにも感動を与えるのではないでしょうか。
Commented by ashikawa_junichi at 2017-06-11 18:49
dezire_san のブログを拝読して、ミュシャ展のスラヴ叙事詩を追体験させていただきました♪
圧倒的なスケールで描かれた作品群から、スラヴ民族に対するミュシャの愛情がヒシヒシと伝わってきたことを思いだしました。
チェコまでいかずに、この日本でスラヴ叙事詩を見ることができたことは、実に幸運なことでした。

ブログの充実した記述と画像に、感嘆しております。
Commented by desire_san at 2017-06-13 14:50
ashikawa_junichiさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。

「スラヴ叙事詩」のような大作を日本で観られるのは画期的なことで、大変幸せな気基になりました。民衆の生活を描いた民族の歴史の連作は世界にも類のないと思います。

わたしは感動したものはしっかり頭に刻み込んでおくために、ブログに書き留めています。
ご共感いただき、嬉しい限りです。
Commented by snowdrop-momo at 2017-06-22 04:44
おはようございます。
遅まきながらコメント差し上げます(左手タイピングなので短めです。)

パリにあってもミュシャはチェコを想い続けていたのですね。
思いの丈が、みっしり描きこまれた大画面に表れているようです。

プラハはまだ行ったことがありませんが、desireさんの辿ったミュシャゆかりの建築は外せませんね。

イスラムの意匠を取り入れた西洋建築、プラハにもあったとは!異文化の融合は人の眼を楽しませ、異なる宗教をもつ人々の絆を深めてくれる気がします。
Commented by snowdrop-nara at 2017-06-25 09:38
おはようございます。
お招きにあずかり先日遅ればせながらコメントさせて頂いたと思うのですが…左手なので失敗したのでしょうか。コメントしなおせなくて済みません。
Commented by desire_san at 2017-06-27 09:04
snowdrop-momoさん、いつも私のブログを読んでいただきたいありがとうございます。

プラハは見どころが多く、ツアーで行くとミュシャの作品に触れることなく終わってしまうことが多いようです。 ミュシャゆかりの建築を廻るのはかなり苦労します。 ミュシャのようなチェコの国民的芸術家でも、長い歴史を包み込んだプラハの街では、片すみのごく一部にしかすぎないような気がしました。

心に残った自然とアート   


by desire_san
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