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心に残った自然とアート   

シャガール、ピカソ、マティスらの代表作から20世紀絵画の魅力を探る

ポンピドゥー・センター傑作展

Centre Pompidou masterpiece Exhibition

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 東京都美術館で、「ポンピドゥー・センター 傑作展」題して、パリのポンピドゥー・センターの近現代美術コレクションから1906年から1977年のタイムラインをたどって、一年ごとに一作家一作品を厳選した展覧会が開催されています。展覧会の題名に恥じず、息をのむような多彩な傑作ぞろいで、20世紀美術を一望しながら楽しむことができました。また、制作年代順に展示されていたようですが、制作年代と美術史における前衛性とは必ずしも一致しないことを視覚的に体験することができ、それも大きな収穫でした。





ラウル・デュフイ『旗で飾られた通り』1906

a0113718_12012757.jpg デュフイは故郷であるノルマンディー地方のル・アーヴルに居を移し制作されたフランス革命記念日のドラピエ通りを描いた作品。陽気なパリ祭のさなか、旗が列をなして高く掲げられている様子や練り歩く人々を高い視点から捉えて描いています。フォービズムを象徴するような色使いの作品だが、デュフイが長年取り上げたモティーフということもあり、色彩よりも幾何学的な配置や構図に関心をむけているようにも感じられます。




コンスタンティン・ブランクーシ『眠れるミューズ』  1910年 ブロンズ

 現代彫刻にもっとも重要な足跡をのこした彫刻家ブランクーシのもっとも名高い作品のひとつです。手を入れすぎない。作り過ぎない、これこそがブランクーシの彫刻作品の持つ大きな魅力といえます。目指したものを完璧なかたちで具現化。頭部のみを表現することで伝統的な表現から決別し、人間の身体的特徴をわずかに示唆する姿で抽象と具象との境界に問いを投げかけているようです。眠っているかのように頬を直接地面につける頭像は詩情を感じさせます。


 アカデミックな彫刻の修業をはじめたブランクーシがルーマニアからパリに来たころ、ロダンが精力的な制作を行っていました。彫刻に物語性より精神性を求めトルソによって主題の本質を強調するロダンの作品はブランクーシに大きな影響を与えました。しかし、ブランクーシは再現性を離れた普遍的な自己の彫刻芸術を求めてロダンのもとを去ります、ランクーシの出発点となったのが、石の直彫りというプリミティヴな技法よる作品、『接吻』でした。 ブランクーシは『眠り』モティーフを展開して『世界のはじまり』いう究極の卵形に到達していきました。ブランクーシの探求は形態の単純化だけではなく、物質のもつ無言の力を引き出すことでした。ブランクーシは眼に見えない概念を形態で示すというヴィジョンを推し進め、その形態を消失したかのような作品を提示していきます。


 

マルセル・デュシャン『自転車の車輪』 

 1913/1964年 金属、塗装された木材 [先頭図 左]

 デュシャンが『自転車の車輪』を制作した際、「レディ・メイド」を意図していたのではなく、デュシャン自身の言葉では「気晴らし」と称する実験のつもりでした。自転車の車輪とスツールを組み合わせ、動く現代彫刻とした。車輪が回転する状態で鑑賞されることを意図し、デュシャンのこの先10年間にわたるキネティックアートの実験を予言するものでもありました。絵画を放棄し、既製品を展示する「レディ・メイド」のアイディアは。「レディ・メイド」のアイディアが生まれたのは、その2年後の、ニューヨークの工房で日用品を材料に選び、芸術作品に仕立て上げようと決めたときからです。



マルク・シャガール『ワイングラスを掲げる二人の肖像』

1917-1918

 シャガールの作品の中で私が一番好きな作品の一つです。女性に肩車された男は、この上ない幸せな表情を浮かべワイングラ高く掲げています。その頭上には天使。女性の足が重力を超え浮遊しています。この男の幸せそうな顔、二人とも空中に浮かび上がった構図。登場人物が重力の束縛を超え、空中に浮遊します。重力を飛び越えていく生きる喜びの表現、私が最も好きなシャガールの世界はこの時期に集中しています。


 この絵が描かれた1917年はシャガールの画業、そして私生活にとっても、重要な変化を遂げた年でした。ベラ・ローゼンフェルドとの結婚後、作品の主題はより明るく、喜びに溢れたものになりました。シャガールと新妻ベラを自ら幸福を誇示するかのように、シャガールが妻の肩の上に乗りワイングラスを掲げる姿は、ユダヤの婚礼の儀式を象徴しています。紫色の天使の存在が示すように、彼の体勢は地上と神の間をつなぐ架け橋を表しているともいえます。後になって付け加えられたこの天使は愛娘イーダといわれています。二人は、大胆な色調で、幸福に満ちた表情で描かれており、結婚の喜びが画面全体に満ち溢れています。この頃ベラへの愛情、彼女と生活の愛の喜びを表現した傑作を数多く描いています。シャガール独自の表現の作品がこの時期多く描かれています。シャガールは、白ロシアの貧しいユダヤ人家庭に生まれ、激動の20世紀を漂流しながら生き抜いた画家の人生で最も幸せな時に描いた作品です。二人を取り囲む空。どうも青空ばかりではなく、画面の右側は暗雲が建ち比用としているようにも見えます。



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 シャガールは質素なユダヤ人居住区に暮らニシン倉庫の労働者の息子として生まれました。 シャガールはサーカスが大好きで、ひとときの夢と熱狂を与えてくれるサーカスの曲芸師たちと観客の嘲笑と喝采を誇りとするピエロを愛情と敬意を込めて描いています。当時金もなく、将来に不安を感じていたシャガールにとってサーカスは華やかなひとときの夢でした。自分の才能だけを信じて、1910年。23歳の時シャガールはパリに来ました。パリの芸術の中心はモンパルナスでした。華やかな光を放つカフェは、流行の最先端であり、芸術家たちの溜まり場でした。ロシアの片田舎からやって来たシャガールは、この芸術の街に惹かれ、蜂の巣と呼ばれた若き芸術家たちの巣窟、コロニー・ラ・リューシュに住み着きました。シャガールのいた最上階のアトリエには、成功を夢見る画家が住んでいました。ここで個性豊かないろんな画家達から刺激を受け、「ロシアとロバとそのほかのものに」などを描きパリで最初に評判を得ます。シャガールの二つの故郷生まれ故郷ロシアの風景と芸術の都パリが交じりあっています。非現実的な色彩とキュビズム的な手法混じって強烈な個性を放っていました。 


 この絵にも二つの故郷が見てとれるのです。この絵は1917年にシャガールがパリではなくロシアで描いた作品ですが、パリでの思い出も描かれています。女性の足元の背景は故郷のロシアの風景ですが、この川の流れはセーヌ川が流れる当時のパリの風景のようです。


  この絵に描かれている生まれ故郷の橋はパリに行く1年前二人を結びつけた思い出の場所なでした。この時シャガールは22歳。汚れなきベラはまだ15歳。ベラはのちにこう話しています。この人はまるで雲をつかもうとしているようだ。私はこの人の雲の方へと漂い、向かってゆく・・・。以来ベラはシャガールのアトリエを訪れるようになります。シャガールの言葉です。「私は、私といなければならないのは、彼女であると感じた。彼女こそ私の妻となる女性だ。」空の彼方を見つめるようなシャガールの瞳。そこでシャガールが夢見ていたのはすぐそばにあるもの、かけがえのないものでした。


 画家への夢を追ってパリへと向かったシャガールでしたが、夏。画壇で注目を集めるようになったシャガールは、住み慣れたラ・リューシュを旅立ちます。愛するベラ・ローゼンフェルドを迎えに行くためでした。なんとか画家としてやっていく目安がついた時、彼は故郷に彼女を迎えに行きます。そして1915年二人は7年越しの恋を実らせ故郷ヴィテブスクの街で結婚しました。この絵に描かれている白いドレスの女性です。だけた胸元とドレスの裾からのぞく大胆な紫のストッキングが彼女の快活な性格を表しています。


 シャガールは家族3人で第二の故郷パリに戻るつもりでしたが、第一次世界大戦、ロシア革命。激動の祖国。シャガールはパリに帰る機会を逸したのです。しかしシャガールは幸せでした。愛すべきベラの存在。ベラはシャガールにとって愛する妻であるだけでなく美しいモデルであり、そして素晴らしい発想を与えてくれる女神でした。


 激動の時代にありながら、愛娘・イーダを授かり、愛するベラに支えられたシャガールの夢のような生活。その幸せの絶頂期に描いたのがこの作品なのです。二人の愛は重力を超え天高く舞い上がっています。「もう一枚描いてみたい。二人で、もっともっと飛んでみたい。」母となったベラに担がれて、空に浮かぶシャガール。シャガール一家が第二の故郷パリに戻ってきたのは1923年。再びパリの地を踏んだシャガールは、自由な環境の中創作活動に邁進し、一躍人気の画家へと上りつめて行ったのです。


 シャガールの美術については、詳しくは下記を参照ください。文字をクリックするとリンクして、レポートを読むことができます。

シャガールの美術の変遷と魅力




ジャン・プルーヴェ『リクライニングチェア』1924年 塗装鋼板、帆布

 曲げたスチール板を洗練された幾何学的なデザインに接合するという新しい技術を駆使しています。これに象徴される家具のスタイルは、20世紀のヨーロッパのデザイナーに多大な影響を与えました。



ロベール・ドローネー『エッフェル塔1926年 油彩、カンヴァス

 エッフェル塔はてドローネーのインスピレーションの源でした。塔を下から見上げた角度で描くことで、この鉄の建造物が持つ至高の価値が強調される。色彩には卓越したリズム感が漂っており、キュビスム的な傾向も見られます。


セラフィーヌ・ルイ『楽園の樹』1929年頃 油彩、カンヴァス

a0113718_13240320.jpg ものすごいインパクトを感ずる作品で、鮮烈な色彩と異様な造形はある種の狂気を感じさせます。エコールドパリのフジタやボナールと同時代の作品と思えない前衛性と現代絵画のよう斬新制を感じ、まさに抽象絵画の世界です。


 修道院で働いていたセラフィーヌは絵を描くようにという神のお告げを受け、身のまわりにある自然の美しさにインスピレーションを受け、花や樹木、果物をはじめは皿や家具に、後にカンヴァスに描くようになりました。独学による作品には、生けとし生けるものに宿る神秘的な力や精霊への敬意が示されていいます。セラフィーヌは、アンリ・ルソーら素朴派を美術界の表舞台に押し出したドイツ人の美術収集家で、画商のヴィルヘルム・ウーデによって見出だされた。



ピエール・ボナール『浴槽の裸婦』1931年 油彩、カンヴァス

 「あらゆるものに美しい瞬間がある。美は視覚的喜びだ。」と語っていたボナールは「水」という主題に魅了され始めました。この時期、妻マルトが入浴する姿、浴室の光景が数多く描かれています。マルトの白いむき出しの裸体と、椅子や床に置かれた色鮮やかな亜麻布やカーペット、色、モティーフを駆使して、画面に強いコントラストをつくりだしています。やわらかな光を受ける女性の身体の繊細さは、充足感と静謐さを伝えている。ボナールの柔らかい色彩はささやかな幸せを感じさせます。華やかさはありませんが、見ていればいるほど温かみと安らぎを感じさせる作品です。



パブロ・ピカソ『ミューズ』1935年 油彩、カンヴァス

 「私は他人のように自伝を書いている」とピカソが書いているように、ピカソの作品には自伝的な要素の強い作品が多くあります。特に自らの女性遍歴を語るかのように、ピカソと関係した女性たちはピカソの絵画の重要なモティーフでした。室内にいる二人の女性、一人は頭をテーブルの上にのせて眠っている姿でもう一人は鏡に映った自身の姿を描いています。眠っている女性は1927年からピカソの愛人だったマリー=テレーズ、マリー=テレーズの妊娠で妻オルガとの関係の冷え切っていて、その後別居することになります。眠っている女性マリー=テレーズを、妻オルガは椅子仮とも思える厳しい表情で見つめているようです。



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 この頃ピカソはシュルレアリスム運動のリーダーアンドレ・ブルトンの著作に影響を受け、夢や無意識の表現をテーマとして探求し始めました。この絵の別の題名は、『デッサンする若い女のいる室内』左の鏡と鏡前の女という主題でピカソは、眠る女、読書する女、デッサンする女を次々と描きましたが、この測品にはそれらの統合がみられます。鏡はその前のものを映し出すのではなく、独立した存在であり、鏡のようにピカソの内面の苦しみを映し出していようです。『デッサンする若い女の室内』を描いたとしてみると、デッサンする女は鏡に目を向けようせず、ひたすら制作に没頭しています。キャンパスは三角形で、制作の無意味さ暗示しているようにみえます。眠る女とデッサンする女には、やすらぎと焦燥のコントラストが感じられます。


 この頃ピカソはシュルレアリスム運動のリーダーアンドレ・ブルトンの著作に影響を受け、夢や無意識の表現をテーマとして探求し始めました。この絵の別の題名は、『デッサンする若い女のいる室内』左の鏡と鏡前の女という主題でピカソは、眠る女、読書する女、デッサンする女を次々と描きましたが、この測品にはそれらの統合がみられます。鏡はその前のものを映し出すのではなく、独立した存在であり、鏡のようにピカソの内面の苦しみを映し出していようです。『デッサンする若い女の室内』を描いたとしてみると、デッサンする女は鏡に目を向けようせず、ひたすら制作に没頭しています。キャンパスは三角形で、制作の無意味さ暗示しているようにみえます。眠る女とデッサンする女には、やすらぎと焦燥のコントラストが感じられます。



ヴァシリー・カンディンスキー『301937年 油彩、カンヴァス[先頭図 右下]

 この絵を見て驚くのは、自ら思いついたモティーフを並べただけでこれだけ見ごたえのある作品になるカンディンスキーの創造力の凄さです。色彩の表現を一切排除し、30の四角いマスに異なるものが描かれています。モティーフや、その空間との関係性に重心を置くことで、自身の内面性や信条を精神年の高い表現へと昇華させています。抽象画の先駆者」と言われたカンディンスキーが画家の道に進むきっかけとなったのは、モネの「積みわら」を見て抽象画の原点があると悟ったことが原点だそうです。ロシアのモスクワ生まれのカンディンスキーはドイツのミュンヘンでは「青騎士」の運動を主導し、ドイツ滞在期に初の抽象画を手掛け代表作の『コンポジション』シリーズを制作しました。ナチス・ドイツによりバウハウスが閉鎖されるまで教官を務め、パリに移ると、ジョアン・ミロやジャン・アルプといった仲間の影響を受け、カンディンスキーの描く形態は厳格な幾何学的抽象から、生物に似たモティーフへと変化します。ドイツの占領下のフランスで個展を開催するなどして、ドイツの占領体制に抵抗し続け、ドイツ国内でもカンディンスキーの作品は完全に批判の対象さそれ「退廃美術展」に出品された作品も批判を浴びました。しかし、最後までアメリカへの移住を拒否し続け、パリ郊外で生涯を字ました。


 カンディンスキーの美術については、詳しくは下記を参照ください。文字をクリックするとリンクして、レポートを読むことができます。

カンディンスキーの絵画の変遷と魅力



マリー・ローランサン『イル・ド・フランス1940

 パステル調の色彩で柔らかく繊細な顔つきの人物を描く独自の手法で、ドレスをまとう楽しげな少女たちを描いていました。



アンリ・マティス『大きな赤い室内』1948年 油彩

マティスが「室内」を主題に制作を続けた作品の最後の一点だそうです。画面全体を赤が支配し、画家はペアとなるオブジェの並置や対比を楽しんでいる。2点の絵画、2台のテーブル、2枚の動物の毛皮――かたちや色、モティーフが異なるそれらのオブジェは予測を裏切るシンメトリーを生み出し、また黒い輪郭線が強烈な赤い背景から浮き出るかのように表現されて、全体の絵画空間が見事に表現されています。


この作品より40年前の1908年に描かれたマティスの最高傑作とも評されるエルミタージュ美術館の赤が画面全体を支配している『赤のハーモニー』と比較してみましょう。『赤のハーモニー』はマティスがはじめ「青のハーモニー」として描きましたが、出品する直前に赤に塗り替えてしまったという逸話があります。マティスはその理由を「青では十分に装飾的でなかった」と述べています。マティスはこの作品で部屋という三次元空間の奥行きを見事に消し去りました。大きな窓外の風景を額縁の風景画に変えてしまい、絵画画面を華やかな赤の平面で構成するだけで作品を完成させました。画面に変化をもたらすために描かれたと思われる、赤い画面に描かれた植物模様は装飾性とリズム感を与えています。この作品には画面を青から赤に塗り替えてしまった象徴されるようにマティス自身に遊びを感じ、心地よい癒しを感じます。


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それから40年後に描かれた『大きな赤い室内』では、たくさんのオブジェが、赤が支配する画面を壊そうとせめぎ合っているように見えます。絵画、絵画、動物、毛皮などが配置され、複雑な絵画画面を形成しています。絵の中のテーブル、敷物、絵画は二つ一組で、形と色が異なり対比的な存在となっています。強く黒い輪郭線は平面的な画面の中であえて奥行きを与えているようです。美しい赤の平面で構成するだけで、楽しく安らかな画面に見事まとめあげられた傑作『赤いハーモニー』の世界に対して、この作品はそれをあえて壊そうとしたように感じました。マティスが新たな芸樹を切り開こうと模索していたのかもしれません。


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 マティスの画家としての、キャリアは長く、印象派から抽象的な作品まで幅広いスタイルの測品を描いています。フォヴィスト(野獣派)の画家として出発した。フランスのニースとヴァンスに住んでから色彩への賛美が始まりました。マティスは神経質で心配性な気質で、絵画を描くことで神経質な気分を落ち着かせていたという説もあります。ヴァンスのロザリオ礼拝堂の壮大な壁画を完成させたのはガンを宣告され、車椅子の生活の状態の時でした。マティスは「野獣派の王」として有名になりましたが、実像は極めての紳士的で知的な画家でした。マティスは絵画に対して情熱を持っていましたが、決して野性的正確ではありませんでした。野獣派という表現自体、マティスには不似合いででした。



ベルナール・ビュフェ『室内』1950


 ビュフェビュフェは純粋な具象表現に根を下ろした画家でした。室内のりふれた主題を大画面に描くことで、画家はそれを記念碑的ともいえる静物画にまで高めていきました。角ばった輪郭線は、奥行のない独特な画面をつくりだし、オレンジ、白、黄色の色面と太く黒く強い輪郭線の強いコントラストは、画面に強いインパクトを与え、見る人を強くひきつけます。


 この作品では人物は全く描かれていなませんが、人の存在を感じさせ、心象風景のような印象を与えます。今まで見たビュフェの作品の中で最も魅力的な作品に感じられました。



アルベルト・ジャコメッティ『ヴェネツィアの女Ⅴ』

1956年 ブロンズ

a0113718_13533758.jpg 女性の身体は極端に引き伸ばされ、小さい頭と幅広の腰を持ち、不均衡ともいえる姿に表現されている。それはこの芸術家に特徴的な表現となる。ミニマムな状態にまで削ぎ落とされた女性の身体は一本の垂直線のようになっています。


 『ヴェネツィアの女 Ⅴ』のような造形がジャコメッティの彫刻として定着したのを説明するには、代表作『歩く男』が作られた由来を話すのが最も分りやすいと思い、『歩く男』の誕生の話を描きたいと思います。


 ジャコメッティは、時代とともに自らの表現を模索し続け、「超現実」の世界独特の緊張感に支配された世界を築きます。しかし、「超現実」と向き合って自らの内に問いかけ悩みながら変貌を遂げていきました。ジャコメッティを襲った不慮の交通事故の体験をきっかけに人間という存在の軽さを感じ次第に小さく消えてしまうほど作品が限りなく小さくなっていきます、しかし、ジャコメッティは現実を再び見つめはじめるのです。「見えるものを見たままに表現したい」そして、それは劇的なジャコメッティ特有の形で『歩く男』として登場します。ジャコメッティが尊敬していたロダンの倒れそうな『歩く男』に対して、ジャコメッティの『歩く男』ロダンの転倒するような『歩く男』に対して、ジャコメッティの『歩く男』は、筋肉の躍動や、隆起がまったくない、しかも人間の肌の質感とは大きく異なって岩山のようにゴツゴツとした人間の肌でした。極限まで削ぎ落とされた歩く男。その存在の儚さと力強さ。危ういバランスの中で放たれる不思議な存在感。『歩く男』こそ、ジャコメッティが捉えた等身大の人間に他ならないのです。サルトルは、このようなジャコメッティの人物像を現代における人間の実存を表現したものとして高く評価ました。



クリスト『パッケージ』  1961年 布、紐、立体物 [先頭図 右上]

 紐、布あるいはビニールを使って梱包した新しい芸術の実践を始める。消費主義に対する批判だと捉えられることもあったが、身のまわりにある商品の価値や意味を見直すよう促したのである。梱包する対象を世界各地の有名なモニュメントや建造物にまで広げ、その後50年以上この手法を続けています。



ジャン・デュビュッフェ『騒がしい風景』1973年 塗料、樹脂積層板

 内部が赤、青、黒で塗りつぶされ、同色の縦縞が描かれた想像上の形態のみで構成されていて、騒々しい動きを喚起すします。 絵画の明度は、色彩の使われ方に由来しています。デュビュフェの精神が素材の構成、色彩と作品全体の作品全体を統御しています。


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 ジャン・デュビュッフェは、1950年代に盛んになった前衛美術運動)の先駆者と見なされ、20世紀美術の流れをたどる上で重要な画家の一人とされるフランスの画家です。アンフォルメルの先駆者と見なされ、従来の西洋美術の伝統的価値観を否定して、「生の芸術」を提唱しました。デュビュフェはアンフォルメルという前衛美術運動の先駆者で、20世紀美術の流れの中で重要な画家の一人です。


 40歳を過ぎてパリのルネ・ドゥルーアン画廊で「ミロボリュス・マカダム商会、厚塗り」という奇妙な題名の個展を開きました。マカダムとは、道路のアスファルト舗装工法の基礎を築いた人物の名前である。実際、この個展に展示された作品群は、砂、アスファルト、ガラス片などを混入した、表面のような厚塗りの画面に子供の落書きのような筆致で描かれたもので1950年以降の新たな美術の流れの原点の一つとなりました。デュビュフェは西洋美術の洗練された技法や様式、名人芸の価値を認めず、西洋文明そのものを痛烈に批判し、子供、「未開」人、精神障害者などによる絵画をアール・ブリュット=生の芸術と呼んで賛美しました。デュビュッフェは生涯にわたり、絵画、彫刻、モニュメンタルなインスタレーションにおける新しい芸術表現の可能性を探求し続けました。


 デュビュッフェは、社会的に権威のある観念の拒絶し、既存の美学を否定して、日常性の興味と純粋に素材に向けられた関心を大切にしました。「芸術は精神に訴えなければならない。絵画は精神に訴えることを要求している。」、デュビュッフェの作品はそれ自体が世界で、難解で済むことのできない世界、ユーモアと悲劇が同じ実態から形成されており、そこでの快楽は、残酷な手術やエロティシズムと似ています。デュビュフェの作品は何かが滑り落ちていくような感じを与えます。


 デュビュッフェの行動は、画家の意思をたどることのできない領域でなされます。デュビュフェの絵は、その行いにとても賛成できない子供たちと語っています。迷宮のただ中で動き回る人物がいます。観る人は迷宮の中の人物に感じている複雑な魅力を、迷宮の中の人物は感じていないようにぼんやりと観る人を見つめています。観る人は自らの体を離れて、まるで絵の中の人物のように目の輪郭の中をさまよっています。


 ウルプールは、光に溢れ光輝く「精神の祝祭」で、その芸術が望む限り継続されます。重要なのは精神の詩的技法なのです。精神の創造であるデッサンから出発して、三次元に膨らみを与え空間の中に膨張させます。観る人はデッサンの中に入り込むことができます。日常の世界を出て、デッサンの中の精神の創造物の中に住むと、夢幻の魅惑、燃え上がる炎、超現実の世界に似た光景を体験することができます。



【参考文献】

 「ポンピドゥー・センター。傑作展」公式カタログ

 エリック・シェインズ 前田希世子/訳 「美の20世紀」2008 二玄社

     〈1〉ピカソ〈2〉シャガール 〈5〉マティス  

 宮下誠 「20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~」

                    2014年 光文社 

 中原 佑介  「ブランクーシ」 1986年 美術出版社

 矢内 原伊作 「ジャコメッティ」1996年 みすず書房

 聖バーフ大聖堂公式サイト   http://www.sintbaafskathedraal.be/










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by desire_san | 2016-09-22 12:48 | 美術展 & アート | Trackback(2) | Comments(31)
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Tracked from ごみつ通信 at 2016-08-11 01:45
タイトル : ポンピドゥー・センター傑作展
http://www.pompi.jp/... more
Tracked from 感性の時代屋 at 2016-09-02 09:17
タイトル : パリの空の下で-26 [ 美の迷い子・ポンピドゥー・セン..
第一次世界大戦が勃発した1914年以降がら現在までの作品がポンピドゥー・センター(国立近代美術館)におおよそ60,000点ほど所蔵され、近代美術の流れを見る事が出来る。 その流れは、フォーヴィスムあたりから・・・第二次世界大戦を挟んで美術教科書で云う所の、抽象表現主義およびアンフォルメルあたりで、その後の所蔵品は解釈が複雑であまり整理出来ていない様だ。 しかも、第一次世界大戦後は、世界の覇権国大英帝国のロンドン・ナショナル・ギャラリーに若干奪われ、第二次世界大戦後は、急速な経済発展を遂げたアメリ...... more
Commented by bernardbuffet at 2016-08-02 20:35
中々見ごたえのある展覧会でした。
年代順に展示するというアイディアも面白い試みです。
この時代の美術はあまり「派=ecole」に整理できないのも事実なのでこういう展示の仕方もある意味合理的かもしれません。
ポンピドーで見たときはかなり散漫な印象を受けましたが(現代美術の展示に関してはMOMAの方が優れている!)、それが一つのストーリ(というよりもヒストリー)に紡がれて作品の位置づけが浮かび上がってきたように感じました。
Commented by desire_san at 2016-08-03 09:02
bernardbuffetさん  コメントありがとうございます。
20世紀美術は、19世紀までの美術と異なり、○○派という画家のグループが定着して発展を溶けていったわけではなく、フォービズム、キュビズム、抽象芸術などいろいろな表現が挑戦され模索されていたのが現実だと思います。今回の展示で面白いと思ったのは、年代順に展示することで、教科書では新しい流派と教えられていたものが、「古い」様式より先に出てきたりして、20世紀美術の混迷した現実を感じられたことでした。MOMAの現代美術の展示は教科書的に整理された展示方法をとっているので非常に分りやすいですが、どちらが優れた展示かというより、20世紀美術をどうとらえるかという思想の違いではないかと思いました。
Commented by snowdrop-nara at 2016-08-06 20:25
拙ブログへのトラックバックとコメントをどうもありがとうございます。ポンピドゥー・センターの展覧会の記事、興味深く拝読しました。パリでは行けなかったのですが、desireさんのおかげでバラエティー豊かな所蔵品を堪能できました。

それでも、ブランクーシの『眠り』など、やっぱりじかに見たいですね。この彫刻家については、スウェーデンのブロ友によって昨夏初めて知りました。白い「眠り」を見て、まるで能面のようだと感じたのですが、金色のものはまた違った味わいがありますね。世界の始まりを表わすには、この輝かしい卵形がふさわしいかもしれません。
オランダ・ベルギー旅行記も、写真ギャラリーともども、これからも楽しみにしています。そういえば、拙ブログで連載中の竹内栖鳳も、ベルギーで獅子をスケッチしていました。snowdropもいつか行ってみたいです。
Commented by desire_san at 2016-08-08 18:33
snowdrop-naraさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
ブランクーシの作品は、一見難解ですが、『眠り』のように感ずるがままに素直にあまり考えずに見ていくとと、けっこう気軽に楽しめる作品ですね。何と言ってもそのフォルムが美しいので、私は親しみやすいです。

Commented by usaco-lisa at 2016-08-08 23:14
コメントありがとうございました。
実は、ポンピドゥー・センターは"リサとガスパール"の関係で記事を書いただけで、遠方のため展覧会には足を運んでいないのです。パリでも入らずに帰ってきてしまい、詳しくありません。
最近、現代アート作家と接する機会があり、よい機会ですのでdesire_sanの記事を読んで勉強させていただきたいと思いました。
Commented by rokuzeudon at 2016-08-09 10:09 x
拙ブログへ丁寧なコメントをいただきまして、ありがとうございました。

> 今回の展示で面白いと思ったのは、年代順に展示することで、教科書では新しい流派と教えられていたものが、「古い」様式より先に出てきたりして、20世紀美術の混迷した現実を感じられたこと

先のコメントを拝見していて、確かにそうだったなと再認識できました。
例えば、ビュフェは個人的に思い入れのある作家なのですが、あの会場にて、あの順序で突然作品を目にした時、いつもは感じない想いに駆られました。
あの作家があのような作品を作っている同年代に、ビュフェはこの絵画「室内」を書いていたのだな。ビュフェが20世紀後半にあの作品を描いている頃に、すでにこんな立体、映像作品が生まれてきていたのだな、など…。

美術館での鑑賞では、どうしても画家毎や〜〜派毎に追う企画が多い印象ですが、それらに縛られない、今回のようにもっといろいろな視点からみてみたくなりました。
Commented by desire_san at 2016-08-09 20:53
usaco-lisaさん、私のブログを読んで頂きありがとうございます。
現代アートは、アプローチの仕方が多様で、理解しにくいものもたくさんありますね。
何が絵いてあるか考える必要がなく、色彩や造形の美しさや刺激を楽しむ終章絵画は私には大変親しみやすいです。画家の夢や幻想を描いたシュルレアリスムは、その画家と相性が悪いと全く理解できないです。絵画も音楽もたくさん体験すると自然に感性が磨かれてきますので。 現代アート作家と接する機会があるusaco-lisaさんなら、好きな作品に出会うチャンスもあるのではないでしょうか。私の記事が少しでもお役に立てるなら、嬉しい限りです。
Commented by desire_san at 2016-08-09 21:00
rokuzeudonさん、コメントありがとうございます。
今回のビュフェの作品は、私がいつも親しんでいるビュフェの作品とかなり違うので、私も感想を書くのに苦労しました。私もビュフェは個人的に思い入れのある画家ですが、画家も人間ですので多様な面を持っているのは当然かもしれませんね。
Commented by tabinotochu at 2016-08-11 22:21
desire_san、いつもコメントありがとうございます。この展覧会も、趣向を凝らした、興味深いものでしたね。いろいろな発見があって、楽しかったです。
Commented by desire_san at 2016-08-12 03:27
tabinotochuさん、コメントありがとうございます。
20世紀美術を年代別に一望できる企画はtabinotochuさんもおっしゃるように、新しい発見がりましたね。ここの作品も個性的で、傑作ぞほろぃでしたね。
Commented by y_spring2 at 2016-08-13 11:50
desire_san さんこんにちは
私のブログを訪問していただきありがとうございます
最近は海外に行く機会もないのですがdesire_san さんは海外に行くことも多いようでうらやましいです

さて、ポンピドゥー・センター傑作展は内容が素晴らしかった
初めて見る作品も多かったです

経済発展する国が多い中このような展覧会が他の発展途上国に持っていかれるのではないかと心配しています
今のところ大丈夫そうです

desire_san さんのブログですがdesire_san さん個人の意見なのか、参照内容なのかの区別がつきにくいのが不満です
文字に親しみのあるdesire_san さんなら普通なのでしょうが、私には文字が多すぎて疲れてしまいます
辛口のコメントで申し訳ないです
Commented by desire_san at 2016-08-13 15:56
y_spring2さん、コメントありがとうございます。
ポンピドゥー・センター傑作展は、久々の20世紀アートの世界の全貌を観ることのできるすばらしい企画でしたね。私も、知らなかったアートも多く、勉強になりました。
Commented by ふっこ at 2016-08-13 17:33 x
こんにちは。
数日前、私も観て参りました。
前衛的な作品は、難しく考えずに
目と心で感じたままで良いのかな?と思います。
様々な色の使い方を勉強出来ました。
Commented by desire_san at 2016-08-14 14:23
ふっこさん コメントありがとうございます。
現代アートは、頭で考えず、ご指摘のように目と心で感じることがポイントだと思います。
心で感じて良さが分らないものは分らい、と割り切ればよいと思っています。
Commented by arcout at 2016-08-28 11:48 x
desire_sanさま、当方ブログへの丁寧なコメントをいただきありがとうございました。

MOMAも素晴らしいですね。今回は展覧会というテンポラリーな性質の中で、あえて1年1作品1作家という制約を作ることで、新しい視点が偶発的にできている面白い方法だと感じました。
ポンピドゥーセンターを訪れた際に、あまりに膨大な作品の中、自分では気づくことの無かったような作品にも今回出会えたことは、その賜物だと感じました。

ブランクーシについては、横浜美術館で展覧会的ではなく普段から自然にとけ込む形で目に触れられて、清々しくも贅沢な空間がありますね。
Commented by desire_san at 2016-08-28 12:14
arcoutさん、コメントありがとうございます。
MOMAは、素晴らしい傑作ぞろいで、その展示方法も非常に共感が持てますね。
ポンピドゥーセンターは作品が多すぎて、しっかり見ようするととても1日では見切れませんね。今回のように作品を選んで日本で展示してくれると、大変うれしいです。
Commented by 処遊楽 at 2016-09-07 10:42 x
コメントを賜り、その御礼です。ブログ村OK。
それにしてもblogの見事さに圧倒されました。
ご健筆を祈ります。
Commented by desire_san at 2016-09-07 11:41
処遊楽さん、ありがとうございます。
名画を見た感動をブログに残しています、今後ともよろしくお願いいたします。
Commented by あらんみら at 2016-09-07 23:59 x
私のブログ、「アダルトマダム、かく語りき。」の「ポンピドゥーセンター傑作展」に関する記事にコメントを戴き、ありがとうございました。さっそくお伺いしてみました。
大変によく調べてお書きになっていらっしゃいますね。
個々の作家のことは、とりあえずここでは言及しませんが(というのも、感想は個人個人あるでしょうし、また調べているソースが同じであれば、同じような記述になりますから)
最初の方にあった一文、「制作年代と美術史における前衛性とは必ずしも一致しないことを視覚的に体験することができ、」といういうご感想に、ことに「視覚的に体験することができ」というご指摘に、なるほどと賛同しながら読み進めました。
年代別、という斬新な試みによって見えてくるものが確かにありますね。
一方で、イズムや思想、思潮のからまりとかうねりといったものを全く無視した展示に、一抹の疑問も後になって感じました。
まあ、いわば、共時性と通時性の問題でしょうか。
また、そういった概念的な問題だけではなく、さまざまな”事情”によって、このような編年体の展示になったのかもしれないとも思います。
またポンピドゥーセンター傑作展と銘打つならば、当然来ていなければならない、たとえばイヴ・クラインのような作家のものが来ていないことにも、後になって不満が残りました。
さて、この記事の全体を拝読して、dezireさんはモダン・アートがお好きなのだな、と思いましたよ。
なんだかうまく感想になっていないかもしれませんが、記事を読んで感じたことを書かせていただきました。
Commented by desire_san at 2016-09-08 17:21
あらんみらさん私のブログを読んでいただきありがとうございます。
コメントしていだきましたが、画家が自分の作品に前衛性を求めるか否かは、画家の美意識によるもので画家自身が選択するべきものだと思います。次第の先を行く前衛性は血があるとは思いますが、古いといわれるような技法を現代によみがえらせて、至高の美の極致を作り上げた芸術家もおります。本来世の中全体がそうあるべきだと思っていますが、芸術の世界の奥の深さは、価値観の多様性を堂々と表現し合って、美意識を競える場であるところが魅力だと思っています。
Commented by musicland-2011 at 2016-09-08 23:16
いろいろと教えて頂き、ありがとうございます。
私のような素人のブロクは物足りなく思われるでしょうが、絵画を観た時の感動は、音楽を聴いた時の感動と同じく素晴らしいです。
これからも、たくさんの芸術に触れて楽しみたいと思っています。
また、いろいろと助言をお願いします。
Commented by desire_san at 2016-09-09 14:01
musicland-2011さん、コメントありがとうございます。
絵画や音楽を鑑賞することで最も大切なことは、観た時の感動、聴いた時の感動だとも思います。私も感動した経験から、もっとその作品について知ってみたいという気持ちから、より多く学びたいという気持ちが起こり、レポートを書いています。
これを機会に、よろしくお願いいたします。
Commented by MasterRocca at 2016-09-11 23:39 x
わたくしは、フランスに行ってみたいと思いつつ、
仕事柄長い旅はできないので、

都美館『ポンピドゥー・センター傑作展』は
楽しみにしていました。

件の展覧会はひと作品ごとに粒だっていて、
個別包装のお菓子の詰め合わせみたいな楽しさがありました。

いわばポンピドゥーセンターという本の紹介文というか、
名刺代わりの展覧会。そんな感じで。

導線がすっきりしているところはさすが。


さて、
dezireさまのブログを拝見いたしました。

プロフェッショナルでいらっしゃるのかな。
作品作品にきっちり対峙していてすごいです。

わたくしはアートのつまみ食いをしています。

予備知識もほどほどに、仕事のセンスが少しでも
アップしたらいいなという不純な動機も含まれています。

わたくしの見方とは大きく違い、
また貴方さまの理解の深さに驚かされました。

面白かったです。
Commented by desire_san at 2016-09-12 16:50
MasterRoccaさん、私のブログを読んでいただきありがとうございます。

今回のポンピドゥー・センター傑作展は、一つ系列で展示するという一般的な展示方法を全く拒否して、年代順に並べてこの作品を独立して鑑賞してもらおうという意図があったのかも知りません。美術品の見方、感じ方は多種多様で、私は自分もっている知識に基づき、自己流に感じたことを描かせていただきました。「面白かった」言われて、私も大変嬉しく思いました。
これを機会に、よろしくお願いいたします。
Commented by abby819lucky at 2016-09-16 14:17
拙ブログにコメントいただき、ありがとうございました。作品ごとに大変詳しく調べられていて、感心致しました。近現代のアートの変遷を俯瞰して見ることが出来、素晴らしい展覧会でした。会期も残り僅かなのが残念です。
Commented by abby819lucky at 2016-09-16 14:17
拙ブログにコメントいただき、ありがとうございました。作品ごとに大変詳しく調べられていて、感心致しました。近現代のアートの変遷を俯瞰して見ることが出来、素晴らしい展覧会でした。会期も残り僅かなのが残念です。
Commented by クラフトあまた at 2016-09-18 17:02 x
desireartさま
コメント有難うございました。
ポンピドゥーセンター展、たくさんの素晴らしい作品が日本に来ているのですね。
展覧会に行ったような、読み応えのあるblog、お知らせ頂き有難うございました。
Commented by desire_san at 2016-09-18 19:09
abby819luckyさん、私のブログを読んでいただきありがとうございます。
20世紀のアートの変遷とぼぼ全貌を見ることができ、貴重な経験でしたね。
Commented by desire_san at 2016-09-18 19:15
クラフトあまたさん、私のブログを読んでいただきありがとうございます。
ポンピドゥーセンター展の所有する作品は膨大で、このように選んで日本で展示してもらえると大変うれしいですね。大きな美術展は大抵鑑賞レポートを書いていますので、よろしかったらまたご訪問ください。
Commented by kangine at 2016-09-22 13:51
desire_sanさま

 ポンピドゥー・センターの記事読ませていただきました。
シャガール「ワイングラスを掲げる二人の肖像」ってロシアで描かれたんですねえ。パリだとばっかり思ってた。シャガールは鰊倉庫の息子だったんだ。バックグランドが分かると、世界観がひろがります。ありがとうございます!
                埠頭前ドラゴン拝
Commented by desire_san at 2016-09-22 14:40
kangineさん、コメントありがとうございます。
シャガールの傑作は、意外かもしれませんが、パリで絵かがれた作品よりロシアで絵かがれた作品の方が多いようです。もう一つ不思議なのは、シャガールの作品を展示しているロシアの美術館が意外に少ないことです。エルミタージュ美術館にはシャガールの作品は1点も展示されていません。ロシアの体制に会わないからでしょうか。

by desire_san