美しき三角関係?プラトニックな愛の物語

クララ・シューマンは、19世紀に活躍した女流ピアニストでした。幼少時代は、「第二のモーツァルト」といわれた神童で、19世紀当時、圧倒的人気を誇っていた女流ピアニストであり、ショパンは「僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性」と絶賛され、ゲーテも「才能ある芸術家クララ・ヴィークのために」という銘文を刻んだメダルを贈りました。
ClaraSchumannwas a German musician and composer, considered one of the mostdistinguished pianists of the Romantic era. She exerted her influence over a61-year concert career, changing the format and repertoire of the piano recitaland the tastes of the listening public. Her husband was the composer RobertSchumann. Together they encouraged Johannes Brahms.
クララは作曲家ロベルト・シューマンと結婚しました。ロベルト・シューマンはクララのために、歌曲集『ミルテの花』作品25を作曲して結婚式の前夜にミルテの花を添えて、クララに贈ったと言われています。「君は僕の魂、君は僕の心」で始まる恋人を慕う熱烈な恋の歌は、シューマンの気持ちを代弁したものと考えられています。
Marriagewas a source of great happiness for both Clara and Robert, but he had mixedfeelings about her ongoing career as a traveling virtuoso. He revered herachievements and collaborated with her constantly, but he was not alwayscomfortable with the untraditional nature of their marriage; she was morefamous than he was, and the earnings from her performances far surpassed hisown income. Moreover, they had eight children. Consequently, she reduced herschedule of concert tours at times, but after his hospitalization in 1854 anddeath in 1856, she became a full-time performer once again, with great success.For the remainder of her life, she ranked among the world’s leading pianists.She was a strong advocate for the works of her husband and of her friendBrahms, and she was known for the seriousness of her repertoire and herdemeanor; she was often called a “priestess” of music. She usually performedfrom memory, before this became customary. In 1878, she joined the faculty ofthe Frankfurt Conservatory, where she taught until 1892. She gave her lastrecital in Frankfurt in 1891, and she died there in
クララ・シューマンの時代、彼女の7歳年上にフランツ・リストがいました。リストはピアニストとして女性ファンが熱狂する人気ピアニストで、超絶的技巧と大きな音量と音の強弱の起伏の激しさで聴く人を圧倒し、観客を熱狂させるピアニストでした。クララ・シューマンはフランツ・リスト、アントン・ルビンシテインらと同等の評価を受けていましたが、極端なテンポなどで好きなように音楽を装飾するリストの演奏には否定的でした。クララ・シューマンは、ピアノの詩人と言われる内向的で神経質だが繊細で詩情にあふれるショパンの音楽を愛しました。
クララ・シューマンは音楽の作曲にも情熱を持っていたようです。クララ・シューマンの作曲した作品は、モーツァルトやベートーヴェンが同年代の頃に書いたものと比較しても遜色がなく、作曲をやめていなかったら彼女は最高の作曲家になっていたという意見もありました。フランツ・リストも、クララ・シューマンの作品を高く評価していました。
FriedrichWieck encouraged Clara to perform the newest and finest music of the 1820s and1830s including Carl Maria von Weber's piano sonatas, and Frederic Chopin'slatest works. She played them in the salons of Leipzig's rich and famous. Alongwith Felix Mendelssohn, the poet Goethe was among her admirers. Clara madeconcert tours to Dresden, Paris, Berlin, and Vienna. In Vienna Clara receivedwhat was, for her father, the highest possible validation of his efforts asmusic teacher; the Emperor honored Clara with the title of Royal and ImperialChamber Virtuosa, a great distinction. Clara had earned a reputation as amusical child genius, a pianist of unbelievable virtuosity and musicianshiphailed throughout Europe.
しかし、当時は女性が作曲家になるのは認められておらず、女性というだけで曲を正当に価されませんでした。クララ・シューマンは37歳の頃に作曲をやめ、ピアニストとピアノ教師として生きる事を決意しました。
クララ・シューマンは ロベルト・シューマンが亡くなった後、ブラームスと生涯にわたって親交が深い友人でした。クララ・シューマンは、14歳も年下のブラームスと恋愛関係にあったという話は以前から噂されていました。映画『クララ・シューマン 愛の協奏曲』、『愛の調べ』では、クララ・シューマンとブラームスの切実な愛が、特に力を込めて描かれています。しかし、事実として存在するのは、ブラームスとクララは生涯にわたって親交が深い友人であったということだけです。
ClaraSchumann and Brahms were intimate friends for 40 years, As evidence of theintensity of their attachment, she cites a letter that Clara Schumann wrote toher friend Joseph Joachim after a separation from Brahms. "My heartbled," Clara wrote.
ブラームスは、『シューマンの主題による16の変奏曲』をブラームスがシューマンと知り合った翌年に作曲しています。シューマンはその時すでに精神的に破綻をきたし、入院生活をしていました。クララは家計を支えながら夫の病状に心を痛めていました。変奏曲の大半はシューマンの誕生日、残りの2曲は聖クララの祝日に作曲され、クララ・シューマンに献呈されました。夫婦に対する友情と敬愛の気持ちを表現した曲で、3人の関係を凝集した音楽ともいえます。
一方、クララ・シューマンは、34歳の時、『3つのロマンツェ』作品21を作曲しました。当時シャーマンの神経系の病状が急速に悪化し、彼を支えるクララを、更にブラームスが献身的に支えていたころでした。作品は自室原稿には「愛する夫へ」とシューマンへの献呈が記されていますが、出版したときは「愛するヨハーネへ」とブラームスにささげられています。ブラームスの存在が彼女にとって次第に大きくなっていたことを示していると考えら、3人の絆を感じさせます。
Perhapsthe most interesting, yet elusive, evidence for how Brahms felt about Claralies in the music itself. Among other works, he dedicated to her the Capriccio,Op. 76, No. 1, one of three short Brahms pieces Laredo will feature on herprogram. It is a romantic and agitated miniature that yields to a beautifulserenity.
新プラント主義では、「愛とは「美」さらには「善」「真」を求める、あたかも故郷を求めるような、魂の向かい方が愛である。存在には、真存在と第二義的な存在、あるいは不可視的なものと可視的なもの、純粋に在るものと純粋に在らぬもの、美そのもの、存続性・永遠性・実在性の点で実在すると言われるに価するもの、最高の種類の知に属するものを考えざるを得ない知の最高の形態は、個々の経験以前に存在する理想を対象とする知である。これを自分の物にするためには、魂は肉体と絶縁して自己自身の機能を発揮しなくてはならぬ。」と本当の愛を論じています。これこそが真実の愛、『プラトニックな愛』を意味するのではないかと思います。
チャップリンの映画『ライムライト』、ハンフリー・ボガードの映画『カサブランカ』、オードリー・ヘップバーンの映画『ローマの休日』、そして渥美清の寅さん、恋愛感情の中でも、『プラトニックな愛』こそが、最も美しい愛の姿だと感じています。 クララ・シューマンとブラームスの二人の間に愛があったとしても、それは『プラトニックな愛』だけだったのだと信じています。
ブラームスはクララが亡くなった翌年、後を追うように病没しています。ブラームスは生涯独身を貫きました。
参考文献:原田光子 (著)「ラ・シューマン―真実なる女性 」2000
モニカ・シュテークマン (著), 玉川 裕子 (翻訳)
「クララ・シューマン」2014
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最近、ヴァイオリン・ソナタ第2番Op121を良く聴いてます。特に第3楽章は涙ものです。

おはようございます!
クララ・シューマンの記事を興味深く拝読させていただきました。
写真入りなので、いいですね。
desire_san さんの記事を読んでから
シューマンやブラームスの音楽を聴くと
また一段と曲に入りこめそうです。
ありがとうございました。
シューマンのァイオリン・ソナタは私も哀調しています。
演奏する方に言わせると、かなり難しい曲のようですね。
シューマンのァイオリン協奏曲もなかなか難曲のようですが、好きな曲です。
演奏者の身にもなってやらないと
なんて、楽しんでいます。
クララ・シューマンは夫よりだいぶ出来がいい人だったのではないかと
思っています。
モーツアルトの姉も、メンデルスゾーンの姉も私は好きです。
今年も音楽で行きましょう。
音楽と数学は宇宙のハーモニー。
今日もスマイル

クララ・シューマンは、ピアニストとしてはショパンやリストと並び称される名ピアニストだったようです。このクラスのピアニストになると、みんな強烈な個性があり、とちらが上という比較は無意味な議論でしょうね。クララ・シューマンは、ロベルト・シューマン作曲の、超絶技巧のピアノ曲も含めて、多分真っ先に弾いていたと思われますから、相当な技量だったでしょうね。クララが校訂したロベルト・シューマンのピアノ曲全集の楽譜を全部残っていることからも、彼女の才能がどんなだったか想像できますね。




拙blogにお年賀のご挨拶を賜りありがとうございます。
クララとロベルト、そしてブラームスの関係性はロマン派楽壇の永遠の研究テーマですね。我々聴く側もいろいろと学ぶべき点が多い気がします。
http://musicarena.exblog.jp/7445399/
http://musicarena.exblog.jp/20597278/
http://musicarena.exblog.jp/16461985/
今年もよろしくお願いいたします。
むかし、友人の誕生日にクララ・シューマンのCDを贈ったことがあります。インターネットも試聴盤もなく、ジャケ買いしたのですが、自分用にも求めておけばよかったと思います。
ブラームスの音楽を聴いていると、二人の愛がプラトニックだったことが納得される気がします。音楽による魂の純粋な交流が、十分な慰めだったのでしょう。クララを喪ったときのブラームスの心中は、察するに余りあります。

クララ・シューマンが、夫のシューマンと結婚したのも、夫都の音楽の交流があり、彼の音楽を愛していたのかもしれませんね。クララ・シューマンのような人にとっては、ブラームスとの音楽による魂の純粋な交流こそが、何事にも代えがたい心の支えとなったような気がします。

コンサートホールで観客の喝采を浴びる作曲家ロベルト・シューマン(パスカル・グレゴリー)と妻でピアニストのクララ(マルティナ・ゲデック)は、ヨハネス・ブラームスと名乗る男(マリック・ジディ)に呼び止められる。クララはヨハネスとの出会いに運命的なものを感じ、波止場の薄暗い居酒屋へ足を運ぶ。そこでヨハネスの演奏を聴き、彼の才能を一瞬で見抜く。ロベルトは持病の頭痛に苦しんでいた。クララは夫を救うため、自ら指揮者として楽団員の前に立つ。そして女性の指揮者への偏見をはねのけ、見事な演奏を引き出す。

シューマンもクララも私の好きな作曲家です。偶然ですが先ほどまでシューマンのヴァイオリンソナタを聴いていました。
だんだん狂気を帯びてくる夫の音楽も、クララにはつらかったことでしょう。その分、ブラームスのあたたかく哀愁を帯びた音楽に癒されたのかもしれません。

