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心に残った旅・芸術とアートとの出会い   

自然の造形を手本に、未体験の感動を生み出す空間を創造した天才

ガウディの建築 バルセロナ 
Architectureof Gaudi
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 アントニオ・ガウディは、スペイン、カタルーニャ出身の建築家で、19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動しました。バルセロナの街には建築家ガウディの残した建築物が数多くあります。彼はバルセロナで暮らし、仕事をし、サクラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園・ミラ邸(カサミラ)をはじめとした世界的にも有名な作品を多く残しました。これらは、アントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されています。







 アントニ・ガウディは父方・母方ともに銅細工職人という家系に生まれ、空間を把握する建築家としての素地を学びました。当時マドリッドの建築教育が美術アカデミーから独立して、現在のマドリッド工科大学建築学部の前身となる新たな建築学校が作られました。しかし、お金に余裕のないガウディは、マドリッドの建築学校にも行けませんでした。カタルーニャにはこの養成機関もありませんでしたが、バルセロナの商業会議所が建築家教育に乗り出し、バルセロナ県立工科学校が新設されて、県立建築学校が独立しバルセロナ県立建築専門学校が独立し開校されました。ガウディは建築士の資格を取得しバルセロナ建築学校に学びました。当時校長で建築家であったアリアス・ルジェンは、ガウディについて「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時間が明らかにするだろう」と言ったと伝えられています。

Gaudí's professional life was distinctivein that he never ceased to investigate mechanical building structures. Earlyon, Gaudí was inspired by oriental arts (India, Persia, Japan) through thestudy of the historicist architectural theoreticians, such as Walter Pater,John Ruskin and William Morris. The influence of the Oriental movement can beseen in works like the Capricho, the Güell Palace, the Güell Pavilions and theCasa Vicens. Later on, he adhered to the neo-Gothic movement that was infashion at the time, following the ideas of the French architectViollet-le-Duc. This influence is reflected in the Teresian College, theEpiscopal Palace in Astorga, the Casa Botines and the Bellesguard house as wellas in the crypt and the apse of the Sagrada Família. Eventually, Gaudí embarkedon a more personal phase, with the organic style inspired by nature in which hewould build his major works.


 ガウディはパリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインする機会を得ました。この作品を通じてガウディの才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルでした。グエルは、その後40年あまり彼のパトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼しました。


 ガウディの建築の特徴の一つは、曲線と細部の装飾を多用し生物的な建築を得意としたことです。ガウディは、「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない。」と考えており、自然の造形物を模倣した。サクラダ・ファミリア内部の螺旋階段。これは巻貝をモチーフにしたものです。7


 ガウディは自然法則を利用した建築を目指しました。有名なのは、天井に設置された鎖でできた網に、重りを複数個つけた「逆さ吊り実験」で、これによってできる弛みを、反転させて見たものこそが、垂直荷重に強い構造であると主張しました。事実、現存するガウディの建築の多くにはこれが活用され、現在もその姿を残しています。


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 ガウディして、設計図を描くということをあまり行わず、模型を重視した設計を試みました。サクラダ・ファミリアなどは着工から130年以上が経つ今でも設計図なしの建設が進められています。


He took various structural and ornamentalsolutions from nazarí and mudéjar art, which he used with variations andstylistic freedom in his works. Notably, Gaudí observed of Islamic art itsspatial uncertainty, its concept of structures with limitless space; itsfeeling of sequence, fragmented with holes and partitions, which create adivide without disrupting the feeling of open space by enclosing it withbarriers.



「グエル邸」Palau Guell

アントニ・ガウディの良き親友であり、最大のパトロンであった実業家エウセビ・グエル。彼の豪華な邸宅が、ランブラス通りをから細い路地を少し入った所に建っています。この邸宅はガウディによって設計され、1886年から4年の歳月をかけて完成されました。グエルはその出来栄えを大変気に入り、当初別館の予定だったこちらを本館として移り住んだほどでした。a0113718_04422792.jpgガウディの初期の傑作とも言われる邸宅は、外観からでは想像できないような華やかでありながら機能的に設計されています。1階部分の大理石で作られた豪華な正面玄関の階段を上がっていくと美しいランプで照明が灯され、天井や壁にはアラビア風で緻密な寄木細工で装飾された部屋が見る事ができます。贅沢な装飾で彩られた中央サロンへたどり着くと、ドーム天井から自然光が降り注いできます。楽団室は、特別な晩さん会の時などには楽団をよんで生演奏が行われたり、広間の上部に置かれたパイプオルガンからの音色が家中に響き渡っていたのです。優雅な生活が想像できます。上には家族のプライベート部分があり、当時使用されていた家具などが展示されています。



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 夫婦の寝室や子どもの部屋、使用人の部屋を通過すると、屋上へ上がることができます。そこは、色鮮やかな煙突がいくつも並んでいて、ガウディの作った家らしくとても不思議な空間に仕上がっています。割れたタイルやガラスの破片などを使った、ガウディのアートな世界は既にこのときから、始まっていたのです。邸宅建築の中でも初期のグエル邸ですが、随所に凡人ならぬ天才の痕跡を見ることができます。


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It is a building, such as the total summaryof the architecture of Gaudi's initial era.There is also the fact that Guell family dwellings was a millionaire, gray marble has been widely used, hasbecome a building full of quite profound feeling.Therefore, whether the so-called"Gaudi-ish", model NISMO whiff of it, but I do not feel so much, itcan be seen the Gaudi's design everywhere everywhere, such as objects and finedecoration




 初期の作品、カサ・ヴィセンス。タイル業者の依頼で設計した屋敷は、それは当時流行ったイスラム様式のモザイクを取り入れたもので、規則正しく並んでいます。バルセロナの目抜き通りに建つ地中海の波のようにうねる壁は、当時は批判も多かったどんな時代の誰の様式にも当てはまらないガウディ独自の世界です。



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 しかし、ある時期を境に、ガウディの生活態度は大きく変わります。このガウディは31歳と若く、宗教にも無関心な人間でしたが、家族の不幸が続いたことや、サンタ・テレサ学院の建築主であるエンリケ・デ・オソー司教やアストルガ司教など、すぐれた聖職者たちと出会いにより、次第に信仰に目覚めていきました。こうして、彼の信仰は聖堂を建築するにつれてどんどんと熱狂的なものになっていきました。ガウディは禁欲主義になり、身なりもどんどん変貌を遂げていきます。後期のガウディの作品の背景には、カタルーニャ文化、独学で学んだヴィオレの思想「構造合理主義」、宗教的思想が重なり、ガウディの独創性が生まれて言ったと考えられます。


a0113718_04442552.jpg 建築物としては、初期にカサ・ビセンス、グエル別邸、エル・カプリチョをほぼ同時期に制作しています。ガウディの独創性はここでも発揮されており、さまざまな様式が取り入れられているにもかかわらず、一般的にはデーハル様式でつくられたものとされています。


 自分なりのアイデアで組み合わせ、独自の折衷様式をつくりあげていきました。グエル別邸の厩舎の内部は、基本的にはカタルーニャのゴシック建築の伝統に基づいて設計されたが、放物線アーチのような斬新な装飾も採用しています。ガウディによれば、放物線を描くアーチ系の構造物の耐久性は古くから知られており、ガウディは実験によって理想的な形を得ることに成功し、自らの建築に用いました。


 糸の両端を固定して吊るすと下向きの逆アーチができる。アーチにかかる力、アーチ自体の材料の重さを計算し、糸を等分して等分点に重りを下げる「逆吊り実験」で、このときにできる放物線、カテナリー曲線、双曲線などをガウディは『フラニク』と称しました。実際の設計段階で、この逆アーチを逆転すれば、理想とするアーチの形態が得られると述べているように、フニクラはガウディ建築で有効に使われています。


 ガウディが残した「独創性とは起源に帰ることだ」という言葉には、「この起源とはガウディにとって神の作品としての自然である。また建築の偉大な書物は自然であるといっている。」としているように、ガウディの作品は、自然と密接に関係していると考えられる。



 ガウディのその後の制作活動の発展には、グエルとの運命的な出会いがありました。パリの万国博覧会でガウディの作品に魅せられ、ガウディのファンとなったグエル氏は、彼を調べあげ、彼と対談する機会を作りました。この時、ガウディは26歳、グエル氏は32歳という若さであった。この二人の出会いが今後のガウディの建築人生を決定づけるものとなり、多くの作品を残す結果となる。また、グエルというパトロン(資金援助者)を得たガウディは、盛んにカフェにも出入りし、そこで彼は、レナシェンサ(文芸復興運動)の潮流を代表する多くの知識人を知り、自分のカタルーニャに対する思いを固め、建築に対する『カタルーニャ人ガウディ』の建築理論を培っていきました。

 



 カタルーニャは、地方人としての自己顕示欲が強く、自らをカタルーニャ人と呼ぶことに執着します。カタルーニャスペインの中で最も西欧化された地域としたし、地中海貿易はカタルーニャ人たちの生命線でした。キリスト教とイスラム教の文化が交わり、特に豊かな南部イスラム世界と北部キリスト教世界との通商路として栄えさせたからです。


a0113718_04550041.jpg アラゴンとカスティーリャの両国が合体し、スペインが統一されることになり、スペインはその後黄金時代を迎えますが、弱体化していたカタルーニャは1780年頃まで衰退し続けます。しかし産業革命後カタルーニャの繊維業界も着実に成長し、世界第4位の生産量を誇るまでとなりました。経済不況が導火線となり、1874年まで動乱期が続きますが、立憲君主制への王政復古によりアルフォンソニ12世という名君を得たスペインは、政情は長き安定期に入ります。カタルーニャの繊維業界はまたも黄金期を迎えました。パトロンとなるグエル氏も繊維業界の成功者で、経済状況がグエル氏とも出会を導いたとも言えます。


 「建築家は他の芸術家と違い、施主がなくては作品を作れない。時間と金なくして秀作は望めない。恵まれた施主の存在は秀作のための必要条件でした。ガウディが生きた時代、カタルーニャ文化も発展し、レナシェンサ運動が起こり、学問・芸術の復興を目的とした諸機関の整備、社会秩序と政治体制の復興、伝統とカタルーニャ人としての意識を目覚めさせ社会全般の復興に向かいました。レナシェンサ運動は、すべてのカタルーニャ人をカタルーニャ主義者にし、この運動があり、モデルニスモ建築が生まれ、ガウディはその先駆者として活躍してきました。


a0113718_04563689.jpg このような歴史がこの地域の人々は、独特の文化と伝統を誇り、カタルーニャ人の同族意識が強烈で、排他的傾向さえ持つこともありました。ガウディは、かたくななまでにカタルーニャ人であり続け、それを誇示したのです。


 ガウディは、建築の基礎として、建築は、堅・用・美の三要素を満足すべきものと言い続けられ、快適さと便宜さを追求する部屋の目的にしたがって方位を決めることや、適切な配置をし、施主の職業や地位とか、建物の性格にふさわしい建築形態をとること。快と優美、良い構成・適切な装飾を、建築の軽視できない3つの基本要因と挙げています。



The building looks very remarkable — likeeverything Gaudí designed, only identifiable as Modernisme or Art Nouveau inthe broadest sense. The ground floor, in particular, is rather astonishing withtracery, irregular oval windows and flowing sculpted stone work.It seems thatthe goal of the designer was to avoid straight lines completely. Much of thefaçade is decorated with a mosaic made of broken ceramic tiles (trencadís) thatstarts in shades of golden orange moving into greenish blues. The roof isarched and was likened to the back of a dragon or dinosaur. A common theoryabout the building is that the rounded feature to the left of centre,terminating at the top in a turret and cross,



 ガウディは、最大の経済性と一致するよう注意しなければならないと考え、建物と各部分の形態のプロポーションがもっともシンプルで、しかも美しい形態を追求しました。建物は美しいプロポーションを持つようにしなければならず、それは各部分と同じく建築全体についてもそのように考慮しました。すべての部分にはそれ自身で建物の用途とか目的を明らかにするような表情を持たせるように努めました。外観は内部構成の忠実な結果であるようにすべきであるという考えから、余分なものすべてから逃れることを重視しました。


 円柱、角柱、軒蛇腹(コ―ニス)、(ア―チの立ち上がり部で壁に回される)水平帯とかは、観察者に設置する必要性を示すことが重要と考えました。装飾、彫刻とか、浮き彫りとか、モニュメントを物語るのに必要なものあるべきであり、物に見られるもの建物を構成する一部で理念的な伝統がバルセロナにあったと知っておくべきであると考えました。


 建築に耐久性と、人間の感覚・理性・直観により課せられた規則に従う適切なプロポーションとを与えるべく、構想に対し、材料をその性質と持ち味を生かしながら使用しました。施工者は、材料の性質、使用できる材料、満足すべき必要性、所属する状態によって施工法を考えていかなければならないと考え、材料から形態が生まれるとするなら、ガウディもこれを強く留意しました。樫の素材が生かされたカサ・カルベットやカサ・バトリョの家具や、レンガ造りのカタルーニャ式ヴォールトと多色彩タイルから生まれた局面建築もガウディにより考えぬかれた結果でした。




 ガウディが考える性格は、①場所時代による性格②建築目的用途による性格③建築を使用する人の身分や地位による性格の3つからなる。①は、その時代の国民建築や地方主義の建築、②は、象徴主義や表現主義からの建築、③はブルジョア建築、宮殿神殿、民家建築などがあげられる。ガウディはこれらの理念を持ち建築していったわけであるが、彼は特に①と②の性格に留意し、建築物を造る。物質的な必要性を満足させる建築材料が建物の平面を決定し、精神的な性格と使用材料とが、立体を生むという考え方駆使して豊かな造形を創造していきました。


 「ガウディの装飾論」でガウディのノートに書いていた冒頭に以下のような文が見られます。


 「アルハンブラの写真を検討する。アルハンブラには、細い柱を用いており、細い円柱の柱頭に、さらに垂直に施した装飾を付けて高さを強調している円柱は、その柱脚の背後にある彩色されたモザイク・タイルによって、はっきり、その細さを表している。アルハンブラの多くの部屋で用いられている、この細い柱は、それぞれの部屋の空間を豊かにし、建築を大きく感じさせている。この細い柱を使って、壮大な建築空間を作る方法は、ゴシック建築の天蓋を付けた細い柱の効果を思わせる。」この宮殿はイスラムのグラナダの城砦で、宮殿といっても豪華さを誇る宮殿ではなく、自然との調和、水の流れ、花や木陰を愛し、それと一体化されたレンガ、漆喰、装飾された木材を使った建築です。この宮殿はムデーハル様式と呼ばれ、ガウディがこよなく愛した建築といわれています。


 ガウディは『オリエントの人々の建築は我々の師である』と言っています。オリエントの建築では、いかに豊かな装飾を使用しても、常に安らぎや広々とした建築の効果を損なうことなく、建築の構造を装飾で隠すことはありません。オリエントの建築の装飾は、人の心を休め、疲れを癒す方法を知っていました。


 この明確な思想の表現は、ルイ14世以来の西洋建築の装飾とは、かけ離れた別のものでした。無駄に使われた装飾や壮大さは、安らぎを奪い、人を疲れさせる。豊かな建築をつくろうとするとき、その豊かさは一つの思想に基づいていることが必要であり、その思想を鮮明に表現することが必要である。思想の明確さが増せば増すほど建築の豊かさが増す。ガウディはこのように考えました。


 初期の頃から、「グエル邸」の設計の頃までの作品には、ムデーハル建築の影響が特に目立っていいます。ガウディは、アルハンブラ宮殿で使用された装飾手法と空間構成を自作に取り入れ、新たにモデルニスモ建築様式を打ちだし、次々と独創的な作品を作り上げていきました。



[カサ バトリョ]Casa Batlló

 バルセロナのグラシア通りに面したアパルトメント式の建物。曲線的なデザインが特徴的であり、壁にはステンドグラスが無数にはめ込まれています。 邸内に自然光が入り込む形状となっており、自然光により壁面の濃淡が鮮やかに変化します。夜になるとライトアップされ、日中とは異なる神秘的な美しさを魅せます。カサ・バトリョは、大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスの依頼を受け建設された建物です。ガウディはこの邸宅の改築を行ない、建物に5階と地下室を加え、玄関広間を広げ、階段や内壁を作り直し、各部屋に曲線的なデザインを持ち込んで、タイルやステンドグラスの装飾を施しました。邸内でガウディは自然光を効果的に取り込み、そのタイルの濃淡を変えています。これらの光と色の効果により海底洞窟をイメージして作られたとする説もあります。


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Casa Batlló is a renowned building located in the center of Barcelona and is one of Antoni Gaudí’s masterpieces.Like everything Gaudí designed, it is only identifiable as Modernisme or Art Nouveau in the broadest sense. The ground floor, in particular, has unusual tracery, irregular oval windows and flowing sculpted stone work.  There are few straight lines, and much of the façade is decorated with a colorful mosaic made of broken ceramic tiles The roof is arched and was likened to the back of a dragon or dinosaur.



 アントニオ・ガウディの建築・装飾作品は独創的な作品が多く、「モデルニスモ」という建築様式の作品を次々と生み出しています。ガウディも誇りを持っていたガウディ家が代々受け継いできた銅板機具職という職に必要不可欠な『空間をとらえる能力』を生かして能力を彼の制作に生かしました。「装飾」の数々も大きな魅力ですが、独創的な作品や装飾が当時としては極めて前衛的でした。



 ガウディは本来無神論者だったようです。自然に対しては畏敬の念を持っていたと思われます。そして、どこかの時点で信仰を持つようになったようです。私も自称「無神論者」ですが、キリスト教、仏教、イスラム教の祈りを実体験するうちに、これらの宗教の起源となった、イエス・キリスト、仏陀、孔子尊敬するようになり、それぞれの宗教に、化学技術では解き明かせない、偉大な真理がこめられていることを知りました。イエス・キリストがいなかったら世界史はもっと残忍て陰惨なものになっていたのではないかと思います。「神」が存在するかは分かりませんが、少なくてもこの地球の大地と自然には畏敬の念を持っています。ガウディも年齢を重ねるにつれて、無神論が導く人間社会が絶望的なものであることを感じたのかもしれません。その経緯はわかりませんが、サクラダ・ファミリアの建設の仕事を引き受けた時は、純粋で敬虔な信仰をもって、この仕事に臨んだと思われます。



[コロニア・グエル教会]Colonia Guellchurch

コロニア・グエル教会は、繊維産業の労働者コロニーにある未完成の教会。この建築は、前述の「逆さ吊り実験」を構造の元としています。内装自体も秀逸で、傾斜した壁や荒削りの柱などは、自然の洞窟を思わせます。

  

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 20世紀に入ると、ガウディはより一層独創的な設計を施し、石やコンクリートでできているに、まるで有機体のようであり生命が宿ったようなものを創りだします。ガウディが建築と装飾を融合させた「生命を躍動させる」ガウディの建築こそ、彼が創りだした装飾法であり、この独創性がガウディの魅力です。

 建築・装飾に対する理念は、彼の家の代々の職業である銅板器具職の影響や、彼が過ごしたスペインの土地柄、カタルーニャの文化など、多くの条件が重なって形成され、そこからガウディの独創的な建築が生まれました。ガウディ自身が研究したヴィオレの建築理念などがガウディ作品に大変大きな影響を与えていることに間違いありません。ガウディ作品はスペインが生みだした芸術の産物なのです。


 現在バルセロナには多くのガウディの建築があります。どれも人々を魅了する作品ばかりです。これらの作品は、ガウディの作品であり、スペインが生みだした作品であるともいえます。また、サグラダ・ファミリアは建設から約140年たっているが、未だ完成していません。完成は2026年前後といわれていますが、ガウディの作品に魅了された人々が、ガウディの作品を完成に導いているのです。



 

[カサ・ミラ] Casa Milà

カサ・ミラ、バルセロナのグラシア通りにある建築物です。ガウディが54歳の時に設計しました。1905年から1907年にかけて実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として建設されました。グラシア通りの角に建つ曲線が印象的なカサ・ミラ。その曲線は地中海をイメージして作られています。屋上はようにいくつものモニュメントがあり、9.5ユーロ支払えば観光客も見物することができます。建築というより彫刻に近い外観や内装のようです。


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One of the most significant parts of thebuilding is the roof, crowned with skylights, staircase exits, fans, andchimneys. All of these elements, constructed with timbrel coated withlimestone, broken marble or glass, have a specific architectural function.Nevertheless, they have become real sculptures integrated into the building.


 カサ・ミラは直線部分をまったくもたない建造物になっていて、壮麗で非常に印象的な建物である。あたかも砂丘か溶岩の波のような雰囲気をもっており、一般的な現代建築の様式とは、隔絶した建築となってます。外観の波打つ曲線は地中海をイメージして作られた。一つ一つ異なるバルコニーは、鉄という素材を使いながら、まるで波に漂う海藻のような、柔らかな造形を生み出している。内側は天井も壁もどこもかしこも波打ち、まるで海底にいるような奥深さに包まれる。屋上には、独特の加工をされた煙突や階段室が立ち並び、月面か夢の中の風景にもたとえられます。


The building is a unique entity, where theshape of the exterior continues to the interior. The apartments featureceilings with plaster reliefs of great dynamism, handcrafted wooden doors,windows, and furniture, and the design of the hydraulic pavement and differentornamental elements.


 この建築物は通常の建築物というよりむしろ彫刻であると見做すことができます。実用性に欠けるという批判もありましたが、圧倒的な芸術性を持つことは否定できません。建設当時のバルセロナ市民はカサ・ミラを醜悪な建物と考え、「石切場(ラ・ペドレラ)」というニックネームをつけたが、今日ではバルセロナを代表する歴史的建造物となっている。現在内部はガウディ建築に関する博物館になっているそうです。


 家賃は建設当時1500ペセタと、一般職人の月給の約10倍であったためと見た目の評判の悪さから、なかなか借り手が見つかりませんでした。そのため、「3世代に渡って値上げなし」という契約条件があるため、ほとんど値上げされていないため、現在でも家賃は約15万円となっている。広さは約300㎡で全8室あり、現在でも4世帯が居住しています。



 40歳を過ぎたガウディは、身なりにも構わなくなり容貌すら金髪は灰色になり、厳しい断食を行い体も痩せ細っていたようです。そのころから彼の生活は、仕事と信仰に捧げられたといわれています。この時期からのガウディは多くの作品を制作さしています。既にサクラダ・ファミリアが着工中にもかかわらず、その傍らでカサ・カルベッ(1898年)、グエル公園(1900年)、カサ・ミラ(1906年)などが次々と制作されました。また、晩年のガウディは、極端なまでに禁欲主義となり、「貧しさとみじめさを混同すべきではない。貧しさは優雅と美に導き、富は豪奢と複雑をまねき、美しくはあり得ない。」「芸術家が芸術の向上に見合うためには、苦痛とみじめさに耐えなければならない。」「規律を守るためには、むちが不可欠であり、むちは規律を乱さぬための唯一の手段である。」つまり、芸術は人間にとって崇高なものであり、芸術家はこれに携わるだけで至福の恩恵に浴しているのであるから俗世の楽しみや豊かさを人並みに受けていてはあまりにも申し訳なく、もしそうするなら芸術の向上は望み得ない。それほど芸術は厳しく、苦痛と貧困に耐えてこそ、よき芸術作品に達し得るというのであると述べられている。このことから、彼の『芸術』に対する考えが窺える。彼が亡くなったのは、1926610日である。原因は、路面電車に撥ねられるという事故であった。67日に事故が起こり、その3 日後に息をひきとった。この事故でガウディは、73年と11か月半の人生を終えました。


参考文献:

鳥居徳敏 「ガウディの建築1987/4

赤地 経夫, 田沢 耕「ガウディ建築入門」

フィリップ ティエボー, 千足伸行「ガウディ―建築家の見た夢-知の再発見」



グエル邸 写真ギャラリー  文字をクリックするとリンクします。
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by desire_san | 2015-08-25 15:49 | スペイン美術の旅 | Trackback(3) | Comments(10)
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Tracked from dezire_photo.. at 2015-08-26 05:32
タイトル : モデルニスモ建築とゴシック建築、現代建築が共存する街
バルセロナ ⅠBarcelona バルセロナはスペイン最大の工業都市で、カタルーニャ地方最大の都市です。19世紀末から20世紀初頭にカタルーニャ地方で流行した流行したモデルニスモの代表作カタルーニャ音楽堂やガウディのサグラダ・ファミリアやグエル公園、カザ・ミラなど、芸術作品が町を彩っていいます。街の中心はカタルーニャ広場で、この広場を中心に多くの古い建物が建ち並んでいます。バルセロナから足を延ばすと中世の宮殿や修道院などの建造物を利用したホテルなどもあります。 ... more
Tracked from dezire_photo.. at 2015-08-26 05:33
タイトル : スペインの経済発展を象徴するスペイン第2の都市
バルセロナ  ⅡBarcelona バルセロナは、スペイン北東部カタルーニャ州の州都でマドリードに次ぐ第2の都市です。フランスとの国境ピレネー山脈から160km南に位置するし、カタルーニャ州及びバルセロナ県の人口の大半を占める一極集中型都市)で、市内の人口は約160万人、近郊を含む都市圏人口は421万人で、欧州でも有数の規模です。バルセロナはカタルーニャ語復興運動の中心地で、ローマ時代の遺跡から中世の都市、さらには近代都市と徒歩で旅することができます。... more
Tracked from dezire_photo.. at 2015-08-29 10:05
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グエル公園  バルセロナPark Güell バルセロナの港近くの通りには、地中海の光と風を受けた色とりどりの花が並び、いかにもバルセロナらしい町並みが続く美しい道です。港から振り返ると、ティビダボの丘があります。『グエル公園』は、バルセロナを見下ろすこの丘のすぐ南側にあります。... more
Commented by bernardbuffet at 2015-08-26 20:57
ガウディの建築には他にはない、豊かな内実感と有機的なムーヴメントを感じます。とはいえ、テンペラメントのおもむくままに造形したわけではなく、サグラダファミリアなど、力学的に理にかなった設計をしていることに感嘆させられます。
Commented by desire_san at 2015-08-26 23:17
bernardbuffeさん、コメントありがとううございます。
ガウディの建築は、あえて分類すれば、アールヌーボーに分類されるのでしょうが、アールヌーボーの芸術家は感性の赴くままに創造する人が多いのに対して、ガウディは緻密な計算しつくされた設計をしているところが、この時代群を抜いた建築家だと感じます。建物の個性的な造形は、ただ飾りたてたようなアールヌーボーの建築家と異なり、外見はシュルレアリスムを思わせる個性的美しさをもち、内部は差し込む光を巧みに使って独特の世界を築いています。実物を見るとガウディの偉大な才能に感無量となりますすね。
Commented by Keiko_Kinoshita at 2015-08-27 06:35 x
こんにちは。興味深く拝読しました。ガウディがアールヌーボーにカタルーニアの民族性、歴史観からくる特異生を加えた芸術運動モデルニスモの旗手となッタ背景にはワーグナーの影響もあるようです。ワーグナーのオペラに出会い、初めて見る舞台演出は光・音・絵画など総合芸術の世界でした。ワーグナーから総合芸術を見せつけられたガウディは、グエルに、「自分にもに総合芸術が出来るのでしょうか?」と語ったといいます。ガウディの建築思想を変えた瞬間です。従来のアールヌーボー建築と一線を画した、光と造形のシンフォニーを追求したガウディの根底の一つには、ワーグナーの世界があったように思います。
Commented by Masayuki_Mori at 2015-08-27 06:48 x
こんにちは。ガウディの建築の全体像が良く分かり、勉強になりました。モデルニスは、スペインのバルセロナを中心としたカタルーニャ地方で19世紀末から20世紀初頭に流行した、フランスのアール・ヌーボーと類似した芸術様式という定義が一派的だとおもいます。ガウディは、ゴシック様式を近代化し,ムデハール様式やカタルニャの生活環境の伝統を受け継ぎ,動植物から直接ヒントを得た形態を建築に取り入れたという点では、やはりスペインのアール・ヌーボー建築の第一人者という見方ができるのでないでしょうか。
Commented by Ich at 2015-08-27 11:30 x
こんにちは^^ ガウディの世界を楽しく拝読しました。昔、2回も訪ねていますのにつまらない事に時間を割いてしまい外見だけのバルセロナでしたが、今こうして内部までのガウディ建築を見せて戴けたことは思ひを新たにすることが出来ました。アルハンブラの建築とも繋がっていて芸術家としても奥深くやはり天才ですね(^・^)
スペインのカタリューナ地方はパブロ・ピカソもサルバドール・ダリも個性豊かな芸術家天才発祥の地で凄い!です。
Commented by desire_san at 2015-08-27 16:01
Kinoshitaさん、ガウディがワーグナーのオペラの光・音・絵画など総合芸術の世界の世界に触発されたという話は初めて知りました。ありがとうございます。
Commented by desire_san at 2015-08-27 16:07
Moriさん、ガウディをスペインのアール・ヌーボー建築の第一人者という見方は確かにありえますね。ただ、アール・ヌーボーの建築家で、ガウディほどスケールの大きい人は世界のどこにもいないような気がします。逆説的な見方ですが、ガウディの建築がアール・ヌーボー建築の枠に入るかどうかという議論になるのではないでしょうか。
Commented by desire_san at 2015-08-27 16:19
Ichさん、いつもコメントありがとうございます。
スペインのカタリューナ地方は、ガウディをはじめドメネク、プーチという、モデルニスモ建築三巨匠といわれた人たちや、カタルーニャ音楽堂、サン・パウ病院という世界遺産建築を作った建築家ュイス・ドメネク・イ・ムンタネーそれに、 パブロ・ピカソ、ミロ、サルバドール・ダリなど多くの世界的な芸術家を輩出しています。 チェリストの巨匠パブロカサルスもバルセロナの出信ですね。
Commented by snowdrop-momo at 2015-08-30 06:55
いつもdesireさんの充実した記事を拝読し、とても勉強になります。1つの主題を掘り下げ、文献を読み込んで、記事としてまとめておられる根気に頭が下がります。このブログはdesire-san library&museumというひとつの財産のようです。ネットのおかげで、私たち読者の共有財産にもなっているのが有難いです。
龍の背中の形の屋根、というのも東洋的な発想なのでしょうか。ガウディが高台寺の臥龍廊などを見たらどう感じたでしょう?

末尾になりましたが、いつも拙ブログにコメントをありがとうございます。お返事のコメントを作っておきますので、次回お越しの時にでもご覧くだされば幸いです。
Commented by desire_san at 2015-08-30 09:31
snowdrop-momo、いつもご丁寧なコメントをいただきありがとうございます。せっかく高いお金を出してスペインに行って感動を味わったので、忘れてしまってはもったいないと、自分のためになぜ感動したのかを勉強してブログに整理しています。こうしておくと、年月がたっても、結構鮮明に思い出がよみがえってきます。全て自分のために行っているのですが、snowdrop-momoさんのように、ていねいに読んでくださる方が゜いると、すごくうれしいです。ほんとうにありがとうございます。