人気ブログランキング |
ブログトップ

dezire_photo & art

desireart.exblog.jp

心に残った旅・芸術とアートとの出会い   

険しい山と水堀、城塞に囲まれた城塞都市

コトル
Kotor in Montenegro
a0113718_216167.jpg


 コトルは、アドリア海に続くモンテネグロ・コトル湾の入り江にあり、アドリア海側のコトル湾奥にある古都です。現在は人口約60万人でモンテネグロ共和国のコトルは、コトルスカ湾の奥に位置し、険しい山と水堀、城塞に囲まれた城塞都市です。コトルは。古代ローマの植民都市として発展し、セルビア公国やヴェネツィア共和国の支配下で、海洋貿易の拠点として繁栄しました。




 モンテネグロ、すなわち黒い山とコトル湾奥という地形上の特異性に加え、中世から城壁を持った都市国家をモンテネグロで建設してきたこと、中世以降多く他民族からの攻撃に耐え、ひっそりとしかし誇りを持って中世の都市国家として存在し続けました。

a0113718_21103513.jpg

 城壁の門を通ると武器の広場と呼ばれる広場があり、ルネサンス様式の時計台が並びカフェのテーブルが並びます。

a0113718_21102664.jpg


Kotor is located in the bay of Kotor Bay, in Montenegro, following the Adriatic Sea, Kotor is the ancient city in the Bay of Kotor on the Adriatic side back. Kotor is located in the back of Kotorusuka bay in Montenegro Republic. Kotor is the citadel capital in the walled city is surrounded by mountains and Mizuhori, the steep citadel 600,000 inhabitants now. Kotor was developed as the colonial city of ancient Rome, under the rule of the Republic of Venice and Serbia Principality and flourished as the center of maritime trade.

a0113718_2111556.jpg


 武器の広場の南方向には、この街のシンボルである聖トリフォン大聖堂があります。ロマネスク様式の大聖堂で、アーチ装飾には中世のフレスコ画などが施されています。

a0113718_2115870.jpg


北門方向に進むと、小さな聖ルカ教会や聖ニコラ教会の建つ聖ルカ広場に出ます。

a0113718_2115585.jpg


 コトルが最初に歴史に登場するのは、紀元前168年です。この都市国家は、紀元前3世紀から紀元前168年までイーリア人が支配し、476年に西ローマ帝国によって亡ぼされるまでローマ人が支配してきた古代ローマの属州でした。中世初期から街の開発が進み、ユスティニアヌス1世の時代に要塞都市として建築されました。ゴート族やサラセン人から攻撃を受けていたようです。

a0113718_2116197.jpg


 11世紀初めはブルガリア帝国の占領下で苦しみ、後にブルガリア皇帝によりセルビアに割譲さました。その後もコトルは、その歴史の中いろいろな勢力からより何度となく包囲され攻撃されてきました。オスマントルコはコトル湾全体を支配下に収めようとしていました。トルコがコトルを支配するということは、モンテネグロ、ヒルズ、ヘルゼゴビナ、アルバニア)に及んでいたヴぇネチアの政治的な力との対立構造の中に位置されましたが、結局オスマントルコは撤退しました。

a0113718_21133996.jpg


 2000年の長きにわたり、さまざまな勢力、権力によって支配されてきたコトルは、まさに静かなコトル湾の奥にありながら歴史に翻弄されてきました。そのような環境の中で中世の城塞都市コトルは支配を受けながらも、自由に都市の経営と管理を行うことで地位を確立してきました。

a0113718_2113544.jpg


 コトルは、中世からこの都市国家は裁判制度、議会、行政など都市の統治機構も発展していました。他の城塞都市と同様に、統治する君主が存在しました。君主とともに国家を統治する大議会と小議会があり、大議会は貴族が小議会は執行機関として君主と12名のメンバーで構成されており、官僚の任命を行っていました。この都市には裁判所も設置されており、君主と3人の裁判官で裁判は公開で行われていました。

a0113718_21143364.jpg


 時代が進むにつれ、都市の政治や行政は次第にその自由・自立の精神を失っていきますが、そこに暮らす市民たちは、自らの都市に誇りを持ち続けました。

a0113718_21142979.jpg


次々に様々な異なる政治・統治がこの都市国家を支配してきたが、コトルは多くの文化が出会い交流する場として反映し続けてきました。東西の文化様式を柔軟に受け入れ独自の文化を発展させてきました。コトルはカソリック信者と正教信者の両方の宗教的な暮らし文化を受け入れ多様な精神文化交流の場として花開いたのです。

トコトル 写真集  文字をクリックするとリンクします。
Kotor Photo Album When you click a character, you can see the pho album.

















にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
このページを訪問した方、ここをクイックして下さい。
by desire_san | 2013-04-06 21:23 | スロベニア・モンテネグロ | Trackback | Comments(5)
トラックバックURL : https://desireart.exblog.jp/tb/17647932
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by Rentora_matelo at 2013-04-20 19:59 x
こんにちは。

今年春にクロアチア・スローべニアなどを廻るツアーに参加しました。

コトルも行きましたが、ガイドさんに案内されるかままで、何も覚えていませんrた。(笑)

dezire三の写真をみせていただき、お恥ずかしながら、こんなところを見たなあ~と思い出しているところです。
Commented by ゆりこ at 2013-04-20 21:50 x
コトルという町は険しい山と海に囲まれた天然の要塞のようなまちですね。
トコトル写真もdezireさんの撮られた写真ですか。
たくさん写真を撮られて、そこから選んでブログに載せておられるのですね。
いつも、すてきな写真をありがとうございます。
Commented by 桔梗 at 2013-04-21 09:54 x
こんにちは。
今年秋らにクロアチアにツアーで行く計画をしています。ブレッド湖、
プリトヴィツェ湖群国立公園、ポストイナ鍾乳洞そして、コトルと美しい写真を見せていただき、旅の気分が盛り上がってきました。
ありがとうございます。
Commented by 平石悟 at 2013-04-22 01:24 x
こんばんは。
旧ユーゴスラビアの時代に、ドブロブニクに行ったことがありますが、その当時は政情が難しく、コトルには行けませんでした。今はクロアチアは日本人人気の観光地らしいですね。私が行った当時とは隔絶の感がありますね。おもわず懐かしくなってコメントさせてもらいました。 いつもながら写真がきれいなのには感心して拝見しています。。
Commented by Keiko_Kinoshita at 2013-04-22 06:38 x
こんにちは。
時々訪問させていただいています。
コトル湾はアドリア海も陸側寄っており、フィヨルドのリアス式海岸のヨーロッパ最南部の位置するのですね。美しい地中海的な景観を感じさせますが、城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、ヴェネツィアの強い影響が市内の建物には残っているようですね。色々な面を持った興味深い古都だと思いました。