マーラーの “正統派な”交響曲の頂点のひとつと言われる大曲の魅力
マーラー:交響曲第3番ニ短調
Mahler “Symphony No. 3”

マーラーは勝手に体が書いたと言っておりますが、これは、減退アートのオートマティスムを連想させます。各楽章に「理解を助ける」標題を付けて下のようなプログラムとして初演されました。
『夏の朝の夢』
第一部
第1楽章
序奏 牧神が目覚める、夏が行進してやってくる(バッカスの行進)
第二部
第2楽章 草原の花たちが私に語ること
第3楽章 森の獣たちが私に語ること
第4楽章 人間が私に語ること
第5楽章 天使が私に語ること
第6楽章 愛が私に語ること 父様は僕の傷口を見てくださる
標題はあくまで理解の補助に過ぎません。音楽を何度も聞いていると、そこには広大無辺なマーラー世界が展開されています。
Mahleroriginally envisioned a seventh movement, "Heavenly Life"(alternatively, "What the Child Tells Me"), but he eventually droppedthis, using it instead as the last movement of the Symphony No. 4. Indeed,several musical motifs taken from "Heavenly Life" appear in the fifth(choral) movement of the Third Symphony. The symphony, particularly due to theextensive number of movements and their marked differences in character andconstruction, is a unique work. The opening movement, colossal in itsconception, roughly takes the shape of sonata form, insofar as there is analternating presentation of two theme groups; however, the themes are variedand developed with each presentation, and the typical harmonic logic of thesonata form movement—particularly the tonic statement of second theme groupmaterial in the recapitulation—is changed. clarification needed. The symphonystarts with a modified theme from the fourth movement of Brahms' first symphonywith the same rhythm, but many of the notes are changed.
非常に堂々とした雰囲気で始まります。まず,8本のホルンのユニゾンで力強い第1主題、この主題は、ブラームスの交響曲第1番の第4楽章を短調に置き換えたようなところがあります。ホルン8本の斉奏による序奏、ホルンが一斉に噴き出す重々しい主題、野卑な重たさと力強さがあります。分厚いブラスの響きが、パーンが精力の象徴の神を示しており、パーンが目覚める夏かやってくる少しエロチックな響きにも思えます。ニーチェの言説になぞらえて、「昼」と「夜」は、第2主題部を「夏が行進してやってくる(バッカスの行進)」と捉えると、この第1主題部はさ「冬の音楽」としても良いかもしれません。第1楽章はこの「冬」と「夏」の2つの対照的な主題部が3度にわたり繰り返されます。
その後,静かになり,葬送行進曲風になり、トランペットで信号のような音が入ると夏が近づいた森の情景とも言われています。ホルンで「タ・タ・ターン」という音型が第2主題です。この動機は第1主題の一部が使われています。ホルンとトランペットと絡み合いながら進んでいきます。第3主題部に入り、目覚めるパン(牧神)が描かれます。弦のトレモロの上にフルートが爽やかなメロディを吹き,次にオーボエが滑らかに歌い始め、これを独奏ヴァイオリンが引き継ぎます。その後,少し楽しげでざわざわした雰囲気になり、長い休止が入り一区切りします。
重々しい行進曲のリズムが再現し、その上でトロンボーンが第2主題を長々と演奏し始めます。次に第3主題が低弦とオーボエで繰り返されます。新しい動きが出てきて,本格的に牧神が目覚めはじめ,軽やかな行進曲風になります。クラリネットがその上に第4主題を出します。この後出てきた主題がいろいろ変形されて出てきて,次第に盛り上がっていきます。その頂点で,トロンボーンが第1主題を浮かび上がらせます。ハープのグリッサンドで華やかな雰囲気になり,呈示部が終わります。
展開部はホルンの第2主題で始まります。トランペットの信号風の動機と絡みながら、トロンボーンのソロ,イングリッシュホルンのソロと続いた後,弦楽のトレモロが現れ,独奏ヴァイオリンが登場します。静かな中で鳥や動物が鳴き声を出しているような部分が続きます。各主題が複雑に絡み合ううちに次第に大きな盛り上がりを築き,ティンパニのうねりの上に,金管が華やかに幾つかのメロディ、それが徐々に静かになり,小太鼓が突如全然別のテンポで入って来ます。そこにホルンの第1主題が登場し,再現部に入ります。この再現部は呈示部よりも縮小されていますが,主題は順序どおりに再現します。最後に呈示部の時以上に華やかなコーダが続きます。ハープのグリッサンドの後,さらに高潮し,その最高のところで第1楽章は結ばれます。
第2楽章
マーラーの交響曲としては大変珍しく,優雅なメヌエット風の雰囲気で始まります。基本的には,2つの主題が交互に出てくるような形式となっています。 「草原の花たちが私に語ること」。 メヌエットへの愛情をこめた音楽を素晴らしいオーケストレーションとユーモアを堪能できます。
オーボエが優雅なメヌエット主題を出した後,この主題をいろいろな楽器が扱っていきます。トリオは2回出てきます。最初は,フルートとヴィオラで出てきます。テンポはかなり速いもので,次第に華やかに盛り上がっていきます。再度,冒頭のメヌエット主題が出てきた後,再度,トリオの主題が出てきます。今度はオーボエとクラリネットで演奏されます。主要主題が今度はフルートとヴィオラで再現した後,コーダに入ります。最後は独奏ヴァイオリンのフラジオレットの高音で結ばれます。
第3楽章
森の獣たちが私に語るスケルツォ楽章の楽章で、歌曲集「若き日の歌」第11曲の<夏に小鳥はかわり>に基づいていますクラリネットの合図でピッコロが哀愁を帯びた小鳥の鳴き声のような主題を演奏し、低弦ののっそりと起き上がるような旋律は第2番「復活」を髣髴とさせます。この楽章の白眉はポストホルンによるトリオによる郷愁に満ちた幻想的な詩です。ドイツ民謡6曲、スペインの舞曲1曲をにおわせるもので、この旋律はマーラー音楽の重要な要素で、「民族性を払拭した民謡」の好例です。「民謡風の旋律」、憧れ・郷愁・皮肉といった性質を持つ愛国精神たっぷりな国民楽派的作曲家には決して作れない音楽です。マーラーが「“オーストリアにおけるボヘミア人”、“ドイツにおけるオーストリア人”、そして“世界におけるユダヤ人”だから」なしえた高度な技術が感じられます。トランペットが唐突に鳴り響くと、スケルツォが自由に再現されます。ポストホルンのソロが名残惜しげに歌われ、クライマックスへ突き上がるための「突発」、結尾のリズムは愛らしく印象的です。
第4楽章
「ツァラトゥストラはかく語りき」の中の「酔歌」をテキストにした歌曲楽章です。世界は深い!・・・世界の苦悩は深い!快楽−それは心の苦悩よりもさらに深い!・・・・深い永遠を欲するのだ! アルトの旋律が第1楽章の内容を言葉で語っています アルトのソロはオペラのアリアのようにインパクトのある使い方が効果的です。
第5楽章
「少年の魔法の角笛」から「3人の天使が歌う」が引用天使たちの歌声・・・3人の天使が美しい歌をうたい、その声は幸福に満ちて天上に響き渡り、天使たちは愉しげに歓喜して、叫んだ。・・・・主イエスは食卓にお着き・・・・私がお前を見つめていると、お前は私のために泣いている」「心広き神よ!私は泣いてはいけないのでしょうか? 私は十戒を踏みにじってしまったのです。・・・・お前が十戒を破ったというなら、跪いて神に祈りなさい、・・・天国の喜びがイエスを通して、すべての人にも幸福への道として与えられました。
第6楽章
形而上学的な神の愛が表現されています。「旋律や動機の高次な発展」の冒頭の激情は、ついに愛へと昇華されたのです。木管が嘆くような第2主題)を出が出てきます。旋律は溶け合い、姿は判然としませんが、素晴らしい対位法の表現です。金管が叫ぶ悲劇的な第1楽章の「突発」に基づく旋律が第3主題へ。第3主題が最後の爆発をすると、音楽は強い不協和音のもとに一度崩壊します。引き裂かれた大地に、フルートとピッコロが寂漠とした第1主題を歌います。金管楽器が晴れやかに登場すると、第1主題は力を取り戻し、感動的に最後の変奏へと辿りつきます。ティンパニの4度連打を従え、マーラーらしからぬ肯定的な大団円を迎えます。
マーラーは語っています。「愛としてのみ把握されうるものなのだ。生命のない自然ではじまり、神の愛まで高められてゆく。」個別的な自然がもう一段階高次な“自然”である、人類普遍の「神の愛」にまで高められる。理性を超えた、超現実の領域まで音楽が到達するのです。
マーラーはこの到達点を後の作品で否定していくことになります。この完成度の高い第3番ですら、「階段的な上昇発展」の過程の中途の段階にすぎないのです。
マーラーの交響曲第3番の第1楽章は、街頭的な美学の手法を一蹴してしまう、やさしいいたわりのような肯定的な感情に満たされています。素朴な美しさをもつ旋律の中に、騒がしさともいえるノイズを紛れ込ませて音楽を
マーラーの交響曲第3番の狙った新しさは、紙芝居のように順繰りに見せる音楽、音楽は時間的統一ではなく、空間的広さを求めています。この曲の時間的な長さは、時間の多次元性を示すために必要とされます。交響曲第3番はロマン主義の文学に近く、ホフマンの小説を思わせます。グロテスクな音楽に執着した音楽家、野卑な滑稽さ、不気味な闇、にぎにぎしい騒がしさ、聖と俗の混交、これこそが前衛であり、神秘的な音空間が開ける時間的平和はアルカディア的です。
交通の進歩と物流による大量消費社会を、マーラーの音楽は、他の音楽家とは比べ物にならない鮮やかさで表現しました。マーラーの交響曲は、たくさんの楽器、埋め尽くされた音楽家、行列を作って入ってくる合唱者、独唱者と音符の塊が大量に消費されていきます。闇の中で響くような不気味さから、大オーケストラの繊細で壊れそうな弱音の重なり合い、各楽器の表現力が極限まで馳駆しされています。突如女性歌手がニーチェを歌いだし、子供たちは素朴きわまりない鈴のような音色で歌いだします。目もくらむようなコントラストです。近代の産業社会とドイツロマン主義の結合を見るかのようです。天国から地獄までの振幅、深い陶酔、荒ぶる技術の耽溺を分裂のままリアルに生きるのだ、と言っているかのようです。
マーラーの交響曲第3番は、夢幻的描写、大幅に拡大された時間空間、などマーラー以外ではありえない独特の世界を鮮明に展開しています。マーラーの頭の中に奔流のように勢いよく浮かび上がり、流れを形成していきます。何度か聞けばなんとなく流れがつかめるような気がします。そこには、貪欲と放縦と溢費の匂いがあります。
(1015.12.11 NHKホール)
≪参考≫
第1楽章出だしの8本ホルン。トロンボーンのソロは強弱音の音色の使い分け。3回あるソロの2回目の弱音ソロでハイトーンの跳躍。第1楽章再現部8本のホルン行進曲主題が回帰したところのシンバルが3人でジャンとなったときは、シンバル3つ強奏とはこんな音になるんだと感心しました。第6楽章後半の長い弱音トランペットの吹奏の繊細さ。天上の音楽を聴くようで、じわじわと高揚していく幸福感はマーラーはやはり凄いと感じた瞬間です。
クリッサくすると、リンクして写真集を見ることができます。
白馬八方の高山植物
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コメントもありがとうございました。
壮大な音の世界を言葉で表現するという、思うようにならない困難と、挑戦する楽しみのようなものを感じました。
各楽章の標題は、ホロスコープのサビアンシンボルみたいですね。
本年も素敵な年に成りますように。
こんなサイトをお持ちとは驚きました^^
素敵な写真と一緒にこうやって記録しておくと
お思い出になりますね。
紙のアルバムは枚数が多くなるとどうしても面倒になります。
今年もよろしくお願いいたします。
素敵な舞妓さんの写真の記事にコメントするつもりが、こちらの記事に目がとまりましたので、こちらにコメントさせていただきます。
>NHK交響楽団の第1824回定期演奏会
デュトワとともにネット上で好評でしたね。ソロのヒルギット・レンメルトさんは、札幌交響楽団とのマーラー「復活」で聴きましたが、もう一度聴きたい歌手の一人です。
マーラーの音楽は壮大で、音の構成も複雑で、言葉で表現するのは大変難しいです。読んでいただいて大変うれしいですがマーラーの音楽のすばらしさをお伝えできたか自信がありませんが、自分としてはこれを書くためにマーラー:交響曲第3番をCDで何度も聴きなおして、マーラーの難曲の魅力がわかってきたように感じました。
私は海外旅行も芸術志向で、音楽、オペラ、バレエ、美術展なども含めて心に残ったものを感動の記録としてブログに残しております。何事でもそうですが、振り返って整理してみると、その時の感動がよみがえってきますね。なかなか続けるのは努力が必要ですが、 tullyz1さんのように読んでいただく方がいるとやる気が出てきます。
今年もよろしくお願いいたします。
マーラー通の方は、マーラーの交響曲第3番を好きな方が多いようですね。最もマーラーの良い意味で特徴がでている曲ということなのでしょうか。
また、拙ブログにコメントをありがとうございます。
美しい画像の数々と精力的にアートな日々を送られていることに感銘いたしました。
今年一年がdesireさんにとって良い年になりますように!
音楽美術一応好きですが、所詮おばあちゃんの暇つぶし程度ですがこうした本格的ないろいろ見せていただけてとても刺激受けます ありがとうございます これからもいろいろ見せていただいて勉強させてください
よろしくお願いいたします
本年も宜しくお願い致します
新年のご挨拶嬉しく受け取りました 有難うございます
オーケストラの方は全く不得意で・・・申し訳ありません
舞子さんの方はお着物が立派で華やかですね!
殿方がお座敷でうっとり~するのが少々判ります ウフフ
昨年はコメント等は残しませんでしたけど
時々お邪魔していました・・・今年もこっそり覗かせて頂きますので
宜しくお願い致します。。。
今年もよろしくお願いします。
N響のマーラー演奏は、聴き応え十分のようでなによりでした。ブログの内容からも演奏の充実ぶりがひしひしと伝わってきます。
おっしゃる通リ、マーラーの交響曲の中でも「特異」な作品で第1楽章が、ソナタ形式とは言え、長くてかなり聞きにくくもありますが、終楽章が圧倒的に感動的なので、救われます。曲が巨大で、偉大すぎるため、小生もブログでは、まだCDの「聴き比べ」ができない状態です。
2015年は、テミルカーノフ指揮(読響)、ノット指揮(東京交響楽団)で同曲を聴きましたので、12月N響の実演も聴きたかったのですが、12月は演奏会が10回ほどあったので、割愛。今となっては至極残念です。
今年もよろしくお願いいたします。
マーラーの交響曲は価値観を受け入れた上で、マーラーの世界観を展開しているように感じます。。指揮者によっていろいろなマーラーいろいろな音楽表現ができるようですね。ノット指揮の演奏は好評だったようです。
今年もよろしくお願いいたします。
マーラーは長すぎて苦手です。最近はもっはら室内楽のCDをNASに入れてネットワークオーディオやUSB-DACやUSBメディアで楽しんでいます。音が格段と良くなりました。次はアンプを買い替えようかと思っています。まだCDを150枚程しかNASに入れていません。
・・・といっても1月になって1週間も過ぎてしまいました。
綺麗な写真と格調高い内容で、私のブログと大違いですが、
楽しく拝見させて頂き、また勉強させて頂いています。
今年は、山歩きをはじめようと思っています。
今年も宜しくお願い致します。
私も今年は自然に触れる機会を増やしたいと思っています。
「交通の進歩と物流による大量消費社会」、先日アルママーラーの映画をDLして観ましたが、自動車で峠を越えて、最も繁栄した時を迎えようとするニューヨークに客演する音楽家に適切な形容かと思います。産業革命近代化の歴史の中でヴァークナーからブルックナーへとの管弦楽団の大規模化を受け渡され、同時にその反映であるロマンティズムの終局に居た芸術家なのでしょう。
「時間的統一ではなく、空間的広さ」は、どうしてもあのしつこいと言われる時間的な流れと唐突な転換を必要とする「時間の多次元性」となるのですね。自宅でそれを体験するとなると、人迷惑でありなかなか難しいことではありますが。
ルママーラーの映画、私もぜひ見てみたいと思います。きっとpfaelzerweinさんと同じように感じるでしょうね。
ご指摘のように、マーラーの交響曲とは、「時間的統一ではなく、空間的広さ」と「時間の多次元性」の体験でき、他の音楽では味わえない世界を体現できますね。
良い演奏を聴かれたようで、何よりです。私はマーラーをほとんど聴きませんので、内容についてのコメントができず申し訳ないのですが、感銘を受けた様子が伝わってくる、力強い記事ですね。お互い、今年も充実した音楽鑑賞ができますように!
本年もよろしくお願いいたします。
現代、グローバル化社会になり、日本をはじめ、世界中が新自由主義に影響され、経済優先社会に向かっています。経済至上主義は、先進国、新興国の世界各国に蔓延し、富の集中化、格差の拡大、貧困層の増大を招いています。マルクス主義の壮大な社会実験は失敗し、西欧の福祉社会の理想も崩れていく方向に動いています。その中で生き残りをかけた競争は激しさを増し、平等、公平な社会や日々安泰に暮らせる社会のの実現を目指す政治運動も、政治思想も、現実社会に追い詰められせて、答えを失ついます。


