ヴェルディの人気オペラをドイツの鬼才、クリーゲンブルクが新演出
Giuseppe Verdi:Rigoletto

新国立劇場でヴェルディ中期の傑作『リゴレット』を新制作として、ドイツの演出家アンドレアス・クリーゲンブルクによる、時代設定を現代においた「読み替え演出」で上演するということで、鑑賞してきました。
『リゴレット』は、ヴィクトル・ユゴーの人間的苦悩と父性愛の悲劇を描いた戯曲『逸楽の王』に基づいています。原作が国王の不正と不道徳を描いた作品なので当局の厳しい検閲にあいますが、ヴェルディは舞台をイタリアに移し、架空の貴族の話としてオペラ化を実現しました。
Rigoletto is an opera in three acts by Giuseppe Verdi. The Italian libretto was written by Francesco Maria Piave based on the play Le roi s'amuse by Victor Hugo. Despite serious initial problems with the Austrian censors who had control over northern Italian theatres at the time, the opera had a triumphant premiere at La Fenice in Venice on 11 March 1851.女を慰み者にしている非道な好色の若い貴族マントヴァ侯爵、マントヴァ公の宮廷に仕える年老いた不具の道化師リゴレット、リゴレットの清楚な娘ジルダの3人で話は展開します。愛する娘ジルダがマントヴァ侯の毒牙にかかって汚されたリゴレットは、殺し屋を使って侯爵に復讐を企てますが、侯爵を愛するジルダが身代わりに殺されるという陰惨な台本ですが、ヴェルディの美しい音楽をちりばめたすばらしい音楽の力で、魅力的なオペラに仕上がっています。
リゴレットの音楽はドラマを優先し、バリトンを歌うリゴレットはすべての行動に音楽を与えています。第2幕の「悪魔め、鬼め」と歌うリゴレットのアリアにチェロの音楽表現、リゴレットを笑いものにする宮廷の家臣たちの合唱、管弦楽部は様々なモチーフが巧妙に張り巡らせており、精密に設計された音楽は見事にオペラに幻想と陰影を与えています。マントヴァ侯爵は、救いようのない非道な好色男ですが、第1幕の登場場面で歌う「あれかこれか」からすばらしいアリアを歌わせ、ジルダへの求愛の歌、第2幕初めの独白、第3幕のカンツォーネ「女心の歌」と軽い声のテノールの魅力をふりまく美しい歌を歌わせて、清純なジルダの心をとらえてしまうストーリーに説得力を持たせているかのようです。
ヒロインのるジルダは比較的軽い声のソプラノで、第1幕のマントヴァ侯爵の誘惑に乗って歌う愛の2重唱、美しいオーボエのソロに続いてジルダが乙女の純愛を歌う「慕わしき人の名は」、第2幕の父親に自分の起こった出来事を告白するリゴレットとの2重唱、第3幕のリゴレットとジルダ、マントヴァ公と娼婦のマッダレーナ2組が各々の感情を歌う4重唱、殺し屋とジルダの2重唱と、自分を愛していない男のために死を選ぶ心理的な変化などが音楽で見事に表現しています。
このようにオペラ『リゴレット』はそのすべての音楽が屈指の美しさです。「ヴェルディの円熟期はこの作品から始まる」と評されるオペラとしての完成度の高さが、美しいストーリーでもないのに『リゴレット』がオペラとして人気のある秘密でもあると思います。しかし、演劇として見た場合、内容はシリアスです。絶対の権力者が、弱き者の妻や娘を、慰みものにし、その弱き者は刃向う事の出来ない権力者に怒り、憤り、憎悪、それを切り込んで表現した音楽の凄さ。リゴレットのように一生懸命生きている人の経験した不条理や悪に対する憤り・激怒が、オペラ『リゴレット』の精密に設計された音楽に共鳴し、普遍的に表現されています。
愛、暴力、復讐、死がテーマとした「リゴレット」では、社会のモラルが崩壊していて、裏切られたり、だまされたり、無実の罪で投獄されたりする社会です。それを現代の社会に生きる「リゴレット」として、演出家クーゲンブルグは演出しました。ヴェルディのオペラの登場人物は情熱的で、様々な出来事がドラマテックで復讐劇も情熱的です。それに演出と音楽的解釈の相乗効果が見せます。
今回演出を担当したドイツ演劇界の鬼才、クリーゲンブルクは、『リゴレット』の舞台設定の大幅な読み替え「現代のある町のホテルに設定し、社会のモラルとは何かという問題に切り込んで、モラルのカテゴリーが崩壊し、裏切られたり、騙されたり、無実の罪で牢獄に入れたれたり、という社会を描いています。現在の社会とそこに生きる人間と『リゴレット』の社会と比較し、社会の権力のあるべき姿を現代人に問いかけているようです。舞台上にはホテルのたくさんの部屋のドアが並び、完全にプライベートな部屋の中では、金持ち族がパーティーを楽しむ生活をしています。パーティーのシーンで豪華な舞台は回転して、上流階級の華やかな生活を演出しています。一方第3幕では、舞台はホテルの屋上に移り、貧しいホームレスのような人々が生活し、金持ちの物語の主流の世界とは別世界の、社会から見捨てられた存在に描かれています。リゴレットとジルダも、殺し屋もその妹もこちら側の人間であることを暗示しています。現代社会の貧困層と富裕層という二重構造表現しようとしているようです。
ゴレット役は、傲慢と卑屈、愛情と冷酷、軽薄と思慮、苦悩と憤怒、不安と絶望を歌で表現しなければならない難しい役です。今回の新国立劇場の舞台では、でリゴレットをこの役で世界のメジャーな歌劇場で活躍中のヴェルディ・バリトンのマルコ・ヴラトーニャで、歌も演技もすばらしく、道化の化粧をとった姿には人間の尊厳を感じさせました。
ジルダ役にロシア美人のエレナ・ゴルシュノヴァで、軽いソプラノの美しい歌語を聞かせてくれました。マントヴァ侯爵役にウーキュン・キムの軽いテノールは、声量豊かで伸びのある歌声で観客をも魅了していました。マントヴァ侯の美しい歌を歌う時のバックに彼の犠牲となった女たちを登場させ、彼を非道なプレイボーイであることを演出していましたが、華やかな歌声は脳天気なロマンチストで、清純なジルダをも魅了してしまうことに説得力を持たせていました。物語は悲劇ですが、最後に殺されたはずのジルダが血の付いた衣装で満面の笑みを湛えて登場し、これはお芝居なのよ、と語っているようで、物語後味の悪さが吹き飛んでしまいました。やはりオペラは生の舞台が良いと改めて思いました。斬新な読み替え演出も衣装と舞台装置が華やかで楽しめる舞台でした。
(2013.10.6 新国立劇場オペラパレス)
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今回の演出は、現代演出でしたが、華やかな高級ホテルのにぎわいなど美しさもあり、『ヴォツェック』よりはずっとよかったと思います。
ただ、高級ホテルの屋上にホームレスなど下層階級の人が住んでいるという違和感は許せるとしても、マントヴァ侯爵にもて遊ばれた下着姿の女性たちを何人も凍傷させるなど、原作にないものをいれる癖は、相変わらずで、余計だと思いました。
リゴレット、ジルダ、マントヴァ侯爵の歌手陣、合唱、オーケストラと音楽がよかっただけに、余計気になりました。
今回の新国立劇場の『リゴレット』は行きませんでしたが、dezireさんの記事を読んで、舞台が眼に浮かんできました。
悪役のマントヴァ侯爵に美しいアリアをたくさん歌わせるヴェルディの演出は、女性の私としては非常に微妙ですが、最後にお書きになっているように、一時のお芝居としてみると、非常によくできたオペラということにおるのでしょうね。ただ、終わった後の歌手の挨拶がない、オペラの映像作品では見たくないですね。(笑)
ウーキュン・キムの声を聴きたくて足を運びましたが、期待にたがわず素晴らしい声で大変満足しました。私は演出に関してはそれほど感心しませんでしたが、歌手のレベルが高く、その点では満足でした。リゴレットは本当に傑作だと思います。
クリーゲンブルクの演出は、ご指摘いただいたことを私も感じました。
多分、下着姿の女性たちの登場も、舞台の回転も意図的だと思いますが、賛否は分かれるところですね。そういう意味では、少しわかりにくい演出だったとも思いました。
マントヴァ侯爵に美しいアリアを歌わせているのは、彼は単なる能天気の遊び人で、本人には悪意はないことを示しているのではないでしょうか。そのことが余計にリゴレットには残酷なのかもしれません。マントヴァ侯爵役のウーキュン・キムの歌は私も非常に魅力的でこの役にはまっていたと思いました。
しばらくブログの更新がありませんでしたが、ご旅行にでもお出かけでしたか。
「リゴレット」は「女心の歌」が有名ですが、こんな残酷なストーリーの中で使われているとは知りませんでした。
美しい歌がストーリーの残酷さをより際立たせる効果を出している、このような手法もあるのだと驚きました。
ご説明も分かり易く、いつもながら勉強になります。
ありがとうございました。
私も新国立のヴェルディの『リゴレット』を見てきました。
私は結構よかったと思ったのですが、偉そうな批評家のような方のブログを見ると、クリーゲンブルクは新演出は、陳腐だとか、歌っているときに舞台を回転させて音楽を聞かせていないなど酷評する人が多いのに驚きました。専門家から見るとあまり演出としてよくないということでしょうか。
こういう批評家の意見に対して、dezireさんのご意見をぜひきかせてください。
「リゴレット」にはほんとうに美しいアリアがたくさんありますね。それも、悲劇のもとである能天気な遊び人のマントヴァ侯爵に歌わせているところが、ヴェルディの演出の才能を表していると思います。
素晴らしいレビューで圧倒されてしまいました。
劇場に行く前に読みたかったです。
天井に近い席でしたので、舞台手前は見切れてしまい、細かいところは見えませんでした。初めてのオペラ鑑賞ということもあり、あの席でも音響が素晴らしくてそれは驚きました。
ストーリーが美しくない、そのとおりです。夢がない演目だなぁと思いながらも、楽曲が素晴らしいのはわかりました。
ジルダのソプラノは「軽い声音」なのですね。なるほどー
マントヴァ侯爵の歌声だったら誰でもうっとりしてしまいます。ジルダの気持ちがわかりました。
そしてゴレットが瀕死のジルダを抱いて、マントヴァ侯爵の脳天気な歌声を聴き、絶望と屈辱の思いを強くしたに違いないと思います。
その点、desireさんのブログは、舞台の良いところにスポットライトを当てて、分かり易く作品の魅力を書かれているので、大変気持ちよく読ませてもらっています。
私も、ストーリーが美しくないオペラは好きではありません。「ルチア」「サロメ」などは、一度見ればよいという感じですが、「リゴレット」には何度も通ってしまいますね。そこがヴェルディなのだと思います。
ヴェルディのオペラの魅力は、音楽に加えて演劇性と演出力が優れているところだと思います。音楽だけ聞くならモーツアルトやワーグナー、プッチーニの方が上だという人もいますが、この「リゴレット」でも、悲劇の原因のマントヴァ侯爵に、「女心の歌」など美しい歌をたくさん歌わせて、清純なジルダが愛してしまうことに説得力を持たせることで父親のリゴレットの悲劇性に厚みを持たせているところが、ヴェルディの凄さだと思います。
ご指摘のように、私は演奏者や歌手の方の才能や努力に尊敬の念を持っています。芸術に対する畏敬の念、それが鑑賞の基本であり、そこから感動が生まれるのだと思います。批判的な視点で鑑賞していても、感動は生まれないと思っています。
解説をよんで、驚きました。
リゴレットのテーマは「2重モラル」と思いますが。。
西洋の宮廷には、中世時代から、道化師のような存在人物が統治者の影の部分をあらわすかのように、頭よく知恵深い、外見も心も悪い、ご主人を楽しませる存在。このリゴレットは、悪い奴で、ご主人には家来の妻も、誰も遊ばせる男。そのためなら家来も遠地に飛ばさせるために、この家臣は、必ず罰が当たると歌います。鼻をくくっていたリゴレットは、愛娘が教会で学生にくどかれ、恋をしてるのを知り、相手がご主人であることに驚愕。殺人を依頼、しかし・・結末は。
悪事を働いて皆の嫌われ者りゴレットは愛娘が遊ばれるのは許さんわけで、人間の深層心理「2重モラル」を扱っていると今まで解釈してりました。またオペラが見たくなりましたァ。
そもそも人類の歴史は「2重モラル」に満ち溢れています。十字軍の遠征、ローマ法王と神聖ローマ皇帝との権力闘争、徳川政権の独裁、明治維新の西欧化改革等々、現代の経済発展を旗印にした新自由主義的政策も、国家の経済発展と生活者の幸せという相いれない2重モラルの権力闘争的意味合いもあると思います。ヴェルディの「リゴレット」が優れた演劇性をもつオペラでありうるのは、清純なジルダと美しいアリアを歌うマントヴァ侯を対立軸にして、嫌われ者と娘を愛する父という面性をもつりゴレットを主人公にドラマを組み立てているところにもあると思います。リゴレットとジルダが不幸になってしまったののは、社会の二重構造による力関係によるもの、それは現代社会にも通ずる結末だと思いました。今回の演出は、その後半の部分を浮きだたせようとしたのだと思います。

