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芸術と自然の美を巡る旅  

夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力

サルバドール・ダリ

Salvador Dalí

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 シュールリアリズムを代表する画家・ダリの回顧展が六本木の国立新美術館で開催されています。今回のダリ展は、フィゲラスのガラ=サルバドール・ダリ財団、フロリダ州セント・ピーターズバーグにあるダリ劇場美術館、マドリードの国立ソフィア王妃芸術センター世界の3つの主要なダリ・コレクションから招来される作品を中心に、ダリ芸術のあらゆる側面が紹介されています。 画家の初期の芸術活動から晩年に至るまでの幅広い作品群と最高傑作のいくつかも含まれ、初期から晩年までの約200点の多様なで構成する多様な作品で構成された日本でも過去最大規模のダリ展で、ダリ芸術の全貌を見ることができました。





Dali is known to be a famous Surrealist anddepicting this theme through his paintings and other art works. Most of hisworks show a sort of dream sequence which he often draws hallucinatorycharacters. His major contribution to the Surrealist movement is called the "Paranoiac-CriticalMethod" which is a form of mental exercise of accessing the subconsciousparts of the mind to have an artistic inspiration. He used this method torealize the dreams and imagination ha have in his mind, changing the real worldthe way he wanted and not necessarily what it was.


 シュルレアリスムの発想は、19世紀のロマン主義や象徴主義の流れを汲み、夢や空想の世界を描こうとするもので遊び心やユーモアを重要な要素とする作品、グロテスクな作品から、芸術的範疇を離れた実験と言えるような作品まで多種多様です。


 ダリは、「絵画とは具象的非合理性、又は創造的世界の手作りの色彩写真である。」と考え、表現方法的には、セザンヌから始まった主観的造形表現を否定し、ベラスケスやフェルメールのような精密な写実主義を用いて、非合理的な具象的主題を見る人に伝えようとしているようです。対象を外的世界から主観的世界に導き出し、ひとつの映像の中にいくつもの幻影を認めさせることで、見る人に錯覚の世界を体験させる、美と醜の境界線を混乱させるような試みを絵画に仕込みました。


 サリバドール・ダリの表現法はリアリズムに徹しています。フロイトの精神分析に触発された作品で、無意識に湧き出る複数のイメージを一つの画面にまとめたもので、人間の多重肖像とも言える作品です。ダリは偏執狂的批判的方法という独特の方法で意識下にアクセスし、夢や心象風景を写実的に描写しました。また、一つの物を二つに見立てるダブル・イメージなど、だまし絵的な作品も多数制作しています。



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 ダリの最も有名な作品は、溶ける時計とも呼ばれている『記憶の残渣』

1931年)でしょうか。Tate美術館の説明によれば、溶けている時計は、ダリの大好きなカマンベールチーズとのダブル・イメージになっているそうです。真ん中に横たわっている変な生き物は、ダリ自身、背後の風景はダリの故郷カダケスです。左に群がるアリは腐敗を表します。腐ったものにはたくさんの虫が寄ってくるので、ダリの絵ではアリ、ハエなどの虫は腐敗や死を象徴しています。「記憶の固執」の中で描かれている「溶けている時計」は、キッチンでガラが食べていたカマンベールチーズが溶けていく状態を見てインスピレーションを得たそうです。ダリの芸術哲学の中心には、「柔らかいもの」と「硬いもの」という両極への執着があります。このような「硬いもの」と「柔らかいもの」という両極に対する執着からひとつの視界で表現した作品です。



 サルバドール・ダリ(Salvador Dali 1904−1989)は、スペイン・カタルーニャ地方 のフィゲーラスで生まれました。ダリには同じ名前の兄がいましたが、ダリが生まれる9ヶ月前に、2歳足らずで胃腸炎のために死亡してしまいました。両親は、ダリが長男の生まれ変わりだと思い、同じ名前をダリにつけました。5歳の時、ダリは兄の墓に連れて行かれ、両親から兄の生まれ変わりであることを告げられました。死んでしまった見たことのない兄と自分は、まさにダブル・イメージだと思うようになりました。ダリは、自分はキリストのように復活したのだから、価値のある人間なのだと思うようになりました。


 ダリは並外れて早熟で知的な子供で、情緒が不安定なところがあり、怒りやすく、友人を意味もなく橋から突き落として重傷を負わせるなどサディスティックな一面がありました。ダリ本人も、最初のサルバドール(兄)は完璧すぎて生きていけなかった。私は彼から善なる部分を捨てて生まれてきたのだと言っていました。ダリのこのような性格は、生真面目な父親の間に軋轢を生み出しました。この軋轢は父親が死ぬまで続きました。自伝によると妹とも揉めていました。母親はダリに優しく接し、ダリも母親に懐いていましたが、ダリが16歳の時、母親は乳がんで亡くなってしまいました。父親はすぐに母親の妹と再婚しました。微妙な年頃だったダリの落胆は計り知れないものでした。


 ダリは並外れて早熟で知的な子供で、情緒が不安定なところがあり、怒りやすく、友人を意味もなく橋から突き落として重傷を負わせるなどサディスティックな一面がありました。ダリ本人も、最初のサルバドール(兄)は完璧すぎて生きていけなかった。私は彼から善なる部分を捨てて生まれてきたのだと言っていました。ダリのこのような性格は、生真面目な父親の間に軋轢を生み出しました。この軋轢は父親が死ぬまで続きました。自伝によると妹とも揉めていました。母親はダリに優しく接し、ダリも母親に懐いていましたが、ダリが16歳の時、母親は乳がんで亡くなってしまいました。父親はすぐに母親の妹と再婚しました。微妙な年頃だったダリの落胆は計り知れないものでした。



『ラファエロ風の首をした自画像』1921年頃

夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_21503968.jpg イタリア・ルネサンスの画家ラファエロは、ダリが最も敬愛した画家の一人です。若き芸術家ダリは、ラファエロが制作した首の長い自画像を真似て、首を長くラファエロと同様のポーズをとっています。画家の背景は印象派風の表現で描かれたカタルーニャのカダケス湾とピショット家が居を構えていた小さな島の光景です。 芸術に造詣の深いピショット家との関わりは、ダリが芸術の道を歩むうえで大きな意味を持っていました。この絵を描いたのは唯一の理解者であった母が亡くなった17歳の時で、翌年アカデミーに入学するためローマに旅立っています。ダリはポスト印象主義の影響を受け、鮮やかな色彩と大胆な筆遣いによって、夕暮時の陽光を浴びて幻想的な様相を見せるカダケスの風景を描いています 


 ダリは18歳でマドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入学し、詩人のフェデリコ・ガルシア・ロルカや映画監督のルイス・ブニュエルと知り合いました。


 ダリは大学にアカデミズムを期待していましたが、流行を追うばかりの当時の大学に失望し。入学したばかりで教授の選考に対して大学側と対立し学生の暴動を扇動した罪で放校処分となってしまいました。退学後、ダリは故郷のフィゲーラスに戻り、一人で3年間絵を描き続けていました。1925年、マドリードのダルマウ画廊で最初の個展を開きました。この頃のダリは未来派、古典派にも関心を示し、印象派的、キュビスム。フォービズムまであらゆるスタイルの絵を描いています。マティスからフォービズムの影響を受け、ピカソと出会ってピカソと類似性のある作品を描きました。『キュビスムの自画像』や静物画『スイカ』はダリには珍しいキュビスム的な作品です。


夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_21525862.jpg『ルイス・ブニュエルの肖像』1924

 ダリは王立美術アカデミーの学生寮で、後に映画監督として活躍するルイス・ブニュエルと出会いました。美術アカデミーに入学した後、ダリはキュビスムのスタイルを試みるようになりましたが、ピカソも次第に古典主義に関心を移すようになります。威厳のあるブニュエルの表情が印象的なこの作品は、キュビスムの探究から学んだヴォリュームの構造への厳格な姿勢がうかがえる一方で、明確な輪郭線による写実的な描写には、ダリの新たな関心が確認できます。



『少女の後ろ姿』1926

夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_21545307.jpg 女性の後ろ姿は、ダリが生涯を通じて何度も立ち返ることになるテーマでした。初期の1920年代には、4歳下の妹のアナ・マリアをモデルとして後ろ姿を描いた作品が何点か描かれていますが、後にそれは妻のガラに取って代わられることになります。この作品では、アナ・マリアのうねる豊かな黒髪が克明に描写されているのに対して、背中は大きく単純化されたマッスとしてとらえられています。写実性と神秘性をあわせもった光の解釈には、フェルメールの影響をうかがうことができます。




 1926年から29年にかけてダリは何度かパリ滞在中に、ミロ、イヴ・タンギー、ルネ・マグリット、マックス・エルンスト、トリスタン・ツァラなどシュルレアリスムの中心人物に出会い、アンドレ・プールドン率いるシュルレアリストと交わり、影響を受けていきました。その後ダリは次第にシュールリアリズム的なの作品を描くようになっていきました。1928年、1928年にブニュエルとシュルレアリスムの代表的映画『アンダルシアの犬』、1930年には『黄金世代を共同制作しました。この映画がシュールリアリストたちに認められ、プルドンはダリをシュールリアリズムのグループを新たな方向へ導く象徴的存在と評価し、ダリはシュルレアリスムの代表的な画家となりました。


 しかし、ダリはヒットラーへの共感やウイリアムテルをレーニンの顔を用いて描いたりしたため、シュルレアリスムのグループの画家たちの間から反感を持つ人たちが出てきました。そして、プルドンがダリを批判したテキストを発表したことから、ダリはシュールリアリストから決別しました。結局1929年、ダリは正式にシュールリアリスト・グループに参加し、除名されるまで10年弱に渡ってグループのメンバーとして活動しました。


 シュールリアリズム詩人のポール・エリュアールと妻のガラは恋多き女性で、とガラは夫エリュアールとマックス・エルンストとの三重恋愛し、多重恋愛に疲れたエリュアールが失踪し、エルンストも身を引きました。ガラはガラに一目惚れしてし、エリュアールを捨て、ダリと駆け落ちしてしまいました。1934年、30歳のダリは10歳年上のガラと結婚しました。不思議なもので、ガラとダリは一生を仲良く添い遂げました。ガラは、ダリの良き理解者で、彼のミューズ兼マネージャーとなり、ダリにとって分かち難い存在となりました。



夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_21573113.jpg『カダケスの4人の漁師の妻たち』

1928年頃

 ダリは、1920年代を通じて、ポスト印象主義、キュビスム、ピュリスム、リアリズム、古典主義など、さまざまな美術の動向の影響を受けながら自己の芸術を形成していきますが、1928年頃からは、とくにシュルレアリスムの強い影響を示すようになっていきます。なかでもこの作品は、ダリが最も抽象的な作風に傾いた作品ですが、ハンス・アルプなどの影響が指摘されています。


 ダリはシュルレアリストから決別しました原因はダリの協調性のない性格にも起因しますが、芸術観の違いもあったようです。シューリアリストの多くが受動的な状態で、無市域の夢やオートマティズムを重視したり、遊び心に興じたりする中で、ダリは特定の事物への根源へのこだわりに基づき、「偏執症的批判的方法」という方法で意識下にアクセスし、夢や心象風景を写実的に描写しました。偏執狂的批判的方法とは“あるモノがあるモノにダブって見える”状態を視覚化した表現です。


 またダリはアインシュタインの「一般相対性理論」の理論を作品に取り入れ「記憶の固執」は時空のひずみを象徴しており、現在の時間、過去の時間といったさまざまな停止した状態の時間を同時に描いていると言われています。ダリの代表作『記憶の残渣』では画面には時計が3つありますが3つの時計の時間は異なっています。絵の中の世界は、現在の記憶と過去の記憶が入り乱れる夢の時間の状態、無時間を表現しているようにも見えます。


  ダリはイメージを得るため、ドラッグを使っていると疑われた時、ダリは「私自身がドラッグだからドラッグは使わない」と否定しました。実際には、椅子の背もたれにスプーンを置きウトウトするとスプーンが落ちて目が覚めるとか、Paranoiac-Critical Methodと名付けた意識を失う寸前まで逆立ちをするという修行のような方法で夢を記録していました。


 また、複雑なイメージを重ね合わせる手法として、一つの物を二つに見立てるダブル・イメージなど、だまし絵的な作品も多数制作しています。客観的にみると、ダリは自らを特殊な人間であると信じ、隣人に攻撃を受けているなどといった異常な妄想に囚われるなど強い妄想を抱いているようにも感じますが、これがシュルレアリスムに革命をもたらしました。ダリの絵は観る人を自ら創造した異様なシュルレアリスム的世界に引き込んでいき、非現実的な体験共有させてくれます。 



『降りてくる夜の影』1931

夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_22004124.jpg ダリは故郷のアンポルダ地方で見たノルフェオ岬の岩壁とロサス海岸のイメージを組み合わせ広大な土地に夕暮れ時の影が差すノスタルジー漂う場面を作り出しました。画面中央の小さな白い石のイメージは、カダケスの別荘近くにあるコンフィテーラ海岸の光景と結びついています。右端の岩の背後から姿を現す白い布で覆われた立像は、人のようですが胴体からは不思議な突起物が現れています。ダリの人生に関わる風景に佇む得体の知れないその幻影は、見る者を神秘的な世界に誘います。




『子ども、女への壮大な記念碑』1929

夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_22015120.jpg 時間の経過による物体の腐敗に関心を抱いていたダリは、映画「アンダルシアの犬」(1929年)で、腐ったロバを登場させました。1929年から30年にかけて、ダリは絵画作品でもこの腐敗のイメージを積極的に描きました。この作品では、人間の頭部や手、ナポレオン、モナリザなど、様々なものが朽ちるかのように溶け合った巨大な塔が圧倒的な存在感を示しています。また、画面右上ではダリの恐怖の対象であるライオンが牙をむいています。画面の奥にはミレーの『晩鐘』の二人の農夫が描かれていますが、ミレーの『晩鐘』で祈りを捧げている二人の農夫の足元には子供の棺桶がありました。この作品にはダリの心の白馬のようなものも描かれています。




『謎めいた要素のある風景』 1924

 ダリは17世紀オランダの画家フェルメールを高く評価していました。強烈な光に照らされた雄大な土地で絵画を制作する小さな画家は,フェルメールの『画家のアトリエ』のモティーフのフェルメールです。画面左に描かれた糸杉は「死の島」その源泉を見出すことができます。奥の看護師とともに佇んでいるセーラー服の少年はダリを表しています。緑と黄色の強烈な対比をなす青と黄色が溶け合う画面では、絵画制作を巡る思索により、シュルレアリスム的世界観と融合しているかのようです。19世紀スイス象徴主義の画家ベックリーンの作品の影響も感じられます。


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『見えない人物たちのシュルレアリスム的構成』1936年頃

 1926年に制作した『エス・ヤネの岩礁』に基づき、前景に描いた手で顔を隠す女性と入り江を椅子やベッド、柱脚のある舞台装置のような白いステージに変更しました。椅子やベッドには女性の人型が残されています。マルクス兄弟の未完の映画「シュールリアリストの女性」のためにダリが執筆した台本に関連した作品と言われています。


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『奇妙なものたち』1935年頃

 夜の風景の中に、柔らかい時計、カダケスのクレウス岬、小枝の髪の毛を生やす女性、パンを頭に乗せた男性の胸像など、ダリのシュルレアリスム時代を特徴づけるモティーフが描かれています。ダリは、1930年代中頃から同一形態を異なるテーマに変化させて繰り返す「形態学的なこだま」を探究するようになりました。この作品では、女性の下半身と赤い建物の毛で塞がれた開口部、白い椅子の肘掛と女性の右腕に「形態学的なこだま」が認められます。一見無関係な図像の集まりは、同一形態の反復と限られた色彩によって幻想的な雰囲気を醸し出しながら調和しています。



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『引出しのあるミロのヴィーナス』》 1936

夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_22065802.jpg 古代ヘレニズム期の彫刻「ミロのヴィーナス」(紀元前31世紀)を基に制作されました。ダリは幼少期にこの愛と美の女神を模したテラコッタ製の彫刻を制作し、後に、その体験にエロティックな歓びを見出したそうです。この作品では、この古典芸術を象徴する女神像のなめらかな身体に、6つの引き出しをつけ、胸と腹部には白テンの毛をあしらいました。引き出しは、精神分析によって開示される無意識の世界を示唆する一方で、乳房と組み合わされると、エロティックな意味を暗示します。


 ダリの作品には、地平線があって、空があって、それで形態が曖昧で、メタモルフォーゼ(変形)していたり、思わぬものと合体されるでペイズマンという手法、ダリの思惑にまんまと引っかかってしまいます。



『狂えるトリスタン』1938

 ダリは、レオニード・マシーンの振り付けによるバレエ・リュス・ド・モンテ・カルロのバレエ「狂えるトリスタン」のために舞台美術を制作することになり、衣装を担当することになったココ・シャネルの邸宅に滞在して、習作に没頭しました。この作品はその舞台美術の構想のために描かれた初期の習作の一つで、三つの異なった入り口のある建築物が描かれています。このバレエは、最終的に「バッカナーレ」とタイトルを変えニューヨークで初演されました。


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 ダリは「ナルキッソス」や「聖アントニウスの誘惑」のように神話に基づいた作品も制作しています


『ナルキッソスの変容』1937

 ギリシア神話に出てくる美少年のナルキッソスは言い寄ってくる女性やニンフに冷たい仕打ちを繰り返していました。見かねた神様は、ナルキッソスを湖に誘い出します。水に映る自分の姿を見たナルキッソスは、一目で恋に落ちますが、水の中の自分に触ることは出来ず死んでしまいます。ダリが描いた『ナルキッソスの変容』では、右側の美少年ナルキッソスが手に持った卵に変わり卵から水仙の花現れ、左が湖面のナルキッソスで巨人のようで不気味です。典型的なダブル・イメージの作品です。



『聖アントニウスの誘惑』1946

 聖アントニウス(大アントニウス)は修道士の元祖とされる聖人で、3世紀ころエジプトで生まれました。アントニウスは20歳で全財産を捨て、砂漠で修行に入ります。砂漠で修行していると、悪魔が次々と幻覚を見せてアントニウスを誘惑してきます。この作品では、砂漠で修行するアントニウスが悪魔の誘惑に打ち勝とうとしているところを描いています。象は欲望を、馬はその強さを象徴します。最初の象の上には裸の女性、の象の上にはオベリスクやベネチアの大伽藍、そして遠方の象の上には雲を突き破る塔が描かれています。塔は男根を象徴していると言われています。



 ダリはアメリカに移住し、益々その領域を拡大していきます。『パッカーレ』の上演では舞台装置に留まらず、台本、意匠まで総合的に手掛け、ヒッチヒックの『白い恐怖』の舞台やデズニーアニメ『デスティー』の規格に関わりました。『不思議の国のアリス』の挿入画なども描きました。ダリはアクセサリーのデザイン行い、アクセサリーに「溶ける時計」など自分のモチーフを導入したものもあります。これらの活動はアメリカの商業主義に染まったという批判も受けましたが、一方で宗教的な作品も描いています。『磔刑』(1954)では、ハイパーキューブにキリストが磔となっています。ダリがなぜキリストを描いたか本人にも分からないと言っています。


 

 ダリは原子核のイメージを夢で見て「これこそ宇宙の統一原理だ」と思うようになりました。ダリは原子核物理学に興味を持ち、「原子力の絵画」と名付けた写実性の高い描写に取り組みました。分裂した粒子が浮遊して一定の距離を保つ原子物理学の理論を反映し「原子核神秘主義画家」を宣言し、宗教と科学と融合を語り、「粒子の絵画」を具現化しました。立方体はハイパーキューブと呼ばれ、原子核を表します。ダリのハイパーキューブは様々な場面で登場します。



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『ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌』1945

 広島と長崎に原爆が投下されたことを知ったダリは大きな衝撃を受け、この作品を制作しました。画面中央には、爆弾を落とす戦闘機が首を左斜めに傾けた人間の頭部の形態の中に描かれています。それは、アメリカを象徴する野球選手たち、そして画面右端の爆発のイメージと組み合わされることで、広島に原爆を投下した爆撃機エノラゲイを観る者に想像させます。黒を基調とした画面には、原爆がもたらす恐怖によって支配される陰鬱な世界が広がっています。しかし、ダリにはピカソが『ゲルニカ』を描いた時のような反戦意識があったわけではなく、批判的精神なしに、ただ絵画のモティーフとして描いていたようです。



『「幻覚を与える闘牛士」のための習作』1968-70年頃
夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_22140623.jpg 大型の油彩画『幻覚を与える闘牛士』(196970年)の習作です。1960年代後半から70年代前半にかけて、ダリはダブル・イメージを再び探究するようになりました。画面中央では、ミロのヴィーナスと闘牛士の顔のイメージが重なっています。また、作品内で繰り返されるミロのヴィーナスは、1930年代半ばに「形態学的なこだま」と名付けた手法に依拠しています。右下のセーラー服を着た少年はダリ自身を表わしているとされ、ダリは本作で過去の実験的な試みを振り返っているのです。


 ここで、日曜美術館「ダリの正体!?」の横尾忠則さんの言葉を引用させていただきます。「ダリにとって最も意義ある作品はパン籠である。最も写実的な絵画が最もシュールな作品であることは永遠のパラドクスなのです。またこのパラドクスこそサルバドール・ダリの象徴なのだ」「ダリのリアリズムはよく見るとリアリズムを超えてしまっています。リアリズムの領域というものがあると思うのですが、ダリの描いたパンはその領域を超えてしまっていて、異界からやってきたパンのようにも見えます。われわれは現実の世界に生きているとおもっているけれど、実はシュールリアリズムの非現実な世界の中にも同時に同居しているということなのです」 これらのダリの言葉から読み取ると、リアリズムをつきつめていくと現実を超えた世界にたどり着きます。それがダリの求める最高のシュルレアリスムなのかもしれません




『ラファエロの聖母の最高速度』1954年頃

 ダリは、1951年に発表した著書『神秘主義宣言』で原子力をはじめとする科学技術と宗教、そして古典主義に回帰することの重要性を強調し、ルネサンスの画家ラファエロへの敬愛を示しました。この作品はそうした関心に基づいて制作された一連の作品群で、ラファエロ風の微笑みを浮かべた聖母像は、動的なエネルギーによって旋回しながら幾何学的な形態へと解体されています。古典芸術と現代的なテーマとの融合には、核に神秘的な力を見出そうとしたダリの意図が表れています。




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『素早く動いている静物』1956年頃

 この作品は、16世紀のオランダの画家フロリス・ファン・スホーテンが描いた風俗画「食物のあるテーブル」(1617年)に想を得て制作されました。原子物理学に関心を抱いていたダリは、物体が空間の中で浮遊し、また回転する様子を描くことで、宇宙の成り立ちへの理解を示そうとしました。テーブルの際で傾く瓶、ねじ曲がった果物鉢など各モティーフは一見ばらばらに存在するようですが、実際には、黄金分割の数学的な座標軸上に置かれ、絵画空間は厳格なシステムによって支配されているのです。



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 ダリは自ら「現代の救世主」を唱え、ルネサンス時代まで包括する伝説と世界についての新しい結合を築くことをその責務だと考えました。


『ポルト・リガトの聖母1950夢と現実の狭間でシュルレアリスムを超えた奇才・ダリの魅力_a0113718_04413374.jpg

 ルネッサンスの巨匠・ピエロ・デラ・フランチェスカのモンテフェルトロ祭壇画の聖母の聖母像が描かれ、聖母の周りには核分裂が表現されています。何が起ころうとしているかわからないダリの世界に吸い込まれていくような作品です。い空間にいるような気分にさせられます。画面右下にガラと子供が描かれています。子供はダリ自身を表しているようです。ここでも形態のこだまの技法が使われています。


 1960年から最晩年まで、ダリは古典主義的な大画面の作品を多く描きました。最新の科学技術への視覚的実験にも取り組みました。また、ベラスケスやミケランジェロら「偉大な巨匠」たちに敬意を込めて、西洋美術の伝統と自らの造形表現との融合にも取り組みました。


『チトウアンの大海戦[(962)

 スペインとモロッコの戦いを描いたもので、マルアン・フォルトニーの作品を基に描いた作品です。天から戦場を見つめる聖母としてガラを描いています。戦勝の場面の中にもダリとガラの顔や、ダリがこの絵を描いた年齢の57の数字が描かれています。


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  1982年にガラが死去すると、「自分の人生の舵を失った」と激しく落ち込み、絵画制作をやめてしまいました。ガラはダリにとって作品制作の精神的支柱たようです。ダリは1989年にフィゲラスのダリ劇場美術館に隣接するガラテアの塔で、心不全により。85歳で死去しました。



 ダリの作品は傑作とそうでない作品のばらつきも大きいですが、全体としてダリの創造力の凄さに圧倒されました。ダリの作品を好きな人と苦手の人は分かれると思いますが、苦手の人も含めて強引に自分の世界に引き込んでしまうパワーは、ワーグナーの楽劇を彷彿させると感じました。


 手法的にもワーグナーが「ライトモチーフ」や「無限旋律」のような新しい処方を用いて観衆に衝撃を与えたように、ダリも「「ダブりイメージ・「形態のこだま」「偏執症的批判的方法」のような新しい手法を開発し、作品に導入して絵を観る人に衝撃を与えました。


 ダリの世界は、本人がどう思っているかわかりませんが、非現実的で不条理な世界だと感じます。ダリの世界に入り込んでしまった我々は、安部公房の小説『箱男』、『水中都市・デンドロカカリア』、『砂の女』の主人公のように、不条理の世界に慣らされてしまいます。これがダリのいうシュールリアリズムの世界かも知れません。



 ダリは生前「フランスは世界で一番知性に富み、最も合理的な国なのに対し、スペインは最も非合理的で非西欧的な国」と考え、このような非ヨーロッパ的芸術家たちが、西洋美術の伝統と危機的状況を脱皮する期待を担うべきだと考えていました。常識で律しえない一種の天才で奇才のダリの画業が、希有の独自性と異常なスケールを持ったことは確かです。宗教や原子物理学に触発されながら、「超合理性」への世界に接近していったようにも考えられます。ダリの制作活動はシュールリアリズムの枠を超え、時代精神を読み解き、前衛というより預言者というべきかもしれません。ダリの目指している勝利は、時代の先を行く偉大な孤独者の勝利であり、最終的に人間世界で決して孤立に至らない勝利のように思えました。


 多くの画家が美的感性で作品を制作し、観る人の美意識を刺激してその美しさで観る人手を魅了したのに対して、ダリは色々な道具を開発して、知性の世界で自らの絵画の世界を作り上げているように感じました。それらの道具を使ってアクセサリーの制作など幅広い分野で活躍し、アメリカの商業分遊度も成功を治めることができたのだと思います。


 ダリが作り上げた世界に共感するか否かで、ダリの絵を理解できるかの否かが分れると思います。ダリと精神や価値観に共有できものがあれば。ダリの芸術ほど刺激的で面白い絵画はないと感じられるのではないかと思いました。


参考文献:「ダリ展」総合カタログ

     ジャン=ルイ ガイユマン「ダリ―シュルレアリスムを超えて」

     (「知の再発見」双書)

     岡村多佳夫「西洋絵画の巨匠 (3) ダリ」

     現代世界美術全集〈25〉ダリ (1974) 座右宝刊行会









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by desire_san | 2016-11-27 16:46 | 美術展 & アート | Comments(33)
Commented by Keiko_Kinoshita at 2016-11-25 12:56 x
こんにちは。
いつもながらダリ芸術の本質を分かりやすく解説されたレポートを一気に読ませていただきました。シュルレアリスムのルーツはダダ、キュビスム、カンディンスキーのような抽象絵画、表現主義、後期印象派、ヒエロニムス・ボス、原始的で素朴なプリミティブ絵画やアニミズム絵画まで含まれるといわています。アンドレ・マッソンのオートマティスム絵画は、無意識の考えを反映させた作品で、視覚美術がシュルレアリスムにも適用可能であることを証明された作品で、ナンセンスな表現のダダとシュルレアリスムを明確に区別する絵画しました。ジョルジュ・デ・キリコの形而上絵画は、シュルレアリスムの理論と視覚絵画の関係を位置づけた点に重要せいがあると思います。
Commented by Keiko_Kinoshita at 2016-11-25 13:08 x
前のコメントの続きです。
最初のシュルレアリスムの個展『ラ・パンテュール』は、1925年にパリのピエール画廊で開かれた。そこではアンドレ・マッソン、マン・レイ、パウル・クレー、ジョアン・ミロなどの作品が展示された。第二次世界大戦時に多くの重要なアーティストは北アメリカに逃亡し、アーシル・ゴーキー、ジャクソン・ポロック、ロバート・マザウェルなど、後のアメリカ現代美術を支える多くのアーティストが、逃亡したシュルレアリスムと接触しました。抽象表現自体はに亡命してきたヨーロッパのシュルレアリストとニューヨークの芸術家たちが直接的に接触して発展したもの、ゴーキーやパレーンの影響を受けています。ポップ・アートも含めて、シュルレアリスムはアメリカ美術の急速な発展も重要な影響を与えました。
Commented at 2016-11-25 13:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by つぶ at 2016-11-25 15:05 x
コメントありがとうございます。
ミーハーなので、シュルレアリスム時代の作品がもう少しあるとうれしかったです。
いろいろな時代を一度に見られたのはよかったですが、ちょっと広すぎてぼけてしまったような印象もあります。
Commented by ma-kom at 2016-11-25 17:22
ダリは大好きな作家ですが、スペインには行っていません。
殆どが諸橋近代美術館で愉しんでいます。絵画だけでは無く
オブジェも好きなのでこの美術が大好きです。
Commented by desire_san at 2016-11-25 23:06
Keiko_Kinoshitaさん、シュルレアリスムと他の芸術運動の関係のご説明ありがとうございました。私は、シュルレアリスムは他の芸術運動とは全く違うものだと思っていましたが、それぞれ何らかの形でつながりを持っているのですね。ポップ・アートがシュルレアリスムの表現方法を参考にしているのはわかるような気がします。
Commented by desire_san at 2016-11-25 23:19
Moriさん、コメントありがとうございます。
シュルレアリスムの画家たちの個性は多種多様だということは知っていましたが、Moriさんのご説明で頭が整理されました。ありがとうございます。アンドレ・ブルトンが1924年に『シュルレアリスム宣言』を起草し、シュルレアリム情報誌『シュルレアリム革命』を刊行したときは、シュルレアリスには明確な理念と目的があったのでしょうね。しかしどんな優れた思想も、優れた継承者は続かないもので、現実の壁のなかで変質し、拡散してしまうものなのでしょうね。
Commented by desire_san at 2016-11-25 23:20
ぶさん、コメントありがとうございます。
ダリの芸術は壮大な夢を追っていたようで、全体像を理解するのは難しいですね。
Commented by desire_san at 2016-11-25 23:23
ma-komさん、コメントありがとうございます。
ダリの芸術はオブジェという視点でとらえると、奇抜で斬新なものが多いですね。
ご指摘のように、オブジェを楽しむという見方も面白いですね。
Commented by 山脇由美 at 2016-11-25 23:35 x
dezireさん、こんばんは。
ダリ展のレポートをdezireさんがいつ出すか。楽しみに待っていました。その一つの理由は、難解なダリの芸術をdezireさんがどうまとめるか興味津々だったからですが、さすがに分りやすく整理されてレポートされているのに感服しました。以前ポロックの芸術を見事に分りやすく解説されていたし、シュールリアリズム展の時も分りやすく整理されていましたのでねこのくらいは楽勝なんでしょうね (笑)
Commented by Amerinoseoria at 2016-11-25 23:57 x
ダリの芸術に対する興味あるレブューを読ませていただき、ありがとうございました。ご存知かとも思いますが、シュルレアリスムについて少しコメントさせていただきます。
ブルトンは、詩人のアルチュール・ランボーに情熱を注いており、ランボーの「人生を変える」という言葉を好んで使っていました。これはマルクスの「世界を変革する」と共にスローガンとしてブルトンのシュルレアリスムは政治的には共産党に接近する性格があったのだと思います。ブルトンは1927年にフランス共産党に入党しましたが、シュルレアリストを「少年愛者」だと侮蔑していたジャーナリストのエレンブルグを殴打する事件を起こし、最終的に共産党から追放されました。同性愛者のクルヴェルは「同性愛に反対の共産主義の思想と同性愛を受け入れるシュルレアリストとの矛盾性」 に苦しんでいました。シュルレアリストたちの多くが、「世界変革」と「個人変革」の矛盾に苦しんだのは、近代個人主義は本来、資本主義社会に有用な価値観であったため、「個人変革」という個人主義的な発想は、プロレタリア独裁を唱える共産主義とは本質的に相いれないものだったと考えられます。
Commented by desire_san at 2016-11-26 00:30
山脇由美さん、いつも私のブログを読んでいただきありがとうございます。
楽勝なんでとんでもないですよ。西洋美術の中でシュールリアリズムは最も苦手で、ダリも苦手の画家のひとりです。美しさに魅せられるような美術は美しいと感じられればいいのですが、美しさを求めていない?シュールリアリズムの絵画は、正直どこが良いのかわからない作品がたくさんあります。しかし、今回苦労してダリの絵画のレポートを書いて、なんとなくダリの作品に魅力を感ずるようになりました。
Commented by desire_san at 2016-11-26 00:42
Amerinoseoriaさん、シュルレアリスムと共産主義の関係を丁寧にご説明頂き、ありがとうございました。大変勉強になりました。私が常々思っているのは、個人主義は本来、資本主義社会的な価値観なのか、と、マルクス主義には、旧ソ連のような共産主義しか選択肢がないのかということです。ドストエフスキーも善意の共産主義社会を予言していますが、修正資本主義があるように、修正マルクス主義は存在しえないものなのでしょうか。マルクスの理想は永遠にユートピアなのでしょうか。これは永遠の謎のような気がしますので、ご意見がなければお答えを頂かなくても構いません。余計なことを書いて失礼いたしました。
Commented by jasmine-boo at 2016-11-26 07:35
私のような者がコメント書いていいのか迷いましたが、全部読ませて頂きましたのお返事です。
またダリ展に行ったような更に詳細な解説で勉強になりました。
彼の幼少期や思春期の複雑な家族関係に胸が痛みます。それでも類稀なる才能を発揮して歴史に残る人物になったのは、驚くばかりです。
Commented by desire_san at 2016-11-26 09:13
jasmine-booさん。コメントありがとうございます。
幼少期や思春期の複雑な家庭環境で、ダリの心はずっと病んでいたようです。
ある意味で精神的な病気を持っていたようですが、優れた芸術の才能でと持ち前の強う精神力で、それを乗り越え偉大な仕事を残したのだと思います。
Commented by Georg_charls at 2016-11-26 20:57 x
ダリの芸術に対する分りやすいレブューを読ませていただき、ダリについて私なりの理解ができたように思います。ありがとうございます。
第一次世界大戦を体験し疲弊した年若い芸術家たちにより、秩序に混乱・反発し、新しい世界観を求めました。初期のシュルレアリスム運動は、ダダの後を追うように生まれ、「希薄な目の前の現実ではなく、理性がコントロールしえぬ『真の現実(超現実)』に触れる体験」を重視しました。自動筆記やコラージュなどの実験的な試みがパリを中心にさかんにおこなわれ、特にエルンストは印刷物のイメージを合成したコラージュや、物の表面に紙をこすりつけて模様を浮き上がらせるフロッタージュ、絵の具を塗りつけた紙を他の紙に押しつけて、偶然の模様を作るデカルコマニー(転写法)などの手法を駆使した作品を制作しました。これらの方法に新しい流れを開拓したのがダリだったのではないでしょうか。
Commented by desire_san at 2016-11-26 21:00
ご専門の方からコメントいただき恐縮です。
シュルレアリスム運動のおこりや、マックス・エルンストとダリの違いが理解できました。ありがとうございます。
Commented by aiue-on at 2016-11-26 23:02
こんにちは。
ダリの生い立ちや展示作品の意図、それが生まれた背景などほとんどなにも知らずに「ダリ展」を鑑賞してきてしまいました。。
desire_sanさんの解説を今読んでとても勉強になります!
「子ども、女への壮大な記念碑」の迫力に圧倒されとても印象に残っているのですが、さまざまなモチーフが朽ちるイメージなんですね。

解説、全部理解できていないのですが読んでいるうちに「完璧を恐れるな」というダリのことばが少しわかったような気がしました。
ありがとうございます。
Commented by desire_san at 2016-11-26 23:47
aiue-onさん、私のブログを読んでいただきありがとうございます。
少しでもお役に立てて、嬉しいです。
「子ども、女への壮大な記念碑」はすはせらしい作品でしたね。
ダリは、「完璧を恐れるな」と、次々と自分の絵画の中でいろいろな挑戦をしていったのはすごいと思いました。
Commented by yukiko-xoxo at 2016-11-27 10:10
コメントをありがとうございます。

ダリの有名なぐにゃりとした時計の絵を、中学校の美術の教科書で初めて見て以来、すごく気になる芸術家でした。
隣県の福島県の諸橋近代美術館は何度か足を運びました。
それでも理解したのかしてないのか…。

desire_sanさんのブログを、今回のダリ展で見たものを思い出しながら読ませていただきました。
とても解りやすく、もう一度見に行きたいと思いました。
そうすれば、また違うふうに見れるような気がします。

Commented by desire_san at 2016-11-27 13:24
yukiko-xoxoさん、
私のダリ展の鑑賞レポーを読んでくださり阿野が等ございます、
ダリの有名なぐにゃりとした時計は私も強気印象になこり、ダリに興味を持ち始めました。
私のレポートがyukiko-xoxoさんにお役にたてたようで、大変うれしいです。
Commented by bernardbuffet at 2016-11-27 21:39
この展覧会は楽しめました。
ダリの初期から、その遍歴を追うように構成されていて、日頃馴染のない(場合によっては画集でも殆ど紹介されることのない)側面に触れられたことが収穫でした。
新美術館は杮落しのモネ以来、この類の(アンソロジー的な)展覧会の企画は秀逸ですね。
Commented by desire_san at 2016-11-28 06:04
bernardbuffetさん、コメントありがとうございます。
ダリ展は10年ぶりで、3つのダリコレクションが一堂に集まったということもあり、非常に中身の濃い美術展になりましたね。影像ャ巨大なオブジェも見ることができ、ご指定のように優れた企画でしたね。
Commented by Ichi at 2016-11-29 09:48 x
先日はコメントありがとうございました。
私は画家の生い立ちとその作品の関係性に興味があり、この度、ダリ展も期待を胸に足を運びました。
音声ガイドの竹中直人さんはイメージに合っていましたが、作品についての注釈がやや少なく物足りなさを感じました。
こちらのブログを拝見して『そうだったのか』という、うなづきが沢山あり、ダリについての知識がより深まりました。
Commented by desire_san at 2016-11-29 10:20
Ichiさん 私のブログを読んでいただきありがとうございました。
ダリは、死んだ兄の生まれ変わりというトラウマを背負っていて、少なくても初期の絵画は精神的苦しみとの闘いの痕跡を感じますね。
音声ガイドは、私自身は使ったことがありませんが、使った人の話を聞くと、テレビのダリ展の紹介番組と同様、個々の作品の解説に終始し、「ダリは何を描きたかったのか?」「ダリの芸術の本質はどこにあるのか?」という肝心なことの説明がほとんどないように思いました。それを解かりやすく説明するのは難しいですが、私は出来る限り本質に迫ったレポートを書こうと心がけています。これからも主要な美術展のレポートはできるだけ本質に迫ったレポートを書いていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
Commented by ゆな at 2016-11-30 10:57 x
先日は、私のブログにコメントを頂きありがとうございました。
こちらのブログ、拝見させて頂きました。
ダリについてのまとめ、すごく勉強になりました。
特に興味を持ったのは、ダリの生い立ちについてです。
ダリは自分の事を幼くして亡くなった兄の生まれ変わりだと思っていたのですね。
作品の中に出てくる、ダブル・イメージはこうした自分の出生の影響もあったのでしょうね。
自分は、兄の善なる部分を捨てて生まれてきた・・と言っていたダリ。
ダリの芸術哲学にある「柔らかいもの」と「硬いもの」はもしかしたら、善と悪の両極端の意味もあるのかもしれないなぁと思いました。
こちらのブログを読んで、知識を得たおかげで、ダリの絵をもう一度観たくなりました。
機会があったら、また美術館に足を運びたいと思います。
ありがとうございました。
Commented by desire_san at 2016-11-30 12:08
ゆなさん、私のレポトを読んでくださりありがとうございます。
ダブル・イメージはごご指摘のように、自分は亡くなった兄の生まれ変わりとして育てられたことから絵まれた発想だと思います。ダリは、おそらく自らの芸術哲学を実践するために作品を描いていたのかもしれませんね。ダリの絵画にはいろいろな仕掛けが盛り込まれていて、それを完読していく面白さがあります。エコロジーのように頭を使って絵画を楽しむ人には、ダリの作品は非常に楽しめる芸術ではないでしょうか。
Commented by nekoneko at 2016-11-30 22:41 x
ダリについてわかりやすくまとめてあり、ダリ展にこれから行かれる方も予習バッチリできますね!
展示会、また行きたくなってきました
Commented by desire_san at 2016-11-30 23:12
nekonekoさん、コメントありがとうございます。
私ももう一度ダリ展に行きたいですね。 一回目に見た時より、新しい発見があるかもしれませんね。
Commented by さくら at 2016-12-03 09:35 x
dezire様 先日はメッセージをありがとうございました。
ダリ展のレポート、何度も何度も読ませていただきました。
素人の私にもとても分かりやすく、とても興味深く、勉強になりました。
機会が有りましたら是非もう一度、ダリの絵をじっくり見たいです!
Commented by desire_san at 2016-12-04 10:25
さくらさん、私のブログを読んでいたただいてありがとうございます。
少しでもお役に立てたようで、大変うれしいです。
Commented by なかがわ寛奈 at 2016-12-19 09:15 x
ブログにコメントありがとうございました。
返事が遅くなりました、ごめんなさい。

ダリは素晴らしいですね。
たぶんたくさんの科学者や哲学者の「知識」を感覚ですべて深く「理解」していたのだと思っています。
だから、自分なりのアウトプットになるんでしょうね。

またブログ遊びにきます。
では・・・。
Commented by desire_san at 2016-12-23 12:51
なかがわ寛奈さん、コメントありがとうございます。
ダリは頭を使って絵を描く画家ですね。画家としては貴重な存在だと思います。そのような画家としては最も大きな存在でした。だから感性だけで描掻かれた抽象絵画は嫌いだったのでしょうね。

by desire_san