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芸術と自然の美を巡る旅  

ローマ時代の円形闘技場の面影を今に伝える広場を中心とした街

ルッカ   

Lucca


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 ルッカは、シェナかせ約80㎞にある人口約8万人のトスカーナ州ルッカ県の県都で、周囲億4㎞の城壁で囲まれた城塞都市です。







Lucca is a cityand comune in Tuscany, Central Italy, situated on the river Serchio in afertile plain near the Tyrrhenian Sea and is the capital city of the provinceof Lucca. Lucca is famous for its intactRenaissance-era city walls.


 旧市街は、紀元前2世紀に起源を遡り16世紀から17世紀にかけて整備された城壁で囲まれた街並を今に残しています。ロマネスク様式のバシリカ形式で建築されたルッカ大聖堂など、中世の建物がこの町の見所です。現在も残る城壁の上部は、緑の多い4.2キロメートルにわたる遊歩道となっており、散歩やサイクリングを楽しめる市民の憩いの場となっている。レンタル自転車屋もある。また、ローマ時代に建設された円形闘技場の遺構を利用した区画も珍しい。


The Piazzadell'Anfiteatro is a public square in the northeast quadrant of walled centerof Lucca, region of Tuscany, Italy. It is cited and the ring of buildingssurrounding the square, follows the shape of the former second century RomanAmphitheater of Lucca.The base of the former amphitheater is now some 3 metersbelow the center. At its peak about 18 rows of amphitheater seats held some 10,000 spectators.Now an urbanpiazza, surrounded by private residences, and occupied by a few outdoor cafes,created in 1830 by the architect Lorenzo Nottolini who razed some of thebuildings inside the oval.



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 ルッカの町で最も特徴的なアンフィテアトロ広場は、その楕円形の形状から、1世紀末に建設されたローマ時代の円形闘技場の面影を今に伝えるイタリアでも珍しい広場です。ルッカ市街の壁内、北部に位置し周囲をアンフィテアトロ通りが囲み、4つある門を介して広場につながっています。アリーナであった広場と、かつて観客席であったその外周にある住居で構成されています。



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周辺にはサン・フレディアーノ聖堂、サン・ピエトロ・ソマルディ教会が建ちます。14世紀に建てられたグイニージ通り近く南南東の方角に建つ「グイニージの塔」は、ルッカの街並や周辺を眺められる恰好の展望台で、グイニージの塔の頂上からはアンフィテアトロ広場の楕円形の様子がよく見えます。14世紀には、ルッカは都市250以上の塔や多くの鐘塔を誇りに思ってやり、壁の非常に狭いサークル内のグイニージは 、支配権の宮国の上に復活の象徴として並木の塔と結びついた住居にくつろぎを求めたようです。


 ルッカは、『ラ・ボーエム』『トスカ』『蝶々夫人』『トゥーランドット』などを作曲した19世紀の大作曲家ジャコモ・プッチーニの生誕地でもあります。旧市街にあるプッチーニの生家は、現在はプッチーニ博物館となっています



 西ローマ帝国を消滅させたオドアケルや東ゴートの攻略を受、5世紀中ごろには東ローマ帝国軍に再征服されましたが、ルッカは都市として要塞として重要な役割を担いました。10-11世紀には神聖ローマ帝国のトスカーナ辺境伯領の首都とりましたが、最後の領主が没した、1120年に都市代表権は市民に移り、イタリアでは珍しい「市民が優勢をかちえた」自治都市として自主独立の道を歩みました。11世紀以降はコンスタンティノポリスと並ぶ絹の生産・交易地として繁栄しました。


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 14世紀には僭主たちに支配され、傭兵出身のカストラカーニは、城壁内の4分の1にあたる土地を地上げして巨大な城砦をつくりましたが、彼の死後市民の暴動が起こり巨大な城砦は跡形もなく破壊されてしまいました。その後もフィレンツェ共和国との抗争、ピサによる圧力などが続きましたが、絹織物の交易という強みのおかげで復興し、以降はナポレオン・ボナパルトによる支配まで独立を保ちました。


  19世紀ナポレオンの妹エリザ・ボナパルトはルッカ一帯を支配する「ルッカ=ピオンビーノ大公妃」となり、トスカーナ大公国の女大公にとしてこの地を支配していましたが、ナポレオン没落後にエリザも地位を失いました。1815年のウィーン会議でルッカ公国となりましたが、1847年にトスカーナ大公国に再編され、イタリア統一運動における住民投票で1861年に成立したイタリア王国に組込まれることとりました。ルッカの歴史は、「イタリア統一まで独立を保ちえた」と評されて、ルッカの人々の誇りとなっています。


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ルッカ
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Lucca











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by desire_san | 2016-03-25 21:07 | イタリア | Comments(6)
Commented by tona at 2016-03-26 08:52 x
ルッカは行っておりませんので、とても勉強になりました。
面白い都市構想と複雑な歴史を辿ったということを知って歩くと楽しいでしょうね。もう行く機会が無くなりましたのが残念です。
Commented by desire_san at 2016-03-26 16:43
tona さん、コメントありがとうござています。
ルッカは偶然に立ち寄った街で、行ってみて町並みの作りが面白いと思いました。大聖堂が立派なのに驚きました。それは次回ご紹介いたします。
Commented by monopod at 2016-03-26 16:52
こんにちは。
素晴らしい街ですね。
なかなか海外力に出る機会がなくて、せいぜいTVや書籍を見るぐらいです。
塩野七生さんのファンなので、リタイアしたらのんびり中世イタリアの面影を残す街には行ってみたいものです。
Commented by snowdrop-nara at 2016-03-26 18:19
こんにちは。
写真ギャラリーの赤いチェック柄の自動車に釘付けになりました。
自動車カバーでしょうか?おしゃれですね!
欧米では、日本のように車をピカピカにしないと思っていたのですが、こんな車もあるのですね。
もし自動車カバーなら、カバーを保護するためのカバーがもう一枚欲しくなりそうです♪
Commented by desire_san at 2016-03-26 21:22
monopodさん、コメントありがとうございます。
塩野七生さんの本は、イタリアの関係では、『ローマ人の物語』『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』(『ルネサンスの女たち』『わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡』 などを読みました。イタリアには中世の面影を残す街がたくさんありますので、塩野七生さんの本を読んでおられると、行ってみたら歴史を感ずる町はたくさんありそうですね。
Commented by desire_san at 2016-03-26 21:26
snowdrop-narさん、いつも私のブログを見ていただいてありがとうございます。写真ギャラリーの赤いチェック柄の自動車は偶然チスクに止まっているのを写真に撮りました。自動車カバーではなく、自動車の表面があのような模様でデザインされているのです。おおそらく有名なデザイナーの特注品だと思いますが、大変おしゃれてすてきだと思いました、

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