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日本には絶対来ないイタリア・ルネサンス絵画史上、至宝の名画を見る感動

ブレラ美術館 ミラノ

Pinacoteca di Brera





イタリアのミラノは、世界でも有名なファッションの中心地ですが、ドゥオモ駅のすぐ側に、ミラノのシンボルとなっている世界最大級のゴシック建築・ミラノ大聖堂があります。 また、イタリアの国王の名が付けられた十字型のアーケード、美しいガラスドーム「ヴィットリオエマヌエーレ2世のガッレリア」はミラノを代表する観光スポットです。石造りは芸術作品のような素晴らしさで、アーケードの中には高級ブランド店が立ち並び、カフェやレストランでゆっくりと過ごすこともできます。ミラノには、レオナルド・ダ・ヴィンの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会と、イタリア・ルネサンス絵画史上傑出した秘宝の7名画が集まるブレラ美術館があります。








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Pinacotecadi Brera, English Brera Picture Gallery, art museum in Milan, founded in 1809by Napoleon I, and one of Italy’s largest art galleries. Its originalcollection was that of Milan’s Academy of Fine Arts, though its most importantworks were acquired later. The museum’s holdings consist mainly of Italianpaintings from the Quattrocento (15th century) to the Rococo period (18thcentury). It has especially rich collections of Venetian and Lombard paintingsfrom the Renaissance and Baroque periods. The gallery is housedin the Palazzo di Brera, an 18th-century Neoclassical structure that wasoriginally built, from plans by Francesco Maria Ricchino, as a Jesuit college.The same building also houses the Academy of Fine Arts, founded in 1776, andthe Braidense National Library,



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 イタリアのミラノのブレラ美術館の建物は、17世紀に建てられたイエズス会の施設でしたが、1772年、ロンバルディア王も兼ねていたマリア・テレジアが入手し、ここに1776年、美術アカデミーが設置されて絵画の収集が始まりました。 その後、ナポレオンによって美術館として整備され、1809年、ナポレオンの誕生日を記念して開館し、一般にも公開されるようになった。1882年には国立美術館となりた。ブレラ美術館は、イタリア絵画の傑作を数多く保管とてあり、特に1518世紀のヴェネツィア派、ロンバルディア派の絵画が充実しています。


 ブレラ美術館の入り口に近いチケット売り場にパンフレットが置いてあり、開いてみると画の中に珍しい植物、果物が書かれていることまでもが説明されていました。ラファエロ「聖母の婚姻」マリアの夫に選ばれた人の杖先に花が咲いているのです、パンフレットにその花の説明がしてあり、杖に花が咲いている場所を示してありました。このパンフレットは本当に親切にできており、役に立たちました。






ピエロ・デラ・フランチェスカ 1460年代末) 

ブレラの祭壇画『聖母と聖人たち』



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 聖母子を中心に、洗礼者聖ヨハネ、聖ベルナルディーノ、聖ヒエロニムス、福音書記者聖ヨハネとされる老聖人、殉教者聖ペトルス、聖フランチェスコら諸聖人を配した≪聖会話≫で、ピエロ・デラ・フランチェスカが残した聖会話作品の中でも、特に完成度の高く、代表作とされています。この絵を始めて見た時、極めて正確な遠近法によって描かれる背景の建物の表現に圧倒されます。マザッチョら先人たちの作品から学んだ正確な遠近法、明るく明瞭な色彩、線の感覚と筆致の微妙さ、厳粛な中にも深い神性を感じさせる聖人たちの卓越した感情表現など、ルネサンス芸術を代表する名画といえます。


 ピエロ・デラ・フランチェスカは、「絵画の遠近法」を理論的、科学的に考察し二つの著作を残しました。「理想都市」の遠近法構成を理論化し、アルベルティがフィレンツェで実際に関わった建築からとられた写実性において、非の打ちどころのない合理性があり完璧でした。芸術様式に、完全なルネサンス的空間を特徴とし、空間の厳格な統一性は、構図の構成と形態の立体性と色彩とともに尊重しました。ピエロ・デラ・フランチェスカの絵画は、フィレンツェ様式と異なり、比較的類似している画家を探せば、アンドレ・デル・カスターニョだといわれています。しかし、カスターニョの描く人物はしばしば石の彫刻のように見え、ピエロ・デラ・フランチェスカの筆致の微妙な繊細さとは決定的に異なっています。 ピエロ・デラ・フランチェスカの本当の後継者は、ヴェネツィア派の創始者といわれるジョヴァンニ・ベリーニと考える説が有力になっています。





ジョヴァンニ・ベリーニ 『ピエタ』1460




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 ヴェネツィア派の確立者ジョヴァンニ・ベッリーニは、画業の初期から晩年まで、『死せるキリストへの哀悼』といえる『ピエタ』を描き続けました。主イエスの右わき腹に見える傷跡はキリストの死を確認するためにローマ兵士が持っていた槍で突いたものだとされています。キリストを支える聖ヨハネ姿は一世紀に生まれたキリスト教の聖人で、キリスト十二使徒の一人で、同じくキリスト十二使徒の一人であったヤコブ(大ヤコブ)の弟でもありました。ヨハネ福音書の著者とされ、エーゲ海の小島に流刑にされたときには、新約聖書の「黙示録」を書いたとされています。


 ジョヴァンニ・ベリーニは、初期ルネサンスの三大芸術家のひとり彫刻家ドナテッロから、人物像に強く表れている構造的造形美や精神性の表現などにおいて強い影響を受けました。 またマンテーニャの線描的表現を、パドヴァ派を学んで、非凡で個性的な光の表現を生み出しました。

 この『ピエタ(聖母と聖ヨハネに支えられる死せるキリスト)』では、青白い劇的な横縞で雲を見たし、光はキリストの全身を包み込み、人間的苦悩と神的象徴という二重の心理的な緊迫感を高め、啓示があったような永遠の公明を照らしています。キリストは、聖母と聖ヨハネに支えられています。人物たちは青白い幻想的な空を背景にシルエットをなしていまます。輪郭線は鋭く刻まれ、激しいドラマ的要素と顔の表情にみられる無言の交錯は、人物の手の巧みな配置に反映されています。 背後の鉱物的風景は、痛ましい復活の夜明けを示す寒々しい灰色の薄明かりを浴びて、場面の苦悶の感覚を強調し、痛々しく峻厳な悲劇性を表現しています。


 この作品を見ていると、心に強く突き刺さるような衝撃と言葉では表現できない感動を覚え、時間の経過を忘れて、悲劇性に満ちた表現と、背景の詩情的な描写の迫力に引き込まれていきます。この作品はジョヴァンニ・ベリーニの、初期の最高傑作であるとともに、『死せるキリストへの哀悼』を描いた絵画の中でも最高傑作地位植える作品だと確信しました。







アンドレア・マンテーニャ『死せるキリスト』 1497




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 『死せるキリスト』は、マンテーニャの生涯において隆盛期から晩年期の間に描かれたと推測され、磔刑に処され死したイエスの亡骸を描いた作品です。特研究によると、マンテーニャが自らの死を予期して自らの信仰のために描いたと考えられ、マンテーニャの死後に、マントヴァのサンタドレア聖堂礼拝堂内に用意されたマンテーニャの記念碑の下部へ設置することが定められていました。


 イエスの亡骸は、従来描かれてきた典型的な構図とは全く異なる極めて斬新な構図で描いています。見る人が、イエスの足下からその死を悼んでいる表現は極めて劇的で、足下から急激な短縮法を用い描き、暗室の中の弱い光に浮かび上がるイエスの姿は、暗室に射し込む弱々しい光によって浮かび上がる独特の印象を見る者に与えます。 息子を失い苦悩する老いた聖母マリアと、両手を組み合わせて嘆く聖ヨハネが見える。聖母マリアの向こう側で、悲嘆の声を上げているような口元だけ見る女性は、マグダラのマリアと思われます。イエスの死を悲しむ聖母マリアと福音書記者聖ヨハネは、瞳かられ大粒の涙が溢れ、深い皺を刻んだ顔に目を腫らし嘆く聖母と聖ヨハネの姿から、神の子イエスの死に対する深い悲しみが滲み出ています。 一人の人間の死を徹底したリアリズムで描き、イエスの遺体も詳細に描かれていますが、むごたらしい死の描写にも私たちは目をそらす気持ちにはならなかったのは、マンテーニャの気品に満ちた筆の力だと感じました。





ラファエロ『聖母の婚礼』   (1504)




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 ラファエロ21歳の時に、当時の有力な権力者アルビッツィーニ家の依頼により、ペルージャ近郊チッタ・ディ・カステッロのサン・フランチェスコ聖堂サン・ジュゼッペ礼拝堂のための祭壇画として制作されました。マリアが14歳の時に、神殿の司祭長のもとへ天使が現れ「国中の独身者に一本、杖を持たせて集めよ。そして杖の先に花の咲いた者を聖母マリアの夫として選べ」と聖告を受け、その聖告に従い国中の独身者を集めた結果、大工ヨセフの手にする杖の先に花が咲き、聖母マリアの夫として選定されました。『聖母マリアの結婚』は、聖母マリアとヨセフの結婚の儀式をおこなう場面です。 面中央より左側に聖母マリアと5人の処女たちが配され、画面右側には夫ヨセフと選定に漏れた多くの独身者たちが描き込まれています。画面の中央では司祭長が聖母マリアと夫ヨセフの手を取り婚姻の印となる指輪を聖母マリアの手の先に近づけています。神に選ばれなかった独身者が怒りのゆえ枝を折る仕草を見せていて、この父なる神による奇跡的出来事を神聖化しています。


 ラファエロは、1483年イタリア中部のウルビーノ公国で生まれた。幼少のころから芸術の才能を開花させ宮廷画家だった父親ジョヴァンニの助手を務めるほどでした。8歳で母親マージアを、11歳で父親ジョヴァンニを失ったラファエロは、1500年頃ペルジーノの工房で働くようになりました。ペルジーノは、当時ウルビーノを代表する画家で、ラファエロはペルジーノの甘味な詩情と敬虔な夢想を崇拝し熱烈な愛を捧げました。ラファエロは、感受性豊かな青春の時期にウルビーノ宮廷の素朴、純粋無垢、愛情、身心の美の精神と感覚を繊細に刺激する柔和な光の放散の小宇宙を学びました。


 このの作品は、ペルジーノ時代の最後の傑作で、ペルジーノの『マリアの婚礼』に結びついていまが、変容も見られます。ラファエロはブラマンテが1502年に設計建造したローマにある小規模な円形堂を思わせる円堂と、それを支える円柱群の作り出す孤線を、建物の半円形の階段の直線を隔てて、前景と人物具の孤線に生かし、豊かな空間の広がりと遠近の妙を作り出しています。色彩のリリズムは軽快に調和し、見事な構成の統一は、空間構成の非凡な才能を感じさせます。


 このの作品に描かれる各登場人物はラファエロの師ペルジーノの優美さと甘美性を正統に引き継いでいます。個々の人物像はベルジーノ風の情緒性や硬さが残っていますが、背後に描かれるエルサレムの神殿の描写や背景全体の空間構成では、完璧な空間的把握と自然的な描写が、若きラファエロが既に師ペルジーノを超えるだけの力量を持っていたことを物語っています。


 物語語は5人の処女にかしづかれたマリアの差し出す手に、高僧に手を添えられたヨセフが指輪をはめようとしています。ヨセフの持つ棒の先にユリの花が咲いて、ヨセフが選ばれた人であることを物語っています。失望は隠しきれない、他の男たちの群れは円弧を描き、中央の人物の存在を際立たせる画面構成と、空間把握と自然描写が相乗的に作用し合い、静粛さと荘厳さが混在した聖性の高い結婚場面の表現となって画面の中に独特の雰囲気を構築しています。この豊かな空間の形象の中に快い生命の動きを伝え、背景の幅広い階段に点在する人々の動きと、済みわたった空のり下の円堂に醸し出す明るい詩情は、爽快で典雅なロマンの響きを感じさせます。この作品の表現は、ラファエロの宗教画におけるひとつの真髄であり、ラファエロ初期の傑作として、私たちを魅了するのだと強く感じました。





カラヴァッジョ『エマオの晩餐』 1606




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 カララヴァッジョは、初期は精赦なリアリズムの静物画を得意とし、16世紀末にはローマの教会のために宗教画を制作するようになりました。 カラヴァッジョは、闇の中にスポットライトを当てて主要人物を浮かび上がらせる手法を編み出し、聖書の物語をドラマティックに表現することに成功し、17世紀初頭には、新しい様式の担い手として注文が殺到しました。 この作品では、晩餐をともにするのが処刑されたはずのキリストであると知って弟子たちが驚いている様を描いたもので、赤い衣装を身に着けたキリストに光が当たり周囲の闇から際立った演出をしています。初期作品の特徴である食卓の果物の写実的な描写や、正確な光源による光の色彩、迫真性を増す人物表現などカラヴァッジョの才能が見事に生かされています。 レンブラントなどの光の演出よりもむしろ更に洗練させた感性を感じさせ、カラヴァッジョ独特なドラマ作りに成功していると感じました。


 人物物たちが溶け込んでいるような雰囲気も心理的な感情も若いころの作品よりおとなしくなり、表現がほぐれてまろやかになっており、以前のような表現の大胆さは感じられません。これこそがカラヴァッジョ最後の円熟した芸術的思考のほんしつであり、芸術の質として高い領域に達してためか、この絵の前に立った時、自分の身体全体が緊張感で引き締まるような感激を感じました。




ティツィアーノ『荒野の聖ヒエロニムス』  1560



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 風景景は彼の後退の砂漠を表しています。聖ヒエロニムスは単に隠れ家として服を着て、彼が苦しみと戦うために使った石をもっています。聖ヒエロニムスは十字架を凝視しています。ヴルゲートの翻訳家としての学者としての活動を示す本があり、飼いならされたライオンが左に配されています。デッサンは詳細なところまで細心の注意が払われています。険しい崖のような崖の上に植生があります。霧のために青い色調ですが、明るい風景に仕上っています。






コレッジョ『東方三博士の礼拝』 . 1518




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 コレレッジョ20代半ばの作品で、典型的な≪東方三博士の礼拝≫ですが、硬質的な細密から自然で丸みを帯び始める質感緩やかな稜線のぼかし、反射する光の輝きなど随所にコレッジョらしい表現が見られます。聖母を始め、登場人物の自然な動きや仕草、視線などの微妙な表現は、20代半ばの作品を中心に鮮やかな進化を遂げました。ジョルジョーネらヴェネツィア派を思わせる豊かな色彩もコレッジョの大きな特徴のひとつです。


 複雑雑な構図や、不自然なまでにねじられた身体の描写には、コレッジョが当時関心を抱いていた、エミリアの古典主義の影響が見られます。例えば黒人の従者の体はねじられていかにも不安定であり、その身にまとっている布の皺も誇張して描かれています。しかし画面では調和した美しさを持っており、ミケランジェロの理想としていた人体の美を描きだしています。コレッジョは20代半ばの頃は、このように多くの画家の作風や構図を取り入れ、自身の画風を模索していましたが、試行錯誤を重ねて磨かれていった感覚は、晩年のコレッジョの画風に発展していきました。





ルーベンス『最後の晩餐』  16301631




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 ルーーベンスは、メヘレンの聖ロンバウツ教会の祭壇画の一部として、この作品を描来ました。この作品は、最後の晩餐のイエスと使徒たちの姿を描いたものです。 イエスは赤い衣をまとい、頭のまわりに黄色い光背があり、中空を見上げる姿で描かれています。イエスは画面の中央に描かれ、使徒たちはその左右に6人ずつ描かれており、イエスの手にはパンの塊があり、その前の食卓上にはワインの杯が置かれている。イエスは、画面のすべての人物の中で、最も光が当たっていて、画面の最も左に描かれている人物が最も暗い陰の中に描かれています。ユダは、握った右手を口元にあて、画面に描かれた他の人物たちと視線を会わせるのを避けており、神経質な様子を表現していいます。


 レオオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のテンペラによる壁画はルーベンスに大きな影響を与えており、ルーベンスはダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を模写したエッチングも制作して、初めて全面的な人間の感情の表現を試みようとしました。ルーベンスは人文主義的理念にも影響を受けており、それを通して聖書の主題を取り出そうとしています。



参考文献

イタリア政府観光局(ENIT)公式サイト

Pierodi Cosimo: Visions Beautiful and Strange Hardcover – January 31, 2007

DelphiComplete Works of Giovanni Bellini  

by Giovanni Bellini(Author), Peter Russell (Author)

エットーレ カメザスカ (), 塚本 博 (翻訳)  1993/11

マンテーニャ (イタリア・ルネサンスの巨匠たち―独自な芸術の探求者)

池上 英洋 (監修)  ラファエロの世界 – 2012

岡田 温司 (, 編集) カラヴァッジョ鑑   2001

フィリッポ・ペドロッコ著

ティツィアーノ (イタリア・ルネサンスの巨匠たち) 199

ルチア・フォルナーリスキアンキ (),

     コレッジョ (イタリア・ルネサンスの巨匠たち) 1995




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by desire_san | 2018-05-10 18:13 | イタリア・ルネサンス美術の旅 | Trackback | Comments(4)
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Commented by rollingwest at 2018-05-09 07:26
ミラノは憧れの場所です!一度行ってみたいものです。目にまぶしい光と新緑の鮮やかさ・花の美しさ!GWは大いに楽しめましたか?真ん中で天候不順な日があったものの全体的には素晴らしい五月晴れに恵まれてよかったですね。ここ数日は肌寒いですが、これからも気持ちいい季節を大いに楽しんでいきましょう!
Commented by desire_san at 2018-05-09 17:18
ollingwestさん コメントありがとうございます。
雲仙普賢岳に行ったときのブログヲ拝見しました。
雲仙・普賢岳の噴火活動でできた「平成新山」(標高1483メートル)を間近に見られる新しい登山道が、2012年5月に開通し、山肌にごろごろ転がる溶岩や立ち上る水蒸気を目の当たりにできるようになりました。7月下旬、雲仙の山々を周回すると、登山の起点となるのは、仁田峠。広い駐車場が完備されている。10万本のミヤマキリシマが群生していて、5月から6月の開花期には辺りが紅色に染まり、東に阿蘇山や大分の九重連山が望むことができました。ロープウエーで妙見岳に登り、尾根伝いに北上すると国見岳へ。岩場に「西の風穴」「北の風穴」が続き、岩の裂け目から冷気が噴き出していました。
Commented by bernardbuffet at 2018-05-09 22:45
ここは意外に穴場ですよね。
セガンティーニもあるし・・・・。
2度目に行った時は改修工事のさ中で今一つでした。
Commented by desire_san at 2018-05-10 21:26
bernardbuffetさん

ミラノに行人は多いですが、ブレア美術館に行く人は極めて少ないようです。

ツアー旅行で、ここが入っているのは、ほとんど見たことありませんね。


心に残った自然とアート   


by desire_san
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