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芸術と自然の美を巡る旅  

世界最大のエゴン・シーレのコレクション / クリムトとエゴン・シーレの違い

レオポルド美術館

Leopold Museum

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 レオポルト美術館は、ウィーンの大規模なカルチャー・ゾーンであるミュージアム・クォーター・ウィーンの中にある複合美術館のひとつです。レオポルド美術館の現代建築は、皇帝家のバロック建築とは対照的で、白い貝殻石灰岩の現代建築は、太陽光線を十分に取り入れる立方体としてデザインされています。貝殻石灰岩で外装された純白の美術館は、4つの階、5400㎡の展示フロアを有しています。





TheLeopold Museum, housed in the Museumsquartier in Vienna, Austria, is home toone of the largest collections of modern Austrian art, featuring artists suchas Egon Schiele, Gustav Klimt, Oskar Kokoschka and Richard Gerstl.It containsthe world's largest Egon Schiele Collection. The core of the collectionconsists of Austrian art of the first half of the 20th century, including keypaintings and drawings by Egon Schiele and Gustav Klimt, showing the gradualtransformation from the Wiener Secession, the Art Nouveau/Jugendstil movementin Austria to Expressionism. The historical context is illustrated by majorAustrian works of art from the 19th and 20th centuries.



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 ミュージアム・クォーターは、ホーフブルク王宮に近いウィーン美術史美術館と自然史美術館に向かって正面奥の大規模なカルチャー・ゾーンです。正面はバロック宮殿のようですが、かつては王宮の厩舎だったところで、中庭部分に10以上のモダンな美術館とキャラリー、ウィーン国際映画祭なども行われるイベントホールが集まっています。この中にある美術館の中で特に大規模なものが、カンディンスキーらバクハウスのアーティストやモンドリアン、ヘンリー・ムーアの作品を所蔵するルードピッヒ財団近代美術館(MOMOK)とレオポルト美術館です。



 レオポルト美術館は、美術愛好家ルドルフとエリサベート・レオポルト夫妻が収集したコレクションを基に2001年に設立され美術館で、ウィーンのユーゲントシュティール、ウィーン工房、表現主義美術の粋を集めた名作の宝庫です。特にオーストリア表現主義の巨匠エゴン・シーレの世界最大のコレクションを有していきます。



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 更に、グスタフ・クリムトの作品も展示されているほか、1920世紀の絵画、グラフィックアート、オブジェも鑑賞できます。その中には国際的なデザイン発展史の中でも独自の重要な位置を占めるユーゲントシュティールやヨーゼフ・ホフマンやコロ・モーザーに代表されるウィーン工房の貴重な工芸品や独創的な家具も数多く見ることができます。





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 レオポルド美術館のパノラマ・ウィンドウからは、マリア・テレジア広場とホーフブルク王宮を含む旧市街のユニークなパノラマを望むことができます。



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エゴン・シーレのコレクション

 レオポルド美術館は、エゴン・シーレの絵画42点、オ素描、彩色作品187点、自筆の文書(手紙その他)などを所蔵しています。美術館の創設者である美術愛好家ルドルフ・レオポルドは1950年代より、表現主義の先駆者とも言うべきエゴン・シーレの卓越した作品に魅了され、大量に収集するようになりました。レオポルド美術館では、28才で早世した天才画家の創作活動全般を鑑賞体験することができます。


 エゴン・シーレはグスタフ・クリムトらのウィーン分離派を初めとして象徴派、表現主義に影響を受けながら、独自の絵画を追求しようとしました。最初シーレはクリムトに強く影響された作品を制作します。しかし二人の作品には根本的な違いがありました。クリムトが官能的な絵画で生を礼賛したのに対して、シーレの作品は死の影に覆われていす。クリムトを尊敬しながら、クリムトを離れて独自の絵画を追求していったのは。シーレはがそれに気が付いていたからかも知れません。


 エゴン・シーレは、強烈な個性を持ち、意図的に捻じ曲げられたポーズの人物画を多数製作し、見る者に直感的な衝撃を与えるという作風に対して本人の意図は語られていませんが、表現主義の先駆者という視点で論じられています。


ほおずきの実のある自画像


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 短い生涯の中で100点あまりの自画像を描いたといわれているシーレ。自身に満ちた表情で鑑賞者を見下ろす目線からは、画家の自尊心と奔放な性格が伝わってくると同時に、大きく見開かれた目は画家自身、さらに鑑賞者の心の内をも鋭く観察しているよう。この作品は恋人を描いた「ヴァリー・ノイツィルの肖像画」対になっています。



ヴァリー・ノイツィルの肖像画


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 この絵が描かれた時期は、少女誘拐容疑で逮捕されたりして不安の中にあったシーレを、ヴァレリーが懸命に支え、二人の絆が深まった頃でした。



 エゴン・シーレ(1890−1918)は、15歳で父親を梅毒で亡くし、伯父のレオポルドに育てられました。 幼少の頃から絵画の才能を発揮していたシーレは、16歳でウィーン工芸アカデミーに入学し、その後ウィーン美術アカデミーへと進学しました。しかし、アカデミーの形式主義を帆嫌い、グスタフ・クリムトに師事しました。クリムトもシーレの才能を認めました。


 シーレは28歳年長の画家クリムトとは師弟というよりは生涯を通じた友人のような関係でしたが、作風は対照的でした。世紀末の妖しい美をたたえた女性像を描き、金色を多用した装飾的な画面を創造したクリムトに対し、シーレの関心は自分の内部へと向かい、多くの自画像を残した。自画像をも含めてシーレの人物像の多くは激しくデフォルメされ、身をよじり、内面の苦悩や欲望をむき出しにしていす。



隠者たち 1912年)



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 前の若い男シーレの背後から抱きつくクリムトの親密さが描かれていますが、シーレの不敵な面構えは、クリムトからの精神的自立をも表わしているとも考えられます。クリムトを父親のように敬愛しながらも、個性の違いは、世紀末という変化の時代の中で、必然的に師から離れなく運命にありました。クリムトの時代は主観主義と客観主義との間に均衡が保たれていましたが、シーレの時代には主観は強く解放を求め、その葛藤する心が、この作品にも鮮明に描かれているように見ることもできます。シーレは「二つの肉体がうごめく陰鬱なこの世の姿」であり「二つのシルエットは、形を取ろうとしても力なくすれ違ってしまう、地面を舞う土煙のような」と語っています。



母と娘 1913年)


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 長い髪を束ね、やせ細った娘が必死にすがりついています。母は正面を向いてはいますが、娘を抱き締めるわけではなく戸惑っているかのようです。「母と娘」というタイトルから浮かぶ暖かい家族の触れ合う瞬間とはかけ離れて、画面一杯にあふれる緊張感を感じます。鮮やかな赤いドレスは母としてではなく女として生きようとする意思表示でしょうか。短い生涯の中で安らぎの場を持てなかった二人の人生がこの絵からも浮かび上来るようです。この二人はこれからどこに行くノでしょうか。



枢機卿と尼僧



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 クリムトの代表作である「接吻」と同じモチーフでシーレが描いています。

暗い画面の中に浮かび上がる2人の聖職者。枢機卿はシーレ自身、尼僧はクリムトの元愛人だといわれています。譲り渡された師の愛人を自身の恋人とする葛藤、シーレの複雑な思いが表現されています。


 創作意欲に駆られたシーレは精力的に自由な創を繰り返しました。人体に関する研究も単に人体構造を作品に反映させるだけでは飽き足らず、タブー視されていた死や性行為、陰部をあからさまに露出した女性像などの大胆な表現など倫理的に問題視されるような描写も怯まず作品に描きました。画風ではゴッホに代表される表現主義の躍動感ある描き方を好みました。



 レオポルト美術館には、膨大な数のエゴン・シーレの作品があり、それをすべて丁寧に見て来たわけではなし、まして重要な作品の感想を書くのは不可能ですので、下図の4つの作品の画像を掲載いたしました。今までご紹介した作品と下図の4つの作品から、エゴン・シーレの絵画のイメージが分かって頂けるのではないかと思います。



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 シーレの「エロス」、「死」、「反抗」をテーマとした絵画にはパワーへの憧憬が感じられます。シーレの枯れ木のようにデフォルメされた裸体や、暗い色調に「苦悩」や「孤独」、「繊細さ」を見いだす人がいるかもしれませんが、シーレのような人間は、そんな一般人の弱さや青臭さとは無縁の世界です。「苦悩」や「孤独」、「繊細さ」のような人間の弱さや青臭さとは無縁です。シーレは作品に「苦悩」や「孤独」描いている訳ではないと思います。


 シーレは、自画像の多い画家として知られナルシストではないかという意見もありますが、自意識の高い男だったことは確かのようです。また自分を死神と重ね合わせたり、自分に女性たちがしがみついた作品を多数作成していいます自分は他人の運命を操る力を持っているか、持ちたいと思っていたようです。


 このような彼の考え方は、映画『エゴン・シーレ死と乙女』でも表現されており、シーレは社会的規範や他者の権利・感情を軽視し、人に対して不誠実で反社会性パーソナリティ障害だったのではなかったのかとさえ思っています。


映画『エゴン・シーレ 死と乙女』 

  文字をクリックすると、鑑賞レポートにリンクします。


 確かなデッサン力に裏付けられたシーレの作品の価値は、20世紀後半になってから国際的に評価されるようになったのでした。




クリムト「死と生」


クリムト「死と生」 1911-1



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 グスタフ・クリムト晩年の代表する作品のひとつ『死と生』。この作品のテーマは、人間の「生」と「死」の対峙・循環です。大人、子供、男、女、若人、老人など人生の様々な段階で描かれる10人もの人々が、忍び寄る「死」に対抗するように、互いに寄り添い、ひとつの塊となることで「生」を護り生き抜く糧と希望としているかのようです。しかし。描かれている赤ちゃんを抱き恍惚とした表情を見せる女性、思いに沈んでいるような表情の男性、悦楽の表情の女性、悲しみにうつ伏している女性の姿で描かれ、「生」の中にも「死」の存在を暗示させています。死神タナトスは、多様な十字架の文様が装飾され、多様な十字架の文様が装飾された「死」衣を身に纏って棍棒を持った不適に笑みを浮かべています。金色を全く使っていないのに、色彩の華やかさと重厚な重量感は、まさにクリムトの世界だと感じました。


作品は。1911年に制作が開始され、ローマ国際美術展で第一等を獲得しました。その時この作品は「接吻」同様、背景に金箔が使われていたそうなのです。現在の作品では背景は灰色に、更に人生の淵を思わせる藍緑色で塗り潰され、右側の群衆も4人追加され、絵画仮面は一層重いものにしています。クリムトはこの大幅に加筆修正に5年の歳月をかけて完成しました。


 クリムトは「生」と「死」に対する意識やその対比をこれまでの作品の中でも度々描き入れてきた。「死」や「消滅」の象徴的、寓意的に表現されタナトスが棍棒を持ったタナトスの姿は、観る者に強い精神的圧迫を強いもので、クリムトもそれに限界を感じていました。さらにマティスらフォービズムの画家たちやアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、そして若きエゴン・シーレなどの台頭により、クリムトのウィーン総合芸術展での成功により得た名声に陰りが見え始め、クリムトは自身が確立した金色を使用した豪華で装飾性豊かな表現様式を捨て、多色的な色彩表現に新たな道を見出しました。多色的な色彩表現に新たな道を見出した、新しいクリムトの世界が開花した傑作と言えるのではないでしょうか。



クリムト「乙女たち」 1913年  プラハ国立美術館



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 クリムトが、「死と生」の大幅な修正をしている過程で、1913年「乙女たち」という金色を全く使わない力強い作品を描いています。プラハ国立美術館で偶然目にすることのできたこの作品に表現されているのは、恍惚感や、安らぎ、まどろみ、といった表情で、死が隣り合わせにあるようなエロティシズムでした。今から思い起こせば、クリムトの「死と生」の美学は、もうこの時にクリムトの頭の中で完成したいてのかもしれません。


クリムトとゴン・シーレの傑作は、下記で見ることができます。


オーストリア・ギャラリー

ウィーン・ミュージアム

  文字をクリックするとレポートにリンクします。




参考文献: 

レオポルド美術館・オフィシャルサイト

ヴォルフガング・ゲオルグフィッシャー ()「エゴン・シーレ」– 2001

新人物往来社 (


  



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by desire_san | 2017-07-09 15:26 | ウィーン美術の旅 | Comments(7)
Commented by Haroemoryus at 2017-07-10 06:29 x
こんにちは、興味深く拝読させていただきました。エゴン・シーレの魅力は 彼の描く骨と皮にあるような気がします。胴体に適切に配置された、首や手足。肉質や体液が重力によって引っ張られるのを包み込む皮膚。これらは はずすことなく描かれているので、素描のようなタッチの絵でも、実にリアルな感じを受けるのではないでしょう。性的で刺激的なポーズにはエゴン・シーレの計算が入っているような気がします。「欲望におぼれた頽廃的な生活臭」を演出しているように思えるのです。エゴン・シーレ以降の彼に影響を受けた絵をいくつも見てしまっているからかもしれませんが。でも、「麻薬のような魅力」とは良く言い当てていると思います。
Commented by Amerinoseoria at 2017-07-10 12:30 x
エゴン・シーレの芸術に対する的を得た論評、大変参考になりました。シーレの絵が魅力的な要素の一つに、男をさそうような女性の挑発的な視線、男女の関係を赤裸々な表現があると思います。自己顕示欲が強く、自分しか見えず、、、ナルシズムと女性に対する強烈な思いが根底にあるのかもしれませんね。ナルシズムはエコーとナシサスのギリシャ神話からきていてどちらも似たもの同士のようです。シーレも彼の恋人たちもナルシストで、思うがままに女性も飛んでいたのでしょう、ユトリロの母バラドンのように、自分の好きなように、生きるのが当たり前と思っていたのではないかと思います。
Commented by Banira_mile at 2017-07-10 15:02 x
エゴン・シーレについてのれべーと拝読させていただきました。クリムトのの絵画は主観主義と客観主義との間に均衡がしていたように思われます、シーレは主観の解放を強く求めたため、葛藤する心が絵画ににも鮮明に表作品が多いように感じます。 シーレは肉体がうごめく陰鬱な姿を描こうと下の科かもしれませんね。
Commented by desire_san at 2017-07-12 11:14
Haroemoryusさん、コメントありがとうございます。
エゴン・シーレの絵画が、欲望におぼれた頽廃的な生活臭を演出しているという見方は、私は考えたこともありませんでした。エゴン・シーレの絵画は計算や演出には無縁と思っていましたが、確かに芸術表現には、何らかの演出があるのかもしれませんね。
Commented by desire_san at 2017-07-12 11:18
Amerinoseoriaさん、コメントありがとうございます。
エゴン・シーレの絵画には、ナルシズムと男をさそうような挑発的な視線女性に対する強烈な思いがを感ずるというご感想、私も共感致しました。エゴン・シーレも自分の好きなように生きるのが当たり前と思っている人種なのでしょうね。
Commented by desire_san at 2017-07-12 11:21
Banira_mileさん コメントありがとうございます。
クリムトのは主観主義と客観主義との間に均衡を考慮していたのに対して、シーレの絵画は、徹底した主観の解放だという見方は、理解致します。これが二人の根本的な違いなのかもしれませんね。
Commented by Keiko_kInoshitq at 2019-10-27 13:48 x
日本美術史でも孤高の画家。岸田劉生はエゴン・シーレに共感していたようです。岸田劉生は、求める深い美を『内なる美』と呼び、この現実の世界を善くし美しくしようとするすべての人間の心のなかに宿るものだと考えていたようです。これを感得し、目に見える『外なる美』すなわち美術として実現するつとめを果たすものが美術家だと思います。自然の事物に似せること、その質感を描写することに本能的な歓びを感じていたようです。しかし、彼はリアリズムに難しい徹して、『内なる美』を自然の事物に即した写実の道によって追求しようとしました。

by desire_san