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日本史上最高・最大の彫刻家・運慶の魅力

運慶

Unkei

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 平安から鎌倉時代に活躍し、日本でよく知られている仏像彫刻家・運慶の展覧会が、運慶と縁の深い興福寺の中金堂が、およそ300年ぶりに再建されるのを記念して、東京国立博物館で開催されました。卓越した造形力が生んだ写実性にあふれる天才仏師・運慶の傑作が傑作の数々が集結したこの特別展は、運慶の史上最大の展覧会といえます。この運慶展と、それ以外の今までみた運慶の代表作を見ていきながら、運慶の仏像彫刻家としての成長と発展とともに追っていきたいと思います。





Unkeiwas a Japanese sculptor of the Kei school, which flourished in the Kamakuraperiod. He specialized in statues of the Buddha and other important Buddhistfigures. Unkei's early works are fairly traditional, similar in style to piecesby his father, Kōkei. However, the sculptures he produced for the Tōdai-ji inNara show a flair for realism different from anything Japan had seen before.Today, Unkei is the best known of the Kei artists, and many art historiansconsider him its "most distinguished member"


 当時の大仏師。省庁から仏師集団は院派、円派と興福寺を拠点とした奈良仏師に別れました。院派、円派の保守的な作風に対して、運慶の父・康慶をリーダーとする奈良仏師は、主流だった仏師・定朝の様式に対して、新しい造形を開発しようとする気概がありました。運慶の父・康慶や師匠の作った作品と、若き日の運慶の作品から、運慶独自の造形がどのように生まれていったかを感じることができました。運慶の父・康慶の作品も展示されていましたが、顔の表現などに、徹底したリアリズムが感じられます。



運慶作 大日如来座像   円成寺多宝塔 1176年 (国宝)



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 柳生街道随一の名刹とされる真言宗御室派の円成寺、境内の多宝塔には安置されています。ヒノキ材で作られた寄木造りで、台座天板の裏に墨書銘があり、運慶が安元21176年に制作ました、運慶のデビュー作とされています。 運慶が1151年の生まれと仮定すれは、この大日如来座像は26歳のときの作品ということになります。大日如来は密教における根本仏で「遍く光を照らす者」の意味をもち、如来でありながら、宝冠、瓔珞、臂釧、腕釧を身に着け、一種の王者の姿をとっています。智拳印という印を結ぶ金剛界大日如来像です。


 色褪せかけた極彩色はことのほか魅力的、智拳の印は、新しい力強い彫刻を生みだそうとする若々しい面相と体躯には、新時代の気風と青年運慶の想念が伝わってきます。きれいに梳かれた髪のふくらみなどに、たぐいまれな才能の片鱗が感じられます。整然とした刀の冴えのすばらしさに、人間の体の動きの方向を把握して自然の動きの方を捉える眼と適切な造形をする添付の才能が満ち溢れていています。智拳の印を結んだ両手の形、仏界すべての仏たちがもつ働きを一つに結集した偉大な法力を発揮する、この手の形に、若き運慶は、大きな決意を託したように感じ、この像の本髄を見た思いがしました。私は学生時代に円成寺を訪れてから5回子の仏像を見てきました。最初に観た時は私の人生の生きるべき方向を示しているように感じました。この年齢になって改めてこの仏像と向かい合うと、若々しく爽やかな温かみと緊張感が心地よく、仏の慈悲を感じます。





静岡県伊豆の国市の願成就院では、本尊阿弥陀如来座像、二童子立像が国宝に格上げされました。神奈川県横須賀市の浄楽寺にも運慶一派の作とみられる阿弥陀如来座像、両脇侍立像があり、願成就院とともに、運慶の寺として寺として知られています。




阿弥陀如来坐像・両脇侍立像 浄楽寺 1189



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 鎌倉幕府の有力者、和田義盛らの発案で運慶に制作が依頼されました。朱色の背景に金箔が生え、見ごたえのある展示となっていました。定朝が完成させた定朝様和様彫刻は胸腹部が薄く、衣の襞が浅い穏やかな作風が特徴です。しかし、奈良仏師の作と考えられているこの像にはしっかりと張りのある肉がつき、衣も写実的に表現されています。運慶が生まれたのは、この像が造られたころでした。



 平安中期の定朝様式は、平安貴族の迫りくる没落の予感とはうらはらに、浄土帆の夢を支えるのにふさわしいものでした。しかし、保元平治の乱の中で、美しさに対する感覚が少しずつ変わっていき、運慶の世代の若い仏師らは、権威に対する反抗という雰囲気の中で呼吸していました。定朝様式という権威に反逆し、貴族趣味ではない造形の機会が形となって現れました。運慶の父・康慶は、平安時代から鎌倉時代へと時代が変革する中で、運慶はそれまでとは異なる新しい表現を生み出しました。


 大日如来像の造像から10年間で、運慶は独自の作風をつくりあげていきます。写実性に富み、圧倒的な存在感を放ち、精神の深みまで感じさせる運慶の仏像は、「仏が存在するという実感を得たい」という当時の人々の思いに応えたものでした。


 保守多岐な作風に対して、運慶は、大胆な新様式を試みました。興福寺南円堂仏は、藤原家ゆかりの深いス仏として崇拝を集めていました。運慶は根本仏を思いっきり強く張った肉どりと、大きくうねった衣文は、天平の古物を学んだことが示され、藤原様式とは一線を画すものでした。




仏頭   興福寺宝物館 (重要文化財)



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 1189年頃に造られた西金堂には、本尊丈六の釈迦如来像が鎮座していました。1717年の被災救い出され「木造・仏塔」として、今に伝わっっています。螺髪もいくつもとれてなくなり、金箔も殆ど失われ、下地の漆が赤黒く鈍い光を放っているだけですが、切れ長の眼は鋭く、目鼻立ちが引き締まりはつらつとしていて、まさに運慶の作と大変感動しました。





木造四天王立像 興福寺南円堂 (国宝)



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 興福寺南円堂に行った時木造四天王立像を見てきました。膨らんだ裾を造らない造形は、平安時代の作品にみられるところで、像の動きは軽快で、激しく躍動する姿態は藤原期には見られないものでした。北の守護神である多聞天増の躍動的表現は、バロック彫刻の雰囲気を持っています。衣文は深く彫り刻まれていて、細く高く、衣のヘリは触れば手が切れるように薄く、衣の薄い感じは写実的表現でした。藤原様式を捨て去り、古典復古の契機として、新たな写実とリアリズムを打ち出そうとする激しい気負いとエネルギーを感じました。




木造四天王立像  興福寺東金堂 (国宝)

 旧中金堂の四天王立像は南円堂の本尊は不空羂索観音坐像と同じ材質で造られており、元々は南円堂の四天王立像であることが分ってきました。旧中金堂の四天王立像は、より粗削りな感じの表現ですが、見あげる四天王立像は圧巻です。これも運慶が制作指揮したものと考えられています。



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 東金堂の木造四天王立、豊かな装飾がほどこされた甲や着衣の表現もみごとな、躍動感あふれる四天王立像です。以下、ずっと前に興福寺東金堂を訪れた時もらった資料を引用して説明させて頂きます。四天王立像のうち多聞天は、鎌倉時代・13世興福寺蔵(南円堂安置され、持国天、増長天。広目天、多聞天は平安時代初期の作品で、ノキ材、一木造の四天王像です。頭体部から足下の邪鬼、その下の岩座の中心部まで一材から彫出し、袖先、沓先、邪鬼の脚などの突出部は、別材により矧ぎ足しています。天衣は鉄芯に乾漆で形成し、頭髪、甲の縁、邪鬼の髪などの一部に木屎漆を盛り上げて形成しているそうです。 持国天は右手で宝珠を捧持し、左手は剣を持つ。増長天は右手を腰に当て、左手は三叉戟を支える。広目天は右手を挙げて羂索を持ち、体の右に立てた三叉戟を左手で支える。多聞天は右手で宝塔を捧持し、左手は三叉戟を支える。増長天と多聞天は冑をかぶっています。身色は当時の大きい人の身長160㎝より少し大きく、持国・増長・広目・多聞の順に緑、青、肌色、赤紫、白緑とする。甲や着衣は繧繝彩色と截金をほどこし、当初の彩色が残っています。太造りの体形、一木造に乾漆を併用した造像技法など、平安時代初期の特色を表し、9世紀頃の作とみられます。東金堂内の他の諸像とは時代が異なり、もともとどこの堂にあったものかは不明です。 広目天の持物が筆と巻物でなく、羂索と三叉戟になっているのは『陀羅尼集経』所説に依った図像になっています。持国天・増長天・広目天・多聞天はそれぞれ東・南・西・北を守護するとされ、一般の仏堂では須弥壇の手前に持国天と増長天、後方に広目天と多聞天を配するのが原則です。東金堂の四天王像もこの原則にしたがって安置されていますが、東金堂は西を正面とする仏堂であるので、実際の方位にしたがって四天王像を配置しなおすと、須弥壇の手前に増長天と広目天、後方に多聞天と持国天が位置することにります。仮にこのように配置した場合、増長天と広目天が阿吽の一対となり、両腕の構えや三叉戟の位置も左右対称形になることが指摘されていいます。




十二神将立像  興福寺東金堂 (国宝)


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 宮毘羅、伐折羅、迷企羅、安底羅、頞儞羅、珊底羅、因達羅、波夷羅、摩虎羅)、真達羅、招杜羅)、毘羯羅の12体で、像高113.0126.3cm、東金堂の須弥壇上に安置されています。これも、ずっと前に興福寺東金堂を訪れた時もらった資料を引用して説明させて頂きます。十二神将は『薬師如来本願経』に説かれ、薬師如来とその信仰者を守護するとされる12体の夜叉である。本一具は鎌倉時代の作で、ヒノキ材の寄木造。波夷羅像と招杜羅像は上半身と下半身を別材から木取りして矧いでいますが、このような木寄せ法は旧西金堂の金剛力士像にも例があがあります。眼は玉眼を嵌入せず彫眼としますが、摩虎羅像と毘羯羅像は瞳の部分に漆塗の玉を嵌入しています。安底羅像の髪には乾漆を併用しています。各像の天衣、台座、持物などの一部が後補ですが、本体の保存状態は極めて良いです。作者は慶派の仏師と思われますが、各像の作風にはばらつきがあり、宮毘羅のように表面の仕上げにも截金文様を多用するもの、波夷羅のように彩色文様を主とするものなどがあって、複数の仏師による制作とみられます。東金堂の維摩居士像、もと東金堂にあった可能性の高い梵天像などの作者である仏師定慶も本群像の造立に参加した可能性がります。 上体を前傾させ、振り上げた右手に持った剣で仏敵にとどめを刺すかのような伐折羅像、ひょうきんな表情を見せる毘羯羅像などが高く評価されています。甲冑、着衣などは像ごとに微妙に異なっています。伐折羅、安底羅、波夷羅の3躯は臑当を着けずに脚部を露出しており、伐折羅像は12躯の中で唯一、沓ではなくサンダル状のものを履いています。真達羅像の腰部にみえる獣頭付の毛皮など、珍しい細部もあり、図像には宋画の影響が想定されると説明されていました



 710年に創建された奈良の興福寺の歴史は、焼失と再建の繰りかえしでした。1180年の南都焼討ち後の復興は、仏教美術のルネサンスととらえる美術史家もおり、清新な造仏活動が行われました。この活動を牽引したのが、運慶の父・康慶が率いた慶派と呼ばれた奈良仏師達でした。今回の運慶展は、1717に焼失したままの中金堂の再建を記念して開かれるものです。門外不出だった運慶の仏像も見ることができる貴重な機会になりました。中金堂の再建は2018年夏に完了し、10月には落慶法要が営まれることになっています。




阿弥陀如来像  広隆寺   (国宝)



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 京都・広隆寺で見た阿弥陀如来像は、像高260センチを越える木心乾漆の坐像で、肉髻は高く、螺髪は小粒で整然と並び、額は大きくとり、目鼻立ちは林厳としていました。雄大で豊満な体は重量感に満ち溢れ、茫洋として威風と厚みを感じさせました。前で組む手の位置はやや低く、脚に近い位置に下げ、腕を張って、その緊張感、充実感が伝わってきます。この重厚な一量感平安初期と共通のものです。手は説法印を結ぶ阿弥陀如来像は、奈良平安初期様式の古典を学びながら、たくましさと実在感あふれた新しい仏のイメージが打ち出されていると感じました。



 かつて、円成寺の大日如来座像に、整然とした刀の冴えのすばらしさに、人間の体の動きの方向を把握して自然の動きの方を捉える眼と適切な造形をする添付の天賦の才能が開花していきます。



 運慶は、後に京都の三十三間堂の中尊・千手観音像を制作した長男の湛慶が生まれたころ、南都焼き討ちを迎えます。運慶は、東大寺を焼いた南都焼き討ちに並々ならぬ思いを寄せていました。北条時政のために阿弥陀三尊などを制作し、時政の欧州征伐の際には、願成就院の諸仏を制作しています。この当時の代表作、国宝毘沙門天立像(願成就院)が展示されていましたが、新しい独自の造形が感じられました。


 運慶は、北条時政に会うため東国に下やし、造形伝統のない東国武士のために、仏像を造形することによって、自由に力を発揮する機会を得ました。力が夜を支配している東国で、人間離れした戦士、東国武士の力とイメージを仏像に反映させました。平家をたちまち追い払った東国武士への憧憬を持ちました。





毘沙門天立像 運慶作  静岡・願成就院蔵  文治2(1186)



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 運慶の真作であることが確認されている願成就院の木造毘沙門天立像は、不動明王ニ童子像と同様、本尊阿弥陀如来の脇侍として安置されています。鎧をまとい邪鬼を踏みつけて立つ毘沙門天像ですが、不動明王像と同様に体格が堂々とした武道家のような重量感溢れるものであり身体表現が見事です。厚い胸板と引き締まった腹、しっかりと筋肉のついた腰によって、鎧を着込んだ姿にも関わらず、いまにも動き出しそうな躍動感に溢れています。眼も玉眼を使用して生き生きとした表現が取られています。踏みつけられている邪鬼に至っても、鬼の肌に残るノミの細かい彫り筋がきれいに並び、、胸や腹も丁寧に掘っています。このようにすべてに完璧を求める運慶は、芸術家であるとともに、敬虔な仏教徒であることが感じられます。毘沙門天は、北条時政の発願で造られたもので、このころまでに運慶の作風が確立されたことが分かります


 運慶、運慶、定覚、快慶によって、東大寺大仏殿の官能菩薩像、虚空蔵菩、四天王像などが再作されました。個性ある各仏師が息を合わせての緊張感とエネルギーの持続はすばらしいものでした。 北円堂の四天王像は、運慶が父運慶に代わってリーダーの役割を果たしました。




八大童子立像  高野山霊宝館   (国宝)

 鎌倉時代前期に造像で、高野山の不動明王像に随う八躯八大童子のうち、8躯の童子の中で指徳童子と阿耨達童子以外の6躯、恵喜童子・清浄比丘童子・烏倶婆童子・恵光童子・制多伽童子・矜羯羅童子は運慶作と推定されています。 高野山金剛峯寺の八大童子像は元々、国宝の不動堂で本尊の不動明王坐像とともに安置されていましたが、現在は高野山霊宝館に安置されています。


 運慶作と推定される6躯は、自然な動きを示す躯に、見事な張りとしきしまりを見せ、難しい童子表現に新しい型を作り出しました。東方彫刻の荒々しさと都風に洗練させたものよく調和しています。八大童子像の内の矜羯羅童子と制多伽童子は、不動明王の使者の二童子として最もよく知られ、運慶の作風が最もよくあらわれているとされます。その中では矜羯羅童子は、頭には蓮華の冠を戴き、体は白く合掌した手には独鈷杵を持ち、天衣と袈裟で厳飾するとされます。その性格は小心者で従順であるとされ、童子像の穏やかで親近感のある表情にそれが表されているように思われます。よく見ると手は子供の手で、子供をモデルに制作したものと考えられます。



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 制多迦童子は、その姿は肉身が紅蓮華のような赤色で、頭髪を五つに束ねる五髻とし、左手に縛日羅を、右手に金剛棒を持ち、不動明王の真の心を知らない衆生に対して忿怒の心を込めて接するとされています。童子像は颯爽として非常に理知的な印象を受けます。制多迦童子は造像時の彩色もよく残っており、力量の冴えが際立っています。制多迦童子は、理知的で上品な姿に表現され、目には水晶を使い、生きているかのような表情をしています。完成度の高さにおいて屈指の作といわれるだけあって、若々しく颯爽として立っている姿が非常に魅力的でした。



 運慶は貴族社会と接近し、娘を貴族の養女としました。神護寺講堂の大日菩薩、金剛菩薩と不動明王の3尊を制作し、東寺講堂の中尊を模した作品を制作しました。




東大寺南大門 仁王像 


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 奈良に行くと必ずと言っていいほど東大寺南大門を通り、この2つの像を見ます。運慶、快慶がそれぞれ主導的な立場で制作しましたが、口をへの字に結んだ吽形が運慶作、口を開いている阿形が快慶の作と言われていましたが、最近の研究で、運慶が快慶の阿形の制作にも関わり、全体の統括責任者の役割を果たしていたことが分ってきたそうです。思いきって誇張した睨怒の表情は、大づかみな筋肉表現、風になびく天衣と裾の翻りは1点のゆるぎもありません。左右の長方形の空間に区切られた空間を最大限に活用し、その空間的制約を逆手に取って、その肢体に一瞬の動きを定着し、確固たる実在感を備えています。この構想は雄大で力がこもっています。大づかみな量塊的表現に徹した吽形像に運慶その人を感じさせますが、阿形に関しても基本的に運慶的な雰囲気を漂わせていました。



 運慶は北円堂の復興造像にも携わりました。本尊弥勒仏坐像、無著、世親の3体は鎌倉復興期の運慶一門の作です。他に四天王像も制作しましたが、現在は四天王像は平安時代初期の木心乾漆造で、大安寺から移されたもの担っているとのことです。




木造弥勒如来坐像 運慶作、国宝 北円堂 鎌倉時代  



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 北円堂の本尊像で、弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿を表現した高さ141.9cm の仏像です。源慶が中心になって造られたのですが、源慶、静慶、運賀、運助、運覚、湛慶、康弁、慶運、康勝ら慶派仏師を統率していたのが巨匠運慶で、運慶晩年の名作として知られます。脇侍(わきじ)に法苑林菩薩像と大妙相菩薩像(室町時代 桧材 寄木造 漆箔 玉眼)を従えます。




無著像、世親像  北円堂 桂材 寄木造 彩色 玉眼 1212年頃 

像高  無著像194.7cm   世親像191.6cm

 釈迦入滅後約千年を経た5世紀ころ、北インドで活躍し、法相教学を確立した無著と世親の兄弟の彫刻で、北円堂の弥勒如来像の両脇に安置されています。高さ2メートルに迫る堂々たる体や全てを見透かすような深く鋭い表情が圧倒的な重厚感を放ちます。



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 どっしりとした塊量を持ち、揺るぎない存在感に溢れています。無著像は老睨で、衣文のさばきはやや繁にして、きびしさたくましさのうちにやや枯れた感じを出しています。世親像は、壮年のたくましさと覇気に満ち、衣文は内部の肉体とともにたくましく太くうねります。このような衣文のさばきによる性格表現は、平安初期の興福寺の十大弟子でも見事に表現されていて、運慶もこの十大弟子から学ぶところがあったと思われます。これらの像の深く刻まれた衣文や両手、両袖などの作る空間は、更に充実した雰囲気を醸し出しているように感じさせます。


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 無著、世親像では表面的な装飾が一切取り除かれています。衣文の構成と彫りは、正面の律動を断ち切り、両腕の動きと相まって、大きな空間を形作り、充実した量の構成を築いています。天平彫刻の写実性と、弘仁彫刻のたくましい量感とをあわせ持ち、強烈な自信にみちあふれる姿は、日本美術史上肖像彫刻の最高傑作と呼ぶのに相応しい傑作で、精神の深みまで感じられます。 




重源像

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 重源の容貌をありのままに再現し、一切の装飾的要素を捨てた稀にみる迫真の肖像です。的確に動勢をとらえた老いた身体の猫背の数珠を持つ手の動きをそのまま彫刻的量感に転換させた運慶の力量の凄さを感じさせます。力の渾身を生き続けようとする不動の意思を感じさせます。



 若年、運慶が東大寺・廬舎那大仏の焼失に思いを寄せ、生涯を通じて彫刻による古代復興の熱烈な意思も、運慶の信仰の一端を窺い知ることができます。



十二神将立像

 明治時代初頭、それまで安置されていた寺を離れて民間に流出した十二神将は、現在、静嘉堂文庫美術館と東京国立博物館にわかれて収蔵されています。今回の運慶展では、42年ぶりに十二神将すべてが揃いました。



大日如来坐像 (真如苑)

 大日如来坐像はヒノキ製で、高さが66.1 cmほど大きな仏像で、この仏像の出所は現在の栃木県足利市にあった樺崎寺下御堂に置かれていた厨子に安置されていた大日如来像だったようです。東京国立博物館に調査し、「運慶の可能性が非常に高い」と指摘しました。厚みのある堂々とした上半身や、髪や衣の表現も運慶作品の特徴と一致します。この国宝級の大日如来座像は文化財の指定を受けていませんでした。この仏像が海外で競売に出されると聞いて、足利市では地元市民が署名活動を行い、海外流出を阻止するよう求めました。ニューヨークでのオークションで競売にかけられることになりましたが、幸いにも宗教法人・真如苑が落札してくれたので、海外に流出することだけは免れました。



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 この大日如来坐像は、友人の計らいで、半蔵門ミュージアムで開催された真如苑主催の特別展示で、円成寺の「日如来座像」と同じ部屋で見ることができました。「運慶展」では照明で浮き彫りにされた大日如来座像が正面のガラスケースに納められていて、ガラスケースの4面からじっくり改めて拝観することができました。大日如来像は密教の中心的な仏像で、他の如来像とは異なり、髻を結い、定められた形の衣をつけ、両手で智拳印を結び、右足を外にして結跏趺坐しています。顔の内部から水晶製の玉眼がはめ込まれているそうです。仏像は木製で、表面は今はところどころはげ落ちていますが、全体に漆箔がほどこされ金色に輝いています。横から見ると胸に厚みがあり、全体的に肉体の張りを感じられます。髻に彫られた一本一本の毛筋も、実に鮮やかです。このような表現は運慶の作品の特徴です。


 円成寺境内の多宝塔には国宝の大日如来座像が安置されている運慶26歳の作品・大日如来坐像と比べると、運慶43歳の時の作品と比べると、温和で穏やかな表現ですが、丸く張りのある頬や弾むような生命感を感じさせる体躯が魅力的でした。



聖観音菩薩立像  愛知・瀧山寺蔵 1201年頃



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 寺外初公開の瀧山寺の「聖観音菩薩立像」は、運慶・湛慶作と言われ、肉付きのよい体躯と写実的な着衣の表現に、運慶の特徴が見られました。



 運慶の6人の息子は、いずれも仏師になりました。運慶展では、運慶の作風を色濃く感じさせる康弁と、洗練された作風を持つ快慶の影響を受けた湛慶の像が展示されていました。




天燈鬼立像・龍燈鬼立像  興福寺

 鎌倉時代再興期の西金堂須弥壇に安置されていた像で、四天王像に踏みつけられる邪鬼を独立させ、仏前を照す役目を与えた作品です。 慶の三男、康弁の遺作です。



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 天燈鬼、龍燈鬼で対をなします。天燈鬼像は、2本の角と3つの目を持ち、口を大きく開き、やや横目で前方をにらみ、左肩に乗せた燈籠を左手で支えます。金剛力士の阿吽にならい、天燈鬼は口を開き怒号を発しつつ燈籠を型に負い、腰と右腕で釣り合いをとつた動的な姿勢を取っています。造形が斬新で、絶妙な力の均衡がとれており、肉体の表現が自然で説得力があります。




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 龍燈鬼は、口を結び、腹前で左手で右手の手首を握り、右手は上半身に巻きついた龍の尻尾をつかみ、頭上に乗せた両腕を組んで燈籠を上目遣いに見上げながら支えることに収集します。蛇を身体に巻き付けた奇想の面白さも魅力です。両像とも、人体観察に基づいた大づかみの塊量表現が見事です。


 運慶の作風を受け継いだ康弁の像は、隆々とした写実的な体躯を持ちながらもユーモラスな雰囲気を漂わせています。阿と吽、赤と青、動と静とが対比的に表現された鬼彫刻の傑作といえます。




運慶の魅力

 日本で最も著名な仏師・運慶の名はあまりにも有名ですが、実際は運慶の作品は全国に分散しているため、これまで1度に彼の作品が見られる機会はなかった。今回の運慶展では興福寺の再建を記念し、特別に各地の運慶作品(推定含む)22体が一堂に集結。史上最大の規模の運慶展が実現し、運慶の作品の全体像を見ることができました。



 国宝 大日如来坐像(円成寺)、国宝無著菩薩立像(興福寺)、国宝 世親菩薩立像(興福寺)、国宝 八大童子立像のうち運慶作6体すべて(金剛峯寺)(恵光童子、矜羯羅童子、制多伽童子、恵喜童子、清浄比丘童子、烏倶婆我童童子)のような、今まで何回も見た運慶の傑作は、博物館に芸術作品と展示されることにより、「八大童子立像」に代表される感情まで表現する迫真性、無著菩薩立像、世親菩薩立像に感じさせる精神性の深み、を始め優れた仏像の奥深さを体感することができました。



 また、大日如来坐像(光得寺)、阿弥陀如来座像(浄楽寺)、阿弥陀如来坐像および両脇侍像(浄楽寺)、不動明王立像(浄楽寺)、毘沙門天立像(浄楽寺)、大威徳明王坐像(光明院)、聖観音菩薩立像(瀧山寺)、地蔵菩薩坐像(瑞林寺)、地蔵菩薩坐像(六波羅蜜寺)など、今まで全く見てことがなかった運慶及び運慶一派の仏像を見ることができたのは新鮮で、運慶の知らなかった芸術家としての一面を知ることができました。



 まるで本当に仏たちが目の前に迫ってくるかのような緊張感と崇高さ。繊細で卓越した造形力に裏打ちされた運慶の作品は、生々しく、見るものの心を深く打ちました。運慶の仏像の怒りの表現は、現代も争いを続ける人間の愚行に対する屁と家の怒りと、寛容と慈悲の心を別れた人間の愚行が今日も行われている人間に対する悲しみとも感ずることができます。生身の人間のように生き生きとした表情を浮かべる仏像の顔と向き合うと、運慶の作品の精神性の深さや感情までもが時空を超えて伝わってきます。




参考文献

「運慶展」図録 2017  

朝日新聞出版「運慶への招待」– 2017

すみだ北斎美術館 - 隅田川両岸景色図巻 図録 2016

「運慶大全」小学館






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by desire_san | 2017-11-27 13:18 | 日本の美術・文化遺産 | Trackback | Comments(27)
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Commented by fran9923 at 2017-11-26 17:05
こんにちは。
こちらに伺いました。
いい加減な私のブログにお越し下さり、ありがとうございました。
さすが、運慶のこと、沢山書かれていて驚きました。
運慶の彫刻は、横から見た時の体の厚みに圧倒されました。
それでいて繊細な表現がたまりません。素晴らしかったです。

さらに登山もなさるのですね。
すごいパワーにまたまた驚きです。
また伺わせてください。これからも宜しくお願い致します。
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-26 17:11
学生時代から仏像に馴染んでこられたのも頷ける、圧倒的な鑑賞力と知識、素晴らしいです。
長谷川宏「日本精神史」に運慶の世親無着、東大寺仁王、並びに重源の果たした役割について書いているのを読んでいたのが助けになりました。
今日でおしまい、寂しいですね。
Commented by normduke141 at 2017-11-26 23:55
こんにちは。ブログ拝見致しました。
一点一点丁寧な解説で感服致しました。
運慶展を見に行く前に読みたかったですw
私は、中でも毘沙門天(願成就院蔵)と無著像が
良くできており素晴らしいと感じました。
まるで魂が宿っているかの様に思えました。
Commented by ktoyotoyo at 2017-11-27 13:00
素晴らしい知識とレポートですね。圧倒されました。こちらのブログを拝見させていただいて勉強してから運慶展を見に行けばよかったと思いました。私へのコメントもありがとうございました。
Commented by desire_san at 2017-11-27 13:27
fran9923さん、コメントありがとうございます。
運慶というと、東大寺南大門の仁王像や金剛力士像のような力強い像を連想しますが、ご指摘のように、繊細な表現の仏像が多かったですね。 このように、運慶のような幅広い芸術的な仏像を残したのは、運慶だけではないでしょうか。
Commented by desire_san at 2017-11-27 13:32
saheizi-inokoriさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
長谷川宏さんは、「日本精神史」で、運慶の世親無着、東大寺仁王、並びに重源の果たした役割について書いているおられたのですか。 私もその本は行っていたのですが読んだことはありませんでした。  saheizi-inokoriさん、このほんが運慶の理解にお役に立つたという情報、ありがとうございます。 私も読んでみたいと思います。


Commented by desire_san at 2017-11-27 13:35
normduke141さん、コメントありがとうございます。
私も、無著像の精神的な豊かさに魅力を感じました。
願成就院の毘沙門天は、始めて見ましたが、非常に完成度の高い傑作で、
今も心に残っています。



Commented by desire_san at 2017-11-27 13:40
ktoyotoyoさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
実は、運慶展を見た後で、非常に魅力を感じた仏像で、今まで知識がなかったものは、調べ直して書いています。 ド本物を見ておくと、後でカタログの画像を見ると、その素晴らしさが心に蘇ってきますね。


Commented by かめさん at 2017-11-27 21:09 x
サイト拝見させていただきました。
美への探求心がもの凄いですね!
私は年に1,2回、制約のある中、美で心を浄化させたく上野にまいります。
写真が多く載せられているので、またちょくちょくサイトを拝見させてもらいます。
Commented by at 2017-11-27 22:20 x
こんにちは。仏像に対してとても繊細な観察眼をお持ちですね。
私も無著・世親像の衣文の陰影はとても印象深かったです。
他の記事も面白かったです。ニーベルングの指輪が新国立で上演されていたなんて知りませんでした。これからも楽しい記事を読ませてください。
Commented by 1/f和(&娘) at 2017-11-28 16:27 x
こんにちは!先日は私のツタナイblogにメッセージを頂きありがとうございます!
一緒に運慶展に行った娘と読ませて頂きました。
以下は娘からのメッセージです。↓

はじめまして、ブログ拝見させていただきました。仏像や様様な彫刻一点一点への細かい解説やコメント、とても勉強になりました。
私はまだ高3で、学校での薄い知識しかありませんが、昨日訪れた運慶展は非常に感動しました。その感動が改めて甦り、さらに深くなるような記事を拝見出来たこと嬉しく思っています。
Commented by 1/f和(&娘) at 2017-11-28 16:27 x
こんにちは!先日は私のツタナイblogにメッセージを頂きありがとうございます!
一緒に運慶展に行った娘と読ませて頂きました。
以下は娘からのメッセージです。↓

はじめまして、ブログ拝見させていただきました。仏像や様様な彫刻一点一点への細かい解説やコメント、とても勉強になりました。
私はまだ高3で、学校での薄い知識しかありませんが、昨日訪れた運慶展は非常に感動しました。その感動が改めて甦り、さらに深くなるような記事を拝見出来たこと嬉しく思っています。
Commented by 荻野誠人 at 2017-11-30 10:37 x

先日は私の拙い記事にご感想をお寄せくださり、ありがとうございました。

いや、恐れ入りました。こんなにすごい記事とは思いも寄りませんでした。dezireさんは何かの専門家でいらっしゃるのでしょうか。

dezireさんの記事と比べますと、私のなどは、せいぜい夏休みの絵日記といったところです。

ただ、恐れながら、漢字の誤変換が散見されますことをお伝えいたしたく存じます。

それでは失礼いたします。

Commented by desire_san at 2017-11-30 18:05
かめさんさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。

コメント頂いたように、美しいものを見ると心が浄化されますね。



Commented by desire_san at 2017-11-30 18:09
仙さん、コメントありがとうございます。

仏像は覚醒自体から好きで、奈良、京都を廻っていました。

飯守泰次郎さんが芸術監督になって、新国立劇場で「ニーベルングの指輪」を再招宴されましたが、前の演出より良かったと私は感じました。


Commented by desire_san at 2017-11-30 18:13
/1/f和(&娘)さん、お嬢様と一緒に私のブログを読んでいただいてありがとうございます。

私は、一般的にですが、西洋の彫刻より日本の仏像彫刻に魅力を感じ、一時は度々奈良、京都に出かけて、仏像彫刻を見てきました。

仏像彫刻には、西洋の彫刻にない精神性があると感じています。


Commented by desire_san at 2017-11-30 18:18
1/f和(&娘)さん  お嬢さんからのコメント、大変うれしいです。

私なりに学んで感じたことが、お嬢さんのような感性の高い若い方の理解を深めるのにやくにたったというコメントをいただき、このブログを書いて、本当に良かったと思いました。


Commented by desire_san at 2017-11-30 18:24
荻野誠人さん、コメントありがとうございました。

私は、専門は化学技術の研究ですが、美術が好きで、国内の美術館や、日本では決して見ることのできない海外のの美術品を求めて、旅をしています。

専門家ではありませんが、色々調べて自分の感じたことと合わせて、レポートしています。

興味のある内容がありましたら、ご訪問をお待ちしています。



Commented by rollingwest at 2017-11-30 20:06
運慶の展覧会、10月に見にいきました!素晴らしかったですね~!力強い金剛力士や四天王などの彫刻のイメージが殆どだったのですが、実際に見るといと写実的な僧侶像や優しい表情の彫像も多く意外な印象を受けました。今から700年前の美術品とは思えないほどのリアルさでした。
Commented by desire_san at 2017-12-01 10:42
rollingwestさん コメントありがとうございます。

運慶の作品は、力強い金剛力士や四天王から、写実的な僧侶の肖像彫刻からユーモラスな童子まで、幅広いですね。 運慶は今から700年前の人ですが、それ以降、運慶を超える彫刻家は出ていないのではないかと思います。


Commented by Mariateria at 2017-12-03 13:34 x
運慶展は大変な人気で、展覧会の終盤では博物館は毎日9時まで開館という異例の対応をし、観客動員は推定60万人を超えました。2016年大変な人気だった、「若冲展」の入場者数44万6000人でした。「運慶展」はこれを大きく超えたことになります。
Commented by lesamantsd at 2017-12-03 13:35 x
運慶は、力強い躍動感南大門の仁王像の、高い精神性の名に揺るぎない存在感の無著像、親しみやすい童子像まで、完成度の高い幅広く膨大な作品を残しました。運慶がヨーロッパに生まれていたら、歴史の残る彫刻の巨匠になっていたのではないでしょうか?

Commented by snowdrop-momo at 2017-12-06 08:54
おはようございます。
待望の運慶の記事、何日かに分けて拝読してきました。
私が20数年かけて奈良を中心に見てきた運慶の諸像が一堂に会しているところを、desireさんはご覧になったのですね!
既存の貴族文化の枠を破り清新な作風を創造した運慶への、desireさんの熱い思いが伝わってきました。

そして、二つの大日如来を一度に鑑賞するという贅沢も!
うち一つの円成寺像を若いころから通算5回ご覧になったとか。
人生に寄り添う芸術をお持ちになるのは素晴らしいことです。
運慶と縁の深い奈良県民としても嬉しい限りです。

その奈良では去る5月に快慶展が開かれました。
こちらは運慶ほどの観覧者はおらず、しっとり仏像と向き合いました。
記事にできるのは来春になりますが、その時はまたよろしくお願いいたします。

ps. 12月3日に終了した「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節のイタリア」展について、12月の毎日曜日、連載を始めました。どのタイミングでお知らせしようか迷ったのですが…師走でなにかとご多忙でしょうが、4回のうち1回だけでもお越しくださると光栄です。
3日:ティントレット工房により肖像を描かれた少年
10日:映画「沈黙」に先立つ時代に教えを棄てた少年
17日:鎖国以前に翻訳を究め、マカオに客死した少年
24日:法王に謁見できなかった少年(のちに殉教)

今年はおたがい外出も思うに任せぬ年になりましたね。
desireさんはよくご執筆を続けてくださいました。
1年のお疲れが出ませんように、どうぞご自愛ください。
Commented by guntap at 2017-12-06 16:17
先日は拙ブログにコメント頂きありがとうございました。
仏像に関しては初心者の私にはもったいない、しかしながら大変勉強になるコメントでございました。
desire-sanさんの記事で運慶展を追体験出来ました。
また来させて頂きます!
Commented by desire_san at 2017-12-07 14:29
snowdrop-momoさん、いつも心のこもったコメントありがとうございます。

私が仏像に夢中になっていたのは大学時代でした。世の中を作り替えよいと夢を見た学生運動は、国家権力との闘いに敗れる以前に、破壊葛藤の後、どんな社会を作るかという理念に行き詰まり、死滅していきました。私たち世代の多くの人は、自分の生き方のを見つけるため、哲学書ゃ哲学的文学書を読み漁ってました。そんな時出会ったのが、仏師が信仰の心をこめて彫りあげた、仏像の傑作でした。

すべてを受け入れ、慈悲のこころで向き合ってくれる仏像に夢中になり、奈良、京都の国宝に認定された仏像は殆ど拝観してきました。それがすべてではありませんが、たくさんの仏像と無かあったことが、私の人生観に大きな影響を与えて頂いたと思つています。

人との出会いによって、私は日々成長していきたいと願っています。
見識あるsnowdrop-momoさんとの出会いも、大切に考えています。
全部のブログをフォローする時間的余裕がなくて申し訳ありませんが、「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節のイタリア」展 の記事は、じっくり読ませていただきたいと思います。


Commented by desire_san at 2017-12-07 14:32
snowdrop-momoさん、いつも心のこもったコメントありがとうございます。

私が仏像に夢中になっていたのは大学時代でした。世の中を作り替えよいと夢を見た学生運動は、国家権力との闘いに敗れる以前に、破壊葛藤の後、どんな社会を作るかという理念に行き詰まり、死滅していきました。私たち世代の多くの人は、自分の生き方のを見つけるため、哲学書ゃ哲学的文学書を読み漁ってました。そんな時出会ったのが、仏師が信仰の心をこめて彫りあげた、仏像の傑作でした。

すべてを受け入れ、慈悲のこころで向き合ってくれる仏像に夢中になり、奈良、京都の国宝に認定された仏像は殆ど拝観してきました。それがすべてではありませんが、たくさんの仏像と無かあったことが、私の人生観に大きな影響を与えて頂いたと思つています。

人との出会いによって、私は日々成長していきたいと願っています。
見識あるsnowdrop-momoさんとの出会いも、大切に考えています。
全部のブログをフォローする時間的余裕がなくて申し訳ありませんが、「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節のイタリア」展 の記事は、じっくり読ませていただきたいと思います。


Commented by desire_san at 2017-12-07 14:35
guntapさん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます、
運慶の芸術は奥が深いので、こんなに長くなってしまいました。
もっとすっきり書いたほうが、観ていただく方には読みやすことは承知しておりますが、
私には、運慶の芸術 を簡潔にまとめる力量がなく、こんな形になった次第です。

guntapさんに少しでもお役にたてたようでしたら、嬉しい画切りです。


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by desire_san
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