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ワーグナー「ニーベルングの指環」第2日・演出の効果と飯守泰次郎の世界 

ワーグナー『ジークフリート』

RichardWagner “Siegfried”


 ワーグナーの『ニーベルングの指環』は、2001年から2004年にかけて上演されたキース・ウォーナー演出、準・メルクル指揮、東京フィル、NHK交響楽団の新国立劇場での舞台が「トーキョー・リング」として歴史的に残る舞台でした。しかし、2014年日本のワーグナー指揮の第一人者・飯守泰次郎さんが新国立劇場の芸術監督に就任すると、ドイツの名演出家ゲッツ・フリードリヒが最後に手掛けたフィンランド国立歌劇場の演出をベースに『ニーベルングの指環』を制作し上演しました。





TaijiroIimori, the leading conductor of Wagner, Japan, produced and launched"Siegfried" based on the director of the German director GoetzFriedrich's Finnish opera house. A pure brave Siegfried reaches Burunhilde ledby a bird and enclosed in flames, kisses and awakens and wins Brunehilde'slove, The stage of this "Siegfried" expresses the original fairytale. When you click the "Translate to English" in the lowerright, you can read this article in English.


あらすじ

1

 深森の中でジークリンデがジークフリートを生んで亡くなり、みなし児となったジークフリートはニーベルング族アルベリヒの弟ミーメに育てられて成長したところから始まります。ミーメは、森の中で大蛇に変身して指環を守っている巨人ファフナーから指環を奪還することを企み、ジークフリートにそれをやらせることを企んでいます。そのためジークムントの形見である霊剣ノートゥングの破片をつなぎ合わせて再び剣を鋳直そうとしますがうまくいきません。ジークフリートは、ミーメが父親であることを疑い、ミーメに乱暴な態度をとります。


 ミーメが悩んでいるところに、「さすらい人」と名乗る隻眼の男が訪ねてきます。ミーメはさa0113718_13541685.jpgすらい人の正体が主神ウォータンでだと気がつきます。さすらい人はジークムントの形見ノートゥングを鋳直すのは「怖れを知らぬ者」と言って去っていきます。ミーメは「怖れを知らぬ者」とはまさしくジークフリートだと直感します。ジークフリートが帰ってきて、ミーメがノートゥング鋳直すことができないのに苛立ちます。ジークフリートはミーメの方法とは全く違う方法で剣を鍛えていきます。これを見てミーメはジークフリートが剣を作り上げ、大蛇ファフナーを打ち倒すのではないかと直感します。ついにノートゥングはジークフリートの手によって鋳直されます。



2

ファフナーを見張るアルベリヒのもとにさすらい人がやってきます。アルベリヒは、自分が指環を手に入れ世界を支配すると言い放ちますが、さすらい人は、ミーメが連れてくる子が指環を手にすることを予言すします。ミーメは、大蛇ファフナーのいる洞窟の前にジークフリートを連a0113718_13553029.jpgれてきます。ファフナーはジークフリートを飲み込もうとしますが、ジークフリートはノートゥングで心臓を深々と突き刺します。ファフナーはジークフリートに未来の警告をして息を引き取ります。ファフナーの血がジークフリートの手にかかり、ジークフリートが手についた血をなめると、今まで聞こえなかった小鳥の会話が分かるようになります。ジークフリートは、洞窟の宝の山から、小鳥から教えてもらった隠れ兜と指環を持って出てきます。ミーメが自分を毒殺しようとしていることを察知し、一撃をくらわせて殺してしまいます。ジークフリートは、岩山に炎に包まれて眠るブリュンヒルデのことを小鳥から教えてもらいます。


 ファフナーから剣ノートゥングを抜き取ると、ファフナーの血がジークフリートの手にかかa0113718_13564385.jpgる。ジークフリートが手についた血をなめると、今まで聞こえなかった小鳥の会話が分かるようになります。小鳥はジークフリートにミーメ毒の入った飲み物で殺そうとしていることを教えます。アルベリヒとミーメは指環を獲得しようと狙っているのです。ジークフリートはミーメを一刀のもと倒します。ジークフリートは森の小鳥の話から、炎に包まれて岩山に眠りながら自分を解放してくれる英雄を待っている女性ブリュンヒルデの存在を知らされます。ジークフリートは小鳥に導かれるままブリュンヒルデの眠る岩山を目指します。



第3幕

ブリュンヒルデの眠る岩山の前で、ウォータンは炎をー超えて行こうすする若者を待っています。ウォータンは智の女神エルダを呼び覚まし、死文の計画が実現するか彼女の知恵を頼って知ろうとします。しかし、エルダはウォータンがブリュンヒルデに対して行なった処罰など数々の矛盾した行いを悲しみ、神々の黄昏は避けられない運命だと告げつつ、永遠の眠りの中に沈んでいきます。


そこに小鳥に導かれてジークフリートが現れ、岩山向かいますが、そこにさすらい人が行く手を遮ります。しかしジークフリートは見知らぬ老人を嘲り、言うことを聞き入れず、ウォータンの槍をノートゥングで叩き折り、前へ進みます。


ジークフリートが炎を抜けると清々しい岩山がそこにせまります。静かな澄み切った空気のなかジークフリートは一頭の馬と盾と鎧に覆われたブリュンヒルデを発見します。ジークフリートa0113718_13590563.jpgはブリュンヒルデに近づき兜と鎧を取り去ります。その瞬間、ジークフリートは初めて女性を目します。ジークフリートはあまりの美しさに初めて怖れという感覚を知ります。ジークフリートは、高らかに「目を覚ませ!」と叫びブリュンヒルデの唇にくちづけをします。しばらくの沈黙の後、ブリュンヒルデはゆっくりと晴れやかに目を覚まします。ブリュンヒルデは、炎を乗り越えてやってきたジークフリートを知り、神々と感謝します。しかしその後、ブリュンヒルデは我に帰り、神性を失ってしまったことを嘆き、ジークフリートの求愛に値しないのではないか悩みますが、ジークフリートは情熱を持って彼女の不安を拭い、ブリュンヒルデはジークフリートの腕の中に飛びこみます。



『ジークフリート』の魅力と特徴

『ジークフリート』は、一人の人間が成長していく過程を描いた物語です。若者が周囲の人々や環境の変化に衝突し破壊しながら成長していく人格形成の過程で、経験する心理状態が生き生きと描かれています。ジークフリートは、周囲の環境を破壊するだけでなく、新たに目覚めさせていく要素を持った、真に自由で創造的な英雄として描かれています。名剣ノートゥングを鍛え直して秘めた力を覚醒させ、洞窟に眠る大蛇ファフナーを目覚めさせ、炎に囲まれ山頂に封じ込められていたブリュンヒルデの眠りを解きます。



音楽的魅力

ワーグナーの作品の魅力は、活気に満ち血が通った力強い音楽、説得力を持って語りかけてくる音楽のテンポの躍動的変化が生み出す推進力、常に人間の歌声が中心に置かれながら、完璧なa0113718_13594865.jpgまでのオーケストレーションに支えられた管弦楽との絶妙のバランスです。英雄ジークフリートの成長ぶりを描くワーグナーの音楽は、大胆不敵なエネルギーが爆発するかのようです。剣をへし折り、養父ミーメを殺し、大蛇を退治し、さすらい人(ヴォータン)の槍を打ち砕く、そのような過剰ともいえるこのエネルギーが、創造的な発展へと見事に結びついています。そこには「怖れを知らぬ」若さというものは破天荒な側面があります。本当の創造は、行き過ぎと思えるほどの破壊を経てこそ到達されるという、西洋の歴史的な発想がその根底にあるように思います。


音楽的には、ジークフリートの朗々たる「鍛冶の歌」から、単独で演奏されることも多い「森のささやき」のような、ところどころに現れる繊細な音楽表現もあります。ラストシーンの壮大な愛の二重唱では豊穣でロマンチックな音楽が鳴り響き、聴きどころが満載の作品といえます。ワーグナーの音楽らしい、聴く人を陶酔させる力もありす。


ワーグナーの音楽がとても巧みで、ライトモチーフが縦横に張り巡らされていているので、対話の裏に真意を紐解きながら内容を楽しむことができます。歌自自体は、自らの気持ちを音楽に込めたアリアや対話形式のシンプルなものが多く、高い力量を持った歌手出ないと舞台が成立しない面が大きいですが、言い換えれば、主役級の歌手の歌・声・言い回しの魅力に浸れ、歌手の歌や演技の技量を堪能できるオペラともいえます。




ワーグナー自らの自己投影

 ワーグナー作品のもう一つの大きな特徴は、いくつかの登場人物に、ワーグナー自身の自己投影が色濃く認められことです。ワーグナーの登場人物の中でジークフリートはワーグナーにとって特別で最愛といえる存在です。ジークフリートには前作『ヴァルキューレ』のジークムントや後のパルジファルとの共通点が見られ、一方ジークフリートに敵対するアルベリヒやファフナーには、ワーグナーの芸術の進展を阻もうとする「俗物」を暗示させていると見ることができると思います。


 例えば、 第1幕第3場、鍛冶の場面で、ジークフリートがミーメに向かって言う「弟子が師匠の言い成りでは、師匠を超えられるはずがない」言葉は、ワーグナー自身の信条と考えられまa0113718_14022550.jpgす。ワーグナーはコジマとの間に生まれた息子にジークフリートと名付けています。ジークフリートが養父ミーメに育てられたように、ワーグナーも養父に育てられています。ワーグナーの養父カイヤーにはユダヤ系の疑いがあり、ワーグナーはこの養父が実父かもしれないと悩んでいました。ミーメは作曲者自身の「影」であり、ジークフリートのミーメへの憎悪は一種の自己憎悪と見ることもできます。 ニーベルング族のアルベリヒやミーメは、ワーグナーが嫌悪したユダヤ人になぞらえられますが、ジークフリートとミーメの双方がある意味ではワーグナー自らの分身と見ることもてゼ切ると思います。



メルヘン性

 『ジークフリート』は、自然の中に育った純真無垢な若者が試練を経てやがてヒロイン・ブリa0113718_14031083.jpgュンヒルデと結ばれる、という筋書きになっています。この二人の出会いは「森の奥のメルヘン」といえ、ジークフリートが「怖れ」を覚えようとして冒険するのは童話「怖がることを覚えるために旅に出た男」、眠るブリュンヒルデに口づけして目を覚まさせる話は「眠れる森の美女」や「いばら姫」を連想させます。ジークフリートが小鳥助けられ、導かれて眠れるヒロインを助けに向かうという話もまさにメルヘンチックです。



『ジークフリート』の特異性

 『ニーベルングの指環』の4作品は、ライトモチーフによって統一感がありますが、4つの作品には、独特の特色があると思います。アンサンブル・オペラ的要素のある『ラインの黄金』、愛にあふれるロマンチックなオペラ的な要素のある『ワルキューレ』、ワーグナーが嫌った長大なグランド・オペラ的な要素のある『神々のたそがれ』に対して、『ジークフリート』は、今回改めて生の舞台を鑑賞してみて、「対話のオペラ」的な色彩の強い作品だと感じました。


 「対話のオペラ」的な色彩の強い作品だと感じたのは、『ジークフリート』という作品の多くの場面が、ジークフリート、ミーメ、ファフナー、アルベリヒ、ヴォータンの中の相互の対話にa0113718_14041643.jpgよって成り立っていると感じたからです。とかも第3幕のブリュンヒルデとの二重唱を除き、重唱はほとんどなく、二人の歌の掛け合いの形式をとっているのです。もちろん『ジークフリード』は、ジークフリート、アルベリヒ、ミーメ、ファフナー、エルダ、ブリュンヒルデとそれぞれに魅力的なキャラクターを見ることもでき、見せ場も工夫されています。しかしそうは言っても『ジークフリート』全幕を聴くと、この対話が第1幕、第2幕と延々と続くのを聴かされ、第3幕終盤になって、初めて華やかなソプラノの声やブリュンヒルデとの二重唱を聴くことになります。この「退屈さ」に対して、演出家が巧みに演出で変化をつけて聴衆から「退屈さ」を紛らわせてくれるのですが、一度コンサート形式で『ジークフリート』を聴いたらこの「退屈さ」は耐え難いものでした。『ジークフリート』のCD全曲盤を持っていますが、自宅で『ジークフリート』全曲を通して聴く持久力は持てずにおります。



演出の力

キース・ウォーナーの演出

2001年から2004年にかけて上演され「トーキョー・リング」として歴史的に残る舞台となったキース・ウォーナー演出は、ワーグナーの活気に満ち血が通った力強い音楽、語りかけてくるような音楽のテンポの躍動的変化が生み出す推進力といった音楽の魅力を徹底的にサポートするような演出だったと記憶しています。第1幕のミーメとークフリートの対話を中心とした説明的な場面も、舞台を立体的に使い、ジークフリートがダイナミックに動き回り、音楽に全く「退屈感」を感じさせずダイナミックに引っ張っていく音楽的に見事な演出だったと思います。


始めてキース・ウォーナーの演出で、『ニーベルングの指環』を観た時、全く想定外の演出でカルチャーショック的混乱に陥りました。ウォーナー演出「東京リング」は、ジークフリートに対する英雄崇拝を嫌っているようで、このような英雄崇拝をくだらないものとして嘲笑しようとする意図が感じられまました。『ワリキュa0113718_14060339.jpgーレ』でおもちゃの木馬で登場するブリューヒルデ、『ジークフリート』でスーパーマンのTシャツを着たジークフリート、いかにも子供のおもちゃのような安っぽい剣、ライ​​ンの黄金を得る瞬間やノットトゥンググライク抜きと大蛇退治も含めて、芝居がかったヒロイズムを茶化しているような演出でした。 キース・ウォーナーの演出には、今になって思い起こすと『ニーベルングの指輪』のストーリー自体には重きを置いていなかったのかもしれません。ひたすらワーグナーの音楽を演出で盛り上げようという意図が強く感じられました。「対話のオペラ」的な色彩の強い第1幕と第2幕では効果的だったように思います。


 ワーグナーは『ジークフリード』ではジークフリードを比類なき英雄に仕立てていますが、次の『神々の黄昏』まで見ていくと、体力が売りだけで身勝手で人間的な深みがなく、『神々の黄昏』の途中で自らの人間的浅はかさがゆえに自業自得としか思えない死を遂げてしまいます。ワーグナーは、ジークフリーを英雄に仕上げておいて、それを自らの愚かさがゆえに忌んでしまう悲劇に仕立ててしまう、驚くべき支離滅裂な脚本の中に、自分も含めた人間の幼稚な欲望を大仰に飾り立て、正当化しているように感じます。ジークフリーが神話的な寓意などは所詮口実にすぎず、音楽の芸術性のための道具にすぎないと感じたとすれば、キース・ウォーナーのひたすら音楽を生かした演出極めて妥当なものと考えることもできると思います。



飯守泰次郎の『ジークフリード』

 しかし、飯守泰次郎さんはこのキース・ウォーナーの考え方とは全く見方で『ジークフリード』を捉えていたと推測されます。共感出来なかったからこそ、飯守サンが新国立劇場オペラ芸術監督に就任した時、高い評価を受けていたワーグナー『ニーベルングの指環』4部作という超大作を、自ら指揮台に立ち全く違った演出で創り直したのだと思います。


 飯守泰次郎さんは、新国立劇場『ジークフリード』のオフィシャルサイトで以下のように語っておられますので、引用させていただきます。


 英雄ジークフリートの成長ぶりを描くワーグナーの音楽は、大胆不敵なエネルギーが爆発するかのようです。剣をへし折り、養父ミーメを殺し、大蛇を退治し、さすらい人(ヴォータン)の槍を打ち砕く、といった彼の狼藉ぶり、過剰ともいえるこのエネルギーが、創造的な発展へと見事に結びついています。「怖れを知らぬ」若さというものは破天荒な側面があります。本当の創造は、行き過ぎと思えるほどの破壊を経てこそ到達される、ということは、西洋の歴史が証明しています。


 この楽劇は、ワーグナーとは到底思えないような、軽やかな、あるいは透明で繊細な音楽が多いことも特別な魅力のひとつです。第1幕でさすらい人が去った直後、ミーメの妄想の場面の奇
a0113718_14154747.jpg怪な響きは、表現派あるいは印象派を思わせます。第2幕でジークフリートが、会ったことのない母親への思いを独白する場面は大変デリケートで、有名な「森のささやき」の場面も空気と光が透けて見えるようです。第3幕でジークフリートが炎を乗り越え、ブリュンヒルデの眠る静かな岩山に到達する場面、そして長大な愛の二重唱のなかでブリュンヒルデが「私は永遠の時を生きてきた」と歌う場面の「ジークフリート牧歌」の音楽も、驚くほど透明で繊細です。一般的なワーグナーのイメージである、重厚さや聴き手に強要するような力とは全く異なる、フランス音楽に近いような意外な表現が大変効果的です。


 この楽劇では、次々と事件が起きる部分の合間に、物語の進行が止まって話の展開を振り返るような“問答”あるいは“対話”の場面が数多く出てきます。言葉(テキスト)の多さ、音符の数の多さも際だっています。まず第1幕がミーメとジークフリートのやりとりで始まり、各幕において登場人物は様々な組み合わせで対話します。第3幕の最後の愛の二重唱にまで、問答が含まれています。これによって物語の意味となりゆきが聴き手に明らかになり、過去・現在・未来が立体的に理解されるのです。このような問答の場面で、示導動機が変容しながら極めて効果的に用いられ、聴き手を案内します。


 『ジークフリート』における大蛇ファフナーは、人間の所有欲を体現しています。財産を所有a0113718_14080817.jpgして眠っている姿は、まさに資本主義の最も否定的な一面です。しかし、そのファフナーが息絶える場面は、深く心打たれるものがあります。資本主義社会が行き詰まり、様々な問題を抱える時代に私たちは生きています。恐れを知らぬジークフリートが、過去を破壊して新しい時代を創っていく姿は、私たちに勇気を与えてくれます。長大な愛の二重唱は「リング」の中で最も幸せな場面であり、オーケストラの全強奏によるハ長調の最終場面で、歓びは絶頂に達します。ワーグナーの圧倒的な音楽で、この最高潮の瞬間を皆様に体験していただきたいと思います。


 「恐れを知らぬジークフリートが、過去を破壊して新しい時代を創っていく姿は、私たちに勇気を与えてくれます。長大な愛の二重唱はニーベルングの指環の中でも最も幸せな場面であり、オーケストラの全強奏によるハ長調の最終場面で、喜びは絶頂に達します。ワーグナーの圧倒的な音楽で、この最高潮の瞬間を皆様に体験していただきたいと思います」


 要するに、飯守泰次郎さんは、『ジークフリード』をこの後の『神々の黄昏』と切り離し、ワーグナーの『ジークフリード』単独作品に忠実に、恐れを知らない純粋な若者が邪悪な過去の遺物と闘いながら成長し、炎に包まれたブリュンヒルデを救い出し、愛を確かめ合い、新しい時代を創っていく創造的なドラマとて上演したかったのだと思います。

 


 


フリードリヒ演出の飯守泰次郎の舞台

 2015年から3年間かけて日本におけるワーグナーの第一人者である飯守泰次郎指揮、巨匠ゲッツ・フードリヒ演出で『新国立劇場』で『ニーベルングの指環』4部作という超大作のプロダクション画行われました。私は第2作目の『ワルキューレ』から鑑賞し始めました。


 斬新なキース・ウォーナーの演出を見ていたから余計そう感じたのかもしれませんが、舞台の造形は近代的ですが、原作に極めて忠実なオーソドックスな演出という印象を受けました。


 第1幕は、舞台の上に小さな小屋があり、男3人の対話が延々と続くため、単調な舞台でしたが、ウォーナーのダイナミックな演出に気を取られてストーリーを十分把握してなかったので、初めて『ジークフリート』を観たような感覚であらすじが明確になったのはかえって良かったのではないか思いました。


 第2幕でもアルベリヒ、ミーメ、ジークフリート、ヴォータン ファフナーが大きな舞台で演ずるオーソドックスな演出はさすがに「退屈さ」を感じ始めました。ファフナーは化け猫のようで、漫画チックでもありました。この辺りまでは、クマの着ぐるみでスーパーマンの胸をつたジークフリートは頂けないとしても、ウォーナーの演出と比べると工夫が少なく古い演出という感がぬぐえませんでした。


 しかしその後、鮮やかに彩るカラーの照明により、メルヒェンチックな雰囲気の舞台で、普通は舞台裏などで歌われる森の小鳥が4~5匹でてきて、ジークフリートを森へ誘う場面は、『ジークフリート』という作品のメルヘン性が感じられ新鮮で心地よい舞台でした。小鳥に扮したバレエダンサーが舞台で踊り、歌手たちは木につかまりながら歌うという志向も良かったと思いました。


 3幕冒頭では、舞台全体がせせりあがりエルダが真っ赤な背景から赤く華やかな美しい衣装でa0113718_14072808.jpg登場し、上の段の青一色の舞台ヴォータンと対照的で、秩序と規律を重んずるヴォータンと自分の娘・ブリュンヒルデを信ずるエルダの立場の違いと距離感が視覚的に表現された美しい舞台でした。ヴォータンは、ブリュンヒルデとジークフリートが結び付くことで、神々の世界が滅びていくことを恐れているようでもあり、むしろそれを望んでいるようでもある複雑な心境を見事とに歌い上げていました。ジークフリートに跡目を継がせ勝ったというヴォータンの言葉に、エルダは背を向けて、地中に沈んでいき永遠の眠りに入ります。


 ジークフリートは小鳥に導かれてメルヘン的な雰囲気で登場します。ヴォータンが道に立ちはだかりヴォータンの槍とジークフリートの槍を交えますが槍が打ち砕かれ、ヴォータンのライトモチーフがジークフリートのライトモチーフに駆逐されて、ジークフリートの音楽一色になります。ヴォータンの槍が折られたことは、権力を失ったことを示し、近々の世界の終わりが来ることを意味します。


 炎に包まれた中にブリュンヒルデが鎧にツ包まれて眠っています。ジークフリートはブリュンヒルデの鎧を外すと。絵美しい女性が横たわっています。ジークフリートは身体のヒビレを覚え、初めて恐れを知ります。


 ジークフリートは葛藤を乗り越え、ブリュンヒルデを愛していく決心をします。ジークフリートの愛の告白に対して、ブリュンヒルデは「私は澄んだままでなければならない。あなたも曇らないままでいてほしい。」という熱くしいアリアを歌い、身体を触れることを拒みます。二人の長い愛のやり取りが、長大なオーケストラの演奏に支えられて進行します。ブリュンヒルデも心を開き、美しいブリュンヒルデとジークフリートの愛の2重唱により、二人は結ばれ。勇者投資の愛の賛歌で舞台が閉じます。


 この舞台について『ジークフリート』を指揮した新国立劇場オペラ芸術監督の飯守泰次郎さんは以下のようなコメントを残しています。「恐れを知らぬジークフリートが、過去を破壊して新しい時代を創っていく姿は、私たちに勇気を与えてくれます。長大な愛の二重唱はニーベルングの指環の中でも最も幸せな場面であり、オーケストラの全強奏によるハ長調の最終場面で、喜びは絶頂に達します。ワーグナーの圧倒的な音楽で、この最高潮の瞬間を皆様に体験していただきたいと思います」


 飯守泰次郎さんが、ゲッツ・フードリヒ演出を選んだのは、人間して純粋な勇者ジークフリートが、小鳥に導かれてに包まれたブリュンヒルデのところにたどり着き、口づけして目を覚まさせ、ブリュンヒルデの愛を勝ち取るという『ジークフリート』本来のメルヘン性を表現したかったからではないでしょうか。



世界でも旬なワーグナー歌手を揃えた音楽の魅力

 ジークフリートは、第1幕から第3幕まで演時間6時間に及ぶドラマの中心人物であり、スタミナと幕ごとに違う声で歌う表現力が求められる難役中の難役です。ステファン・グールドは、この役をウィーン、ミュンヘン、バイロイトなどの世界各地で50回以上歌っている世界一流の名歌手で、今回のプロダクションでは『ラインの黄金』では火の神ローゲ、『ワルキューレ』では、ジークムント、『ジークフリート』と『神々の黄昏』を歌うという世界的なワーグナー歌手でも珍しい快挙に挑戦したが、今回のジークフリートの歌唱は高い音も力強く伸び、高い音が鮮やかに表現した歌声は感動的でした。


 第三幕でから登場するブリュンヒルデ役カルダ・メルベートは、神性を失ってしまったことへの不安、ジークフリートの求愛に値しないのではないか悩みなどを激しい調子で歌い感動的に表現していました。ブリュンヒルデの熱唱に負けることなく、ステファン・グールドの歌声も緊張感や声の透明感は途切れることがなく、最後の二人の熱唱の競演はこの大作のクライマックスに相応しい迫力と感動がありました。


 ヴォータン役のグリア・グリムスレイは、良く響く声で力強く量感ある声で、ヴォータンに相a0113718_14124918.jpg応しい神々の長としての風格と威厳のある歌唱で存在感を印象付けました。ミーメのアンドレアス・コンラッドは、美しい声で、明瞭な言葉伝える語り口はこの役ではもったいないような魅力がありましたが、ずる賢くも少し抜けている役柄を実に巧みに演じていました。グールドと同じテノールでしたが、二人の対話では、声の「重さ」と「語り方」の対比をくっきりとメリハリがついて表現していたのはさすがだと思いました。


 最も旬なワーグナー歌手が勢ぞろいしての上演に、守泰次郎監督のワーグナーはオーケストラが十全に鳴り響いて、スケールも大きく、密度の高い演奏でした。オーケストラの音も弦はしなやかに、金管は輝かしく魅力的な響いていました。オーケストラ全体に良く鳴り響いて、表現力も豊かな迫力ある演奏でした。前回の『ラリキューレ』の時もそうでしたが、『ニーベルングの指環』は音楽で聴かせる楽劇として、21世紀の日本で高水準の楽劇を生み出したいという飯守泰次郎さんの強い意志を感ずる充実した関東溢れる演奏でした。


参考文献:

リヒャルト・ワーグナー, 高橋康也 ()

「ジークフリート―ニーベルンゲンの指環31984

新国立劇場公式ホームページ 『ジークフリート』 2017












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by desire_san | 2017-06-13 14:18 | オペラ | Trackback | Comments(22)
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Commented by pfaelzerwein at 2017-06-13 22:07
「ゲッツ・フリードリヒが最後に手掛けたフィンランド国立歌劇場の演出をベースに」 ― 最近のブームですよね。世界各地で古い演出のリヴァイヴァル上演が行われています。

「アリアや対話形式のシンプルなものが多く」 ― 「ジークフリート」において、作曲家が正しく「過去を破壊して新しい時代を創っていく姿」として過去のアリアなどとの決別が最も明白な形ですから、この記述は「ヴァルキューレ」以降の作品にはあてはまりませんね。「フランス音楽に近いような意外な表現」というのもそうした印象主義音楽への影響を与えた表現ということでしょう。それが対話や独白として、枠が嵌めらえた形ではないという音楽表現ということでしょうか。
Commented by desire_san at 2017-06-13 22:50
pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。
飯守さんが、フィンランド国立歌劇場のゲッツ・フリードリヒ演出を新国立劇場の『ニーベルングの指環』に採用したとは、古い演出という非難もありましたが、この演出で『ヴァルキューレ』と『ジークフリート』の舞台を観て、ワーグナーを知り尽くした飯守さんの選択は正しいことを実感しました。この演出が再評価されたのもよく理解できますね。
「ヴァルキューレ」はまさにワーグナー的な音楽で、「トリスタンとイゾルデ」や「パジルハル」に通ずるものがありますが、「ジークフリート」は今回の舞台を観てメルヘン的な要素があり、少し違うような印象を受けました。「ジークフリート」がマスネのようなフランスオペラや印象主義音楽への影響を与えたという意見もあるようです。ワーグナーの楽劇が「過去を破壊して新しい時代を創っていく」のは、「ヴァルキューレ」までというご見解には、共感致しました。ありがとうございます。
Commented by Masayuki_Mori at 2017-06-13 23:09 x
こんばんは。いつもながら難しい課題を丁寧な説明で分りやすく解説されたブログを読ませて頂き、この舞台を生で見たような感銘を受けました。
演出のお話をされていたので、私が今まで見た、「ジークフリーと」の演出で一番すごいと思ったMETのロベール・ルパージュの演出をご紹介します。アメリカのオペラ界の威信をかけたような超ハイテク巨大装置を駆使した未来的な演出でありながら、服装等の設定は極めてワーグナーの原作を忠実に再現していて、本当にすばらしかったです。だた第3幕のブリュンヒルデとの出会いのシーンは、ブリュンヒルデ役のデボラ・ヴォイトが体格が良く性格がきつそうで、あまり共感できませんでした。この場面ではスリムな美女がブリュンヒルデを演じるべきなのでしょうが、ワーグナーの楽劇では、圧倒的な声量と体力が必要なので、無理なのでしょうね。
Commented by desire_san at 2017-06-13 23:16
Moriさん、いつも私のブログを読んでいただいてありがとうございます。

METのロベール・ルパージュの演出をご紹介いただき、ありがとうございます。原作の意図に忠実な優れた演出というと、やはりMETなのでしょうね。METの演出ですから、お金もかかった豪華な演出だったのでしょうね。新国立劇場も頑張っていますが、METのようにお金のかかった演出は難しいので、多少地味になっても、原作の意図に忠実な優れた演出を目指してほしいと思います。今回の「ジークフリーと」はそういう意味では、前提として良い演出だと思いました。
Commented by rollingwest at 2017-06-14 06:29
『ジークフリート』の物語は、若者が周囲の人々や環境の変化に衝突し破壊しながら成長していく過程、大蛇との闘い、スサノオと八岐大蛇伝説とそっくりですね。日本神話はギリシャ神話と類似点があるので非常に興味をそそらされます。
Commented by charis at 2017-06-14 07:27 x
こんにちは。私もトーキョー・リングと比べて、こちらの方がワーグナーの原作の精神に忠実だと感じました。おっしゃる通り、『ジークフリート』にはやや「退屈な」ところがあるのですが、今回はそう感じませんでした。「対話的」「問答的」というのは、その通りですね。その遣り取りにはなかなか深みがあります。『ワルキューレ』に比べると動きは少ないですが、『ジークフリート』は指環の中で重要な位置を占めているのが分かりました。ワーグナーの子がジークフリートという名前であることや、この作品にワーグナー自身が投影されていることなど、このブログで初めて知りました。ありがとうございます。
Commented by gruen at 2017-06-14 21:36 x
こんにちは。すばらしく立派なブログにご案内下さり、どうもありがとうございます。
とても詳しいご執筆で、あちこち、楽しく旅をさせていただきました。
また、時々奥義をご伝授いただきたく、お邪魔いたします。 gruen
Commented by desire_san at 2017-06-15 12:17
rollingwestさん、コメントありがとうございます。
『ジークフリート』の物語は、ドイツの古代神話がもとになっているので、私も気が付きませんでしたが、日本の神話のスサノオと八岐大蛇伝説と原点は同じのようですね。神話としいのは、西洋も日本も共通のはっさうがあるようでね。
Commented by desire_san at 2017-06-15 12:28
charisさん、コメントありがとうご下げいます。
私もトーキョー・リングで『ジークフリート』を鑑賞した時と比べて、別の作品を観ているような新鮮な気持ちで鑑賞することができました。オペラとしては『ワルキューレ』の方が音楽も含めて面白いと思いまましたが、飯守さんのプロダクションを観て、ご指摘のようにワーグナーのリングの中ででは深みがあり、最も重要度の高い作品だと感じました。演出がオペラの本質を左右するほど重要であるという体験ほ初めて感じたことも、良い経験になりました。
Commented by desire_san at 2017-06-15 12:37
gruenさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
どんなすばらしい体験も、一度見ただけで終わってしまっては、いつか忘れてしまいますので、オペラ、バレエ、美術展から海外の旅に至るまで、心に残った感動の体験を、出来るだけ丁寧にブログに残すことにしています。自分のために行っていることですが、gruenさんのような方に読んでいだいて、何かのお役にたてるようでしたら、嬉しい限りです。お時間のある時に、またご訪問いただけるのは大変うれしく、書く方もモチベーションが上がりますね。今後ともよろしくお願いいたします。
Commented by 失われたアウラを求めて at 2017-06-17 10:29 x
こんにちは。ずいぶんと長文の内容で、内容も気合も充実。『リング』が大変お好きなようですね。たしかに、通常のオペラとは比較すれば、演出の「自由度」が大きくて、様々な演出可能性があるので、楽しみも無限大。今回の新国立劇場は、オケも良好でしたので、聴き応えも十分。最後の公演も鑑賞できたらさらに楽しかっただろうとも感じました。
Commented by Dr.Markurquros at 2017-06-17 19:05 x
今回の舞台は、キース・ウォーナーの「トウキョウ・リング」とは大きく異なり、飯守さんの考えで、フリードリヒのの演出が選ばれたと考えられます。日本で最高クラスのワーグナー歌手を東京のオペラハウスで聴けるという意義は大きいと思います。
Commented by Amerria at 2017-06-17 19:23 x
いつもながら丁寧で分りやすい鑑賞記を一気に読ませていただきました。作品への慈しみをこめて指揮する飯守泰次郎に、東京交響楽団が寄り添った好演だったと思います。第1幕、第2幕では、ライトモチーフが丁寧に演奏されて、音楽の意味が手に取るようにわかる演奏でした。一方で、ワーグナーの説明的な袋小路に入っていったことも感じとれましたが、これはワーグナーの長期の作曲中断によるものでしょうか。第2幕の小鳥の声はソプラノ4人が衣装と照明で色っぽく演出されていたのは、「パルジファル」の花の乙女にヒントを得たものと思われますが、賛否はあると思いますが、舞台に花を添えていたと思います。
Commented by めいすい at 2017-06-17 20:24 x
 dezireさんの「ジークフリート」は、内容が豊富で、深い理解に基づき、良く書かれていますね。感心します。
dezireさんも書かれていますが、現在、新国立劇場で進行中のワーグナーの「ニーベルングの指輪」の4部作は、飯守泰次郎さんが音楽総監督になったことによって、盛り上がっていると言っても過言ではありません。事前にピアノで楽曲の解説をホームぺージに載せ、指揮台に立つというのは素晴らしいことですし、音楽は分かりやすく、伸びやかな金管を始めとするオケの音も良く、迫力も十分です。また、世界でも名だたるワーグナー歌手を揃えて、日本でも水準の高い『指環』が聞けるということを実証していると思います。
 私は、新国立劇場で「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、そして今回の「ジークフリート」と鑑賞しました。上演時間が長く、集中力と忍耐を必要としましたが、充実感がありました。
Commented by 池本 at 2017-06-19 11:06 x
貴ブログのワルキューレのご投稿ですが、山形浩生氏が書かれたトーキョーリングについての文章に酷似しています。
(URLを入れるとコメント拒否されましたので省略しますが、山形氏のHPはすぐ見つかると思います)
いろいろと勉強されていることは素晴らしいと思いますが、これは引用に相当すると思いますので、出典を明記されたほうがよろしいかと存じます。
特にワーグナー関連は音楽ファン以外にも多くの方が検索してやってくると思いますので。
以上老婆心ながらコメントさせてただきました。何卒お気を悪くなされませんようお願い申し上げます。
Commented by desire_san at 2017-06-19 12:42
失われたアウラを求めてさん、私の長いレポートを読んでいただいてありがとうございまする
文章が長くなってしまったのは、ワーグナーの『リング』という作品が、調べれば調べるほど鬼門がでてきて、じぶんが納得いくまで調べたり考察していたら、こんなに長くなってしまったという次第です。今回新国立劇場で2度目の「ジークフリート」の舞台を観て、音楽監督や演出家の解釈で、全く違った作品になってしまうことに気が付きました。飯守さんのプロデュースした舞台は、意図が明確に伝わってきて、理解しやしく説得力のある舞台だったと思いました。
Commented by desire_san at 2017-06-19 12:45
Dr.Markurqurosさん、コメントありがとうございます。
私も全く同感です。日本を代表するワークナー指揮者の飯守さんのプロデュースを、最高クラスのワーグナー歌手で楽しめたのが、何よりも分かったように思いました。
Commented by desire_san at 2017-06-19 12:51
Amerriaさん、コメントありがとうございます。
飯守泰次郎さんはの音楽的意図が、東京交響楽団前提に伝わっていて、ご指摘のように非常に分りやすく、気迫のこもった演奏だったと思います。第2幕の小鳥の声はソプラノ4人とバレエダンサーの衣装は、意図は分りますが、もう少し上品な衣装の本が良かったと思いました。
Commented by desire_san at 2017-06-19 13:02
めいすいさん、丁寧なコメントありがとうございます。
飯守泰次郎さんが音楽総監督になったとき、今まで日本ではあまり上演されなかった『パジルハル』を最初に上演し、次はすでに上演されて評価されている『ニーベルングの指輪』4部作を、飯守泰次郎さん自らのプロデュース改めて上演したのは、日本でワーグナーを一番理解しているのは自分だ!]という飯守さんの強い自負を感じ、実際このような見事な舞台を上演見せてもらったのは、大変痛快でした。日本人という枠を超えた世界人、地球人という感覚で仕事ができる芸術家の存在は貴重だと思います。
Commented by desire_san at 2017-06-19 15:07
池本さん、ご指摘を頂いたのはありがたいですが、私全く意識していませんでした。
山形浩生という方も全く知らない人で、トーキョーリングについて記事を書いていることも知りませんでした。そういっても気になりましたので、山形浩生+トーキョーリングで検索したところ、彼の記事を見つけ、一読してみました。
内容は「トーキョーリング」が上演された後に、全くの素人の人も含めて、多くの批判がありましたが、彼の文章もただ批判するだけで、何ら建設的な意見もなく、全くオリジナリティーを感じませんでした。私は他人の芸術を批判する資格があるのは、その芸術を陵駕できる作品をとくれるひとか、建設的なアイデアを提供できる人だけだと思っていますので、批判に終始する文章は読みません。ブログを書く前にこの文章を眼にしていたとしても、少し読んだところで読む価値がないと感じ、全部読まなかったでしょうし、まして引用する価値など全く感じなかったと思います。山形浩生氏の文章を全部細かくチェックしないので、貴兄が「引用」というのはどの部分かわかりませんが、少なくとも私は、彼と違って、キース・ウォーナーの演出をのワーグナーの音楽を演出で盛りあげようとする意図を評価し、「対話オペラ」的な第1幕と第2幕に対しては効果的な演出だったと、高く評価しています。彼自身も認めているように「罵倒罵倒だらけ」の彼の記事と同列に扱われるのは極めて心外と言わざるえません。まして、この程度の内容の文章を引用している思われるのは屈辱ですので、私の本文を観なおし、彼の表現に似た部分があるようでしたら、このような誤解を受けないように、表現を改訂いたします。改訂については少しお時間をいだきたく、お願いいたします。
思いもよらぬご指摘でしたが、池本さんのご指摘は、私が今まで気が付かなかった視点であり、私に注意を喚起していただいたことには、心から感謝いたします。
Commented by Quiq_Qlock at 2017-06-19 15:28 x
私もこの舞台を観ましたが、独自の考察も含めた丁寧なご説明を楽しみながら読ませていただきました。ゲッツ・フリードリヒ演出の舞台は、1972年『タンホイザー』で観ました。演劇的要素が大きく、ヴェーヌスベルクは、美しい官能の楽園ではなく、悪夢が生み出す死と隣り合わせの世界として視覚化さ、エリーザベトは、聖女ではなく、愛を求めて悶え苦しむ生身の女性として描かれ、抑圧的で偽善に満ちた貴族社会の描写など、政治的・社会的要素の強い舞台でした。
今回『ジークフリート』の舞台を観て、そのような政治的・社会的要素がほとんど感じられないのに驚きました。私はゲッツ・フリードリヒ演出には、社会の偽善を暴き出す不穏な性格があるという印象を強く持っています。出来上がった作品を観ないと分りませんが、次の『神々の黄昏』では、ゲッツ・フリードリヒ演出のそのような部分が爆破するのか、飯守泰次郎さんが、そのような性格を音楽的に封じ込めるのか、興味のあるとこです。
Commented by desire_san at 2017-06-19 22:28
Quiq_Qlockさん、コメントありがとうございます。
ゲッツ・フリードリヒ演出の舞台の『タンホイザー』の舞台をご覧になったのですね。
私が新国立劇場で鑑賞した『ワリキューレ』『ジークフリート』の舞台からは想像もつかない減退社会を投影したような演出だったのですね。個人的には、オペラに政治的・社会的要素を求めませんが、そのような方でしたら、私も次の『神々の黄昏』をどのように演出するか楽しみですね。

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