ハプスブルク歴代皇帝が収集した至宝 / 西欧の3大美術館
KunsthistorischesMuseum Wien
ウィーン美術史美術館は、王宮広場ブルグ門からリンクを挟んで自然史博物館と左右対称に建っています。美術史美術館は、19世紀後半に建てられた装飾的建物で、中央のマリア・テレジア広場にはマリア・テレジア像が立っており、帝の像を4人の騎士が守っています
ウィーン美術史美術館のコレクションの起源はマクシミリアン1世にさかのぼり、以降、歴代君主の収集品が追加されました。美術館の兼摂はフランツ・ヨーゼフ1世の命により1872年から始まり、ゴットフリート・ゼンパー、カール・ハーゼナウアと引き継がれ、1881年に完成しました。様式はネオ・ルネサンス様式。建物は主に3フロアから構成され、中間階(1階)に絵画が展示されています。1階の下に位置する0.5階では古代エジプト・古代ギリシア・古代ローマの彫刻等が展示され、上に位置する2階では貨幣コレクションが展示され、博物館としての側面を持ち合わせています。展示室の数は50近くあり、美術館入り口の柱頭は0.5階からドーリア式、イオニア式、コリント式と並びんでいます。
古典絵画の殿堂・ウィーン美術史美術館のエントランスのホールの壁画は、若き日のクリムトが請け負った内装の仕事でした。 クリムトが生誕150周年の日に、美術史美術館はこの壁画の前に臨時の橋を架け間近で壁画を観ることが出来ました。
ウィーン美術史美術館は、その風格とコレクションの質と量は、パリのルーヴル美術館、マドリードのプラド美術館と並ぶ西欧の3大美術館のひとつとして世界に知られています。中間階に展示されている絵画コレクションの核は、オーストリア、ドイツ、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダの各地ハプスブルク家の領土において生み出された作品です。初期フランドル絵画はヤン・ファン・アイクには始まり多くの俊才が活躍しました。ウィーン美術史美術館でも初期フランドル絵画の秀作を数多く見ることができました。
ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス
『聖ヨハネ騎士団のための祭壇画』1484年頃
この作品はハールレムの聖ヨハネ会修道院の祭壇室のために制作された三連祭壇画の右翼部分で、表面にキリストの哀悼の場面が描かれています。ヘールトヘン・トット・シント・ヤンスは、15世紀後半にハールレムなど様々な都市で活躍した画家で、大画家ヤン・ファン・エイクの死後、その工房を受け継いだペトルス・クリストゥスなどからの影響を受けました。
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン『キリストの磔刑』
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン最高傑作は、プラド美術館の『十字架降架』ですが、三連祭壇画に描かれた人物像でも、彼の非常に高い観察力と豊麗で温かみのある色使いで、モデルの表情などの長所を優雅に理想化して、感情豊かな人物像を哀愁感感じさせるように描いています。
ハンス・メムリンク
『聖ヤコブと聖ドミニコの間にいる聖母マリアとその子』1485年
細部の精密描写は北方絵画全般に見られる特色ですが、メムリンクの絵画画面は優美で色彩豊かな表現に華やかさもありますが、全体の雰囲気は静寂感に満ちていいます。
ドイツ絵画のセッションでは、アルブレヒト・デューラーの『若いヴェネツィア女性の肖像』」色彩の明るさとリアリズムのバランスがとれた清楚な作品でした。これも16世期初頭の作品です。 『皇帝マクシミリアン1世』 の肖像画も天使されていました。
ヴィヴァリーニ 「聖ヒエロニムスの祭壇」 1441年
ヴィヴァリーニはヴェネツィアムラーノで生まれ、マンテーニャやドナテッロと接触し、空間の把握を学んだとされ、ゴシック様式の伝統をベースにした宗教画家です。ヴェネツィアのシュテファノ聖堂のために1441年に描かれたもので、上下3枚ずつシャ正教で見られるイコン画的要素で、金箔が背景に使われ、空間が全く感じられません。ゴシック様式とルネッサンス様式の中間に位置するヴィヴァリーニのこの祭壇画は、二つの様式が併用され、時代様式の移り変わりが見られます。
デューラー『聖三位一体の礼賛』 1511年
ラファエロ『草原の聖母』 1506年
ファエロの傑作群の中でも「聖母子」は、生前から現在に至まで最も人気の高い主題でした。背景のなだらかな丘陵の田園風景は、ファエロの故郷ウンブリアの風景で、遥か遠くに緑から青に変化する色調や空に浮かぶ雲、聖母や幼な児のキリストと聖ヨハネの肌の色、そして聖母の衣装の赤と青など、熟成した極致のような美しさです。聖母の頭部を頂点とし、青い衣装から聖母の右足先と聖ヨハネの右足先を底辺とする三角形の安定感のある構図ですが、「草原の聖母」には独特の気品があり、ウィーンという町の雰囲気と呼応しているようも感じられます。やや伏し目で口元にかすかな微笑みを漂わせている聖母マリアの美しい顔に不思議な悲しみの様なものを感じさせるのは、息子イエスの受難を予見していることを示しているのかもしれません。しかし、聖母子のいるこの瞬間は、静かな幸福感に包まれているように感じます。この絶妙に幸せな空気感は心地よく、時の経つのも忘れて見入ってしまいます。
イタリア絵画は6部屋に展示されており、ルネサンス期のヴェネツィア派の画家・ロレンツォ・ロットとジョルジョーネの作品が心に残りました。ボッティチェリの「聖母子」も展示されていました。
ロレンツォ・ロット『聖母子と聖カタリナ、聖トマス』 1527
何度か来日していて、馴染み深い作品です。美しい青い衣装をまとった聖母マリアが華やかで美しくみずみずしい作品です。内面へ迫るような心理描写も感じられました。
ジョルジョーネの「矢を持った少年」 1505年ごろ
33歳という若さで夭折したジョルジョーネは、ティツィアーノや17世紀の画家たちに大きな影響を与えた偉大な画家ですが、確実にジョルジョーネの絵画であると見なされている作品はわずかに6点しか現存していなません。その一つであるこの作品は、小品ながらジョルジョーネの繊細な表現力にこの画家の偉大な才能を感じます。少年の持っている矢は人の心を射抜く力があるかのようです。
他にティツィアーノの「聖母子と聖パウロ」『ヴィオランテ』やティントレット『スザンナの水浴』などヴェネツィア派の秀作が展示されていました。しかし、イタリアの中で最も心に残ったのは、北イタリア・パルマの画家、コレッジオの作品でした。
コレッジオ『ユピテルとイオ』 531年頃
かぐわしい空気を感じさせる川辺に、美しい裸婦の姿があります。その表情は愛の恍惚の中にあるように思われます。裸婦の顔の向こうに灰色の野茂のようなものがあり、男の顔がおぼろげに浮かび上がっています。裸婦の背にかかる雲の中に手の形があります。この絵はユピテルが雲の姿になって、ニンフのイオを抱きしめている場面を表しています。
コレッジョはパルマで活躍した画家で。マンテーニャの厳格な画風の影響を受けた、柔らかで微妙な明暗の効果と豊麗な色彩,独自の抒情性を特色とするがかです。この作品では、ユピテルの寵愛を一身に受けるイオの刺激的なエロティシズムを、類稀な構想と円熟味を増したコレッジョの表現力によって、唯一無二の傑作がとなりました。
コルレッジオ『ガニュメデスの誘拐』 1531年頃
『ガニュメデス』は、コレッジョの神話画連作「ユピテルの愛の物語」の中のひとつ『イオ』の対画的な作品です。縦長の構図を活かし、天上へと飛び立つユピテルと、それに掴まる美少年ガニュメデスの躍動感や衣服の揺らめきが、情緒豊かな背景と鮮やかに重なり、絶妙な効果を出しています。
アルチンボルド 『水』 1566年
ミケランジェロがルネサンス芸術の頂点を極めた後、ほとんどの画家が独創性を失い、ミケランジェロの模倣や均整のとれた権威ある古典主義にも自らの主張を表現するため、ゆがめたりねじったりするなどいわゆる「マニエリスム」に陥っていきました。「マニエリスム」はある意味で凋落、デカダンスの時代といえます。アルチンボルドは「自然」や「人工物」の模倣者になることで、それらを組み合わせた奇怪な絵で退屈した王を楽しませました。アルチンボルドには前衛芸術を眼さ相などという志はなかったと思います、しかし、偶然か意図的かは分りませんが、驚嘆に値するほど内面を鮮烈に写した肖像画も描いています。
ウィーン美術史美術館のアルチンボルド『水』という作品に理屈をつけるなら、下記のような表現になるのでしょうか。
世界を構成する四つの要素を《空気》《火》《土》《水》と考えて、連作を描きました。『水』では62種の魚類や海獣などの水に関連する生き物が、大きさを無視して描きこまれ、そこには不気味にリアルな顔が浮かび上がってきます。『水』ではウニのような生物のとげによって王冠が表わされていて、この人物に皇帝が重ね合わされていることが分かる。『水』は冷たく湿っていいて、『冬』と一対になっているそうです。(アルチンボルド展、公式サイトから引用)
カラヴァッジョ『ロザリオの聖母』 1606-1607年頃
『ロザリオの聖母』は、ドメニコ修道会聖堂のために制作された作品で、この修道会の代表的な聖母子像される「ロザリオの聖母」を描いています。 伝統的な画像配置ですが、大きな赤布による画面の引き締めや、聖母子を中心に左右のドメニコ会修道士で構成される巨大な三角形の構図はカラヴァッジョの個性が強く感じられ、伝統に反する新たな祭壇画像統に反する新たな祭壇画像の誕生は、カラヴァッジョの類稀なる才能を感じさせます。
カラヴァッジオ 『ゴリアテの首をもつダヴィデ』 (1606-1607頃)
カラヴァッジョらしい作品ですが、ゴリアテの首に自分の顔を写し、小さなカラヴァッジョを意味するカラヴァッジーノを投影したとされ、極端な自己嫌悪を示していると言われています。カラヴァッジオは残虐な場面もよく描いていますが、その時内面的葛藤があったのでしょうか。
ルーベンス『聖イルデフォンソ祭壇画』 1630-32年
7世紀トレドの大司教でスペイン最初のベネディト会修道士のひとりである「聖イルデフォンソ」の生涯と奇蹟を主題とした作品で、ルーベンスの祭壇画の代表作です。フランドル伝統の三連祭壇画の形式にて制作されています。情熱的な聖母崇拝者であった聖イルデフォンソは聖母の処女性を否定した3人の異教徒に対し、見事論破した功績によって、幻想の中で聖母の被る絹頭巾の端を切り取ることを許されたという逸話を華で華麗な運動性と豊かな色彩によってダイナミックに表現しています。左右両翼には、この聖母出現の奇蹟を目撃するルーヴェンの聖アルベルトゥス、ハンガリーの聖エリサベトが描かれています。
ルーベンス『聖フランシスコ・ザビエルの奇蹟』 1617-1618年
アントウェルペンのイエズス会の依頼により、イエズス会の創始者イグナティウス・デ・ロヨラの片腕であり、父なる神に自身の実を捧げた最初のイエズス会士のひとりで、東アジアを中心にキリスト教を伝道した日本でも馴染み深い宣教師・聖フランシスコ・ザビエルの伝記にある様々な奇跡的な出来事を描いた作品です。物の質感に富んだ肉体表現や運動性、奇蹟を目撃し驚愕する民衆の劇的な場面描写などルーベンスの優れた表現力が魅力で、ルーベンス1610年代を代表する大作のひとつといえます。
ルーベンス『エレーヌ・フールマン』 1631年頃
ルーベンス『ヴィーナスの饗宴』 1630年代後半
三世紀に制作された書物フィロストラトスによる「イマギネス≫の中の、ニンフが建設したヴィーナス像の周りで、林檎を取りながら戯れるキューピッドを典拠とし描いたティツィアーノ作品を、ルーベンスは自由な描写による模写で一度描き。古代ローマの毎年4月におこなわれるローマの女たちによる祭事「心を変えるヴィーナスの祭り」の描写を加えて、より豊かで愛と豊穣に満ちた作品に仕上げました。ルーベンスの古典と神話への深い造詣が示される代表的作であり、晩年期のルーベンスの精神性が示された作品と言えます。
各部分にはウェヌス・ウェルティコルディア祭で登場する人妻、花嫁、娼婦が、それぞれ中央のヴィーナス像を清める女性と像の前で香を焚く女性、右端から人形(処女性を示す)を捧げに訪れた女性、ヴィーナス像に最も近寄り、鏡を捧げようとする女性として描かれている。また≪イマギネス≫の林檎は様々な果実に変更されより豊穣を表現し、おそらくルーベンスの妻エレーヌ・フールマンをモデルに描かれた左端のニンフを始めとする大勢のニンフやサテュロスの舞踏は、愛と美の戯れのようにを感じました。
ルーベンスは新しいことに挑戦いする熱情を持って、まさにバロックを象徴するような、激動的な精神の作品も描いています。その形態は強烈で、やや粗放ですが独創的で強荘なデッサンが迫力ある作品を描いています。肉体はふくらみがあり、濃厚な熱気をこめて響きあっています。色の輝きは重視され、色彩はまばゆく輝き、輪郭に柔らかさが出ていくます。ルーベンス独特の若々しさ、揺るがぬ自信があふれ、激しさが爆発的に表面化する同時に抑制力により見事に内に蓄えられ、弱まらずに持続している表現に成功しています。そこには心の動揺があり、大胆不敵ともいえる何か新しいものを感じさせます。単に美しいというのではなく、グロテスクな醜さと美しさがせめぎ合う緊迫した世界となっています。ルーベンスのこの作品は解放的で大胆です。ルーベンスの作品にはグロテスクな醜さと美しさがせめぎあい。邪悪の醜とそこに潜んでする美のせめぎあいの緊迫感に刺激されて美しいと感ずるものもあります。
ウィーン美術史美術館は、フェルメールの代表作の一つ『絵画芸術』(1667)もありました。文字をクリックすると説明のあるサイトにリンクします。
ウィーン美術史美術館には2回ほど行きましたが、ウィーン美術史美術館に初期のフランドル絵画の傑作こんなにあるとは気が付きませんでした。15世紀のヨーロッパでは、芸術家に作品制作を依頼するときには、その芸術家が主宰する工房に依頼していたそうです。当地の芸術家ギルドに所属していて、限られた芸術家のみがマスター、独り立ちした画家ち認められていたようです。ギルドで優遇されていたのは板絵画家で、その次が布地画家だったそうです。ファン・デル・ウェイデンの『十字架降架』の依頼主がルーヴェンの弓射手ギルドだったことから、弓射手を模った「T字」でキリストの姿形が描かれています。工房はヤン・ファン・エイククラスの画家になると、過去に成功した作品の複製画を工房に制作させることだけでも生活は成り立ち、画家自身はまったく新しい作風、構成の絵画作品の追求に専念でき、大規模な工房を中心とした絵画制作では、画家は下絵や略図を描くだけで以降の制作工程はすべて工房の弟子たちによる作業となることも珍しくなかったそうです。その結果として、構成は一流だが仕上げが二流以下という絵画も現存しており、「画家○○の工房の作品」あるものは、こんな作品がほとんどのようです。日本で開かれれる美術展では「画家○○の工房の作品」は良くみられますが、画家本人が描いた作品は、ウィーン美術史美術館に行かないと見れないようですね。
第一世代の初期フランドル派の画家たちは、宗教的象徴を作品にいかに自、「天界からの言葉を告げようと細心の注意を払って描かれていますね。ヤン・ファン・エイクの宗教画には寓意や象徴をの事物に姿を変えた天界の住人が常に描かれていると言われています。ヤン・ファン・エイクは精神世界と物質世界の共存を絵画に描き出そうとしたようで、背景の細部に小さく控えめに表現され、寓意や象徴物は画面に溶け込みが絵画作品と寓意の調和、世俗と聖性の融合、実在と象徴の結合」を絵画世界に表現しようとしていたと考えています。ご紹介いただいた作品もそのような視点で見ると分りやすい作品もありますね。
工房やギルドの貴重なお話しありがとうございました、
工房の作品は、画家の作品と比べて何かがたりないとかんじていましたが、「画家○○の作品」と「画家○○の工房の作品」との違いがよくわかりました。
ありがとうございます。
ファン・エイクは、世俗と聖性の融合、実在と象徴の結合を目指していたと言考え方は、初めて知りました。 私には天界という発想が分りませんので、感覚的には理解できませんが、当時としては、一歩進んだ考え方なのでしょうね。
初期フランドル派の芸術家たちによって、自然主義的表現と、美術作品とその観覧者に一体感を持たせるような仮想画面空間の構築手法 、複雑な寓意を持たせる技法が飛躍的な進歩をとげ他というご見解、大変共感するとともに、勉強になりました。ありがとうございます。