過去に来日した作品も回顧してフェルメールの魅力を探る
フェルメール「真珠の首飾りの少女」
今年10月まで上野の森美術館で日本美術展史上最多、8点のフェルメール作品が集うフェルメール展が始まりました。。フェルメールは作品数が非常に少ないにも関わらず、日本でのフェルメールの人気が高く、最近は常にフェルメールの作品が1点でもあれば、その美術展の看板になっています。フェルメールの作品の魅力はどこにあるのかを、過去に日本に来たフェルメールの作品と美術展のカタログなど文献も参照しながら検討してみました。
Johannes,Jan or Johan Vermeer (1632 –1675) was a Dutch painter. Vermeeris one of the most popular painter in Japan. Although Vermeer's paintings, are onlya few 30 paintings in the world, six Paintings of Vermeer to come to Japan in thisyear, "Vermeer Center Ginza "was opened in Ginza Tokyo, Japan. In this place, an exhibition of "thekingdom of light Vermeer" has been opened for half a year.
フェルメールの作品が日本の美術展の主役になったのは意外に新しく、2000年にアムステルダム国立美術館からフェルメールの傑作のひとつ「恋文」が来日して話題となったのが最初だと思います。それ以降数年に1度来る程度でしたが、2007年以降毎年フェルメールフェルメールの作品が来るようになりました。今年は、今回のBunkamuraザミュージアムの「フェルメールからのラブレター展」で3点のフェルメールの作品が来日し、更に6月に国立西洋美樹館で「ベルリン国立美術館展」でフェルメールの名作「真珠の首飾りの少女」、6月末の東京都美術館の改装オープンの「マウリッツハウス美術館展」でフェルメールの名作「真珠の耳飾りの少女」も来日します。全部でわずか30数点しかないフェルメールの作品のうち6点が日本に来るのは異例のことで、日本でのフェルメールの人気の高さがうかがわれます。それも2007年以降に特に人気が高くなったことは、日本の経済成長が終わり、社会に閉塞感が生まれた旗ことと無縁ではないと思います。高度成長期に人気のあった、作品に強烈な主張のあるピカソやレンブラントやルーベンスに代わり、見る人の気持ちを受け止めてくれるような一見癒し系のフェルメールが好まれているではないかと思います。
フェルメールの絵画の構図は、部屋の片隅で何かに夢中になっている女性、又は付き添う名使いも含めた二人の女性、向かい合う男女と限られたいくつかのパターンが殆どです。着ている服などの質感を絶妙に表現し、視点をやや低く設定し見る人に前景を意識させ、前景を中心に魅力的な空間を構築しました。
フェルメールの作品にはフェルメールならではの気品と魅力があり独創性にあふれています。1650年代の作品は、厚塗り、赤、黄の暖色系を中心とした色調、透視法と視覚表現との間の乖離を感じさせる空間構成、濃厚でやや強引な処理などの特色があります。フェルメールのこの頃の作品の特徴は、印刷機の網点のような点描で描いています。この時代の代表作品が2007年に来日した『牛乳を注ぐ女』です。フェルメールの作品にはフェルメールならではの気品と魅力があり独創性にあふれています。1650年代の作品は、厚塗り、赤、黄の暖色系を中心とした色調、透視法と視覚表現との間の乖離を感じさせる空間構成、濃厚でやや強引な処理などの特色があります。フェルメールのこの頃の作品の特徴は、印刷機の網点のような点描で描いています。この時代の代表作品が2007年に来日した『牛乳を注ぐ女』です。
「牛乳を注ぐ女」は絵具の彫りを大胆に使った作品です。女性の顔だけ見ても、光が当たる左前頭部、鼻の左側などは白の絵具を積み重ねて極端に厚塗りし、光の当たらない眼の周辺や鼻、顔の右側は極端に薄塗りです。背景の壁は、光を浴びた壁の左側は暗く、影になった背中の後ろの壁は白く明るく輝まように明暗を操作し、女性の姿が浮きあがるように操作しています。壁は窓に近いにもかかわらず陰りを帯び、女性の金色が一層輝くのを助けています。女性の後方の壁は白さと青みを増し、影になった後頭部と背中の形をくつきり浮かび上がらせます。
手は褐色、肌色、灰色を微妙に重ね合わせて、滑らかな白と鮮やかな対比しながら描いています。女の肌の荒れ具合を絵具の厚みの変化で表現し、水仕事の日々の生活感を感じ座せます。パンのゴツゴツした手触りの質感、ボソボソした舌触りまで伝わってきます。瓶から注がれる濃厚な牛乳の滴りの表現は特に秀逸です。絵画の中で濃厚な牛乳が実際に流れているような迫真の表現です。
フェルメールの絵画が見る人に安らぎを与えるもうひとつの魅力は、ソフトフォーカスで描いている点にあると言えます。今回展示されていた「手紙を書く女」(1665年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー)でも顔の表現や非常に緻密に描かれている黄色の服の襟や白い毛皮などで、輪郭が微妙にソフトに写真のぼかしのような表現になっています。上着やスカーフの部分の輪郭もわずかにはみだし、壁の上ににじみ出ています。写真でいえば焦点面を壁にあわせたように、前に位置する人物や事物を柔らかな輪郭で描き、光と大気の中で人物が溶け合ったような印象を見る人に与えます。穏やかな光、絵具の微妙な重ね具合、柔らかな輪郭線により、フェルメールはレオナルド・ダ・ヴィンチの色彩を煙のように周囲に溶け込ませていくスマフーフの描法を再現することで、絵画空間での対象のあり方を表現しようとしたと考えられます。
もうひとつのフェルメールの作品の特色は、色彩が他の17世紀の風俗画家と比べて群を抜いて鮮やかなことです。これは、今回一緒に展示されていた同時代の画家と比べても際立っます。「手紙を読む青衣の女」では衣服がフェルメールブルーと呼ばれる鮮やかなブルーの色彩が美しい印象的です。高価なラピス・ラズベベリという鉱石が使われているそうです。衣服の青が下層の色を微妙に透過させながら、光と影、布地の輝き、質感や女性の上半身の起伏を見る者に伝えます。明るめの壁に人物を配し、人物が、調節して描いています。
フェルメールの作は同時代の巨匠、ルーベンス、フランクハルスなどの作品と比べて極めて神秘的です。神秘的といわれるレンブランドの絵画以上にある意味で神秘的です。その大きな要因は、作品に描かれている人物が何をしているのか、絵の中で人物たちが物語性を示していない作品を多く描いている点にあります。
フェルメールの作品の多くは人物の動きが極端に少なく、手紙を読む、書く、受け取る、楽器を演奏する、ワインを飲む、会話を交わす、衣装をつける、窓辺で水差しを持つと題名がついていますが、どの人物も具体的な行動している様子はなく。動きを止め、目を伏せ、一人窓近くに立ち、いすに腰掛ける瞑想的な人物たちは、現実の生活に関わっている気配を感じません。生活感が全く感じられないのです。生活の始まりも進行もなく人物は絵画空間の中にとどまり続けています。
フェルメールは意図的に、物語や逸話的意味を画面構成から排除し様としていたようです。「窓辺で手紙を読む女」では本来人目にさらされることのないプライベートな空間を覗き見ているという印象を与えます。しかし、X線写真による研究で、当初は寓意的なものが描かれていたのを後でフェルメールが塗りつぶしてしまつた事が解明されました。フェルメールは画面の要素を極限まで削り、人物の
フェルメールの作品がすべてそうだというのではありません。2004年に来日したフェルメール中期を代表する傑作「絵画芸術」は完全な寓意画です。右手に名声を象徴するトランペット、左手に歴史を象徴する書物、頭に月桂樹の冠の女神クリオに扮した女性を画家がアトリエで描く場面が描かれ、画家という自らの職業を礼讃する寓意、絵画という芸術を礼讃する寓意が描かれ、女神クリオの月桂樹の冠、机上の仮面、掛け布、巨大な書物など寓意的なものがあふれています。フェルメールの作品の中でも特に大きな画面で制作され、技巧的には、『牛乳を注ぐ女』のパンの表現のようなポワンティエ技法(点綴法)による圧倒的な質感表現からより表層的で装飾的な点描表現に変化しています。フェルメールが亡くなるまで所有していた画家の作品の中でも特に重要な作品だったようです。フェルメールが寓意画を排除していたわけでなかったことを示す作品です。2008年に来仕種、表情を極力抑制し、画面に絵画的美意識以外の余計な意味を持日した「ワイングラスを持つ女」「二人の紳士と女」も例外的な作品でしよう。
しかし、フェルメールはかなり意識的に、何気ない振る舞いや表情を選び、何らかの意味ある行為、具体的な出来事、とにかく絵画空間の外に一切の表現目的を持たず、色彩、光、形態、造形の表現だけで勝負することにこだわり続けました。フェルメールのひっそりとした雰囲気は、絵画空間に存在する内輪の者たちによってのみ生み出されるため、見る人は自由に想像できるというは、極めて魅力的です。
17世紀オランダでは、レンブランドが、物語の細部を大胆に省略し、闇の中に人物だけに光をあてた斬新な作品を描いていましたその先駆者といえるのが、余計なものをすべて省略してドラマの核心だけを強烈に表現したカラヴァジョです。カラヴァジョの「行為の時間停止」「感情的経験の永遠なる持続」「瞑想の高揚」の表現を、レンブラントが発展させました。フェルメールはレンブラントから「行為の時間停止」「感情的経験の永遠なる持続」を学び、それを更に研ぎ澄まし、「意味のない」風俗画を追求していきました。レンブラントの闇に輝く光を真昼の白光の光に変え、仮想の洞窟のような空間を普通の家庭の一室に移したのが、フェルメールともいえます。
しかし、フェルメールはかなり意識的に、何気ない振る舞いや表情を選び、何らかの意味ある行為、具体的な出来事、とにかく絵画空間の外に一切の表現目的を持たず、色彩、光、形態、造形の表現だけで勝負することにこだわり続けました。フェルメールのひっそりとした雰囲気は、絵画空間に存在する内輪の者たちによってのみ生み出されるため、見る人は自由に想像できるというは、極めて魅力的です。
17世紀オランダでは、レンブランドが、物語の細部を大胆に省略し、闇の中に人物だけに光をあてた斬新な作品を描いていましたその先駆者といえるのが、余計なものをすべて省略してドラマの核心だけを強烈に表現したカラヴァジョです。カラヴァジョの「行為の時間停止」「感情的経験の永遠なる持続」「瞑想の高揚」の表現を、レンブラントが発展させました。フェルメールはレンブラントから「行為の時間停止」「感情的経験の永遠なる持続」を学び、それを更に研ぎ澄まし、「意味のない」風俗画を追求していきました。レンブラントの闇に輝く光を真昼の白光の光に変え、仮想の洞窟のような空間を普通の家庭の一室に移したのが、フェルメールともいえます。
1950年代以降の作品から、下塗りの色彩を透過させ表面の固有の色に豊かな陰影を与える描法が見られるようになります。1650年代の歴史的大画家や同時代の画家から貪欲な模倣していた時代を終わらせ、模倣と独自性が同化し昇華して完成度の高い世界を形成していきます。その当時はどこにでもあったような日常の風景が、フェルメールの絵の中で、静粛な雰囲気と高い完成度に貫かれた情景に生まれ変わっていきます。フェルメールの傑作は、ピエロ・デラ・フランチェスカの宗教画のような静粛な雰囲気と、モンドリアンの抽象画のような厳しさに貫かれた画面という一見真逆の世界に共通する不思議な雰囲気を持っています。「レ―スを編む女」、「真珠の首飾りの少女」「真珠の耳飾りの少女」「手紙を書く少女」などフェルメールの代表作品の多くはこの1660年代に描かれたものです。
1950年代の「窓辺で手紙を読む女」ではカーテンを用い「牛乳を注ぐ女」では机を変形させたりした透視法の原理と実際の視覚の印象を融合させようとしていました。しかし、1960年代以降は、透視法の消失点を低めに視野角を狭めていきます。そして透視法が支配する空間別に、実際の人間の視覚を反映させた位置があいまいなモチーフによる「超前景」を透視法による前景のさらに前に重ねて、近景に深々とした奥行きを与え、奥行きのある造形美を作り出しています。フェルメールの空間は緻密な計算により構成された人工的空間であり、自然や事物をありのままに描こうとする写実主義のリアリズムとは別の世界であることをより明確にしていきます。
1960年代になると一部分しか描かず、位置があいまいになったモチーフを巧みに配置して、透視法が支配する空間と実際の視覚の印象にゆだねられた「超前景」という具合に巧みに分離し、構図の不自然さを解消させました。「超前景」に置かれたモチーフにより、視点と画面の隔たりを中和させ、画面の向こうに展開する空間に深みを与える効果を生み出しています。近景と遠景の共存が難しいと感じたフェルメールは、遠景を描くことを断念し、透視法の枠にとらわれない「超前景」を前景のさらに前に重ねて、近景に深々とした奥行きを与え、奥行きのある造形美を作り出しました。フェルメールの空間は緻密な計算により構成された人工的空間であり、自然や事物をありのままに描こうとする写実主義のリアリズムとは別の世界なのです。
私は日本に今まで来たフェルメールの作品で最高の傑作は、2009年に来日したルーブル美術館の「レ―スを編む女」だと思っています。スペインの生んだ天才画家サルバドール・ダリは、この作品を見て下記のようなコメントを発しました。「偉大な絵は、芸術家が暗示するだけで、目に見えない大きな力を感じとることができる。フェルメールの『レースを編む女』に私はそれを発見した。この娘の持つ、目に見えない針を中心に、宇宙全体が回っていることを私は知っている。」抽象絵画のひとつの頂点であるモンドリアンも含め、同時代の画家に対しては辛辣な評価を膨大に残したダリが、この作品に絶賛の言葉を残した、そしてこれこそフェルメールの芸術の目指したものだと私は思います。
フェルメールの作品は世界に30数点しかないため、世界各地を廻りその作品を全部見ることは不可能ではありません。事実、フェルメール・コレクターと呼ばれる人たちが世界中にいるようで、フェルメールの全作品を旅したタレント本も出回っています。しかし私は今年Bunkamuraザミュージアムで3点のフェルメールが来日し、その後「真珠の首飾りの少女」と「真珠の耳飾りの少女」が来るので、フェルメール美術の全貌を日本でほぼ見ることができたと思っています。
1670年くらいを境に、急速に描写力、想像力が低下していると私は感じています。このことは、「フェルメール」を看板とする美術展のカタログやそれを扱ったテレビ番組では決して触れませんが、作品と制作年代を照らし合わせて見てみると明らかです。フェルメールは素晴らしい芸術家ですが。本当光輝いたのは非常に短い時期です。これも、膨大な傑作を書き続けたルーベンスやレンブラントと比べて、フェルメールが長い間評価されなかった大きな理由だと私は考えます。
今回のBunkamuraの美術展に来たもう一つの作品、「手紙を書く女と召使」は1670年の作品です。女は夢中になって手紙を書く。恋人から来たと思われる手紙が床に落ちているのは、彼女を怒らせたことを示しているようです。背後の壁にかかる絵の主題「モーセの発見」は敵対する者たちの融和と解されています。摂理を信じての努力の意味を込めた寓意画と考えられます。女主人の装飾性豊な表現、グラスの眩い光の反射はフェルメール・ワールドです。しかし、「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」の魅力と比べると見劣りします。
2011年に同じBunkamuraに来た、「地理学者」、「レ―スを編む女」と同年で、その後に描かれた作品で「地理学者」と「天文学者」の僅か2枚しかない男性の単身像です。この2枚はどちらも当時の最新の科学に携わる学者の姿を描いています。
後に描かれた作品で「地理学者」と「天文学者」の僅か2枚しかない男性の単身像です。この2枚はどちらも当時の最新の科学に携わる学者の姿を描いて
それまで科学は神の領域を解明しようとする不遜なもとされていたのですが、フェルメールが最新の科学に携わる学者の姿を描いたということは、科学技術発展の地殻変動が訪れたことを示しています。1666年フランスに初めて科学アカデミー設立が設立され、その前年ロバート・フックが『顕微鏡図譜』を刊行し、初めて「細胞」という言葉が使われました。その当時科学者は錬金術師と呼ばれていましたが、その一人ニング・ブラントが新しい物質、燐を発見しました。
「真珠の首飾りの少女」は 小さな作品ですがフェルメールの技法が詰め込まれた作品です。部屋の中に立っているひとりの少女は高価な衣服を身にまとった裕福な中流階級の娘少女と思われます。身支度の仕上げに真珠の首飾りを手で持ち上げ、心をときめかせている表情が印象的です。純潔の少女の初恋でしょうか。真珠も耳も影があり真珠の輝きを際立たせています。少女の眼の瞳に白を加えることで、少女に見つめられているような、絵からこちらに問いかけてくるようでもあり、見る人を絵の中にひきこんでいきます。
フェルメールの超人気作「真珠の耳飾りの少女」は、フェルメールの描く顔は視線が茫洋としてつかみどころがないばかりか、表情も現実に生きる人間の強い意志や臭みが感じられません。大きな額、小さな目、薄い唇といった個性的な顔立ちが肖像画を強く想起させるが、羽織っている空想的な服や異国風のターバンから不特定の人間の頭部を描いた作品と考えられます。この時代トローニーと呼ばれたこのような作品は商品価値をもつものに成長していました。フェルメールの作品と肖像画との類似性は、表面的なものにとどまっています。
この作品がなぜこんなに人気があるのかは神秘的です。絶世の美少女と言っていいくらい美少女であること、最大の魅力は眼の表現です。眼が非常に美しく描かれています。そして、この美しい眼で鑑賞者を見つめているように見えるが、微妙に右目と左目の視線がずれています。左目で見つめられて、右目はちょっと心の揺れを感じさせさる表現です。そしてこれはフェルメール・マジックで、鑑賞する人が多少右・左にずれても眼は追いかけては来ます。正面から見ると純真そうな美少女が、かなり左から絵を見ると、流し目をされているようで、色香を感じさせます。こんなことが実際にできるかはともかく、絶世の美少女にこのような眼で見られたら、たいていの男は虜になってしまうかもしれません。
もうひとつのチャームポイントは唇、わずかに口を開いていて、口元がわずかに濡れている、どう見ても清純な美少女が、口元だけは男を誘っているようで、この絶妙のアンバランスが男を魅了するのかもしれません。ターバンのブルーと衣服の黄色も、美しい顔立ちを引き立ていていました。フェルメールの全作品を見ていないので断言できませんが、画集で見る限りフェルメールが描いた女性の中で1番魅惑的な女性ではないかと思います。この絵がフェルメールの作品で一番人気があるということは理解できました。
では、この作品がフェルメールの最高傑作かというと、それは別の話だと思います。フェルメールは、ラファエロ。ムリーリョ、ルノワールのように女性の美しさを表現しようとした作品は、この「真珠の耳飾り」を除くと、極めてまれだと思います。フェルメール本来の魅力は、一見具象的な陣部も含めたモチーフを使って、美しい絵画空間を創造する、創造の絵画空間が見る人に安らぎを与え、魅了することだと思います。その典型的な作品が、ルーブル美術館の「レ―スを編む女」でしょう。「真珠の耳飾りの少女」の少女は非常に魅力ですが、この作品はその少女の魅力を際立たせるために画面が構成されているように思います。フェルメールのほかの作品でこのような作品はないように思います。もしかしたら、フェルメールは、今まで追及していた美意識と別の美意識の追求を試みたのかもしれません。
眼の瞳に白を加えることで、少女に見つめられているような、絵からこちらに問いかけてくるような気持ちになります。真珠も耳も影があり真珠のか輝きを際立たせています。虚心に作品に浸っていると、どんどん作品に引き込まれていきます。こういう人間の心理的動きを画家が計算しつくして描いているようにさえ思えます。この作品は視点から画面までの距離が比較的大きい作品で、タペストリーが「超前景」を形成し、見る者と描かれた情景との隔たりを小さく見せるように「超前景」の手法が効果的に使われています。上着やスカーフの輪郭を少しだけ塗りのこし、下塗りの色が覗いています。人物の周囲は燐光のような輝きで包み、輪郭線を穏やかな光にふさわしく和らげるとともに、人物の姿を壁から一層浮き立たせています。
この作品の描かれている状況を考えてみましょう。どうやら彼女は身づくろいの仕上げにとりかったところのようです。しかし、彼女の姿は身支度という具体的な行為を忘れさせる孤独感が漂っています。背後の白い壁が画面の具体性を忘れさせ、日常的な香りのすべてを奪い去っています。この作品も初めは「絵画芸術」のように地図が描かれていたことがX線撮影で判明しています。しかしその後地図を塗りつぶしリュートを取り去り、布を大きめに描いて床を隠し、女性の前方の何もない白い壁に見る人の視線が集まるような構図に変えてはまったものと考えられます。
フェルメールの時代は一種のモダニズム的空気があったのです。本当の美術の歴史のモダニズムはポール・セザンヌが1880年代頃から、今まで自然をキャンパスに表現するという発想から抜け出し、絵画そのもの自体が自己完結した世界である絵画を提唱し、それがキユビズムそしてピカソに至る近代絵画に至りました。しかし、それより2世紀以上前に、フェルメールは絵画の中で自己完結している世界を描いていたのです。
最近アメリカ・抽象表現主義の先駆者、ジャクソン・ポロックの回顧展が近代美術展で始まりました、当時としては途方もない試みをしようとしていたフェルメールの画家人生は、巨人・ピカソに挑戦したジャクソン・ポロックの人生と重なるように思いました。高すぎる壁に挑戦し続けたため、画家としての生命も短かったのだと思います。フェルメールの絵画は一見癒し系ですが、本当は当時としては途方もない革新的挑戦の結果生まれた絵画なのだと思いました。
最後にフェルメールの絵画になぜ癒されるのか?それは人間にすり替えてみればよくわかること思います。優しいだけの男が女性をいやすことができるかです。相手の大きな不幸や傷ついた心と向き合った時、自分も引っ張られたり、崩れてしまうようでしたら、人を癒すことなどできません。傷ついた人を癒すには、多少のことには振り回されない強さが必要です。人間としての強さとそれに根ざした優しさがなければ他人を癒すことなどできないと思います。フェルメールの絵画が永遠の癒し系美術であり続けるのは、革新的挑戦を乗り越えた強さとそれに根ざした優しさがあるからだと思います。
参考文献:フェルメールの芸術
マーティン・ベイリー 元木幸一訳 「フェルメール」
小林頼子「フェルメール ――謎めいた生涯と全作品」 (角川文庫) 2008
小林頼子「フェルメールの世界」NHKブックス
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正直絵画の事はそんなに詳しくないので、dezire_photoさんの造詣の深さに脱帽です。
私は知識も歴史もなにも知らないので、自分の感度だけでしか判断できないけど、こんだけ詳しかったらもっと面白いだろうなぁと思いました☆
私もベルギーのフェルメール美術館には行ってみたいところです。
レースを・・ですが
サルバトール・ダリはレースを編む女を
そっくり真似した作品を残しているそうです
題名も「レースを編む女(フェルメールにならって)」
メトに所蔵されているのですが展示はわずかなようです
ダリはルーブルに許可をもらって日々通いつめ模写したそうです
こちらの芸術家サンも個性がありますね
この個性的な芸術家サンはその後「フェルメールの(レースを編む女)偏狭的習作」という作品も残しています
こちらは個人蔵のようです
さっそく訪問しました。
フェルメール作品の意味と時代的背景が良く理解できました。
1660年代に絞れば、日本で待てば良いですね。
2007年来日「牛乳を注ぐ女」を見に行けなかったのが残念です。
2009年来日「レースを編む女」は吸い込まれる名画でした。同時展示のラ・トゥール「大工ヨセフ」にも、その場に立ち尽くし、離れがたく魅了されました。
「手紙を書く女」と「手紙を読む青衣の女」を一緒に見れたのも幸せです。
米国・欧州に比べたら東京は一つ飛び、今年も見に行きます。
お蔭で素晴らしいブログに出会えました!
まずは、6月の国立西洋美術館「ベルリン国立美術館展」、東京都美術館「マウリッツハウス美術館展」でのフェルメール。楽しみが増えました。情報に感謝します。
フェルメールの画風の推移など、詳細な解説、大変おもしろかったです。
文献を調べ、よく勉強されていることに驚きました。
これだけ下準備があると、絵画の鑑賞の仕方も違ってきますね。すごいです。
またおじゃまさせて下さい。
今年はフェルメールを6作品見れるなんてほんと当たり年ですね。きっと全作品制覇するんだろうな、しなくちゃいけないな!と思っています(笑
記事のボリュームと内容の濃さは毎回驚かされます。次回の展覧会までの予習もふくめて何度も拝見させていただきます。
フェルメールに興味を持ったのは【真珠の耳飾りの少女】の映画を見てからなのですが、たまたま今日レンタルビデオで【消えたフェルメールを探して】というのを借りてきたばかりです。
とても詳しい解説を書いていらして、びっくりしています。
絵画は時代背景が重要なので、dezire_photo様のように豊富な知識がもって鑑賞されると、より深く絵画を楽しめますね!!
また、勉強させてください。
真珠の耳飾りの女(青いターバンの女)はずいぶん昔に日本に来たように思います。あれがVermeerの初来日だったのでは・・・。そのとき、Fabritiusのゴシキヒワも一緒に展示されていた記憶があります(展覧会の図録を紐解けば確認できるのですが、少しサボっています)。
宗教改革の結果プロテスタント圏では宗教画の需要が減り、丁度それと符合して(マックス・ヴェーバーの件の著作!)新たな絵画のパトロンとなったブルジョワジーの需要に合わせて風俗画が広がったというのが定説ですが、単なる画題を超えた質の高さがVermeerにはありますね。
確かに傑作を生みだした時期は限られますが・・・・。
とはいえ、同じオランダのGoghに比べれば長いといえるかもしれません。
えっ、そうなんですか!何と貴重な名作の半分をここで見ることができました。まさにDESIRERデジタル美術館ですね。それも名解説付きの・・(笑)
読ませて頂きました。空間や色彩、明暗などとても計算されてるようには見えないほどの自然な仕上がりでまるで最近の3Dのようだなぁと思いました。
2006年にフランスに旅行に行った際に、ルーブル美術館に1日中居たのを思い出します。ただ残念な事にもう少しちゃんと知識を得てから見ればよかったと後悔しました。その経験を生かして今回は少しだけ予習をして行きました。でも実際絵を目の前にすると絵に吸い込まれるように見とれてしまいました。
貴重な絵を見られてとてもよかったと思います。
また機会があれば、たくさんの絵をこれからも見ていきたいと思いました。desir_sanのブログを見てますますフェルメールが好きになりました。ありがとうございました!
私の拙い感想に丁寧なコメントをいただき、恐縮です。
お訪ねしてみたら、こちらのブログの専門性の高いこと、驚きました。
また伺って、ほかの記事もじっくり拝見いたします。
フェルメールの頂点は、「牛乳を注ぐ女」「真珠の耳飾りの女」「レ―スを編む女」であり、全盛期が短いためにフェルメールは長く評価されてこなかったというご指摘、大変おもしろいです。
たしかに、私もなんとなく素晴らしいと感じる作品とそうでもないと感じる作品があるとは思っていましたが、desire-sanさんの鋭いご指摘でアタマのモヤが晴れたような気がしました。
人気がありますよね。 何度も盗難にあっているということは、日本だけでなく、海外でも評価の高い画家なのでしょうか?
「手紙を読む青衣の女」は修復後の最初の公開だったそうです。確かに、青い色は鮮やかでした。フェルメールの作品は、小さめのサイズが多いそうですね。 私の思っていたイメージより、ずっと小さかったです。 それでもこれだけ人を惹きつける魅力があるのがすごいところですね。
「真珠の耳飾りの少女」は映画も見ましたので、日本で展示されるときいて、楽しみです。
私は今回の「フェルメールからのラブレター展」は見送ったのですが、フェルメールは気になる画家の一人で、丁寧に専門的に考察された記事を、興味深く拝見しました。
特に、日常の中の何気ない女性の仕草などを描いていながら、不思議と非日常な神秘的印象漂う作風、というのは、一因は彼がこだわった”光”の細心な扱いのせい、とも思っていたのですけれど、
>フェルメールは意図的に、物語や逸話的意味を画面構成から排除し様としていたようです。
>画面の要素を極限まで削り、人物の仕種、表情を極力抑制し、画面に絵画的美意識以外の余計な意味を持たせないように、簡素な空間を追求しました。
のような箇所が、印象的でした。
またその前年の東京都美術館での「フェルメール展」を鑑賞、当時その関連でのTV番組を見て、前ブログに記事を書いていました。
「フェルメールの暗号~光の芸術画家の謎を解く~」URL:
http://sun.ap.teacup.com/applet/autumn/20081106/archive
「フェルメール展ー光の天才画家とデルフトの巨匠たちー」URL:
http://sun.ap.teacup.com/applet/autumn/20081206/archive
その中でも触れてたのですが、「真珠の耳飾の少女」を題材にした’02年の同名映画は好きな作品の1つで、また同じ頃の「オランダの光」(’03)というドキュメンタリー映画でも、フェルメールを扱っており、興味深かったです。
今年6月にその「真珠の耳飾りの少女」また「真珠の首飾りの少女」が来日、というのはこちらの冒頭のご紹介で知り、これはどちらの展示会も楽しみにしたいと思います。
ひとつひとつじっくり読ませていただき、私もいろいろ勉強になりました。
フェルメールの絵が小さい、というご指摘がありますが、これは単純にフェルメールが強力なパトロンが付くほど売れっ子の画家でなかったからだと思います。ルーベンスは、イタリアで宮廷画家になり、スペイン王、フランス王と宮廷画家を渡り歩き、外交官としても活躍したやり手です。レンブラントは、一流の工房のエリートで、当時台頭してきたブルジョワの有力者をパトロンに持っていました。レンブラントは好きな画家ですが、晩年貧乏をしたのは、浪費癖など人間としてのバランス感覚の不作のせいで、芸術的信念が原因というのは美化しすぎだと思っています。芸術的信念のためお金持ちになれなかったのは、フェルメールの方だと思います。
MIEKOMISSLIMさんの」URLも拝読させていただきました。画家の生涯や制作過程についてはほとんど知識がないため、大変勉強になりました。ありがとうございました。
最後にフェルメールの絵は小さいため。盗難事件は結構あったようです。私の知る限りでは、Bunkamuraの美術展に来たもう「手紙を書く女と召使」は3回も盗難にあったそうです。「恋文」も盗難を受けたことがあると聞いています。
ゆっくり読ませていただきました。フェルメールの絵のこと、その時代背景、描く手法などなど、すごくわかりやすく書かれていて、こちらを読ませていただいてからフェルメール展に行きたかったと、読みながらおもっておりました。
ありがとうございます。また読ませていただきます♪
本当に日本人はフェルメールが大好きですね。某百貨店の元社長も、フェルメールの全作品を観ることをライフワークとしているそうです。
私は「牛乳を注ぐ女」を観ましたが、実に感動しました。やはりフェルメールは凄い!。まず、ブルーが鮮烈でした。そして、独特の光。これは日本における障子から差す淡い光と同じだそうです。フェルメールは障子を知っていたのですかね。さらには手前のテーブルが、実は台形であること。写実とは目にした光景をそのまま描くのではない、ということを私は学んだのであります。小品でありながら、圧倒的な臨場感のある作品でした。牛乳を注ぐ音が聞こえてくるようでした。
それにしても、ここまで「牛乳を注ぐ女」を堪能するのに一時間を要しました。とにかく人が多くて。中には絵に飽きたのかこの作品の前に立ち止まってPTAの話をしている主婦達も(笑)。私は画家の筆の走りも勉強したいので出来るだけ接近したいし、作品の大きさに合わせた距離をもって鑑賞したいので、来場者の隙間を狙うのに時間が掛かるのです。
これから始まるフェルメール展の数々は、平日の開館直後や雨の日を選ぼうと思います。
構図は、ドレスデンにある「窓辺で手紙を読む女」と同じようですね。
ドレスデンの作品から5,6年経過した後に描かれたものだそうで、同じ女性がモデルもしれません。ドレスデンの作品はまだ未婚の時の作品、このアムステルダムの作品は結婚後の作品なんて考えると楽しくなりますね。
。ドレスデンの作品で読んでいる手紙は恋人からのラブレター。アムステルダムのこの作品で読んでいる手紙は恋人だった人と結ばれて夫となった人からの手紙。後ろの壁にかけてある地図は何を意味するのか。dezireさんの説に従えば、あまり意味なんて考えちゃいけないのですよね。(笑)
コメントありがとうございました。
フェルメール、私も好きですね(^^)
他の画家とは違って、魅力的な部分を沢山感じます。
非常に詳しい説明をしていただいていますので
じっくりと拝見させていただきますね(^^)
素晴らしいブログですね・・・ 音声ガイドを聞きながら大フェルメール展を観ている気分です^^とても勉強になりました!
特に
>フェルメールはかなり意識的に、何気ない振る舞いや表情を選び、何らかの意味ある行為、具体的な出来事、とにかく絵画空間の外に一切の表現目的を持たず、色彩、光、形態、造形の表現だけで勝負することにこだわり続けました・・・
のところに、フェルメールの真髄を見た気がしました。 思えば、子供の頃よく見かけた「牛乳を注ぐ女」。あれは、美術的センスを試す(専門学校の広告?)ものだったと思う。フェルメールの絵画には、そんなお手本が沢山詰まっているんでしょうね。
「ワイングラスを持つ女」を目玉に?やって来た時(東京都美術館)に行きましたが、物凄い込みようで-0-フェルメールの人気を改めて実感!! 思わず今回は見送ってしまいました(笑)。 でも、「真珠の耳飾りの女」が来るなら*^^*やっぱ観てみたいです♪
ありがとういございました。
私は会期中の最後の方に行ったのですが、
あまりの人の多さに圧倒されました。
フェルメールの絵はどうして人々の心を惹きつけるのか。
dezireさんの解説を読んで、さらに見識が深まりました。
先にこちらのブログを拝見してから鑑賞したかったです。
「手紙を読む青衣の女」は、修復で色彩がフェルメールブルーと呼ばれる鮮やかなマリンブルー的な色彩がすごく美しいさくひんでしたね。
「手紙を書く女」(の黄色の服は、フェルメールの他の作品にも登場しますね。ニューヨーク、フリック・コレクション所蔵の「婦人と召使」、ロンドン、ケンウッド・ハウス所蔵の「ギターを弾く女」、ベルリン、絵画館所蔵の「真珠の首飾りの女」など、この高価な衣装は、フェルメールの世界を演出する小道具だったのでしょうか。
優しいだけで人を癒すことができるのか。不幸や傷ついた心と向き合った時、自自分が壊れない強さがないと人を癒すことなどできまない。強さとそれに根ざした優しさがなければ人を癒すことなどできない。説得力があるとと思いました。
もちろん、フェルメールの絵画に対するご説明もすばらしかったです。
これから来るフェルメールを見るのにたいへん勉強になりました。
ありがとうございました。
フェルメールの奥深さがよくわかりました。
私は絵画の専門家ではありませんので、感覚的に好き!というだけですが、なぜ好きかを考えると、仕事がら、色と構図なのだと思います。
またお勉強させていただきます
素敵なブログですね。
知識量にも感嘆いたしました。
フェルメール作品の、ひっそりとスポットライトが当たっている、そんな構図と光加減に引き込まれます。
またお邪魔させていただきますね。
また、遊びに来させていただきます。ありがとうございました。
コメントをくださったおかげでこのような情報に接することができたことに感謝します。
まだフェルメール初心者なものですからこれからどんどん魅力に染まっていきたいと思っています。ありがとうございました!
名画と呼ばれる作品には、知識がなくともやはり人を惹きつける力がありますが、解説を聞いたり、勉強すればするほど魅力が増すのもまた名画たるものだと思います。
今回このように時代背景から技法、美術史に渡って、フェルメールの解説をして頂き、絵を拝見するのが楽しくなりました。
他の作品も見てみたいと強く思います。
ありがとうございます。
また訪問させて頂きます。
自分の一言感想のブログに訪問いただいて、お恥ずかしいです。
フェルメールについて、色々と学ばせていただきありがとうございます。
その他のテーマについてもすごいですね。
僭越ながら、私の興味範囲と似ているので、今後もよろしくお願いします。
フェルメール以外のブログも拝見させていただきます。
とても楽しく拝読させていただきました。
特にサルバドール・ダリの言葉は意味深長、そして同じ芸術にかかわる人間として、共感を覚えます。
フェルメールの作品から癒しを感ずるのもこのあたりからだろうとも感じます。
dezireさんのブログを拝読して、先日見たフェルメールの3点をより深く想い、味わうことが出来ました。
ありがとうございます。
他の記事も興味深かったです。またおじゃまします。
いつもながら、切れの良いフェルメール論を楽しく読ませていただきました。私もフェルメールは「真珠の首飾りの少女」はドイツで見ましたが、そんな複雑で手の込んだ作品とは感じませんでした。たしかに、その時も、フェルメールが新発明の写真に夢中に名て、写真のような写実を目指していた、というある美術解説書の説明には違和感を感じていましたが、ここまで考え抜いて描いているというのは初めて知りました。全文にわたり、説得力のあるお話でした。ありがとうございました。
コメントをいただきまして、ありがとうございました。
じっくり読ませていただきました。
「好き」という感覚だけでなく、技法や時代背景や製作過程などその絵画の後ろ側を知ることが出来ると、より一層、味わうことができるのですね。
ありがとうございました。
また訪問させていただきます。
拙ブログにコメントありがとうございました。
フェルメールと言えば、ラピスラズリの青。そして、30数点しか作品がないことしか、知りませんでしたが、
更に、フェルメールが、我々の知る「フェルメール」で有り得たのが、
このように短いあいだだったのには、記事を読ませていただいて、
初めて知りました。
輝きは一瞬でも、その一瞬は永遠の輝きであり続ける。
そのような作品を残せた芸術家は幸せでしょうね。
考え抜かれた技法、研ぎ澄まされた感性が生み出した芸術は、
時代を超えて、我々に、様々な思いを想起させますね。
西行の歌のように。
また、訪問させていただきたいと思います。
フェルメールの絵画に関する詳しい解説をご意見も交えて書かれたレポートを何度も読ませていただきました。
私はフェルメールが昔から好きですが、なぜ好きかといわれると今まで答えられなかったのですが、おかげさまで明日から好きな理由を答えられますね。dezireさんのご説明を借用させていただくことになりますが(笑)
私もフェルメールが好きで少し本を読んだりしていますが、私の知らないことがたくさん書かれているうえに、論理的な考察もされているのに敬服しました。
「フェルメールの絵画が永遠の癒し系美術であり続けるのは、革新的挑戦を乗り越えた強さとそれに根ざした優しさがあるから」の結びの言葉も素晴らしい!です。
先日銀座にできたフェルメールセンターに行ってフェルメールの全作品(複製品)を見てきました。dezireさんの説明を読んでから行ったので、作品の流れや見方がわかり、楽しく見られました。ありがとうございます。
だから今回の記事を熟読させていただいて、「ふうん、そうなのか」と思うだけなのですが、これを機会に、次にフェルメールの作品が日本へ来たら、見に行ってみようとという気持ちになりました。
もちろん、いまや有名な画家ですから、ぼくだってある程度の知識は聞いたり読んだりしています。
でも、新聞やテレビで大騒ぎしすぎて、あまりの人気なので、そんな美術展へ出かけたら混むに決まっている。押し合いへし合いしながらでは、絵を楽しむことはできない、と言う気持ちが強かったのです。
それと dezire さんが書かれているように、この画家の最大の魅力は「見る人に安らぎを与えること」、「癒し」なのだろうと、ぼくも思っているわけです。押し合いへし合いしながら「癒し」だなんて…、本末転倒じゃないか、という気持ちもありました。また、どちらかというと美術に対して「癒し」よりは「刺激」を求める性格でもありますし…。
美術展は出かけていかなければならず、たまたまその会期中に何かあると出かけにくい。ぐずぐずしているうちに会期は終わりそう、ということがよくあります。諦めることもあります。これは「出会い」の縁がなかったのだろう、と思うしかありません。Bunkamura の展示は終わってしまったようですが、6月にはあの名作がやってくる、というわけですか。
会期の早い頃の平日に行くことにしましょう。
ひとつひとつをじっくり読ませていただき、私が気付かななかった視点でのご指摘もあり、大変勉強になりました。
フェルメール人気の背景には、私は19世紀末から芸術、文化を支配してきたモダニズムに対する反動もあると理解しています。グローバル化欧米日の経済発展神話が崩れ、地球温暖化、最近では原発事故に象徴される自然と科学と不協和音が生じ始めたとき、不協和音が鳴り響く現代音楽では客を呼べなくなりました。人間の科学が自然を支配できる、人間は宇宙まで生活を広げることができると思っていた時代は、何でも成し遂げてしまう勢いのあるピカソに人気があったのだと思います。しかし、科学や経済の発展に限界を感じ始めたとき起こったのが、「癒し系」のフェルメール人気ではないかと勝手に思っています。
フェルメールの絵画は静かに味わう絵画です。 ディック さんがご指摘のように、人混みの中で押し合いへし合い史ながら見る絵画ではありません。。Bunkamura のフェルメールは金曜日の夜に行ったので、静かに鑑賞することができました。
フェルメールの絵への深い考察、拝読いたしました。
私がフェルメールを知ったのは多分小学校か中学校の美術の教科書で、「牛乳を注ぐ女」の絵でした。
神話や宗教画の方がドラマティックでインパクトの強い絵であるにも関わらず、この日常の一こまを描いただけの絵に強烈に魅せられました。
確かに、あの絵の完成度はフェルメール作品の中でも群を抜いていますね。
今までフェルメールの絵を時系列で見たことは無かったのですが、今回のdesireさんの記事を読んで、近々銀座のフェルメールセンターに行ってみようと思いました。
いつも新しい視点を提示してくださってありがとうございます。
いつもながら凄い考察ですね、その情熱に感心します。こんなに解析されれば同じものを再現できそうな気になりますが無いんですよね。手元に置いて大事に愛され人より寿命が長いもの。人間を超えてます、宝です。
どんなに技術が進んでも、フェルメール作品は再現できないと思いますが、私も一度銀座のフェルメールセンターに行ってみようと思います。
私も「フェルメールからの〜」そして「ベルリン〜」「マウリッツハウス」両展覧会でもフェルメールを目玉にほぼ半年の間に3枚も来日する事に驚いていたのですが、desireさんのレポートを読んで、むしろ納得できたような気がします。
私はフェルメールの偉大さとは別に、琴線に触れるようになったのは結構最近になってからなので、より理解を深める事が出来ました。ありがとうございます。
フェルメールについての記事、大変勉強になります。
同じフェルメールでも時代によって変遷があるのですね。
様々な時代のフェルメールを見てみたくなりました。
6月にもフェルメール作品が来るとの耳より情報をいただきましたので
またこちらも行ってみようと思います。
東京都美術館オープニングのフェルメールに続き、なんと国立西洋にもフェルメールが来るのですね。(ベルリンGemaldegalerie)
本当に日本でのフェルメール人気はもはやゴッホと並ぶといえますね。ちなみに私は地理学者が一番好きです。
一点、フェルメール作品は個人対個人の対話だと思うので、来日の際の人混みでの対面だとちょっとつらい、やはり現地で見るのが一番、、、とも思っています。
オランダの3大巨匠と言えば、レンブラント、ハルス、フェルメールですが、近年のフェルメールの人気はレンブラントをもしのぐものがありますね。フェルメールは私も大好きなのですが、なにが最大の魅力かというと、「物語を読む」ということではなく、絵画全般をつつむ水滴ひとつ落ちても響くようなあの静寂な画面です。画面というかもうその中にいるような感じがします。本当に癒される作品群ですね。
私、pomodoroと申します。
先日はトラックバック、ありがとうございました^^
とてもお詳しい記事を書かれていらっしゃって、
私は何とも軽い感じの記事でございました^^;
ブログがまだ不慣れなものでして、
トラックバックを私もしてみよう!と思い立ち、私も先日のルーブル展の記事を、こちらの記事にトラックバックさせていただいたのですが、
間違えて、関係ない内容の次の記事まで、トラックバックしてしまいました…
大変申し訳なく、謝りたくて、コメントさせていただきました。
申し訳ございません。
トラックバックありがとうございました^^
私はfsaebookの美術愛好家のサークルに入ったりして、共通しゅる趣味を持たれる方と交流を深めたいと思っております。よろしかったら、今後ともよろしくお願いいたします。
私もどんなすばらしい絵を見てその時すごく感動しても、時間がたつと何がそんなにすばらしかったのか具体的なことは分らなくなってしまいます。感動を言葉で記録に残すことは蒸すかしいことですし、まして人に伝えることは非常に難しいですね。私はいつも手帳を持っていて、感度したことを手あたり次第メモして2ページ程度一気に書いてしまいますね。海外旅行記などは2年遅れくらいで描いているので、そのとりとめもないメモが感動を呼び覚ましてくれます。
エキサイトブログの中に、「オランダ黄金時代の名画サークル」というのができたいうお知らせがあったので記事をそこにアップしたとき、お気に入りブログに登録している方にエキサイトからメッセージが送られたのだと推測します。私からは直接メッセージを恩っていません。
その後「オランダ黄金時代の名画サークル」の活動状況は全く私のところに入ってこないので、私も忘れていました。
美術に見識のある方でブログを書いている方は多いようですが、snowdrop-momoさんのように個人的に交流してくださる方は貴重な散財です。私の趣味の仲間作りは、一度同じ趣味の人の集まりに参加して、そこ℃お会いした方とFasebookで友達となって、交流の輪を広げています。愛好家だけでなく、アーティストや音楽演奏家、声楽家など芸術の世界で仕事をしている方と知り合うことができて、プロの芸術家として生きることの難しさを知るなど、いろいろ勉強になります。未だ無名ですが、才能の有る若い音楽家の演奏やアーテイストの作品を見るのも楽しみです。
絵の大きさ」も面白い観点ですね。ヴェネツィア派やフランドル派の発注主=大銀行家や封建化したヴェネツィア貴族がバロック様式の大邸宅にドラマチックな構想ある絵画を求めたのは当然の事です。