過激化した学生運動の惨劇・日本の深部にひそむ「暴力の解放」テーマにした代表作
写真:鞆の浦 名前をクリックすると福山市・鞆の浦のホームページにリンクします。

世間に背を向け核避難所(シェルター)に息子ジンとともに引きこもりつつ、樹木の魂、鯨の魂と交感する大木勇魚が、「自由航海団」を名乗る若者とたちと出会い、相互に影響を与えつつ大きな破局へと進んでいく物語。
奇想天外な話だが、連合赤軍の浅間山荘事件に重なるものがあり、集団心理からから暴力的なものへ進んでいく過程は説得力がある。「自由航海団」はとカルト集団のようで、「鯨の魂」は滅びゆく古き良き存在の象徴なのかも知れない。多麻吉は、政治集団を過激な方向に進めていく存在だか、妙にかっこいい。肉存伊奈子は『罪と罰』のソーニャのようで、ジンと伊奈子の関係が美しい。個々の登場人物に魅力があるのも、現実味を感じさせる力となっている。どの登場人物にも共感できないが、精神的に刺激となる要素が多く、文体が独創的で大変魅力があり、読んでいくうちにだんだん引き込まれて一気に読んでしまった。最後の「すべてよし!」はなんだか分からないが納得させられてしまった。これは理屈ではない。まさに文学体験というものだろうか。
大江健三郎『取り替え子』
大江健三郎は、後に映画監督となる伊丹十三に出あい、その妹と結婚した。その義兄の自殺と向き合い、重い障害をもつ息子大江光を立派な音楽家に育て上げた。そこには、当事者の苦しみを省みず、批判し追い詰めていく世間や知的障害者に対する無理解との凄まじい闘いがあったと思う。この小説の迫力の根底には、作家が受けた強い衝撃と世間への激しい怒りがあるように思える。残された録音テープを通じて死んだ義兄と対話しながら、少年時代の同性愛的感情などへ屈曲してゆく過程はスリリングで引き込まれていく。精神的遡行や妄想が織り交じっており、難解な面もあるが、屈折を繰り返しながら普遍性をもった文学に仕上がっているのは見事だと思った。
鞆の浦
鞆の浦は、広島県福山市鞆町の沼隈半島南端周辺の海域で、鞆港の港周辺を「鞆の浦」と呼んでいます。「鞆の浦」の地名は「鞆にある入り江」という意味で海域を示し、仙酔島などいくつかの島も含まれます。歴史的には、万葉集で、大伴旅人が、「鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも」と詠んでいます。南北朝時代に足利尊氏率いる北朝と新田義貞率いる南朝との鞆合戦が繰り広げられました・ 戦国時代には毛利氏が鞆中心部に「鞆要害」を築き備後国の軍事的要所となりました。室町幕府には、15代将軍足利義昭が織田信長により京から追われ、毛利氏、伊勢氏、上野氏などの支援で足利義昭が「鞆幕府」と呼ばれた幕府となしていたこともあり、頼山陽によれば。“足利(室町幕府)は鞆で興り鞆で滅びた”場所になっていま 近世は、航海技術が発達し鞆のは衰退し、尾道にこの地方の港湾拠点は移って行きました。
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ところで、冒頭の写真はどこにある寺ですか。大江健三郎の文学ゆかりの寺ですか。
今度は文学作品ですか。話題がどんどん広がりますね。私も本が好きですが、流行作家のベストセラーのものばかり読んでいます。ブログをよませていただき、大江健三郎のような純文学の作品もよんでみようか、という気持ちになりました。
Takashiさん、写真と文は関係ありません。誤解を招くので、ブログに書き加えておきます。ご指摘ありがとうございました。
大衆迎合、権力や体制に迎合する作家が多い中で、数少ない本物の文学者だと思います。どんどんこのような人が出てくると日本ももう少し良くなるのですが、きっとそういう人は表に出にくい力が働いてもなかなかメジャーになれないのでしょうね。
私は大江健三郎さんの文学作品が好きでたくさん読んでいます。私が読んだ主な作品は、小説では、『われらの時代』、『遅れてきた青年』、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』、『懐かしい年への手紙』、『M/Tと森のフシギの物語』エッセーでは、『沖縄ノート』『「自分の木」の下で』、などです。
desireさんが紹介している『洪水はわが魂に及び』は未だ読んでいませんでした。こんど読んで見ることにしたいとしたいと思います。
Kenzaburo Oe is known well also in Italy. Lots of novels of Kenzaburo Oe are translated into Italian.
He is evaluated high as a mettlesome artist also in Italy.
川端康成がノーベル文学賞を受賞したとき、三島由紀夫もノーベル賞の噂があったのに、川端康成はその当時ノーベル賞の話などまったくなかつた大江健三郎に、次は君だねと言ったそうです、言ったそうです。天才には天才の才能がわかるのですかね。
「 飼育 」(1961) 監督:大島渚「静かな生活」 (1995) 監督:伊丹十三 などです。
しかし、代表作は映画化されていませんし、映画化して成功したという話も確かにききませんね。
話は変わりますが、19日から上京しまして、20日にブリヂストン美術館に行ってきました。久し振りの文化的刺激でした。
大江健三郎の文学は何作か読み、朝日新聞に定期的に投稿されているのでそれも時々読んでいます。人間としての生き方を深く語っているようにも思えますが、理解できないような政治的に発言も過去にあり、思想的には良く分からないところもあります。しかし、作品を読んでいると、言葉の洪水のような大江ワールドにいつの間にか引き込まれていき、なんだか分からないが納得させられいまう、というのは私も理解できます。この辺は思想的本質は違うと思いますが、安部公房と通ずるものがあるのではないかと思います。
大江健三郎の作品はdesireさんが書かれているように、なんだか分からないが・・という部分があり、読み終わっても欲求不満が残るような気がします。
初めてコメントしたのに気の効いたことが書けなくてすみません。
彼がすごいのは時代を察知する眼だと思います。燃え上がる木は、オウム真理教の騒ぎが起こる前に書かれた作品です。あの事件の前に一部の新興宗教への盲信を指摘していたことに震えました。
そういった意味では、治療塔も面白かったです。ファジーという言葉が流行ってなんかおかしいなと思ったいた時に、見事に進みすぎた技術に対して批判してくれました。
伊丹さんの死に対する悲しみは大きかったようです。週刊誌の記事が自殺のひとつの引き金になったととらえたようで、懇意にしてたその出版社から以降本を出すことをやめてしまったくらいでした。(現在はわかりませんが)
私は「雨の木を聴く女たち」から「新しき人よ目覚めよ」までの息子の光さんとの関わりを書いた小説をお勧めします。

