電子書籍の普及について考える
オフィスでも、パソコン・インターネットの普及で、紙への印刷、コピーを減らすペーパーレス化が進んでいますが、書類を電子化することで、書類を簡単に検索することができますし、データの共有化などオフィス事務の効率化も進んでいます。
ペーパーレス化は、オフィスだけでなく最近は我々の日常生活にも浸透してきています。
写真はデジカメの普及により、プリントしなくてもパソコンなどのディスプレイで見るようになりました。
書籍も印刷物ではなく、ディスプレイで読む時代が到来しつつあります。米アップル「iPad」、アマゾン「キンドル」が売り上げを伸ばし、ソニーもタブレット型の高機能情報端末を発売して、この市場で世界第2位を目指す方針を明らかにしました。芥川賞作家の村上龍さんは、電子書籍の製作会社「G2010」を設立して、自らの長編小説「うたうクジラ」を紙の本、iPad 向けの電子本として先行発売しました。この電子本には、作曲家・坂龍隆一さんが作曲した音楽を載せて、紙の本の半額の1500円で販売するそうです。さらにパソコンの機能をベースとして作られた携帯電話・スマートフォンが急激に普及し、携帯電話でも書籍がいつでも簡単にみられるようになりました。2010年の総務省資料では、電子書籍の市場規模は、2009年には約500億円にまで拡大し、2010年約1200億円の市場と予想しています。これからどんどん電子本が発売され、紙の本が少なくなっていくことが予想されます。
最近プロの写真家とお話をする機会がありました。その方のお話では、デジタル一眼レフの普及で写真を趣味とする人の数は大幅に増加しましたが、アマチュア写真家の撮影した写真のレベルはどんどん下がっていると感ずるというのです。
デジタル一眼レフを使うアマチュア写真家の多くは、撮影した写真をプリントせず、パソコンのディスプレイ見て、ホームページなどで仲間と画像を共有化して楽しんでいます。そのプロの写真家の方の意見では、写真をプリントして手にとって見たり、他の人の撮った写真とじっくり比較していないため、写真を見る眼が甘くなっていて、それが写真の上達しない一因だと言っていました。
私の体験では、電子機器のディスプレイで本を読んでいると、情報の検索と同様に、何か自分に役に立つものを捜し求める眼で本を流し読みしてしまう傾向になります。そして、その本から自分に都合の良いもの、自分か今直接使えるものだけをつまみ食いするような本の読み方に陥ってしまう傾向があります。
また、テレビでもそうだか、電子媒体から受ける情報は、私は受身で受け取る傾向になります。それに対して、紙の本を読むときは、その本に何かを求める能動的な姿勢になり、分からないところ、気になるところは何度も読み返し、本に正面から向き合う姿勢で本を読んでいることが、多いと思います。
これは新聞でも同じで、ネットで新聞記事を読んだり、テレビでニュースや政治、経済の番組をみているときと、新聞の紙面を追って読んでいるときとでは、自分の姿勢が全く違っているのに気づきます。それに対して、紙で新聞を読んでいる時は、紙面の中に自分が今まで眼を向けなかったような分野で面白い記事を見つけ、思いもよらない事実や意見に遭遇することがあります。
本を手にとってじっくり考えながら読み、気になったところは日を変えて改めて読み直すことで、新たな発見があり、自分には今までなかった発想に触れる機会もあります。本を読むことにより、今まで気がつかなかった新たな世界が見えてくることもあります。
効率重視の仕事の世界では、書類の電子化は有効な手段ですが、私たちの日常生活では、利便性だけで解決できない問題が多いと思います。確かに本の電子化により情報検索の意味では効率化しますし、音楽と映像を載せて情報を多角化することもできると思います。しかし、効率化や情報の多角化により進化していくほど、人間は単純な動物ではないと思います。書類の電子化は、人間に能動的に自分の頭で考える機会を奪い、かえって人間を劣化させる懸念もあります。本の電子かは決して万能ではないと私は思います。
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こんな人も多と思いますし、紙でめくる感触やインクの匂いが好きという方も沢山いることでしょうから、決して本はなくならいことでしょう。
仕事で一日中PCに携わるようになって、オフタイムにはPCから離れたい心境で、ブログからも遠のいています。
貴殿のような、芸術、絵画などに親しめる心のゆとりが欲しいと思っています。
わたしはどちらでも良いと思います。 作品や売り物の写真は焼いて成立すると思いますけれどね。 このblogも印刷して郵送ということを望んでいらっしゃるといいうことでしょうか。 紙はなくならないでしょうが、でも、今の印刷はあまり好きではありません。 テクスチュアに欠けますよね。 活版の名刺などをいただくと、見入ってしまいます。 立体ですものね。
写真が強烈な心象を与えますね。写真は、ブログの文章の内容に呼応させたのでしょうか。私には、本が全て電子化した場合、写真のような冷徹な社会になってしまいますよ、という、desireさんのメッセージと受け取りました。ちょっと考えすぎですかね。(笑)
ブログへのコメント、ありがとうございます。
紙媒体・電子媒体のどちらとも良さがあるかなと思っています。
出版業界も少しずつ電子化へと向かっているようですが
私としてはどちらも共存するのではないかと思っています。
私もまだ紙の本です。と言っても図書館から借りるのが中心で、本を買うことは少なくなってしまいました^^;。現在、常に2~3冊の借りた本があり、年間100冊くらい読んでいますが、買う本はPCやフォトショップの解説本とか雑誌ばかりです。
写真はプリントするとクセになりますね^^)。
いいと思った写真はショップでA3プリントしていますが、額に入れると結構いい絵に見えて感動します。自己満足ですけどね^^;。
desireさんは、そういう生活をしていると、だんだん考える力が衰え、人間が劣化してしまうことを懸念するということですね。
私は、それは本の電子化に関係なく、個人の問題だと思います。本も、新聞も印刷されたものしかない時代でも、新聞をまともに読まない人も、しっかりした本を全く読まない人もたくさんいました。
本が仮に全て電子化されたとしても、しっかり考えて書物を呼んでいた人は、それなりに考えて電子書籍を読むと思いますよ。
desireさんも、iPadを買って、それで本を読むことに慣れたら、きっと考えながら電子書籍を読む習慣ができるようになると思います。でも、おそらく紙の書籍がある限り、desireさんはiPadを買わないかもしれませんね。(笑)
電子書籍は、さまざまな可能性をもち、作家の表現手段として、例えば小説に音楽や映像を加えることもでき、芸術家の表現の幅が飛躍的に広がる可能性を秘めていると思います。電子書籍から、今までに内容名新しい芸術表現が生まれるかも知れません。芸術家の立場からすると、活躍の場が広がり、歓迎されることだと思います。
desireさんは、受け手の思考力の劣化を懸念しているようですが。これは、智子さんがコメントされているように、個人の問題だと思います。電子書籍により、今まで文学作品を読まなかった人が、文学を楽しむようになる場合もあると思いますし、desireさんが言われる思考の停止もあるかも知れませんが、しっかりと本と向き合ってきた人が、電子書籍になったからといって、しっかり本を読まなくなるとは思いません。
お邪魔しま~す。リンクも頂いて帰らせて頂きますね。
3枚目のビルの写真、何か迫ってくるものを感じます。
私自身は紙へのこだわりがあるのですが、辞書は電子辞書になってしまったし、
仕事もPCばかりで漢字が書けなくなってしまいました。
フィルムカメラだと一枚一枚を丁寧に撮るのでしょうが、デジカメは
いくら撮ってもフィルムのように変動費はかからないので確かに
一枚一枚が雑になりますね。貴重なご意見をありがとうございました。
媒体が手軽になる反面、(書籍でもそうですが)、雑なコンテンツが広がることも事実でしょうね。私は本は基本的に紙派です。情報を収集する活動と「知識」を身につける活動は自ずから異なるのでは。単なる情報収集(たとえば辞書を引くといった)ならデジタル化の恩恵を最大限生かせば良いとも思いますが。かんがえながら読む、あるいは、読みながら反芻するという営みは紙媒体に歩があるように思います。
どんな本かが判らない時には、インターネット利用で川崎市立図書館に本の予約をして、取り寄せてもらっています。その本を見てから、買うか買わないかを決めることも多いですね。図書館には、よく出かけますね。やはり、印刷されたものの方がありがたいですね。
見ることができます。ちょっと真似したい写真です。
アマチュア写真家の撮影した写真のレベルはどんどん。。。納得しました。
本は好きでほんの少しでも毎日読みます。
何の苦もなく前回のペ-ジがすぐに見られますから
良いですね。
電子書籍はいろいろクリックして読みたいペ-ジに
たどりつくのでしょうね。
Padは使ってみて、便利さを実感しています。本を見る便利さが飛躍的に工場しました。何冊もの本がPadを一つ持っていけば観れるので、私はソフトが充実すれば、は電子書籍専門にしようとも思っています。
desireさんの書いている内容は、電子書籍で本を読む人の教訓になると思いました。電子書籍を使わないのではなくて、お書きなっていることとを心におきながら電子書籍を利用したいと思っています。
日ごろ見慣れているビルもこのように見ると、設計者の芸術的な感覚を感じます。そのような面を際立たせるような写真表現たと感じました。私も真似してみたくなりました。
電子書籍の話は、私も同感です。私はパソコンで資料探しするとき意外は、紙の本で本名を読みます。紙の本がある限りその姿勢は変わらないと思います。
オフィスビルの写真、気に入りました。黒白写真で撮ったのがいいですね。都市の静寂感を感じました。
面白い写真だと思いました。都会のビルをこのように撮るのは独創的ですね。モノクロ写真にしたことで、画面から音が消え、都会の雑踏を連想させず、静けさだけが伝わってきます。やはり、モノクロ写真の表現も良いですね。
芸術です 感動しました フォトも素敵ですし 何より意見の発信が
いいとおもいます
電子書籍 写真においても どちらも良さはあると思うのです
共存していくと思うのです
決して 書籍はなくならないと思っています
手元において読む愉しみは 永遠に続くと思います
積極的なご意見 ありがとう
アマチュアカメラマンのレベルの低下は致し方ないのでしょうね。
レベルのアップを目指している方とそうでない方がいるので、
プロの写真家のおっしゃる通りだと思います。
少しでもうまくなりたいと思っていますが、一朝一夕に上達するものでないので、下手なりにあせらずボチボチ行こうかなと思っています。
オフィスビルのモノクロのお写真
迫力ありますね。
均等に並んだガラスの窓の向こうで
生身の人間の叫び声が閉じ込められているようで
訴えかけてくるものがありました。
プロの写真家の方のご意見、耳が痛いです。
なるべく自分の写真はPCの中だけに留めず
プリントして時々みるようにと
私も写真家の先生に教わりました。
そのほうが、写真を見る目を
養えるそうです。
いつもとはまた違った雰囲気の写真と内容ですね。
僕は2枚目の写真が好きでした。
自分の必要としている情報しか摂取しなくなるというのは、確かに傾向としてあると思います。
ただ過情報時代ですので、膨大な情報の中から自分の必要としている情報を見つけていく能力というのは必要なのかもしれません。
世の中の大抵の情報は自分にとって必要な情報ではなく、本当に必要な情報はごく一部という気はしています。
デジカメり場合は、フイルムカメラをデジカメに買い換える明確なメリットがあったため。普及しました。紙で本を読んでいる人にとって、電子書籍を買うメリットが、デジカメほど大きいとは思えません。ビジネスでどうしても電子書籍端末を持たざる得ない人は、どんどん弟子書籍に移行していく可能性はありますが、それは。全体のごく一部だと思います。
あとは、スマートフォンのような携帯電話端末ですが、あの小さい画面で電子書籍を読むのは、苦しいものがあります。
私の私見ですが、以外にハードの普及が頭打ちになり、電子書籍はそんなに普及しないように思います。
以前、仕事の知り合いで「紙で読んでるのは古い」なんて言い出す人もいましたが、紙媒体と電子媒体は共存していくものだとは思います
形として物が無い、残らない電子書籍は便利で勝手が良いですが、そのまま不便なところでもありますしね
写真家の方が言う「レベル」とはその方々の楽しみ方を基準としてもので、デジカメで撮影を楽しんでいる大多数の人は彼らとは違う視点だと思います
写真賞へ応募して写真家の方に批評して欲しい、というのでしたら別ですけど
ブログへのコメント有難うございます。
都会のビルをこのように撮るのもあるのですね
まねしたい写真です、
カメラもデジカメだと雑に撮って丁寧さが薄れてる感じがします。余りにもPCにすべてを任せってしまう自分がいます。迫力ある写真を見せていただきました
次回を愉しみにしています。
本はできるだけ本として楽しみたいと考えています。
一枚一枚めくっていくところに味があるような・・・・・・
でも、電子化によって、文字を大きくできるので便利かな?!
老眼が進めば、仕方なく電子化書籍でしょうか?
ただ、古本屋街をほっつき歩いて、たまたま目にとまった自分好みの本を購入する・・・
これは止められないと思います。
写真の印刷~~なるほど好いことを教えていただきました、昨日は写真お見事 拍手。マタマタ覘かせてしまいました。色々教えていただきアリガトウございます。何度もすみませんでした~
takeshi_kanazawさんのブログからやって来ました。
モノクロ写真でビルの窓、素晴らしいですね。
僕は、本棚がいっぱいになってしまっい、家のいたる所に本が置いてある状態なので、電子書籍は「嵩張らない」という一点だけで良いと思います。
まあ、どちらも長所、短所があるので、両方楽しもうと思います。
私の娘は情報をネットから取得していますが、朝一番に寝床や炬燵に入って目を通す新聞は習慣でもあり喜びでもあります。
現役時代に会議議事録や情報を全てパソコンにセイブしていましたが、やはり書棚には綴込みとして常にそばに置いて安心していました。
しかし、小学生のころから馴染んでいる今の世代にとっては、電子媒体も違和感なく消化しているのかも知れません。
科学技術が万能の世界になって来ると、生物としての退化が始まり感情に乏しい無機質な人間になってくような気がします。
ついでに、貴ブログで紹介のあったゴッホの美術展も見ることができました。
現在アマゾンの電子書籍が国内で発売されるのを待って比較検討の上購入するつもりです。
よくわかります。
便利になると、つまみ食いをいるようになります。パソコン通信の時代、一冊の本を数人で延々と議論するなどしていました。それは深みのある議論でした。ブログができて、誰でもコメントできるようになり、ブログがお付き合いの道具化すると、適当に相づちを打ったり、誉め合ったり、ブログのランキングを競い合ったり、それでは皮相的な感想のやりとりに終始するだけで、そこには真情を吐露しての、あるいは自分でよく考えた上での、真の議論は生まれてこなくなります。
ぼくはブログを二つ持って、感想にはコメントを書きますが、コメント返しを読んでいらっしゃらない方はたくさんいます。それはコメントとコメント返しが「お付き合い化」しているからです。コメントの多寡がブログの価値を決めるのではなく、議論の質が決めるという方向へ、変わっていくべきだと思いますが、行けるかなあ…。
失敗すると、ブログは炎上することもありますからね。
仕事柄、PCで検索しネット上にある論文を読んだりすることがありますが、PDFであってもプリントアウトして利用しています。環境にやさしくありませんが、なかなかペーパーレスにはなりません。自分の場合、マーカーで書き込みしたり、紙のファイルに挟んだりする作業の中で、考えをまとめていくことが多いからです。
どなたかも書いておられますが、紙の本ではページをいったりきたりという芸当ができますが、電子媒体のスクロールで同じ効果を得るのは難しいと思います。
でも、電子媒体で情報収集し、新しい価値を発信できる方なら、それでいいと思います。とどのつまり、新しい情報を世界に発信するんだ、という意気込みを持ち、情報の多さに満足しないことが一番大事だと思います。
ただし、自分には、本のない世界は、本当に味気ないと想像しますし、今の若い世代が、ネット上で流れている、短いセンテンスの・一見するとわかりやすい・扇情的な・情報ばかりに慣らされて、自分で情報を吟味する能力が低下してしまっているとしたら、悲しいことだと思います。
美しい写真ありがとうございます。