「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」空海の理念・曼荼羅の立体的表現
東寺の密教美術
Esoteric art of Toji Temple
東京国立博物館 平成館で特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」が開催されています。東寺講堂の15体の仏像が集結。史上最大規模の仏像曼荼羅が21体の仏像からなる立体曼荼羅から、15体が展示されていました。
Aspecial exhibition "National Treasure Toji Temple-Kukai and Buddha StatueManra" is held at the Tokyo National Museum Heisei Building.The auditoriumof To-ji Temple forms a three-dimensional mandala with 21 images centered onDainichi Nikori on the stage. The composition and arrangement of the 21 bodiesis a three-dimensional reproduction of the philosophy and mandala of KoboDaishi Kukai.
教王護国寺(東寺)は、京都に訪れる機会があるとき、ほとんど必ず立ち寄るお寺で、延べは、10回以上訪れています。東寺に訪れる目的は、この講堂の中に安置されている密教美術の傑作群を鑑賞するためです。東寺の講堂は、壇上の大日如来を中心に21体の像で立体曼荼羅を形成しています。そこに真理が存在する以上、それはかならず形をとって表現されなければならない、という空海の基本理念に基づき、彫像・塑像などの立体物で構成する羯磨曼荼羅の像は、839年に開眼供養されたと伝えられています。21体の構成と配置は、弘法大師空海の理念、曼荼羅を立体的に再現したものです。まさに、密教の精神を仏像で表現したものといえます。代表的な営みが講堂内に密教彫像をもって形成した立体曼荼羅です。
曼荼羅とは、密教の行のために、宇宙と自然・俗界までを表した縮図で、絶対的な大日如来(宇宙)と五仏、五如来、五明王から俗界までさまざまな大きさの円を廻るように存在し、宇宙の呼吸と膨張と収縮が内包されていて、私たちは東寺の羯磨曼荼羅から大量の氣を感じ宇宙を体感します。
講堂の左側には、特異な仏像類は、一番奥(向かって左側)の五大明王像で、これらは密教伝来による新しい仏像類です。五大明王はすべて平安仏であり、国宝指定を受けていいます。温和な表現の天平物仏に慣れ親しんだ私には、違和感を強く感じ何回か訪問し、少しづつその意義が分かるようになってきました。不動明王を中心とした五大明王像の怒りを込めた奇怪ともいえる姿で、密教のひとつの方向を表現しています。
不動明王像は、五大明王の中心に位置し両眼をかっと開け、上下歯牙で下唇を噛みしめた表情はいかにも力強く、その後の不動明王像の規範となっています。躍動的な行動の群像のなにあって、頭髪を総髪に、左耳の辦髪を垂らし、静かな憤怒の表情を浮かべて座すその姿は、主尊としての威厳に満ちています。
降三世明王像はその代表作で、仏の教えに従わず、三界の王と自ら名乗っていたシヴァ神とその妃を踏みつける姿で表現されています。腕は八本で、胸前で左右手の小指を組む参世印と、三鼓杵や弓、矢などの武器を執り、その醜と緊迫感の絶妙のバランスが美しく、不思議な魅力を持った仏像です。正・左・右・背面のそれぞれ顔があり、見開いて吊り上り、上の歯列と牙を剥き出しにする憤怒の相で、焔髪と呼ばれる逆立つ髪も怒りを表しています。
講堂右側の五大菩薩像は、中央の金剛波羅蜜像は近世の補作ですが、他の4体は天平時代の木芯乾漆像の伝統を受けついています。一木造り、漆箔仕上げの像で、天平彫刻の均整のとれた作風です。蓮華座に座っていますがが、髻を高く結い、髪筋が丁寧に表され、面長で頬が締まって精悍な顔立ちで、頭髪や碗釧などの細かい部分は、木心乾漆の技法で補足しています。木彫に乾漆を盛り上げて造り、風貌は優しく整っており、筋肉質ですが温和な表現のご神体、柔軟さを感ずる衣文の表現は繊細で柔らかく天平彫刻の伸びやかで官能的な姿態表現を追求し表現で、仏の慈悲じさせます。しかし、膝前から台座の蓮肉まで共木で彫りだし、脚は左右に大きく張って、膝が台座から飛び出て、天平仏とは異質の緊迫感を内に秘めています。これも空海が求めた密教の精神のひとつの表現といえると思います。この4体の仏像は、密教美術の最高傑作のひとつといわれています。
講堂内の須弥壇の四隅に四天王像が配置されています。その中で、持国天像は、右手を振り上げ、顔は斜めに下方に向け目を見開き、口は大きく開けて威嚇し、怒りで筋が隆起しています。夜叉を踏み付けて圧倒的な眼力で悪を威嚇して立つ怒りの顔の表情や、翻る衣装など像全体の表現が動的で躍動感があり、日本では珍しいバロック的な表現の傑作です。これも密教の精神の一つの表現なのでしょうか。
帝釈天像、梵天像は、密教では世界を守護する神々ですが、当時の講堂では後方に配されていました。「空海と密教美術展」では、これを間近に見ることができました。講堂の他の像とはまた作風が異なり、肉付けも豊かで悠然とした独特の造形美が魅力の仏像でした。
コメントいただきありがとうございます。
私も東寺の講堂は大好きです。じっとしてあの空間に身を委ねているのが、何とも言えませんね。
東博の仏像曼荼羅は、360度から間近に仏像を観られる点では良かったですね。
ブログへのコメントありがとうございました。
じっくり拝読して改めて勉強させていただきました。
仏像の知識はほとんどないのですが、知り合いのアーティストさんが、仁王像に眼鏡をかける、というプロジェクトをされていて、最近興味をもってちょっぴり調査中。
造形美、歴史、そこに内包される宗教、思い、信仰、、、いろいろなものに思いをはせて、宗教の崇高さや結局世俗的なところなど、ぼ〜んやり考える今日この頃です。
これからもよろしくお願いいたします。
コメントをいただき、ありがとうございました。
東寺に10回以上も行かれているのですね!
私も、しょっちゅう京都に行くのですが、(本日も、京都泊)、今まで東寺に、ご縁がありませんでした。
次の京都行きでは、空海の世界を、講堂で堪能したいと思います。
展示会とってもよかったですね。
ここ最近、展示会のライトアップや見せ方の妙が光りますね。
仏像からの力強さや静なる力などそのときの自分の気持ちによって感じるものが微妙に違います。
暗いお堂にたたずまれるお姿も、久しぶりに見てみたいなって思います。
私も今度京都に行く時には 是非 東寺に立ち寄りたいと思っていましたので
コチラを覗かせていただき参考になりました。
阿修羅展も行かれたのですね。
あの展示も 普段は見られない裏側までもじっくり見られて大変貴重な体験でした。
仏像なみならず、広く美術に造詣が深いのですね。
素晴らしいことです。
仏像は、こうして展示会で見るのも素晴らしいのですが、
やはりお寺やお堂の中で、拝見するほうが生き生きして見えることでしょう。
まして、空海の意図した立体曼荼羅。全部そろってこそ、より意味があるのではないかと。
非常にうらやましく読ませていただきました。
私も京都の東寺に2回ほど行きました。講堂の立体曼荼羅を形成する仏像群は、ほんとうに素晴らしいと思いました。弘法大師が開いた密教の宗教観を体験できたたような気がしました。
「空海と密教美術展」は、仏像を間近で見ることができ、美術品としてみているような感じでした。特に、東寺の講堂では後ろの方にあってよく見えなかった帝釈天像と梵天像を間近で見れたのはよかったと思いました。
しかし、立体曼荼羅の世界を感じるためには、やはり東寺の講堂に入って味わいたいですね。
「空海と密教美術展」は私も行きました。
菩薩像のやさしく慈悲にあふれるお顔に、大変心安らぐ思いを感じました。帝釈天像、梵天像は、端正なお顔立ちの凛々しい姿で、大変魅力的に思えました。
今年は原発のこともあり、海外からの美術作品が少ないようですね。
しかし日本の美術作品を拝見しますと他国にはない良さも改めて知ることができました。
ブログを拝見させていただき色々勉強になりました。
あの講堂内部の雰囲気が何とも言えず、不思議な宗教体験を味わえました。
京都に行ったときは、仏像それぞれのことはあまり気に留めていませんでしたが、「空海と密教美術展」に行って、それぞれの仏像がすばらしい美術であることを改めて知り、大変良い企画だと思いました。
説明を読ませていただき、すばらしさ具体的によみがえってきて、うれしかったです。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。高野山には行ったことがありますが、東寺にはまだ行ったことがありません。さぞかし荘厳な光景でしょうね! いつか、訪れてみたいと思っています。これまで、仏像などじっくり見る機会もありませんでしたが、今回はその魅力に少しだけ開眼いたしました。特に、今回の展示では手や唇の豊かな表情に魅せられました。ブログを拝見いたしましたが、お写真も美しく素敵なブログですね♪ また、おじゃまいたします〜!
仏像についてとてもお詳しいのですね。ブログ読ませていただきとても勉強になりました。私が美術展に行った日は少し混んでいたので、いつか東寺を訪れてもっと静かに見れたらなぁと思っています。
私も奈良や京都のお寺で仏像を見るのが好きです。
古寺の伽藍で仏像をみていると、その仏像をにこめられた祈りを感じ、私自身も精神的に少し豊かになったような気持ちになります。
心が洗われるというのは、このような体験をいうのでしょうか。
東寺の密教仏には、弘法大師の密教の精神が、いろいろな形で表現されているというお話、大変参考になりました。
「空海と密教美術展」には行けませんでしたが、是非京都の東寺で、これらの素晴らしい仏像にお目にかかりたいと思いました。
ブログのご案内ありがとうございました。
私も「空海と密教美術展」に行きました。非常に混雑していて、膨大な展示品があり、疲れ果てたころに、最後の密教仏の展示室に行きつきました。
今回ブログを拝見して、dezireさんのような通の方は、この最後の部屋から見るのだということがわかりました。
私も、そうすればよかったと思いましたが、後の祭りですね。(笑)
desire_sanさん、仏像以外の芸術、自然、旅 etc...多岐にわたって色々お詳しいのですね!興味深い記事が色々あって読みがいがあります。少しづつ、ゆっくり拝読させていただきます。
私はあまり仏像は見たことがありませんが、今回は珍しく「空海と密教
美術展」に行ってきました。
たくさんの展示品がありましたが、最後の密教の仏像の部屋のことしか触れていないのはdezireさんらしいですね。(笑)
2体の菩薩像と帝釈天像、梵天像は、女性の私から見ても大変魅力的でした。
四天王の持国天像をバロック的と表現されているのはさすがに的をえていると思いました。 「バロック的」な過剰ともいえる表現は、好みのわかれるところかもしれませんね。
ブログに訪れて頂き、コメントありがとうございます。
「空海と密教美術展」は本当に素晴らしかったですね。
この夏の素敵な思い出です。
勉強不足ではありますが、空海の想いがほんの少しわかったような気がしています。
今、この時代にいてくれている、そんな気がします。
次に京都を訪れる時には東寺は時間をかけてゆっくりと。今までと違う京都の楽しみ方をしたいと思います。
ありがとうございます☆
京都の教王護国寺は、密教美術の宝庫ですね。
土門拳さんが、教王護国寺をこよなく愛し、たくさんの写真を撮っておられますが、この寺は弘法大師の密教の総本山だけあって、講堂の中に入ると、密教の世界にしたることができます。
私も時々京都や奈良にでかけて写真を撮りますが、教王護国寺の講堂の中に入ると、私などが写真を撮るのは恐れ多いと感ずるほど、荘厳な気持ちになります。
書かれておられること、全く同感です。
2年前に東寺を訪れた折のことを、ブログに載せています。よろしければ覗いてみてください。
→ http://tnabe.exblog.jp/10510070/
あちらこちらと訪問されておられるようですね。
リンクさせていただきますが、不都合でしたら直ぐ削除しますのでご連絡ください。
東寺お好きなんですね~。
東寺に保存されている仏像群はホントに素晴らしいですものね。
また私も行きたくなってしまいました。
この密教美術展は仏像の裏側もしっかり見られたのがとてもよかったですよね。
先日はコメントを頂きまして、ありがとうございました。
密教美術の秘法を間近に拝見出来る良い機会でしたので、
丁度、東京に用事もありましたので、東博へ周ってまいりました。
360度グルリと拝見出来るのも展覧会ならでは。 本当に良かったです。
日本の百名山の踏破も後少しのようで、色々なことに挑戦されてらして驚きました。
又、楽しみに伺わせていただきます。
かなり混雑していましたら、仏像を見ていると凛とした気分になりました。
展覧会に行ってから少し時間が経っていますが、こちらの記事を拝見して興奮が甦ってきました。
今年は日本にとって戦後最大の試練の年となりましたが、素晴らしい芸術には心を癒されます。
東京在住なので京都には気軽には行けず、東寺の諸仏も現地ではまだ一度しか見ていませんが、本展覧会でいろいろ触発されたので、いつかぜひまた行きたいと思います。
仏像は自分にとっては最も好きなジャンルですが、アートや外国など、他のカテゴリの記事にも共鳴できる点が多数ありました。自分と同じ感動を持たれた方の存在が確認できて、うれしく思います。
今後も時々訪問させていただきますので、どうぞよろしくお願いします。
新薬師寺十二神将像を経て、平安以降にさらに武神像の動感を強調するには、裳裾や袖など、布の部分を拡大するのが有効だったようですね。バロックといえば、カラヴァッジォの布の表現も印象的です。
東寺の仏教美術の豊潤かつ濃厚な世界は、昔からなかなか掴みきれません。かつて苦手だったオペラを好きになったように、密教美術の魅力にも目覚める日が来ればいいなと思います。
密教美術には二つの潮流があり一つは持国天像に代表されるバロック的な躍動感ある美術、もうひとつは五大菩薩像に代表される天平仏の伝統を継承した調和のとれた仏像です。後者の潮流には、神護寺の五大虚空蔵菩薩坐像ね法華時の柔一面観音、観心寺の如意輪観音、など個性的な傑作があります。ほとんどが、一定期間しか一般公開していないので、私も観るのに苦労しました。