戦火をくぐりぬけたゴシック様式とバロック様式の町
Vilnius
Vilnius,Lithuania’s capital, is known for its baroque architecture, seen especially inits medieval Old Town. But the buildings lining this district’s partiallycobblestoned streets reflect diverse styles and eras, from the neoclassicalVilnius Cathedral to Gothic St. Anne's Church. The 16th-century Gate of Dawn,containing a shrine with a sacred Virgin Mary icon, once guarded an entrance tothe original city.
リトアニアは、13世紀に統一国家となり、14世紀大公国として繁栄しました。リトアニア大公がポーランド王女と結婚し、ポーランド王となった時代もありましたが、18世紀ポーランドがドイツとロシアに分割され、リトアニアは、ロシア・ソ連の支配下で歴史に翻弄されました。リトアニアが再度独立したのは1990年のことです。
エストニアは。紀元前から現在のエストニア人が住みついていましたが、スウェーデン、デクマーク、ドイツ、ロシアと長い間、他国の支配下にあり、ロシア革命後、一度共和国として独立しますが、旧ソ連とナチスドイツの侵略が繰り返され、1991年にやっと独立を果たした新しい国です。
杉原千敏の記念碑と聖ペテロ&パウロ教会を見た後、ヴィリニュス旧市街の南部にたくさんあった城門のうち唯ひとつ現存するリトアニアの紋章のある夜明けの門に行きました。
リトアニアの首都ヴィリウスは、14世紀大公国の時代からのリトアニアの中心地として内陸に開かれた町で、16世紀まで東西貿易の中継地として発展しました。大火や戦火を経験した割にはゴシック様式から、バロック様式の建造物が多く残り、ネリス川の南の旧市街は世界遺産になっています。
リトアニアはカトリックの教徒が多数を占めています。「夜明けの門」は2階が礼拝堂になっていて、内部には美しい聖母のイコンがあり、ちょうどたくさんの町の信徒たちが熱心に祈りを捧げていました。私もヴィリウスの町の信徒たちと一緒に礼拝に参加させてもらいました。礼拝が終わった後、町の人たちはお互いに握手をしあい、私も何人かの人から握手されました。カトリックの信者ではありませんが、神を信ずるこの町の人たちの祈りの気持ちに共感し、私も敬虔な気持ちになりました。
夜明けの門を入りケディミナスの丘に行きました。ケディミナスの城壁のある丘にはケーブルカーで登りました。丘の上には13世紀のゲディミナス城とかつての城壁の一部ゲディミナス塔が残っています。ゲディミナス塔の上からはヴィリニュスの街が一望できまました。
ヴィリニュス旧市街の中心カテドウロス広場には、この国のシンボルともいえるリトアニア最古の大聖堂が建っておいます。リトアニアの守護神カジミエラス王子が安置された礼拝堂は大理石と砂岩で造られ、聖カジミエルの奇跡を描いたフレスコ画や漆喰彫刻などで飾られていいます。大聖堂の手前にはかつて城壁の塔であった高さ53mの鐘楼が建っています。
ヴィリニュス旧市街のエピエス通り周辺には多くの教会や歴史的建造物が建っています。大聖堂と同じ建築家によって建てられ、18世紀に修復された旧市庁舎、荘厳な建物のヴィリニュス大学、17世紀はじめイエズス会によって建てられた聖カジミエル教会、ビンク色の門が特色のロシア正教の聖霊教会、珍しいウクライナ・カトリツク宗派の聖三位一体教会がありました。
33種のレンガで16世紀の技術の粋を集めて作られた典型的なバロック様式の聖アンナ教会は、躍動感あふれる建物で圧巻です。リトアニア大公一家の廟として17世紀に建てられた聖ミカエル教会、高い鐘楼を持つバロック様式の聖ヨハネ教会が特に印象的です。ヴィリニュスの町を見て驚くのが、教会が恐ろしく多いことです。大国に翻弄された複雑な歴史の中で、人々が宗教に救いを求め、様々な宗派の教会が造られたようです。
ヴィリニュス新市街は、 旧市街と打って変わり、国会議事堂、博物館、大使館や近代的なオフィス街があり、高層ビル、テレビ塔もある、ヨーロッパの近代都市そのものの姿です。
ヴィリニュスからバスで2時間近くの湖のほとりに「グルータス・バルカス」という共産主義テーマパークがあります。リトアニア南部に広大な面積を誇るズーキヤ国立公園の中に整備されています。マルクス、レーニン、スターリンなどの銅像が集められています。レーニンの像が最も多く社会主義イデオロギーを体現しているようだそうです。リトアニア共産党の礎となった共産主義運動家の群像もあり、群雄割拠していた共産主義者達の偶像以外は、森しかない延々と2キロもある広い公園を歩いて廻るのが、このテーマパークの楽しみ方だそうです。
これらの像は、かつては、リトアニア各地の町の真ん中に立っていました。1990年のリトアニアがソ連から独立し、これらの像は移民の手で引き倒され、ました。溶解されるのを末ばかりの銅像の山を見て、ビルマス・マリナウスカス氏が、銅像を集めた公園を造ることを思いついたそうです。公園には「スターリン・ワールド」と呼ばれた強制収容所を模して、監視小屋に支配された歴史を思い起こす施設も作られているそうです。ソ連支配の厳しい歴史を若い人たちに知ってもらいたい、というのがマリナウスカス氏の願いだそうです。
1990年長年の民族の念願だった独立を果たしEUにも加盟し自由を勝ち得ました。しかし、医師、教師など高学歴の人の収入が低く、家庭教師、観光ガイドなどいくつもの仕事をしないと生活していけないそうです。国内に農業、工業などの産業が充分育っていないため失業率は20%と高い上、付加価値税も20%と高く、リトアニアの人たちの生活は楽でないようです。グローバル化経済の中で、国外に仕事を求める若者も多いようです。
琥珀博物館にも立ち寄りました。美しいたくさんの琥珀を見たのは私は初めてでしたので、琥珀の黄色の輝きに魅了されました。
参考資料
DTACリトアニア観光情報局
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とってもよく理解出来る記事、そして写真です。
よその宗教や文化を押し付けられた民族、
苦しかった事と思います。
ポーランドやルーマニア等も、まだ市民の経済状態が苦しそうです。
そして、だから、ドイツ等に出稼ぎに来ていますね。
みんな優秀な人たちです。
リトアニアって美しい所なんですね!
バルト3国は歴史で習いましたが、このような中世の思がけが残る美しい町があることは知りませんでした。
旧市街全体が世界遺産になっているのですね。
夜明けの門で検知の人と触れ合いを持たれてよかったですね。
続きがあるようなので、次を期待しています。
世界史や地理に弱くて、どこがどこかもよくわかっていませんが、お勉強させていただきます!!
そのような厳しい歴史にも関わらず、このような美しい町並みを守ってきたのは奇跡とか思えません。ヴィリニュス旧市街は、リトアニアの民族の誇りにより守られてきたのかも知れませんね。
わたしはエストニアにしか行ったことありませんが、バルト三国、それぞれ苦労していますね。
その分、底力があるのではと思います。
やっと独立を勝ち取って、これから徐々に発展していってほしいです。
そして、医師、教師など高学歴の人の収入が低いということは、普通の人や低学歴の人は生きていけないくらい厳しいのでしょうか?そうであれば、治安も悪い気もしますがいかがでしょうか?
失業率は20%と高い上、付加価値税も20%とは、庶民は本当に大変ですね。
私の住むイタリアも、メディアで騒がれている通り大変なようですが、現在はユーロを中心としたヨーロッパ全体が厳しい状況なので、なんとか、グローバル的にいい方向へ改善してほしいものです。
私へのコメントもありがとうございました。
そして、今回の記事のご紹介を感謝します。
東欧へはまだ行っていませんが、ブログを読んでとても勉強になりましたし、写真から街の美しさが伝わってきました。
今年は友人がいる中欧のチェコ・プラハへ旅行する“予定“ですが、そのあと東欧へ行ってみたくなりました。
バルト3国の首都はみんな世界遺産に登録されているので、一度゛行ってみたいと思っています。
13世紀ヴィリニュスは14世紀からリトアニアの中心地で、東西交易の中継地として16世紀に向けて発展した町なのですね。
13世紀のケディミナスの塔、16世紀ゴシック時代聖アンナ教会、旧ソ連の時代ワイン庫として使われていた聖ヨハネ教会と歴史的建造物が戦争なとの困難を乗り越えて保護されて美しい町並みが残っていることを知り感動しました。
写真を拝見しも町の様子がわかりました。ありがとうございました。
フィオレンツァさんのご質問ですが、バルト3国はどこも経済的に厳しい状況ですが、治安は非常に良いです。バルト3国の人々は民族の性格だと思いますが、非常に温厚な人が多く親切です。
経済的にはロシアの方がよいかもしれませんが、ペテロブルグでは治安はあまりよくないのとは対照的です。
イタリアも一昨年自分の足で歩き、ホテルやお店の人と話をしたりしましたが、非常に明るいのに好感を持ち、イタリアの人たちが好きになりました。イタリアも経済的に大変でしょうが、イタリアの明るさは民族性によるものなので、失われることはないと信じています。
バルト三国の街の写真を初めて見ました。
世界遺産になっているのですね。
美しい町の様子から、リトアニアの人たちの穏やかな国民性であることが納得できます。
次の写真アップを楽しみにしております。
戦前は、現在世界遺産となっているヴィリニュスの旧市街の住民のほとんどがポーランド人でしたが、第二次世界大戦でヴィリニュスがソヴィエト連邦の領土となり、リトアニア・ソヴィエト社会主義共和国に併合されるとこの街のポーランド人の多くがポーランドへと追放されたそうです。現在は住民のほとんどはリトアニア人とロシア人になっています。周りの大国の歴史の振り回されてきたバルト3国の都の人たちも、たくさんの苦労を重ねて、この美しい町をまもってきたのですね。
バルト3国とポーランドの旅のツアーで行きました。
ポーランドがはじめは目当てだったのですが、行ってみたらバルト3国の方が街が美しく印象にに残っています。
ヴィリウス、リガ、タリン、どの町も中世の面影が残り美しい町でした。
写真が上手でないので、dezireさんの写真を私の思い出のアルバムにさせてください。
バルト3国という名前は聞いたことがありますが、どこにあるのか、思わず地図で探してしまいました。フィンランド湾にある小さな3つの国のことですね。大相撲で優勝した把瑠都はここから日本に来たので、把瑠都としこ名をもらったのでしょうね。歴史を調べてみると戦乱に明け暮れていたようですが、このような美しい旧市街の街並みが残っているのは素晴らしいですね。まったく知らなかったので、美しい写真を見せていただいて、少し勉強できて感謝です。
ヴィリニュース、カウナス。
友人が沢山いて、本当に愛国心の強い人々でした。
行ったのはソヴィエト時代でしたが、決してソヴィエトには屈しないという
そんな思いが友人の話し方から伝わってきたものです。
バルト三国は、ヨーロッパそのものでした。
友人たちがどうなったか
今は知る由もありません。
有難う。
楽しかった。
今日もスマイル
リトアニアはいったことがないのですが、ポーランドもソ連崩壊前ですが、その支配に対する反発心の奥深さを感じたことがありました。
一時的によその国を支配できても、その国の人たちの心までは支配できないということなんでしょうかね。
「軽いけど重み」を感じたという把瑠都の「賜杯」は、いろいろ評価が分かれていますが、とりあえず長年の苦労が実ったので良かったですけど。
バルトの国々に僕は昔、15年位前に無性に行きたくなったことがありました、結局、その時は行けず、現在に至っています。最近、把瑠都が活躍したので、そういえば昔、無性に行きたかった事があったなあと思い出しました。そして、ブログ拝見して、また行きたくなりました。本当に美しい町ですね。ありがとうです。
いつも、うらやましいなー・・・と思いながら拝見しています。
おとぎの国のようですね。
昔読んだお姫様と王子様の世界そのものです。憧れますね。
しかし、失業率が高く、医師や教師もほかに仕事をしないと生活できないって・・・厳しいですね。おとぎの国は物語の世界にしか存在しないのでしょうか・・・・!?一度訪れてみたいです。
私がウィーンに留学していたころは、バルト3国はソ連の支配下でも人民の独立を目指した運動が盛んだった時代だつたと記憶しています。その当時は、バルト3国に日本人が旅行に行くなどということは全く考えられませんでした。もう今は日本人も自由にバルト三国の国ら旅行に行けるようになったのですね。そんなバルト3国にこんな美しい街が存在するとは想像もしていませんでした。旧ソ連の支配下でも、この国の人たちは、民族の文化遺産をしつかり守ってきたのですね。また次の写真アップを楽しみにしております。
いや、しかし、この地理的位置は政治的にじつに不安定きわまりなく、苦労したことでしょうね。
まだよくわかっていないのは、民族なんですが、北欧のバイキングなどと同様なのでしょうか。ロシアとドイツに挟まれて、ずっと苦労してきた国だけれど、文化的にはスラヴよりは西欧の影響が強いのかな。建築や美術の上ではカトリックが支配的。このような不安定な位置にありながら、よくぞこれだけきちんと保存されてきた、と感嘆します。
ヴィリニュスの旧市街は世界文化遺産ですか。このような地域に興味を抱かれて、実地に体験しようとされている姿勢に敬意を表します。