独奏ヴァイオリンとオーケストラの絶妙なバランスとブラームスの個性が見事に表現された名曲
ブラームス『ヴァイオリン協奏曲』ニ長調
Brahms "Violin Concerto" in D major

ヴァイオリン協奏曲は、交響曲第2番を作曲した翌年の45歳で、ブラームスの創作活動が頂点に達した時期作曲されました。交響的な重厚な響きと音楽の入念な展開、独奏ヴァイオリンとオーケストラの絶妙なバランスとブラームスの個性が見事に表現された名曲です。
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ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調は、1878年にブラームスが、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番をサラサーテの演奏を聴き感銘を受け作曲した曲です。ヴァイオリン協奏曲は、交響曲第2番を作曲した翌年の45歳で、ブラームスの創作活動が頂点に達した時期に交響的な重厚な響きと音楽の入念な展開、独奏ヴァイオリンとオーケストラの絶妙なバランスとブラームスの個性が見事に表現された名曲です。演奏には高度の技巧と表現力をともに必要とするヴァイオリン協奏曲の中でも難曲の一つだと思います。
20年以上という歳月をかけて完成させた交響曲第1番の成功で音楽の本質に迫ろうとする姿勢は間違いではないと確信したブラームスは、満を持してヴァイオリン協奏曲に取りかかりました。20年来の友人ヨアヒムは、その決意を何よりも喜び、力を惜しまずブラームスの作曲を支えたのです。ブラームスとヨアヒムは、ヴァイオリンのテクニックで聴かせるヴァイオリン協奏曲に対して、音楽の最も奥深い本質に逆らうものとしこの流れに反対し、純粋に楽器による表現だけで音楽をつくり、音そのものを大切にしたヴァイオリン協奏曲を目指しました。ブラームスとヨアヒムが、音楽の本質を求め完成させたヴァイオリン協奏曲は、2人の天才の絆から生まれたそれまでにない新しい響きを持つヴァイオリン協奏曲でした。
軽い気持ちで聴いていると、単調な動きの音型を繰り返しているようなオーケストラと地味な動きのソロヴァイオリンですが、両者が組み合わさると、ソヴァイオリンはまるで心臓の鼓動のように鳴り響き、音楽全体が生き始めていきのます。派手な技巧的な演奏がなくても、エッジの効いた音ひとつでソロヴァイオリンは、オーケストラを盛り上げるのです。特に第3楽章の旋律は秀逸です。ブラームス特有の重厚な響きが随所に見られる一方、第1楽章では消え入るように美しい旋律は絶品です。
ブラームスの協奏曲には、左手で2つの弦を押さえて、異なる音を同時にならす、ヴァイオリンの高度なテクニックのひとつ重音が用いられています。これはメロディーを華やかに演出する際などに使われます。しかしブラームスは一つ目の音が出たあと、途中から二つ目の音が重なってきます。音量のバランスや音楽的な表現など地道ではありますが難しいテクニックです。
同じヴァイオリン協奏曲の名曲であるベートーヴェンやメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と比べて、ブラームスの協奏曲は演奏難易度が格段に高いと言われています。それは、ハイポジションや重音奏法の連続、オーケストラとの複雑な絡み合いなどブラームスの綿密な作り込みがあり、「ソリストとオーケストラ」というより独奏ヴァイオリンもオーケストラと一体となった交響的な曲に仕上がっています。
ブラームスは、1878年の夏、ペルトシャッハアムヴェルターゼーでの夏の滞在中に作業を開始しました。8月末、彼は友人であるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムを送りました。第1楽章のヴァイオリンパートとフィナーレの始まりで、「ストーリー全体で4つの楽章が必要」と発表されました。しかし、数週間後、ブラームスは3つの楽章で古典的な形式を決定しました。ブラームスはソロパート全体をヨアヒムに送りました。ブラームスに送り返した最初の訂正要求で、ヨアヒムはソリストとしてより効果的にするために、いくつかの特に難しい箇所で作業を簡略化しました。当初、ブラームスはこれらの変更のいくつかのみを適用することを許していました。これに続いて、2人の音楽家の間でフォームをめぐる激しい論争いが続き、例えば、ヨアヒムは最後の楽章のテンポマークについて「非トロポヴィヴァーチェ?そうでなければ難しすぎる」など、プレミアを超えて続きました。その後、ブラームスは最終スコアに戻しました。ブラームス自身がヴァイオリンを習得せず、ピアニストの視点で作曲したため、ヨアヒムとの交流が作品の最終形を決定しました。
ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムとブラームスとの共同作業での作曲は無困難を極めました。ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムが表たたき台として作った作品は最高の詩的な美しさと称賛されましたが、ブラームスはシンフォニックな次元で論外あり、その不満から、ヴァイオリンの「鬼」とソリストの巨匠を行動の中心にある集団の状況に明らかに反対したため、この作品は当時の人々には奇妙に聞こえたんに違いありません。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を意識して、ブラームスはヴァイオリンをオーケストラの方法に統合し、名人芸のヴァイオリニストに自己表現の余地がないようにしたかったのです。そのため、ヴァイオリンの名手サラサーテは、ゆっくりとした動きの中で「オーボエが聴衆に全曲の内の旋律がするときに、ヴァイオリンを手に持って聞くこと。」と、すべてのヴァイオリニストに課せられたものでありとます。
1879年春のヨアヒムが演奏をリハーサルで披露したとき「芸術を巧みに形作り、処理する音楽」と好評で、ウィーン初演の際にヨアヒムが演奏を聴衆に披露したとき観衆は熱狂しました。
ヴァイオリン協奏曲の基本的な旋律と豊かなハーモニーをブラームスが民族、国民の印象と組み合結わせようとしたのは間違いありません。ロベルト・シューマンを見ていたメンセルドルフに向かって言いました。若いブラームスはライン川の渓谷をハイキンググし、バーデンでリヒテウンタールの森を何日も歩き回り、ウィーンに定住したとき、カリンシアの湖や山々と湖が美しいザルツカンマーグートにも半分行きました。ヴァイオリン協奏曲曲の「牧歌的な」性格は、前の楽章の冒頭から始まります。ソリストとオーケストラは作曲のアイデアにより、叙事的,英雄的,あるいは民族的な色彩をもち,自由なファンタジー風の楽曲に、そして、サラサーテが怒っていましたが抒情的歌謡的な器楽旋律の上で、繊細なアラベスクを回転させます。音楽表現が旋律的な生活は生まじませんので、3番目の楽章は、驚くべきハーモニックターンとリズムで、ソロのヴァイオリンが燃えるような巨匠と味や香りが濃厚で渋みも強いジプシーの音で動きを開き、加速し力強く陽気になないかます。リズミカルな構造は、元のリズミカルな変化で薄い空気に溶けこんでいるように見えますが、最後に大きなオーケストラが弦を指ではじいて音を出す演奏をした後、独奏ヴァイオリンが和音を静かに奏で力強く曲を終わります。
ブラームスの協奏曲には、左手で2つの弦を押さえて、異なる音を同時にならす、ヴァイオリンの高度なテクニックのひとつ重音が用いられています。これはメロディーを華やかに演出する際などに使われます。しかしブラームスは一つ目の音が出たあと、途中から二つ目の音が重なってきます。音量のバランスや音楽的な表現など地道ではありますが難しいテクニックです。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲ほど、ヴァイオリンのソロを演奏家によって印象が変わる協奏曲もないのではないかと思います。往年の名演奏を聴き比べてもヴァイオリニストの音楽性の違いが顕著に表れるようです。20世紀ロシアの生んだヴァイオリニストの頂点に君臨するひとりといえるダヴィド・オイストラフの演奏ではヴァイオリンの厚みと中身の濃い質感豊かな音は豊潤で安定感がすばらしい演奏でした。それに対してヨーゼフ・シゲティの演奏は、曲の内面と対峙した深い精神性豊かな演奏は技術を超越した素晴らしい演奏で、心の中に深く入り込んでくるような演奏だったと思いました。ミルシテインの演奏は、技巧的に至難で内容的に渋く精神的に極めて充実した雄渾の音楽性溢れる感性豊かな演奏でした。精神性の表現も、ブラームスのヴァイオリン協奏曲では様々な表現が可能で、そこがこの音楽の奥深いところのように感じます。
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲名演奏
オイストラフ(ダヴィッド) (演奏),
クリュイタンス (指揮), フランス国立放送局管弦楽団
パールマン(イツァーク) (演奏),
ジュリーニ(カルロ・マリア) (指揮),シカゴ交響楽団
ヨゼフ・シゲティ(演奏),
ヘルベルト・メンゲス指揮ロンドン響(1559年録音)
第1楽章
ゆったりとしたヴィオラ、チェロ、ファゴットの重厚だが温かみのある第1主題の演奏から始まります。弦楽器がマズルカ風のリズムを力強く流れるよう演奏されます。 独奏ヴァイオリンが情熱的に演奏に加わりオーケストラの中で情感を込めて歌います。真悠さんの切々と情感を込めて演奏するヴァイオリンの旋律が心に訴えてきます。オーケストラにより示された動機に独奏ヴァイオリンが優美な第2主題女性らしい細やかさと時には凛として表現で音楽を奏でます。オーケストラの第1主題で始まり、これまでに登場した主題が変形され組み合わされブラームスの美しい音楽にあふれています。独奏ヴァイオリンがオーケストラの伴奏なしに自由に技巧と表現力をアリアのように美しい歌い、オーケストが独奏ヴァイオリンを包み込んでいき、この楽章をしめくくります。
第2楽章
管楽器による合奏で始まり、オーボエが魅魅力的な美しい旋律を奏でます。独奏ヴァイオリンがこの旋律を引き継ぎ情感を込めて奏でます。独奏ヴァイオリンが魂の憧れをソプラノのアリアのように切々と訴えるように奏でます。真悠さんヴァイオリンの表現力は、聴き手が陶酔の世界に導きます。再びオーボエが旋律を歌い、時折中間部の動機が聞こえ穏やかに第2楽章を終わります。
第3楽章
ジプシー音楽のようの力強い主題を独奏ヴァイオリンが軽やかに歌います。第1副主題は独奏ヴァイオリンが重音で奏で、ロンドの後の第2副主題は2拍子と3拍子を組み合わせ、リズムに変化を持たせます。やがて第1副主題が再現され、再び冒頭主題が戻り、独奏ヴァイオリンが自由に技巧を凝らして歌い、これにオーケストラが順次加わって行きます。真悠さんヴァイオリンは、力強い表現と繊細な表現を使い分け、起伏のある表現力を楽しませてくれます。後半のクライマックスはトルコ行進曲風のリズムをチェロが刻み、独奏ヴァイオリンが主題を変形した旋律を演奏し、やがて管楽器が第1副主題を暗示させる音楽を奏でます。最後は弦楽器が弦を指ではじいて音を出す演奏をした後、独奏ヴァイオリンが和音を静かに奏で力強く曲を終わります。
2013年7月、藝大1年生の若さで第8回東京音楽コンクールに優勝し、優勝者コンサートで衝撃的な演奏を聴いたときから注目していた二瓶真悠さんが、この難曲に挑戦することをと知り、藝大奏楽堂に行ってきました。二瓶さんのは、確かな演奏技術でブラームス「ヴァイオリン協奏曲」を才能ある女優の演技のように、力強さの中にこの曲に秘められた繊細な優しさを表現し、この難曲に対する彼女の主張を感ずることができ心に強く残る演奏でした。ただ欲を言えば、この音楽の精神性がもう一歩たりなかったのが心残りでした。二瓶さんは1014年1月には、人気指揮者・西村智実さん指揮の日本フィルハーモニー交響楽団との共演など未来に羽ばたいていいます。現在はベルリンフィルに入団し、ドイツで演奏活動を行っています。もう二瓶さんの演奏を聴く機会が難しいかもしれませんが、一層飛躍した二瓶さんのブラームス「ヴァイオリン協奏曲」を聴く機会がある事を願っています。
参考文献
吉井亜彦『名盤鑑定百科 協奏曲篇』2003年、春秋
フレデリック・H・マーテンス(著)角英憲、木野雅之(訳)
『ヴァイオリン・マスタリー・名演奏家24人のメッセージ』全音楽譜出版社
デイヴィッド・キダー(著)小林朋則(訳)『ヴァイオリン協奏曲芸術性』文響社.
吉田 秀和【著】『ブラームス』河出文庫
私は最近クラシックコンサート会場に出かけるのが億劫になってきてしまって、自分でも悲しい気持です。
少し前まではこの会場もよく出かけました^_^
この方のこれからも楽しみですね。
素晴らしいFoto,流石です。
音楽と全く関係あれませんが、二瓶さんのコンサートにはこの写真をつけました。
オイストラッフ、ミルシテイン、ハイフェッツ、シェーリング、コーガン、グリューミオー、
シゲテイ、スターン、ブッシュ、フーベルマン、メニューイン、フランチェスカッテイそしてクライスラー等々大物の演奏者も多くいます。ブラームスはオイストラッフ/クリーヴランドが好きでベートヴェンはブッシュ、メニューインとありメンコンはスターンとフランチェスカッテイとをチャイコフスキーはやはりオイストラッフ/フィラデルフィアを持っています。
1.ベートヴェンヴァイオリン協奏曲は 過去のトピックありますが他には メニューイン/フルトヴェングラー
2.ブラームスヴァイオリン協奏曲 D・オイストラッフ/クリーヴランド
3.メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 スターン/フィラデルフィア
4.チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲D・オイストラッフ/フィラデルフィア
その他に全曲シェリング/アムステルダムとF・クライスラー/ベルリンステーツオペラ オーケストラの4曲全曲の演奏を楽しんでいます
この曲は凡作協奏曲でよく見かけるような協奏曲形式の外見上の華やかな要素に足を引っ張られているようなところがどこにもない。(ただし技術的には大変難しい。)細部に至るまでブラームスならではの内省的な味わいの深さとか重厚さといったものにも不足していない。それゆえにあまりにも交響楽的なスコアそしてオーケストラ部分が過剰に緻密に書かれているのでトゥッティでは音量的にソロが負けてしまうことがあります。(当然原因の半分は作曲者ブラームスにある)
それにしても第二楽章アダージョの抒情的な美しさ、魅力的なオーボエ&バイオリンソロの旋律。この部分はベートーベンのそれを凌ぐかも。
5年ほど前になりますがウイーンフィル、コンサートマスターの方(名前は失念)のライブを聴いたことがありました(会場は松戸市民会館)。
演奏はブラームスの内面に一歩でも二歩でも迫ろうというものではなく、ひたすら美しさを追求したもので(日本人の好きな精神性はあまり感じることが出来ませんでした。) しかし昨今あまた氾濫している天才?バイオリニスト達との格の違いでしょうか力と音の厚みが自然に滲み出てくるとともに技巧的にもしっかりしているので大いに楽しむことが出来ましたが、ただ本来ブラームスはこの様に演奏されるべきであるというイメージからはちょっと遠いものでした。



