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心に残った自然とアート   

レンブラントの命運を託した2つの『解剖学講義』

マウリッツハイス美術館 

Mauritshuis

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 オランダのデン・ハーグにある美術館で、正式名称はマウリッツハウス王立美術館で、2012年半ばより、大規模改修工事が行われ、2年ぶりにオープンしました。改修工事中の2012年に日本で初めて、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」をはじめとしたマウリッツハウス美術館の主要な作品が一同に来日しました。





 東京で開かれたマウリッツハウス美術館展では「真珠の耳飾りの少女」の人気で連日長蛇の列ができるほど盛況でしたが、私が注目したのは名門のマウリッツハウス美術館の主要な作品がほぼすべて揃った充実したレベルの高い内容だったことです。

マウリッツハウス美術館展のレポートへは、下記の文字ををクリックするとリンクします。
マウリッツハイス美術館展



 「主要な作品がほぼすべて揃った」と書きましたが、、実はさすがにマウリッツハウス美術館が世界に誇る秘宝といえる2つの作品だけは国外に出しませんでした。このマウリッツハウス美術館が最も大切にしている門外不出の二つの秘宝が、フェルメールの最高傑作と言われる大作『デルフトの眺望』とレンブラントの出世作『テュルプ博士の解剖学講義』です。



レンブラント『テュルプ博士の解剖学講義』

レンブラント・ファン・レインが1632年に描いたたる油彩画『テュルプ博士の解剖学講義』は、マウリッツハイス美術館にとって門外不出の秘宝で美術史上に残る作品です。レンブラントの画家としての成功はこの『ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義』から始まったのです。故郷のライデンで絵の修業をしたレンブラントは25歳の時にアムステルダムに移ります。『テュルプ博士の解剖学講義』は、その年に外科医組合から注文を受けて描いた集団肖像画です。



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 テュルプ博士が市制解剖官を務めていたアムステルダム外科医師会では、年に1体、処刑された犯罪者の遺体を使った公開解剖が認められていました。17世紀における解剖学講義は社交イベントで解剖劇場と呼ばれる公開専用の講義室が設けられ、学生や同僚の博士、一般市民が入場料を支払って見学できました。見学者の一部は絵に描いてもらう代金を支払った医者たちです。厳粛なる社交イベントにふさわしい服装を着ています。外科医組合では、それまで何枚かの集団肖像画を制作しています。男達の不自然な構図。しかも解剖など興味が無いような表情です。それは、彼らの名誉の為に描かれた記念写真のようなものでした。


 17世紀、テュルプ博士のような高い地位にある科学者は、解剖のような卑しく血なまぐさい作業にはかかわらず、『テュルプ博士の解剖学講義』にも、解剖そのものは描かれていなません。代わりに、右下の隅に、巨大な解剖学の教科書が開いて置かれている。テュルプ博士が腕の筋肉組織を医学の専門家に説明しています。 


 外科医組合から注文を受けた時。好奇心の塊だった若きレンブラントにとって人体解剖を観察する事は千載一遇の機会でした。医学の専門家は、26歳のレンブラントがこの作品で描いた筋肉や腱の正確さに驚かされるといいます。用意される死体は死刑囚のものに限られていたのです。その様子を詳細に観察したレンブラントは、人体の構造を熱心に研究しました。レンブラントは解剖学の教科書から詳細を写し取った可能性も指摘されています。死体の顔には、一部影がかかっています。これは「死の影」と呼ばれ、レンブラントがしばしば使用した技術でした。 


 そして、集団肖像画の概念を一変させるような傑作を描き上げたのです。 格調高い歴史画のように、荘厳な光の中に浮かび上がる死体と男達。テュルプ博士は、先指屈筋と呼ばれる腕の筋肉の組織の説明を行っています。死体の上で交錯する男達のドラマチックな視線。但し気になるのは、死体も博士も見ていない男達の目の方向です。レンブラントは、解剖劇場の観客が味わう迫真の臨場感を絶妙な構図によって再現したのです。


 この作品を見て驚かされるのはレンブラントの迫真の描写力と比類なき表現力です。人の神まで精密に描がれているかのように見え、人の顔は、その人の人格やその時の気持ちまで表現されています。


 『ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義』は、外科医組合本部に掲げられ大評判となりました。絵には左上の隅に「 Rembrandt f 1632 」サインがあます。この作品によって彼の名声は一気に高まり、成功した画家の道を歩み初めていくのです。


 この作品を出発点して、レンブラントは17世紀のオランダが生んだ最大の画家と称されるまでになりました。光と影の中に浮かび上がる劇的な人間の群像。その深い心理への洞察。大胆な構図と繊細なディテール。彼の卓越した筆の力は、あらゆる絵画のジャンルを網羅していきました。



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 レンブラント『テュルプ博士の解剖学講義』を語るとき、語らずにいられないもう一つのレンブラントの『解剖学講義』の絵があります。アムステルダム王立美術館が保有するレンブラント『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』』です。この絵について語るためには、レンブラントのその後の人生の物語を知る必要があります。



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 地位と名声を得たレンブラントは、1642年、彼の才能を凝集して生涯の最高傑作に挑みました。アムステルダム国立美術館の中央に鎮座するように展示されている『夜警』です。縦3メートル63センチ。横4メートル37センチ。その巨大なキャンバスの中で繰り広げられる人間達の魂の演劇。光と影の叙事詩。『夜警』は、レンブラントが36歳の時に描いた集団肖像画の傑作で、17世紀の世界美術史の記念詩的作品となりました。


レンブラントの『夜警』についてのレポートへは、下記の文字をクリックするとリンクします。

レンブラントの『夜警』


 しかし皮肉にもこの作品を境に、彼の人生は転落の道を辿っていくことになります。私生活でも不幸が続き、最愛の妻サスキアを病で失ってしまうのです。浪費による借金も嵩んで、貿易の投資にも失敗し、レンブラントは、破産へと追い込まれてしまいます。レンブラントが人生最大の苦境に立たされた時に、彼の元に舞い込んできたのが、外科医組合からの集団肖像画の注文でした。『テュルプ博士の解剖学講義』から24年の時を経て、レンブラントは再び解剖劇場へと向かいます。そこで描いたのが『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』でした。



レンブラント『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』

 レンブラントが『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』を描くためにアトリエに用意したのは、縦2メートル45センチ、横3メートルという巨大なキャンバスでした。『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』は、『夜警』に継ぐ大作でした。この作品では「前面短縮方」と呼ばれる構図の取り方を採用し、男の足が飛びだしているかのようです。血の気を失った暗く冷たい皮膚。腹部は解剖され黒い闇が大きく口を開けています。解剖されている男の表情に漂うのは、荘厳なる静けさです。彼の頭は、真ん中から2つに開けられ、大脳皮質が外気にその姿を晒しています。この解剖を執り行っているのが、ヨアン・デイマン博士です。助手が持っているものは、切り取られた頭蓋骨。若い助手の生気に満ちた皮膚と冷静な表情が、この絵の衝撃性を際立たせています。しかし「解剖学講義」という題名にも関わらず執刀している肝心の博士の顔が、画面から切れております。この作品の数奇な運命を語っています。


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 レンブラントの『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』は、17世紀アムステルダムの貿易センター ≪デ・ワーグ≫ の中に外科医組合の本部があり。完成した絵はこのホールに飾られていました。ところが、1723年の火災で絵の大半が焼けてしまいます。残ったのは、全体の5分の1。デイマン博士の顔は失われ、助手と死体だけが辛うじてその姿を留めたのです。その後、『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』は売りに出され、ロンドンに渡って行きます。ここで日の作品は再び受難に襲われます。1931年展示されていた国立美術館で、精神を病んだ青年が、斧で切り裂き5ヶ所に渡って、作品は激しく傷付けられてしまいます。5分の1だけ残された『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』。失われた部分には何が描かれていたのでしょうか。 


 『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』は現在アムステルダム歴史博物館蔵に保管されていました。本来この5倍くらいあった作品の一ということもあり、知らなければ見過ごしてしまうような状態でした。しかし、丁寧にこの作品を見ると解剖されるはずの死体の姿が、処刑されて横たわるイエス・キリストできないかと錯覚するほど微妙な美しさと存在感を持っていました。


 この印象から飛躍した解釈をすると、この作品はレンブラントにとってある種の宗教画のように感じ、22歳で処刑された若者に託して表現したかったのは人間の為に肉体を犠牲にした神の顔ではなかったのではないかとさえ感じられてきました。レンブラントこの作品は、全人生の命運を託してレンブラントが目撃した17世紀のオランダ社会の姿とその時代に出現を待たれた「現代のキリスト」を描きたかったのかもしれません。この作品が完成したときは『夜警』に匹敵する傑作だったかもしれません。この作品を完成後も、レンブラントの経済状態が好転することがなかったのは、『夜警』と同様、あるいはそれ以上に物議を醸しだしたのかもしれません。



 「解剖劇場」で生まれた2枚の作品、ひとつはレンブラントに幸運をもたらした作品『テュルプ博士の解剖学講義』、もう1つは悲運な運命をたどった『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』、この二つの作品の運命は偶然でなく、画家として妥協を許さないレンブラントの人生の「光と闇」を象徴しているのかもしれません。


【参考文献】

 アンドリュー モラル, 北村 孝一 () 

「レンブラント (巨匠の絵画技法) 1990

 マリエット ヴェステルマン 「レンブラント (岩波世界の美術) 2005

 パスカル ボナフー「レンブラント―光と影の魔術師」2001/9









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by desire_san | 2016-08-08 22:49 | 北方ルネサンスとフランドル美術の旅 | Trackback(2) | Comments(2)
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Commented by Sissy50 at 2016-08-11 00:08
こんばんは♪
先日「レンブラント リ・クリエイト展」にて、この『テュルプ博士の解剖学講義』を観ました!あまり感情が読み取れない顔であらぬ方向を見つめる男達にギョッとして、何だか不気味だなぁと感じた絵なので良く覚えています。服装にも違和感を感じていたのですが、こちらの記事で17世紀は解剖学講義が社交イベントだったと知り、納得がいきました。その他の内容も初めて知ることばかりで、大変楽しく、興味深く読ませて頂きました。
それにしても、いつもとても深い内容の記事で驚かされます!!これからも楽しみにしています^^
Commented by desire_san at 2016-08-11 03:50
Sissy50さん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
『夜警』や『テュルプ博士の解剖学講義』には、時空を超えて伝わってくる何かがあります。それは作品を描く希薄とが作品に込めた思いなど様々です。最新のデジタルクリエイト技術は大変校となものですが、不でのスピードとか力の入れ具を意とか、あるいは心のときめきとか、再現できないものが多くあるように思います。それはフェルメールの光の大国展を見た時、左翼感じました。フェルメールま絵に囲まれた心地よさを味わうにはよい企画だと環奈字ました。しかし、「レースを編む女」や「牛乳を注ぐ女」のような傑作では、本物を見た時の感動は味わえませんでした。観ていないので「レンブラント リ・クリエイト展」を見ていないので語る資格はありませんが、『夜警』や『テュルプ博士の解剖学講義』のような傑作を見たときの環奈堂を再体験するのは無理だと思っています。

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