マルモッタン・モネ美術館所蔵作品展から見る印象派を超えた前衛性と魅力
クロード・モネ
Claude Monet

クロード・モネ(1840-1926)は、生前に成功した画家で、晩年のものを中心に多くの作品を最期まで手元に残しました。これらは息子のミシェルが相続しミシェルの遺志でマルモッタン美術館に遺贈されました。その数およそ150点。モネが晩年に何度も取り組んだ「睡蓮」や「日本の橋」から、10代後半で描いたカリカチュア(風刺画)も含まれ、画家本人によるプライベート・コレクションです。この作品群を譲り受け、マルモッタン美術館は、「マルモッタン・モネ美術館」の名称となりました。
Claude Monet was left on hand a lot of work until the last moment tocenter those of his later years. These were bequeathed to the Musée MarmottanMonet in son Michel Issy. That number about 150 points. Monet worked many timesin his later years, "Water Lilies" and "caricature drawn in thelate teens (caricature) is also included. 今回展示された作品約90点は、数点を除いてモネが手元に残し息子ミシェルがマルモッタン・モネ美術館に寄贈したものです。その意味で従来日本にあまり紹介されなかった10代の時制作したカリカチュアから最晩年の作品群まで、印象派の画家・モネのイメージを逸脱するようなモネの豊かな創作の世界を知ることができました。
第1章 家族の肖像
モネは自然の移ろいを表す風景が主体で、肖像画は少ないですが、マルモッタン美術展ではモネが死ぬまで手元に置いていた家族の肖像画が展示されています。モネとルノワールは、パリのアトリエで知り合い、1869~1870年まで、キャンバスを並べて仕事するほど親しい関係でした。モネの家庭を大切にし、妻カミーユの肖像画を残し、子供のミシェル、ジャンの成長を記録しました。
友人ルノワールもモネ夫人やモネの家族を心こめて描きました。モネの人物画も子供の成長とともに熟達いていくのが分かります。自由な筆さばきで描かれた波打ち際で遊ぶ少年や、浜辺で時を過ごす大勢の人々も描かれています。この時期のモネらしい大胆な構図となっています。
第2章 若き日のモネ
モネは子供の頃、授業はほとんど聞かずにノートにカリカチュア(風刺画)を描いていたそうです。個人的な特徴を誇張したり、物や動物に似せたりして人物を表すカリカチュアは、学校の教師たちのカリカチュアを描くことから始め、次第に腕を上げ評判になりました。描いたカリカチュアを絵具や額縁を売る店のショーウィンドーに展示し、売上は本格的に画家を目指しパリへ行くための費用となりました。モネが手掛けたカリカチュアは現在65点ほどが確認されおり、このコーナーでその代表作が展示されていました。
第2章 収集家としてのモネ
ジヴェルニーのモネの家には、彼が収集し愛でた作品が飾られていました。モネはいろいろな画家のデッサンを収集し、そこからいろいろな技法を学ぼうとしましたが、これらの収集したアートはモネの暮らしを彩り、創作の源となりました。
モネが良く描いたル・ー
ヴル近郊の景勝地をモネが敬愛した19世紀フランスのロマン主義の巨匠ドラクロワが描いた作品。そびえ立つ石灰層の絶壁が大きく描かれ、浜辺に打ち寄せる白波が巧みに捉え、題名の「馬の脚」は、波の浸食でできたアーチ部分を象徴しています。モネは、若い頃からドラクロワを称賛していました。
10代のモネに戸外制作を勧めたウジェーヌ・ブーダンの水彩画、ルノワールやカミーユ・ピサロら印象派の作品、ロダンの彫刻の、モネの作品との出会いを決起に画家を志したポール・シニャックなどの作品も展示されていました。
ヨンキントは17世紀オランダの海景画の流れを汲みつつも戸外制作を学んだオランダ出身の画家で、モネに「決定的な眼の教育」を施した画家と自ら言っています。
第4章 モチーフの狩人
モネのモチーフの模索の時期、彼はよく旅をし、旅先の風景を描きました。移ろうモティーフを画面に素早く捉え、ロンドンでは、テムズ川の流れる近代化したロンドンの風景だけのみならず、イギリス風景画の巨匠ターナーらの作品からも大きく影響を受けました。フランスに帰国後セーヌ川の風景を描き、1878年家族を連れてヴェトゥイユ、1883年にはジヴェルニーへ移り住みます。ノルマンディーの海岸を定期的に訪れ、朝や夕暮れの太陽による自然の変化を捉えてきました。
1871年、アルジャントゥイユに移り住み6年にわたりこの地を拠点に、セーヌ川の情景や豊かな自然にあふれた風景を描きました。セーヌ川川沿いの雪の街並みの作品では、家々の屋根などに雪が残る夕暮れの情景も描いています。
霧のヴトウイユをセーヌ川対岸から描くなど、自ら得意のモチーフを見出してきます。煙突から立ち上る煙は製鉄工場のもので、産業の進展により、町並みが急速に変化ことを象徴しています。雪景色は印象派の画家たちが好んで描いたテーマのひとつで、雪の雄大な広がりと雪に反射する繊細な光を捉える微妙な色彩を描きました。
オランダでは、水面のきらめきとチューリップ畑、風車、そして曇り空とオランダらしい風景が広がり、中央の地平線が、起伏のないどこまでも続く大地と空の広がりを感じさせ、風車とその荒いタッチが強い風の存在を感じさ、風によって波打つ水面や揺れる花々を、水平に長い筆触で表現しました。雲の隙間から降り注いだ光を反射し、風に揺れる世界の美しい一瞬を見事に捉えています。
この頃の代表的な作品が今回のモネ展の目玉ともいえる『印象、日の出』、や『ヨーロッパ橋。サン・ㇻザール駅』です。『印象、日の出』は、早い時期から印象派の作品を評価していたド・ベリオ医師のコレクションで、「印象派」名前の由来となっています。
Impression,Sunrise was painted in 1872, depicting a Le Havre port landscape. From thepainting's title the art critic Louis Leroy, in his review, "L'Expositiondes Impressionnistes," which appeared in Le Charivari, coined the term"Impressionism". It was intended as disparagement but theImpressionists appropriated the term for themselve.

本風景の海面、船舶、船の漕ぎ手、煙、太陽などの構成要素は筆触分割によって、形状や質感の正確性・再現性を犠牲にした代わりに、大気の揺らぎや、刻々と変化する海面とそこに反射する陽の光の移ろい、陽光による自然界での微妙な色彩の変化などこの風景の印象として感覚的に伝えています。 ターナーの『ノラム城、日の出』をより進化をさせた筆触分割兼印象的描写だからできた効果が顕著に感じられます。

モネは一時期、シスレーやピサロのような典型的な印象派風の絵画をたくさん描いていますが、このような絵画は殆ど展示されていませんでした。これは今回のモネ展で、印象派画家モネと一味違った異貌のモネをテーマとしたかったという意図がうかがえます。従来のモネ展や印象派展感じにくいですが、モネは、シスレーやピサロのように生涯印象派を貫き帰結した印象派画家ではなかったようです。今回のモネ展は、「睡蓮」以降の晩年にいたる方向に重点を置いた展示になっていました。
この「モネ展」にはありませんでしたが、モネの最も大切な作品の一つに「日傘をさす婦人」の3つの連作があります。「日傘をさす婦人」の最初の作品(1875年) は愛する妻と息子を描いたもので、明るいタッチで描かれていますが、4年後に妻のカミーユが世を去り、その7年後に、残りの2佐久間品を描いています。4年後に妻のカミーユがなくなります、そしてその7年後に再び2作の『日傘の女』(1886年)を描きました。人物の存在感が乏しく影もなく、淡く背景に溶け込んでいるようです。いとしい人を追憶と惜別の風景として風景画のように描いた傑作だと感じました。
第5章 睡蓮と花
ジヴェルニーの庭は、モネは自ら花の種類と配置を考え、絵を描くように美しい庭を育てていきました。池を造り睡蓮の咲く水の庭を実現しました。オランジュリー美術館の大装飾画となるこの「睡蓮」も、ジヴェルニーの庭から生まれたものです。モネは水の庭のまわりで日本の植物を育てました。画面のほとんどを占めるのは、透明な川の底で光を反射する水草です。水草は黄色や赤の筆触が川の流れに揺れ動いています。川底で揺れ動く水草と水を捉えるというのは眺める分にはすばらしいのですが、水中の世界を描く難しさへの挑戦でした。モネは、生涯で200点を超える睡蓮を描き、季節や天気、時間、描く視点を変えて移ろいゆく水面を捉えようとしました。
ダイナミックな筆跡は、モネの衰えない熱意を感じさせますが、晩年の躍動的な「睡蓮」が高い評価を受けるのは、1950年代の抽象表現主義の時代になってからでした。抽象表現主義の画家たちは、オランジェリー美術館をはじめとしたモネの睡蓮の連作を彼らの先駆的な活動と評価しました。
第6章 最晩年の作品
晩年のモネは、白内障を患いながら、光の変化に伴って移り変わる水面を見つめ続けました。ジヴェルニーの庭を描き続け、睡蓮や太鼓橋の形態は次第に抽象化されていき、色彩溢れる画面を荒々しい筆触で、水の庭を体感させます。描く対象はジヴェルニーの庭の中に限られていき、池に架けた日本風の太鼓橋やバラの小道のように同じモティーフが繰り返し描かれました。
しかし、濃密に重ねられた太い筆触によって何が画面に描かれているかを判別するのが難しくなっていきます。モネは近距離では十分な視力があったと思われ、自身の筆の運びは十分に認識していたようです。
The paintings donewhile the cataracts affected his vision have a general reddish tone, which ischaracteristic of the vision of cataract victims. It may also be that aftersurgery he was able to see certain ultraviolet wavelengths of light that arenormally excluded by the lens of the eye; this may have had an effect on thecolors he perceived. After his operations he even repainted some of thesepaintings, with bluer water lilies than before.
悪化する白内障のため、モティーフは輪郭を失い、色調は鮮やかで大胆なものに変化していき、少しずつ目に映る色も描く色彩も変化していきます。失明を恐れて白内障の手術を拒否していたため症状は悪化し、赤が泥のような色に見え光も認識できない状態にまで悪化しついに手術を決意します。白内障の手術後は極端に青みがかって見えるのを嫌って黄色いレンズを使用したと言われ、色彩も極端になっていきます。様々な色の筆触を重ねてほぼ形態は失われていますが、その力強い筆遣いからは、色感を失う恐怖と向き合いながら、絵画制作への衰えを知らぬ情熱が感じられます。モネは自らの内面的な部分が反映させているためか、晩年の多くの作品を生涯手放さずに残したそうですが、これらの作品は20世紀半ば以降の新しい絵画表現の予兆を感じさせます。画面全体を均一に描くような表現は抽象絵画のようです。

モネは睡蓮の浮かぶ水の庭に日本風の太鼓橋を架けました、池のほとりには菖蒲やカキツバタ、柳や竹も配され、太鼓橋の最初の連作は、自然主義的な調和ある繊細な風景でした。
睡蓮を描いた多数の作品は、光の移ろいを追求していくという意味で印象主義を貫こうとしていますが、晩年に近づくにつれて、作品群はシーグラム絵画に近づいて行きます。

オランジュリー美術館には、8枚の大きなモネの睡蓮の絵が2部屋に分かれて部屋を一周とりまくように飾られています。中央にソファーがあり、360度モネの睡蓮に囲まれての8枚の睡蓮に囲まれた部屋は、絵画1枚1枚を鑑賞するというより、睡蓮に囲まれた空間に人間が浸り、自らの創造性や生命力を感じる芸術空間で、バーネット・ニューマンやマーク・ロスコのシーグラム絵画に通ずるものを感じました。
そのような一面があるため、モネは抽象表現主義の先駆者として再評価されましたが、彼がキュビスムの流れを汲む非具象とドイツ表現主義の激しい感情表現を引き継いでいるとは考えにくいと思います。モネの晩年の絵画が、結果的に巨大なキャンバスに描き、画面に中心がなく焦点も始めも終わりもないかのように見える「オールオーバー」な平面に近づいていき、創造性や生命力をかきたてる抽象表現主義絵画的な要素が生まれてきたとみるのが正しいように思います。
モネ「サン=ジェルマンの森の中で」(1882、Claude Monet)
印象派の最盛期にあたるモネの作品は、後世の前衛画家たちに影響を与えた現代美術の生みの親と言われています。この絵は印象派の筆触で描かれていますが、紅葉で朱色に染まる木々の葉や落葉とまだ残る緑との対比が鮮やかな中に、落ち葉の部分は単に朱色が塗られているのではなく白や緑などの様々な色の絵具が塗り重ねられて、人の頭の中で色が混ぜ合わされる視覚混合の効果(筆触分割という描き方)で構成されているそうです。じっと見つめると森の奥に引き込まれそうで、何か新しい世界が待ち受けているかの印象が素晴らしい絵ですね。風を感じてドビュッシーの「版画」から「塔」を合わせます。
今回のモネ展は、最晩年の作品を多く展示し、モネの印象派の画家でない部分を強調した展示でした。モネが印象派の画家に留まることなく前衛であり続けたようとしたという視点で、画家モネの存在を見直していこうという意図が感じられましたが、最上階に集められたモネの最晩年の作品群は悲壮感が漂い、じっくり見ていると息苦しさを感じました。前衛であり続けたいという気持ち持っていたのは事実だと思いますが、死ぬまで絵を描くことに執着し続けた魂の叫びを聞いているようでもありました。
(2015.10, 11東京都美術館)
参考文 :マルモッタン・モネ美術館所蔵作品展公式図録(2015)
by gpo-higuchi)』
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行ってみようと思います・・・
詳しい解説を有難うございました。
温フルールに行ったとき、ブーダンの美術館による時間がなかったことが、今でも悔やまれます。今度フランスに行く機会があったら、
モネが描いたエトルタやアルジャントウイユに行きたいと思っていますが、実現するかどうか・・。先日日本のサンラザール駅?とも思えるような場所に行ってきました。後ほどUPします。
gpo-higuchiさんのモネ展の感想、楽しみにしています。
モネの晩年の作品、白内障を患ってから輪郭があいまいになりながらも、力強い筆の動きと色遣いにはとても心を動かされました。
この展覧会の前に練馬区立美術館で行われていた「シスレー展」を観ていたので、こちらのモネ展での彼の作品の変遷に興味をひかれました~。
この展覧会で出展されていた風刺画のタッチははじめてモネのデッサンに出逢ったような感覚にもなりました。
はじめて見る作品も多く、モネの生涯を少しだけなぞれたような嬉しさがありました~☆
わかりやすい説明です。小さな頃からモネの睡蓮の絵が好きであちこち行っています(国内)。今回のモネ展で晩年の色彩の変化が良く理解できたのが一番の感想です。
21日に京都にあるアサヒビール大山崎山荘美術館に行ってきました。新館に3枚の睡蓮が展示されておりホントにゆっくり鑑賞できます。
来月は東博に行く予定にしています。
私の今回のモネ展の見方がとても雑だったので恥ずかしくさえ感じています
私は幸いにも身分不相応にパリのマルモッタン美術館を2度訪れ
再開したオランジュリーであの空間に身を置くことも出来ました
どちらでも来場者20人にも満たないのではと思える空いた空間で絵と対面し
浸れるのが何よりの贅沢でした
駅前からのバスの都合で午前中から午後3時過ぎまでジベルニーを堪能したことが
私の宝物になっています
浮世絵を最も多く見たのはモネ宅だったかも?!
私のブログを訪問していただいて既にお分かりと思いますが
ガーデニングが趣味なのでモネのそんな一面にも大いに興味がありました
晩夏だったので大輪小輪のダリアがその鮮やかな色を競い合って咲いていたのが瞼に焼き付いています
池の庭では日本風の植物と太鼓橋がうまく調和していて
太鼓橋に自分が立っていることに興奮したのを今もはっきり覚えていますよ
画家としての生存中の成功と家族にも恵まれて自分の構想通りの庭も作り
そこでの創作活動と
なんて恵まれて…と初めは思っていましたが
その後に次々に愛する家族を失う悲しさを経験し
画家として生命でもある視力を失っていく恐怖も体験したことを知り
その作品にモネの心情も感じるようになりました
今回の美術展で私が新鮮に感じたのは躍動感を感じる晩年の作品です
庭の空気感が伝わって来て何年も前に行ったジベルニーを思い起こしました
モネのファンと言っても単にミーハーですのできっと笑って読んでいらっしゃると思います
でもそんなファンもいるのがモネかもね
私にとっては最もその絵と共に居るのが心地好いのがモネなんです
それは彼のいつの作品でもって今回再確認しましたよ
長々とごめんなさいね
ご来訪ありがとうございます。
モネの絵画、表現は写真に通じるものもありますね。
写真は、モネの時代のころに始まったんじゃないかと思いますが、のちの多くの写真家が表現しようとしたものを、モネはすでに絵で表現していたのでしょうか。
マネ、てルノワール、モネなどと女性的に魅力のあったモリゾ、カサットなどと危険な関係相関図はありうる話だと思いますね。マネの『エミール・ゾラの肖像』とセザンヌの自画像はきわめて健全な世界ですね。この時代の画家の人間関係は、私も興味深いですね。
鳥獣戯画は、ブログにうまく表現できなかったのでかいていませんが、すごくよかったです。私のような素人の感想を書くのは、読む方から見れば一長一短ですが、自分の絵画に対する美意識の変化を記録するために書いています。
また、訪問させていただきますので、よろしくお願い致します。
絵画以外にも、いろいろ写真や記事を載せていますので、よろしかったら、まだご訪問いだけると嬉しいです。
ガーデニングの知識がおありになると、モネの庭園に対しても特別な面が伝わってくるのでしょうね。
絵画にはいろいろな楽しみ方があるのが、まさに芸術たるゆえんだとおもいますね。
マルモッタンに限らず、西欧の美術館は、昨品が展示してあるだけでなく、美術館自体がアートの雰囲気があって、良いですね。なかなかいけないのが残念ですが。
素晴らしい解説をありがとうございます
まるで、また、あの会場をゆっくりと巡っているかのような、
そんな錯覚すら覚えました^^
絵は好きですけど、何となく見てただけなので、最近になって、
いろいろ思いながら絵を見始めた気がしてます^^;
美術のいろんな派の流れもよく分かってはいませんけど、
今回のモネ展で、モネという人がなんだか具体的な人物として感じれるようになりました
これを機会によろしくお願い致します。
ご指摘のように、今回のモネ展はモネという画家の画家として人物としての全貌が良く分かる美術展でしたね。 最終的には印象派時代のモネが好きですが。 抽象表現主義の画家ではポロックが好きです。
モネの『ン・ラザール駅』はどれも傑作だと思いますね。「印象・日の出」はいずれ何年後かにまた来るのではないでしょうか。
今回の展示は、十代の頃の風刺画などモネのやや意外な一面や、記事で指摘されている晩年の白内障のため、実際かけていた黄色がかったレンズのメガネの展示など、通常のモネ展+アルファの趣があったと思います。
期間の初め頃行ったので、「印象、日の出」は見られて、それを描いた日時、位置的、科学的な分析展示があったのも面白かったですけれど、後半展示の、私はどうも実物を見た記憶がない「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」は見られなかったのは少し残念でした。
(昨夜この内容でコメント送信したのですけれど、反映してないので、再度しておきました。重複のようなら削除して下さい)
今回のモネ展は、印象派画家モネと、抽象表現主義の先駆者としてのモネの両方の面を紹介しようという意図がり、後者にスポットを当てたモネ展のように感じました。モネが前衛画家的な意識を持っていたこを知ってもらう良い機会となったと思いました。
これを機会によろしくお願いいたします。
http://ramages2.exblog.jp/25420001/
さすが水ももらさぬ行き届いた記事ですね。美術館へ行く前と後と、それぞれに楽しめました。
「印象、日の出」は特別な照明のためか、すみれ色に見えました。日輪が立体的に盛り上がっているのが印象的で、desireさんの評に頷いています。

