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芸術と自然の美を巡る旅  

ウィーンを知るための博物館:クリムト、エゴン・シーレの傑作を観る

ウィーン・ミュージアム カールスプラッツ  

WienMuseum Karlsplatz

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 ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ(ウィーン市立博物館)は、その名の通り「ウィーン」という街そのものを知り、楽しむための博物館です。ウィーンという街の成り立ちから現代に至るまでのウィーンを知るための展示品や、19世紀のウィーン市の模型、甲冑や武器の展示、ウィーンゆかりの美術家による美術作品などを観ることができます。





The Wien Museum has an exceptionalposition in the rich landscape of the Viennese museums: Its collections are ablend of art and history that leads the visitor down Vienna's path through thecenturies. What you see are inestimable art treasures. What you feel is a cityand its myth



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 ウィーン・ミュージアムでは、それほど大きなあまり知られていないアーティストの株式との絵画やグラフィックスコレクションは、14世紀以来の視覚文化の概観を提供しています。コレクションには、現代美術の代表作まで展開されています。


 この博物館では、14世紀から現在までの芸術品を観ることができます。 この博物館の強みは、ビーダーマイヤー(ルドルフ・フォン・アルト、フェルディナンド・ゲオルク・ウォルドマラー、ピーターフェンディ、フリードリヒ・フォン)と1900年の前後のグスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、カール・モール、ルドルフ・ガースルなどのウィーンのアート分野が充実していることです。




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About Google TranslateCommunityMobileAbouThetime span of the collection stretches from the 14th century to the present day.Particular strengths are to be found in the fields of Biedermeier (Rudolf vonAlt, Ferdinand Georg Waldmüller, Peter Fendi, Friedrich von Amerling) andViennese Art around 1900 (Gustav Klimt, Egon Schiele, Carl Moll, RudolfGerstl).




 中世時代の板絵は、Neugebaude城の前のインペリアル森の風景とウィーナー・ノイシュタットの祭壇画、ヨーロッパのルネサンス絵画による祭壇パネルなど貴重なコレクションを所有しています。 例えば、ルーカスバンにより1590年から1593年の作品、ポール・トロガー、ヨハン・マイケル・ロットメアーやハインリック・フリードリッヒ・フガーなどのオーストリアのバロック時代の作品、キーアーティストの代表的な作品を含む古典の分野のレクションなどです、



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 ウィーン・ミュージアムは。フェルディナンド・ゲオルク・ウォルドマラー、ピーターフェンディとフリードリヒ・フォンの作品、ウィーンビーダーマイヤーの最も重要なコレクションを所有しています。


 グラフィックアートでは、ルドルフ・フォン・アルトの約170水彩画や図面が眼を引きます。歴史主義の絵画は、ハンス・マカルトの主要な作品、エミル・ヤコブ・シンドラーとティナ・ブラウの作品は19世紀末の、オーストリア大気リアリズムの風景描写を観ることができます。


 国際的に再発見されたフィン・ド・世紀末スタイル(「1900年頃ウィーン」)でだけでなく、「夢と現実」(「夢と現実」)と題された1985年、ウィーン博物館展示のために描かれた作品は、この博物館の貴重なコレクションです。2007年に購入した『ヤング・マザー』((1914年)を始め エゴン・シーレの重要な作品や、グスタフ・クリムトの『エミリー・フレーゲの肖像画』(1902年)の他、クリムトの手による400の図面はこの博物館のハイライトといえます。




エゴン・シーレ『ヤング・マザー』


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エゴン・シーレは、強くグスタフ・クリムトの作品に影響を受けたが、シーレ強い角度の線を使用。体はこの作品のように奇妙で、人からみられることを恐れているように描かれています。女性だけでなく男性には珍しいポーズで、自分の裸で冷酷に表現されています。このシーレの作品を、クリムトは長い間ずっと称賛していました。



The main building on Karlsplatz is partof a great complex of outside branches, first and foremost the Hermesvilla inLainzer Tiergarten and the memorial houses of the composers. Specialexhibitions regularly present news from Vienna's past and the past of othergreat cities.



ウィーン・ミュージアム所有のクリムトの作品


『エミリー・フレーゲ』 1902 


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 クリムトの愛人。衣装に思い切った装飾的デザインを施した最初の作品。これはエミーリエを描いた絵です。エミーリエは当時もっとも先進的な女性だったようで、オシャレなブティックを経営し、経済的にも自立していました。クリムトは女たらしのよう性格で。絵のモデルから雇い主である上流階級の女性達と次々と女遊びを楽しみ、14人も子供を作り、結婚は一度もしませんでした。そんなクリムトはエミーリエとは数十年にも渡り書簡を送り合った仲でした。そして毎年夏にはアッター湖畔で安らぎに満ちた時間を過ごしたと言われています。フレーゲはオート・クチュール・サロンを持っていたが、クリムトはフレーゲのお店のために衣装をデザインしています。




『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像』 1907-08



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 ウィーン分離派最大の巨匠グスタフ・クリムトの類稀な代表作のひとつ。モデルは裕福な銀行家フェルディナント・バウアーの妻であり、一時的に画家と愛人関係にあったという説もあります。この作品には自然主義的な写実表現と、金箔・銀箔を多用した豪奢で華麗な平面的装飾性を融合させた、クリムト独自の表現・様式美の頂点が示されています。 この作品では写実的な描写が用いられています。頬が紅潮したアデーレの表情は寛いでいるようにも、緊張しているようにも見えます。胸の前で組まれた両手と共に複雑な感情や性格を感じさせます。エジプト美術から着想が得られている三角形の目によって装飾されるアデーレの身に着けたドレスを始め、その上に羽織られる流々と広がった布衣、そしてアデーレの背後の大小様々な円形で構成される文様は、画面の中で一体となり心地よいリズムを刻んでいいます。 この優れた装飾性はこの作品で最も注目すべき点であり、観る者を魅了します。アデーレが座る椅子の唐草模様は画家が好んだ異国趣味の表れであり、画面下部に配された金色と対比する緑色は、色彩のアクセントとして有効的に画面に魅力を与えています。





『パラス・アテネ(パラス・アテナ)1898



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 クリムトが象徴主義の画家としてのクリムトの代表作です。知恵と諸芸術と戦いを司る女神で、ギリシャ神話の最高の女神とされ、ローマ神話のミネルヴァと同一視される女神アテネは、王座を奪われることを恐れた主神ユピテルが、アテネを身篭った最初の妻を呑み込んで亡き者としたものの、火神ウルカヌスによって主神ユピテルが斧で頭を叩き割られ、その傷口から武装した姿で雄叫びをあげながら生まれ出でたとされています。 この作品に描かれているアテネの姿は、その神話的逸話を強く感じさせるほど恐々しく威厳に満ちています。 女神としての聖性を感じさせると共に、狂気的で悪魔的な性格も顔を覗かせています。女神アテネの真正面を向き厳しい眼差しを向ける表情の表現は、象徴主義芸辞意術家たちから高く評価されました。 クリムトらが伝統主義者らと断絶し、結成したウィーン分離派の象徴的作品となりました。妖艶な官能性や金色を多用した豊かな装飾性、平面的表現と写実的表現が混在した画面展開・構成などクリムト独自の分離派好みの作品となっています。



 カール・モール、リヒャルト・ゲルストルとマックス・クツウェイル。芸術的な印刷されたグラフィックスの分野では、分離派からウィーナー・ワークスタットポストカードやポスターの優れたコレクションも見ることができます。


 戦争時代の最も重要な作品の中でオスカー・ココシュカの『ウィルヘルミナ山からウィーン』(1931年)、ハーバート・ボエックルの『解剖学」』(1931年)も重要です。


 オスカー・ココシュカは、ウィーンの芸術家として、クリムト、シーレなどと同じくらい有名です。シーレと同じく、クリムトに見出されましたが、ココシュカは、「野蛮人」と呼ばれるほど、過激な表現を好む画家だったと言われています。あまりにも過激な演劇をしたことにより、クリムトから見放され、そしてウィーン美術界からも追放されます。後々ドイツ表現主義に絶賛されるも、彼は病的なまでの過激さにより自分の精神をも蝕んでいくこととなりました。




ココシュカ「風の花嫁」



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ココシュカの代表作といってもいい作品で、シーレはこの作品から「死と乙女」の構図のヒントを得たのではないかという説もありますこの「風の花嫁」という作品は、ココシュカ自身とアルマという女性を描いたものです。はじめこの作品は、もっと明るい色をしていたと言われています。魅力的な女性、アルマと出会ったころに描きはじめた作品です。しかしアルマは別の男たちともつきあっていました。ココシュカは次第に不信を抱き始め、互いの関係が悪化していくにつれ、の絵はどんどん暗く描かれていきました。あまりにも厚塗りな絵のため、門外不出どころか少しでも動かすと剥がれ落ちてしまいそうな作品だそうです。






 

参考文献: 

ウィーン・ミュージアム・オフィシャルサイト

山田視覚芸術研究室  グスタフ・クリムト「ウィーン滅亡と女性」2016

新人物往来社 (編集)  クリムトの世界 2011

ヴォルフガング・ゲオルグ フィッシャー ()「エゴン・シーレ」– 2001















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by desire_san | 2017-05-06 12:16 | ウィーン美術の旅 | Comments(9)
Commented by Haruma_Takahsshi at 2017-05-05 21:40 x
いつも興味深い話題を分りやすく紹介していだいてありがとうございます。
クリムトの作品を見て、弱々しい、消耗し、病んだ耽美たんび主義者というようなイメージを漠然ばくぜんと持っていました。しかし、こんな想像は、クリムトの写真を見て、うち砕かれてしまいました。体は大きく頑丈で、太い首の上には額がはげ上がった、がっちりした頭が<足首まで隠れるような長いアラビア風の外套というかダブダブの女性のワンピースをまとっているような姿。クリムトは、いつもこんな姿で、この下には何も身に付けないのが普通だったそうです。そんなクリムトが、このような繊細な絵画を描くのは不思議だといつも思ています・
Commented by Keiko_Kinoshita at 2017-05-05 21:47 x
全開から始まったクリムトとエゴン・シーレのレポートを楽しみに読ませていただいています。
C・M・ネーベハイ著「クリムト」を読むと、「ここで浮かび上がってくるのは、野獣のような体力を持った健康な人間である。クリムトは農夫が畑を耕すように勤勉に制作をつづける。同時に彼は熊のような性的エネルギーを持っていたはずである。女性の肉体はつねに彼を引きつけてやまなかった。彼は性の世界を探求しつづける。それは、現在残っているもので三千枚は下らないといわれる彼のヌード・デッサンからうかがうことができるだろう」と書いてありました。クリムトは弟の妻の妹のエミリー・フレーゲを深く愛したけれど、たくさんの女たちに囲まれた自由な生活を放棄するきになれなかった。アトリエはタブーで縛られたウイーンの中で、エロスの解放区だった。それでクリムトは結婚せず、一生を独身で過ごしたのではないだろうか、と推測されていました。その意味が、dezireさんのブログを読ませていただいて過去師分かってきました。
Commented by desire_san at 2017-05-06 11:35
Takahsshiさん、いつも私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
クリムトにはエミーリエという生涯愛した女性がいましたが、エミーリエとの出会いはクリムトの弟とエミーリエの妹が結婚した時のことで、リムトにとってエミーリエは親戚でした。エミーリエの付き合っていた男性はクリムトだけでしたが、クリムトは恋多き男でした。何人かの間に子供がいたようです。アトリエには常に半裸の女性がいて、ハーレム状態だったそうで、そんなクリムトの生活をエミーリエはよく知っていたようですが、関係はクリムトが亡くなるまで絶たなかったようです。多くの女性と肉体化関係を持っていたクリムトでいず、クリムトにとってエミーリエは彼の全てを尊敬し、受け入れ、理解した上で愛していたのだ唯一の存在だったのかもしれません。クリムトの写真を観るとエロ親父ぽいですが、これは、実生活での天性の女ス好きを反映してるのでしょう。それていてプラトニックも恋もしていたということになると、まさに女遊びでも天才脱党子ことですね。
Commented by desire_san at 2017-05-06 11:41
Kinoshitaさん、いつも私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
クリムトを「は熊のような性的エネルギーを持っていた上、アトリエはタブーで縛られたウイーンの中で、エロスの解放区だった。」という表現は、クリムトの芸術家人生を的確にひょうげんしていますね。
Commented by snowdrop-nara at 2017-05-07 18:33
ウィーンミュージアムというものがあったのですね。
初めて知りました。
きっとウィーンを深く知る助けになるのでしょう。
絵画作品のコレクションも充実しているのですね。
クリムトの女性像のドレスに描かれた目が、エジプト絵画に由来するとは!たしかにルクソールの絵でこんな目を見たことがあります。

この連休は人込みを避けてほとんど外出しませんでした。
連休前に訪ねた私立のプチ・ミュージアム、ウィーンのとは好対照ですが、紹介記事を作りました。

desireさんのブログのように、現代に活動している方々をも応援できればと願っています。
Commented by desire_san at 2017-05-08 09:28
snowdrop-naraさん。こんにちは。
私もこの連休はには人込みを避けて、5月4日に、季節外れの『メサイア』をき聴きに行っただけで終わっとしまいました。
私もウィーンに行って初めて知ったのですが、たくそんのミュージアムがあるのに驚きました。
日本から来る人は、ツアーでしたら、ウィーン美術史美術史美術館くらいしか行かないでしょうが、クリムトを観ようと思うと、最低4つの美術館をもないと傑作を見逃してしまーいます。
クリムトは色々な絵を描いていて、私が知らなかったクリムトにたくさん出会うことができました。
Commented by KIroro_Cross at 2017-05-09 19:41 x
私もウィーン・ミュージアムに行行きました。ベートーヴェンがシューベルトの死を悼んで植えたという菩提樹なんかも大きく成長していました。シェ-ンベルクなんかもあったように記憶しています。なんか雑然といろいろなものが展示されているような印象を受けました。
Commented by desire_san at 2017-05-09 19:45
ここは、ウィーンの文化に関わるあらゆるものが展示されているので、当然シェ-ンベルグに関わる展示もあるとおもいます。ベートーヴェンがシューベルトの死を悼んで植えたという菩提樹もあるのですね。私は美術品を観るのが精一杯で音楽に変わる展示まで見る余裕がありませんでした、
Commented by Dr.Markurquros at 2017-05-09 19:56 x
映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」観ました。ナチスに奪われたクリムトの名画(オーストリアのモナリザ)を長期に渡る裁判を経て取り戻す実話でした。
名女優ヘレン・ミレンの生き生きした名演技が圧巻でした。彼女は「よい人生を送っていれば、自然に良い役が廻ってくる」と日頃云っているそうだが、確かに仕事というのはそういうものかも知れないと思いました。

by desire_san