最もモーツアルトにふさわしい、アンサンブル・オペラの最高傑作
Wolfgang Amadeus Mozart "Così fan tutte"
「コジ・ファン・トゥッテ」の題名は「女は誰でも浮気する」ことを意味です。2人の男が、自分の恋人の貞節を賭けて、変装して相手の恋人を口説いて成功するという、極めて道徳的でありえないような話が、モーツアルトの絶妙な音楽の力で、聞く人を納得させてしまう、私個人的には、モーツアルト音楽の最高峰に位置する作品だと思います。
The title of "Così fan tutte" is a meaning about what"a woman has an affair for anyone."me whom two men risk theirsweetheart's chastity, disguise myself and a talk called courting a partner'ssweetheart and succeeding which it is very moral and is not acquired convincesof those who hear it by the power of Mozart's exquisite music .I think that itis a work located in the highest peak of the Mozart music with it beingindividual.
オペラを聴くまでは、正確に言えばこの「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台を知るまでは、ベートーヴェンがクラシック音楽の頂点に位置すると思っていました。交響曲、協奏曲、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのソナタ、どれをとっても、最高傑作といわれる作品はベートーヴェンの作品で、モーツアルトの作品は、その最高峰に至る通過点のように理解していました。
しかし、人間社会の現実は理不尽に満ちて、そんな勧善懲悪の世界なんかじゃない。震災や原発事故で何の罪もない人が「天罰」を受ける。そんな世界で無力感に襲われるとき、ベートーヴェンの音楽は何の救いも与えてくれません。ベートーヴェンの音楽は、みんな既成の価値観、道徳家と同じ方向を向いていて、現実社会で成功している人はともかく、矛盾の中で悩む人、迷える人に何も答えてくれないのです
「コジ・ファン・トゥッテ」の「女はみんなこんなもの」は、人はみんなこんなものであり、欠点だらけで、簡単に誘惑されてしまう弱い存在、はかし一時の浮気心でも、その時の気持ちは本物であり、確信をもって行動していなくても、との一瞬の時間は美しいことを教えてくれます。全体としてつまらない人生でも、生きている一瞬はすばらしいことを教えてくれます。今一瞬を生きていることに価値があり、喜びがあることを実感させてくれます。
「コジ・ファン・トゥッテ」の世界を知ると、夫婦愛・勇気の賛歌であるベートーヴェンの唯一のオペラ「フィデリオ」が寒気のするほどつまらない作品に思えてくるのです。野卑、凡庸、無知、怠惰、不貞を軽蔑する道徳観の強いベートーヴェンには、「コシ・ファン・トツテ」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」のようなモーツアルトの傑作オペラの世界は思いもよらなかったのでしょう。
「コジ・ファン・トゥッテ」の音楽としての最大の魅力は、主役6人による美しいアリアと二重唱、三重唱です。特に、3人の女声、3人の男声が、次々と相手を変えて歌う二重唱、三重唱が20曲近くあり、それぞれの心のゆれが見事に表現されております。フィオルディリージとドラベッラのソプラノ2人の二重唱も美しいですが、本来の相手でない、ドラベッラとグリエルモの愛の二重唱は極めてロマンチックで、フィオルディリージとフェランドのソプラノとテノールの愛の二重唱は、このオペラの音楽におけるクライマックスです
The biggest attraction of the music of "Cosi fan tutte"is a beautiful aria and duet, trio by six leading role. Inparticular, three female, three male voice is, duet singing by changing oneafter another opponent, trio There are close to 20 songs. These music has beautifully expressed the heart of swing of each ofthe Tokyo Stock Exchange figures.Fiordiligi and Doraberra of soprano two duet is also beautiful. However,not the original opponent, duet of love of Doraberra and Guglielmo is very romantic.Duet of Fiordiligi and Ferrand of the soprano and the tenor of love is themusical climax of this opera
「コジ・ファン・トゥッテ」は明確な時代設定がないため、古典的な演出でも、現代的な演出でも違和感をもたない数少ない作品だと思います。今回の新国立劇場の公演では、イタリアの演出家、タミアーノ・ミキエレットが、舞台を現代イタリアの森林や湖など自然豊かなキャンプ場に設定して、現代ドラマとして演出していました。
今回の舞台は、震災と原発事故の影響のためか指揮者と主役級3人が降板し、急遽若手の室力派に出演交渉して、関係者の努力で成立した舞台でした。代役として出演したフィオルディリージ役のマリア・ルイジア・ホルジは、最近注目されだした若手イタリアソプラノ歌手で、透明感のある伸びのある美しい声で魅了してくれました。フェルランド役のグレゴリー・ウォーレンも代役でシタガ、最初こそやや声量不足を感じましたが、だんだん調子が出てきて、クライマックスのフィオルディリージとの愛の二重唱で舞台は最高潮に盛り上がりました、本来の配役であるドラベッラ役のダニエラ・ピーニ、グリエルモ役のアドリアン・エレート、ドン・アルフォンソ役のローマン・トレーケルは、世界の一流化劇場で実績のある歌手で、さすがに安定感がありました。歌手もう一人の代役であるデスピーナ役のタリア・オールは、演技もうまく歌も軽やかで狂言廻し役としてさんざ遺憾がありました。全体として当初の出演者が変わったことを全く感じさせない充実した舞台でした。
(2011年5月29日、新国立劇場オペラパレス)
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敬服しています。
今の時代。本当に貴重なのは
感性から発生するものだと思っています。
昼寝ネコ
いつ来ても、美しいブログですね。
オペラの筋や音楽にも詳しい解説があって、感心します。
モーツァルトのオペラは楽しいですよね。
それに、新国立に通えて羨ましいです。
私も今度、東京に住むことになったら、調布あたりにして、
新国立の会員にでもなり、通い詰めたいと思っています。
いつかどこかで、ご一緒できたらいいですね。
拙ブログへのご訪問もありがとうございました。
ベートーヴェン観を書かれておられるところ、特に興味深く拝読しました。私の感覚も似ております。ベートーヴェンは素晴らしいですが、皆がベートーヴェンのように生きられるわけもなく、現実も弁証法のような進歩史観に基づいたものではありません。残念ですが。だからこそ、曖昧で複雑で理不尽なものを受容するのだ、と思います。
コジの演出、最後の終わり方はとても残念で、おっしゃるとおり一夜の夢としてのオペラの機能を少しばかり逸脱しているかもしれません。ただ、ミキエレットはそこを狙っていたはずで、オペラトークで彼が語っていたところによれば、知っているはずのことをみるのではなく、当たり前でないオペラを観て考えることが大切だ、とのこと。ということ、ミキエレットの意図は伝わってきているのではないか、と思いました。いました。
「コジ・ファン・トゥッテ」は女性を侮辱したようなご説明のように、「女は誰でも浮気する」というようなストーリーで、女性を侮辱したような話なので、好きでありませんでした。だって世の中で浮気する女性なんて、本の一部で、ほとんどの女性は一人の男性につくしているのですよ。世の中で浮気するのは、ほとんど男性の方じゃないですか。
でも、最近CDを借りて聴いたら、このオペラの中のモーツアルトの音楽は、すてきなものばかりで、少し考え方が変わりました。
今回鑑賞された舞台では、女性をだまして、心を試したことで、みんな怒って、恋人同士もも相互不信の大喧嘩になる演出だそうですか、当たり前ですよ。変装して恋人を交換して口説き、相手の心をもてあそぶなんて、許す女性なんていませんよ。(笑)
「コジ・ファン・トゥッテ」の、いろいろな登場人物の組み合わせによる二重唱は、すてきな音楽ばかりですね。
本来の相手でないフィオルディリージとフェランドがソプラノとテノール、、ドラベッラとグリエルモがメゾソプラノとバスで、こちらの方が声の相性がよい、というのもモーツアルトの心憎い音楽の演出だと思います。
ご指摘の二重唱のほかに、フィオルディリージの断固として貞節を貫くと歌うアリアやフィオルディリージ、ドラベッラ姉妹の「もし新しい男を選ぶとすれば」の二重唱など゛、女声の歌も大変魅力的な曲がありますね。 女性から見るとストーリーはあまりにも女性を馬鹿にしているような気もしますが、フィオルディリージは魅力的な女性に思えるような音楽を与えていると思います。書かれているように、モーツアルトのオペラは、あまり真面目に考えず、遊び心で音楽を楽しむものなのでしょうね。
モーツァルトのオペラ、どれも素敵ですが、台本のハチャメチャなストーリーを超えて音楽の素晴らしさが伝わってきますね。
私もこのようなブログがかけるように頑張りたいと思います。l
マリア・ルイジア・ボルジという方の名はなんどか聞いたことが、
まだその声を聞きに行ったことがありません。
いつか、行きたいと思います。
「コジ・ファン・トゥッテ」は、ムーティの指揮ウイーン国立化歌劇場の舞台をみたことがあります。
演出は、オーソドックスで、ナポリの街のような絵画的な背景に、時計をアレンジした円形の舞台で、装置が移動して次々に場面が転換しました。 アルバニア人に変装した男性二人が言い寄ると、女性二人がギリシア彫刻のように固まった姿勢をとり拒絶する場面は、笑える演出でした。二人がブドウを食べる場面で、ふたりの性欲が目覚めることを表現していたようです。ラストは、6人が正面を向いてフィナーレの重唱を歌いながら、照明が次第に暗くなっていき、単純に元の鞘にもどったのではないことを暗示していました。
懇意かご覧になつた演出は、それより少し奇抜でドラマティ久な演出だったようですね。
実は、「コジ・ファン・トゥッテ」は私が参加しているアマチュアオペラのグループで上演したことがあります。フィオルディリージとドラベッラの役は、さすがに歌が高度でアマチュアでは歌えないようなアリアなどがあるので、音大の先生をしている人に客演してもらいました。
ほんとうにアンサンブルがすばらしてく、すてきなオペラだと思います。
ベートーヴェンやブラームスの音楽は、正座して、あるいはしかめっ面をして聴くような重々しさがあり、あまり聴きませんね。何が違うのかと思っていましたが、dezireさんの ご説明を読んで、なんとなく分かったように思いました。
モーツアルトは好きな曲がたくさんありますね。ピアノ協奏曲23番、27番など明るい曲が特に好きですね。オペラでは、やはり「フィガロの結婚」が、すばらしいアリアが詰まっていてCDで何度も聴いています。
私はベートーヴェンもモーツアルトもクラシック音楽の異なった最高峰だと思います。
ベートーヴェンもモーツアルトもも同じくらい聴いていますが、今は聴く割合はモーツアルトが多いですね。
モーツアルトは「コシ・ファン・トゥッテ」もいいですが、私が好きなのは「フィガロの結婚」、「魔笛」、「ドン・ジョバンニ」の順ですね、
ベートーヴェンの「フィデリオ」はあまりお好きではないようですが、私は傑作オペラだとおもいますよ。
一度行ってみたいのですが言葉が分からないので。。
ところで、モーツァルトとベートーヴェンのこと。
モーツァルトは幼少の時に、イタリアに渡り、オペラの本場で、音楽の教育を受け、生活の中でオペラを体の染み込ませました。そして、才能を磨き上げていきました。
ベートーヴェンは、そうした体験がモーツァルトに比べ少ないのでオペラは、見劣りしてしまいます。おそらく、ベートーヴェンもその辺のところは分かっていたでしょう。魔笛を絶賛しているところからも分かります。
ただ、交響曲やピアノ曲を初めとするいろいろな分野の曲は、モーツァルトもベートーヴェンも、それぞれ個性豊かに作曲していて、ともに範囲が広く、奥深いものがあります。
どちらが生きる喜びを与えるかなどというようなことは一概には言えないと思います。
わたしは、その時々に応じて二人の音楽を聴きます。どちらも大きな感動を与えてくれます。やはり、二人とも偉大な音楽家だからだと思います。
拙ブログにお越しいただきありがとうございました。
ベートーベンのフィデリオはまだ見たことがありませんが、私も音楽性はモーツァルトの方が好きです。
おっしゃるように、ダ・ポンテ&モーツァルトコンビによるオペラは大変懐の深い、味わい深いものだと思います。
今回のミキエレットの演出はアイデアに溢れ、現代人にとって大変説得力あるものでしたが、私もダ・ポンテ&モーツァルトの本来の意図とは少し離れてしまったかもと思いました。
またレヴューなど楽しみに拝見させていただきますね。
グリエルモとドラベッラの二重唱なんて聴いているだけでドキドキしてしまいますよね。
確かに今の日本の状況ですと、色々と心が揺れ動いている人が多いと思いますが、中にはベートーヴェン的一途さで邁進している人もいるみたいで、そんな単純な話かな~なんて思ってしまう事もあります。本当に「人はみんなこうしたもの」なんでしょうね・・
ドラベッラのタリア・オールも私は良かったと思います。演技も上手でしたね!
ベートーヴェンの音楽は、善、愛、叡智、道徳の勝利を賛美しているというご意見は共感します。モーツアルトの音楽が、生きている一瞬はすばらしいことを教え、生きていることに価値があり、喜びがあることを実感させるという見方もなるほどと思いました。しかし、ベートーヴェンの音楽が、迷える人に何も答えてくれない、モーツアルトの音楽の方がすばらしいじゃないか、という問題提起をされているようですか、私はそんなことはないと思います。善、愛、叡智、道徳の勝利を賛美するベートーヴェンの音楽のどこが間違っているのでしょうか。 震災や原発事故で何の罪もない人がの理不尽な思いをしているのは、日本の政治が悪いからです。 ベートーヴェンのように善、愛、叡智、道徳の勝利を賛美する気持ちに、現代人がなれないとしたら、それはベートーヴェンの音楽に欠点があるからではなく、現代社会にひずみや格差、不公平があるからです。本来の姿は、ベートーヴェンのように、みんなが善、愛、叡智、道徳の勝利を喜べる社会を目指さなければならないのではないでしょうか。
この作品のラストは、結婚や恋愛についての認識が制作当時と変わっているであろう現在、どうすると観客が納得できるのかなぁ、と思います。
重厚なベートーヴェンも時には良いと思いますが、心地よいモーツァルトの音楽の方が、私も良く聴きますね。
「アマティウス」という映画がありましたが、あの映画で描かれていたモーツァルトは、音楽の才能はあるが、低俗で下賎でキャラクターでしたね。モーツアルトの肖像画はすごく上品なので、あの映画のモーツアルトが真実とは思いませんが、「コジ・ファン・トゥッテ」ようなオペラを作ったということは、そういう一面もあるのでしょうね。
「フィガロの結婚」にしてもそうですが、決して品が良いと思えないストーリーを、音楽の魔力で一級の芸術作品にしてしまうモーツアルトの音楽の力はすばらしいと思います。
「コジ・ファン・トゥッテ」は、市民オペラで合唱として参加した思い出があります。 歌うだけではなく、演技とまではいきませんが動きあるので、その他大勢でも、参加したという気持ちになります。歌うのは本の一部でしたが、どこから舞台へ入るのか、とこから歌い出すのか理解していないといけないので、オペラの全曲を何度も聴きました。その時はづいぶん熱を入れていたとおもいますが、貴重な経験で、心底モーツアルを体験できたように思いました。
モーツアルトは天性から音楽を創造する作曲家であるのに対して、べートーヴェンは、人体体験の苦労,努力から築き上げた哲学や感情を音楽に表現する作曲家だと思います。
モーツアルトも晩年は、生活苦から、「レクイエム」のような暗い心の苦悩、死への恐れ、死後の天国への憧れを表現した曲を作っています。
晩年のモーツアルトは、初期の軽やかさや明るさが失われ、べートーヴェンの心境に少し近づいているようにも思います。
ウイーン国立歌劇場のオペラは、私がドイツにいた当時からね現代演出が多く、私が見た「コジ・ファン・トゥッテ」はすべて現代演出でした。
「コジ・ファン・トゥッテ」はたしかに、現代演出でも違和感がありませんね。今回は面白い演出だったようですね。
蛇足ですが、最近のウイーン国立歌劇場のオペラは、時代設定のあるヴェルデイのオペラまで、現代演出で行われることが多く、少し疑問を感じます。
ベートーヴェンとモーツアルトの音楽の違いについて興味を持ってよませてもらいました。
私は、ベートーヴェンの音楽は、作詞の意図や聴く人に与える影響なとを熟慮して設計したようなある種の完成された作品だと思います。それに対して、モーツアルトの音楽は、彼のあふれるばかりの才能から発生したもので、楽譜はそれを記録した結果ではないかと思います。
綿井は、ベートーヴェンの音楽を聴くときは、音楽や演奏と対峙するような関係になり、モーツァルトの音楽を聴くときは、勝手に音楽の方から私のところにやってきて、心の中に入り込んでくるような気がします。
今回の 「コジ・ファン・トゥッテ」は、現代ドラマのような演出だったようですね。
時代設定を現代にして公演するのは、かなりのチャレンジではないかと思います。 ブログ二も書いていらっしゃいますが、、あまりに現代ぽい演出にすると、観る人には生々しい話になって、オペラ本来の非日常のお夢の世界を楽しむ楽しさ”が損なわれ、オペラの楽しみが半減してしまうこともあるのではないでしょうか。
最近は、メトロポリタンオペラは時代設定をしっかりしたグランドオペラ風、ウイーン国立歌劇場オペラは、現代演出が多いように、ある程度チケットを買うときに予測できますから、人それぞれ好みにあったものをみればよいのでしょう。
時々遊びに来ています。いろいろ幅広いジャンルの記事や写真を楽しませてもらっています。
最近では、スイス・アルプスの女王、マッターホルンの美しい写真もがすてきでしたね。
私はスイスの鉄道の旅をしたことがあります。登山鉄道でご紹介のあったゴルナーグラードなど、色々なところに行きました。電車内でフランスやイギリスの若い人と知りあいになり、すばらしい景色について色々話をしたのが、楽しい思い出でした。
先日五嶋みどりのリサイタルに行く機会があり、ベートーヴェンのクロイツェルソナタを聴いてきました。クロイツェルのピアノパート、第1楽章でヴァイオリンとの掛け合いでカデンツァ的な上昇音型を聴いたとき、なにか、耳になじむなあと感じました。
孤高の芸術家というイメージのあるベートーヴェンも、聴衆のことは少しは意識して作曲していたのではないか、とも感じ、さらにベートーヴェンのピアノソナタを聴いてみようと思った次第です。
モーツァルトは、貴族のために書いていながら、次第に、自分の、音楽の深みに到達していったと感じてさせますね。
私は、ピアノ協奏曲20番の、突き上げるようなシンコペーションが、暗い情熱といったものを表現していて、大変好きです。あと魔笛序曲の輝かしい開始も、好ましいと感じます。
いつも写真が満載でかつ分かりやすい文章で、楽しく読ませていただいております。このようなブログがかけたらと羨ましく感じます。
暑い季節となりましたが、お体に気をつけて。
モーツァルトは大好きでです。専門家によると、モーツァルトの音楽の自律神経や副交感神経を刺激して、聴く人をリラックス状態に誘うそうです。医学者の中には、免疫物質を作ったり、ガン細胞の発達を抑えたり、ウイルスに対抗するリンパ球が増やしてりする効果があるという人もいます。動物の飼育にも活用した実験もあるようですよ。話を聞いただけで、どこまで確かな話かは知りませんが、とにかく、モーツアルトの音楽は心地よいですね。
ベートーヴェンからモーツァルトへ、というのは、戦後の日本の流れでもあるのかもしれません。ただ、ピアノに限れば、聴いたり弾いたりして癒されるのは私の場合はベートーヴェンです。モーツァルトは美しすぎてうまく弾けず、無力感を覚えてしまって…
つい個人的な感慨を述べてしまって済みません。リアルタイムで議論に参加できず残念です。