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磔刑図でも群を抜いたキリストの苦悩の痛烈な表現

グリューネヴァルト

イーゼンハイム祭壇画『磔刑』

MatthiasGrünewald “IsenheimAltarpiece`


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 グリューネヴァルトの代表作であるこの祭壇画は、フランスとドイツの国境に修道院に安置されていた時のオリジナルの状態を説明したものによれば、現在のフランスのアルザス地方に位置する、コルマールにあるウンターリンデン美術館に収蔵されています。コルマールへは、リヨンから高速列車で来ることができました。 元はコルマールの南方20kmほどに位置するイーゼンハイムにありました。この作品は、イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂にあったものであり、修道会の守護聖人聖アントニウスの木像を安置する1511年‐1515年頃に制作された彩色木彫祭壇です。





Matthias Grünewald painted an impressivealtarpiece between 1510 and 1515 for the monastery of the Order of St. Anthonyat Isenheim, in the Elzas near Colmar. Today, the altar is on display at theColmar Museum. The wood statues enclosed in the folding altarpiece were carvedby Niklas Hagenauer. The altarpiece was often shown to people suffering fromSaint Anthony's Fire, a painful disease. It was thought that the beauty of theart and the image of Christ's suffering would help the patients. The altar hastwo sets of folding wings, bringing the number of views to a total of three.




 祭壇は扉の表裏に絵が描かれ、扉の奥には聖アントニウスの木像が安置されています。扉を閉じた状態の時は、祭壇下部の横に長い画面の中央と左右のパネルの4つの画面が見えます。中央パネルは凄惨な描写で知られるキリスト磔刑図が描かれています。十字架上のキリストの左右に聖母マリア、マグダラのマリア、使徒ヨハネ、洗礼者ヨハネなどを配しています。左パネルには聖セバスティアヌス、右パネルには聖アントニウスの像を表し、プレデッラにはピエタを表しています。聖セバスティアヌスはペスト患者の守護神であり、聖アントニウスは「聖アントニウスの火」というライ麦から発生する病気の患者の守護神です。




 第1面の中央パネルに描かれた十字架上のキリスト像は、キリストの肉体に理想化を施さない、凄惨で生々しい描写が特色である。十字架上のキリストの肉体はやせ衰え、首をがっくりとうなだれ、苦痛に指先がひきつっています。この祭壇画は、聖アントニウス会修道院付属施療院にあったもので、この施療院は「聖アントニウスの火」という病気の患者の救済を主要な任務としていました。「聖アントニウスの火」とは、医学的には麦角中毒と呼ばれるもので、患者が自らの苦痛を十字架上のキリストの苦痛と感じ、救済を得るために、このような凄惨な磔刑像が描かれたと言われています。




 深く頭を垂れるイエス・キリストの姿は、なかば開いた口からはうめき声が発せられ、おびただしい傷口からは血がしたたり落ち、眉を寄せ、瞼を閉じた蒼白い顔に 苦しみのうちに生き抜いたあげく息耐えた人間の惨たらしい凄惨極まりない死の姿として描かれています。衰弱した体の手足を釘で打ち抜かれたキリストの苦悩の表現は恐ろしいほどで、西洋美術史上の数ある磔刑図の中でもその痛烈さは群を抜いてまいす。ほのかに暗い教会の祭壇に置かれ死せるキリストに手をあわせる敬虔な人々は、おそらくこの絵が何を意味しているが理解できるのだと思います。



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 第2面は中央パネルに「キリスト降誕」、左パネルに「受胎告知」、右パネルに「キリストの復活」が描かれています。第3面は左に「聖アントニウスの聖パウロ訪問」右に「聖アントニウスの誘惑」が描かれています。これらの絵に挟まれた中央は聖者の彫像を安置する厨子になっており、中央に聖アントニウスの座像、向かって左に聖アウグスティヌスの立像、右に聖ヒエロニムスの立像があります。これら厨子内の木像はニコラス・フォン・ハーゲナウ(1445頃-1538)の作であります。プレデッラにはキリストと十二使徒の彫像がありますが、この部分は作者が異なっているようです。



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 修道院に安置されていた時のオリジナルの状態を説明によれば、聖アントニウス界修道院付属施療院では、平日にはキリストの磔刑の画面が公開されていましたので、これを「平日面」または「第1面」といいます。観音開きの扉になっている中央パネルを左右に開くと「キリスト降誕」を中心にした別の絵画が現れます。この場面は修道院で日曜日にのみ公開されたもので、「日曜面」または「第2面」といいます。この「日曜面」の扉をさらに開くと、中央には聖アントニウスの木像を安置した厨子があり、左右には別の絵画パネルが現れます。この画面、即ち第3面は、聖アントニウスの祭日のみに公開されたものでいす。現在、ウンターリンデン美術館では展示の都合上、第1面、第2面、第3面を別個に展示しています。




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 15世紀末、コルマノールとバーセレの間の山間の町、イーデハイムに、イーゼルハイムの聖アントニウム修道院は、ふたりの富裕にして敬虔な指導者ヨハン・ド・オルにリアとグイド・グエルシによって全盛期を迎えました。『イーデハイムの祭壇画』を注文したのはグエルシでした。コルマールとバーゼルの山間の町にストラスブールから彫刻家ニコラウス・フォン・ハーゲナウが招かれ、祭壇内部の彫像を制作しました。彫像群が完成すると、これを覆う十枚のパネルの制作に当たったのが画家マティアス・グリューネヴァルトでした。この多翼祭壇画は、平日は閉められ、『磔刑』、偉大な守護聖人『聖アントニウス』『聖セバスティアヌス』の姿が見られ、日曜日と祝祭日は、第一の扉が開けられ、『受胎告知』『奏楽の天使』『聖母子』『キリストの復活』の神々しく美しい場面が公開されます。受難や聖人たちはほとんど等身大に描かれ、見る人に感銘を与えます。



 暗緑色の闇に不毛の大地・ゴルゴタの丘、その暗闇から浮き出るキリストの屍は、苦しみの最後の瞬間を留めたま硬直しています。四福音書には、キリストの死は昼時なのに太陽は光を失い、大地は暗くなったとありのますが、キリストの死の様子の記述はなく、14世紀のスウェーデンの聖女ビルイッタの「啓示」に依拠しているとかんがえられています。同書によると、「桂冠は主の頭に重くのしかかり、頭の半分を覆った刺傷から血が吹き出し、顔や髪、髭に川のように流れ落ちる。屍は死の色を変じ、最後の息を引きとった開いた口には、舌や歯が見え、血があふれている。」などあたかも実際見たかのような記述があり、同書が大いにグリューネヴァルトの想像力をかきたてたと考えられています。 当時の進学者達は、聖母の悲痛をイエスの死になぞり、聖母もイエスと同じ死の苦痛を受けたとする同時受難の思想を生み出しました。この絵画はその思想を反映して、聖母はわが子の死の痛みを全身に受けて気絶し、顔は死人のごとく蒼白です。悲痛の極限に達してもなお、両手を合わせてさしのべ祈りを捧げているのでいす。マグダナのマリアは、慟哭に身をのぞけ、小刻みに小さな身体を震わせ、長い金髪を悲しく波打たせながら祈りを奉げています。右腕で聖母を支える聖ヨハネの悲しみの顔をひきつらせています。



 左側の3人の激情と対照的に、右に立つ洗礼者ヨハネは、孤高と威厳を保って、贖罪の死の証人として仔羊とともに現れ、人差し指でまさに、人の罪を取り除く神の子イエスを示しています。そして「彼は必ず栄え、わたしは衰える」(「ヨハネ福音書」3:30)との右肩の銘文は、殉教した先達である洗礼者ヨハネに代わって、人類の贖罪を背負って死んだキリストがやがて蘇ることを告げています。



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 グリューネヴァルトをはじめとする北方ルネサンスの画家達は、人間イエスの死を今目の前で見ているようにリアルに表現しようとしているようです。 『イーデハイムの祭壇画』に描かれたイエス・キリストには、神としての威厳もなく、苦悩の果てに息絶えた人間イエスを見るようです。生々しいリアルな表現、究極のリアリズムと言いたいところですが、誰もキリストの磔刑を実際に見た人などいないのです。モチーフを見ていない画家の作品をリアリズムと表現すること自体何の意味があるでしょうか。では、何故イエスの無残な死をここまで生々しく描く必要があったのでしょうか。



 中世後期の神秘主義思想では、イエスの死に至る壮絶極まる苦悩は、現世を生きる全ての人間の苦悩の集約であるという考え方がありました。そのような人々は、イエスの受難を自らの生死と重ねて、苦しみが大きいほどイエスのように復活できると信じたのです。やり場のない理不尽と現実の耐え難い苦悩の人生の現実に対して、復活への願望に望みを託す、この時代はある意味では末法思想の世と重なるものを感じます。イタリアの国際ゴシックやルネサンスの高貴な品位あふれるイエス・キリストや聖母マリアの美意識とは全く別世界ですが、グリューネヴァルトのこの作品は、見る人に強烈精神的刺激を体験させてくれるのです。




 グリューネヴァルトは、フランクフルト近くの小さな町、ゼーリゲンシュタットで修行したといわれています。この町は、マインツ司教区に属し、小さいながらも相当の特権を有しており、グリューネヴァルトは、マインツ大司教ウリェル・フォン・ゲミンゲンの宮廷画家となり、絵画だけでなく、水道工学師として噴水の造営を手がけ、また、主任美術担当として、アシャッフェンブルグの宮殿再建の任につきました。当時グリューネヴァルトは、デューラーが中央パネルを描いたヘラー祭壇画の一部を担当しました。デューラーは、二度のイタリア旅行を経て、理想的空間と合理的空間を追求するイタリア化したドイツ画家として功績を挙げていました。グリューネヴァルトは、激しい宗教的感情と情念を、非合理的形態と色彩を充溢させたドイツ的資質を色濃く宿した画家で、孤高と憂愁な生活をおくる敬虔なカトリック教徒で、光より精神の闇を追求する画家でした。1520年、グリューネヴァルトはデューラーとの出会いの機会があり、デューラーから自作の版画を贈られました。



 1516年、マインツ大司教ウリエル没後2年、アルブレヒト・フォン・フランデンブルグが後継者となり、この枢機卿のもとで、グリューネヴァルトは約10年活躍しました。アルブレヒトは、聖遺物収集や免罪符発行で信者より寄付金を集め、私利私欲で宗教的権威をふりかざす人物で、全盛期のグリューネヴァルトは、絢爛豪華な宮廷生活、名誉ある役職と敬虔な信仰心の乖離に苦しんだことと思われます。グリューネヴァルトは、枢機卿に同行してカール五世の戴冠式のためアーヘンに赴きました。ここで見たアーヘンの目もくらむばかりの光景は、長年見てきたアルベルトの行状に加えて、グリューネヴァルトの疑念を強めることになりました。




 グリューネヴァルトは、自分が信じてきた神やイエス・キリストの教えに虚飾や傲慢があるのはおかしいと感じ始め、質素、禁欲、敬虔を重んずるルターの宗教改革運動に共鳴していきました。1525年ルター派の支持を受けた農民戦争がドイツで勃発すると、グリューネヴァルトはこの暴動の支持者の疑いを受け、枢機卿の宮廷画家などの役職を解雇され、貧困、窮乏の生活の中、デューラーと同じ1528年に、ペストで悲壮な死を遂げました。




 『イーゼンハイムの祭壇画』の中央パネルには、神の仔羊を連れた洗礼者ヨハネが、イエスの死を示し復活を予言しています。仔羊は、人類の贖罪のために犠牲になったキリストの象徴であり、福音書記者聖ヨハネによる「黙示録」では、キリストの死から千年後、反キリストが現れ、世界を混乱と破壊の恐怖に陥れ、さらに世界の終末に対してキリストが再臨し最後の審判を下して、前任よりなる新しい栄光の地上の王国を建設すると言われています。「最後の審判」「天国」「地獄」も描かれた『イーゼンハイムの祭壇画』も、世界の終末を告げ,敬虔な信仰を持つ者達が至福の王国に迎え入れられるという教えを説いているとも考えられます。終末を過ぎた後、カトリック教会の虚構と退廃は、ルターらの宗教改革により弾劾されました。『イーゼンハイムの祭壇画』の世界に浸っていると、この作品の原点となったと思われる「黙示録」の終末論は、宗教改革運動の推進力の役割を果したと感じられてくるのです。



参考文献

クリスチャン・エック (著),岡谷 公二 (訳)

   「グリューネヴァルト イーゼンハイムの祭壇画」1993





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by desire_san | 2018-05-29 18:25 | 北方ルネサンスとフランドル美術 | Trackback | Comments(5)
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Commented by Keiko_Kinoshita at 2018-06-01 16:00 x
TGVコルマール駅に到着したとき、本当にこんな小さな駅の周辺にあの可愛らしい景観の街があるのかと半信半疑でした。 地図を持って迷いながら歩き続けること20分…旧市街に到着しました。カラフルな木組みの家々を見たとたん興奮が止まらなくて、可愛い街並みでありながらものどかで暮らしやすそうで、ここに住みたいなと思ってしまいました。
Commented by Georg_charls at 2018-06-01 16:00 x
グリューネヴァルトは、ピエタなどのキリストを描かせたら、最高の画架だと思っ不定増す。まなるで、この事件を見てきたように、リアルに、死に至るまで崇高なキリストが描かれてていて感動的です。
Commented by snowdrop-nara at 2018-06-03 10:19
desireさんのお写真のおかげで、まるで教会内でこの祭壇を見ている気持ちになれました。
当時の人々は、平日は『磔刑』『聖アントニウス』『聖セバスティアヌス』を、日曜日と祝祭日は、『受胎告知』『奏楽の天使』『聖母子』『キリストの復活』を見ていたのですね。
『磔刑』を見た後で日祝日に見る『復活』はさぞ深い感動を与えてくれたことでしょう。

中世はペストなどの伝染病や、命の穀物ともいうべき麦に発する病(!)など、悲惨な死と隣り合わせの時代でした。磔刑のキリストも、そんな悲惨な自分たちと同等かそれ以上の苦痛を耐える姿で描かれてこそ、人々を慰めることができたのでしょう。現代でも、自分の苦しみをイエスキリストがともに担っていてくれる、と信じることで苦しみや孤独を耐える力を得る人は少なくありません。

グリューネヴァルトは宗教改革につながる反骨の人だったのですね。固い信念があればこそ、こうした作品を生み出すことができたのでしょう。
『磔刑』が悲惨であればあるほど、『復活』の光は見る人の心を明るく照らす、と画家は信じていたと思います。
この作品を正面から取り上げ、作品の真意を詳しく述べてくださったdesireさんに敬意を表します。

追伸:初心にかえって、奈良のお寺とそこの仏像について、記事を一つ作りました。
仏像は撮影禁止なので、展覧会図録から引用しましたが…よろしければ、ご覧くださると光栄です。
Commented by rollingwest at 2018-06-11 22:24
プラド美術館展でキリスト磔刑図をいくつか見ましたが。この絵は群を抜いたキリスト苦悩絵なのですね。秋のルーベンス展でも楽しみにしているところです。
富士山絶景の数々を掲載していますのでまた是非遊びに来られてください。
Commented by desire_san at 2018-07-05 19:04
snowdrop-naraさん、コメントありがとうございます。

グリューネヴァルトのこの祭壇画は、バッハの「マタイ受難曲」に通ずる、『磔刑』『復活』の精神を感じました。

グリューネヴァルトはカトリックの枢機卿に仕え、バッハはプロテスタントのルターの支持者で、活躍した場所も時代も異なり、全く接点がありませんが、キリストの教えの理想を表現したということでは、時空を超えて共鳴するのはね。まさに芸術、あるいはそれ以上の精神の糸でつながっているように感じました。

心に残った自然とアート   


by desire_san
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