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心に残った旅・芸術とアートとの出会い   

ローマ皇帝の宮殿廃墟を町として再生した街

スプリト Ⅱ
Split, Croatia
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現在人々が生活しているスプリトの旧市街は、ローマ帝国の衰退で廃墟と化した宮殿跡に、スラブ民族から襲撃されて追われて人々が避難所として住み着きました。廃棄を建材として家を建て、宮殿跡を町として再生しました。



ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、皇帝が政治から引退を決意し、隠居用の宮殿を故郷サロナに近い属州ダルマチアに宮殿を建設しました。宮殿はローマの軍事要塞のように堅固定な造りでしたが、南を海に面し、高さは約20m、長さ約200mの城壁で囲まれ、宮殿内は堅固な水道を張り巡らしました。

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476年に西ローマ帝国が滅亡すると、アヴァール人とスラヴ人の侵攻や略奪や略奪に追われたサロナの人々は、強固な要塞のように造られていたディオクレティアヌス宮殿に住むことを決意しました。宮殿は荒廃していましたが、廃墟を建材として家を建て、宮殿内部はサロナからの避難民の人たちの力で町として再建し、新しいダルマチア州の首都として以前より大きな都市に再生されました。現在宮殿はスプリト市の内核をなしており、商店や市場・広場、住宅があり市民の生活の場となっています。

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The Roman Emperor Diocletian, great reformer of the late Roman Empire, decided to retire from politics in AD 305. The Emperor ordered work to begin on a retirement palace near his hometown, and since he was from the town of Dioclea he chose the harbour near Salona for the location. Work on the palace began in AD 293 in readiness for his retirement from politics.

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The palace was built as a massive structure, much like a Roman military fortress. It faces the sea on its south side, with its walls 170 to 200 metres long and 15 to 20 metres high, enclosing an area of 38,000 m². The palace water supply was substantial, fed by an aqueduct from Jadro Spring. The palace was finished in AD 305, right on time to receive its owner, who retired exactly according to schedule, becoming the first Roman Emperor to voluntarily remove himself from office. After a few years, a group of Roman Senators came to Diocletian's palace, asking the former emperor to return to Rome and help the Empire to overcome growing political problems. Diocletian refused, and while he was showing them his garden, he told them that he could not leave his beautiful garden which he had created by his own hands..

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キリスト教徒を弾圧したディオクレティアヌス帝霊廟は、キリスト教の大聖堂に改築され、旧宮殿の階と通廊の中にあります。大聖堂の内部は荘厳な雰囲気で、8本のコリント式の支柱の上部にはディオクレティアヌス帝と王妃のレリーフが残っています。ディオクレティアヌス帝の私的な神殿は礼拝堂として利用され、プレ・ロマネスク様式の十字架持ったクロワチア王の美しいレリーフが掘られています。

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Following the fall of the Western Roman Empire in AD 476, Spalatum became a part of the Eastern Roman Empire, also known as Byzantium. It grew very slowly as a satellite town of the much larger Salona. However, around AD 639 Salona fell to the invasion of Avars and Slavs, and was razed to the ground[dubious – discuss], with the majority of the displaced citizens fleeing to the nearby Adriatic islands. Following the return of Byzantine rule to the area, the Romanic citizens returned to the mainland under the leadership of the nobleman known as Severus the Great. They chose to inhabit Diocletian's Palace in Spalatum, because of its strong fortifications. The palace was long deserted by this time, and the interior was converted into a city by the Salona refugees, making Spalatum much larger as the successor to the capital city of the province.


青銅の門から青銅の門を地下に下って行くとディオクレティアヌス帝の邸宅部分の貴下にあたる宮殿の地下を見学することができます。

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宮殿を囲む城壁は都市壁に利用し、地下室を市の食料庫に転用するなど、遺跡を巧みに利用した独特の街並みとなっています。宮殿は、南側の青銅の門をくくると地下に入り地下宮殿となっています。銀の門を出ると青空市場、鉄の門を出ると旧市街の中心地・ドナドニ広場に出て旧市庁舎があります。宮殿の外側の建物は、ゴシック、ルネサンスなど様々な様式で建てられています。クロワチア人にたくましさを感じさせる古都・スプリットでした。

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スプリト 写真集 Ⅱ  文字をクリックするとリンクします。
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by desire_san | 2013-08-28 23:12 | クロワチア | Trackback(1) | Comments(5)
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Tracked from dezire_photo.. at 2013-06-06 07:19
タイトル : ローマ遺跡の中に住む人々
スプリト Ⅰ Split, Croatia  スプリトはクロアチア南部のアドリア海東海岸の小さな半島にある人口200万人のクロアチア第2の大都市で、その中心の旧市街は、1700年まえのローマ遺跡の中で、現代人が日時用生活を営んでいる例のない街です。 Split is a city situated in the Mediterranean Basin on the eastern shores of the Adriatic Sea, centred around the anci...... more
Commented by Haruna_Takahash at 2013-06-07 23:21 x
こんにちは。
ほんとうにローマの宮殿の遺跡のようなところなのですね。リンクの写真を拝見すると、そこに本当に人々が暮らしていて、生活感がある街であることが感じられます。こちらのサイトとリンクの写真でスプリトという町を違った方法で表現されているの良いですね。
Commented by 平石悟 at 2013-06-07 23:25 x
ドイツに駐在しているとき、一度この町を訪れたことがあります。遠い思い出となっていましたが、写真を拝見して、こんな町だったのだと改めて知りました。2回にわたってこの街を表現されているほど、dezireさんは、この街に深い思いが伝わってきます。ありがとうございました。
Commented by Masayuki_Mori at 2013-06-08 08:43 x
スプリットには、ドブロヴニクに行貴会があった時に、ドブロヴニクからバスで約4時間半かけて行きました。ユネスコ世界遺産のディオクレティアヌス宮殿の他に、大聖堂の鐘楼がよかったでした。ただ、急な階段に柵がなく、上まで登るのはスリル満点で、足に自信のない人は危険なのでやめた方がよいと親もいました。スプリットからフェリーでフヴァル島、コルチュラ島、ヴィス島、ブラーチ島、ラストヴォ島を廻ったのもけっこう良かったです。帰りは夜行フェリーを使ってスプリットを夜に出で、リエカに早朝につきました。
Commented by Montecarro_5826 at 2013-06-08 08:51 x
スプリットも良いですが、ここからアドリア海沿岸の船旅も楽しんで、「アドリア海の真珠」とも呼ばれるドブロヴニクに行く船旅も楽しく、お勧めです。dezireさんもドブロヴニクにも行かれてると思いますが、船でドブロヴニクの港に入る入るときの景色は最高です。ぜひ、機会がありましたらお試しください。
Commented by kARPRAINA at 2013-06-08 09:44 x
スプリットは、クロアチア首都ザグレブに次ぐ大きな町で、ローマ皇帝ディオクレティアヌスが余生をすごした宮殿跡が、そのまま旧市街となっている珍しい町ですね。歴代ローマ皇帝のうち、自分から帝位を譲った皇帝は、ディオクレティアヌス帝だけだそうです。宮殿はローマの要塞のような造りで、南側が皇帝の居住、北東側が兵舎、北西の方は使用人の住居になっていたそうです。10年くらいかけて作られた宮殿はディオクレディアヌスの死後使われなくなりに廃墟になりました。そこに他民族に追われて逃げてきたサロナの住人が廃墟となった宮殿の中に住居を建てて住み着くようになって発展したそうです。