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芸術と自然の美を巡る旅  

マーラーの “正統派な”交響曲の頂点のひとつと言われる大曲の魅力

マーラー:交響曲第3番ニ短調

Mahler Symphony No. 3

マーラーの “正統派な”交響曲の頂点のひとつと言われる大曲の魅力_a0113718_23320336.jpg


 100分超に及ぶ長大さ、女声合唱、児童合唱、アルト独唱と大規模な管楽器を要求するに、マーラー交響曲の中でも演奏機会に恵まれない作品ですが、音楽の内容は理解のしやすく、マーラーの“正統派な”交響曲の頂点の一つと言えます。このマーラーの交響曲第3番が、NHK交響楽団の第1824回定期演奏会で、アルトのソロにヒルギット・レンメルトを迎え、シャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団で演奏されました。





TheSymphony No. 3 by Gustav Mahler was written between 1893 and 1896. The firstmovement alone, with a normal duration of a little more than thirty minutes,sometimes forty, forms Part One of the symphony. Part Two consists of the otherfive movements and has a duration of about sixty to seventy minutes.


 “自然”は“普遍”全自然が自らの声を得て、人がかろうじて夢の中で予感しうるような深い秘密を語ります。マーラーはこの第3番で人間存在の原風景といえる理性を超えた普遍的な自然を描き出しています。


 マーラーは勝手に体が書いたと言っておりますが、これは、減退アートのオートマティスムを連想させます。各楽章に「理解を助ける」標題を付けて下のようなプログラムとして初演されました。


『夏の朝の夢』  

第一部

 第1楽章

  序奏 牧神が目覚める、夏が行進してやってくる(バッカスの行進)

第二部

 第2楽章 草原の花たちが私に語ること

 第3楽章 森の獣たちが私に語ること

 第4楽章 人間が私に語ること

 第5楽章 天使が私に語ること

 第6楽章 愛が私に語ること  父様は僕の傷口を見てくださる

 標題はあくまで理解の補助に過ぎません。音楽を何度も聞いていると、そこには広大無辺なマーラー世界が展開されています。


Mahleroriginally envisioned a seventh movement, "Heavenly Life"(alternatively, "What the Child Tells Me"), but he eventually droppedthis, using it instead as the last movement of the Symphony No. 4. Indeed,several musical motifs taken from "Heavenly Life" appear in the fifth(choral) movement of the Third Symphony. The symphony, particularly due to theextensive number of movements and their marked differences in character andconstruction, is a unique work. The opening movement, colossal in itsconception, roughly takes the shape of sonata form, insofar as there is analternating presentation of two theme groups; however, the themes are variedand developed with each presentation, and the typical harmonic logic of thesonata form movement—particularly the tonic statement of second theme groupmaterial in the recapitulation—is changed. clarification needed. The symphonystarts with a modified theme from the fourth movement of Brahms' first symphonywith the same rhythm, but many of the notes are changed.



マーラーの “正統派な”交響曲の頂点のひとつと言われる大曲の魅力_a0113718_08033190.jpg1楽章

非常に堂々とした雰囲気で始まります。まず,8本のホルンのユニゾンで力強い第1主題、この主題は、ブラームスの交響曲第1番の第4楽章を短調に置き換えたようなところがあります。ホルン8本の斉奏による序奏、ホルンが一斉に噴き出す重々しい主題、野卑な重たさと力強さがあります。分厚いブラスの響きが、パーンが精力の象徴の神を示しており、パーンが目覚める夏かやってくる少しエロチックな響きにも思えます。ニーチェの言説になぞらえて、「昼」と「夜」は、第2主題部を「夏が行進してやってくる(バッカスの行進)」と捉えると、この第1主題部はさ「冬の音楽」としても良いかもしれません。第1楽章はこの「冬」と「夏」の2つの対照的な主題部が3度にわたり繰り返されます。


その後,静かになり,葬送行進曲風になり、トランペットで信号のような音が入ると夏が近づいた森の情景とも言われています。ホルンで「タ・タ・ターン」という音型が第2主題です。この動機は第1主題の一部が使われています。ホルンとトランペットと絡み合いながら進んでいきます。第3主題部に入り、目覚めるパン(牧神)が描かれます。弦のトレモロの上にフルートが爽やかなメロディを吹き,次にオーボエが滑らかに歌い始め、これを独奏ヴァイオリンが引き継ぎます。その後,少し楽しげでざわざわした雰囲気になり、長い休止が入り一区切りします。


重々しい行進曲のリズムが再現し、その上でトロンボーンが第2主題を長々と演奏し始めます。次に第3主題が低弦とオーボエで繰り返されます。新しい動きが出てきて,本格的に牧神が目覚めはじめ,軽やかな行進曲風になります。クラリネットがその上に第4主題を出します。この後出てきた主題がいろいろ変形されて出てきて,次第に盛り上がっていきます。その頂点で,トロンボーンが第1主題を浮かび上がらせます。ハープのグリッサンドで華やかな雰囲気になり,呈示部が終わります。


展開部はホルンの第2主題で始まります。トランペットの信号風の動機と絡みながら、トロンボーンのソロ,イングリッシュホルンのソロと続いた後,弦楽のトレモロが現れ,独奏ヴァイオリンが登場します。静かな中で鳥や動物が鳴き声を出しているような部分が続きます。各主題が複雑に絡み合ううちに次第に大きな盛り上がりを築き,ティンパニのうねりの上に,金管が華やかに幾つかのメロディ、それが徐々に静かになり,小太鼓が突如全然別のテンポで入って来ます。そこにホルンの第1主題が登場し,再現部に入ります。この再現部は呈示部よりも縮小されていますが,主題は順序どおりに再現します。最後に呈示部の時以上に華やかなコーダが続きます。ハープのグリッサンドの後,さらに高潮し,その最高のところで第1楽章は結ばれます。



2楽章

 マーラーの交響曲としては大変珍しく,優雅なメヌエット風の雰囲気で始まります。基本的には,2つの主題が交互に出てくるような形式となっています。 「草原の花たちが私に語ること」。 メヌエットへの愛情をこめた音楽を素晴らしいオーケストレーションとユーモアを堪能できます。


オーボエが優雅なメヌエット主題を出した後,この主題をいろいろな楽器が扱っていきます。トリオは2回出てきます。最初は,フルートとヴィオラで出てきます。テンポはかなり速いもので,次第に華やかに盛り上がっていきます。再度,冒頭のメヌエット主題が出てきた後,再度,トリオの主題が出てきます。今度はオーボエとクラリネットで演奏されます。主要主題が今度はフルートとヴィオラで再現した後,コーダに入ります。最後は独奏ヴァイオリンのフラジオレットの高音で結ばれます。




3楽章

  森の獣たちが私に語るスケルツォ楽章の楽章で、歌曲集「若き日の歌」第11曲の<夏に小鳥はかわり>に基づいていますクラリネットの合図でピッコロが哀愁を帯びた小鳥の鳴き声のような主題を演奏し、低弦ののっそりと起き上がるような旋律は第2番「復活」を髣髴とさせます。この楽章の白眉はポストホルンによるトリオによる郷愁に満ちた幻想的な詩です。ドイツ民謡6曲、スペインの舞曲1曲をにおわせるもので、この旋律はマーラー音楽の重要な要素で、「民族性を払拭した民謡」の好例です。「民謡風の旋律」、憧れ・郷愁・皮肉といった性質を持つ愛国精神たっぷりな国民楽派的作曲家には決して作れない音楽です。マーラーが「“オーストリアにおけるボヘミア人”、“ドイツにおけるオーストリア人”、そして“世界におけるユダヤ人”だから」なしえた高度な技術が感じられます。トランペットが唐突に鳴り響くと、スケルツォが自由に再現されます。ポストホルンのソロが名残惜しげに歌われ、クライマックスへ突き上がるための「突発」、結尾のリズムは愛らしく印象的です。


4楽章

マーラーの “正統派な”交響曲の頂点のひとつと言われる大曲の魅力_a0113718_08045955.jpg 「ツァラトゥストラはかく語りき」の中の「酔歌」をテキストにした歌曲楽章です。世界は深い!・・・世界の苦悩は深い!快楽それは心の苦悩よりもさらに深い!・・・・深い永遠を欲するのだ! アルトの旋律が第1楽章の内容を言葉で語っています アルトのソロはオペラのアリアのようにインパクトのある使い方が効果的です。


5楽章

 「少年の魔法の角笛」から「3人の天使が歌う」が引用天使たちの歌声・・・3人の天使が美しい歌をうたい、その声は幸福に満ちて天上に響き渡り、天使たちは愉しげに歓喜して、叫んだ。・・・・主イエスは食卓にお着き・・・・私がお前を見つめていると、お前は私のために泣いている」「心広き神よ!私は泣いてはいけないのでしょうか? 私は十戒を踏みにじってしまったのです。・・・・お前が十戒を破ったというなら、跪いて神に祈りなさい、・・・天国の喜びがイエスを通して、すべての人にも幸福への道として与えられました。


6楽章

 形而上学的な神の愛が表現されています。「旋律や動機の高次な発展」の冒頭の激情は、ついに愛へと昇華されたのです。木管が嘆くような第2主題)を出が出てきます。旋律は溶け合い、姿は判然としませんが、素晴らしい対位法の表現です。金管が叫ぶ悲劇的な第1楽章の「突発」に基づく旋律が第3主題へ。第3主題が最後の爆発をすると、音楽は強い不協和音のもとに一度崩壊します。引き裂かれた大地に、フルートとピッコロが寂漠とした第1主題を歌います。金管楽器が晴れやかに登場すると、第1主題は力を取り戻し、感動的に最後の変奏へと辿りつきます。ティンパニの4度連打を従え、マーラーらしからぬ肯定的な大団円を迎えます。


 マーラーは語っています。「愛としてのみ把握されうるものなのだ。生命のない自然ではじまり、神の愛まで高められてゆく。」個別的な自然がもう一段階高次な“自然”である、人類普遍の「神の愛」にまで高められる。理性を超えた、超現実の領域まで音楽が到達するのです。


 マーラーはこの到達点を後の作品で否定していくことになります。この完成度の高い第3番ですら、「階段的な上昇発展」の過程の中途の段階にすぎないのです。

 マーラーの交響曲第3番の第1楽章は、街頭的な美学の手法を一蹴してしまう、やさしいいたわりのような肯定的な感情に満たされています。素朴な美しさをもつ旋律の中に、騒がしさともいえるノイズを紛れ込ませて音楽を分断します。



 マーラーの交響曲第3番の狙った新しさは、紙芝居のように順繰りに見せる音楽、音楽は時間的統一ではなく、空間的広さを求めています。この曲の時間的な長さは、時間の多次元性を示すために必要とされます。交響曲第3番はロマン主義の文学に近く、ホフマンの小説を思わせます。グロテスクな音楽に執着した音楽家、野卑な滑稽さ、不気味な闇、にぎにぎしい騒がしさ、聖と俗の混交、これこそが前衛であり、神秘的な音空間が開ける時間的平和はアルカディア的です。


 交通の進歩と物流による大量消費社会を、マーラーの音楽は、他の音楽家とは比べ物にならない鮮やかさで表現しました。マーラーの交響曲は、たくさんの楽器、埋め尽くされた音楽家、行列を作って入ってくる合唱者、独唱者と音符の塊が大量に消費されていきます。闇の中で響くような不気味さから、大オーケストラの繊細で壊れそうな弱音の重なり合い、各楽器の表現力が極限まで馳駆しされています。突如女性歌手がニーチェを歌いだし、子供たちは素朴きわまりない鈴のような音色で歌いだします。目もくらむようなコントラストです。近代の産業社会とドイツロマン主義の結合を見るかのようです。天国から地獄までの振幅、深い陶酔、荒ぶる技術の耽溺を分裂のままリアルに生きるのだ、と言っているかのようです。


 マーラーの交響曲第3番は、夢幻的描写、大幅に拡大された時間空間、などマーラー以外ではありえない独特の世界を鮮明に展開しています。マーラーの頭の中に奔流のように勢いよく浮かび上がり、流れを形成していきます。何度か聞けばなんとなく流れがつかめるような気がします。そこには、貪欲と放縦と溢費の匂いがあります。

1015.12.11 NHKホール)




≪参考≫

第1楽章出だしの8本ホルン。トロンボーンのソロは強弱音の音色の使い分け。3回あるソロの2回目の弱音ソロでハイトーンの跳躍。第1楽章再現部8本のホルン行進曲主題が回帰したところのシンバルが3人でジャンとなったときは、シンバル3つ強奏とはこんな音になるんだと感心しました。第6楽章後半の長い弱音トランペットの吹奏の繊細さ。天上の音楽を聴くようで、じわじわと高揚していく幸福感はマーラーはやはり凄いと感じた瞬間です。




クリッサくすると、リンクして写真集を見ることができます。

白馬八方の高山植物







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by desire_san | 2016-01-05 08:08 | 音楽・オーディオ | Comments(45)
Commented by RyoRakusui at 2016-01-05 13:01
新年おめでとうございます。
コメントもありがとうございました。
壮大な音の世界を言葉で表現するという、思うようにならない困難と、挑戦する楽しみのようなものを感じました。
各楽章の標題は、ホロスコープのサビアンシンボルみたいですね。
本年も素敵な年に成りますように。
Commented by tullyz1 at 2016-01-05 14:27
あけましておめでとうございます。
こんなサイトをお持ちとは驚きました^^
素敵な写真と一緒にこうやって記録しておくと
お思い出になりますね。
紙のアルバムは枚数が多くなるとどうしても面倒になります。
今年もよろしくお願いいたします。
Commented by capricciosam at 2016-01-05 21:31
あけましておめでとうございます。
素敵な舞妓さんの写真の記事にコメントするつもりが、こちらの記事に目がとまりましたので、こちらにコメントさせていただきます。

>NHK交響楽団の第1824回定期演奏会
デュトワとともにネット上で好評でしたね。ソロのヒルギット・レンメルトさんは、札幌交響楽団とのマーラー「復活」で聴きましたが、もう一度聴きたい歌手の一人です。
Commented by desire_san at 2016-01-06 08:38
RyoRakusuiさん、コメントありがとうございます。
マーラーの音楽は壮大で、音の構成も複雑で、言葉で表現するのは大変難しいです。読んでいただいて大変うれしいですがマーラーの音楽のすばらしさをお伝えできたか自信がありませんが、自分としてはこれを書くためにマーラー:交響曲第3番をCDで何度も聴きなおして、マーラーの難曲の魅力がわかってきたように感じました。
Commented by desire_san at 2016-01-06 08:45
tullyz1さん、コメントありがとうございます。
私は海外旅行も芸術志向で、音楽、オペラ、バレエ、美術展なども含めて心に残ったものを感動の記録としてブログに残しております。何事でもそうですが、振り返って整理してみると、その時の感動がよみがえってきますね。なかなか続けるのは努力が必要ですが、 tullyz1さんのように読んでいただく方がいるとやる気が出てきます。
今年もよろしくお願いいたします。
Commented by desire_san at 2016-01-06 08:49
capricciosamさん、ヒルギット・レンメルトさんのソロとデュトワNHK交響楽団の演奏はとてもよかったです。マーラー「復活」も聴きたかったですね。マーラーの音楽は演奏が極めて難しく、ソリストやオーケストラの力量がはっきり出てしまいます。さすがにこのメンバーだと安心してマーラーの音楽が楽しめました。
Commented by kana-smart at 2016-01-06 13:03
マーラーの交響曲では、この第3番が良いですね。特に終楽章のフィナーレが、いつ聴いても心に響きます。
kana
Commented by desire_san at 2016-01-06 14:46
kanaさん、コメントありがとうございます。
マーラー通の方は、マーラーの交響曲第3番を好きな方が多いようですね。最もマーラーの良い意味で特徴がでている曲ということなのでしょうか。
Commented by REIKO at 2016-01-06 17:41
あけましておめでとうございます。
また、拙ブログにコメントをありがとうございます。

美しい画像の数々と精力的にアートな日々を送られていることに感銘いたしました。
今年一年がdesireさんにとって良い年になりますように!
Commented by moriann at 2016-01-06 21:05
ステキなプログのご招待ありがとうございます
音楽美術一応好きですが、所詮おばあちゃんの暇つぶし程度ですがこうした本格的ないろいろ見せていただけてとても刺激受けます ありがとうございます これからもいろいろ見せていただいて勉強させてください
よろしくお願いいたします
Commented by ばぁ~ばです at 2016-01-06 21:53
明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願い致します
新年のご挨拶嬉しく受け取りました 有難うございます
オーケストラの方は全く不得意で・・・申し訳ありません
舞子さんの方はお着物が立派で華やかですね!
殿方がお座敷でうっとり~するのが少々判ります ウフフ
昨年はコメント等は残しませんでしたけど
時々お邪魔していました・・・今年もこっそり覗かせて頂きますので
宜しくお願い致します。。。
Commented by akie_knit at 2016-01-07 00:10
コメントありがとうございます。
今年1年美術に音楽にといろんな芸術に向き合える時間を持てたらと思います。
素敵な写真みせていただけるようブログお邪魔させていただきます。
Commented by atelier-terra at 2016-01-07 01:57
とても美しい写真の数々、うっとりと拝見させて頂きました。
これからも楽しみにしておりますので
どうぞ宜しくお願いいたします。
Commented by 失われたアウラを求めて at 2016-01-07 11:37
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
N響のマーラー演奏は、聴き応え十分のようでなによりでした。ブログの内容からも演奏の充実ぶりがひしひしと伝わってきます。
おっしゃる通リ、マーラーの交響曲の中でも「特異」な作品で第1楽章が、ソナタ形式とは言え、長くてかなり聞きにくくもありますが、終楽章が圧倒的に感動的なので、救われます。曲が巨大で、偉大すぎるため、小生もブログでは、まだCDの「聴き比べ」ができない状態です。
2015年は、テミルカーノフ指揮(読響)、ノット指揮(東京交響楽団)で同曲を聴きましたので、12月N響の実演も聴きたかったのですが、12月は演奏会が10回ほどあったので、割愛。今となっては至極残念です。
Commented by desire_san at 2016-01-07 12:02
失われたアウラを求めて さん、コメントありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
マーラーの交響曲は価値観を受け入れた上で、マーラーの世界観を展開しているように感じます。。指揮者によっていろいろなマーラーいろいろな音楽表現ができるようですね。ノット指揮の演奏は好評だったようです。
Commented by shata3438 at 2016-01-07 17:03
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
マーラーは長すぎて苦手です。最近はもっはら室内楽のCDをNASに入れてネットワークオーディオやUSB-DACやUSBメディアで楽しんでいます。音が格段と良くなりました。次はアンプを買い替えようかと思っています。まだCDを150枚程しかNASに入れていません。
Commented by gokuraku-tonbo56 at 2016-01-07 17:25
明けましておめでとうございます!
・・・といっても1月になって1週間も過ぎてしまいました。
綺麗な写真と格調高い内容で、私のブログと大違いですが、
楽しく拝見させて頂き、また勉強させて頂いています。
今年は、山歩きをはじめようと思っています。
今年も宜しくお願い致します。


Commented by desire_san at 2016-01-07 23:00
shata3438さん、最近はデジタルオーディオでUSB-DAC機能やDLNA準拠のネットワークプレイヤー機能を搭載し、ハイレゾ音源をシンプルに楽しめるシステムがいろいろ開発されているようですね。私はタンノイなど英国製スピーカーを愛用する全くのアナログ派ですが、一度最新のデジタルオーディオシステムと音質比較したらどうか、興味はありますね。
Commented by desire_san at 2016-01-07 23:02
gokuraku-tonbo56さん、本年もよろしくお願いいたします。
私も今年は自然に触れる機会を増やしたいと思っています。
Commented by rosa55 at 2016-01-08 21:11
本年も宜しくお願い致します<(_ _)>
生演奏は素晴らしいでしょうね♪
詳しい説明を拝見し、ご一緒にマーラーの曲を聴いている気分になりました♪
Commented by pfaelzerwein at 2016-01-09 19:57
新年のご挨拶ありがとうございました。皆さまにも良い年でありますように。

「交通の進歩と物流による大量消費社会」、先日アルママーラーの映画をDLして観ましたが、自動車で峠を越えて、最も繁栄した時を迎えようとするニューヨークに客演する音楽家に適切な形容かと思います。産業革命近代化の歴史の中でヴァークナーからブルックナーへとの管弦楽団の大規模化を受け渡され、同時にその反映であるロマンティズムの終局に居た芸術家なのでしょう。

「時間的統一ではなく、空間的広さ」は、どうしてもあのしつこいと言われる時間的な流れと唐突な転換を必要とする「時間の多次元性」となるのですね。自宅でそれを体験するとなると、人迷惑でありなかなか難しいことではありますが。
Commented by desire_san at 2016-01-10 09:36
rosa55さん、マーラーの生演奏は素晴らしいですが、演奏する方からみると非常に難しい音楽です。ベートーベンやブルックナーのようにオーケストラ全体が糸つの方向に向かって突き進んでいく音楽と異なり、この寄り中のようにオーケストラのそれぞれの楽器が違った価値観を表現し、指揮者がそれを一つの音楽にまとめなければなりません。究極の難曲だと思っています。
Commented by desire_san at 2016-01-10 09:41
pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。
ルママーラーの映画、私もぜひ見てみたいと思います。きっとpfaelzerweinさんと同じように感じるでしょうね。
ご指摘のように、マーラーの交響曲とは、「時間的統一ではなく、空間的広さ」と「時間の多次元性」の体験でき、他の音楽では味わえない世界を体現できますね。
Commented by marupuri23 at 2016-01-10 22:29
先日は拙ブログへご挨拶をいただきありがとうございました。
良い演奏を聴かれたようで、何よりです。私はマーラーをほとんど聴きませんので、内容についてのコメントができず申し訳ないのですが、感銘を受けた様子が伝わってくる、力強い記事ですね。お互い、今年も充実した音楽鑑賞ができますように!
Commented by desire_san at 2016-01-11 07:41
marupuri23さん、ご丁寧にありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
Commented by Artheigler at 2016-01-12 22:33
マーラーの魅力は、まずは「多様性・多義性」、拡大されたオーケストラ及び声楽、まさにマーラー自身の言葉ですが「交響曲は世界のようでなければならない。すべてを包含するものでなければならない」と言った言葉に集約されているかと思います。マーラーほど、各交響曲の性格が全く違うシンフォニストは私には思い浮かびません。それぞれの作品が全く違った趣旨をもち、かつ説得力を伴う編成、オーケストレーション、メロディー、リズム、なおかつロマン的情緒が胸を打ちます。まさに、(当時のヨーロッパを中心とする芸術音楽の)全ての音楽的要素が入っていると思うのです。生と死、光と闇、娯楽性と悲劇性、これらの対比も素晴らしいです。
Commented by Mastra_Yawata at 2016-01-13 06:57
こんにちは。アマオケのコンサートマスターをしているものです。マーラー交響曲は、演奏する立場からすると多彩なメロディの織りなすハーモニーを消化するのが大変難しいです。他の桶の演奏を聴いて感ずるのは、1楽章にも3楽章にも、6楽章にも、こんな響きがあっただろうかという違和感を時々感じます。おおそらく指揮者がそのオケの力量を知っているため、一番聴かせたいパートのアンサンブルを際立たせようと、他の楽器の演奏を楽譜の指示より弱めにしたり、早めに休符に切り替えたりしていないからのように思えます。指揮者はそうしようとしても、その意図が十分メンバーに周知させなかったたためかもしれません。マーラーの短期間で一気に書かれた譜面を、深い洞察力を持たず、ままに長大な交響曲を演奏してしまえば、演奏が破綻してしまうということなりうるのだと思います。それがマーラーなのだろうということで、例えば、ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団の97年録音版を聴いてみると100分という時間はあっという間に過ぎ、全く違和感感じさせない名演になっています。それは、ラトルにより、様々な工夫が凝らされていて、バーミングガム市響のメンバーもそれによく応えているからだと思います。マーラー交響曲をバランスの崩れた部分を気にしながら聴くのは何とも心地よくないものです。私たちのオケでマーラー交響曲を演奏した時も、観客の方にそんな辛い思いをさせてしまったのかと思うと、なかなか我々のようなアマオケはらは、プログラムにマーラー交響曲を取り上げるのは、葬送の覚悟が必要だと思ってしまうのです。
Commented by desire_san at 2016-01-13 07:46
Mastra_Yawataさん、実際オーケストラを演奏される方からのコメント、大変感謝しております。マーラーの交響曲を演奏する難しさが分かったような気がします。聴く私たちも、そういうことを考えながら聞くと、マーラーの音楽の奥の深さが少しでもわかるような気がします。貴重なご見解ありがとうございます。
Commented by Andrea_88 at 2016-01-22 22:50
こんにちは。マーラーの記事を興味深く拝読いたしました。マーラーの3番は意欲作ですが、若さが漲っていた頃の作品です。マーラーは、音楽のテーマとしては「人生の肯定」を掲げましたが、ユダヤ人として、さすさすらい人という意識から抜け切れなかった孤独感もマーラーの本質な気もしています。マーラーがブームになったのは1980年代で、グローバル化が進み、世界中で先進国の経済成長が鈍化し、価値観の多様化と貧富の差の拡大が始まり、明るい未来が期待できなくなったこの世の現実の中で、メルヘン的な夢を見させてくれる音楽だったのではないかと思います。
Commented by Masayuki_Mori at 2016-01-22 23:25
現代社会はグローバル化が進み、世界中で先進国の経済成長が鈍化し、貧富の差の拡大し、多様な価値観で物事を考えていかないと理解できない時代になってきました。ドイツ古典音楽は、方向性が明確で、特定の価値観もある意味で押しつけられているようなところがあり、価値感の多様性を認めないところがあるように感じます、それに対してマーラーの交響曲は、強者、弱者、この世の良い面、理不尽、矛盾、喜び、悲しみとこの世のすべてを飲み込んで、それでも前を向いて生きろよ、といつているように感じます、このような何もかも飲み込んでしまう大きさは、マーラーのユダヤ性に起因するところも多いような気がします。現在の複雑で難しい社会を生きる上で、マーラーの音楽は生きる力を与えてくれるのではないかと期待しています。
Commented by Feloreria_milo at 2016-01-23 12:00
こんにちは。興味深い議論を拝読し、一言書かせていただきます。1980年代で、グローバル化が進み、世界中で先進国の経済成長が鈍化し、価値観の多様化と貧富の差の拡大が始まり、明るい未来が期待できなくなったこの世の現実の中で、人類はいかに多様な価値観に対し結論が出せず悩んでいると思います。こんなとはマーラーは音楽のテーマとしては「人生の肯定」を掲げました。マーラーがブームになったのはメルヘン的な夢を見させてくれる音楽を人類が求めていたことと符合しているように思います。「強者、弱者、この世の良い面、理不尽、矛盾、喜び、悲しみとこの世のすべてを飲み込んで、それでも前を向いて生きろよ」「今こそが正念場なの一丸となり危機を乗り越え危機をチャンス変えていこう」「火事はもうすぐそこまで迫っているにもかかわらず、希望に満ちた新年が目の前に開けた」と勘違いしている現代人に似ています。第3交響曲の頃は、そんな雰囲気に感じます。
Commented by Harmonie_nalsis at 2016-01-23 12:04
調性音楽の歴史史的にみると、マーラーの位置づけは難しいところがあります。音楽的にはバッハが確立した調性音楽の限界ギリギリ、ハイドンが確立したソナタ形式の発展という破壊に進んでいます。調整破壊の萌芽はワーグナーと言われています。マーラーは自身調性音楽への拘りを捨てきれず、調整破壊の萌芽の可能性を見つけ得なかったのだろうと思います。それは第9交響曲の第1楽章に諦観を持って聴かれます。マーラーはシェーンベルクへの期待はあり彼を擁護しましたが、シェーンベルクの音楽は理解できなかったようです。その後に音楽は調性音楽に未練を捨てたウェーベルンへと発展します。

Commented by Denmark_Maisutr at 2016-01-23 12:06
ベートーヴェンは、悩みましたが信念がありました。それが交響曲と言う形式を完成させた原動力になり、あの第9の高揚があり確固たる意思がありました。ベートーヴェンやシューマン、ブルックナーはメロディー重視で、音楽の響きで空間を塗りつぶしたりしませんでしたが、マーラーは編成の巨大化と長時間化へと進み、曲に調整破壊を盛り込もうとしましたが、その結果がまとまりに欠ける構成ではないのかと思います。 そのまとまりに欠ける構成と、破滅寸前でありながらギリギリ寸止めの陶酔感がマーラーの音楽の魅力の核心ではないかと思います。

Commented by Opemania_Karaki at 2016-01-23 12:07
マーラーの3番は意欲作ですが、若さが漲っていた頃の作品です。マーラーの音楽には酸いも甘いもその他諸々雑多に存在すると思います。交響曲3番に関しても苦心して統一感を持たせようとしていますがとりとめのなさは否めません。第6楽章のあとにもう1楽章あるはずだったそうです、マーラーの音楽は大編成のオーケストラを必要と、スコアに時に具体的、時に抽象的な指示を書き込み、音の響きや透明感にこだわりました。マーラーにはベートーヴェンのように一作ずつ歴史を打ち砕いていく信念がなく、あったのは不安と危機感でした。第5番以降になると室内楽的モノホニーからポリホニーへの脱却を図りますが、彼には馴染まず、モノホニーの作曲家にはなれなかったようです。
Commented by Quaritia_559 at 2016-01-23 12:08
マーラーはユダヤ人で自身を「根無し草」といっています。ユダヤ人として、さすさすらい人という意識から抜け切れなかった孤独感がマーラーの本質のような気がします。「大地の歌」、第9交響曲になると彼自身の限界と現実を自覚してきたようで、その無念さ悲しさは胸が詰まります。マーラーの音楽に普遍性を見いだすなら、それは真剣に悩んだそのあまりに生々しい傷跡だからではないでしょうか。

Commented by shroshi at 2016-01-24 09:54
こんにちは。ご無沙汰しております。興味深い議論になっているので、一言科せていただきます。
現代、グローバル化社会になり、日本をはじめ、世界中が新自由主義に影響され、経済優先社会に向かっています。経済至上主義は、先進国、新興国の世界各国に蔓延し、富の集中化、格差の拡大、貧困層の増大を招いています。マルクス主義の壮大な社会実験は失敗し、西欧の福祉社会の理想も崩れていく方向に動いています。その中で生き残りをかけた競争は激しさを増し、平等、公平な社会や日々安泰に暮らせる社会のの実現を目指す政治運動も、政治思想も、現実社会に追い詰められせて、答えを失ついます。
Commented by shroshi at 2016-01-24 10:08
(続きです。) マーラーはこのような現実に向き合って音楽の中に、いろいろな層の人たちや価値観を含めようとしているという見方は共感致します。しかし、マーラーは芸術家で、政治、製材思想の専門家ではないので、マーラーの音楽に、現代社会の問題や矛盾の答えを求めること自体無理があると思います。それは、ベートーヴェンやワーグナーについても同様です。現実社会に対して音楽に役割があるとすれば、人々に気持ちの安らぎを与えること、社会を支配している価値観と別の視点を提供することくらいだと思います。バッハは、キリスト教の愛と慈しみの思想を人々に提供しました。モーツアルトやイタリアの喜劇的オペラは、社会を支配している価値観に縛られて生きることのバカバカしさをを音楽で示しました。これらはすぐには大きな力にはならないかもしれませんが、人類の未来を明るい方向に修正していく可能性を秘めていると信じています。
Commented by Grand_wagnerian at 2016-01-25 13:01
吉田秀和氏は著書『マーラー』で、「マーラーは決して自己中心に終結できず、自分をとりまく外部世界に対し、いつも注意深い態度で立ち向かわずにいられなかった。「生と死」とか「復活」とか「人生と自然の意味」とか、自分一己を超えた普遍的な問題への答えを常に求めていた人である。それが彼の交響曲の中に、森、花、小鳥、霧、風といった自然に通じる響きが吹き通っている理由だし、天使や子供のように人間の隣にいて、しかも人間を超えた存在に対する比類のない柔らかな感応性の働きや豊かな幻想性となって、彼の音楽のいたるところに光と色を与えている。」と言っています。マーラーの音楽はロマン派音楽の到達点と見ることができるし、その後の現代音楽の萌芽・出発点と見ることもできると思います。
Commented by 風見鶏 at 2016-01-25 13:10
マーラーの最後の交響曲、第9番は、生と死の音楽であることは間違いありません。死は恐怖であると同時に憧憬の彼方にある。夭逝と死の浄化への密かな焦がれ。自我に目覚めた困惑とともに透明な喪失感にも満ちています。そういう青春期独特の生と死の痛切な混沌が、この曲から聞こえてきます。決して、老境にあっての死への恐怖や、病的な躁鬱や分裂などではありません。しかし、カラヤンの晩年の演奏で聴くと、時として意外に思えるような若々しい感情やエロスを感じます。芸術と技巧の極みを尽くして彫琢したベルリンフィルの究極のアンサンブルの一瞬一瞬を、録音技術の粋を凝らして捉ています。これはマーラーの音楽の本質を表現しているのではないでしょうか。
Commented by Yuriko at 2016-01-25 22:19
いろいろなご意見が出ているようですが、私は音楽はあまり深く考えず、素直に音楽の美しさに浸ればよいと思っています。マーラーの交響曲 第3番は、第1楽章は、8本のホルンが吹く旋律で始まる壮大な行進曲風で迫力充分で胸が躍り、第2楽章はどこか鄙びたメルヘンの世界、第3楽章はユーモラスな場面とポストホルンが歌う夢のような場面が交差します。第4楽章は、アルト独唱で「真夜中の歌」を静かに歌い、第5楽章は、女声&児童合唱と独唱が「子供の魔法の角笛」の「3人の天使が歌い」を明るく歌います。最後の第6楽章は、主題を奏で始める瞬間が素晴らしく、大河がうねるように進むフィナーレはマーラーの全交響曲中もっとも美しく感動的です。音楽は理屈で聴くのではなく、感じるままに素直に美しさを味わうのが本当の楽しみ方ではないでしょうか。
Commented by Work List at 2022-10-11 13:01
正統派の定義とは何か?





Commented by dezire-san at 2022-10-11 13:03
マーラー:交響曲第3番は この交響曲は“自然”を描いたものとしてしばしば紹介されます。しかしここで描かれている“自然”は“普遍”とも言える性質のもの。マーラー自身このように語っています。私がどのように音楽を作るかのひとつのサンプルが含まれています。それはいつだってどんな場合にも自然の響きなのです! 作曲中にアンナ・フォン・ミルデンブルクに宛てた手紙の中では、交響曲は、世界がいまだかつて聴いたことがないようなものになるでしょう!そこでは全自然が自らの声を得て、人がかろうじて夢の中でだけ予感しうるような深い秘密を語るのです!実は、いくつかの箇所ではわれながら不気味な感じに襲われることがあります。全く自分が作ったものとは思われないからです。私の思い通りに仕上げたものを、すべてただ受け取っただけ、そんな感じがするのです。と語っています。マーラーはこの第3番で人間存在の原風景とも言うべき、理性を超えた普遍的な自然を描き出していると言えるでしょう。マーラーにとって、まさに中庸、正統派の表現とはこのことで、 抑えるところは抑える、出すところは出すといった表現です。





Commented by High_Rezo at 2022-10-11 13:07
OK, Isee what you mean. But, what about No. 2? Isn't it opne og the best of Mahler? Or, what about No. 8? And what about No. 9. Maybe



Commented by dezire-san at 2022-10-11 13:14
交響曲第3番は世界一長い交響曲と言われ、好みの分かれる曲です。しかし、第2番『復活』と共にマーラーの原点が良く分かる曲です。自然賛歌と捉えている方も多いようですが、少し異なりパストラルはヨーロッパ独自の文化の上にあります。パストラルはギリシャ神話の影響を受けていて理想郷(アルカディア)を描いています。文学(失楽園)や絵画のジャンルとして有名ですが、単に理想郷を描いているわけではなく、その対極にある現実も同時に描いているのです。第4楽章はニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」から採っています。『ツァラトゥストラ』はフリードリヒ・ニーチェが1883年~1885年に書いた物語で、ニーチェの哲学が反映されています。当時の哲学・芸術に大きな影響を与えました。最初、この本はほとんど売れなかったようです。ツァラトゥストラは山に籠って修行をしていましたが「神は死んだ」ということを知り、神に代わる超人を説きます。ギリシャ神話の自然観に戻る方向の思想です。ニーチェの「ツァラトゥストラ」はこの時代の音楽を聴くなら読んでおくと理解が深まります。長いですけれど、そこまで難しくはありません。



Commented by desire_san at 2022-10-12 00:12
一番や七番もそうですね。マーラーは自然が多いです。ザルツカンマーグートで作曲したんでしょう。晩年の取るプラッハの作曲小屋は訪問しましたが、ザルツカンマーグートは自分のクラリネット協奏曲を初演しただけで作曲小屋を見る時間はありませんでした。残念です。