「ラフアエル前派」とは何か?過去に来日した名画も回顧してその魅力を探る
ラフアエル前派
Pre-RaphaeliteBrotherhood

東京の三菱一号館美術館で「ラファエル前派の軌跡」展が開催されています。この美術展を見たことで、過去に美術館で観たラファエル前派の傑作を観た感動が蘇ってきました。2014年には、テート美術館所蔵の名画72点が六本木ヒルズ・森アートセンターギラリーに終結し「ラファエル前派」の重要な作品を沢山観て感動しました。これらの体験を通して、「ラファエル前派」作品の魅力を追求してみました。「ラファエル前派」の美術史における意味についても考察し整理しました。
ラスキンの『近代画家論』とラファエル前派の誕生
ロイヤル・アカデミーに代表される当時の正統的美意識は、均整のとれたラファエロ美術を理想美していました。従って画家たちは、ラファエロ的理想的タイプ、画家を志す者は調和のとれたポーズ、人物配置、構図、色彩などの規則を守らされていました。英国ロイヤル・アカデミー(王立芸術院)は、芸術的にはヨーロッパ大陸の芸属国のように、疑いもせず17世紀イタリアの絵画様式を伝統として受け入れ、一般的には通俗的歴史や風俗画が横行し、退嬰的な状態でした。コンスタブルが亡くなった後は、ターナーでさえも批判にさらされ孤立無援の存在でした。
そんな中、イギリスの美術批評家ジョン・ラスキンは、弱冠 24歳から完成まで 17年を要し『近代画家論』を書き上げました。この文学的美術書は、倫理的,宗教的な審美観が流麗な筆致で語り、独自の絵画理論や風景画論を独自の絵画理論や風景画論を展開し、具体的にイギリスの風景画家ターナーを中心に近代の画家を古い巨匠たちと比較検討して,ターナーを弁護・擁護し称賛しました。ジヨン・ラスキンの「近代絵画論」は多くの読者を魅了しました。
特に若い画学生はジヨン・ラスキンに共感し、芸術を型にはめようとするロイヤル・アカデミーの方針に反乱を起こしました。学生たちは芸術を改革する秘密結社を形成しました。1848年、ロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイによって結成された兄弟団は、その後にロセッティの弟ウィリアム・マイケル・ロセッティ、ジェームズ・コリンソン、批評家のフレデリック・ジョージ・スティーヴンス、彫刻家のトーマス・ウールナーも加わりました。英国美術の全面的な刷新をめざして、世の中にすさまじい衝撃をもたらしました。この前衛芸術家たちの作品は、観る者の心に訴えかけ、広く共感を呼びました。人々は、社会の基盤が移りゆくなかで、彼らの芸術に大きな意義を見出したのです。彼らは、ラフアエロ以前の明瞭ですっきりした、飾らない優雅さに魅せられ、英国美術の刷新を目指して前衛芸術家集団「ラファエル前派同盟」を結成しました。
彼らは、ラファエロ以降の絵画表現を理想とする、美術学校「ロイヤル・アカデミー」の保守的な思想こそが、英国の画家を型通りの様式に縛りつけ、真実味のある感情表現から遠ざけてきたと主張し、ラファエロ以前に回帰する必要性を訴えました。彼らは、ラファエロ以前の「画家は神の栄光に帰依し、自然と親和している時代に戻らなければならない」と主張しました。ありふれた感傷的な表現から絵画を解放し、中世美術のように分かりやすく誠実な表現を取り戻そうとしました。「表現すべき正しい理想」を持ち、「注意深く自然を研究して表現する」「過去の芸術の誠実で真心あるものに共鳴し、習慣的自己顕示てきなものは排除する」「完全で欠けたところのないこと良き絵画や彫刻の創造を目指す」など道徳的教義を持っていたようです。ファエル前派の無画家たちは、ラファエロやその先輩方を崇拝し、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロまで立ち戻って考えようとしたかったのだと思います。しかし彼らはラファエロ以前のイタリア絵画を見る機会はなく、ひとつの指標は15世紀のフランドルの画家でした。彼らは自分の目で自然を見つめ、精密に自然を写し取り、独自の着想で描くことを目標としました。
Inthe masters of the Italian Renaissance, "Raphael" was synonymous withWestern classical painting. Pre-Raphaelite Brotherhood was cast in differentart education of classic overemphasis of the Academy at the time the 19thcentury..Pre-Raphaelite Brotherhood was aimed "to find perfectionnaturally is a creation of God, and to reproduce the truth of nature"
ジョン・エヴァレット・ミレイ
少年時代のイエスが父の仕事場で手のひらにけがをしてマリアに手当てを受ける場面を描いたミレイは『両親の家のキリスト』は、聖家族たちを理想化せずの労働者階級の家族のように人間を写実的に描いたため、当時のイギリスの文豪ディケンズなどから酷評を受けました。
ミレイの代表作『オフィーリア』は、シェイクスピアの「ハムレット」でオフェーリアが川に落ちて死ぬ場面を描いたものです。このようなテーマはロマン派の時代からあり、『オフィーリア』に描かれた自然は、視界に入るものを執拗なまでに些細ものまで描き尽くす「写実主義」的であり、ターナーの壮大な風景も、コンスタブルの自然の光の輝きもありません。徹底した写実、驚異的な植物の精密描写は、むしろ15世紀のフランドルの画家、ファン・エイクの「神秘の子羊の礼拝」に通ずるもので、植物図鑑のように植物が精密に描かれた『オフィーリア』では、内向的な感じがし、植物が象徴的意味をも感じさせます。

『オフィーリア』の植物が象徴的意味を持っているように、衣装や小道具も細密に描写され、小道具も絵のテーマに象徴的な意味を持たせました。写実性と象徴性の共存が初期のラファエル前派の特色となっています。『オフィーリア』を描いたミレイをラスキンはいち早く擁護し、51年には『タイムズ』に公開書簡を発表、その後ロセッティやミレイとの親交が始まりました。しかし、明確な理論をもった芸術運動ではなかったラファエル前派に対し、仲間とのミレイは芸術性の違いを感じ始めました。
ミレイとジョン・ラスキンは大変仲良くなり、二人はラスキンの妻エフィー・グレイも交えてスコットランド旅行へ行っています。ところが、ラスキンの妻エフィー・グレイは類い稀な美人でミレイとエフィーが恋に落ちてしまいました。エフィー・グレイは19歳でラスキンと結婚しましたが、1回も肉体関係がないことを理由にラスキンとの結婚の無効を訴え、3人の三角関係は大スキャンダルとなりました。ミレイはヴィクトリア女王に睨まれ、王室からの仕事の依頼が途絶えてしまいました。結局、エフィー・グレイはラスキンと正式に離婚し翌年ミレイと結婚しました。ミレイとエフィーはその後8人の子供を儲けたため、一家の生活は苦しくなり、いつまでも理想を追い求めているわけにも行かなくなったミレイは、ラファエル前派のスタイルを離れ、徐々に大衆に好まれるレイノルズのようなスタイルへと変化していきました。ミレイはアカデミー正会員に選ばれ、テーマも様式も完全に体制派に回帰していきました。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
ラファエル前派の中で最も才能に恵まれたのは、メンバーで写実的描写という点では最も絵が下手ともいえるロセッティでしょう。ロセッティは「両性具有神的女性像で倒錯的美意識の作品を残し、世紀末芸術の先駆者となりました。しかし、その作品は、当初の「ラファエル前派兄弟団」の掲げた理念とはかけ離れたと耽美主義的なものに発展しました。
ロセッティも初期には初々しい乙女を描いていました。『受胎告知』では聖母を巷の清純な少子をとして描きました。それはそれで理想化された聖母像が常識の当時問題となりましたが、その後50年代に作風を大きく変化させ、豊かな肉体を備えた成熟した女性を描くようになりました。ロセッティは「ラファエロ以前」ではなく、イタリア・ルネサンスでもラファエロ以降のティツィアーなどヴぇネツィア派の影響を受け、初期のラファエル前派のように写実主義的でなく、独自の女性像を描き始めました。

ロセッティは、ミレイの『オフィーリア』を始め、ラファエロ前派の画家のさまざまな作品でモデルをつとめたエリザベス・シダルを射止め妻とし作品を描きました。しかしその一方で、ジェーン・バーデンという女性にも惹かれ、 作品のモデルもエリザベスからジェーンに移っていきます。夫の心がわりに心を痛めたエリザベスは、麻薬に溺れ、中毒死していまいます。ロセッティはエリザベスの死にショックを受け、自らファーストネームにダンテの名を持つこともあり、イタリアの詩人「ダンテ」を自分に重ね、ダンテが愛したベアトリーチェに妻ジダルを重ねあわせ、妻の不幸な死はさらにその思いを強めたようです。『ベアタ・ベアトリウス』は亡き妻エリザベス・シダルの面影をダンテの永遠の恋人ベアトリーチェに託して描いたものです。ロセッティの絵画は官能的表現により、感覚的快楽をもたらす頽廃的雰囲気を感じます。『ベアタ・ベアトリウス』は高い評価を受けますが、彼自身は心を病み、残りの人生を苦しみながら生きていくこととなりました。

代表作『プロセルピナ』はギリシア・ローマ神話の穀物の女王・ケレスの娘プロセルピナが神々の王・ユピテルの教えを破り、ザクロの実を口にしてしまう場面です。妻亡き後ロセッティの美の化神となったジェーン・モリスを冥界に連れ去られ、プルートーの妻になった女神に模して描いたものと言われています。ロセッティは画面いっぱいに描き劇的な緊張感を高めています。異様に豊かな髪の毛は、神秘性と妖艶さを効果的に演出しています。画面いっぱいに描かれた妖艶な女性像は威圧的でもあり、男を滅ぼす魔性の女のイメージさえ持つようになります。テーマも聖書の物語や現代風俗から、中世の神話から選ばれた物語テーマにはない女性像を描くようになりました。

『デイドリーム』は、ロセッティを魅了し物語と彼の以前の作品に基づいた作品です。ロセッティはまた、詩人であり、彼の絵画のいくつかの付随するソネットを書きました。木の葉と混ざって視覚的に結び付き、ロマンチックで広くゆったりとした絹の服は暗くなっていますが、彼女の肩の周りには濃い緑色の背景に対して明るく、日中であることを示しています。

モデルは、ウィリアム・モリスの妻ジェーン・モリスでロセッティと恋仲になっていたことが知られています。ジェーン・モリスはシカモアの木の枝の上に座った位置でポーズをとって、スイカズラの小さな茎が彼女の手にあります、それはヴィクトリア朝時代の愛の象徴であり、若い上品な女性の描写は、芸術家がその時に彼女と一緒に没頭していた秘密を暗示しているのかもしれません。
ラファエル前派は、中世や初期ルネサンスの憧れやキリスト教や中世の伝説や文学学のテーマの絵画化の傾向はあります。初期ルネサンスや15世紀の北方美術の影響を受け、明暗の弱い明るい画面、鮮やかな色彩、細密描写に特色があり、技法など写実化を試みています。しかし、同時代の文学にも題材を求め、当時の「現代」に対する社会問題を取り上げる傾向も目立ちます。ハントの『良心の目覚め』では、金持ちに囲われた娘が少女時代を思い出し、罪深い生活から抜け出そうと決意した瞬間を描いているようです。しかし、彼女の背景には贅沢な調度品が並び、ヴィクトリア朝時代の道徳社会で、彼女の人生のやり直しはこの絵を見ても希望あるようには感じません。

ロセッティたちが描いたのはラフアエロ風の理想化された聖母でもなく、ヴィクトリア朝時代好まれた人形のように愛らしい少女でもなく、清らかさと官能性を融合させた神秘的な雰囲気の妖しい魅力を持つ女性像でした。自分たちの自意識にふさわしいモデルを求め、ロセッティの妻となったエリザベス・ジダルやウィリアム・モリスの妻ジェインも絵画の中によく登場します。ジェインはミレイの『オフィーリア』のモデルはエリザベスであり、「プロセルピナ」のモデルはジェインです。
ThePre-Raphaelite Brotherhood does not last long, Millet is an associate member ofthe Royal Academy, the group broke up. "Pre-Raphaelite Brotherhood"referred broadly as including the such as Edward Burne-Jones was under theinfluence of Rossetti.
ロセッティのこの新しい作風に共感したバーン=ジョーンズやウィリアム・モリスが次世代のラファエル前派と考える考え方もあります。ラファエル前派の精神的な指導者であるジョン・ラスキンは、あらゆる人にかかわる芸術の必要性を説き、彼らとエドワード・バーン=ジョーンズやウィリアム・モリスら、偉大な風景画家ターナーとを関連づけて考察しました。ターナーの先駆的な表現に正当な評価を与え、いち早く前衛のラファエル前派同盟を擁護したラスキンの力強い言葉は、温かく、親しみに満ちていて、人々の心を捉えました。とりわけ、その近代社会批判は、モリスらを手工芸の復興へと駆り立て、アーツ・アンド・クラフツ運動につながってゆきます。バーン=ジョーンズはロセッティと並んで「後期ラファエル前派」の中心的存在ともいえます。彼らの作品にはラファエロ以前の初期ルネサンスの影響も見られ、それはボッティチェルリやマンテーニャの華麗な表現でありながら陰りも感じられる15世紀末の表現であり、19世紀末の世紀末芸術の先駆的意味も感じます。
エドワード・バーン=ジョーンズ
エドワード・バーン=ジョーンズは、「ラファエル前派同盟」の作品に感銘を受けて芸術を志した画家で、ロセッティに弟子入りし、師や親友のウィリアム・モリスとともに、トマス・マロリー著『アーサー王の死』をテーマにした壁画を描いきました。ラスキンからも助言を受けていたバーン=ジョーンズは、神話や文学的な主題にもとづいた新たな様式の絵画を追求し、作品の物語性よりも形式の完成度に重きをおいた作品制作に励むようになり、洗練された画風を確立しました。
彼はミケランジェロに造形の理想を見出し、筋肉質の優美な肉体を表現しました。ボースもミケランジェロ的で、作品の規模が大きいこともミケランジェロのシーティーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画に感化されてのことという見方もあります。『愛に導かれる巡礼』は中世の詩人・チョーサーの「薔薇物語」の一場面で、愛に導かれ荒野を歩いていく様子を描いています。ヴィクトリア朝時代の物質万能主義に背を向け、精神的世界を追い求めた画家自身の姿を描いているのかも知れません。

『マーリンの誘惑』は、湖の女神、ニムエにマーリンが夢中になり、森のなかで人を誘惑しているところが描かれています。ニムエが呪文の本を読んでいる間、マーリンは捕らえられ、サンザシの茂みの中では無力です。

ウィリアム・モリス
ウィリアム・モリス唯一の油彩画『麗しのイズー』は結婚前年のジェインをモデルとした作品で、「トリスタンとイゾルデ」マルク王から追放された恋人を思い嘆いている姿を描いています。ウィリアム・モリスはステンドグラスや壁や家具を製作しました。

1861年、ウィリアム・モリスは、設立装飾芸術のロセッティ、バーン=ジョーンズ、とモリス、マーシャル、フォークナー・アンド・カンパニーを設立し、ステンドグラス、金属ワーク、紙壁掛け、教会の装飾など手掛け、王室プロジェクトセントジェームズ宮殿とサウスケンジントン博物館の「緑のダイニングルーム」のヴィクトリア&アルバートステンドグラスの窓やパネル残しました。
バーン=ジョーンズはステンドグラスのデザインに貢献し続けました。

ラファエル前派の意義のその後の展開
ラファエル前派はロイヤル・アカデミーの画家たちに衝撃を与えたことは事実ですが、「忠実への忠実」についても一人一人の関わり方は違っていましたし、「完全で欠けたところのないこと良き絵画」が生まれたかというと、疑問を感じます。ラファエル前派はむしろ「遅れて現れたロマン派」的な要素が強いように感じます。
ラファエル前派の画家たちは各々の目指す方向性が違っていたようです。ミレイはアカデミーの準会員になり体制派に戻りました。ハントは聖書の物語を描くため中東に旅立ち、ウルナーは新天地を求めてオーストラリアに旅立ちました。ロセッティはバーン=ジョーンズなど若い世代の画家を巻込み新しい方向性を模索していました。最後までラファエル前派の理念に忠実だったのはハントぐらいかも知れません。ロセッティのもとに集まる画家は後期ラファエル前派と呼ばれることもありますが、作品は象徴主義、審美主義的傾向に流れていきました。
ウィリアム・モリスは中世やルネサンスに起因するロマンチックな発想と細部にわたる鋭い観察力と卓越したデザイン感覚で、家具や織物などの装飾芸術や書物のデザインを多く手がけ、その活動は後の「アーツクラフト運動」の先駆けとなりました。ウィリアム・モリスは、「モダンデザインの父」と呼ばれ、アール・ヌーヴォーの源流となりました。
It seems that the Pre-Raphaelite's Brotherhood painters differed in each directivity to aim at.Millet became an associate member of the academy and returned to the organization group.Hunt left for the Middle East, in order to draw a Biblical tale, and Woo lner left for Australia in quest of the newwor ld.Rossetti involved in the painter of young generations, such as burn =Jones, and was groping for new directivity.It may be only Hunt that wasfaithful to the Pre-Raphaelite's Brotherhood idea to the last.Although thepainter gathering in Rossetti's basis might be called the second-halfPre-Raphaelite Brotherhood, the work flowed into the symbolism and aestheticismtendency, it was called "the father of the modern design" and WilliamMorris became the origin of art nouveau.
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参考文献: Laurence Des Cars, 村上 尚子 (訳)
「ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち 」
齋藤貴子「ラファエル前派の世界 」 東京書籍
『ラファエル前派の軌跡展』公式カタログ 三菱一号館美術館
三菱一号館美術館で「ラファエル前派の軌跡」 - 美術手帖

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良き知識を得ました。ありがとうございます。
ラフアエル前派は日本では人気が高いようで、六本木ヒルズ・森アートセンターギラリーも人であふれかえっていました。 ロセッティの少し退廃感官能性を帯びた愛の表現は、日本人好みなのかもしれません。 Ich さんを感じられているようですが、「完全に欠けたところの無い良き絵画」などを追い求めても斬新な芸術は生まれるものではなく、周囲に関係なく信ずるところをを追求してきた画家、たとえば、セザンヌ、マチス、ピカソ、ポロックのような画家が、真に前衛となりうるのだと思います。
「オフェーリア」が好きで、これで2回目です。
私は芸術論にはあまり興味がないのですが、
このラフアエル前派は
とても人間臭い作品が多い様に感じました。
彼らを素材として扱ったドラマも
機会があったらみてみたいです。
この人間模様には興味があります。
作り替えられていく」ということをふまえてのことでしょが、
新しさを求めすぎるあまり、精神がないがしろにされることもよくあることです。
西洋の芸術運動などでも、そうした新しい流れに危惧することから、
過去にあった価値観を見直すことが時々なされています。
「ラファエル前派」も乱暴な言い方をすればそうではないかなと思うのですが、
当時のフランス絵画「印象派等」に慣れた眼から見ると「ラファエル前派」の絵と
テーマは古くさく思うのは当たり前のことですが、
私は、今、「ラファエル前派」を日本で見ることは、
そのこととは別な視点で見れる何かがあると感じています。
私も「オフェーリア」は2回目です。草木の精密描写が効果的に演出していますね。
ラフアエル前派の作品は人間臭いというご感想、私も同感で。
同時代でも、ウィーンのクリムトやミュシャは孤高の世界を追求する、という面がありますが、ラフアエル前派の人たちは世間の評価を気にしながら作品を制作しているような印象を感じます。
アートにおける前衛をどう考えるかは興味深いテーマだと思います。
ご意見が重なるかも知れませんが、真に前衛となるためには、新しさだけでなく、精神的志の高さが求められるような気がします。
ラフアエル前派は、過去にあった価値観を見直すことからスタートしていますが、消化不良になっているようにも感じます。
ただ、「ラファエル前派」的な芸術な実験の過程を日本にいて追えたという点では、この美術展は良かったと思います。

時代が変わるたびに変化はありますが昔の繰り返しや回帰も多いように思えます
西欧諸国のキリスト教は中東のキリスト達を西欧に同化し美化して
寄せ付けず過酷な宗教対立を生み出したように考えます
絵画も音楽も宗教に依って浄化され過ぎた面も
案内してくださり有難うございました
ご指摘のように、昔の繰り返しや回帰を賛美する芸術運動はいろいろありましたが、ルネサンスのように斬新な美意識や新たな表現への挑戦がなければ、時代を変えていく運動にはならないと思います。ラファエル前派もその壁を越えられなかったため、一時的な美術運動に終わってしまったのではないかか思います。しかしこの運動を決起にウィリアム・モリスのような次代を担うアーティストが生れたのも事実で、美術史的な意味もそこにあるのではないかと思います。
ご指摘のように、昔の繰り返しや回帰を賛美する芸術運動はいろいろありましたが、ルネサンスのように斬新な美意識や新たな表現への挑戦がなければ、時代を変えていく運動にはならないと思います。ラファエル前派もその壁を越えられなかったため、一時的な美術運動に終わってしまったのではないかか思います。しかしこの運動を決起にウィリアム・モリスのような次代を担うアーティストが生れたのも事実で、美術史的な意味もそこにあるのではないかと思います。

ラファエル前派に興味をもたれる方もあると思いましたので、追記として、こちらの記事に勝手にリンクさせていただきました。
私自身は、ラファエル前派という芸術運動への興味はさておいて、個々の絵画への興味から、鑑賞してきました。
例えば、ロセッティのプロセルピナですが、プロセルピナを主題とする絵画のほとんどがハデスによる誘拐を画いています。プロセルピナの絶望を心理描写したような作品は全くないですね。プロセルピナの絶望をありありと感じられます。ロセッティが恋慕するモデル、ジェーンの心の表現に神話を借用したと解釈もできますが、やはりプロセルピナを画いたものとして鑑賞しました。自身は詩人でもありますが、文学の側面をもつ絵ですね。
ミレイの「両親の家のキリスト」はキリストの将来の受難を思わせ、痛々しくかんじました。
まだいろいろ書きたいけれど、字数に制限があるようですね。
今後とも宜しくお願いします。

興味深い論を読ませていただきました。
ラファエル前派のベースにフランドル派があるというのも、うなずける話ですし、またムーブメントとしては弱かったというのも分かります。
日本には愛好家が多く、ラファエル前派からデザインなどの系譜も経て、特に、日本の少女マンガにはその影響がかなり出ているのではないかと感じています。
そのため、現在の我々は美しさには納得しながらも、新しさを感じることはない一因なのではないかなという気がします。
また、ラファエル前派を音楽に例えるならば、プログレッシブロック。原点は当時の音楽に対する反発から起きた流れなのですが、今にしてみるとどちらかというと装飾的で古めかしい。
いずれにせよ人間の表現には時代の流れの影響があり、その現れの一つだったんだなというのが、認識できました。
ロセッティの女性には、感情表現が見られないというのは同感です。ロセッティは詩人でもあったというお話で、ロセッティの理解が深まりました。生粋の画家が描いた絵ではなく、詩人が描いた絵画だとして見ると、なんとなく作品を描いた時のイメージが浮かんできますね。
ラファエル前派の画家たちは、身近で人間関係を持っている女性をモデルに使っているというのは、彼らの絵画に対する考え方の一端を垣間見るような気がします。
「ラファエル前派」を好きな人は、神秘的な雰囲気の女性像を好むようで、日本人には特に人気があるようです。作風や美意識は全く違いますがもミュシャと通ずるところがあると思います。
ラファエル前派は。ラファエロの前に戻る、と言ってもラファエロ以前のイタリア絵画をほとんど見ておらず、イギリス人がラファエロを知る前に手本ととしていたフランドル絵画に回帰したな気がします。ご指摘のように、前衛的というより、「装飾的で古めかしい」という面は私も感じます。

ラファエル前派は知識はもとより、自分の感性を信じて美を追求していった集団、「おれらの美意識凄くね?っつーかおれらの美絶対だから」的なグループでしょうか。だからこそ時代の批判もあったのでしょうね。個人的にはオフェーリアはバスタブでポーズをとらせたそのかんじがそのままコラージュされているようで、「キュクツさと頭で練ったもの」がバレバレで、どや顔のミレイにラスキンが駄目だししたのも解る気がいたします。。。後の、自然の美の幾何学的な美しさフラクタルな美に着目しつつ、アーツ&クラフト運動をおこしたモリスなどに心惹かれます。
ラファエル前派は、「派」というよりは似たもの同志という感じがします。
どういう点を見るかにもよると思いますが、絵画的にはあまり新しい感じはしませんね。それでも素敵な作品があるというのが面白いです。

ラファエル前派の絵画は好き嫌いが分かれると思いますが、ご指摘のようにその中では、モリスがその後の美術に大きな影響を与えましたね。
コメントありがとうございます。
ラファエル前派も含めてビクトリア朝時代の美術の魅力は、ロセッティ、バーン・ジョーンズ、ウォーターハウス、レイトンなど個々の画家の個性によるところが大きいと私は思っています。〇〇派とくくれないところが、この時代のある意味での魅力と理解しています。
ずいぶんと細かいとこまで書かれてますね~。
僕は素人なので…(苦笑)。
相当お詳しい方かと…。
勉強になります。
博物館めぐりが好きであちこち行ってますが、どちらかというとアートよりも科学や歴史といった方面が好きでアートは勉強中といった感じです。

私も歴史に興味はあり、旅に行くときはその地の歴史を勉強していきます。東京にいると、美術展がけっこう多いので、なかなかそれて外の展示まで行けませんが、毎日が学びで結構楽しんでいます。
夏目漱石は英国に留学していたので。この「オフェーリァ」を見て強く印象に残っていたのでしょうね。明治維新の日本人にとってビクトリア朝時代の英国は輝やかしく心に焼き付いたものと想像されます。

伺って、興味深く読ませていただきました。
絵画は全くの素人ですので、好きか嫌いかくらいの感想しか持てませんが。
それよりも、若き芸術家たちの人間模様に興味ありで、一人女性を軸にして映画化できそうと・
芸術における、若者の抵抗や新しい流れは、とても心躍りますね。今はそんな夢を語る若者が少なくなったのでしょうか。抵抗の矛先がありすぎて、かえって目標が定まらず、無気力になっているのでしょうか。
19世紀末は物質文明が発達し価値観が変貌した時代で、ラファエロ前派以外にも、モロー、ルドン、クリムト、ミュシャ、アンソール、ムンクなどの若い芸術家たちがヨーロッパの各地で新しい芸術を模索した時代ですね。先行き不安な時代ということもあり、幻想的・神秘的・退廃的な雰囲気もありますが、夢や妄想を描くことが許された時代でもあり、斬新な芸術が数多く誕生しました。現代もグローバル化と情報化による変革の時代とという点では19世紀末と似たような状況にも見えますが、ご指摘にもありましたが、グローバル化経済に象徴されるように、相手が大きすぎて、矛盾の矛先をどこに向けるか、何を目標にしていいか難しすぎて、無力感による無気力に陥ってしまうのでしょうか。しかし、、現代の救世主となる価値観に挑戦している人が、今は無名でもどこかにいるような希望を持っています。
19世紀末は物質文明が発達し価値観が変貌した時代で、ラファエロ前派以外にも、モロー、ルドン、クリムト、ミュシャ、アンソール、ムンクなどの若い芸術家たちがヨーロッパの各地で新しい芸術を模索した時代ですね。先行き不安な時代ということもあり、幻想的・神秘的・退廃的な雰囲気もありますが、夢や妄想を描くことが許された時代でもあり、斬新な芸術が数多く誕生しました。現代もグローバル化と情報化による変革の時代とという点では19世紀末と似たような状況にも見えますが、ご指摘にもありましたが、グローバル化経済に象徴されるように、相手が大きすぎて、矛盾の矛先をどこに向けるか、何を目標にしていいか難しすぎて、無力感による無気力に陥ってしまうのでしょうか。しかし、、現代の救世主となる価値観に挑戦している人が、今は無名でもどこかにいるような希望を持っています。
とても詳しい解説、素晴らしいですね!
私はラファエル前派を学んで発展させたアメリカの商業イラストレーターが好きなので、これが彼らの源流なんだと思いながら今回の展覧会を見ました。
現代の商業的な絵のルーツがここにあるように思います。
産業の発展により価値観がかわりつつある時代の不安、期待感。意識の変化。
個別の作品が素晴らしいのは言わずもがなですが、ラファエル前派全体が象徴するものが興味深いです。
上にも書いていらしゃいますが、これから「救世主」が出てくるかもしれません。
それは絵画ではないのかもしれませんが。
ラファエル前派が現代の商業的な絵のルーツ問い見方もできるのですね。現代もそうですが、価値観がかわりつつある時代の不安、期待が新しい芸術を生むのでしょうね。今でも我々が気が付かないところで、新しい芸術や価値観が生れ、悩める現代の「救世主」に育っていくという希望を持っていたいと思います。
その記事中でも触れてたように、その後、宮崎駿監督が以前特番でロンドンで見て感動していた絵がこの絵で、それは「崖の上のポニョ」構想中に夏目漱石を読んでいて、「草枕」にこの絵の事があったきっかけで見に行った、とか、「崖の・・」の劇中ヒロインの母が水中仰向けのシーンなどもあったと思うのですけれど、この母は「オフィーリア」からの発想だった、などと知って、宮崎作品はずっと追ってきたので、宮崎アニメとこの絵の接点、というのもちょっと感慨だったです。
ミレイの「オフィーリア」はラファエル前派という概念を抜きにしても美術史上に残る傑作ですね。宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」を制作するとき、ミレイの「オフィーリア」から発想をを得ていたというお話は興味深く思いました。
マイブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございました。
ラファエル前派についての見事な評論、一気に読ませていただきました。
最初の形は、ラスキンの「近代絵画論」に共感する英国ロイヤルアカデミーの学生たちの秘密結社だったのですねぇ。兄弟団という言い方にやっと納得が・・。ミレイの代表作「オフィーリア」に見られるように植物だけではなく衣装も小道具も細密に描写して、絵のテーマに象徴的な意味を持たせた。それが初期のラファエル前派の特色とすると、ロセッティはやがてその特色から離れ耽美主義的なものに発展する・・のくだりでまた納得しました。ロセッティの「プロセルピナ」や「ベアタ・ベアトリウス」にはちょっと異質なものを感じていましたから・・。
モデルになった女性と画家の相関関係も複雑で常識にとらわれないという一種の改革だったのでしょうか。これを知ったうえでの作品鑑賞は興味深いものがありました。他にも知らなかったことがいっぱい!・・事前に読ませていただいていればなぁ!と思わずにはいられません。 ありがとうございました。
ラファエル前派の作品はミレイとロセッティで画風が全く違うようにも各々個性的で、個々の作品を通してみて行く方が分かり易いですね。ミレイの「オフィーリア」の植物や衣装の細密描写などは、非常に高い美意識を感じます。
ロンドンのパブで見た地下のディケンズ・ルームはフツーでした。
ロセッティの父親はイタリア移民というのは初めて知りました。イタリア人の感覚が、従来のイギリス美術と一味違った美意識を表現できたのでしょうね。

絵を観たときに、なにかが伝わってくるかこないかを考えてしまうのですが、desireさんのようにお勉強されるともっと多角的な見方、楽しみ方ができそうですね^^
ありがとうございました。
私のBlogへの書き込みありがとうございました。
早速、desire_sanさんのBlog を拝見させていただきました。 今回のOpheliaから、ロセティの受胎告知、良いですね。 これらを見られないのがとても残念です。
解説の詳しさにも驚きです。
特に、受胎告知は数々あれど、ロセティのは最も神的要素を排除して、最も少女的なところが素敵です。
また、皆さんのコメントの中で、ポニョとの関係は驚きがありました、面白いものです。
そのほか、ポツダムとかマイセンとか行ったことのある話が出てきて、この先も尋ねたいと思いました。
書ききれないことばかりですが、参考になりました、ありがとうございました。
私はロセッティの『プロセルピナ』、『ベアタ・ベアトリクス』など、彼の描く女性像に魅力を感じます。これらを見ることができ感動しました。
こちらの記事を拝見し、さらにもっと知りたいと思うようになりました。
ありがとうございました。
ロセッティの絵画は独特の魅力がありますね。『受胎告知』『プロセルピナ』、『ベアタ・ベアトリクス』など代表作が見れてよかったですね。ラファエル前派の絵画については、三菱一号館で開催されている「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900」展でも展示されてますので、改めて唯美主義の観点で取り上げてみたいと思っています。できれば今月中にブログにアップしたいと思いますので、よろしかったらこちらも読んで頂けると嬉しい限りです。
ラファエル以前の芸術にあったモノとは、そもそも何なのか?
というのを意識しながら展覧会をみたのですが、
desire sanのブログを楽しく拝見させていただき、やはり曖昧だったのかなと感じました。
以前から「オフィーリア」には興味があったのですが、
宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」を制作する前に「オフィーリア」を観て、
「千と千尋の神隠し」で力を注いできた水の表現について、
改めて考えさせられたというようなエピソードを聞いたため、
自分自身の目でも「オフィーリア」を観てみたい思いました。
実際に目の前にしてみると、水の表現も素晴らしいと思いましたが、
それ以上に、緻密な植物の写実的描写に魅せられました。
「オフィーリア」の命が消えていくとともに身体が自然と一体になっていくという
この作品の強いコンセプトを感じた気がします。
作品としての「オフィーリア」はすばらいし作品ですね。
宮崎駿監督の感性にも響いた作品だったのですね。
「オフィーリア」の緻密な植物の表現など写実描写がすばらしいだけに
ヒロインのオフィーリアの悲劇が痛ましく心に訴えてくるのを感じました。
desire_san さんのブログと皆さんのコメントを読ませていただき、皆さんの知識の豊富さと関心の高さに驚いています。
私も、世紀末美術から象徴主義、アーツ・アンド・クラフツ、アールデコあたりが好きなので、この辺はよく展覧会を観に行きます。
同時にそれらの芸術運動の社会背景にも興味があります。当時自然科学や博物学が発展したのは地球が寒冷期を脱したからとか。
温暖化は人間を含めたすべての生命活動を活性化させ、豊かで安定した暮らしをもたらしたことでしょう。「オフィーリア」に描かれた植物が細密なのは、人々の自然への関心が高く写実を求めたから、といも言えるのではないかと思うのですが、どうでしょう。
・・なんて、そんな風にみると、「オフィーリア」の幻想性が半減してしまいそうですけれど。それでもやはり好きな作品です。
私も「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900」展もぜひ足を運んでみたいと思っていますので、desire_san さんのブログ楽しみにしています。ありがとうございました。

芸術の中で何か一つの名称によって分類されるもの(主義・派・運動など)が起こるとそれと対立するもう一つの新しいものが、その反動で生まれる。建築、絵画、彫刻、文学、絵画等全てその繰り返しのようだと言えるのではないでしょうか。
当時英国は世界一強大な覇権国家であり、その中で秘密結社的な芸術活動を起こしたPRBについては多角的な史料を用いて研究が必要なのではと感じます。
因みに『米欧回覧実記』1871~73イギリス編をざっとみても、このラファエル前派には触れていないのを面白く感じました。
時期外れのコメントですみません。
大変詳しくまた優れた洞察の解説、読み応えがありました。絵画の記憶を手繰りながら、ふむふむ、もう一度みたいな、と思えました。私は単純に好き嫌いで鑑賞しているので、desire_sanのブログを読み、自分のブログのアートの看板を降ろすべきか真剣に悩みました。(結局掲げたままですが)
寄せられたコメントも素晴らしい内容ばかりで、なにかサロンの議論のようで羨ましく感じました。今後も鑑賞の参考にさせて頂きます。ありがとうございました。
こっちもトラックバックしようかと思いましたがやり方わかんなかったのでやめました。
聖歌やマザーグースを扱うので、背景がわかりやすく伝えられる美術(キリスト教絵画とか絵本とか)を参考にする機会が多く、参考になります。特にクリスマスあたり。当方にもちょくちょく遊びに来てください。
