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最愛の妻への愛と嫉妬との葛藤を描く心理劇オペラの最高傑作

ヴェルディ『オテロ』

Otello”"Otello" Opera by Giuseppe Verdi


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 ヴェルディのオペラ『オテロ』はウィリアム・シェイクスピアの悲劇の名作『オセロ』に晩年のヴェルディが7年の歳月をかけて作曲したイタリア・オペラ悲劇の頂点に立つ大傑作オペラです。





Otellois an opera in four acts by Giuseppe Verdi to an Italian libretto by ArrigoBoito, based on Shakespeare's play Othello. It was Verdi's penultimate opera,and was first performed at the Teatro alla Scala, Milan, on 5 February 1887.When you click the "Translate to English" in the lower right, you can read this article in English.




シェークスピアの4大悲劇のひとつ『オテロ』

 『オテロ』の原作はシェークスピアの4大悲劇のひとつで、破滅していく英雄の物語です。旗手イアーゴの讒言により、貞節で純真無垢な妻デズネーモナニが部下のカッシオに不貞を働いているのでないかと疑いをもち、1枚のハンカチから嫉妬に狂い、ついにデズネーモナニを絞め殺してしまい、その後事実を知り自分も自殺してしまうという話です。


a0113718_11570960.jpg この悲劇に対してオテロにもデズデーモナにも悪意はない、原因は相手を恋しく思う者なら誰でも持っている「嫉妬」です。嫉妬を感じたのは、愛する者の心がすべて愛情が自分に注がれていないと感じたからです。オテロは、幾多の試練を実力で乗り越え、自他共に誇り高き英雄という評価をしていますが、オテロ自分がムーア人というコンプレックスがありました。貴族の娘で美しいデデズデーモナは、ムーア人である自分の黒い肌をずっと愛し続けてくれるだろうか? 


 男は社会的地位を求め、尊敬される存在でありたいと思う、尊敬=愛ではないので、両方を必要としますが、尊敬されるということでは自信を持っている、オテロも男の性的魅力において自信がない、若く美しい白人男性が妻に接近してくくると心中穏やかではなくなります。いつか自分を超える者が現れることを恐れ、もし妻が自分から離れるようなことになれば、愛を失うばかりか、相手が家臣のカッシオであればプライドまで失墜します。『オテロ』はひとりの英雄が、不安の心の葛藤に負けて自滅していくドラマです。



 猜疑心が強いオテロ、イアーゴの策にはまり追い詰められていきます。オテロは、イアーゴの讒言は受け入れ、愛するデズデーモナの言うことには耳を貸しません。イアーゴよりもデズデーモナを信用するのが当然なのに、デズデーモナへの愛が強ければ強いほど、反対の作用が働いてしまいます。恋と嫉妬はコインの裏表にあり、嫉妬はコンプレックスから生ます。シェークスピアがこの愛の心理をドラマにしたのが『オテロ』です。

  



シェークスピアの原作とオペラとの違い

 シェークスピアの原作とオペラとの対比してみました。オテロは「野蛮人」ではないその高貴な性格は原作でもオペラでも同じです。


a0113718_11575363.jpg デズデーモナは、原作とオペラではかなり違ようなきがしました。原作では、第1幕では自分から父親にオセロへの愛情をきちんと伝える自主性や、第2幕以降で可愛らしさがあり、快活なイメージもありました。オペラでは1幕で純粋な愛を歌ったあとは、むしろ過酷な運命をじっと耐える無垢な悲劇のヒロインで、受身的な女性にえがかれているようです。ヴェルディ自身の言葉によると「善良、忍従、犠牲の象徴」と評されて、確かにオペラではそういうイメージに変えられているようです。この方がイタリア人好みだったのかもしれません。 


 エミリアは、オペラでは端役扱いですが、「忠実な侍女」ですが、原作では、もっと台詞が与えられ、デズデーモナの落としたハンカチをヤーゴに渡し黙っているのは少し不思議ですが、それは、夫ヤーゴへの遠慮なのか、デズデーモナへの嫉妬もあるか、とにかく一般庶民的女性的認核が与えられています。


a0113718_11582294.jpg オペラ4幕の「柳の歌」が最初歌われるのですが、原作の第4幕第3場では、そのあとデズデーモナが、「女の中には夫をだます人もいるらしいが、世界をあげるといわれたらお前はどうする」とエミリアに聴く対話の場面があります。この回答がとてもエミリアの現実主義的な面を示していいます。ここがオペラではカットされてしまってしますが、音楽として聴くときは、その場面を活かすよりも、「アヴェ・マリア」で心洗われるように続く方良いと判断したのかもしれません。


 オペラのイアーゴは、2幕のクレードで歌われるように、「生まれながらにしての悪人」として描かれています。嵐の合唱の後、ロデリーゴに語っているように、戦場経験の少ないカッシオを先に出世させた恨みは描かれています。原作では、差別に対する一種のa0113718_11591942.jpg復讐としての行為と描かれています。妻のエアがオセロに寝取られたのではないかという信じがたい疑いに対する腹いせという動機も示されています。動機の点は原作とオペラで違いますが、オペラは分りやすくイアーゴの性格はオペラでもうまく描かれています。デリーゴを手玉に取るところ、オテロを巧みにだますところ、カッシオ相手に明るく陽気にふるまい、相手をかばうようにしながら貶めるところなど、このオペラが最初『ヤーゴ』という題にするかヴェルディが悩んだほど、イアーゴは興味深い性格の人物と言えます。


 このようにシェークスピア『オテロ』では。色々な登場人物の人間ドラマを多面的に表現していて、演劇として深みのある作品にしていると思います。ヴェルディの『オテロ』では、主役の脇役のオテロにスポットライトをあてて、脇役の人間ドラマの部分は割愛するか、扱ってオテロに関わる部分だけに限っているようです。そして、過酷な運命をじっと耐える無垢なヒロイン・デズデーモナを強く愛し独占したいがゆえに殺してしまう、高貴な性格の英雄オテロの弱さ、脆さを中心のテーマと据えています。このように複雑なシェークスピアの台本を短銃化したことは、オペラとして成功させるために必要だったとヴェルディは考えたのだと思います。




ドミンゴ主演、ミラノスカラ座の『オテロ』

a0113718_14340799.jpg 『オテロ』』は私が初めて生で鑑賞したオペラです。ミラノスカラ座の引越し公演で、主役のオテロにプラシド・ドミンゴ、指揮がカルロス・クライバーという最高の組み合わせでした。ドミンゴの強靭でエネルギーのほとばしるアリアは酔いしれるほど魅力的であり、緊迫感と劇的な迫力に貫かれたクライバー率いるスカラ座の演奏は息を呑むほど素晴らしいものでした。この舞台が、私がオペラファンになったきっかけとなりました。


 オテロはテノールにとって危険な役だと言われています。バリトンのような豊かな強い中高域が必要で、これを歌い続けねばならないので、バランスを崩して高音が失ってしまう可能性もある難役し言われています。ドミンゴはこの難しい役を余裕を持って歌い切り、期待通りドミンゴの舞台は素晴らしいものでした。


a0113718_14354699.jpg 当然音楽としてのオペラとしては最高の舞台だったと思いますが、演劇としていストーリー性を考えると、ドミンゴのオテロは姿形も立派で凛々しく英雄の風格があり、コンプレックスから嫉妬を感じる要素はなく、なぜこのような立派な英雄がイアーゴの讒言やたった1枚のハンカチで、貞節で純真無垢な、愛する妻デズネーモナの不倫を疑い絞め殺してしまうような愚かしいことをしてしまうのか全く納得がいきませんでした。




新国立劇場の『オテロ』

a0113718_12005006.jpg 今回、新国立劇場で『オテロ』を観て。この疑問が解けてきました。出演者カルロ・ヴェントレの扮するオテロのメイクは現実的で風貌的には全く魅力のないオテロでしたが、カルロ・ヴェントレの歌唱は声量があり高音の伸びや抑揚のある表現も魅力的でした。オペラ「オテロ」の音楽は、愛、嫉妬、憎しみ、絶望感など複雑な心理描写が交錯する複雑で奥深いものですが、今回のタイトルロールも精一杯考察する心理描写を表現しよう頑張っており、好感が持てました。醜いオテロでしたが、歌唱の力が観客を引き付けるという意味では主役として十分魅力的でした。



Otellois an opera in four acts by Giuseppe Verdi to an Italian libretto by ArrigoBoito, based on Shakespeare's play Othello. It was Verdi's penultimate opera,and was first performed at the Teatro alla Scala, Milan, on 5 February 1887.



a0113718_14370085.jpg セレーナ・フアルノッキア扮するデズネーモナも20代前半の美女という設定をよく表していました。さらに、与儀巧扮する恋敵のカッシオもイケメンで精悍な武将、悪役のイアーゴに扮するウラディーミル・・ストラエフさえもスマートな伊達男といえるメイクで、オテロがマイナリティのムーア人であることを際立たせていました。若く美しい妻に対して、醜い中年を過ぎたマイナリティのムーア人のオテロが常にコンプレックスと自分の身に余る幸せに不安を抱いていたという心情を感じさせる演出になっていました。


 このように出演者のメイクは現実的で風貌的には全く魅力のないオテロでしたが、カルロ・ヴェントレの歌唱は声量があり高音の伸びや抑揚のある表現も魅力的でした。ウラディーミル・・ストラエフ扮するイアーゴは同情の余地のない悪人の設定でしたが、ウラディーミル・・ストラエフの歌唱は上品でスマートな洗練された安定感があり、悪人として生きるイアーゴの存在に説得力を持たせるものでした。


a0113718_14391383.jpg 第4幕のデズデーモナ役のセレーナ・フアルノッキアが歌うアリア「柳の歌」はデズデーモナの魅力と清廉潔白さを観客に共感させるものであり、カルロ・ヴェントレの歌うオテロの最期のアリアはフィナーレを飾るにふさわしいものでした。



 演出はリアリズムに富み暗い話を強調しているようでしたが、ヴェルディの音楽の力と出演した歌手たちの輝かしい歌唱が舞台を華やかに後味のよいものにしていました。舞台に水を張り、ヴェネツィアの町並みを模した舞台装置は、朝日、昼の光、夕焼けなどを照明で表現して美しく哀愁のある舞台でした。


a0113718_12013637.jpg 冒頭の嵐の場面からオテロの破滅的な最期に至るまで、一瞬の隙もなく音楽が緊密なドラマを描いています。愛の二重唱、オテロとイアーゴの復讐の二重唱、デズデーモナの「柳の歌」、「オテロの死」など聴きどころも多数。マルトーネによるプロダクションは、物語の舞台をキプロス島からヴェネツィアに移し、50トンもの水を用いステージ上に運河を再現。水面の表情や色でオテロの妄想やイアーゴの陰謀を視覚化し、心理劇を幻想的に描き出していまました。


 パウロ・カリニャーニ指揮の東京ティルの演奏も劇的な舞台を音楽で引っ張り、定昇ある新国立劇場合唱団とともに、舞台を盛り上げており、充実した舞台でした。

                         







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by desire_san | 2017-04-20 14:59 | オペラ | Trackback | Comments(4)
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Commented by pockn at 2017-04-22 01:38 x
こんにちは。ブログにコメントを頂いたpocknです。お誘いを受け、こちらのブログを読ませて頂きました。お恥ずかしながら、シェイクスピアの原作は読んだことも、お芝居を見たこともない身にとって、「オテロ」を多角的かつ深く知ることができました。そして、複雑な人間模様をオペラとして明快に描いたヴェルディの才覚に改めて思い至りました。
今回の新国の公演では、オテロとイアーゴ役の容姿にも大きな意味があったのですね。僕は3階席だったので、そこまで気づきませんでしたが、イアーゴ役のストラエフの上品な歌唱に僕が感じていたものが、裏付けられた気がしました。
Commented by ノヴァーク at 2017-04-22 08:51 x
私も新国立オペラの「オテロ」を鑑賞しました。「オテロ」を聴くのは初めてでしたので、シェイクスピアの戯曲も読んでみました。ヴェルディとボーイトが長年かけて練り上げただけあって、原作のエッセンスを残しつつ見事に単純化していると思いました。ヴェルディのオペラ作家としての経験が惜しみなく注ぎ込まれた傑作だと思います。
Commented by desire_san at 2017-04-22 14:44
pocknさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
私もオペラはいつも3階席で観ています。3回世紀でも1回1万円を超えますが、それが私のおさぞに仕える範囲ですので。オペラは殆どオペラグラスは使いませんが、ポイントとなる所だけ、歌手の顔がしっかり見える望遠鏡で顔の演技を見たりしています。
「オテロ」は確かにイタリアオペラを代表する傑作ですが、シェイクスピアの複雑な心理劇をオペラとして楽しめるように巧みに書き換えているのはさすがです、やはりオペラは音楽が主役なので、シェイクスピアを全部表現しようとするには無理があることを理解していたのでしょうね。
Commented by desire_san at 2017-04-22 14:49
ノヴァークさん、コメントありがとうございました。
ヴェルディの「オテロ」は、彼にとっては最愛の妻で理想の女性だったデズネーモナを殺してしまうようになってしまったか?のオテロの心理劇を中心に据えたのが成功していますね。もちろん音楽のすばらしさがあったからですが。しかし何度みても、優秀なオテロがこんな愚かな行為をしてしまったのか、納得がいきませんね。

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