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ミュシャが生命をかけて現代人に語りかける不滅の民族歴史の大作

ミュシャ『スラヴ叙事詩』

The Slav Epic by Alfons Mucha 


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 アルフォンス・ミュシャは、スラヴ民族の独立の機運が高まっていたチェコ民族復興運動の最盛期に生まれました。ミュシャはチェコ人としての祖国愛が生涯変わらぬ芸術の支柱となっていました。ミュシャの芸術の原点である祖国愛の原点ともいえる『スラヴ叙事詩』は、1910年から1928年の間に、アルフォンス・ミュシャが描いた20の大きなキャンバスの連作です。この連作は、チェコや他のスラヴィア人の神話や歴史を描いています。ミュシャは、プラハ市が特別なパビリオンを建設することを条件に、プラハ市にこの連作を授けました。 2012年以前は、チェコ共和国南モラヴィア地域のモラフスキー・クルムロフにあるシャトーの常設展の一部でした。 2012年には、全20の作品が移転され、国が企画した展覧会で国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿の一階に展示されました。





TheSlav Epic is a cycle of 20 large canvases painted by Czech Art Nouveau painterAlfons Mucha between 1910 and 1928. The cycle depicts the mythology and historyof Czechs and other Slavic peoples. In 1928, after finishing his monumentalwork, Mucha bestowed the cycle upon the city of Prague on condition that thecity build a special pavilion for it. Prior to 2012, the work was a part of thepermanent exhibition at the chateau in the town of Moravský Krumlov in theSouth Moravian Region of the Czech Republic. In 2012, all 20 works were movedand are displayed together on the ground floor of the Veletržní Palace in anexhibition organized by the National.


 アルフォンス・ミュシャは、19世紀末から20世紀初頭に開花したアール・ヌーヴォーを代表する画家です。フランスの大女優・サラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」のために作成したポスターは、威厳に満ちたサラ・ベルナールの姿と細部にわたる繊細な装飾に優れた表現で、大女優サラ・ベルナールに気に入られ、サラ・ベルナールの契約画家に抜擢され一躍脚光を浴び、パリの人々を魅了し、絶大の人気を博しました。ミュシャのアール・ヌーヴォー的な草木の模様は、自然を忠実にリアルにデッサンした作品を基礎に作り上げられました。特徴を的確に掴んで描きつつ視覚的な美しさを感じさせる独自のアール・ヌーヴォー様式の表現が融合し、アール・ヌーヴォーの旗手と呼ばれるようになりました。



アール・ヌーヴォーの旗手・アルフォンス・ミュシャ

文字をクリックますると、リンクします。



 ミュシャは、1920年、ニューヨークでミシャの娘ヤロスラヴァを堂々とした姿で表現した油彩画の傑作『ヤロスラヴァ』を描いています。頭に巻いた大きなスカーフと両側のふくらんだ布はオリエンタルな風情を漂わせています。チェコ民族の衣装を来て若い娘は巫女のように聖化された存在に描かれています。



 1900年。パリ万博のために描いたオーストリア館ポスターやボスニア・ヘルツェゴミア館のレストランのメニューなども展示されていました。『スラヴ叙事詩』、プラハ市民会館の壁画の習作、祖国愛をテーマにした油彩やポスター、ミュシャ最後のプロジェクトである三部作、《理性の時代》《叡智の時代》《愛の時代》なども制作しました。これらの作品を通して、パリ時代に確立されたミュシャ様式が、彼の思想と関わりあって変遷していった様子を見ることができます。



 成功をおさめある程度の富を得たミュシャはパリで名声を得たミュシャは、転換期ともいえるアメリカでの活動のあと1910年に故国チェコ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領) にもどりました。帰国の目的はプラハ市民会館の建築装飾を依頼されたためでした。ミュシャはチェコに帰国すると、チェコ人の愛国心を喚起する聖ヴィート大聖堂のステンドグラスをはじめとする多くの作品群やプラハ市庁舎のホール装飾などの仕事を残しました。プラハ市庁舎の天井画の外周付近に、スラヴの働く人々を描いています。



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『スラヴ叙事詩』制作の背景

 「芸術家の責務は国民が自国の歴史と向き合うための作品を制作することにある」と常々考えていたミュシャはこの機会に、20年近く構想して来た「スラヴ叙事詩に新たな作品の制作に着手します。帰国直前にアメリカで 「スラヴ叙事詩」 制作の資金援助を得るチャンスにも恵まれました。パリ時代から温めていた。『スラヴ叙事詩』の構想を実現するためでした。ボヘミア地方のズビロフ城をスタジオとして借りたミュシャは、余生の殆どを、『スラヴ叙事詩』に費やします。チェコ人とスラヴの同胞たちの、共通の栄光と悲哀の歴史を描くことにより、長年の植民地政策によって離散していた民族の統一を促し、各国家の独立へと向かう力になりたいと考えていたようです。スメタナの組曲『わが祖国』を聴いたことで構想を抱いたといわれ、スラヴ民族は一致団結しながら他民族との共存に努20点の絵画から成る生涯をかけた連作の大作『スラヴ叙事詩』は完成まで20年を要していました。1928年チェコスロヴァキア独立10周年にあわせて完成した。『スラヴ叙事詩』はプラハ市に寄贈されます。人類のためのスラヴ民族」という副題がつけられ、『スラヴ叙事詩』は門外不出の大作となりました。



 『スラヴ叙事詩』を詳しく見ると、ミュシャが芸術活動を始めたごく早い時期に構想のめばえがあったことがわかります。『スラヴ叙事詩』制作の直接の動機は、芸術の本来の役割として、チェコ国民が自国の歴史と向きあうための優れた絵画を制作することが画家の自分に課せられた義務だと若いころからミュシャが考えていたことにあると考えられます。 


 音楽ではスメタナ の連作交響詩 『わが祖国、文学では アロイスイラーセクの歴史文学という優れた成果がありましたが、直接視覚に訴えるのが最も効果的だとミュシャが考えた絵画では、歴史と向きあう制作がまだ誰にもなされていないという強い思いがミュシャにはありました。


 チェコには吟遊詩人に歌い継がれた数多くの伝説があって、民衆に親しまれてきました。民衆の間では近代の歴史学以前に伝説が「歴史」だったのです。『スラヴ叙事詩』は綿密な考証による写実的な歴史の場面と象徴的表現が同居するミュシャ独自の描き方が最大の魅力と言えます


 『スラヴ叙事詩』を描くとき、ミュシャはチェコの人々にその歴史の時代の衣装を着けてもらい、その人々をモデルに、多くのスラヴの人たちを描いたと言われています。



『スラヴ叙事詩』の運命と再評価

 チェコは、ドイツやロシアだけでなく、ハプスブルグ家を始めとする周囲の強国の強硬な支配と民衆の弾圧の歴史がありました、その歴史は、過酷な環境の中で中世から近世、近代、現代へ世界を変革する重要な発明や思想、社会の仕組みを生み出した歴史でもありました。チェコがオーストリア帝国の支配下にあった当時にミュシャは国民のひとりひとりが未来に確かな希望を持つには自分たちの歴史と向きあうための絵画作品が必要だと痛感していました。目から心に直接はたらきかける絵画には人々の感情と知性に訴える力があるとミュシャは信じていたのです。


 『スラヴ叙事詩』は描かれた当時はチェコ国民のためのメッセージでした。しかし、1928年に完成してプラハ市に寄贈したとき10年前に既に独立していたチェコスロヴァキア共和国と国民にとって『スラヴ叙事詩』は時代遅れのお荷物になっており、プラハから遠く離れたモラヴィアの古城に閉じ込められてしまったのです。


 その後のチェコスロヴァキア共和国はナチス・ドイツに解体されソ連の共産党支配体制に組み込まれたのち再び独立したのは、ミュシャ没後50年の1989年になってからのことでした。20世紀の戦争と核の脅威、21世紀もテロや経済不況の不安が解消されない歴史をくぐって 『スラヴ叙事詩』 のメッセージはチェコ国民のみならず、人類に普遍のものと見なおされつつあり世界中で再評価され始めました。






原故郷のスラヴ民族  ― スラヴ民族の起源 ―

1912年 テンペラと油彩  610×810 cm



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 民族大移動以前の紀元前後頃、スラヴ民族はバルト海と黒海にはさまれた地域に住み狩猟と農耕で暮らしていましたが、常に周辺の異民族の脅威にさらされていました。



 右のスヴァントヴィト像は、武器を持つ若者と平和を表す少女が寄り添い、スラヴ民族の独立と幸福の希求を象徴しています。この作品を見ると青い夜空とかがやく星がたいへん印象的です。青は、スラヴの原点を象徴する重要な意味を持つ色だそうです。 この青い空は、スヴァントヴィトの白い衣装を印象的するとともに、画面全体の意味を伝える効果も果たしています。


 背景には、苦難の中を生きる人々の群像が描かれています、前に座って見つめる女性は、異民族の脅威におびえながら生きる人々を象徴しているようです。しかし、この作品には、スラヴ民族の凄まじい生命力と生きる意志を感じ、極めて感動的な作品と感じました。



ルヤナ島のスヴァントヴィト祭 ― 母国語で神に祈る

1912年 テンペラと油彩  610×810 cm



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 大モラヴィア国は最初のスラヴ人国家です。バルト海にあるルヤナ島のアルコナには古代スラヴの神殿が置かれ、西スラヴ神話の神、スヴァントヴィトの像がありました。ミュシャが描いた太陽神のスヴァントヴィトは3つの顔を持ち、過去・現在・未来のスラヴの歴史と希望を象徴しています。スラヴの海とも呼ばれていたバルト海沿岸は 1168年、デンマーク軍に征服され、神殿も焼き払われました。左上にはノルマン民族の戦争の神オーディーンと狼が、右の方にはスヴァントヴィトの象徴・白馬に乗せられた瀕死のスラヴ戦士が描かれています。ゲルマン民族の大移動に伴ってスラヴ人たちが移住し現在のチェコ、スロヴァキアだけでなくハンガリー、ポーランド、オーストリアのかなりの部分を含む広大な国家を建設しました。


 ビザンティン帝国から大モラヴィア国に派遣された聖ツィリルと聖メトジェイがスラヴ語で説教をしてキリスト教を広めた上、スラヴ文化の発展に寄与しました。大モラヴィア国にスラヴ語礼拝式導入されました。しかし、豊かな文化の時代は長く続かず左上から迫ってくるドイツ系のカトリック司祭にとって替わられます。


 画面上部に描かれている権力者たちは、重厚な画面上部の色彩で堂々と誇り高く描かれています、地上には苦しみの中に生きる人たちが生々しく描かれています。中央下の若い女性の見る人に訴えてくるような視線が魅力的です。画面中央下に描かれている人々はどこか不安におびえているようです。特に女性たちのおびえたような表情は印象的です。将来への不安を示しているのか、あるいは一部の権力者たちは豊かだが、庶民たちは抑圧的にされていることを示しているのかもしれません、それとも豊かな時代は長く続かないことを穴持しているのでしょうか。


 しかし、仮面の上の方から強い光が射し、人々を照らしています。上空も明るい色彩で、希望を感ずる作品に仕上がっています。画面の下の部分の庶民派は明るい光が照らされています。スラヴの人々は明るい色彩で輝き、ミュシャの庶民に対する温かい気持ちを表現しているように感じます。前に立っている少年は支配者たちと同じ重厚な色彩で描かれているのは、未来の希望の象徴かもしれません。


 凄まじい場面が描かれているのに、色彩が全体に明るいのに驚かされます。残酷ともいえる題材に、輝かしく明るい色彩をあえて使ったミュシャの美意識と、希望を捨てない信念が感動的です。描かれている場面と色彩とのアンバランスが観る人の心を震わせときめかします。これがまさに芸術の力なのでしょう。





クロムニェジージュのヤン ミリチ ― 修道院に変えられた娼館 ―

1372年)  テンペラと油彩  1916年  620 × 405


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 モラヴィア、クロムニェジージュ出身のヤンミリチはプラハ宮廷で副大臣を務めていましたが、教会の腐敗への反発から私財を投げうって自身もチェコ・モラヴィアの言葉で献身的に説教しました。



 プラハの多くの娼婦のために「新エルサレム」と呼ぶ避難所を建設し彼女たちに悔い改めと新しい生活の機会と場を作りました。 ヤンミリチの教会改革運動はのちのヤン フスの宗教改革に大きな影響を与えました。フスが説教をしたベツレヘム礼拝堂はミリチの新エルサレムのすぐ近くにあり、画面の背景に見える街並みは現在も当時の面影を残しています。


 必死に祈りを捧げる娼婦たちの姿が痛々しく、ミュシャは元和実の厳しさをリアルに描いています。この作品では、ヤンミリチが行った改革の現実的厳しさを表現し、ヤン ミリチの勇気ある活動を称えていると見ることができると思います。




プラハ・ベツレヘム礼拝堂でのヤン フスの説教  

― 世界の魔力、真実の勝利 ―    (1412年)   

   テンペラと油彩  1916年  610 × 810 cm



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 ヤン フスはマルティン ルターに 約100年先駆けて宗教改革運動を進めましたが、カトリック教会の異端審問にかけられ火刑に処せられました。ルターは 「ヤン フスはわが心の師」と尊敬の気持ちを語っています。


 ヤン・フス(13691415年)はローマ法王や高位聖職者たちの奢侈な生活を批判し、イエスの教えを守らない腐敗した当時のカトリック教会指導者を批判し、聖書で記述されていないことを行う教会を糾弾し、奢侈を戒め、「貧しさ」に特別な価値を見出し、貧困の群れに加わっていきましたが、コンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処されました


 フスを支持するチェコの民衆の反乱やその後の活動が宗教や戦争の近代化を招き民主主義や国際連合、EUの近代思想にも繋がるヨーロッパの中世から近世への扉を開けるきっかけになりました。「真実は勝つ」というフスの言葉はその後600年近く苦難の歴史を歩むチェコの人たちに 常に誇りと道標となって、今もチェコ共和国大統領旗はその言葉をかかげています。


 この作品を見ていると、ヤンフスの改革運動の厳しさが伝わってきます。画面の左側では、大勢の前で壇上に上がって必死に説教と演説をするヤン フスが描かれています。民衆の中には一生懸命聴いている人もいますが、あくびをしている者や疲れ切って聴いていない者もおり、現実をリアルに表現しています。民衆に向かって演説するヤンフスを左側に暗く描き、正義を説くヤン フスの孤独さが感じられます。ミュシャは、厳しい現実と闘うヤン フスの現実の姿を伝えたかったのかもしれません。



聖アトス山  ― 東方正教会のバチカン ―

テンペラと油彩   1926年  405cm×480cm



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 「スラヴ叙事詩」の特徴と魅力は、写実的な描き方と象徴的な表現にあります。左側の老人と若い男の救われたような表情が印象的です。聖人像から放たれる緑の光線が、人々の祈りに答えているようです。



アトス山はギリシアとトルコの国境近く、エーゲ海につき出た半島にある山です。聖母マリアがここで亡くなったとされるギリシア正教の聖地でローマカトリックのバチカンにあたるといわれます。「聖アトス山」 はアトスの修道院を訪れた巡礼と祝福する修道僧を描いていますが、20の修道院のうちの4つの天使と修道院長がいます。ヒランダル修道院、アギウ・パンテレイモン修道院、ゾグラフウ修道院とヴァトペディ修道院の4つはセルビア、ロシアとブルガリアの修道院です。 ミュシャは 「スラヴ叙事詩」を一貫するスラヴの心の象徴として 「聖アトス山 」を描いたのです。 





セルビア皇帝ステファン ドゥシャンの戴冠式 1346年)

テンペラと油彩   1926年  405cm×440cm



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 1346年、ドゥシャンが皇帝となったことによってカレル4世の神聖ローマ帝国とともに東ローマ・西ローマ(神聖ローマ)両帝国にスラヴ人の皇帝が君臨しイングランド王国とフランス王国以外の全ヨーロッパが名君のスラヴ人皇帝のもとにありました。スラヴの人たちにとってこの時代はスラヴの春、栄光の時代として今も記憶されています。



セルビアは現在でも民族・宗教紛争の危険をはらむ地域ですが、ステファン・ネマニャが現れてセルビア人の国家をうちたてました。ネマニャ王朝4代目のドゥシャンはセルビアを強大にしてブルガリアを破りセルビアとギリシアの皇帝、東ローマ皇帝となったのです。1349年には セルビアと東ローマ帝国の法律を整理した「ドゥシャン法典」を発令するなどドゥシャンは政治家・法律家として歴史的に評価されています。


季節は春、イースター(復活節)の日に東ローマ帝国皇帝に戴冠したステファンドゥシャン (ウロシュ4世) が民衆の祝福を受けて行列に出かけるところを描いています。『スラヴ叙事詩』の中でも最も明るく輝かしく、華やぎを感ずる作品です。人民も女性も明るい表情をして、ステファンドゥシャンに民衆も祝福しています。ステファン ドゥシャンは、堂々とした自信に満ちた表情で、晴れがましい様子に描かれています。スラヴ人の最も美しい記憶として、輝かしい色彩は雄大な画面構成で描かれ、画面最前列の少女たちの顔も美しく、純粋無垢な清らかな雰囲気を向あたえています。しかし細かくみると、ステファンドゥシャンは、現実の厳しさと将来不吉な出来事を予感してか、厳しい表情も垣間見られます。


 残念なことにドゥシャンは47才で毒殺され息子のウロシュ5世の時代に弱体化して1371年にはオスマン・トルコにのみこまれて滅亡しました。"スラヴの春"はごく短い期間で終わりましたが、そのためにスラヴの人たちにはかえって栄光の時代として強く記憶に残り、19世紀の汎スラヴ運動に影響しミュシャ終生のテーマの"未来の希望"になりました。ステファン・ドゥシャンの戴冠はミュシャが「スラヴ叙事詩」を制作する原動力のひとつでもありました。

 


ペトル ヘルチツキー   ― 悪をもって悪に報いるな― 

  1918年   テンペラと油彩 405×620cm



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 この作品の画面には、構想と暴力の結果、死んだ人々、怪我をした人々などたくさんの犠牲者が全面の明るい画面に描かれています。この厳しい状況の中で、ヘルチツキーは熱心に人々に平和の大切さを説いています。トルストイはペトルヘルチツキー(1390-1460)を「中世最大の偉人」と呼んでいます。ミュシャの考えにも活動の根幹にもヘルチツキーの思想があるともいえます。



 カトリック対フス派プロテスタント教会、さらにフス教徒の間でもパンとブドウ酒の聖餐を主張する親カトリック穏健派と武力革命でキリスト教理想社会実現を目指す「神の戦士」急進派の対立抗争の時代にヘルチツキーは謙譲と忍耐と労働を著作や説教で提言し暴力によらない宗教革命の方法として初期キリスト教会に似た自給自足の生活を実践しました。



 ヘルチツキーの非暴力・自由・平等の思想と実践から農耕や手工業の質素な信仰生活を目指す「チェコ兄弟団 (友愛統合教団) 」 が1457年にボヘミア北東のクンヴァルトで誕生しました。


 「悪をもって悪に報いるべきではない」 ヘルチツキーの高い理想は民主主義の核ともいえ、哲学者でチェコスロヴァキア初代大統領のトマシュマサリク、ビロード革命で自由化を実現させたヴァツラフ ハヴェル大統領を通じて世界の民主主義発展に寄与しています。インド独立の父マハトマ ガンディーの非暴力・不服従の思想もトルストイを通してヘルチツキーの影響を受けています。



 ヘルチツキーの思想は“兄弟” “友愛” を名にもつ教団だけでなくヘルチツキー、チェコ兄弟団の思想はプロテスタント・キリスト教会全体に及んでいるといえます。





民族の教師 ヤン アーモス コメンスキー

テンペラと油彩  1918年  405×620 cm



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 コメンスキー1592-1670)は知識の共有が戦争を終わらせ ヨーロッパをひとつにすることを考えていました。その思想は現代ではユネスコの根本思想となっています。コメンスキーは出産前の母親教育から死と向き合うための高齢者の心の準備まで生涯にわたる教育全般を体系的に論じました。コメンスキーの代表作「世界の迷宮」によりら誰もが知る言葉になりました。



 コメンスキーはもちろん比類のない天才ですが彼の知性と平和の希求は戦争の悲惨とチェコ兄弟団(スラヴ叙事詩「イヴァンチッツェのモラヴィア兄弟団学校」)の高い教育によって育てられました。非カトリック教徒追放令に始まった自らの亡命流浪の苦難の中から、悲惨な状況にある祖国チェコに向かって“希望”を語り続けたのです。




スラヴ菩提樹の下で宣誓する青年たち ― スラヴ民族の目覚め― 

     1923年    テンペラと油彩  405×480 cm




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 この作品は19世紀後半から20世紀初頭のチェコを描いています。チェコを支配していたオーストリアは1867年にハンガリーと手を組んでオーストリア・ハンガリー二重帝国となり、チェコをはじめスラヴ系諸民族の抑圧の中で、チェコでは急進的な青年チェコ党が誕生し対抗運動が起こりました。この作品は青年チェコ党員68人が逮捕されたことを踏まえ、青年たちが古代の伝説にならってスラヴ菩提樹の下でスラヴィアに宣誓をしている場面です。



 『スラヴ叙事詩』は全体に象徴的な描き方をし、この作品だけ顔を描いていないのは、人物の特定をミュシャが避けたと考えられます。前景には、スラヴ叙事詩展ポスターの主題になり、古代の吟遊詩人ルミールを連想させるハープを弾く少女とその音色に耳を傾ける少年を描いています。少女のモデルはミュシャの娘ヤロスラヴァ、少年は息子のイジーです。




スラヴ賛歌 ― 4つの色で示されるスラヴ民族の4つの時代 ― 

   テンペラと油彩   480cm×406cm



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 スラヴ民族の4つの時代を見事な画面構成力で、輝かしい作品に仕上げています。画面の中央に花を捧げる少女たち、手前の後ろの人々や背後の民衆も喜びに満ちています。右下に苦しい時代のスラヴ民族、画面上に堂々とした男性と背後に複雑な人間模様。画面構成と光の表現が素晴らしく、感動的な作品です。


 ミュシャは、史実に基づく場面とそこに登場する人物に光を当て、スラヴ民族にとって祝福すべき場面に寄与した人々や象徴的な存在を暗めの明度で描くという、わかり易い表現にしていて、それがこの絵画に劇場的な物語性を与えています。『スラヴ叙事詩』の中でも、繊細で緻密な描写が際立っています。




 従来の歴史画で扱われたのは統治者、権力者や歴史的英雄など、毛岸の表舞台で活躍した人たちの英雄伝や社会体制や政治、戦争などを描いたものでした。ミュシャの『スラヴ叙事詩』では、歴史的出来事とその時の一般民衆の反応がリアルに表現されており、歴史の中で翻弄される庶民の姿もリアルに描いているところが画期的だと思いました。


 どの作品も、スラヴ民族に対するミュシャの愛情を感じさせるすばらしい作品でした。これらの作品では、スラヴ民族の歴史や、それにまつわる悲劇や祝祭の場面が抒情的に描かれていて、過去のスラヴ民族の足跡をたどることができます。この『スラヴ叙事詩』を国立新美術館の大きな展示室で、現物の大画面で鑑賞すると、その壮大なスケール感と画家の気迫を肌で感ずることができ、その迫力と画家の強い意志の力に比類ない感動を体験できました。


 『スラヴ叙事詩』は、ヴィタ大聖堂のステンンドグラスなどさまざまな活動を続けていたミュシャの生涯を一貫するメッセージであり、『スラヴ叙事詩』はミケランジェロのシステナ礼拝堂の『天地創造』や『最後の審判』にも匹敵する、ミュシャの人類に残した不滅のライフワークと位置づけることができると感じました。

 

参考文献:『ミュシャ展』公式カタログ 20173

     朝日新聞『ミュシャ展』特集記事






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by desire_san | 2017-05-28 02:53 | 美術展 & アート | Trackback(2) | Comments(23)
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Commented by nakamurayuki at 2017-05-28 11:55
こんにちは。
日本で開かれた美術展とは思えない迫力の展示でしたね。スラヴの歴史をあらためて勉強したいと思いました。フス戦争とか教科書の単語でしか知らない……
システィーナ礼拝堂、と言われればたしかに! 本当に匹敵すると思いますし、似ていますよね。
Commented by desire_san at 2017-05-28 13:20
nakamurayukiさん、コメントありがとうございます。
ミュシャの「スラヴ叙事詩」のような庶民も含めた民族の歴史を描いた大作は、世界の美術史でも類がない傑作まで、タイ゜編感動しました。システィーナ礼拝堂のミケランジェロを例に出したのは、苦し紛れで全く芸術のジャンルが違いますが、システィーナ礼拝堂のミケランジェロを見た時以来の感動とご理解ください。
Commented by umitosora14 at 2017-05-28 21:22
今晩は^^
記事を読ませて頂きました
詳細な解説、素晴らしいです!
わたしはイヤホンガイドで、説明を聞きながら、絵を鑑賞しました
歴史的なことや出来事を解説してもらって、
なんとか絵の意味を理解した感じです^^;
絵としては、緻密な描き込みに感動しましたし、
勝利の場面でも漂う哀しみ、
そして、空ろな瞳に深い悲哀をみました
ちょうど、小説「プラハの春」を読んだところです
ミュシャが苦難を描いた後も、
また苦難に襲われ、それをくぐり抜けてきた民族ですね
「スラヴ叙事詩」、観て良かったです
Commented by henamame at 2017-05-28 23:48
今までのミュシャのイメージが変わりましたよね。ミュシャ自身に民族的な背景があったとは知らなかったので、民族のために描くというのが意外でした。もっと流行りのものやキラキラした感じのものを描く作家だと思っていたので^^;あの大きな作品を広いスペースで観れたのも本当に素晴らしかったなと思います。日本で観ることができて良かったです。またじっくり読ませていただきますね。
Commented by desire_san at 2017-05-29 17:51
umitosora14さん、私のブログを読んでいだいてありがとうございます。
「スラヴ叙事詩」は、パリで人気画家となったミュシャが、芸術家として売れる絵を描いていてよいのかと、自問自答した末、誰もが挑戦しなかった、自分たちスラヴ民族と民衆の歴史を、生涯をかけて描き上げた、世界にも類のない大作ですね。

20世紀の戦争と核の脅威、21世紀もテロと経済不況の不安が解消されない歴史をくぐって「スラヴ叙事詩」のメッセージは、現在の人々にも感動を与え、人類の在り方を考える指針となると感じました。
Commented by desire_san at 2017-05-29 17:57
henamameさん、コメントありがとうございます。
アール・ヌーヴォーの世界的巨匠として一世を風靡したアルフォンス・ミュシャは、今まで何度か日本でも回顧展が開かれ、優美で繊細な美しい絵を描く画家としてのイメージが定着していたと思います。
私も、「スラヴ叙事詩」を観るまではミュシャはアール・ヌーヴォーの売れっ子画家というイメージを持っていましたが、「スラヴ叙事詩」を見て、ミュシャという画家の偉大さを知りました。この美術展は本当に見てよかったと思いました。
Commented by Sissy50 at 2017-05-29 19:43
こんばんは。
大変興味深く読ませて頂きました。
この美術展、会場に入ってまず何よりも圧倒されたのは『スラヴ叙事詩』1点1点の大きさでした。
これだけの大きさの作品を、しかも20点も描く気力と根気は並大抵ではないでしょうから、それだけミュシャはこの連作に残りの人生をかける気持ちで描いていたのだろうなと思います。
一連の作品の中でやはり目に焼き付いているのは、目を大きく見開いた女性たちの表情です。
恐怖を感じているように見えるからというのも勿論あると思いますが、こちらの記事を読んで眼の中におびえだけではなくどんな状況にあっても自分を見失わないという強さも宿っているからこそ印象に残ったのだということを改めて感じました。
また、 desire_sanさんもご指摘のように歴史において普通は光が当たることがない庶民をリアルに捉えているという点もこの連作の大きな魅力のひとつだと思います。
私のブログに頂いたコメントへの返信でも少し触れましたが、このリアルさを出すために村人をモデルに起用したことは、「民族の誇りを取り戻す」という意味では大成功だったのではないかと。
『スラヴ叙事詩』と題された絵の中に自分がいる…
「自分はスラヴ民族の一員なのだ」と認識するのにこれほど良い方法は他にないのではないでしょうか。
Commented by wavesll at 2017-05-29 22:16
記事拝見したしました。
詳細な説明と解釈、読み応えがあってとても良かったです◎
個人的にはアールヌーヴォーとしてのミュシャでない『スラヴ叙事詩』のムハの画風が、PCでみるより生で見たときにその優美さを強く感じて。あの質感を味わえたのは展覧会に足を運んだ価値があったなと想いました。
Commented by desire_san at 2017-05-29 22:27
Sissy50さん、ご丁寧なコメントありがとうございます。私も大変勉強になりました。

『スラヴ叙事詩』が他に類のない傑作で多くの人々に感動をあたえるのは、ご指摘のとおり、庶民を主役に歴史を捉えていることと、チェコの人たちが「自分もスラヴ民族の一員なのだ」と認識射させる力がこの作品にあることが大きいと思います。

おそらく絵画の世界で歴史を庶民を主役に描いたのは、他にはブリューゲルとボッシュくらいしかいないと思いますし、彼らでさえも、こんな歴史絵巻までは描きませんでした。文学の世界でも、私の知る限り数少ないのではないでしょうか。

Commented by desire_san at 2017-05-29 22:37
wavesllさん、私の長いブログを読んでいただいて、ありがとうございます。
ミュシャという画家は、色彩表現が説妙で、実物を観ないとその魅力が理解できない画家だ認識していました。以前ア六本木ヒルズで開かれたールヌーヴォーの作品を紹介したミュシャ展でも、それを強く感じましたが、『スラヴ叙事詩』は、それに加えて、人物がほぼ等身大に描かれているので、自分も絵の中の世界にいる様な実在感が加わり、本物を見て初めて気が付いたことがたくさんありました。私のブログの感想的な部分は、ほとんど私が作品を見て初めて感じたことですので、観る方によっては全く違った見方もありうると思ってます。
Commented by ゆりこ at 2017-05-29 22:45 x
ミュシャの絵画の色彩はすばらしいですね。それに加えて『スラヴ叙事詩』では、祖国愛が込められた作品を、実際描いた大きさで体感できて最高に素晴らしい体験でした。
Commented by masako_texas at 2017-05-30 09:45
こんにちは。
30年以上前に一度、この傾向の作品が小品ながら来日したことがあり、今回楽しみにしていました。
圧倒的な祖国、民族への愛を感じますね。

ポスターの作家とは同じ人の別の面と思うとすとんと落ちる感じがして、この絵はポスターよりも好きです。
人生でこの情熱をもってしてする何かに出会える幸せがあったんだろうなと思いました。彼が投獄中に亡くなっても…気持ちは常に愛だったのかなと。

いつか見てみたいと長く想っていたものに出会えてとても嬉しい気持ちでいっぱいでした。
Commented by desire_san at 2017-05-30 20:33
masako_texasさん、コメントありがとうございます。
『スラヴ叙事詩』を日本で見ることができたのは、大変幸運なことですね。
私も目の前でこの『スラヴ叙事詩』と向き合うまでは、ミュシャはアール・ヌーヴォーの人気画家という認識墓有れませんでした。芸術家の魂がこもった作品にゆ出会い、感動できることは、大変幸せなことだとしみじみ思いました。
Commented by totsutaki3 at 2017-05-30 21:43
こんにちは。totsutakiです。
私は6年前にプラハを訪れ、ムハ美術館で「スラヴ叙事詩」の習作を見て、装飾画やポスター画家だと思っていたムハが情念の籠った絵を描いているのを見て衝撃を受けました。ただしそのころは「スラヴ叙事詩」は辺鄙な場所で展示されていたため鑑賞は叶わぬ夢と考えていました。私にとってはヴェッキオ宮殿に塗りこまれたダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」とミケランジェロの「カスチーナの戦い」を見ることができないように、ナチスによって焼かれたクリムトの天井画の実物を見ることができないように、「スラヴ叙事詩」の鑑賞も叶わぬ夢とあきらめていました。その「スラヴ叙事詩」が思いがけず東京で展示されていることを知り、大阪から新幹線で国立新美術館に出かけました。
 実際に目にした「スラヴ叙事詩」は期待にたがわぬ素晴らしい作品群でした。装飾画やポスターとの共通点は美しい色彩だけで、それらの制約から解放され、大キャンバスに描かれた作品の、ダイナミックな構図、ドラマティックな主題、パッショナルな描写で圧倒されました。見に行って本当に良かったです。
Commented by desire_san at 2017-05-31 14:48
totsutaki3さん  コメントありがとうございます。
私もプラハに行きましたが、その当時プラハでも「スラヴ叙事詩」は一般公開しておらず、観ることができませんでした。日本で「スラヴ叙事詩」全20作を観られるのは、奇跡的ともいえる出来事で、最初で最後のチャンスでしょうね。「スラヴ叙事詩」しスラブ民族の歴史であるのみならず、20世紀の戦争と核の脅威、21世紀もテロと経済不況の不安も解消できない人類に対する普遍のメッセージを伝える芸術遺産と言えるのではないでしょうか。
Commented by rollingwest at 2017-06-01 06:11
おはようございます!6月に入りましたが今日は朝から肌寒い雨の日です。長袖が必要かな・・。週末は天気がよいとの予報ですがもう梅雨入りも近いジメジメの季節がやってきそうですね。お体御自愛下さい。
Commented by desire_san at 2017-06-01 09:22
rollingwestさん   おはようございますす。
今年は心地よい春らしい季節がほなく、寒い季節からいきなり真夏のような気候何ってたしまいましたね。 rollingwestさんも、お体に気を付けてご活躍ください。
Commented by yukosy at 2017-06-10 02:31
こんにちは。
拙ブログへのご訪問、ありがとうございました。
ミュシャと、スラヴの歴史についての詳しい解説をありがとうございました。
20枚のいずれもが素晴らしい傑作ですが、一番最初に展示されていた、原故郷のスラヴ民族の美しい星空と、スラヴ賛歌の虹が、中でも美しく感じ、暫く立ち尽くしていました。
スラヴ叙事詩、是非いつかまた鑑賞させて頂きたいと思っています。
Commented by desire_san at 2017-06-11 12:45
yukosyさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
私も「スラヴ民族の美しい星空」と「スラヴ賛歌の虹」に強い感銘を受けました。
他の作品もミシャの心が力強く表現されていて、『スラヴ叙事詩』を一つ一つ味わっていたら3時間以上『スラヴ叙事詩』の世界に浸っていました。
Commented by maria bernadetta at 2017-06-13 09:08 x
あらためて拝読させていただきました。描かれた背景にあるものや人物や歴史についての深い洞察で、スラブ叙事詩のもつ意味がより一層伝わってきます。ミュシャのこの絵には
、愛国主義のような思想ではなく、民衆に寄り添うような、、なんといいますか、憐憫、共感、優しさがあり、見ている者に、そのようなまなざしを与えてくれるような気がします。神の視点のような。すばらしいブログをありがとうございます!
Commented by desire_san at 2017-06-13 15:04
maria bernadettaさん、コメントありがとうございます。
ミュシャのこのこの作品は、愛国主義のような思想ではなく、民衆に寄り添うような憐憫、共感、優しさがあり、見ている者に、そのようなまなざしを与得ているというご指摘、全く同感です。「スラブ叙事詩」人類の未来に本当に大切なものを教えてくれるように感じます。
Commented by mcap-cr at 2017-06-19 08:33
ミュシャ展も終わってしまっいましたね。
チェコで、常設展示会場ができるまでの間、ずっと預かってあげます、とか提案したのでしょうか?
入場料を還元すれば、きっと常設展示会場の設営費用に貢献できたのに、とか考えてしまいました。
Commented by desire_san at 2017-06-19 13:09
mcap-crさん、ミシャの「スラヴ叙事詩」が日本で見られるとは全く予想していませんでした。
チェコで常設展示会場がを建設中問うのは、締めて知りました。
東京に住んでいて、こんな幸運に巡り合えるたのは、幸せでしたね。

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