究極の愛を描いたワーグナー芸術の最高峰
Wagner "Tristan and Isolde"

「トリスタンとイゾルデ」は愛と死の美学を音楽で表現したヴァーグナー芸術の最高峰ともいえる作品です。新国立劇場では「トリスタンとイゾルデ」が初演となり、会場は満員の人で熱気があふれておりました。
"Tristan and Isolde" is one of the best musical drama in Wagner.
"Tristan and Isolde" is a musical expression of the "aesthetics of love and death."
《あらすじ》

第一幕:コーンウォールに向かう船の上
アイルランドの王女、イゾルデは自分の婚約者を殺した仇と知らず、トリスタンを介抱するうち、愛するようになります。時が経って、トリスタンは、イゾルデをコーンウォールのマルケ王に嫁がせるように計り、迎え来る役を引き受けます。歳をとったマルケ王との政略結婚を強いられ、仇を愛してしまった罪とでイゾルデは苦しみます。彼女は、侍女ブランゲーネに死の薬を用意させ、その薬の入った杯をトリスタンに飲ませます。イゾルデも一緒に死のうとその杯を飲みますが、実はその薬は侍女ブランゲーネが摩り替えた愛の秘薬でした。
愛の秘薬の力で、心の中に押さていた愛に目覚め、トリスタンとイゾルデは情愛に燃え上がります。我に返り、侍女ブランゲーネの口から薬が愛の秘薬であると聞いてイゾルデは唖然とした時、船はコーンウォールの港に着き、イゾルデはマルケ王に嫁いで行きます。
第2幕:コーンウォールの城内にあるイゾルデの館の前
居室の前庭で、密会を重ねるトリスタンとイゾルデ。しかし、家臣のメロートはトリスタンに嫉妬して、マルケ王にふたりの密会の場を見せようと陰謀を企てます。

第3幕:コーンウォールから海を隔てたカレオールの古城の跡
自分の城に戻ったトリスタンは、傷が癒えず昏睡状態です。従者のクルヴェナルは主人を哀れみイゾルデを呼びにやります。長い時が過ぎ、やっとイゾルデが到着しますが、トリスタンは彼女の腕の中で息をひきとります。秘薬に翻弄されたふたりの愛のいきさつを知ったマルケ王は、二人を赦そうと後を追って来ますが、マルケ王の一行を襲撃と誤解したクルヴェナルは、戦いを挑んでメロートと刺し、自分も討たれてしまいます。悲しみに沈むマルケ王と侍女ブランゲーネが見守るなか、イゾルデは愛する人の亡骸に寄り添い、悲嘆のなかで昇天していきます。
なお。載せている画像は「トリスタンとイゾルデ」の禁断の愛の世界を描いたラファエロ前派を中心とした絵画です。
《トリスタンとイゾルデ」の音楽》

第1幕、前奏曲からライトモチーフ{動機)を馳駆した物語を予見させるような音楽です。弦楽器のためらうような響きから始まり、クラリネットのトリスタンの動機、愛の動機、憧れの動機、愛の魔酒の動機と続きます。ヴァイオリンが愛の動機を歌い音楽は最高潮になります。前奏曲から聴く人を高揚させていきます。

イゾルデの昇天は、ワーグナーはヴェネツィア派の巨匠、ティツィアーノの名画「聖母被昇天」をイメージして作曲したと言われています。その話を知ったので、画集でこの作品を見てから聴きに行きましたが、確かに、イゾルデの昇天の音楽はティツィアーノの名画「聖母被昇天」のイメージそのものでした。
ワーグナーの音楽は、ひとつの旋律が終わる前に次の旋律を音楽が途切れることなく重ねていく無限旋律で、聴く人に休む時間を与えず、更に様々なライトモチーフを音楽の中に潜ませて、聴く人を特殊な世界に導いていって陶酔させてしまう魔力のような力があります。「トリスタンとイゾルデ」はその極地ともいえる作品で、頭で考えると理解できない世界に、聴く人を音楽の力で強引に引き込んでしまいます。
「トリスタンとイゾルデ」の音楽的な魅力は、極めて絶妙なバランスの和音の使い方です。不安定な音に聞こえる和声と極めて単純な落ち着いた和声とバランスさています。複雑怪奇な「トリスタン和声」は機能和声法をギリギリまで拡大解釈して見せる手腕、ストレスの解決には次の不協和音を生み、延々と続く和声のうねりは、トリスタンとイゾルデ二人の永遠に解決されることのない愛を感じさせます。トリスタン和声は官能美をたたえた音を鳴り響かせ、法悦感を喚起する麻薬的効果が聴衆を陶酔の世界へと誘い音楽的快感の虜とさせます。楽理を超越した仮想によるカタルシス的な憧憬と情動の浄化、幻影への陶酔の求心効果、「音楽」の魅力を表現しつくした芸術中の芸術、これがワーグナーの楽劇であり、トリスタンとイゾルデ」なのだと思います。
《新国立劇場の公演の感想》

しかもオーケストラは歌を伴奏するのではなく、歌とは番った音楽を鳴らし続け、歌はオーケストラと音楽を競い合うことになります。従って主役のふたりは。高いレベルの音楽表現を続けられる、強靭な体力、気力、集中力が必要だと思いました。

今回トリスタンを演じたステファン・グールドはウイーン国立歌劇場など欧州の主要劇場で、「バジルファル」『ニーベルングの指環』などワーグナーの作品を演じタ幅広いレパートリーの歌手で、声に透明感があり声量も豊かで、燃え上がる情愛から甘い音楽表現まで、見事に表現していました。
侍女・ブランゲーネ役のエレナ・ツィトコーワは以前新国立劇場の「こうもり」のオルロフスキー公爵の役であでやかな男装の麗人を演じて、容姿に相応しい華やかな音楽表現が印象に残っている人でしたが、イゾルデを思いやる控えめな性格を上手に音楽表現していて「こうもり」とは別人のようでした。
クルヴェナール役のユッカ・ラジライネンは、内面的な表現のトリスタンとイゾルデと異なる昼の世界に生きる明るく粗野な性格を歌で見事に表現していて、第3幕のトリスタンとの歌の競演の場面でも、声量や音域の広さでステファン・グールドと対等に歌を競い合っていました。
演出のデイヴィッド・マクヴィカーは英国ロイヤルオペラ、メトロポリタン歌劇場、ザルツブルグ音楽祭など世界の主要な劇場で演出を手がけている一流の演出家ということですが、舞台に水を張り、第1幕は船が進む海、第2幕は宮殿の池、第三幕はまた海を表現し、スケールの大きい舞台を演出していました。赤い太陽で夜の世界など、光をうまく使って落ち着いたやや幻想的な世界を効果的に表現していたように感じました。

《トリスタンとイゾルデ」の世界》
トリスタンとイゾルデ」も究極の愛と死の物語です。許婚を殺したトリスタンに対して、イゾルデは激しい憎しみの感情の裏側に、深い愛の気持ちを秘めていました。イゾルデは、自分がマルケ王への謙譲物だと告げるための使者として来たトリスタンに対し、自分の愛が裏切られたと感じ、激しい怒りを感じまました。しかし、トリスタンも心の底ではイゾルデを愛していました。社会の規範と自分の名誉心といった昼の世界が恋心を抑制していたのです。

しかし、社会規範や性の規範から逸脱することは、昼の世界を呪い、社会秩序と敵対することであり、魂を夜の世界に捧げることは、死をも享受することを意味します。
死の毒薬と思って愛の秘薬を飲んだ時点から、ふたりは死を意識しており、永遠の愛に陶酔することは、死を覚悟することでもあります。トリスタンがメロートに闘いを挑み、相手の剣に身を投げ出すことは、昼の世界ではかなわぬイゾルデへの愛のために死を選ぶことを意味します。
イゾルデも、トリスタンが死に切れない間は生に踏みとどまりますが、トリスタンが息を引き取ると、自らも死を選びます。究極の愛のために死を選ぶという考え方は、ヴェルディーの「アイーダ」やジヨルダーノの「アンドレア・シェニエ」にも見られますが、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」ではその思想が純化されたものになり、その音楽全体のテーマとなっています。
愛の究極のために死を選ぶという考え方は、社会規範を厳しい当時の社会を考える有りうる話かも知れませんが、やはり現代社会に住む私たちには理解しにくいことです。まして、ワーグナーの世界は、愛のために死を選ぶのではなく、愛=死、魂の救済=死という世界を描いており、私には理屈では全く理解できません。
参考文献:新国立劇場トリスタンとイゾルデ」パンレット
音楽の友社編・スタンダードオペラ鑑賞ブック「ドイツオペラ」
三宅新二「ヴァーグナーのオペラ女性像」鳥影社
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新国立劇場 14:00~ 3階正面 ワーグナー:トリスタンとイゾルデ トリスタン:ステファン・グールド イゾルデ:イレーネ・テオリン マルケ王:ギド・イェンティンス クル...... more

<新制作プレミエ上演> 2010年12月25日(土)14:00/新国立劇場 指揮/大野和士 東京フィルハーモニー交響楽団 新国立劇場合唱団 演出/デイヴィッド・マクヴィカー 美術・衣裳/ロバート・ジョーンズ 照明/ポール・コンスタブル 振付/アンドリュー・ジョージ トリ...... more
いずれにしてもオペラは長丁場なため
アリアだけを聴くことが多いようです。
トリスタンとイゾルデは、ブログに書かれた
あらすじを読んで、改めて興味を深めました。
有難うございます。

お久しぶりです。
訪問&コメントありがとうございます。
新国「イゾルデ」概ね良い公演だったようですね。
気にはなっていたのですが結局行けませんでしたが。
次回の「椿姫」はいよいよチョーフィが新国立劇場に初登場ですね。
自分は と言いますと
新国立のワーグナーと考えれば 大野の指揮に支えられ まずまずであったと思われますが
その他に関しては 予想を上回ることも無く むしろ、演出はマクヴィカーとして精彩を感じられず
歌手陣も 良さが そこまで出ているものとは思えませんでした。
また オケが付いてきていないという意味では 演奏にも多くの問題点が浮き彫りにされたように思えてなりませんでした……
そんな訳で
正直、自分にとっては 残念ながら あまり充実感の高い観劇にはなりませんでした……

今回の公演、相応のレベルのものだったとは思いますが(歌唱陣は特に今トリスタンをこの面子で出来るならまぁ御の字でしょう)、演出はなかなか難しい所なのかな、と思います。
個人的には、「イゾルデは来なかった」演出が結構好きなんですけどね....(笑)
ではでは、今後ともよろしくお願いします。
しかし素晴らしく丁寧な記事ですね、じっくり読ませていただきました。
新国公演は大野さん以下キャストがすごかったですが、賛否あるようですね。
この演目自体、とても一筋縄ではいかないようなものですし、
聴く側の思い入れも多様だと思いますので、
特に演出への満足度は場内大喝采とはなり難い演目かと思います。
最近は割にシンプルな演出が多いような気がしますが(予算の関係もあるかも?)、
個人的には大胆な演出のを観てみたいですねえ・・

訪問&コメントありがとうございます。
トリスタンとイゾルデ、確かに人を引き付けて虜にする魔力がありますね。私もその魅力に取りつかれてしまった一人です。会場にもそんな人たちがたくさん集まっていたみたいですよ。
「トリスタンとイゾルデ」は確かに、歌手も相当の力量が必要ですし、演出も、オーケストラの演奏も難しい作品だと思います。
ブログや新聞の評論の中には今回の舞台に批判的なものもあるようです。しかし、私の芸術作品を鑑賞する姿勢として、美しいものを美しいと感じることができる感性と、ささやかな欠点を受け流す度量が必要だと思っています。その逆ですと、どの作品にも満足せず、批判的な論調しか出てきません。何よりも、長時間、生の舞台の鑑賞に時間を費やし、喜びを感じない本人が惨めです。
何事もそうだと思いますが、改善や発展につながせる建設的な批評は意味があると思いますが、ただ否定するだけの批判は、私は気にしないことにしています。
ところが、ある人のブログを観たら、「自分は本場のオペラしか観ないが、たまに日本のオペラをみたら、・・・が悪い、・・が悪い、やはりオペラは本場で観なければダメた。。」と書いてありました。
確かに、本場のオペラと比べればそうなのかも知れませんが、そんなことは”本場のオペラしかみない”人なら、そんなにことは見る前から分かっているはずで、それを分かっていて、日本のオペラになどこなければよいのに、と思いまます。それを分かっていて、わざわざきて、ブログでけなすような人は、単なる皮肉屋にすぎず、本当にオペラが愛する人ではないのではないかと思いました。
desireさんの言う、美しいものを美しいと感じることができる感性と、ささやかな欠点を受け流す度量があれば、よほどひどい舞台でない限り、楽しめるのではないかと思いました。
こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願い致します。
今回の公演についての記事、大変読み応えがあって素晴しいですね。勉強させていただきました。美しい絵画にもうっとりです。
感想を拙ブログに載せておりますので、よろしければご覧下さい。批判的な部分があるかもしれませんが、私はオペラを愛しておりますし、感動と美しさを求めて劇場へ通っているということを、お伝えしておきたいと思います。
様々な意見があるかとは思いますが、自分の感じ方をまず大事に、かつそれだけに囚われない視野の広さを持つことが、感性を磨くためには必要かもしれませんね。

Masayuki_Moriさん、desireさんのご意見に共感します。評論家と称する人たちが゛私がせつかく酔い思い出と思っていたオペラや演劇の舞台を雑誌などで酷評しているのに出会い、不快な思いをしたことが何度もあります。未だプロの評論家は、ある程度的を得ている場合もあり、出演者がその評論を読んで自らを高める方向に行くことはあるかも知れません。しかし、本当に分かっているのかどうかも怪しい自称オペラマニアが、ブログやツイッテーで、一生懸命がんばている歌手や演奏家をひどく言うのは、その人が本当に音楽やオペラを愛しているのか、疑いたくなりますね。たしかにdesireさんが言われるように、そんな人は無視した方がよいかも知れませんね。
ブログを読ませていただきました。「自分の感じ方をまず大事に、かつそれだけに囚われない視野の広さを持つ」という考え方、同感です。


ドラマの中で北朝鮮の工作員を金城武が演ずる金城武が中山美穂に「トリスタンとイゾルデ」の話をして、自分に恋をしてはいけないと諭す場面、金城毅がオペラ「トリスタンとイゾルデ」の会場で暗殺に失敗して中山美穂と一緒に殺される話だったと思います。北朝鮮の工作員を演ずる金城武がすごく素敵で、禁じられた恋であっても恋をしたい男という設定に説得力がありました。オペラの話でないことを長々と書いてすみません。



ワーグナーは何か悪いことをして、指名手配の身になっていた時期があつたそうです。このとき、富裕な商人の保護を受けれますが、こともあろうに、この商人の若い妻のマティルデと恋に落ちます。この体験が「トリスタンとイゾルデ」の下敷きになったというのは有名な話です。ワーグナーは人間的には唯我独尊のかなりひどい性格で、ワーグナーの音楽を支えていた指揮者の妻コジマに不倫をさせたあげく、自分の妻にしてしまいます。それ以外にも、”禁断の恋”がいろいろあったようです。
テレビドラマ「2千年の恋」の話が出ましたが、このドラマで、主演の金城武は、「トリスタンとイゾルデ」の恋をしてはいけない相手なのに、女性に恋をさせてしまうトリスタンをイメージして、演技していたそうです。
ウイーンはオペラの本場ですが、「トリスタンとイゾルデ」の舞台はさすがに少ないです。主役の歌手の負荷が非常に大きく、いらく美声でも、スタミナがないと最後まで歌いきれないのと、舞台が終わった後病気になってしまう人も出るので、この演目は頼まれても受けたくないという歌手もいるそうです。
東京の新国立劇場で「トリスタンとイゾルデ」を上演したというお話を伺っただけでも驚きました。指環、4作も上演したそうで、新国立劇場の頑張りには敬服します。
次は「ローエングリン」を上演するようで、楽しみですね。

益々ブログの記事にすごくなっていきますね。やる気になるととことんやるけど、やる気にならないととことん手を抜く(失礼!)貴方の性格から、今は乗っている状態であることが分かります。
中身のことは、コメントできませんが、時間が許す限り、読んで面白いブログを機体しています。
ワーグナーのオペラはどれも旋律が美しいのでぐんぐん引き込まれますね。「トリスタンとイゾルデ」は数年前に一度観たことがありますが、私には恰好の睡眠導入剤になってしまいました。



まずいため削除したというはなしがありました。私にはイゾルデが後ろに消えていく演出は
面白く妥当だと思います。
まずいため削除したというはなしがありました。私にはイゾルデが後ろに消えていく演出は
面白く妥当だと思います。