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心に残った旅・芸術とアートとの出会い   

エル・グレコ、ゴヤの世界最高のコレクション、ルーベンスの傑作群

プラド美術館       マドリード
Museo del Prado Ⅱ

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 プラド美術館は、1617世紀の絵画における世界最高レベルの美術館です。スペイン絵画コレクションは他の美術館に類のないものです。ここでは、ベラスケスなどその後のスペイン絵画に多大な影響を与えたルーベンス、12世紀のロマネスク様式の壁画からエル・グレコの傑作、と19世紀のフランシスコ・デ・ゴヤの代表作をご紹介致します。エル・グレコの部屋には『聖三位一体』『聖霊降臨』『キリストの復活』『羊飼いの礼拝』などエル・グレコの傑作が並び、エル・グレコ好きの私にはエル・グレコ独特の世界に浸れて至高のひと時でした。





PradoMuseum, of 16 and 17 century paintings have a collection of the world's highestlevel. Spain painting collection of the Prado Museum is the world's highest.



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ルーベンス

 ルーベンス1603年に、マントヴァ公からスペイン王フェリペ3世への贈答品を携えた外交官としてスペインを訪れました。 「バロック絵画の王」であるルーベンスは、外交使節としてマドリッドを訪問しました。偉大な美術コレクターであったフェリペ4世は、すぐにルーベンスに信頼を置くようになり、宮廷のあったアルカサール(城)内にアトリエを持つことを許します。ルーベンスはこのスペイン滞在中に、王フェリペ2世が収集したラファエロとティツィアーノの膨大な作品群を目にしました。


 ベラスケスは、外交官として派遣されてきたルーベンスと出会います。29歳のベラスケスにとって、22歳年上の同じく宮廷画家でもあるルーベンスとの出会いは、芸術的にも多大な影響を受けただけでなく、人間としても良きお手本となりました。ルーベンスの薦めで二人は一緒にスペイン王室が誇るティツィアーノのコレクションを模写し、豊かな色彩を誇るティツィアーノの影響を受け、ベラスケスの色調も明るさを増していきました。




ルーベンス『レルマ公騎馬像』 1603



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 スペイン滞在中にフェリペ3世の重臣レルマ公フランシスコ・ゴメス・デ・サンドバル・イ・ロハスを描いた作品です。ティツィアーノの傑作『カール5世騎馬像』などの作品からの影響が見られる作品でした。




ルーベンス 『東方三博士の礼拝』



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 絵に描かれた場面は新約聖書の一場面です。 東方でキリスト誕生の兆しをみた学者たちがキリストの誕生の際に聖母子を訪ね、彼に黄金、乳香、没薬の三つの贈り物をしました。聖書には「三人」と明記してありませんでしたが、贈り物の数から人数は三人とされていいます。「マギ」は「博士」に対応する言葉です。このテーマは、ルネサンス、バロック絵画で多くの画家によって描かれました。この作品では、生まれたばかりのキリストが贈られた物で遊んでいます。ルーベンスはこのテーマの作品を何度も描いています。




ルーベンス 『アダムとイヴ』1628 - 1629年)



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 聖書書創世記の一場面、楽園にいるアダムとイヴである。中央やや右のイヴは禁断の果実を受け取っており、それをとめようとするアダムがその隣に描かれていいます。イヴの足元には欲望を象徴する狐が描かれています。1628年から29年にかけてスペインを訪れたルーベンスがティツィアーノのオリジナルを見てこれをほとんど忠実に模写したのがこの作品ですが、ルーベンス自身による変更も加えています。基本的な構図や二人の人物、中央の樹、狐といったモチーフは同じですが、ティツィアーノの絵ではイヴだけでなくアダムの体も葉で隠されているが、ルーベンスの絵では葉がなくなっています。絵左上方には知恵を象徴する赤いオウムが加えられ、アダムの体はより筋肉が加えられている。元のティツィアーノ、それを模写したルーベンスのどちらの作品もプラド美術館が所蔵しています。





ルーベンス 「聖アンナのいる聖母子」 1630年)



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 いかにもルーベンスらしい色彩感が豊かで、柔らかいタッチで描いた聖母の美しさは秀逸でした。流麗な筆致で、幼子イエスまでもがいかにもルーベンス絵画的なの肉付きに描いています。 中央の聖母マリアと甘えるイエスの美しい肌と聖母マリアの服の赤と青のコントラストにより華やかで、華やかな美しい作品に仕上がっていて、宗教画的な雰囲気も十分備えた作品といえます。アンナとヨセフは陰に沈んだ色調で、アンナの両手の位置も何かを暗示しているようです。




ルーベンス 『三美神』   1635年頃)



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 ルーベンスが描く裸婦像の最も典型を為す代表的作品のひとつ『三美神』は愛の女神ヴィーナスに仕える擬人像で、ネサンスの巨匠ラファエロやボッティチェリの『春(ラ・プリマベーラ)』でも描かれた、古代より描かれ続けてきた美と優雅の女神たちであるタレイア(花のさかり)、エウプロシュネ(喜び)、アグライア(輝く女)の『三美神』を描くことで愛と欲望とその成就を表すという寓意解釈が流行しました。この作品では北方の田園風景を舞台に花飾り、キューピッドと噴水を添え、ルーベンスの裸婦像の大きな特徴である豊満な肉体表現と輝く肌の質感がすばらしく、左端の若い妻を含め、女体美の讃歌といえます。





ルーベンス 『パリスの審判』  1639年頃)



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 テティスとペーレウスの結婚を祝う宴席には全ての神が招かれましたが、不和の女神エリスだけは招かれなかれませんでした。エリスは怒って宴席に乗り込み、「最も美しい女神にあたえる」として黄金の林檎を投げ入れます。最高位の女神であるユノ、知恵の女神ミネルヴァ、愛と美の女神ウェヌスの3人がその美しさを荒そうことになります。ゼウスは仲裁するために、イリオス王プリアモスの息子で、現在はイデ山で羊飼いをしているパリスに判定させることにしました。これがギリシア・ローマ神話の「パリスの審判」です。 豊満な女性の肢体と明るい大気はルーベンスの理想であり、ギリシャ神話はうってつけの主題でした。ルーベンスはイタリア滞在の成果を生かし、豊満な裸体が踊るギリシャ神話の名場面を描き出しています。




ルーベンス & ヨルダーンス

 『アンドロメダを救うペルセウス   1639-41 



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 フェリペ4世が王宮のサロン・ヌエボの装飾のために注文した作品です。英雄が身に着けている甲冑はスペイン王家の統治力の象徴となっています。

 

  ルーベンスの絶筆とされ、死後、弟子だったヨルダーンスが完成させたとされます。エチオピアの女王カッシオペイアは、自身の美貌がネ―レイスたちに勝ると言い誇っていたことに海神ポセイドンが怒ります。海神の怒りを鎮めるには、海の怪物への生贄として娘アンドロメダを生贄に差し出す他はありませんでした。 この作品はそこへ英雄ペルセウスが現れてアンドロメダを解放した場面が描かれています。ルーベンスはそこに愛の神クピドと松明を持つ結婚の神ヒュメナイオスを配し、二人が恋に落ち結婚する話の行く末を暗示しています。

 アンドロメダの肉体は美しく、生々しい表現にも感じました。アンドロメダとペルセウスの表情は人間ドラマを感じさせます。画面をいっぱいに使った躍動感あふれる表現はルーベンスならではのものと感じました。

 スペイン絵画の部屋の廊下には、ルーベンスの大作がたくさん展示されていました。「三美神」を始め日本で観た作品も多く、迫力あるルーベンスの世界にも浸ることができました。







エル・グレコ

 グレコ はルネサンスの巨匠たちの傑作と比べると、歪曲された人物像や形態のつくり方はまさにマニエリスム的と言えます。しかし宙に浮いたキリストや天使などはシャガールを彷彿され、近代絵画に向けての前衛芸術という視点ではグレコの存在は燦然と輝く存在と言えます。現代絵画への道を開いたセザンヌと同じような意味をもった巨大画家のひとりとも言えます。


 グレコはクレタ島で過ごしビザンティン美術の影響下で絵画を学び、ヴェネツィアに移り、ティツィアーノやティントレット、パッサーノの絵から光や色彩の表現を身につけ、ローマでマニエリスムの歪んだ形の表現、幻想的な構図、色彩の奇抜な使用法などの手法を学びました。そして、スペインでは聖テレジアの神秘思想に接し、極端に高揚したスペイン精神をスペインの画家以上に純粋に表現しました。グレコはビザンティン、ヴェネツィア、ローマ、スペインの芸術的経験をすべて吸収し、それらを現実的に解釈して表現するともに、神秘的な内容を啓示するものに昇華させました。



Theearly work is drawn in the post Byzantine = Venice style. The work of the first"a shepherd's worship" is a work like imitation of the Italymanierisme. Although a touch a little immature at the beginning and awkward isseen, as for increase and linear perspective, the color mastered from theVenice group is tried in brightness. Although El Greco "a shepherd'sworship" was written repeatedly, expression of skillful color sense, theorderly composition, and the person image that is strong and has a feeling ofvolume was put on gradually. As for the dynamic space composition which crossesa screen, the color which has a rich style and has brightness, the preciseshade, and an elegant and fine touch, mastery of the Venice group's techniqueis accepted with the work called early masterpiece.





エル・グレコ『受胎告知』  (1570)

 ヴェネツィア滞在後期に描かれた作品で祈祷台に向かって膝間づいている聖母が、天使の来訪に驚き読書をやめた姿を描いています。ヴェネツィア派の画法と、特にツィアーノの同作の影響やティントレットの空間表現の影響、黄金の色使いなどビザンティンの影響も観られます。エル・グレコはたくさんの『受胎告知』を描いていますが、その基本となる作品として興味深く感じました。




エル・グレコ『受胎告知』 (1600年)



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 グレコの最高傑作のひとつといわれるこの作品はドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の大祭壇画として描かれました。一般に『受胎告知』と呼ばれていますが、実際は学院の正式名称「託身の我らが聖母」に対して描かれたものです。受胎したことを知らせる「告知」を描いたものではなく、神の子がマリアの体内に宿った瞬間を描いたものです。天井から溢れ出る光と中央で翼を広げる聖霊である鳩が、神秘の成就を示しています。もともとは祭壇画衝立として、この絵を中心に約8点によって構成されていたと推定されていますが、ナポレオン戦争やその他の事情にで、バラバラに祭壇画は解体され、祭壇画はブカレスト国立美術館の『羊飼いの礼拝』とプラド美術館の『キリストの洗礼』と本作に分けられたという見解が有力です。

グレコの作品は、色彩の鮮烈さと光の絶妙な効果が特色ですが。この作品ではすべての光が精霊を象徴する鳩から発せられ、その光に照らされた空間で、マリアも大天使ガブリエルも天井に向かって吸い上げらそうでドラマチックな上昇効果が感じられます。色彩では緑や青や灰色が光の効果で神秘的な雰囲気を作っています。「グレコの神秘的な啓示の表現は、人間の姿によってではなく、光のこの振動によって実現されている」と評されるグレコの特徴を十分に発揮した典型的な作品で、エル・グレコの『受胎告知』の中では、非常に完成度の高い作品だと感じました。



Theoriginal portrait which also pictures the nature of El Greco's model isevaluated highly also as a portrait painter .expression which excelled in thepower which blows a view of life into a person , the portrait with that rightwas also drawn. It is a look in which deep insight is impressed [ the mentalattitude in which honor, blood, and faith are respected for an atmospheresolemn at a certain time at a certain time at a certain time ] forindividuality and a disposition, and, occasionally animates a screen by rudetouch.







エル・グレコ『羊飼いの礼拝』  1612-1614



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 工房房作も多いと言われるエル・グレコの作品ですが、エル・グレコ晩年の代表作品『羊飼いの礼拝』は、画面全てがエル・グレコの筆によるとされています。神の子イエスが降誕した夜、ベツレヘム郊外の貧しい羊飼いのところへ大天使が降り救世主が生まれたことを告げられた後、急いでベツレヘムに向かい厩の飼葉桶に眠る降誕して間もない聖子イエスを礼拝するキリスト教美術における代表的な図像のひとつ「羊飼いの礼拝」で、特に晩年期のエル・グレコ様式に顕著に示される特徴である輝度の大きい光彩表現による激しい明暗対比や、極端に縦へ引き伸ばされた人体プロポーション、原色に近い強烈な色彩感覚などによって、現実世界を超越した超自然的な事象として、本場面を極めて象徴的に表現しています。この作品では降誕し威光を放つ幼子イエスを中心に奥手へ聖母マリアと夫聖ヨセフの姿を、手前へ厩へと駆けつけた羊飼いを、そして上部に神の子イエスの降誕を祝福する天使たちが配されている。エル・グレコは工房作も含めこの主題を描いた作品を幾つも手がけていますが、内容、構図、構成、色彩、そして表現手法において最良の作品のひとつと位置付けられる作品だそうで、エル・グレコが行きついた絵画の極致を感ずるような気がしました。





エル・グレコ『聖霊降臨』 1605-1610



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 『聖霊降臨』はエル・グレコが1600年代当初に描いた宗教画作品の代表的作品です。神の子イエスの昇天から10日の後の五句節の日に聖母マリアや使徒らが集まる家で嵐のような大きな音が鳴り響き、頭上に炎が灯り一同を聖霊で満たし、永久に神の子イエスの弟子であることを示すと共に、布教のために異国の言語を話す能力を授かったという奇跡的な逸話「聖霊降臨」を描いています。エル・グレコの特徴である引き伸ばされた人体構造や、強烈な色彩描写で眩い光の表現が顕著です。エル・グレコは、人物の劇的な驚きと神秘的な場面表現により、「聖霊降臨」の感動の一瞬と深い聖性が見事表現しています。ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院礼拝堂の大祭壇画衝立の一部であったと推測する説もあります。






エル・グレコ『キリストの復活』1605-1610年頃



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 『キリストの復活』もエル・グレコが1600年代当初に描いた宗教画作品の代表的作品です。磔刑に処され絶命し石墓に埋葬された主イエスの亡骸が、三日後の早朝、死に勝利し復活を遂げるという新約聖書の重要なテーマの「キリストの復活」を描いたもので、上部に勝利の旗を持ち復活したイエス・キリストの神々しい姿は一瞬の静寂を感じさせ、下部の神々しい姿イエスの墓を見張っていた兵士たちはこれを目撃して慌てふためいています。兵士たちの動きは大げさで仰々しくマニエリスムを超えてバロック様式に近く、ケランジェロを思わせる肉体表現とともに肉体表現とともに独創性に溢れた誇張された緊迫感のある構図的展開に描いています。この作品もドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院礼拝堂の大祭壇画衝立の一部で『聖霊降臨』の対画であったとも推測されています。






フランシスコ・デ・ゴヤ

 ゴヤはスペインの小さな貧しい村に生まれ、マドリードへ出てはローマにも訪ねて絵の修行をつんみました。42歳までは大聖堂の穹窿壁画のフレスコ画や王宮用のタピリトリーの下絵を描く仕事で、普通の画家以上の下積みの仕事をこなしていた。1789年にカルロス4世によって宮廷画家に任命され、国王や王妃、貴族や政治家などの肖像を一生描き続け、肖像画だけでも500点前後描いています。画家としては最高の地位に上り詰めました。ところが1792年梅毒の一種らしい重病にかかって、突然聴力を失ってしまいました。それ以来彼の絵は一変し、苦しみや絶望を経験して「聾者の家」と呼ばれた家に引きこもり、幻覚にとらわれたおそろしい幻想の世界を暗い絵という14面に及ぶ壁画を描いています。ゴヤは不幸な出来事を境にして、自分の内面の真実に従い、自らの個人的な世界観と自分だけのための絵を描きはじめたでした。


 スペインの代表するもう一人の巨匠ゴヤの作品は来日した作品が多く一度は東京で観ていますが、プラド美術館での再会は嬉しいでする。代表作『カルロス4世の家族』は初めて鑑賞することができました。





フランシスコ・デ・ゴヤ『カルロス4世の家族』

                        1800-1801年頃



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 宮廷の首席画家へ任命された翌年から1年かけて制作されたスペイン国王カルロス4世一家の集団肖像画でゴヤの代表作です。画面中央に実質的な支配者であった王妃(パルマ公フィリポの娘)マリア・ルイサ・デ・パルマが幼いふたりの子供ドーニャ・マリア・イザベル(左)と赤い衣服を身に着けたフランシスコ・デ・パウラ寄り添っています。パウラの隣に愚鈍とも揶揄された国王カルロス4世の姿で配され、その奥には左からアントニオ・パスクアルとドーニャ・カルロータ・ホアキナ、そしてパルマ公ドン・ルイスとその妻ドーニャ・マリア・ルイサが息子である幼児カルロスを抱く姿で描かれています。画面左側には最左端から国王カルロス4世の次男ドン・カルロス・マリア・イシドロ、青い衣服を身に着けた後のフェルナンド7世、国王の姉マリア・ホセファ、皇太子の未来の花嫁が配されており、その奥でゴヤは彼らを無視するように深い闇の中に身を潜めています。13人の王族たちが豪華な衣装で勢ぞろいし、ゴヤは見事な筆さばきでその豪華さを描かました。王妃マリア・ルイサはこの作品に満足したと伝えられています。しかし、うそをつけないゴヤの洞察力は、王族に値しない彼らの素顔や内面まで描き出してしまいました。形式性や格調性の強調に明らかに作為的な意図が感じられ、13名もの国王一族のわざとらしさを感じさせる公式的側面の強い平面的配置や、奥行きの無い空間構成、硬直とした身体描写と対照的な眩い光を放つ輝きと色彩描写などには、王族に対するゴヤの真摯な観察眼から彼らの性格を忠実に表現したと感じられます。


Hepainted the King and the Queen, royal family pictures, portraits of the Princeof the Peace and many other nobles. His portraits are notable for theirdisinclination to flatter, and in the case of Charles IV of Spain and HisFamily, the lack of visual diplomacy is remarkable.[8] Modern interpreters haveseen this portrait as social satire; it is thought to reveal the corruptionbehind the rule of Charles IV. Under his reign his wife Louisa was thought tohave had the real power, and thus Goya placed her at the center of the groupportrait. From the back left of the painting one can see the artist himselflooking out at the viewer, and the painting behind the family depicts Lot andhis daughters, thus once again echoing the underlying message of corruption anddecay.





ゴヤ『裸のマハ』17971800



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 『着衣のマハ』も描いていますが、それとは異なる繊細な光や色彩の表現が感じられます。初めて実在の女性の陰毛を描いた作品で、当時のスペインでも問題になり、ゴヤは何度か裁判所に呼ばれました。『裸のマハ』『着衣のマハ』の2点ともに、首相のマヌエル・デ・ゴドイの邸宅から見つかったことから、ゴドイの依頼を受けて描かれたものと言われています。マハとは、「小粋なマドリード娘」という意味のスペイン語で、彼女らは、若い男と戯れ、時には自由奔放な生活を楽しんだ。近衛のモデルは、ゴヤと関係のあったアルバ公夫人マリア・デル・ピラール・カィエターナ(カイェテナ)する説と、ゴドイの愛人であったペピータという説であります。

 光を浴びて浮き上がる裸身、挑発的に絵を観る人を正面から見据える眼差し、横たわる女の存在感と強靭な視線、虚飾を剥ぎ取り実像だけを残した裸婦像というではインパクトの強い作品と言えると思います。ゴヤのものはもっと生身のリアルなヌードであり、まなざしからは挑発的なエロスさえ感じさせます。





ゴヤ『着衣のマハ』17971803



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 裸のマハの直後に描かれている。その真意は、製作依頼者であるマヌエル・ゴドイの自宅改装の際の裸のマハに対するカモフラージュと考えられています。『着衣のマハ』は『裸のマハ』とは違った流麗なタッチで、髪型、化粧、クッションやシーツも違いが見られ、作品に気品があるように感じました。





ゴヤ『マドリード、1808年5月3 1814年)




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 ヤが1814年に描いた絵画作品で、2つの連作のうちの1つで、『プリンシペ・ピオの丘での虐殺』としても有名な作品です。180852日夜間から翌53日未明にかけてマドリード市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によって400人以上の逮捕された反乱者が銃殺刑に処された場面を描ききました。背後の暗闇に王宮が浮び上がる中で、明るく照らされた一人の男に処刑隊の銃弾が向けられた瞬間が描かれています。両手を大きく広げた白い服の男性の右手には殉教者の証である聖痕が見えます。処刑を命じられたフランス兵は、誰一人として市民を直視することができず、全員が目を伏せています。この虐殺の後に転がる死体の山が眼に浮かんで来て、「聾者の家」で処刑の場面を目撃したゴヤの怒りが私たちにも伝わってきます。




 ゴヤが1814年に描いた絵画作品で、2つの連作のうちの1つで、『プリンシペ・ピオの丘での虐殺』としても有名な作品です。180852日夜間から翌53日未明にかけてマドリード市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によって400人以上の逮捕された反乱者が銃殺刑に処された場面を描ききました。背後の暗闇に王宮が浮び上がる中で、明るく照らされた一人の男に処刑隊の銃弾が向けられた瞬間が描かれています。両手を大きく広げた白い服の男性の右手には殉教者の証である聖痕が見えます。処刑を命じられたフランス兵は、誰一人として市民を直視することができず、全員が目を伏せています。この虐殺の後に転がる死体の山が眼に浮かんで来て、「聾者の家」で処刑の場面を目撃したゴヤの怒りが私たちにも伝わってきます。




参考文献:

国立プラド美術館 「プラド美術館公式ガイドブック」 (2009)

中村 俊春 「ペーテル・パウル・ルーベンス―絵画と政治の間で」(2006)三元社

大高 保二郎, 雪山 行二 (編集)「エル・グレコ」1992 (日本放送協会)

大高 保二郎, 雪山 行二 (編集)「ゴヤ」1992 (日本放送協会)

     









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by desire_san | 2018-04-17 08:02 | スペイン美術の旅 | Trackback(3) | Comments(9)
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Commented by rollingwest at 2015-01-21 06:58
華やかなりしスペインの美 日本にはない高貴さです!
Commented by Montecarro at 2015-01-23 00:14 x
ベラスケス『ラス・メニーナス』に描かれている幼いマルガリータ王女は15歳で神聖ローマ皇帝レオポルト1世と結婚しました。マルガリータは、スペインから随行してきた人たちの態度や傲慢さのため反スペイン感情を生み、それが若いマルガリータに向けられました。マルガリータは21歳で亡くなるまでに6回のの妊娠を経験し体がすっかり弱り、第6子を出産した直後21歳の若さで亡くなりました。6人の子供を生みましたが、育したのは娘マリア・アントニアだけでした。ベラスケスが描いたかわいいマルガリータ王女を見ると、悲しくなりますね。
Commented by poratoria at 2015-01-23 00:25 x
ベラスケスは、国王フェリペ4世の肖像画を描き、国王に気に入られてフェリペ4世付きの宮廷画家となり、30数年、国王や王女の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描きました。役人としても多忙となり、1656年には「ラス・メニーナス」を描き、絵画だけでなく、フィリーペ四世の最初の王妃の子マリア・テレーサと当時最高の権力者フランス国王ルイ十四世との結婚式の準備も取り仕切りました。しかし、帰国後すぐ病気に倒れ、61歳ででなくなりました。死因は過労死と言われています。権力者に気に入られるのも本当に良いことなのか分かりませんね。
Commented by snowdrop-momo at 2015-01-24 07:39
おはようございます。拙ブログにコメントを下さり大変うれしく拝読しました。お返事のコメントを拙ブログ上(紀行編&寧楽編)でも差し上げていますので、お手すきの時にご覧ください。

エル・グレコは真にコスモポリタンな画家だったと、記事を拝読して改めて思いました。それも人間世界のみならず神秘世界にも跨るような…

スペインも春は雨が多いのですが、異常気象といえるほど雨続きの旅でした。せっかくエル・グレコを教会で見られたのに薄暗くて…それでもトレドの街並みは印象深かったです。有名なトレド風景を写真で再現してみましたのでご笑覧ください。

http://ramages.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post-62bc.html

ベラスケスの「ブレラの開城」は当時翻訳していた美術書に出てきました。プラドで見ると感慨深かったです。

ムリーリョの絵は、スペインの少年少女の愛らしさを余すところなく伝えていますね!

ゴヤの絵は、王妃の素顔さえ暴いてしまうのが凄いですね。人間の本質を深く洞察していたのでしょうか…


Commented by めいすい at 2015-01-24 23:21 x
プラド美術館は多くの画家の収蔵品があり、それらをブログのスペースで紹介していくのは困難な作業と思われますが、desireさんは見事にまとめられており感心します。
最初に取り上げられているのがエル・グレコで、絵画の近代化に道を開いた画家の一人ということもあるのでしょうが、興味を引かれました。
 私でしたら、ベラスケスやゴヤになってしまうでしょうし、グレコの絵でも「胸に手を置く騎士の肖像」になるでしょう。改めて、家にある画集のエル・グレコの絵を見直してみました。
ベラスケスの「ラス・メニーナス」も詳しく書かれていて楽しく読ませてもらいました。この絵は、普通は描かれない宮廷のプライベートな空間を描いていて、晩年の天才画家が技術の粋を尽くしていることが魅力的だと思います。

Commented by desire_san at 2015-01-26 12:17
snowdrop-momoさん、
トレド風景を写真で再現拝見しました。トレドはエルグレコの時代とほとんど変わらない街並みを残しているのですね。
スペイン絵画では、個人的にはムリーリョとスルバランが好きです。ムリーリョの温かみのある絵画は、ほかのスペイン絵画と異質の魅力がありますね。
Commented by desire_san at 2015-01-26 12:32
めいすい さん、コメントありがとうございます。
エル・グレコは、時代的にはルネサンス末期のマニエリスムに属ますると思いますがが、大胆な画面構成や無重力状態のようにキリストや聖母マリアなどを描くのは、モチーフは違いますが、シャガールに通ずる前衛性を感じます。
個人的にはグレコよりベラスケスの方が苦手です。絵のうまさは抜群ですが、初期の作品は別として、画家の自己主張を感じにくいからです。国王フェリペ4世から気に入られすぎて、宮廷画家の枠に閉じ込められてね自由な表現がしにくい立場にあったのではないかと思います。そんな中で「ラス・メニーナス」は精一杯自己主張して描いた作品のように感じました。
Commented by Dr.Markurquros at 2018-04-21 17:26 x
こんにちは。
興味深く拝読させていただきました。

イタリアのヴェネツィア絵画を学んだバロックの主流派ルーベンスと、ギリシアのビザンチン絵画に影響を受けた前衛画家エル・グレコは対照的な画家ですね。ルーベンスは西洋美術史の主流派での画家で、美しいい奇才と大胆な画面構成はまさに「バロック絵画の王」といえる存在だと思います。一方エル・グレコの絵画は時代を超えた前衛性があり、シャガールの絵画を彷彿させる魅力があると思います。

Commented by desire_san at 2018-04-22 22:30
Dr.Markurqurosさん、コメントありがとう後さぞいます。

ご指摘の通りです。ル・グレコの方が前衛的な画家といえますね。