北方ヨーロッパ絵画の最高傑作で人類の至宝 『神秘の子羊』のモニュメント
『ヘントの祭壇画』

『ヘントの祭壇画』は幅3.3mを超える大祭壇画で、初期フランドル絵画最大の記念碑と言えます。シント・バーフ大12枚のパネルで構成され、そのうち両端の8枚のパネル(翼)が畳んだときに内装を覆い隠すように設計されています。8枚のパネルは表面(内装)、裏面(外装)ともに絵画が描かれており、翼を開いたときと畳んだときとで全く異なった外観となります。内部上部に燦然と輝く巨大な顔身の姿。下部は緑豊かな神の楽園で、祝祭が行われています。内部パネルは恒常不変のキリスト統治の姿であり、神の国の全体像を鮮烈に描いています。当時この絵を見た人は誰もが「神は生きている。神の世界はここにある。」と信じたと言われています。

『ヘントの祭壇画』は、国際ゴシックの様式と、伝統的なビザンティン美術の様式、及びローマ美術からの影響が見らますが、「美術の新たな概念」として、自然の正確な観察に立脚した写実主義が表現されています。「キリストの騎士」の光を反射してきらめく甲冑や馬具。『ヘントの祭壇画』における革新的表現手法と言えます。
ヤン・ファン・エイクはバザーリの『画家列伝』で油彩画の発明者として称賛されています。油彩画は卵に水を混ぜたテンペラから発展し改良されたもので、ヤン・ファン・エイクはこれらの中世を通じて蓄積された技術や材料に様々な改良を加え油で練った絵具を完成させました。これにより光と影の明暗や色彩の微妙な諧調を描き分けられるようになりました。
ファン・エイクの時代は、キリスト教の思想が日常に根付いていました。この世のすべては神の創造物でした。ファン・エイクは人間の眼を捨てて、神のようにすべてを克明に写す目で世界を見つめていたのです。ファン・エイクは、すべてが神の創造物であるという真実の姿を忠実に再現して示すために、すべてを精密に描きました。空白の一点は幻想の余韻を残して光の中に吸い込まれていくのです。
フーベルトとヤンがこの大作を都のように分担して描いたのかは今でも議論となっています。現在の主流となっている説は、全体のデザインとパネルの構成がフーベルト、絵画作品として完成に多大な貢献をしたのがヤンだという説です。フーベルトが『ヘントの祭壇画』の全体のデザインと構成はフーベルトが完成させ、フーベルトの死後、未完だった『ヘントの祭壇画』の個々のパネルを絵画として完成させたのが大部分を、弟であるヤン・ファン・エイクというのが。現在もっとも広く受け入れられている説です。
ヤンの絵画作品としては、この『ヘントの祭壇画』は、最初から不特定多数の大衆が礼拝に使うことを目的に描かれた、おそらくは唯一の作品でした。ファン・エイク兄弟はキリスト教的象徴を表す俗世のモチーフを極めて慎重に描いていいます。ヤンは優れたミニアチュール作家でもあり、『ヘントの祭壇画』に見られる詳細表現にはその技量が遺憾なく発揮されています。衣服、宝飾、噴水、周囲の自然物、教会、風景などがすべて驚くほど詳細に表現されています。風景には豊かな植物が、科学的といえるほどに正確に描かれています。
『ヘントの祭壇画』では光の描写が大きな役割を果たしており、この作品の最も重要な革新的技法となっています。複雑に踊る光と繊細な陰影描写は、艶のある透明な画肌の表現を可能にしました。人物たちが影を短画することで人々が明るい空間にいることを表現しているだけでなく、光が人知を超えたものであることを感じさせます。「受胎告知」の外装パネルに描かれている影は、画面外からの陽光が礼拝堂内部を照らし出していることを暗示させます。
『ヘントの祭壇画』の革新的要素は、光の反射や屈折を描き分けたモチーフ表面の質感表現です。「キリストの騎士」のパネルに描かれている降り注ぐ光を受けてきらめく甲冑、「神の子羊」のの前に描かれている噴水(生命の泉)のさざ波、『ヘントの祭壇画』に用いられている多くの革新的技法は、長く培われてきた油彩技術や、伝統的なネーデルラント南部での祭壇画のデザイン技法が結実した結果でした。

中央の人物像がイエス・キリストかどうかは異説があります。パネルには聖母マリア、右パネルには洗礼者ヨハネが描かれていますが、中央パネルに描かれているのは「玉座のキリスト」とする説、父なる神という説、父と子と聖霊が一つになった聖三位一体とする説などがあります。いずれにしても、中央パネルの人物は、観る人に恵みを与えるように右手を掲げて正面を向いています。キリストが再び蘇り永遠に統治する栄光の神の顕現、玉座にかけられている金襴には、キリスト磔刑を暗喩するペリカンとブドウが装飾されており、ペリカンは雛を育てるときに自らの血を与えると当時信じられていた鳥で、キリストの血たる聖餐用ワインを連想させるブドウとともに聖体の秘蹟の象徴となっています。王冠には下段の「神の子羊」のパネルを結ぶ役割が与えられており、下段の押し寄せる群集が神に表する崇敬の念の象徴となっています。毛髪1本1本まで描き込まれたイコンは、後世デューラーの自画像に借用されることになりました。
額は丸く張っていて、人間的な性格を感じさせます。マノトは「黙示録」に輝く12の星は「教会としてのマリア」として表現されています。左半円状になっているマリアの玉座の背もたれには「彼女は太陽よりも星々よりも美しく、輝いている。彼女の輝きは神の光と鏡に照らし出されている」という意味の銘文が記されていいます。
聖ヨハネは自身のエンブレムであるラクダの毛衣の上に緑色のマントを羽織り、その視線は中央パネルの人物に向けられており、「見よ、神の子羊」を口にしています。人間のどの社会層にも位置づけず、痩せてひょろ長く病弱気味で、貧乏して憔悴しひもじい思いをしている浮浪者のようでも見えます。
人物描写には短縮遠近法が使用されています、ヤンはイタリア訪問の経験があり、ルネサンス初期に遠近法を最初に導入したドナテッロやマサッチオの作品を目にしてイタリア人芸術家に先駆けて遠近法を習得したという説と、ドナテッロやマサッチオの作品がなくとも完璧に遠近法を使用した絵画を描くことができ、遠近法はどちらかに影響を及ぼしたというよりイタリアとフランドルの両方で同時に発生した表現技法だという説があります。
左のパネルには回転式の木製楽譜台の後ろで歌う天使たちが、右のパネルにはパイプオルガンや弦楽器で伴奏する天使たちが等身大で描かれています。デイシスの隣に歌い奏でる天界の住人を配するという構図は、天界の情景を描き出す際に非常によく用いられていました。『ヘントの祭壇画』の天使たちには、天使を特徴付ける翼を持たず、顔が理想化されていないなど独特の表現で天使が描写されています。『ヘントの祭壇画』の天使たちの描写が俗界的で、極めて魅力的な自然主義で描かれているため、観る人はこの作品が現代の教会音楽を描写した作品を目にしている気分にさせます。
天使たちが立つ床面は、「イエスの御名」IHS」や神の子羊などが染め付けされたマヨリカ陶器のタイルが敷き詰められ、「合唱の天使」のパネルのフレームには「神を讃える歌と記され、「奏楽の天使」のパネルのフレームには「弦楽器とオルガンで彼を讃えると記されています。天使たちが身にまとう赤色や緑色などの豪奢な綾錦は祭壇の前で行わるミサなどの典礼を連想させます。「合唱の天使」は舌や歯の位置も精密に描かれ、コーラスのどのパートを担当しているのか判断できるといわています。
「奏楽の天使」のパネルでは、全身像が描かれているのはパイプオルガンを弾く天使ただ一人で、天使たちが楽器を演奏していると考えられますが、画面に描かれているのは他には4人だけで狭い場所に身を寄せ合うように表現されています。光の反射が描き出されたパイプオルガンの金属部分。オルガン以外の楽器を担当する天使は小さなハープやヴィオラを手にし、楽器も非常に精緻に描かれており、ルガン金属部分の光の反射など、極めて正確に描写されています。
上部に描かれているのはアベルを殺害するカイン。左右両端のパネルには、石造りの壁龕に立つ裸身のアダムとイヴがほぼ等身大で描かれている。初期フランドル派の写実主義で描かれた最初の裸体像であり、ルネサンス初期のマサッチオが、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂の壁画に描いた革新的な『楽園追放』』とほぼ同時代の作品となります。『ヘントの祭壇画』のアダムとイヴは、二人とも人目を気にして股間をイチジクの葉で隠していることから、知恵の樹の果実を食べて堕罪した後のアダムとイヴであることがわかります。
『ヘントの祭壇画』のアダムとイヴのパネルには、当時の作品に伝統的に描かれています。まるで命を宿しているようなアダムとイヴの肉体は、原始林から出てきた毛深い二人の野蛮人で、身体はむくみ、脚は痩せていて、イヴは妊娠が明白すぎるほどおなかが大きく、自らの醜さにためらう様子は微塵も不ありません。 異様な姿は強烈で荒々しく、輪郭はしっかり描かれ、絵具はしっかり滑らかに隙間なく塗られています。色彩は重苦しいが鮮明で、新生かつ密度の高い色で、明るさも適切です。
ヘビ、樹木などエデンの園を思わせるモチーフが一切描かれていません。アダムとイヴはかなり手前に位置しており、2人の足元は最下部のフレームにほとんど接するような場所に置かれています。さらにアダムの右足つま先は軽く持ち上げられており、今にも絵画世界から現実世界へと抜け出しそうな印象を与える。イヴの腕、肩、尻も画面を構成する石造りの壁龕からはみ出しているように見えます。これらの技法がそれぞれのパネルに三次元的な奥行きを与えています。アダムのパネルの上には、初子の羊を供物として神に差し出そうとするアベルと、農場で収穫した作物を神に捧げようとするカインが、グリザイユで描かれています。ファン・エイクは一見彫刻に見えるような表現で描くことによって、作品に深みを与えようとしています。
中央パネルはヤン・ファン・エイクがすべて描いており、顔の迫真性と表情の人間らしさは顕著で、建物、織物、金箔には一層華美で念入りな写実を画面に追加しました。野外の空気も花咲く野の眺め、青霞む遠景を導入したことも一筆に値します。ヤンはフーベルトのビザンチン風の画風が本来持っていた輝かしい神話を地上の水準にまで引き下げたのでした。

内装下段には連続した一つの情景が5枚のパネルに渡って描かれていいます。中央のパネルには『ヨハネによる福音書』に記述がある神の子羊の礼拝が描かれています。下段の各パネルにはこの神の子羊を崇めるために集う人々が描写されている。中央パネルには神の子羊の周囲を取り囲むように四つの集団が描かれている。その他の4枚のパネルには、左から「正しき裁き人」「キリストの騎士」「隠修士」「巡礼者」が描かれていいます。合計で八つの集団が描写されていますがが、女性の集団は中央パネル右上に描かれた集団だけです。それぞれの集団の位置は『旧約聖書』『新約聖書』との関係性の深さによって決められており、古い時期に成立した書に記された集団ほど左側に描かれていいます。
遠方に塔を望のある街を望んで、緑に覆われた牧草地の中央に祭壇に捧げられた純白の毛に包まれた生贄の子羊が立ってこちらを見据えています。前景には生命の泉たる噴水が描かれ、恩寵の水が下方へフェルトの礼拝堂に流れ込んでいます。「子羊」は十字架にかけられたキリストであり、「生命の水」は生命の象徴であり、聖水を称える洗礼盤や洗礼槽は、原罪を洗い清めた生命の蘇りを象徴します。
子羊と噴水の周りには五つの集団があり、画面最上部には聖霊の化身である光を放つハトが描かれています。牧草地は樹木や茂みに囲まれ、遠景にはエルサレムの尖塔が見えます。中世後期の美術品のなかでも、最高の色使いで豊かな風景が描写された最上の作品と言われ、途方もない想像力と能力にあふれた作品で、単なる絵画ではなく絵画全ての芸術性が詰め込まれていると評価してされていすます。
祭壇上の『神秘の子羊』は『ヘントの祭壇画』の主題であり、胸から流れ出す血が金の杯を満たしていいます。子羊の胸には傷があり傷口か血があふれていますが子羊に苦悶の様子はありません。子羊の周りを囲む14名の天使は鮮やかな色彩に満ちた翼を持ち、棘の冠といったキリストの受難の象徴物を持つ天使や、香炉を振っている天使もいます。中央パネルの主題たる『神秘の子羊』は画面中景に描かれており、観る人は画面前景の集団越しに神秘の子羊を見るという構図になっています。「神の子羊」の象徴とされたのは、羊毛工業により繁栄を誇り、羊毛工業を背景とした自由都市ヘント市が最古から認められていた封印という意味もありました。
生命の泉を象徴する噴水は神の国とキリスト復活の象徴でもあります。子羊の直ぐ上の低空には聖霊の化身であるハトが浮かんでいます。ハトの周囲には白色や黄色ハトが放つ光は、このパネルに描かれているのが自然を超えた聖なる光が降り注ぐ場所であることを示唆している。とくに子羊の周りの天使たちにハトの光が直接当たっている描写によって、この超自然的な雰囲気が強められています。このパネルに描写されている光は、上段の天使たちのパネルやアダムとイヴのパネルに表現されている自然で方向性を持った光とは対照的です。下段中央パネルには聖なるものの存在と、楽園が表現されていることを明確にするためにこの光が描かれていると解釈されていいます。聖霊の象徴としてのハトとイエスの象徴としての子羊は、上段パネルの父なる神と同一線上に描かれており、これは父と子と聖霊の三位一体を意味していいます。
サンピエトロ大聖のモザイク画には天のエルサレムに集うキリストと使徒、殉教者が緑豊かな地上の緑と上下2層に表現されています。黙示録では、下の緑なす楽園は、神と子羊の御座からから出て、都の大通りの中央を流れ、水晶のように輝く水の川と12種類の実を結ぶ気について述べられています。『ヘントの祭壇画』の方聖節の園の風景は、基本的に上下2層の表現を継承しています。前景中央には生命の泉を表す噴水と、噴水基台から流れ出す小川が描かれており、その川底には宝石がきらめいています。遠景には詳細に描かれた新しいエルサレムの町並みが見えます。
『ヘントの祭壇画』は、それまでの北方絵画作品には見られなかった詳細な自然主義で描かれています。神話で語られた異教の原始的庭園、ギリシァの果樹園や古代のウェルギリウム的の理想的風景、ペルシャの楽園など美しい樹木が生い茂り清らかな泉が沸き、香りが大地に満ちて、宮殿、宝石、水晶の建物、特に樹木と泉は生命再生と城下のシンボルとしてキリスト教の詩人の表現に取り入れられました。庭にも果実、花々、泉の最小限の道具立てに加えて 遠方に椰子、しゅろ、糸杉、ブドウなど東方系、地中海系の植物が描かれています。
植物は小さく描かれているが植物学的にきわめて正確であり、迫真性のある遠景の雲や岩の描写も、詳細な自然観察により描かれた表現でする。遠景当時実在した教会も描かれており、山並みの描写も最初期の空気遠近法が使割れています。植物のような科学的にも正確な自然物と、聖霊の化身やその聖霊が放つ光といった超自然物とが同居しており、独自の古典的聖書世界を創りあげています。
噴水の基台には「これは生命の泉、神の玉座と神の子羊を源とする」とあり、生命の泉が「神の子羊の血からうまれた」ことを象徴していいます。生命の泉と血を流す子羊の祭壇はパネルの同じ中心線上に位置し、『ヨハネによる福音書』における聖霊の存在を証明していいます。至福なる人々や族長の間に詩人の月桂冠をかぶり、レモンの小枝を手にしたウェルギリウスその人が描き込まれ、ミサに加わっています。ウェルギリウス文学の影響が色濃く及び、地平線に消えていく遠方風景は当時としては新しい表現でした。
生命の泉の右側に配された集団の最前列で三連の冠を被っている3名の人物は、ローマ教皇マルティヌス5世、ローマ教皇グレゴリウス12世、対立教皇アレクサンデル5世です。画面中景の祭壇の左右には、聖職者の格好をした男性の殉教者と女性の殉教者の集団が描かれています。聖処女と呼ばれることもある女性の殉教者たちは、多産と子孫繁栄の象徴でもある豊かな草原に集っています。最前列には子羊を抱く聖アグネス、塔を抱える聖バルバラ、豪奢な衣装の聖カタリナ、バラの花籠を持つ聖ドロテアが、さらに後列には矢を持つ聖ウルスラが描かれています。左側の男性殉教者も、聴罪司祭、ローマ教皇、枢機卿、僧侶、修道士などが青い聖職服を着用して描かれています。
「神秘の子羊の礼拝」の左パネルには騎乗する人々が描かれていて。「神秘の子羊の礼拝」の左隣のパネルには「キリストの騎士」の銘が、左のパネルには「正しき裁き人」という銘があります。他のパネルに描かれた集団とは異なり正しき裁き人には聖人がおらず、依頼主のヨドクス・フィエトがヘントの参事官という地位にあったことを意味するパネルだったという説が有力です。「正しき裁き人」のパネルには騎乗する10名の人物が描かれており、そのうち手前から三番目と四番目の人物はフーベルトとヤンの肖像画とされていますが、他に描かれているのはファン・エイク兄弟ではなく、手前から順にブルゴーニュ公フィリップ2世、フランドル伯ルイ2世、ブルゴーニュ公ジャン1世、ブルゴーニュ公フィリップ3世とする説もあります。「キリストの騎士」のパネルには9名の騎士が描かれていて、手前で十字旗を持つ武装した3名の騎士は、聖マルティヌス、聖ゲオルギオス、聖セバスティアヌスに擬せられる。さらに9名の騎士のモデルとして、ダヴィデ、アレクサンドロス大王、アーサー王ら中世ヨーロッパで畏敬された「九大英雄」という説や、『ヨハネの黙示録』に記された白馬にまたがる天の軍勢とする説などがあります。
「神秘の子羊の礼拝」のパネルの右には隠修士たちと巡礼者たちが描かれています。「隠修士」のパネルで隠修士たちを率いているのは、キリスト教の最初の隠修士テーベの聖パウロ、教会博士パドヴァの聖アントニウス、修道制度の創始者ヌルシアの聖ベネディクトゥスとされています。隠修士のパネルには背景の岩に隠れるよう香油壺を手にしたマグダラの聖マリアとエジプトの聖マリアが救済の象徴として描かれています。「巡礼者」のパネルの巡礼者で一際大きな巨人は、旅人の守護聖人の聖クリストフォロスで、そのすぐ背後の巡礼者は、三大巡礼地の一つサンティアゴ・デ・コンポステーラに墓があると信じられていた聖ヤコブが象徴である貝をつけた帽子を被っていますこの2枚のパネルは、一箇所に留まって瞑想的生活を送る隠修士と各地を精力的に旅する巡礼者という静と動の宗教活動が対比されています。
神の国に馳せ参ずる一群の人々、「聖巡礼者」「聖隠修士」「正しき裁き人」「キリストの騎士」、社会の重要な階層、至高のエルサレム巡礼者、天上と地上の中世的思考形態では、地上のエルサレムと天上のエルサレムは重なっていました。地平線上のはるかな風景、道中に陸標となる重要なモニュメントを置くように配列するやり方は、庭の人物と事物を上に重ねていくやり方に非常によく似ています。
『ヘントの祭壇画』の最上画壇は天蓋をもつ大建物として構成されています。外装に描かれている絵画は三段に分かれていて、外装中段に聖母マリアの受胎告知、外装下段は縦四つに仕切られており、内側部分には単色のグリザイユで表現された彫像のような洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネが、外側部分には『ヘントの祭壇画』の制作依頼主であるヨドクス・フィエトと妻エリザベト・ボルルートの肖像が描かれている。内装上段にはイエス・キリスト(異説あり、後述)を中心として聖母マリアと洗礼者ヨハネが描かれていまのす。マリアの左隣のパネルには歌う天使たちが、さらにその左隣のパネルにはアダムが描かれている。洗礼者ヨハネの右隣のパネルには楽器を奏でる天使たちが、さらにその右隣のパネルにはイヴが描かれています。内装下段の中央部分に描かれているのは神の子羊で、その周囲には神の子羊を崇拝するために集った天使、聖人、預言者、聖職者や、聖霊の化身であるハトなどが描かれています。
『ヘントの祭壇画』の翼を畳んだときに外装の上段には半円形のルパネルが4枚あり、預言者とシビュラ、外装中段に受胎告知が描かれ、下段には聖人の彫刻のような人物像と『ヘントの祭壇画』の制作依頼主のヨドクス・フィエトとその妻エリザベト・ボルルートの肖像画が描かれています。外装は簡素で抑制的な描写がなさ、構成も素朴ですが錯視的効果は外装パネルでも使用されています。

外装中段には「受胎告知」が描かれており、キリストの受胎を伝える大天使ガブリエルが画面左に、聖母マリアが画面右に配されていす。二人とも白色のローブに身を包み、同じ部屋の両端に立っており、室内の大きさと比較すると、ガブリエルもマリアもかなり不釣合いな大きさに描かれています。これは国際ゴシック美術様式とビザンティン美術様式の伝統的な表現手法に即したもので、イコンでは聖人、とくに聖母マリアを周囲の事物よりも大きく表現することが一般的でした。受胎告知に描かれている床面はヤンの作品によく見られるタイル張りで、一つの消失点を持つ透視図法で描かれています。受胎告知を構成する4枚のパネルの右下隅にはフレームの影がタイル張りの床に表現されている。この技法が画面外の仮想的空間から光が差し込んでいるような効果を与えています。「受胎告知」はフランドル風の奇妙な2階建てで、会場の2階に2人の預言者と2人の巫女が下方をのぞき込んでいます。
外装下段の両端のパネルには『ヘントの祭壇画』をフーベルトの制作を依頼し、この祭壇画を教会に寄進したヨドクス・フィエトとエリザベト・ボルルートの夫妻が描かれています。内側のパネルに彫像であるかのようにグリザイユで描かれているのは、洗礼者聖ヨハネと福音記者聖ヨハネであす。石の彫像のように表現することによって、この二人の聖人がこの世ならざるものであり、ひざまずいて手を合わせながら一心に祈りを捧げるヨドクス夫妻の前に現出した幻影であることを示唆しています。下段のパネルに描かれた人物像も右上からの光に照らし出され人物像が象る影はパネルに深みを与える写実表現となっています。

洗礼者ヨハネも福音記者ヨハネも、それぞれの名前が刻まれた石の台座の上に立っている。祭司ザカリアの息子の洗礼者ヨハネは、左腕に子羊を抱えてヨドクスのほうへと目を向けており、掲げられた右手で子羊を指していて、洗礼者ヨハネが唱えた「見よ、神の子羊」という文句を意味しています。
制作依頼主のヨドクス夫妻は等身大で、身体の大きさは聖人を超えています。ヨドクス夫妻は鮮やかな暖色の衣服を身につけており、生命感の希薄な単色の聖人たちとは好対照となっている。ファン・エイクは細心の写実表現で皮膚の皴から血管に至るまで本物そっくりに克明に夫妻の姿を描いています。老いに苦しむ二人の姿が、依頼主に媚びることのない断固とした筆致で描写されており、ヨドクスの潤んだ瞳、皺のよった両手、禿頭、白くなった髭といった老化現象が詳細に表現されています。両手の膨れた静脈や爪も非常に詳細に描かれています。ヨドクス夫妻の肖像が描かれているパネルは『ヘントの祭壇画』で最後に完成したパネルだと考えられており、その完成時期は1431年か1432年初頭とされています。
キリスト教をモチーフとした美術作品の極めて多数が16世紀半ばの聖像破壊運動によって失われ、『ヘントの祭壇画』もこの時期に二度破壊されかけています。1566年8月19日と1576年には『ヘントの祭壇画』の破壊を企図する暴徒から作品を守るために警護兵が派遣されました。このような聖像破壊運動についてヘントの歴史家マルクス・ファン・フェネウィクが、1566年の夏に起こった出来事を書き残している。その記録によると美術品を燃やす炎が10マイル以上離れた場所からも見ることができたとされていいます。美術史家スージー・ナッシュはこのような状況下で『ヘントの祭壇画』が聖像破壊運動にほとんど巻きこまれずに損傷を受けなかったことは、極めて希少な例であると指摘しています。
この祭壇画は聖像破壊運動に加え、度重なる戦禍、火災のため100回を超える移動と解体、再編成の歴史を耐え抜きました。第二次世界大戦ではナチス・ドイツが『ヘントの祭壇画』を略奪ましたが、ベルギーに返還され、全体的な修復が施されました。このためかパネルの寸法違い、上下の人物のスケールの違い、視角の相違など各パネルの不整合性も見られます。そのような厳しい歴史を克服してファン・エイク兄弟が描いたままの状態で、この北方ヨーロッパ絵画の最高傑作を現代の私たちが鑑賞できることは、神の力ではないかと思われるほどの奇跡と感動を感ずるのです。
ファン・エイク兄弟合作のヘントの聖ヨハネ聖堂の祭壇画、弟ヤンの肖像画の作品が有名で、代表作には『アルノルフィニ夫妻の肖像』1434年があります。ファン=アイク兄弟は、フランドルでは油絵が描かれていた油絵技法を完全なものにしましたが。油絵の技法とは、顔料を亜麻仁油(リンシードオイル)で溶かし、何重にも塗り重ねができ、微妙な色の表情を表現することができるようになりました。この技法は写実的な表現を可能にしたため、イタリアに伝えられました。イタリアでは中世以来、フレスコ画やテンペラ画が描かれていましたが、15世紀以降は油絵が描かれるようになり、ルネサンス以後の絵画の主流となりました。イタリア=ルネサンスがアルプスを越えて北の国々に影響を与えましたが、ファン=アイク兄弟が確立した油絵技法はイタリア=ルネサンスに大きな影響を与えました。
【参考文献】
NorbertSchneider (原著), 下村 耕史 (訳)
『ヤン・ファン・エイク《ヘントの祭壇画》』三元社 2008年
高野禎子 編集・執筆:高橋達史他筆
『北方に花ひらく―北方ルネサンス1』講談社 1993年
『ヘントの祭壇画』- goo Wikipedia
聖バーフ大聖堂公式サイト http://www.sintbaafskathedraal.be/
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ファンアイク兄弟の祭壇画「神の子羊」は、2006年のオランダ・ベルギーの旅でベルギー・ゲント(ヘント)に最終日に立ち寄り、見ました。7年もかけて描かれた15世紀絵画の最高傑作いわれるだけあって見応えのあるものでした。樫の木の板に絵の具で直接描いたというのも凄いと思います。
この絵については「めいすいの海外旅日記 オランダ・ベルギーの旅 第8日」私としては詳しく書きました。・・・dezire さんには及びませんが。
http://www.ne.jp/asahi/mizukawa/tomo/oranda/8thday/bergy-no8.htm
早速めいすいの海外旅日記を拝読させていただきました。
私が行ったときは、礼拝堂の中は人であふれかえっていて、祭壇画「神の子羊」の周りも観光客でいっぱいで、絵の近くにへばりついてなんとかしっかりこの名画を見ることができました。
聖バーフ大聖堂とファン・アイク兄弟の銅像の写真が素敵ですね。私か行ったときはも何しろ人が多く、祭壇画「神の子羊」を見ることで頭がいっぱいで、こんないい角度で聖バーフ大聖堂とを見ることができませんでした。内容も充実していて、じっくり読ませていただきました。

憧れのヘントの祭壇画、じかにじっくりご覧になったのですね。うらやましいです。こういう立体作品は、図版ではなかなか理解できません。
隅から隅までご覧になったものを、丹念に言語化してゆくことで、この作品もdesireさんの血肉になったこととお察しします。
個人的には、合唱する天使たちがとても好きです。苦しそうに眉を寄せたり、顔をしかめたり…相当広い音域を歌っているのではないでしょうか。顔の表情からパートまで分かるのですか!?すごいですね!
子羊のいる緑の風景、じつは毎日眺めています。というのも、棚に置いたバッハのミサ曲ロ短調のCDジャケットがこの場面なのです。
神々しいまでに美しい風景ですが、北ヨーロッパで羊と井戸のある風景に出会って以来、なつかしさも感じるようになりました。ウェルギリウスの牧歌の世界もここにはあるのですね。
地上に降りたビザンチン風の世界…desireさんの文章から、ラヴェンナのいくつかのモザイクを思い出しました。ペルシアの絨毯に降りこまれた泉のある楽園も。この絵が火災や戦争を生きのびてきたことを、感謝せずにはいられません。
ヘントの祭壇画のようなキリスト教世界独特の作品は、直観的に見てすごいと思いますが、ご指摘のように理解を深めようとするとかなり難解なところがあります。中世のキリスト教的世界観を一度受け入れた上で、考察していくとだんだん画家が何を描きたかったかが分ってきて、ヘントの祭壇画の魅力にはまっていきますね。なかなかかないませんが、改めてこの美術界の至宝をじっくり見たくなりました。
私の音楽と美術好きで、音楽家やアーティストの方とも交流させていただいて芸術の難しさや喜びを学ばせていただいています。また、世界の最高レベルの芸術体験を求めて海外を旅しています、感動や喜びをブログに載せていますのでおりますので、ご興味がある内容がありましたら、またのご訪問をお待ちしています。これを機会によろしくお願いいたします。

『ヘントの祭壇画』を初めて見たのは未だ一面が発見されていない絵も含めて、現在の様にガラスケースも無く、案内人が開けて説明していた頃、です。地面に描かれた草花をゆっくり数えました。子羊のお顔の復元に驚きました‼️
聖バーフ大聖堂の祭壇画「神秘の子羊の一部修復作業が3年に及びましたが、、このほど終了しました。これまでに修復作業が終了しているのは中央部分を含む下段パネルです。パネルの外側は2012~16年に修復作業が行われました。