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後期ルネサンスの巨匠パッラーディオが建設した美しい理想都市

ヴィチェンツァ

Vicenza


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 ヴィチェンツァは、イタリア共和国ヴェネト州にある人口約11万人の都市(コムーネ)でです。ヴィチェンツァは、ルネサンス期の優れた建築家アンドレーア・パッラーディオが手がけた美しい町並みで知られ、「パッラーディオの街」と称されています。その市街は、ユネスコの世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ」の一部として登録されていますが、1996年には拡張され、16世紀に活躍した建築家アンドレーア・パッラーディオの設計したパラッツォおよびヴィッラを対象とする建築物が追加されました。





Vicenzaand Palladio: an inseparable pair, because the former doesn't exist without thelatter, and the latter, although he worked in other provinces too, left thebiggest concentration of his wonderful masterpieces in this territory. Today Vicenzais, in fact, one of Italy's cities with the highest number of monumentalcomplexes compared to its extension. This makes it a real unexpected jewel tothose visitors who take a walk in the old town centre.




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 ヴィチェンツァは、紀元前2世紀から紀元前1世紀に建設されたローマの都市ウィケティアが起源となっており、他のイタリアの都市と同様、13世紀にはコムーネを組織し近隣の都市国家と闘争を繰り広げたが、15世紀にヴェネツィア共和国の統治下におかれたことで、平和と経済的繁栄がもたらされ、卓越した芸術活動が生み出されました。



 ヴィチェンツァは、ルネサンス期の人物であるアンドレーア パッラーディオの街として最もよく知られています。今日、世界遺産に登録されているこの地域は、建築家アンドレーア・パッラーディオと彼の弟子ヴィンチェンa0113718_16024501.jpgツォ・スカモッツィの手によるものです。パッラーディオはイタリアの偉大な建築家のひとりで、ヴィチェンツァに 20 以上の建築物を建てました。バシリカ パッラーディアーナ、パラッツォ キエリカーティ、そして、最後の作品で、最高傑作ともいわれるテアトロ オリンピコなど、数多くの屋敷や別荘があるヴィチェンツァ市街は、ユネスコの世界遺産として指定されています。 パッラーディオはルネサンス期で最初の職業建築家であり、設計した建築物や著作に由来するスタイルは、後にパッラーディオ主義と呼ばれ、ヴェネツィア共和国をはじめ、ドイツ、ロシア、そしてイギリス、1760年代以後にはアメリカ合衆国にまで広がりました。一個人の名を冠する建築様式は他に例がなく、パッラーディオがいかに独創性豊かで一貫したスタイルを保ち続けた建築家であるかを示しています。




Agreat part of the architectural works by Palladio was created in the Vicenzaterritory, starting from 1540. The architect worked without distinction bothfor private and public clients, thus helping to profoundly change the city'saspect. The famous French art historian Courajod called Vicenza "aplace blessed by heaven, one of those nests prepared by nature for the birth ofItalian art, which, at the beginning of the Renaissance, didn't fail toflourish. But perhaps it is Goethe's words in his"Italian Journey" which express the value, the importance and thefascination of Palladio's artwork best: "I arrivedbut a few hours ago, but I already took a glance at the town, and I saw theTeatro Olimpico and Palladio's buildings... It is only with these monumentsbefore our eyes that we can comprehend their great value. With their bulk andtheir impressiveness they must, so to say, fill our eyes, whereas the beautifulharmony of their dimensions, not only in the abstract design, but in the wholeof their perspective, both what protrudes and what recedes, pleases the spirit.And this is really, in my opinion, the case of Palladio: an extraordinary man,both for what he felt within and for what he could express without."






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 古代遺跡に関する知識と、ドナト・ブラマンテやヤーコポ・サンソヴィーノ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ジュリオ・ロマーノ、及びヴェネツィアのビザンティン建築からの影響を受けたパッラーディオのスタイルは、マニエリスム的な要素もあったため、後の新古典主義の理論家・建築家らは純粋でないと評価しました。しかし、ゲーテなどは、イタリア紀行の途中でヴィチェンツァの町並みに触れ、パッラーディオの才能を高く評価していいます。




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 パッラーディオは公共建築や宗教建築の設計も行いましたが、終始一貫して取り組んだ建築がヴィッラでした。これを鑑みて1994年、ヴェネト地方に点在するパッラーディオ設計のヴィッラが世界遺産として登録されました。




パラッツォ・キエリカーティ


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 パラッツォ・キエリカーティは、ヴィチェンツァにあるルネサンス時代に建てられた市立絵画館の建物でキエリカーティ宮とも呼ばれています。マテオッティ広場に面する17世紀末に完成したこの建物は、当時の姿を現在に残しています。ラッツォ・キエリカーティも、アンドレーア・パッラーディオの設計によるもので、ジェローラモ・キエリカーティ伯爵の邸宅として、竣工したしました。 美術館となる建物を探していた市当局は、この建物をキエリカーティ家から買収し改修した上で美術館を開館しました。






オリンピコ劇場

 イタリアのヴィチェンツァにあるオリンピコ劇場は、ルネサンス期の建築家アンドレーア・パッラーディオの設計により、代ローマの野外劇場を模して、屋内施設として1580年から1585年に建てられました。


 オリンピコ劇場は13世紀に建てられた城の中庭に造られており、1555年、芸術家や街の有力者が文化活動の拠点としてアカデミア・オリンピカを創設し、アンドレーア・パッラーディオが古代ローマの劇場を模した恒久建築を提案ました。アンドレーア・パッラーディオはその数カ月後に死去した後は、計監理は息子のシッラの手を経て建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィに引き継がれました。




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 劇場の形式は古代ローマ劇場のリヴァイヴァル形式ですが、客席には区画分けが無く、客席は半円形ではなく楕円形に配置されていいます。舞台背景のスカエナエ・フロンスは、凱旋門風の列柱と彫像をはめ込んだ壁で構成され、凱旋門の背後には古代ギリシアのテーバイの街路を再現した風景が木製で造られていいます。このテーバイの風景や空の雲は遠近法を用いて客席から立体的に見えるように構成されています。オリンピコ劇場は世界で初めての屋内劇場といえます。




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バシリカ・パッラディアーナ

 バシリカ・パッラディアーナは、ヴィチェンツァにある公会堂(バシリカ)で、街の中心のシニョーリ広場に面し、ルネサンス期の著名な建築家アンドレーア・パッラーディオが生み出した『パラディアーナ』と呼ばれるアーチと柱を組み合わせた開口部を持つ開廊が初めて設けられたことで有名な建物です。





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 15世紀に建てられたゴシック様式の公共施設であったラジョーネ宮が基となっていますが、既存の建物の外壁に、白大理石で造られたアーチ両脇に柱梁の小間を配するパラディアーナ形式の開廊)を設、建物を改築する提案を行なって、市当局の改築計画に採用されました。改築された建物は、古代ローマの公会堂バシリカと建築家パッラディアーナの名を取りバシリカ・パッラディアーナと呼ばれるようになりました。 建物の上層階は柱のない大空間のホールとなっていています。船底を逆にしたような形をしている銅ふき屋根は、パドヴァのラジョーネ宮から着想を得たと言われていています。 





パラッツォ・デル・カピタニアート

 キャピタニャートの宮殿は、カピタニオまたはキャプテンロッジア・ベルナルダのロッジアとし、アンドレア・パラディオに1565年に設計されました。ヴィチェンツァのシニョーリ広場に面しています。ベネチアキャプテンジョヴァンニ・バッティスタ・ベルナルド、後にロッジアベルナルダと呼ばれ、ヴェネツィア共和国の軍事代表の公邸であり、今日市議会の建物となっています。





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 パラディオが念頭に置いた水平方向の拡張に比例して、充分な高さを要し、地上階には大規模なロッジアが開き、複雑な金庫システムがあります。レセプションホールがあり、今日は、市議会の会議に使用されています。ファサードは、巨大なコリント式柱頭で、イストリア大理石の見事な装飾を施しています。






シニョーリ広場


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 シニョーリ広場は、ヴィチェンツァ旧市街中心部の広場で、かつて古代ローマ時代にフォルムがあった場所であり、ヴィチェンツァの街の中心広場になってます。広場は長方形で、広場の南東側に面して、17世紀に完成した公会堂のバシリカ・パッラディアーナや12世紀から15世紀にかけて建てられた高さ82mの時計塔であるビサーラ塔が建っています。広場の北西側に面してヴェネツィア共和国の総督官邸として使われたパラッツォ・デル・カピタニアートやサン・ヴィンチェンツォ教会などが建っています。広場の北東端には、ヴェネツィア共和国のシンボルであるサンマルコの有翼の獅子像と、守護聖人テオドシウス像を頂いた円柱が2本立っています。この広場は、市庁舎やヴェネツィア共和国総督官邸があったことからシニョーリ広場と名付けられました。 ム




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歴史

 この土地に最初に定住したのはエウガネイの人々であり、ついで紀元前3世紀~紀元前4世紀頃にガリアから来たウェネティの人々によって征服されました。紀元前157年、古代ローマはガリア人からこの町を奪い、「勝利」を意味するヴィチェティア(Vicetia)あるいはヴィチェンティア(Vincentia)と名付け、ムニキピウム(自治都市)ととなり、町の住民はローマの市民権を得ました。メディオラヌム(現在のミラノ)とアクイレイアを結ぶポストゥミア街道の宿場町、パタウィウム(現:パドヴァ)に次いで重要な町でした。


 紀元前1世紀後半から1世紀前半にかけて造られた古代ローマ時代の町は、現在市庁舎となっているパラッツォ・トリッシーノからシニョーリ広場付近にありました。 街の中心線をなす道路のデクマヌス・マクシムスは現在のパッラーディオ通りに一致し、カルド・マクシムスは現在のアントニオ・フォガッツァーロ通りとコントラ・パシーニ通りに一致していたと考えられています。 かつては水道橋が、ヴィチェンツァの北から南下し、カルド・マクシムス(現 アントニオ・フォガッツァーロ通り)に沿って市街地に達していたと考えられています。現在レトロネ川を渡るサン・パオロ橋が架かっている場所には、古代ローマ時代にも橋が架かっており、レトロネ川の南のボルゴ・ベルガ地区には紀元前1世紀後半に建てられたベルガ劇場(ローマ劇場)が存在した。また、バッキリオーネ川に架かる現在のアンジェリ橋の場所にも、古代ローマ時代には橋が造られていました。





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 西ローマ帝国の崩壊後はさまざまな民族の支配を受けた。489年に東ゴート王国の支配下に入り、ついでランゴバルト人、フランク王国の主要都市の一つとなりました。6世紀にはベネディクト会の修道院建築が多く建てられました。


 中世にはージェリ家の支配に耐えも1404年から1797年まではヴェネツィア共和国の支配下で4世紀間の平和が保証され、芸術は卓越した水準に発展し、経済も繁栄しました。 16世紀は偉大な建築の世紀であり、後期ルネサンスのアンドレーア・パッラーディオはヴィチェンツァと世界中に貴重な独特の建築遺産を遺しました。 19世紀には、ナポレオンが倒れ、街はオーストリア・ハンガリー帝国下で、次いでロンバルド=ヴェネト王国の一部として、1866年にはイタリア王国に併合となりました。 第一次世界大戦では大規模な戦闘が県内で行われ、第二次世界大戦でも同盟軍の爆撃によるひどい打撃を受けました。 1950年に始まった経済と工業の発展で、イタリアで最も裕福な街の一つとなった




参考文献

Vicenza 観光局オフィシャルサイト

地球の歩き方「イタリア」






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by desire_san | 2017-11-04 06:38 | イタリア | Trackback | Comments(3)
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Commented by Amerinoseoria at 2017-11-06 21:57 x
一昨年にヴィチェンツァ及び その周辺に残るパラディオ建築を見て廻りました
ヴィチェンツァ県は北イタリアで最も産業の発達した県の 一つで輸出額も国内三位、金の加工技術が盛んで年間200トンの 金を加工する裕福な県でありヴィチェンツァはその県都です
パラディオはヴィチェンツァ市内とその周辺に膨大な数の建築物を 残しています
彼の設計した建物は大きく分けると、三つに分類できます
一つはパラッツィオと呼ばれる館、これはヴィチェンツァ市内に 多く残り、現在では官公庁の施設かミージュアムもしくは 集合住宅として再生されている施設群、二つ目はヴィッラと呼ばれる 郊外に多く建設された別荘群、三つ目がベネツィアに残る宗教施設群でした。
Commented by Dr.Markurquros at 2017-11-06 22:01 x
パラディオは、ヴェネツィアでも活躍していますが、ヴェネツィアでの活動は晩年になってからであり、 このサン・ジョロジョ・マッジョーレ教会も彼の死後完成しています。パラディはすでに自身の作風に自信を深めていた筈で、この教会の ファサードもサンマルコ広場に対峙するように気品と 優雅さを漂わせながら自信ありげに建っています。白亜のファサードと鐘楼、鉛で覆われたドームからなるこの 教会のシルエットがヴェネツィア本島の価値をいっそう 引き立てていることは間違いありません
ジュデッカ島にはパラディオが設計した二つの教会、 レデントーレ教会とジテッレ教会があり、二つとも ベネツィア本島を向いて建っています。レデントーレ教会は ペスト撲滅の成功への感謝として建てられた教会で、 サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会に劣らず優美な姿を 見せています。
Commented by Haroemoryus at 2017-11-06 22:04 x
テアトロ・オリンピコは現代人からすると不思議な劇場です。 舞台は既にローマ建築のファーサードで埋め尽くされていて、 中心にあいた開口から奥に遠近法による町並みが造られています。 観客席はギリシャ劇場に想を得た半円の階段状になっていて 舞台の間口はその半円に合わせて造られています
それぞれのパラッツォに関してパラディオは「建築四書」の なかで解説を試みています。その内容は広場に面した部分を 店舗にして建築主の利益を考慮したとか、地下を造らないのは 川から近いために洪水による被害を避けるためだとか、機能的な ことがらが述べられています。ロトンダはパラディオの理論が到達した最高傑作であり 世界に及ばした影響も絶大なものがありました
世界各地にこの建物に似た亜ロトンダが存在します。 プランは単純明快、円と正方形の幾何学からなっていて 中央にはパンテオンのようなドームが載っています。 内部は豪華なフレスコ画で覆い尽くされていますが 撮影は禁止されています。

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