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芸術と自然の美を巡る旅  

シュールレアリズムの先駆者ボスの魅力とブリューゲルとの違い

ヒエロニムス・ボッシュの名画を訪ねて

VisitingHieronymus Bosch's masterpiece

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 ヒエロニムス・ボッシュは、初期フランドル派の最も著名な代表者の一人です。悲観的な幻想的なスタイルは、16世紀の北部の芸術に幅広い影響を与え、ピーテル・ブリューゲルが彼の最も有名な信奉者でした。ボッシュは、人類の欲望と最も深い恐怖に対する深い洞察を持った、非常に個人主義的な画家と見なされています。世界で役25点しかないヒエロニムス・ボスの希有の油彩画が残っていない奇想の画家・ヒエロニムス・ボッシュの美術を過去に行って見たてきた作品を紹介しながら、ヒエロニムス・ボッシュの絵画の魅力と本質について、考察してみました。





After500 years Bosch’s paintings still shock and fascinate us. Delve into the vividimagination of this true visionary. Who was Hieronymus Bosch? Why do hisstrange and fantastical paintings resonate with people now more than ever? Howdoes he bridge the medieval and Renaissance worlds? Where did hisunconventional and timeless creations come from?  (When you click the "Translate to English" in the lower right, you can read this article in English.



 ヒエロニムス・ボッシュについては生前の史料に乏しく、彼の生涯に不明な点が多いですが、父のもとで絵画の修行をし、富裕な家の娘と結婚して街のキリスト教友愛団体である「聖母マリア兄弟会」に所属し、名士として活動しながら会の依頼で絵画の制作活動を行っていたと考えられています。外国の多くの王侯貴族から注文を受けることもあり、スペイン国王フェリペ2世など後の権力者たちにも愛されていたようです。自らを芸術家と意識し、先人に先駆けて作品に堂々と名前を入れていました。



 ボッシュの特徴は、彼の絵やパネルに登場する悪魔のような人物、有名なモンスター、天使、聖人です。幻想と幻覚、不思議な怪物と悪夢に満ちた彼の特徴的な作品は、誘惑、罪、説明責任という彼の時代の偉大なテーマを間違いなく描いています。中世からルネッサンスへの移行期である1500年頃に制作されたジェロニムスの絵画と素描は、人間、彼の環境、そして彼の創造者との関係を不思議に反映しています。ボッシュの奔放で特徴的な筆使いは、滑らかで細密な描き方の同時代の画家と一線を画していました。大胆な想像力で奇怪な生き物を無数に表現したボスの独創性は、西洋美術史の中で異才を放っています。 


 ヒエロニムス・ボッシュはオランダの美術史で最も謎めいた人物のようです。独創性自体が多くの秘密を隠して、夢のビジョンの世界を繰り返し喜んでいます、誘惑、罪、説明責任という彼の時代の偉大なテーマを間違いなく描いています。中世からルネッサンスへの移行期である1500年頃に制作されたジェロニムスの絵画と素描は、人間、彼の環境、そして彼の創造者との関係を不思議に反映しています。





ヒエロニムス・ボッシュ『聖クリストフォロス』 

                              1500年頃 


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 赤い外套と枯れた杖から新芽が出ていることから、子供はイエス・キリストであることを示しています。魚が飛び、頭上には水差しの家があり、遠くの城から竜が細部を見せ、この奇抜な細部は欲望や悪といった様々な寓意に関係しています。聖人の姿勢からキリストの重さを感じさせます。早描きの筆で立体感と質感がリアルに表現されており、奇妙な味わいを感じさせます。





ヒエロニムス・ボッシュ『放浪者(行商人)』 1450年頃 



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 落ちついた色調の美しい画面構成の作品です。貧しい行商人が娼館の前を歩いています。行商人の顔はしっかりとしていて、貧しくても清貧な放浪者は、威厳さえ感じさせます。ボスの絵画の特徴は、このふたつの作品だけでは分かりにくいですが、様々な奇妙なみのを散りばめて幻想的な世界を作り出していくところにあります。






ヒエロニムス・ボッシュ『愚者の船

       1490-1500年頃 ルーヴル美術館(パリ)



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 僧侶と尼僧が相対しています。尼僧が手にした古楽器エロチックな符号であり。二人の中間に垂れ下がった菓子に心を奪われ、頭上の患者は愚かしさをかかえ、マストには半月の悪魔を描いた旗が翻って見えます。托生のさくらんぼが肉欲の象徴であるとすれば、もとより船は道徳的に、倫理的に難破しかかっています。これを一層具象化しているのが、くるみの型の船、濃緑の水です。 濃い緑は荒廃を暗示し、くるみの船は俗世界からの避難所をさすと考えられ、舟=教会と呼ばれる共同体が危機に瀕しています。


 当時のトルコ人を中心とした異教徒によってキリスト教の混乱もたらされ、キリスト教の混沌を示す中央の修道士と修道女を始めとした人々の愚行が描かれていると解釈されています。






ヒエロニムス・ボッシュ『七つの大罪と最後の四つは』

                   1500年頃・プラド美術館



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 最後の4つのこと(死、裁き、天国、地獄)を詳述する4つの小さな円が、 7つの大罪が描かれている大きな円を囲んでいます。罪の嫉妬深い表現ではなく、人生の場面を使用した贅沢(後に欲望に置き換えられた)とプライド。神の目を表すと大きな円の中心には、キリストが墓から出てきているのが見える「瞳孔」があります。この画像の下には、ラテン語の碑文があります。中央の画像の上下には、ラテン語の碑文があり、「彼らは助言のない国であるため、彼らには何の理解もありません」、上、および「彼らが賢明だったということです。彼らはこれを理解し、彼らは彼らの最後の終わりを考えるだろうと!」





ヒエロニムス・ボッシュ患者の石の切除

  (愚者の治療・いかさま)1475-1480年頃

     プラド美術館 (マドリッド)




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 本来あるはずのない頭の中の石は大衆の無知や愚かさの意味し、大衆の無知や愚かさを利用し利を求める打算に満ちた医師は、高い教養者と社会のモラルの欠如を示しています。頭の中の石が成長すると愚か者になるため石を取り除くため、「にせ手術」を受ける人を描く「愚者の石」は16世紀よく描かれたテーマだそうです。錬金術に熱狂した人々は物質を黄金に帰る「賢者の石」に対して、「愚者の石」はそのパロディーという説もあります。ボスは異端のキリスト教信者だったともいわれ、その懐疑的精神は、中世末の盲目的キリスト教的信仰から距離を置いて人間の愚かさを表現したボスの作品は、客観的に物事を考える知識層に共感を受けた、スペイン黄金世紀の最盛期に君臨し国王のフェリペ2世にも愛されました。






ヒエロニムス・ボッシュ『干し草車 

    1500-05年頃  プラド美術館 (マドリッド)





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 閉扉面に描かれる「放蕩息子」、開扉面左の「エデンの園(原罪)」、開扉面中央の「干し草車」、開扉面右の「地獄」と、4つの世界から構成されるこの祭壇画です。中央部分に細密な人物描写によって描かれる「干し草車」で、祭壇画全体は、原罪を持った人間が、自己の欲に従う愚行を重ねた後、地獄へと至る運命を意味していると推測されていいます。


 干草部分には我先にと干し草を掴み取ろうとする物欲にまみれた人間の姿が描かれるほか、怠惰、強奪、愛欲などの罪を犯す人々の姿も描かれています。人間の存在が獣と分かち難いほど混乱し、人間が危機「精神の焦燥」と物質の忍耐強さ」が交錯した画面になっています。一切は乾草のようにはかなく、虚栄を巡って様々な葛藤が演ぜられています。画面上部には下界を見下ろす天上の神の姿を配しています。お閉扉面に描かれる「放蕩息子」は神なき愚行の世界を憂い逃れんとするキリスト教信者と解釈され、『放浪者(行商人)』の孤独な清貧な放浪者はそのイメージを展開したと見ることもできます。





ヒエロニムス・ボッシュ聖アントニウスの誘惑

                1500-05年頃 リスボン国立美術館




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 キリスト教の聖人、聖アントニウスは、エジプト生まれの修道士で、貧困に喘ぐ者へ財産を与え砂漠に移り住み、隠修士として瞑想と苦行の生活を送った修道院制度の創始者として考えられている人物で、中世以来、最も人気の高かった聖人のひとりです。「聖アントニウスの誘惑」は、砂漠で修行中の聖アントニウスが悪魔の誘惑を受け、奇怪で生々しい幻想に襲われる場面を指し、誘惑に耐える聖アントニウスの信仰心が教義となっています。




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 左に聖アントニウスの飛翔と墜落、右に聖アントニウスの瞑想の両翼をもった祭壇画には、ボスの絵画の個性が存分に発揮されています。ひっそりと黒ミサが催され、邪教が我が物顔にのさばっています。自然界の法則が打ち砕かれ、巨大なネズミの上で騎行する木の女が、枯れた樫の樹皮にくるまれて、一本の巨人はアントニウスの庵を廃墟に変じてしまい、巨人の脚から木の根が育っています。空には魚が飛び回り、卵型の怪物が魚にまたがった姿からも、天魔が天界を支配し、限りない霊と化け物、混乱と非合理の逆さまの倒錯した世界は、愚神礼賛、批判的精神が非合理でもなく、カオスでもなく、深々と罪科の淵に身を沈めています。細部を切り取れば、どれ一つとっても見る者に衝撃と当惑を与える、そこにボスの本質が窺えます。







ヒエロニムス・ボッシュ『最後の審判

     1510年以降  ウィーン美術アカデミー付属美術館



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 『最後の審判』は、再度復活を遂げた神の子イエスが最後の日に再臨した後、全ての死者を復活させ、人類を善と悪に裁き天国と地獄に導くというキリスト教における最重要教義のひとつです。


 左翼では、人類の祖先であるアダムとイブが神によって作られ、彼らが禁断を犯したことで、天使によって天国を追放されるところが描かれ、中央画面では、そのアダムとイブの子孫たちが、行いに応じて天国と地獄に振り分けられ、右翼では地獄の責め苦が濃厚に描かれています

 

 中央画面の上部にはキリストが描かれており、その周りに天子や聖者そして祈りを捧げる人々が描かれてはますが、その光景は審判を描いたというよりは、審判が終わった後の静謐さと、人々の運命を描いていると考えられます。




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 右翼画面も含めて、地獄で展開されている光景は、ダンテの神曲にある地獄のイメージと共通するところが多いとされますが、ボスの場合には、その地獄の拷問者として、彼一流の化け物やら怪物たちを持ち込み、こうした化け物たちは、地上と地獄とを媒介する反天使として、人間と動物とをミックスした形状のグロテスクさは徹底的なものになっており、頭から直接足が生えていたり、頭のかわりに巨大なナイフを乗せていたり、頭が駕籠だったりと、奇想天外さが際立っています。









ヒエロニムス・ボッシュ『快楽の園  

        1510-15年頃 プラド美術館 (マドリッド)



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 パンフレットによると、閉扉時に旧約聖書において父なる神が世界を創造する場面「天地創造」の一場面が、開扉時には伝統的に左扉部分となる「天国」にはアダムとエヴァによる原罪が、中央には淫欲の罪を表すとされる「現世」が、右扉部分となる「地獄」には淫欲の罪を犯し肉欲に支配され人間が堕落する様子が描かれています。祭壇画の閉扉時は、「世界の創造」が描かれ、天地創造の34日目を表し、海と陸に隔てられた地上には生物がまだ存在してないそうです。


 通常展示されているのは開かれた状態で、左扉に描かれるのは、アダムとエヴァによる原罪を表すとされています。この中央部分『快楽の園』は一糸纏わぬ男女の入り乱れる姿から、「淫欲」の罪を表していると推測されます。内部の左扉には、淫欲の罪を犯し肉欲に支配され人間が堕落する様子、『音楽地獄』が描かれており、この地獄部分にはヒエロニムス・ボス作品の特徴と言える、幻想的な奇怪生物が見事に表現されています





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『快楽の園』は一見混乱のように見える画面ですが、無秩序が一大宇宙を構成しておりたとえようもない美しさに感動します。この宇宙には。階級の差別もなければ、人種的偏見もない、むき出しの人間だけが植物、あるいは獣たちのように創造主の祝福を受けられるかのように生き生きとしています。『快楽の園』を多くの批評家は「異教的な官能の賛美」の表現と考えているようです。しかし、ここに描かれている人間たちは、抱擁のさなかにあっても品位と優美さを失っていません。『快楽の園』は、非現実的であるがゆえに現実の現象の世界に打ち勝ち、裸形の愛を裸体の愛を人間同士の人類愛だと訴えかけ、精神的の均衡がこの画面の共同体の理念となっているように感じられるのです。





ヒエロニムス・ボシュ『隠者の三連祭壇画』



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 ヒエロニムス・ボッシュは、悪魔の創造者といわれるほど、多様な宗教的場面を想像力豊かな描写でと風刺的なイメージの画家として歴史に名を残しましたが、視覚的伝統の革新者として特に重要で、独創的に共通のモチーフを解釈し、一連の新しい構成と絵画表現を開拓しました。三連祭壇画は、悪魔の攻撃と誘惑にもかかわらず、地球の喜びを完全に放棄した3人の聖人に捧げられています。祈りを通して、隠者は悪魔とモンスターの攻撃をかわそうとします。では、聖ジェロームが十字架の前に石を置いて自分を懲らしめています。彼はいつものように枢機卿のローブを着ています。



ヒエロニムス・ボシュ『隠者の三連祭壇画』

(文字をクリックするとリンクして、内容を見ることができます。)





ヒエロニムス・ボシュの影響

ヒエロニムス・ボシュは非常に個性的な画家で、類を見ないほど空想的な作風であり美術史的には飛躍した存在であったため、同時代の他の優れた芸術家たちに比べるとその影響力は少なかったと言えます。しかしながら後世になり『快楽の園』の構成要素を自身の作品に取り入れる芸術家が出てきました。1525年頃に生まれたピーテル・ブリューゲルはボスの画家としての技量と創造性が非凡なものであると高く評価し、『快楽の園』右翼から多くの要素を、現在ブリューゲルの絵画で最も有名なものとなっている数点の作品に持ち込みました。女戦士を率いる女性を描いた『悪女フリート』や1562年頃の『死の勝利』に描かれている奇怪な生物は『快楽の園』の右翼パネルの地獄の描写を参考に描かれており、アントワープ王立美術館によれば「奔放な想像力と人目を引く色使い」も『快楽の園』から借用さしています。




ブリューゲルとの比較

 フリューゲルは絵画技術的にはヒエロニムス・ボシュの後継者と言えるかもしれません。フリューゲルの人間に対する優しん眼差しもボスから引きついたものかもしれません。しかし、フリューゲルが追及したのは徹底したリアリズムであるのに対して、ボスは、20世紀のシュールレアリズムに先立ち、様々イメージを創造し具現化していきました。


 ボスがなぜこんな幻想的で、怪奇的な作品を描いたのか、これに対しては諸説があるようです。最も有力な説は、人間の本性的な罪悪を、悪魔的な怪奇性と幻想性な形で傲慢、貪欲など人間の愚かさを表現し、宗教観、道徳観から社会を風刺したというものです。確かに、ボスは現実の物事のある側面をより具体的なイメージを喚起し、そこからより衝撃的にイメージを創造する才能に溢れた画家でした。



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ピーテル・ブリューゲル『悪女フリート』562年




 ブリューゲルも人間の愚かしさを寓話的に描き続けましたが、ブリューゲルの表現には強烈なリアリズムがあり、人間の愚かしさの表現も直接的で、観る人に自らの問題としてより強烈な印象を与えるのではないかと私は思います。これは単なる好き嫌いの問題で本質的な違いではないかもしれませんが。




ブリューゲルの世界観 

     文字をクリックすると、美貴の詳しい説明にリンクします。

  

 ボスに関しては資料が少なく、どのような世界観を持っていたのかは明らかではありません。シュールレアリズムの最も大きな要素のひとつは遊び心です。 ボスが本当にシュールレアリズムの先駆者であったとすると、人間の様々な愚行を具体的なイメージを喚起し、極度に変形した奇怪な生き物を次々と作り上げていったのは、単なるボスの遊び心だったのかもしれません。


 とはいえ、15世紀末の時代に、瞑想・妄想の精神で絵画画面を飾り上げるということは画期的なことでした。しかも、このような瞑想・妄想から生まれた一見無秩序な世界が、絵画画面全体として輝かしい美しさを放っているのです。観る人々の人の心魅了する魅力はこのあたりにあるのかもしれません。




ヒエロニムス・ボッシュの芸術に思う

ヒエロニムス・ボッシュの名作は、ルーヴル美術館(パリ)、プラド美術館(スペイン、マドリッド)、リスボン国立美術館(ポルトガル)、ウィーン美術アカデミー付属美術館、ヴゥネツィアアカデミア美術館(イタリア)など世界各国に散らばっています。


オリジナリティを最高の価値あるものと見なす考え方は、直接語りかけてくることばに耳を傾けるというもっともらしい教訓を、ボッシュによって教え込まれたように思うし、美術史を考える上で、何よりも作品との直接の触れ合いが大切だという立場を自ら表明していました。


ボッシュの美術作品にはオリジナルのアウラにぐいぐいと引きずられて見てしまうものがあります。それは「芸術」で、文学好きの美術評論家や詩人に好まれる図像学のむ視線をはわせていきます。ヒエロニムス・ボスの作品は、イメージを支えるのは強固な肉体であることは確かなのだが、オリジナルこそが絶対だというのであれば、『快楽の園』(マドリッド)や『聖アントニウスの誘惑』(リスボン)の細部をクリアに写し出した図版が私を魅了されてしまいます。


 ボッシュのこの代表作を中世の百科事典として扱い、これを知の宝庫として読み取っていくことができます。ボッシュが「どういう意味かわかるかね」といって、見ている私たちの力を試そうとしているようです。神学、哲学、植物学、生物学、民俗学、さらには占星術や錬金術の知識を総動員して、このミステリーの謎を解こうと努ますが簡単には扉は開かないのです。


 何の意味もないモダニズムの美術鑑賞を勧められても、つまりボッシュの独創的な図像の源泉を、ひとつずつ探り当てていくことができる。ボッシュ「想像力」というものが、あるいは「夢」といい直してもよいが、決してひとりの独創が生み出したものではなくて、作家を取り巻く大きな力、つまり歴史、環境、自然、社会といった要素を含むなにものかによって、突き上げられていると見ることで、美術作品がひとりよがりの閉鎖的世界から脱することになるのです。


ネーデルラントの画家ヒエロニムス・ボッシュは、ヨーロッパが中世からルネサンスに移行する時期にあって、変貌する世界観を丸ごと視覚化した重要な要の位置にある。本書では中世の民衆生活の宝庫であるヒエロニムス・ボッシュの世俗画からはじめ、次にボッシュのファンタジーを論じ、その幻想が当時の社会を写し出したリアリティから生まれることを確認します。そしてそのリアリティの典型を「病いの情景」を通して考察しようという筋書きである。ここでの分析の方法論は、イコノロジー(図像解釈学)によっている。ひとつの図像が成立してくる意味を知ること、それはボッシュという図像の宝庫を丹念に渉猟すると同時に「風景画」や「風俗画」というような、ある種の世界観の成立に目を向けるとき、きわだって魅惑的なものとして私たちの目に映ってくるに違いありません。


全体は三部構成からなる。第Ⅰ部はボッシュの代表的な世俗表現を取り上げる。これまで個別の作品と考えられてきたボスの代表作三点(正確には四点)が、近年一つの祭壇画の一部だとわかり話題となったが、それらはヨーロッパ中世の民衆生活を語るものでもあり、細部の図像解釈を通じて、全体像の復元にいどむ。第Ⅱ部では代表作の『快楽の園』を扱う。美術史上最大の謎とされ、多くの研究者が、様々な解釈を試みてきた大作である。著者もまた長年にわたり取り組んでおり、百科全書ふうに図像辞典として網羅的にまとめて公刊もしてきました。その中でことに謎に満ちた造形を、ここではいくつかのトピックとして取り上げ、従来の説をふまえながらも、図像学の立場から独自の解読を試みています。絵画の中心に位置するフクロウと木男、周縁のモチーフとしてモリスダンスとワイルドマンに注目する。さらに隠し込まれた楽園の幾何学を、文字と数字のシンボリズムとして解明してゆくのです。


第Ⅲ部では現実と幻想の狭間に存在した「病い」という幻影を扱う。ボスの作品における幻想(ファンタジー)と現実(リアリティ)は、モチーフでいえば「怪物」と「奇形」という対比に集約できるものだ。具体的には中世を襲った疫病と「聖アントニウスの誘惑」という幻想絵画の宝庫ともいえるテーマの背景には身の毛のよだつような奇病が存在していたというのが、ここでの話の前提です。


それに先だって楽園に妙薬を探る旅からスタートする。一角獣の角を求めた探索は世界の発見につながり、エデンの園の再発見と連動して加速してゆはます。そうした不可視の伝説は、不老長寿を求める中で、偽りの薬学を誕生させ、「いかさま治療」にまで展開していきます。


「愚者の治療」という頭にメスを入れ、愚かさの石を取り除くという病いの情景もまた、ボスが追求した風刺的意図をもった作品群の一画をなしています。そして奇形への好奇心はファンタジーを越えて、精神病理のリアリティに目が向いたという後年のボスの意志についても触れてみのです。







参考文献: 

図説 ヒエロニムス・ボス: 世紀末の奇想の画家 2014

神原 正明 ()  ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む 2000

プラド美術館 公式ガイド部着く

中野 孝次()『ヒエロニムス・ボス―「悦楽の園」を追われて』1999

神原 正明 ()『ヒエロニムス・ボス: 奇想と驚異の図像学』2019

ヒエロニムス・ボッシュの生涯と作品

 (文字をクリックするとリンクして、内容を見ることができます。)








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by desire_san | 2022-06-19 16:31 | 北方ルネサンスとフランドル美術の旅 | Comments(24)
Commented by totochoco at 2017-07-02 22:39
ボスの絵に関して、興味深く読ませていただきました。
「快楽の園」を初めて見たとき、何という奇妙な世界を
描く画家なのかと思いました。音楽も美術もその時代や影響を受けた先代の作風を知ると、より面白くなってきます。
ブリューゲルの「バベルの塔」は美しいと思います。

desire_san さん、私も昨年と今年、ワーグナー鑑賞
致しました。ワルキューレの救急病棟?は現実的で
引っかかりましたが、それ以外は最高でした。
Commented by desire_san at 2017-07-03 11:31
totochocoさん、コメントありがとうございました。
「快楽の園」は画集で見いいたころはあまり好きな絵ではなかったですが、プラド美術館で本物を見て、絵画画面全体の美しさに魅了され、それ以来ボスの絵画をわざわざ現地まで見に行くようになりました。ボイスマン美術館の「バベルの塔」も絵画画面としては非常に美しいですが、愚かしき人類の未来の預言ょみているような、怖い絵ですね。

飯守泰次郎さんの「指環」は、ワリキューレ、ジークフリートと見ましたが、「東京リング」とは全く違う演出で、成功していますね。
Commented by 3740s at 2017-07-03 11:50
こんにちは
巨大な塔と意識して会場に向かいまして
思いのほか絵画小さいこと、素通りすような鑑賞で
物足りない気持ちで帰りました。

ゆっくり観賞出来るよう工夫して欲しいものです・・・・。
Commented by desire_san at 2017-07-03 14:03
3740sさん、コメントありがとうございます。
ゆっくり作品を鑑賞できなくて残念でしたね。
私は開催されてから1週間後に行ったので、なんとかじっくり作品を見られましたが、それでも『バベルの塔』の前だけに人が群がっていて、あまりゆっくり見られない雰囲気でした。

『バベルの塔』をブリューゲルの最高切削?と称して、宣伝のしすぎですね。
Commented by misaki-km at 2017-07-03 16:48
いつもコメントをありがとうございます。
都美術館へ行く前にこちらを読ませていただけば良かった。と思いました。

別の「バベルの塔」があるのですね。
いつの日にかウイーン美術史美術館で見てみたいものです。
Commented by desire_san at 2017-07-03 19:29
misaki-kmさん、こんばんは。

ウイーン美術史美術館には、「バベルの塔」も含めて、世界にあるブリューゲルの40点のうち12点がウィーン美術史美術館がしょぞうしています。どれも、ブリューゲルの代表的な傑作ばかりです。

Commented by SHADOW at 2017-07-03 20:50 x
こんにちは。
ずいぶんと熱意ある文章と同時に英訳、素晴らしいサイトだと思います。SHADOWです。

「バベルの塔」展を観てきました。
バベルの塔もすごかったですが、
ボスの絵画の方が印象に残りました。
インパクトと「暗喩」のせいだと思います。
暗喩は、興味深いメッセージです。
観る者と時代で異なるのかもしれません。

では、また。
SHADOW
Commented by mcap-cr at 2017-07-04 07:39
おはようございます。
ボスの絵画は、不思議な生物に満ちている作品が多いように感じていましたが、展示では、放浪者のように、謎解きのような作品が解説されていたので、作品の読み方を少しだけ覚えました。
ブリューゲルがボスの後を継ぎながらリアリズムを追求したというお考えは、わかるような感じがします。
ご紹介頂いたボスの作品のうち半分くらいは見たことがあるはずなのですが、当時はよく分かりませんでした。
美術鑑賞には知識が必要なのですね。
Commented by desire_san at 2017-07-04 15:36
SHADOWさん、私のブログを読んでいただきありがとうございます。

この美術展がブリューゲルの最高傑作「バベルの塔」という触れ込みだたためか、(私は、この「バベルの塔」が最高傑作ではないという趣旨でブログを書いていますが。。)「バベルの塔」にたくさんの人が集まっていました。

ボスの絵画2作品に注目していた方は少なかったように感じていましたが、ボスの絵画にインパクトを感じられた感性に、私も共感致しました。ご指摘のようにボスは、具体的なイメージを喚起する才能にたけた画家だと思います。そこがボスの最大の魅力かもしれませんね。
Commented by desire_san at 2017-07-04 15:56
mcap-crさん、私のブログを読んでいただきありがとうごさいます。
ボスには、現実的な人間の愚かさを具体的なイメージを喚起し、斬新なイメージを創造する才能が溢れていたようですね。 15世紀には珍しいシューリアリストのような気がします。

ご指摘のように、ボスの絵画は非常にわかりにくく、ある程度木佐知識がないと、絵画の内容を読み取るのは不可能ではないかと思います。

ただ、ボスの絵画画面はも不思議な美しさがあると感じました。プラド美術館の「悦楽の園」を始めて見たときは、ほとんどこの作品に知識がなかったのですが、中央祭壇の今まで見たことのない美しい美的空間に魅了され、ボスの作品を追いかけるようになりました。個人的には、ボスの作品にはグロテスクなものがたくさん描かれているので、あえて細部は無視して、、絵画画面の美しさを楽しむ方が、ボスを楽しめるのではないか、と思っています。
Commented by lesamantsd at 2017-07-07 20:16 x
ボスの作品は、いくつか本物の作品を見ましたが、独特の世界観があって大変魅力的で、私の好きな画家のひとりです。日本作品が来ないせいか、日本では一般的にはあまり知られていない画家ですね>
Commented by Hara_Meary at 2017-07-07 20:18 x
ボスの作品を画集で見ると、グロテスクな生き物が強調されたような拡大図がたくさんああったりしてのボスの奇想だけが強調されているようで、奇想の画家だと思っている人が多いようです。しかしボスの最大の魅力は、様々なボスの奇妙な創造物をも飲み込んでしまう、美しいコスモスともいえる美的空間だと思います。これは、私も含めて、本物を見た人でないと分からない、他の画家の追随を許さないボスの魅力だと私は思います。
Commented at 2017-07-08 10:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by desire_san at 2017-07-08 11:46
peace-511さん、私のブログを読んでいただきありがとうございます。
安曇野に行った時、いわさきちひろ美術館 を見てきました。 子どもの幸せと平和を願い、原爆や戦争の中で傷つき死んでいった子どもたちに心を寄せて、心温まる作品を描いておられましたね。

絵画の魅力と芸術性とは必ずしも一致しないと思います。絵画の大きな意味は、どれだけ多くの人たちに善意のメッセージを伝えられるかだ面ますね。
Commented by desire_san at 2017-07-09 14:38
lesamantsdさん コメントありがとうございます。

ボスの傑作は祭壇画のような大作で、しかもその美術館の至宝的な存在なので、国外に出ることはめったにないものと思われます。今回『バベルの塔』展で、油彩画が2作品ねも日本に来たのは、最初で最後かもしれませんね。
Commented by desire_san at 2017-07-09 14:42
Hara_Mearyさん、コメントありがとうございます。
ボスは本物をも見ないと本当に作品を見たことにならない代表的な画家ですね。ご指摘のように、美しいコスモスともいえる美的空間の美しさは、比類ないものだと本物の作品を見て、初めて実感しました。
Commented by Kyouko at 2022-06-18 21:48 x
若い頃初めてボスの作品を見た時、シュールレアリズムの画家かと思ったら500年も前の画家と知りびっくりしました。
プラド美術館には彼の作品が多くありました。



Commented by Keiko_Kiinosita at 2022-06-18 21:50 x
ヒエロニムス・ボッシュの名作は、ルーヴル美術館(パリ)、プラド美術館(スペイン、マドリッド)、リスボン国立美術館(ポルトガル)、ウィーン美術アカデミー付属美術館、ヴゥネツィアアカデミア美術館(イタリア)など世界各国に散らばっています。
オリジナリティを最高の価値あるものと見なす考え方は、直接語りかけてくることばに耳を傾けるというもっともらしい教訓を、ボッシュによって教え込まれたように思うし、美術史を考える上で、何よりも作品との直接の触れ合いが大切だという立場を自ら表明していました。






Commented by Wittch_Rargo at 2022-06-18 21:51 x
ボッシュの美術作品にはオリジナルのアウラにぐいぐいと引きずられて見てしまうものがあります。それは「芸術」で、文学好きの美術評論家や詩人に好まれる図像学のむ視線をはわせていきます。ヒエロニムス・ボスの作品は、イメージを支えるのは強固な肉体であることは確かなのだが、オリジナルこそが絶対だというのであれば、『快楽の園』(マドリッド)や『聖アントニウスの誘惑』(リスボン)の細部をクリアに写し出した図版が私を魅了されてしまいます。





Commented by Hiera_Racky at 2022-06-18 21:53 x
ボッシュのこの代表作を中世の百科事典として扱い、これを知の宝庫として読み取っていくことができます。ボッシュが「どういう意味かわかるかね」といって、見ている私たちの力を試そうとしているようです。神学、哲学、植物学、生物学、民俗学、さらには占星術や錬金術の知識を総動員して、このミステリーの謎を解こうと努めますが簡単には扉は開かない。




Commented by dezire-san at 2022-06-18 21:53 x
何の意味もないモダニズムの美術鑑賞を勧められても、つまりボッシュの独創的な図像の源泉を、ひとつずつ探り当てていくことができる。ボッシュ「想像力」というものが、あるいは「夢」といい直してもよいが、決してひとりの独創が生み出したものではなくて、作家を取り巻く大きな力、つまり歴史、環境、自然、社会といった要素を含むなにものかによって、突き上げられていると見ることで、美術作品がひとりよがりの閉鎖的世界から脱することになるのです。

Commented by Storo_Shiraisi at 2022-06-18 21:55 x
 ネーデルラントの画家ヒエロニムス・ボッシュは、ヨーロッパが中世からルネサンスに移行する時期にあって、変貌する世界観を丸ごと視覚化した重要な要の位置にある。本書では中世の民衆生活の宝庫であるヒエロニムス・ボッシュの世俗画からはじめ、次にボッシュのファンタジーを論じ、その幻想が当時の社会を写し出したリアリティから生まれることを確認します。そしてそのリアリティの典型を「病いの情景」を通して考察しようという筋書きである。ここでの分析の方法論は、イコノロジー(図像解釈学)によっている。ひとつの図像が成立してくる意味を知ること、それはボッシュという図像の宝庫を丹念に渉猟すると同時に「風景画」や「風俗画」というような、ある種の世界観の成立に目を向けるとき、きわだって魅惑的なものとして私たちの目に映ってくるに違いない。





Commented by Maasru_Takahashi at 2022-06-18 21:56 x
 全体は三部構成からなる。第Ⅰ部はボッシュの代表的な世俗表現を取り上げる。これまで個別の作品と考えられてきたボスの代表作三点(正確には四点)が、近年一つの祭壇画の一部だとわかり話題となったが、それらはヨーロッパ中世の民衆生活を語るものでもあり、細部の図像解釈を通じて、全体像の復元にいどむ。第Ⅱ部では代表作の『快楽の園』を扱う。美術史上最大の謎とされ、多くの研究者が、様々な解釈を試みてきた大作である。著者もまた長年にわたり取り組んでおり、百科全書ふうに図像辞典として網羅的にまとめて公刊もしてきた。その中でことに謎に満ちた造形を、ここではいくつかのトピックとして取り上げ、従来の説をふまえながらも、図像学の立場から独自の解読を試みている。絵画の中心に位置するフクロウと木男、周縁のモチーフとしてモリスダンスとワイルドマンに注目する。さらに隠し込まれた楽園の幾何学を、文字と数字のシンボリズムとして解明してゆく。
 第Ⅲ部では現実と幻想の狭間に存在した「病い」という幻影を扱う。ボスの作品における幻想(ファンタジー)と現実(リアリティ)は、モチーフでいえば「怪物」と「奇形」という対比に集約できるものだ。具体的には中世を襲った疫病と「聖アントニウスの誘惑」という幻想絵画の宝庫ともいえるテーマの背景には身の毛のよだつような奇病が存在していたというのが、ここでの話の前提である。




Commented by Yasatune at 2022-06-26 12:46 x
楽園に妙薬を探る旅からスタートする。一角獣の角を求めた探索は世界の発見につながり、エデンの園の再発見と連動して加速してゆく。そうした不可視の伝説は、不老長寿を求める中で、偽りの薬学を誕生させ、「いかさま治療」にまで展開していく。「愚者の治療」という頭にメスを入れ、愚かさの石を取り除くという病いの情景もまた、ボスが追求した風刺的意図をもった作品群の一画をなしている。そして奇形への好奇心はファンタジーを越えて、精神病理のリアリティに目が向いたという後年のボスの意志についても触れているのです。




by desire_san