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ゴッホ:浮世絵の影響 ユートピア日本の幻想

ファン・ゴッホ   巡りゆく日本の夢 

VanGogh - Japan's dream that is going around



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 19世紀中頃のパリ万国博覧で出品されたのをきっかけに、日本趣味の美術品の工芸品は格好の異国情緒として人気を博し、これがジャポニスムへと発展しました。その当時フランスでは、伝統的表現の枠から抜け出せず、ランスの伝統美術と全く異なった美意識の浮世絵をはじめとした日本絵画は。もがき苦しみながら新しい試みに挑戦していた当時の前衛画家にとっては突然救世主に出会ったような衝撃となりました。ジャポニスムに対し関心をしめした芸術家は数知れず、多くの作品にジャポニスムの影響が見られます。





Vincentvan Gogh (1853-1890) was profoundly interested in Japan. From his Paris periodto his early days in Arles, he collected ukiyo-e prints and writings onJapanese culture. Conversely, Japanese artists and intellectuals becameenamored of Van Gogh after his death and made pilgrimages to his grave inAuvers-sur-Oise in France. Through some 40 of Van Gogh’s oil paintings andsketches plus 50 works by Japanese ukiyo-e artists and Van Gogh’scontemporaries, and abundant historical materials, this exhibition explores themutual fascination between Van Gogh and Japan, and presents fascinating new perspectives.


 ジャポニスムとの出会いにより、時系列で多角的にとらえ、19世紀後半から20世紀初頭までの画家たちが、いかに浮世絵と日本画から、色彩と画面の平面化、上から見下ろしたような「鳥の目画法」、画面を手前に引き延ばす画法、対象を黒い線で分割するクルワゾニスムなど、いかに表現するかといった問題に応用していきました。



 ジャポニスムの与えた影響は芸術家により様々で、ドガやマネは、中心をずらした躍動的な構図を、ロートレックとゴーギャンは最初浮世絵を見て、輪郭線で囲み彩色する技法を学び自らの表現に取り入れました。モネは広重の図式と自然に対する融合に共感し、琳派の屏風絵にも影響されて、睡蓮の連作を描きました。


ジャポニスム

文字をクリックして、「ジャポニスムが西洋美術に与えた影響」の詳細をご覧ください。




浮世絵の影響~美術展の展示に沿って

 20178年東京都立美術館で開かれたゴッホ展では、ゴッホが浮世絵から色彩、遠近法、ものの考え方等、何を学び自分自身のものにしていったかを時系列に分析し、予備知識がなくても、容易に理解できるように工夫されて展示されていました。


 1853年にオランダに生まれたフィンセント・ファン・ゴッホは、1886年にパリに移り、この地で印象派の画家たちなどから様々な刺激を受けて、自らの絵画表現を模索していました。日本の浮世絵との出会いも大きな刺激となりました。ゴッホの1887年以降の画業で日本美術への関心と日本に対する憧憬は、時とともにどのように深まり、どのように彼の作品の特質となっていいきました。浮世絵に触発されたゴッホは、浮世絵の魅力を自身の作品にどんどん取り入れていこうとしました。




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 なかでも広重の作品はゴッホにとって刺激的だったようで、歌川広重の『名所江戸百景大はしあたけの夕立』や『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』『五十三次名所図会 石薬師』、『冨士三十六景 さがみ川』などの作品を模写しています。ゴッホは浮世絵版画を収集し、それを模写した油彩画を描き、浮世絵の構図や透明な色使いの色彩感覚、花に対する細かい精密な表現塔を学び取ろうとしました。模写するだけでなく、効果的に構図を変え、自身の作品の中でより良く活かし表現をしています。



ゴッホ 『種まく人』

ルカの福音書84節ではイエス・キリストの次の言葉が記されている。



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「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」


 ゴッホは生涯、農夫を描き続けることを視野に入れていて、彼はその後も麦の種まきや収穫をモチーフにした作品を描きました。「種まく人」は聖書のマルコの福音書43節から、そしてルカの福音書44節から8節までに登場し、種まく人の労苦が、人の成長や神の国へと至る道として述べられており、ゴッホが幼少の頃から聖職者として勉学に励んでいたころから親しんだ原風景でした。



 1888年にアルルで完成した「種まく人」は、広重の『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』の大胆オな構図に学びながらも聖書の世界と重なりながら、宗教的な高揚感までをも表した作品として、画家ゴッホの代表作の一つとされています。 



 歌麿、写楽、北斎、広重などの作品は、幕末、明治期に再版されたものが多いのに比べ国貞(三代豊国)以降の末期浮世絵は、シーボルトが在日中(文政6年~12年。安政6年~文久2年) に活躍していた絵師の作品で、シーボルトなどが多く収集し、大量に持ち帰ったお陰で本物の江戸摺りの作品を当時のフランスの画家も見ることができました。


 歌川国貞は、神経の太いエネルギッシュな政策態度で幕末期の大衆社会の様相を典型的に描いて一世を風靡しました。人気浮世絵師・国貞の浮世絵は、おそらく何万という数に達する浮世絵師の中でも最高の作品量と考えられています。浮世絵版画の一版から200枚程度刷るのが画質的に限度と言われていますが、


 歌川国貞の浮世絵は、それをはるかに超えるほど刷られ、粗悪な版が横行しました。国貞の濫作は良くも悪くも時代を象徴するものであり、幕末の大衆文化の興隆のエネルギーを秘めていました。ただ浮世絵の版画としての線の美しさを表現するには、最低限度の摺りに留めていなければならないはずなのですが、国貞の場合、初版が6~7000部で、それが当たると更に版を重ね、一日何万の言う数が摺られていたようです。



 明治期には、外国人の浮世絵人気に便乗して、刷り終わった版を彫りだし、すでに使い終わった版で大量の浮世絵が摺られました。そのため、歌麿、写楽、北斎、広重などの作品の大量に海外に出回り、海外の有名美術館では日本の浮世絵の代表作がほとんどそろっていることも珍しくありません。日本の本当の浮世絵愛好家は浮世絵の繊細な線の美しさに大切にしますが、本来の浮世絵の美しさを知らない外国人には、新しく色彩がきれいなより新しく刷られたものが好まれたようです。油彩画を描いていた西洋の画家たちでも、構図や色彩感覚の斬新に注目する人が主流で、ある意味で浮世絵の命ともいえる繊細な線の美しさまで注目した人は少なかったようです。



 画商であり評論家のジークフリート・ビングは急速に拡大したジャポニスムの核となる存在でした。1888年から91年にかけて仏・英・独の各国語で『Le Japon artistique』(芸術の日本)という豪華雑誌を発行し、色刷りの図版で、浮世絵、金工、陶器から建築、歌舞伎に至るまでの多様なジャンルを紹介しました。ビングは18885月号で、「日本の芸術家は、自然がすべての事象の最も重要な要素を包摂していることをよく知っている。従って、創作の過程ではほんの小さな一片の草ですら、芸術の高尚な観念の中にその場所を見出すことが出来ないものは何もない、と考えている」と日本人の芸術感覚を賞賛しました。




ゴッホ『花魁』(溪斎英泉による)、1887年   巻頭図

           ファン・ゴッホ美術館

1880年代のパリは、ジャポニスム(日本趣味)の最盛期でした。ゴッホがパリに出てきた1886年には『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号が出版され、ゴッホはこの表紙に使われていた英泉の花魁図を拡大模写して『花魁』に描き込みました。


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 国貞以降の浮世絵画家・溪斎英泉は、歌麿の崩れた女をさらに崩して腐乱舌した退廃美を壮絶に描き出す画家で、色彩もどぎつく、歌麿らの最盛期の世絵美人画のとは一線を画すものでしたが、英泉の色彩感覚は油彩画と共鳴するところがあり、これを模写したゴッホ的な色彩感覚は、元の英泉の作品より素晴らしいと感じました。オブジェの配置も、日本の絵のオブシェをうまく利用しています。


 この日本特集号の中に林忠正が書いた夢の国のように美化された日本紹介がありました。ビングや林忠正が書いた夢の国のように美化された日本紹介での日本の美しい風景の記述はゴッホにも、彼の同時代人にも、美しい日本のイメージを強く印象づけたことでしょう。この頃から、ゴッホは日本と日本人を理想化し始めていたと思われます。そして彼は、浮世絵の中の鮮やかな色彩世界を求めて、「フランスにおける日本」にあたる南仏へと旅立つことになりました。





ゴッホのユートピア「日本」、そしてアルル

 ゴッホンは、アルル時代に、独自にして強固な日本のイメージを自らのうちに築き上げて行きました。 さらにゴッホは、浮世絵をはじめとする美術作品や日本を紹介した文章を咀嚼しながら、独自の日本イメージを醸成していきました。1888年には、芸術家たちの共同体を作ろうと南仏のアルル へ赴きました。大いなる期待を胸に訪れたこの地を、彼はしばしば日本と重ね合わせています。ゴッホにとって日本は、創意の源であり、夢にまで見た理想郷だったのでした。



ゴッホ 『寝室』 1888年 ファン・ゴッホ美術館  



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 ゴッホは「日本人はとても簡素な部屋で生活した。そしてその国には何と偉大な画家たちが生きていたことか」「陰影は消し去った。浮世絵のように平坦で、すっきりした色で彩色した」と考えていました。ゴッホがアルルに造った黄色い家はそのイメージを具現化したものなのでしょうか。



ゴッホ 『雪景色』



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 アルル期のもっとも初期に描いた作品です。今までゴッホの作品似なかった白をしたいとした色彩感額が美しい作品でした、



 以下は、「ゴッホ展巡りゆく日本の夢」公式サイトから引用させて頂きます。ファン・ゴッホは1888220日の早朝、南仏に着きました。この時の列車の車中での気持ちをゴーギャンにこう伝えています。「この冬、パリからアルルへと向かう旅の途上でおぼえた胸の高鳴りは、今もいきいきと僕の記憶に残っている。〈日本にもう着くかもう着くか〉と心おどらせていた。子供みたいにね。」南仏での初日は、「60センチを超える」積雪とふりつづく雪の中で始まりました。それでも、アルルからの最初の手紙にファン・ゴッホは「まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」と記しています。



 ベルナール宛の手紙には「君に便りをする約束をしたので、まずこの土地が、空気の透明さと明るい色彩効果のためにぼくには日本のように美しく見えるということからはじめたい」と記しています。「ここではもう僕に浮世絵は必要ない。なぜなら、僕はずっとここ日本にいると思っているのだから。したがって、目を開けて目の前にあるものを描きさえすればそれでいい」「画家たちの天、国以上、まさに日本そのものだ」とまで言っています。夏にかけて陽光が明るくなるにつれて、ファン・ゴッホの絵も浮世絵のように鮮やかな色面で描き上げられるようになります。


 また、日本の画家のようにデッサンできるようになりたいと願い、葦ペンを使った独自のデッサンも数多く描き、浮世絵風の大胆な構図も取り入れました。しかし、それだけではありません。彼はピエール・ロティの異国趣味小説『お菊さん』を読んで、日本を、そして日本人を理想化していました。


 「日本美術を研究すると、明らかに賢く哲学的で、知的な人物に出会う。その人は何をして時を過ごしているのだろうか。地球と月の距離を研究しているのか。違う。ビスマルクの政策を研究しているのか。いや、違う。その人はただ一本の草の芽を研究している。(……)どうかね。まるで自分自身が花であるかのように自然の中に生きる。こんなに単純な日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。」


 「日本の芸術家たちがお互い同士作品交換していたことにぼくは前々から心を打たれてきた。これら彼らがお互いに愛し合い、助け合っていて、彼らの間にはある種の調和が支配していたということの証拠だ。もちろん彼らはまさしく兄弟のような生活の中で暮らしたのであり、陰謀の中で生きたのではない。(……)また、日本人はごくわずかな金しか稼がず、素朴な労働者のような生活をしていたようだ。」ファン・ゴッホにとって日本人とは、自分自身が花であるかのように自然の中に生き、深い思想と真の宗教をもち、兄弟のような生活をする貧しく素朴な人間ということになります。つまり、ファン・ゴッホは日本人に自分自身のすべての理想、芸術的、社会的、宗教的理想を結晶化させていきました。そしてその理想を実現すべく、ゴーギャンと「黄色い家」での共同生活を始めました。 



 もちろん、当時の日本はゴッホが考えていたような芸術家の理想郷ではありませんでした。浮世絵は、絵師が下絵を描き、彫師が彫った版木を用いて、刷師が紙に刷ることによって完成します。専門職によるこの分業が、分業ではなく共同と解釈されれば、その工程は、なにやら共同作業の色合いを帯びて映っても不思議はないかもしれません。


 しかし現実は、当時の日本はゴッホが考えていたような芸術家の理想郷ではありませんでした。浮世絵画家は生活のため競って売れる絵を描くのに必死で、春画で生計を立てている浮世絵師が大部分で、美を追求していたのは限られた才能に恵まれた浮世絵画家だけでした。それでも、江戸庶民が買い手の浮世絵の価格は安く、写楽や歌麿クラスの錦絵でも120文で400円程度でした。「写楽がそんなに安いはずはない!」というのは現代的な感覚で、庶民相手の商売ですので当時はかなり安い価格で売られていたようです。現代誰もが名前を知っている超一流の浮世絵画家でも、休みもなく月に30日働いて月収は30万円程度の生活がやっとだったそうです。現代浮世絵ファンなら知っているような浮世絵師でも、風邪などで熱があっても仕事を休んでしまうと、明日の食事にも事欠く生活をしていた人も少なくないようでした。



 日本の浮世絵芸術家たちがお互い同士作品交換し、お互いに愛し合い助け合って生活していた優雅な「芸術サロン」のようなものなどあったはずもなく、皆生活していくために、ライバルの情報に眼を輝かせて、少しでも売れる作品を描くのに必死だったようです。



 一般人の理解が追い付かない未来志向の芸術を求めていたゴッホが、未知の「黄金の国」日本を芸術家のユートピアと考えていたのは、共感できないまでも、気持ちとして分からないこともないでもないとは思います。



 ただ、無謀にも何の根拠もなくアルルにユートピア「日本」を実現しようとしたゴッホの妄想ともいえる生活は、当然の成り行きかも知れませんが、188812月の有名な「耳切り事件」で崩壊してしまいます。


 しかし、ゴッホが日本を夢見ていたわずか一年ほどの期間にゴッホは膨大な作品を描き、その中にはゴッホの画家生涯の傑作と言える作品もたくさん含まれていました。この短い夢に浸っていた時期は、ゴッホの生涯で最も創造力に満ち、おそらく最も幸福な時期だった野かも知れません。


ゴッホ  『糸杉の見える花咲く果樹園』

 白をうまく使った画面構成が美しい作品。



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ゴッホ  『アイリスの咲くアルルの風景』



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 アイリスの花だけが浮世絵風の輪郭線のある描き方をしていて、不気味な存在感を感じさせました。印象派の描法と浮世絵の描法を混在させる実験をしたかったのかもしれません。 



ゴッホ 『サント・マリーの海』


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 波の表現は、北斎風の表現試みているようです。麦畑は黄色とオレンジを主体とした本来のゴッホの表現で、やはり、自分の表現に浮世絵の表現を組み合わせることを試みていたように感じました。



ゴッホ 【ヴィラ運河にかかるグレース橋】 

 少しけばけばしい色彩は松木浮世絵の影響かも知れません。ゴッホの作品にしては赤や緑が強すぎ、全体のバランスを崩しているように感じました。



 ゴッホは、最盛期の浮世絵の主流だった繊細な日本的色彩感覚より、派手な色彩を子のみ、溪斎英泉のような幕末の末期の浮世絵の色彩に共感していたようです。一般の西洋人も、シーボルトらが持ちこんなだ歌川国貞以降の浮世絵の派手な色彩感覚に人気があったようです。



ゴッホ 『アルルの女〈ジヌー夫人〉』


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 落ちついた色彩構成と穏やかな造形の心が温まる作品です。ゴッホは時折驚くほどやさしい癒される年配の女性像を描いています。多分モデルの女性も、ゴッホが派母性を感ずるような優しい人だったのでしょう。



 

ゴッホ 『男の肖像』


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 優しい女性とは対照的に、何か不安におびえる様な男性の肖像画でした。


 

ゴッホ 『タチュフコの乗合馬車』



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 ゴッホがお気に入りの小説に出てくる乗合馬車に関連する作品だそうです。南フランス特有の眩いばかりの太陽を浴びて、緑、赤、青、黄色など、鮮やかな色彩のコントラストが強調されています。斜めの高い水平線は、浮世絵の風景画の影響とも見られているそうです。


 この作品の最大の魅力美しい色彩のバランスと、空間や配置をあえてバランスを崩し、画面に緊迫感を与えている絶妙の構図ではないでしょうか。馬車に立てかけられた梯子が、構図を引き締めるとともに、空間に絶妙の奥行きをもたらしています。




サン=レミ、オーヴェル=シュル・・遠ざかる夢

 フランス政府が日本に派遣した植民地画家デュムーランは日本主題の絵を発表しはじめ、ビングは1890年に国立美術学校で大浮世絵展を開き、翌1891年には日本美術が初めてルーヴル美術館に購入されました。ゴッホの「日本の夢」に火をつけたビングは、浮世絵展の功績により、レジオン・ドヌール勲章を授与されました。


 日本は開国して明治政府ができ1889年に立憲国家になり、富国強兵政策をとりやがて軍事的脅威とみなされるようになります。西洋の人々は「日本の夢」から目覚め、日本は「楽園」としてではなく、現実として見られるようになりました。


 「耳切り事件」の時に襲ってきた精神病の発作は、その後も度々ゴッホを襲いました。「黄色い家」の崩壊後は、「日本の夢」も遠ざかっていき、日本について語ることも無くなっていきました。しかし、ぶり返す発作の合間にもゴッホは描き続け、それらの作品の中にはまだなお浮世絵の影響を感じさせるものがありました。


 サン・レミの精神病療養所に入ってからは、庭の片隅や植物を描いた作品も描かれ、は日本の花鳥画を思わせる作品もありました。また、アルル時代に日本の影響下に描いていた葦ペンデッサンを色彩と統合して、力強い筆のタッチを使った独自の油彩画へと発展させた作品もありました。



ゴッホ 『ポプラ林の中の二人』 1890年 シンシナティ美術館蔵


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 広重の浮世絵の風景画のような構図で、ゴッホのこのような構図は風景画は始めて見ました。作品としての良し悪しは別として、私が見た中でゴッホらしくない作品の一つだと思っていました。



 ゴッホが亡くなる一ヶ月くらい前「麦の穂」呼ばれる作品を描いています。縦長の画面に、風にかすかに揺れる麦の穂が一面に描かれている。よく視ると薊が一輪、あるいは白い名もない花が描き込まれているが、一面緑色に塗り上げられたといってもいい静かな絵である。まさに「背景」だけを描いたような作品でした。




ゴッホ 『オリーヴ園』 1889年 クレラー=ミュラー美術館蔵



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 タッチがうねっているようで、錯乱する精神が描いた心象風景のようです。




ゴッホ 『渓谷(レ・ペイルレ』 1889年 

          クレラー=ミュラー美術館蔵


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 ゴッホは、広重の「東海道五十三次」山岳風景を思い浮かべて描いた作品という解説がついていました。確かに構図は広重と共通しているようにも見えますが、山を歩く人は風景に溶け込んでいるように小さく描かれています。タッチはうねり、アルルに来た時の楽園の風景と全く違った、心象風景になっています。

1890728日、ゴッホは、オーヴェールの屋根裏部屋で腹に銃弾を抱えたまま瀕死で床に横たわって、翌29日、静かにこの世を去りました。



ゴッホは浮世絵から何を学んだか

 ゴッホがなぜパリから南仏のアルルに行ったかは長い間謎になっていましたが、今回の美術展の解釈は説得力ありました。

 

 今回のゴッホ展では、浮世絵がゴッホに与えた影響がいかに大きかったか、というストーリーで、浮世絵とゴッホの作品を並べて展示していました。確かにゴッホは浮世絵の構図やオブジェを度々活用し、幕末浮世絵のどきつい色彩を作品に導入したりしているのが見られました。しかし、ゴッホの絵は浮世絵によって画期的に変わったとは思えませんでした。模写作品を見ても、やはりそれはあくまで厚塗りの絵の具をこってりと描いたゴッホの作品そのものであり、繊細な線間美しさ生命とする広重など浮世絵全盛期の作品とは、似ても似つかぬもものだと思います、浮世絵の日本美術としての魅力である「繊細な美意識」は、ゴッホの作品に最後まで見ることはありませんでした。ゴッホも含め大部分の西洋人にとっては、幕末の退廃した雰囲気で、でぎらぎらした色彩感の溪斎英泉の浮世絵が。それとはまったくかけ離れた浮世絵全盛期の春信、清長、頭路の浮世絵とは全く別物だとは感じなかったように思われます。



 日本絵画からの明確な影響の結果と言えるのは、最後の方に展示されていたゴッホが、花瓶や植木鉢に入った「静物画」から、道端やのに咲く花や植物を描き、小さな花や草を主題として描き出していることです。これは今までの西洋買いが出は類のないことだと考えられます。その姿勢は、大きな花を咲かせる『向日葵』の連作から、晩年の傑作『アイリス』を生む府警となっていると考えられます。



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マルセル・プルーストは、冷静で客観的な眼で日本の美術の一番大きな本質を「繊細な美意識」ととらえていました。西洋の画家は日本画の様々な技法を学び自らの作品の中で発展させましたが、例えば歌麿美術の大切な要素である顔の表現を美しい繊細な線で表現することは、作品に取り入れた作品は生まれず、北斎の富嶽三十六景色に匹敵する「繊細な美意識」を追求した風景画は生まれませんでした。西洋人によりヨーロッパ化されたジャポニスムで画家たちは日本美術の自らの芸術に都合の良いところだけを吸収して、自らの芸術は発展させていったところで、日本美術から離れていきました。



 しかし。ゴッホは他の西洋人画家と違って、日本美術に対し、深い思いがあったようです。 テオ宛の書簡に、「日本の芸術について勉強していると、疑いもなく賢者にして哲学者という知的な人間に出会う。(中略)彼は一本の草の芽を研究しているのだ。」として、「賢者にして哲学者という知的な」人物に、ゴッホは「北斎」を重ねています。実際に北斎が哲学者であったかは別として、北斎は、僅かな情報を鋭く摑みとり、そこから絵画の可能性を切り拓き考え出そうとする直観を持っていました。



 ゴッホが北斎についてここまで書いているのは、初めて北斎の浮世絵を眼にした時、最果ての国・日本にこんなすごい芸術家がいて、従来の西洋絵画と全く異なる完成度の高い絵を描いていることを知って鮮烈な衝撃受けました。一方で、日本の仏教的思想から、自らが自然の一部であるという視点で絵を描く「無限」の境地で花鳥画を描く北斎のイメージに共感し、ゴッホも初心に帰って、自らの芸術をリセットすることを考えたのではないでしょうか。


 これは無形のものかもしれませんが、晩年のゴッホが『夜のカフェテラス』『星月夜』『糸杉と星の見える道』『オーヴェールの教会』など比類ない傑作を残した原動力となったと考えるのは無理があるでしょうか。




参考文献

・ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 公式カタログ

・ジャポニスム―幻想の日本 馬渕明子 ブリュッケ2004

・木下, 長宏「ゴッホは浮世絵からなにを学んだか」  

  (日本学教育研究センター研究年報




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by desire_san | 2018-01-07 15:45 | 美術展 & アート | Trackback(3) | Comments(19)
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Commented by snowdrop-nara at 2018-01-08 11:36
今年もdesireさんの美術館詣でが始まったのですね。
貴ブログから美術館、演奏会、舞台、じかに見聞きする大切さをいつも教わっています。
どうぞ充実した日々をマイペースで重ねてゆかれますように。
私も体に気をつけて、一歩一歩進んでゆきたいです。

ジャポニスムについて長く考えてこられたdesireさんらしいゴッホへのアプローチ、興味深いです。
キーワードは浮世絵の「繊細さ」でしょうか。ゴッホと繊細さについては、私の手に余りますが…
まるで西欧に憧れる日本人が信州や北海道に面影を求めたように、ゴッホは日本への憧れを南仏に求めたのですね。
その憧れの純粋さに胸打たれます。
たとえ幻のユートピアであったとしても、その夢が原動力になって、多くの美しい絵が生まれたのですね。

プルーストが日本文化の繊細さを汲みとれたのは
彼自身が極めて洗練された繊細な美意識の持ち主で、しかも持病によって更に感覚が研ぎ澄まされていたからかもしれません。
彼も「憧れる人」でした。少年時代から体が弱くて自由に旅できなかった分、わずかな情報からイメージを詳細に、奔放にふくらませ…
満ち足りぬ魂をもつ人こそ、深い芸術を生むのかもしれません。
desireさんのおかげで、私なりの考察の手がかりが生まれてきた気がします。ありがとうございます。
Commented by desire_san at 2018-01-08 18:04
snowdrop-naraさん、私のブログを丁寧に読んでいただき大変ありがとうございます。

私にとって浮世絵の魅力は、やはり繊細な線の表現ですね。それは、歌麿、春信、広重の作品を見るとき、いちばん心がワクワクするところです。西洋の人々の多くは、印象派の画家たちも含めて、それが理解できなかったか、自らの映画を追求する上で興味の中心ではなかったように思います。もしかしたら、それをほんとうに理解していたのは繊細な美意識を持つたマルセル・プルーストのような人たちだけだったのかもしれません。それを感じていたからこそ、マルセル・プルーストは、ジャポニズムの日本趣味の大流行に対して、批判的だったようです。

私は昨年ワーグナーのオペラを全曲聴いて、始めてオペラと楽劇の違いを体感することができました。学べは学ぶほど、新たな興味がわいてくる、芸術は一生楽しめる趣味であることを実感するこの頃です。
snowdrop-nara産のブログも拝見しています。感じることは大きいのですが、コメントを書くのが難しく、失礼していて申し訳ありません。今後ともよろしくお願い致します。
Commented by nekotouch at 2018-01-08 21:07 x
ゴッホと日本の美術がこんなにも深く関係していたというのが今回初めてわかり、興味深く読ませていただきました。
ゴッホらしからぬ「雪景色」も美しかったです。
東京では残念ながら終了してしまいましたが、あらためて展示をもう一度じっくり見てみたいと思いました。
Commented by Amerinoseoria at 2018-01-08 21:40 x
こんばんは。
ゴッホと浮世絵の関係に関するお話し、大変興味を持って読ませていただきました。知らないということは恐ろしいことで、かつて、日本の過激派のエリートたちが北朝鮮をユートピアと思っていたようで、よど号乗っ取りの事件も多くの悲劇を生みました。ゴッホが当時の日本をユートピアと考えていたというお話ですが、日本に実際に行かなかったのは、不幸中の幸いでしたね。南フランスに芸術家の楽園を作ろうとしたのも全く無謀ですね。ゴッホは大人になっても子供のような純粋な人だったのでしょうね。だから、今でも見る人を引き付ける魅力があるのだと私は思います。
Commented by Dr.Markurquros at 2018-01-08 21:50 x
いつも、大変勉強になるブログをありがとうございます。
テーマとはそれますが、ゴッホが精神障害を発症したのは、さまざまな要因が重なった結果で、リキュールの一種「アブサン」などの過度の飲酒、乱れた食生活、ゴッホが敬愛したポール・ゴーギャンとの関係の悪化などが原因と考えられています。耳切り事件の後、病気の症状が出るたびに再発するのではないかという恐れが強まり、その恐怖心が2年後の自殺につながったと考えられています。ゴッホ美術館で、ゴッホの精神障害の真実に迫る展覧会が開催され、研究者や精神科医らによる2日間の公開討論会が開かれた。その中で、ゴッホは耳を切り落とす前、おそらく境界性人格障害か双極性障害だったことがと指摘されました。ただ「ゴッホの病気について最終結論はまだ出ていないようです。ご参考になれは幸いです。
Commented by desire_san at 2018-01-08 21:58
nekotouchさん、コメントありがとうございます。
今回のゴッホと日本都の関係をテーマとしたゴッホ展は、私の知る限り初めてで、いろいろ問題提起があって、良かったと思いました。
私も、いろいろ疑問に感じたことを調べて、勉強することができました。
コッホの作品で、傑作でまだ来ていないのは「夜のカフェテラス」くらいだと思います。
クレーら―・ミューラー美術館でも一番人気の作品なので、まず来ることがありそうもないでしょうね。
Commented by desire_san at 2018-01-08 22:07
Amerinoseoriaさん、コメントありがとうございます。
ゴッホが当時の封建時代の日本に来なくてよかったというのは同感です。精神的に弱いゴッホでは日本ではいきていけないでしょうね。
しかしー例えば、時間的に不可能かもしれませんが、ゴーギャンがタヒチではなくて、明治維新リ日本に着たら、ゴーギャンは自信家で精神的にも強いですから、西洋化政策を行っている日本に来たら、一大旋風を巻き起こし、日本の洋画の歴史は飛躍的に進歩したかも知れないような気がします。ただ、ゴーギャンの魅力的なタヒチの絵画が無くなってしまうのは寂しいので、これでよかったのかもしれませんね。
Commented by desire_san at 2018-01-08 22:15
Dr.Markurqurosさん、
ゴッホの病気に関する貴重な情報をありがとうございます。
私は、ゴッホの病気は、うつ病か精神分裂描かと思っていました。
アブサンのような強いお酒を飲んでいたら、心も病んできますね。
ゴッホとゴーギャンの出会いは、良かったのか悪かったのか議論別れるところですね。
ただパリ時代に交流のあつた画家の中で、何のあてもなくアルルに行ってしまうのは、ゴーギャンしかいなかったのも事実ですね。
早く生まれ過ぎた天才画家として生きるには、ゴッホは精神的に繊細過ぎたのでしょう。
Commented by 最前列 at 2018-01-09 10:49 x
desireさん、はじめまして
楽しく読まさせていただきました。
そして、展覧会に戻ったような気持ちになりました。
『西洋人を魅了した日本ブーム・・・』の記事も読まさせていただいて勉強になりました。
これからもdesireさんのブログに期待してます。また、遊びに来ます。
Commented by ホライズン at 2018-01-09 17:51 x
desireさん こんばんは。
文章をとても興味深く拝見させていただきました。
特に印象に残ったのは、浮世絵の魅力や良さを果たして当時のヨーロッパの人たちや今回の企画展の主人公であるゴッホが理解できていたのか!という指摘と、それの裏付けとなる考察の部分でした。
確かに2つの作品を並べるように展示して「この部分はこの浮世絵の影響が感じられる」と説明されると納得してしまう反面で、desireさんが示唆されているように本来の浮世絵とは似つかわしくないような面も実際に観てみると伝わってきて・・・
ちょっとモヤっとした感覚を抱えていたのも事実です。
特に西洋で浮世絵人気が沸騰すると、摺る枚数も膨大になり、なおかつさらに手を加えてまで摺るという話には驚きを禁じ得ません。
背後の事実を知れば知る程、より一層の奥行きを感じるとともに、ゴッホの思い込みや誤解があったにしても、それをこうした作品に昇華していったのですから・・・
とても魅力を感じるのは当然なのだ!と、改めて感じた次第です。
Commented by desire_san at 2018-01-10 13:27
最前列さん、私のブログを読んでいただいてありがとうございます。
日本では、ジャポニズムを熱く語る方も多いようですので、あえて冷静な視点で、書いてみました。ご参考になられて投下が、大変うれしく思いました。これを機会によろしくお願いいたします。
Commented by desire_san at 2018-01-10 13:54
ホライズンさん、子丁寧なコメントありがとうございます。
物ことなんでもそうですが、ブームが起こるとそれに便乗する人と、冷静に反応する人がおります。東京オリンピックにしても、オリンピックブームに沸いている人が多いようですが、オリンピックは4000億円プロジェクトですが、その4.5倍の1.8兆円も予算を組んでいることを考えると、一千兆円もの財政赤字をしょっている日本ですから、西欧のオリンピック経済バブル後、ギリシァのように経済破綻することを危惧する経済学者が西欧では塗油流であるという事実をNHKをはじめとするマスコミは一切報道しないので、知らない日本人が大半でしょう。
ジャポニズムにしても、正しい情報がありませんので、全く未知の国日本湖に対する憧れと過大評価が、ゴッホのような夢追い人のロマンを掻き立てたのでしょうが、なぜ日本ではなくアルルに行ったのかは、私にも理解できません。万一方下時代幕末の日本に本当に行ってしまったら、ゴッホは残酷な悲劇に見舞われたでしょう。
ホライズンさんのコメントの趣旨とはずれたことを書いてしまって、馬上牛わけありませんが、この世の最大の不幸で芸術文化の奇発展の妨げとなっているのは、事実を知らないこと、知らせられないことだと思っています。ジャポニズムは、誤解が生んだお祭りのようなもので、印象派など前衛画家たちの適度の刺激になったことはよかったと思います。
Commented by bratt at 2018-01-10 21:29 x
こんばんは^^
こちらで紹介されているゴッホ展は、京都で1月20日から始まります。なので、現時点では未見なのですが、面白そうですね。
前にどこかで『種まく人』とそれの元になった浮世絵の同時展示を見た覚えがあります。
ゴッホは単純に技術的なものを浮世絵から拝借したのだと思っていましたが、その精神性も深く洞察していたんですね。新しい発見でした。他の画家たちがどの部分を取り入れたかというのも、具体的にうかがってナルホド納得です。解説ありがとうございます^^
ゴッホの晩年の絵は、時にその狂気が透けて見え、痛々しくて鑑賞するのが辛いときもありますが、同時にその生命力に圧倒されますよね。
京都で始まったら、ぜひ観に行きたいと思います^^
Commented by desire_san at 2018-01-11 09:49
brattさん   コメントアリスが等ございます。
ゴッホが浮世絵、特に北斎に対して精神性も深く洞察していたというのは、ゴッホがテオに送っていた書簡を研究して発見された見方です。実際にゴッホの作品からは技術的なものを浮世絵から拝借した程度にしか見えませんので、私も意外に思いました。

次の「北斎と印象派」展のレポートにも書く予定ですが、北斎も含めた浮世絵の優れた画家の美意識は、西洋の油彩画家には、とてもまねで゜キル者だと考えています。西洋美術の長い歴史においても、繊細な美意識が主流になったのは、シモーネ・マルティーニに代表される国際ゴシック様式と、アールヌーボーのじだいくらいできはないかと思つています。

bratt さんの鑑賞レポートを楽しみにしております。
Commented at 2018-01-13 07:41
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Joyce Meyer at 2018-01-14 10:18 x
日本人好みと言われるゴッホを取り上げて頂いて、お正月早々私の心をさわやかにさせていただきました。断片的にしか知らなかったゴッホの気持ちとアルルへの旅。名古屋のボストン美術館で英泉に似せた日本女性の花魁姿を見たときの衝撃は今でもはっきり覚えています。ゴッホらしいタッチと言えばそれまででしょうが、彼の日本への憧れ、ユートピアととらえた日本文化や日本人の心を透明な穢れのない仏心とあらわして下さった今回の日記は日本人として今の私には新年新たな気持ちにさせて下さいました。狂人と称された北斎の繊細な技法やユーモアあふれる題材、死の直前までみせてくれた絵師としての作品には生きていくための自然と融和なそして決して弱くない日本人がそこに存在しています。ゴッホの生きざまを知ることで私の日本人魂いが少しだけ?いや大いに刺激を受けたことは間違いありません。多謝!
Commented by desire_san at 2018-01-14 10:38
snowdrop-momoさん  コメント不利が等ございました。

メアリー・カサットの作品展は、東京でも開かれていましたが、行けずに終わってしまいました。
snowdrop-momoさんのブログヲ拝見して、日本画や浮世絵の影響が混んない強い画家だと初めて知りました。
大変や勉強になりました。ありがとうございました。
Commented by snowdrop-momo at 2018-02-04 17:32
こんばんは。
過去記事への拙コメントに気づいてくださってありがとうございます。別の過去記事へふたたびお邪魔いたします。

京都へ巡回中のゴッホ展へ行って来ました。
desireさんの記事のおかげで、これまで距離を置いてきた画家ゴッホについて、自分なりに考えることができました。

僭越ながらトラックバックさせて頂きます。何回か目で成功するといいのですが…。
desireさんのこの綜合的な記事もトラックバックしてくださると光栄です。お手すきの時がございましたら…
Commented by desire_san at 2018-02-05 02:27
snowdrop-momoさん、私のブログをきにかけて頂いてありがとうございます。

ゴッホ展は、現在京都で開催されているのですね。

早速 snowdrop-momoさんのご見解を読ませていただきます。

いつも、ありがとうございます。

心に残った自然とアート   


by desire_san
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