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芸術と自然の美を巡る旅  

牧歌的小景、天国的な夢想と称される、軽快かつ繊細な曲想のマーラーの傑作

マーラー:交響曲第4番 
Marler:Symphony No. 4

牧歌的小景、天国的な夢想と称される、軽快かつ繊細な曲想のマーラーの傑作_a0113718_22391198.jpg



 マーラーの交響曲第4番ト長調の演奏を、久しぶりに生演奏でマーラーを聴いてきましたので、マーラーの音楽に対する考察も含めて書いてみました






Among Mahler's symphonies, Mahler: Symphony No. 4 is a masterpiece thatrarely depicts the "exciting and fun heavenly world." Mahler'sbeloved disciple and conductor Bruno Walter, who had the desperate darkness ofhis symphony until then, described the song as "a pastoral dream ofheavenly love." It's a really bright and fun song as a whole. The simplemelody sung by the soprano in the final movement, celebrating the beauty ofheaven and the enjoyable life of an angel, is particularly cheerful and bright.




 マーラーはロマン派後期の作曲家に分類されると思いますが、マーラーが作曲活動をしていた19世紀末から20世紀初頭の時代は、あらゆる意味でモダニズムが始まった時代でした。絵画では、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンというその後の美術史を変えていく人たちが活躍していました。(といっても売れていませんでしたが)、文学ではプルースト、マラルメ、ボードレール、哲学・思想ではマルクス、精神分析ではフロイトが新しい時代を作り始めました。科学技術が世界や宇宙を解明して、自然を支配し、国家まで設計できるという大きな夢を抱いていた時代でした。



 音楽でも、一世代前のワーグナーは神話的存在となり、次の世代のシエーンベルグが十二音音楽を作り出し、一気にモダニズムに進もうとしていました。そのような新しい流れの中で、マーラーは、指揮者としては高い地位にありましたが、作曲家としてはあまり評価されていませんでした。



 モダニズムは、美術では人材が豊富で、セザンヌ~キュビズム~ピカソ~ポロック、ゴッホ~フォービズム~カンディンスキー~抽象絵画と、モダニズムからポストモダニズムと発展を遂げていきました。



 しかし、シエーンベルグの流れをくむ不協和音の多い音楽は、現代ではあまり演奏される機会がなくなっているのではないかと思います。以前新国立劇場で、現代音楽の代表的作曲家のオペラが上演され、私も現代音楽のオペラがどんなものか興味があり観に行きました。けたたましい不協和音が鳴り響き、舞台が血のように赤く染まり、舞台全体が傾いていく。現代に生きる人間の姿を象徴していたらしいですが、オペラ公演ではめったにない現象が見られました。第一幕、第二幕の幕間に観客が減っていくのです。高いチケット代を払ったオペラで最後が空席だらけになったオペラは初めてでした。



 想像するに、19世紀末の、科学技術が宇宙を解明して、自然を支配し、国家まで設計できるという大きな夢を抱いていた時代は終わり、大気汚染、地球温暖化、オゾン層破壊、そして原発事故と、人間の科学技術の進歩に地球・自然が悲鳴を上げ、科学と自然の不協和音が聞こえ始めた時代に、不協和音が鳴り響く現代音楽は好まれないのだと思います。モダン音楽が行き詰った時、クラシックマニアの一部がマーラーに回帰したと思われ、1970年代頃からマーラーの作品の演奏が頻繁に行われるようになったようです。




 マーラー「交響曲第4番ト長調」は、この曲を紹介した本には、ドイツの民謡詩集「少年の不思議な角笛」の中の1篇「天国の暮らし」を音楽として表現したものだという解説がありましたが、生演奏で聴いてみると、そんな生易しい作品ではないと感じました。



 第1楽章、最初にフルートの素朴で哀愁的な音楽で始まり、ヴァイオリンとチェロの異なった気分の音楽が交差します。メルヘン的雰囲気の中で展開部では、格子状的、三次元的に「死の舞踏」のような夢幻的で不気味な音楽がだんだん入り込んできます。一方ではメルヘン的雰囲気の音楽を奏でており、オーケストラの中で管楽器の弱音は別の方向を向いているかのようです。


 第2楽章は、うらぶれたような不気味さがつきまとうスケルツォで始まります。全体としてはなだらかに音楽が進みますが、ヴァイオリンが死神と一緒に踊っているようなメロディーを奏で、所々に幻想的なもの、不気味なものが感じられますが、音楽全体としては豊かな自然の平和な色彩を覆っています。



 第3楽章は、静かで清らかな気分のアダージョで始まります。これが天国の至福の生活かと思わせますが、やがてオーボエが嘆きの旋律を奏で弦楽器が追随します。舞曲調のチェロの旋律で気分が明るい雰囲気に転じますが、また格子状に憂鬱な気分が入り混じってきます。しかし、突然天国の門が開いたかのように、管楽器が響き音楽が高揚し過去を振り返りつつ静かに消えていきます。



 これで音楽が終わりの方がまだ分かり易いのですが、この曲はこれで終わらないのです。第4楽章で、可愛く魅力的なソプラノ独唱が、天国の楽しさを歌い、ソプラノの独唱を中心とした天国の扉が裏いた後の風景、天国の様子が描かれます。軽やかなクラリネットの導きにより、天国の様子が速いテンポで歌われます。歌詞を読むと大筋以下のように読み取れました。



 ヨハネが小羊を連れ出して、ヘロデが屠殺する。小羊とはイエスらしく、ヘロデ王がイエスを殺すことをいっているようです。天国では酒は飲み放題、天使がパンを好きなだけ焼いてくれる。良質の野菜が豊富で、牡鹿や兎野などの野生の動物は肉を食ってくれとばかり道を走ってくる。元漁師のペテロが網とエサをもって寄ってくる魚をとらえ、生贄に捧げる。聖マルタが、自分で料理をする。最後の方は少しグロテスクな和音に導かれて、1万1千人の処女の踊り、フン族に虐殺されたケルンの聖女ウルスラがその踊りを笑っている。地上にはこんな音楽はありえない。卓越した宮廷楽師、天使の歌声、歓喜のためにすべてが目を覚まします。



 以下は私の勝手な解釈ですが、第3楽章までは、いろいろな表現が入り混じってはいますが、一応肯定して賛美した感動的な神の世界を、楽章で、可愛く魅力的なソプラノ独唱が天国の楽しさを歌いますが、ー聖書のパロディーのように完全に茶化しているように聴こえるのです。よく言えばユーモアなのでしょうが、とにかく、マーラーはバランスのよい曲を求めず、音楽の中に悦楽と悲惨、崇高と滑稽、真剣さとユーモアを表裏一体としてとらえ、一応肯定して賛美した感動的な神の世界を、ユーモアで少し茶化して締めたかったではないかと感じました。世の中、神の世界も含め、フィナーレのハッピーエンドなどないのだ。世の中には美しいものも醜いものもあり、理不尽なこともたくさんある、それをカオスといえばそうかも知れませんが、いろいろなものがゴチャゴチャあり、マーラーの音楽にはそのいろいろなものが詰め込まれているように思いました。そして、いやなものはユーモアでかわし、美しいものに目を向けて生きろ、とこの曲は言っているように感じました。



 これも生演奏を聴いて感じたことですが、オーケストラの中で楽器は一体ではなくいろいろの方向を向いて演奏しているのではないか、これは演奏の問題ではなく、マーラーの音楽自体がそのようにできているのではないかと思えたのです。



 ベートーヴェンの交響曲は、善、愛、叡智の勝利に向かって進んでいくような安心感があります。途中で困難に突き当たり、悩み苦しむ部分もありますが、それはオーケストラが一体となって悩み、困難、混沌と格闘しており、決してオーケストラのどの楽器のパートが善、愛、叡智の勝利を疑っているわけではない、だから最後に待っているのは決まりきったように善、愛、叡智への賛歌の大合奏です。ベートーヴェンは古典主義の作曲家で、この時代は理想的な美しいものしか芸樹と認めない時代でしたので、ベートーヴェンがそのような音楽を作ったのは極めて正当なことです。これがベートーヴェンの交響曲の魅力でもありますが、現代人から見ると、そんなことは実際の社会ではありえないだろうと白けさせる面も否定できません。




 後の時代に信望されたワーグナー、ブルックナーの音楽は、少し乱暴な言い方をすれば、ある種の特殊な美学の中に聴く人を引き込み、その美学をこれでもかというほど押し付けて聴く人を引きずり回して、聴く人を陶酔させてしまう音楽のように感じます。ベートーベンと音楽の質は全く違いますが、オーケストラの中で各楽器の音楽は同じ方向を向いている、同じ価値観で動いているという意味では共通するように思います。



 しかし、マーラーのこの曲ではそうではないように感じました。人間社会で人がみな違った価値観をもち、みな気持ちに温度差があり、違った方向を向いている、それでも社会の形態をなしている。マーラーのこの曲でも極論すれば、オーケストラの各楽器は違った方向の音楽が与えられ、それらがまとまって一つの音楽として完成しているように感じました。オーケストレーションは同じ旋律を重ねているにもかかわらず、強弱を交叉させている部分が多々あると指揮者の方からの指摘もあります。マーラーは、全く異なるものが多様に絡み合うポリフォニーを理想としていたそうですが、マーラーの究極のポリフォニーは全然違う音楽へと行き着いたという論考もあります。いずれにしても、そのような何でも飲み込んでしまうような大きさが、マーラーの音楽の魅力なのではないかと思い始め、これを機会に他のマーラーの交響曲も聴きこんでいこうと思いました。




参考資料

コンスタンティン フローロス (),前島 良雄 (翻訳)『マーラー 交響曲のすべ』2005年、藤原書店    

金子 建志 ()『マーラーの交響曲』1994年、音楽之友社

柴田南雄 著『グスタフ・マーラー』2010年、岩波書店




"Dragon's Head Waterfall" is located near Nikkō in TochigiPrefecture, Japan. The name of the 'Dragon's Head', is dependent on its twinfalls that are similar to a dragon's head. This waterfall is located upstreamfrom the Yugawa River which makes its way into Lake Yunoko and Lake Chuzenji.Nikkōis icebound in the winter. "Dragon's Head Waterfall" freezes likethis photo.




 友人がヴァイオリン奏者として参加する大岡山フィルハーモニー協会の「東京ガルテンシュタット管弦楽団」コンサートで、マーラーの交響曲第4番ト長調の演奏があったので、久しぶりに生演奏でマーラーを聴いてきましたので、マーラーの音楽に対する考察も含めて書いてみました。

 マーラーの交響曲を生演奏で聴くのは、1999年に聞いた「千人の交響曲」と呼ばれる大曲、交響曲8番交響曲変ホ長調以来でした。「千人の交響曲」は日本のプロのオーケストラが滅多に演奏しない曲といわれていますが、新宿文化センター開館20周年記念演奏会ということで、澤畑恵美、大倉由紀恵、幸田浩子、福井敬、福島明也など当時の二期会の最高の歌手を集め、この演奏会のために特別に編成された合唱団のもと、エルフ・インバル指揮、東京都交響楽団の演奏でした。

 

 今回の交響曲第4番ト長調の演奏は東京工業大学管弦楽団常任指揮者の作曲家 末永隆一氏と、同団卒業生有志により発足し、現在まで60回の演奏会を開催している東京ガルテンシュタット管弦楽団に、二期会のソプラノ歌手大隅智佳子さんを迎えての演奏が行われました。

 マーラーの交響曲は非常に情報量が多く複雑で、相反するものを表裏一体でとらえているようなところがあり、演奏する側から見ると極めて難曲だと思います。この難しい曲に挑戦して演奏しきった東京ガルテンシュタット管弦楽団の方々と難しい歌曲を歌い切った大隅智佳子さんに敬意を感じました。大隅智佳子さんがアンコールでプッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」のアリア「私のお父さん」を軽やかに歌われましたが、これは「プッチーニだったらこんなに楽しく歌えます。皆さんいっしょに楽しんで!」とおっしゃりたかったのではないかと受け取りました。

 このコンサートではこの曲と組み合わせて、ガーシュイン「ピアノ協奏曲」へ調が演奏されました。案内を見た時、なぜこの曲との組み合わせなのか分かりませんでしたが、演奏を聴き終わって納得した様な気がします。楽団が一体となって音楽を演奏することを楽しむガーシュインの曲は、マーラーの難曲を公演まで持っていくために、必要だったとのではないかと勝手に考えましたが、当たっているでしょうか。

20123.24 太田区民プラザ・大ホール)せん。




by desire_san | 2013-09-28 23:48 | 音楽・オーディオ | Trackback(3) | Comments(19)
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Commented by Haruna_Takahash at 2012-04-05 18:00 x
こんばんは。

私もマーラーに興味を持っていましたが、どの曲も長大で、クラシック初心者向けの親しみやすいメロディーが知られているわけでもないので、なかなか入れずにいました。
今回のマーラー「交響曲第4番ト長調」のお話をや読みして、簡単ではないのだな、という印象を持ちましたが、マーラーの聴き方が少しわかったような気がします。
とりあえず、この交響曲第4番から聴いてみようと思います。ありがとうございました。
Commented by Masayuki_Mori at 2012-04-05 18:51 x
こんばんは。おもしろくよませてもらいました。
ベートーベンの交響曲は、オーケストラが一体で困難、混沌と格闘し、最後決まって善、愛、叡智への賛歌の大合奏で終わる、年末に演奏される第9の「喜びの歌・がまさにそうですね。ベートーベンもワーグナーもオーかけトラが全員同じ方向を向いているが、マーラーは各楽器は違った方向の音楽が与えられているというご指摘は、あまりこのような解説をした本を見たことがありませし、私は演奏の経験もないので検証できませんが、この文章を読んでから改めてこの曲を聴くと、結構鋭いところをついていると思いました。
Commented by 山脇由美 at 2012-04-05 19:21 x
こんばんは。
私は一応音大を卒業していますが、マーラーの歌曲はとても歌えないですね。交響曲第4番の第4楽章の曲は、確かにいろいろな要素があり、単に天国をたたえるだけの歌ではないと思っていましたが、改めて難しい曲だと思いました。ソプラノ歌手の方がアンコールでプッチーニを歌って見せたお気持ちはわかるような気がします。決して楽しんで歌えるような曲ではなさそうですね。
Commented by 智子 at 2012-04-05 23:15 x
こんばんは。
私はdezireさんのブログの音楽やオペラの記事を読むまでは、ベートーベンが最も偉大な作曲家で、クラシック音楽の頂点にベートーベンが存在すると思っていました。子供の話を聞くと、学校の音楽の先生は今もそのように教えていますし、テレビの教養番組もそのように教えているように思います。でも、そんな簡単なものではないことが、今回のマーラーの音楽の文章からもよくわかります。人間社会で人がみな違った価値観をもち、違った方向を向いている、まさにそうだと思います。そのようなものをすべて飲み込んでしまう音楽がマーラーですか。難しそうですが、私もまずマーラーの交響曲第4番あたりから聴いてみようという気持ちになりました。
Commented by yurikamome122 at 2012-04-06 06:28
desire_san、こんにちは。コメントありがとうございます。
しかし素晴らしい考察ですね、私もマーラーはいろいろと考えさせられます。
私はこの曲はよく言われるようにメルヘン的なものを感じます。マーラーは1番で戦いを2番で復活を、3番で大自然を、この4番で天上を描いたのかなと思っています。もちろん私は専門家ではありません、ただの妄想です。4番の第4楽章は3番の7楽章(子供が私に語るもの)だったものが長すぎるので4番の萌芽として使われたのはご存じだと思いますが、1楽章の鈴の音から全体的にどことなく空虚な地に足が着かない響きが延々続くように感じていまして、1楽章は冒険物語的メルヘン、2楽章は骸骨踊りも出てくるようなちょっと怖いメルヘン、3楽章は子守歌のようなメルヘン、そして4楽章は子供の持って生まれた残酷なメルヘン。そんな気がします。

下に続く
Commented by yurikamome122 at 2012-04-06 06:28
上より続く

第4楽章の「天上の生活」はご承知とは思いますが、「子供の不思議な角笛」から取られたものですが、この曲集には「この世の生活」という対になった歌があります。子供がおなかをすかせていて泣き叫ぶごとに母親が一生懸命「ご飯を作っているよ」と言って慌てているちに、ご飯ができた頃には子供は飢えて死んでしまうと言う内容ですが、この対がと言うよりも、「角笛」と言う歌集そもそもが結構怖い、というか、昔、「ホントは怖いグリム童話」なんていう本も出ましたし、「マザーグース」なんかも結構怖いですよね。童話というのはだいたい古今東西怖いしエロいもののようです。

下に続く
Commented by yurikamome122 at 2012-04-06 06:29
上より続く

それは、子供に実は「死というものを現実に正しく認識させ、人生というものは凄まじいそう言うものだ」と教えるため、現実隠そうとすることは話の本質を全く見あやませるからというのが理由ではないかというのは河合隼雄さんが「昔話の深層」と言う本で述べています。そう言う結構リアリスティックなものなのではないかと感じています。
私は、マーラーがなぜ今日こんなに受け入れられているのかその理由を述べられるほど知識を持っていませんが、ご指摘のように理想や精神論を神々の立場から現してきたそれまでのバッハ以来の音楽から、思いっきり身近なものを現し始めた、その先駆者としての立場が大きかったのではないかとも感じます。

下に続く
Commented by yurikamome122 at 2012-04-06 06:29
上より続く

もっともその頃イタリア・オペラでもヴェリズモ・オペラが流行はじめ、そう言うものを社会が求めていたと言うこともあるのかも知れませんが、当時の風俗一歩手前の大衆芸術としてのオペラではなく芸術としての純音楽の交響曲でそれをやったというところがあるのかも知れませんが。
それと、マーラーの音楽は透明感がとてもありますよね。ステージ上、いろいろな人がいっぱい並んでいるので大音響で圧倒するような印象が強いですが、実は楽譜を眺めるとスカスカで、それぞれの音を引き立たせることにとても注意を払っているようです。
聴いていて表情が鮮やか、そんなところも魅力を更に強くしている気がしてなりません。
ところで、今月の20日、神奈川フィルの定期で「大地の歌」をやりますが、ご一緒にどうですか?。その後に音楽談義もできたら嬉しいです。
Commented by maru33340 at 2012-04-06 19:56
先日はコメントありがとうございました。この四番もまた、何ともバランスの悪い曲と感じて、三楽章だけ聴くというような聴き方しています。
ブログ拝見して、久しぶりに全曲を通して聴いてみたくなりました。
Commented by Ruiese at 2012-04-06 23:59 x
こんばんは。
いろいろな芸術の分野での詳しいご説明、いつもありがとうございます。
マーラー「交響曲第4番ト長調」は曲全体が明るくてさわやかな曲だと思っていましたが、いろいろ複雑な要素がある曲なのですね。あまり考えないで聴いていましたが、この記事を読ませていただいてから聞いたら、言われていることがひとつひとつなるほどと思いましたが。マーラーの交響曲は第1番とこの第4番くらいしか聴きませんでしたが、他の曲も聴いてみようと思います。
Commented by 失われたアウラを求めて at 2012-04-07 00:40 x
こんにちは。マーラーのモダニズムを非常にわかりやすい言葉で表現されており興味深く感じました。確か、マーラーファンでもある作家の加賀乙彦だったかとおもいますが?マーラーとドストエフスキーには共通点があると述べていました。ドストエフスキーの作品、とりわけ、罪と罰や悪霊では、時々、登場人物がてんでんばらばらな発話を行うわけですが、それでも小説として成り立っている。(この点を「ポリフォニー」と名づけて最初に指摘したのは、ロシア文芸批評家のミハイル・バフチンですが・・・)desireさんがマーラーの音楽について指摘したことも全く同様で、とても面白く読ませていただきました。
Commented by Aira at 2012-04-07 00:49 x
こんばんは。
クラシック音楽を勉強中なので、マーラーのお話、興味を持って読ませていただきました。マーラーの音楽は現代性があると私の読んだ本に書いてありましたが、dezireさんが書いておられるようなことを言っているのですね。ベートーベンやワーグナー、ブルックナーの音楽との比較は非常に分かり易い説明で勉強になりました。ありがとうございました。
Commented by desire_san at 2012-04-07 11:43
皆様、いろいろコメントをいただいてありがとうございます。ひとつひつといろいろな視点を持ってお書きになっておられ、大変勉強になりました。 maru33340さんのように、私も以前は第4楽章を切り離して聴いていましたが、この生演奏を聴いて、全曲まとめて聞かなければマーラーの意図は伝わらないと思いました。 yurikamome122さんの広い視点からの詳しいご説明とご意見、大変考えさせられ勉強になりました。ヴェリズモ・オペラで行っていたものを純粋音楽の交響曲行ったのではという見方は共感いたしました。失われたアウラを求めてさんの、マーラーがドストエフスキーに通ずるところがあるというご見解は、気が付きませんでしたが、そのような見方もできると思い、視野が広がった思いです。
Commented by Nukaya at 2012-04-07 18:38 x
こんばんは。
マーラーの音楽の音楽を語るとき、忘れてはならないのがマーラーのユダヤ性だと思います。世界角地に住むユダヤ人は、その国家や都市の社会規範や価値観に同化して、その国の国民として子供のころから生活しています。ユダヤ人たちは民族的特性を抑えて、極端な言い方をすれば自らを偽って生きることを余儀なくされていました。マーラーは繊細な芸術家ですので、おそらくユダヤ人としての内部的分裂と葛藤の苦しみ、悩みと折り合いをつけながら、表面平穏な市民として生きながら、音楽活動を続けてきたのだと思います。なにもかも飲み込んでしまうような大きさや、聖書の内容を茶化したようなアリアは、マーラーのそのようなユダヤ性からきているのではないかと思います。
Commented by Satoshi at 2012-04-08 10:24 x
マーラーの交響曲第4番ト長調についての考察をおもしろく読みました。シエーンベルグの流れをくむ音楽のモダニズムが聴衆から見放されたかのような見解は異論があります。dezireさんがご覧になった現代オペラも、会場に残った観客は舞台に熱烈な拍手をおくり、ブラボーの声も可方のではないかと思います。ただ、万人に愛される音楽でなくなったことは分かります。マーラーもワーグナーも万人に愛される音楽ではないという意味では同じではないでしょうか。他の芸術と同様多様化したということではないでしょうか。そのこと以外ではいろいろ共感できました。久しぶり骨のあるマーラー論を読ませていただきました。
Commented by Erizabes at 2012-04-08 11:06 x
マーラーの交響曲は音楽表現がさめたところがあり、屈曲していて、大音量で聴かないとよくわからないところがあります。キリスト教的な表現もありますが、お書きになっているように茶化していたり、冷めて冷え切ったような視線を感じるところもあります。ロマン主義の形式をとっていますが、形の上では斬新に見えるシェーンベルグより内容は斬新で、クリムトのような世紀末的芸術に分類される方が適当だと思います。
Commented by jj3bhn at 2012-04-10 21:02
当方の記事にコメント有り難うございました。日和見山歩記です。

魔弾の射手の映画はその特性をフルに生かしたできばえで良くできたいましたね。
歌手はその力量だけを考慮すれば、音楽も素晴らしいものでした。

ハーディングさんのマーラーの番組は震災の日の演奏会のものでした。
NHKの配信があるのではないかと思います。
全曲を演奏するものではなく、当日の動きと演奏を組み合わせたものでした。

マーラーは去年その題名の映画も見に行きました。
副題は君に捧げるアダージョだったと思います。
私は深いところは分からなくて、聴きやすい曲が好みです。
ただ、3/11の演奏会を扱った番組では、何か神の采配であの曲を
演奏することになっていたのではないかと、不思議な感動を覚えました。
聞いた限りの音楽はとても良かったです。

また素晴らしい音楽を聴きたいものです。
Commented by Ke_Kiita at 2022-07-16 15:30 x
マーラーの交響曲第4番は、音楽的には第5番との関連が深いようです。古典的な4楽章構成をとっており、純器楽編成による第5番以降の交響曲群を予告するとともに、一見擬古的な書法の随所に古典的形式を外れた要素が持ち込まれ、音楽が多義性を帯びてきている点で、マーラーの音楽上の転換点にも位置づけられるます。
「大いなる喜び(歓び)への賛歌」という標題で呼ばれることがありますが、マーラー自身がこのような標題を付けたことはありません。第4楽章の「天上の喜び」を歌った歌詞内容が誤ってこのように呼ばれ、さらに全曲の標題として誤用されたと考えられます。






Commented by Youko_Matuzaka at 2022-07-16 15:32 x
そうだったんですね。バッハからはかけ離れてしまった感のあるロマン派の中で、私が個人的にマーラーに惹かれるのはそこにあります。ヴァークナーもそうですが、対位法をロマン派の語法で再現させたのが彼の天才的なところなのではと、素人ながらに感銘を受けます。そしてそれを別の形で継承しているのがヒンデミットではないかと、勝手に思っています。