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心に残った自然とアート   

サンティアゴ巡礼路の基点の奇想の景観と黒マリア信仰

ル・ピュイ=アン=ヴレー

Le Puy-en-Velay


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 フランスの中心部にあるオーヴェルニュ・ローヌアルプ地方は火山地帯で、火山活動により隆起した奇岩が多く見られます。ル・ピュイ・アン・ヴレーもそのひとつです。町には2つの奇岩が聳え、その上に建てられた聖母像と礼拝堂が町を見下ろす奇想の景観は、世界のここでしか見られないものです。





TheCathedral of Our Lady of the Annunciation, commonly known as Le Puy Cathedral,is a Roman Catholic church located in Le Puy-en-Velay, Auvergne, France. Thecathedral is a national monument. It has been a centre of pilgrimage in its ownright since before the time of Charlemagne, as well as forming part of thepilgrimage route to Santiago de Compostela. Since 1998 it has been part of amulti-location UNESCO World Heritage Site along France's Santiago pilgrimageroutes.


 

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 ル・ピュイの中心は司教座としてのル・ピュイ大聖堂です。ピュイでは、キリスト教の布教以前より土地の信仰が浸透しており、その頃の神殿が現在の大聖堂の場所にあったとされます。大聖堂の中には、「熱病の石」と呼ばれる岩の一部がありますが、これはガリア・ローマ時代、病に苦しむ一人の女性がこの石の上に聖母マリアの出現を目撃したことから病が治癒したという奇跡が言い伝えられています。キリスト教が広まった後も多くの奇跡が報告され、今でも巡礼者の中にはこの石の上に寝転び、治癒を祈願する人々がいます。



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 ル・ピュイ大聖堂祭壇のマリアは黒い顔だけを現わし、黒い顔の幼子をマントの隙間からその顔だけを現わしています。ル・ピュイの黒いマリア像は、聖王ルイ九世がエジプトから持ってきたものです。黒は地母神の象徴で、エジプト神話の女神イシスイシスというエジプトの女神で、それを聖母像に作り変えたと言われています。現在のル・ピュイの黒いマリアは、後世に作り直されたもので、その表情はエジプトを感じさせない西洋人の子供のふっくらした表情です。ル・ピュイの町には建物の壁に稚拙な黒い聖母子像が多く飾られており、近年まで黒マリアの信仰が残っていることが分かります。




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 ル・ピュイには2つの奇岩(コルネイユ岩山とサン・ミッシェル岩山)が聳え、その上に建てられた聖母像と礼拝堂が町を見下ろしとます、中央奥の岩山がル・ピュイの最高地点で、巨大な赤い聖母像が立っています。左手前のとがった岩山がサン・ミシェル・デギレ僧院であり、ひたすら天に近づこうとする圧倒的迫力を感じます。




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 ル・ピュイは、中世にサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の基点として大いに栄えました。ヤコブの遺骸の発見当初はガリシア地方に限定されていたサンティアゴ巡礼は次第にピレネー以北に拡大され11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、最盛期の12世紀には年間50万人を数えました。こうした巡礼の広がりは、中世ヨーロッパの盛んだった聖遺物崇拝と当時のヨーロッパが封建社会で政治・経済が確立されてきたこと及び修道会の繁栄によるところが大きいと言えます。




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 巡礼は当時イベリア半島を支配していたイスラム教国へのレコンキスタとも連動しました。ヤコブはレオン王国などキリスト教国の守護聖人と見なされ、「ムーア人殺しのヤコブ」と呼ばれるようになりました。キリスト教国の兵士は戦場で「サンティアゴ!」と叫びながら突撃したとの事です。キリスト教国の諸王は巡礼路の整備や巡礼者の保護に努めました。



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 巡礼は、スペインとスペイン外のヨーロッパの文化をつなぐことにもなりました。巡礼者の中には建築家もおり、彼らはヤコブに捧げるために、巡礼路に沿った都市にロマネスク建築による多くの教会や修道院を建てました中世後期にはレコンキスタの完了や百年戦争、三十年戦争による戦乱、教会の分などがあり巡礼者数は伸び悩やみ、不法行為の人々に強制的に巡礼をさせる事や代参巡礼なども行われていました。



 ル・ピュイ・アン・ヴレーはレースの町としても有名です。ル・ピュイのレースは編み針でなく、特別な器具を使用して糸を組み合わせる独特の製法で編まれ、繊細なデザインのものが多いのが特徴です。




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by desire_san | 2018-05-25 17:22 | ロマネスク美術の旅 | Trackback | Comments(1)
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Commented by kirafune at 2018-06-01 04:06 x
dezireさん
身に余るお言葉、いつもほんとうにありがとうございます。
desire_sanさんの美術史家としての視点や、音楽や芸術への
造詣の深さに、いつも感銘を受けております。
学生時代に西洋美術史をかじったこともあったので、
ルネッサンス美術は興味があります。
desire_sanさんのブログでまた勉強させていただきます。
AIがひたひたと迫ってきています。
用心しないと・・・。
人間にしかできないことを模索したいですね。

by desire_san