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心に残った自然とアート   

ワーグナーの遺伝子を継ぐバイロイト音楽祭総監督カタリーナ・ワーグナー演出

ベートーヴェン『フィデリオ』

Beethoven “Fidelio”


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『フィデリオ』は、偉大な楽聖・ベートーヴェン唯一のオペラで、金字塔ともいえる渾身の作品です。正義と自由、夫婦愛を讃える ベートーヴェン『フィデリォ』を新国立劇場20周年記念特別講演として新製作されました。大作曲家ワーグナーの曽孫であり、バイロイト音楽祭総監督であるカタリーナ・ワーグナー演出という注目の舞台を体験してきました。 





The opera "Fidelio" is the sublimation of BEETHOVEN'sidealistic spirit. With its theme of liberation for the sake of justice, loveand freedom, and its finale evoking overwhelming emotions, "Fidelio"shares with "Aida" the status of a celebratory work staged the worldover for special occasions such as the opening of a new performance venue."Fidelio" was staged for the re-opening performance at the rebuiltVienna State Opera after the Second World War in November 1955, the month afterthe end of Allied occupation.  IIMORITaijiro, with his profound knowledge of German music, conducts the orchestra.Two of the world's top opera singers, Stephen GOULD and Ricarda MERBETH appearas Florestan and Leonore, and one of the greatest dramatic bass baritones ofhis generation, Michael KUPFER-RADECKY plays the role of Don Pizarro.


政敵ドン・ピツアロの政略で、不当に監禁されている夫・フロテスタンを救うため、妻レオノーレは男装し、フィデリオと名乗って監獄に潜入します。本名レオノーレ。勇敢なオノーレこそ、生涯独身だったベートーヴェンの理想の女性像でした。レオノーレは、夫を救うことがでーきるのか。苦悩から厳しいを経て、最後は歓喜に至る展開は、第九にも通ずる、ベートーヴェンならではのハッピーエンドで盛り上がる設定です。


音楽で綴る『フィデリオ』のあらすじ

『フィデリオ』の序曲は、これから始まる艱難辛苦から、開放、歓喜のドラマの序曲として充実した内容の音楽で、この物語の主題を提示しつつ、このオペラに対する期待を盛り上げていきます。


第一幕

幕が開くととともに、ヤキーノとマルツェリーネの二重唱「さあ愛しいお前」は、典型的なアンサンブルです。フィデリオを想うマルツェリーネは、ロマンティックなアリア「あなたと一緒になれたら」で娘心を切々と歌います。マルツェリーネの父で看守長のロッコは、フィデリオとマルツェリーネを結び付けようと思っており、マルツェリーネの喜ぶ姿と、レオノーレの困惑、ヤキーノの苦悩が四重唱「不思議でならないわ」でカノンの形式で歌い分けられます。


ロッコがフィデリォ話しかけるように歌う「人間、お金がなければ幸せになれぬ」は、ロッコの人間性を感じさせる音楽です。次のロッコ、レオノーレ、マンツェリーネの三重唱は、ベートーヴェンらしい重厚さが感じられます。フィデリォが退場すると、行進曲により、典獄ドン・ピィツァロが登場します。



ピツァロのテアリア「ああ、今こそチャンスだ」は、彼の邪悪で残酷な性格をベートーヴェンの激しく劇的なアリアと陰気な合唱で、存分に表現されています。ピツァロの劇的なアリアと陰気な合唱の立体的な構成にはべートーヴェンの才能を感じます。 このピツァロの激しいアリアによりドラマが動きだします。


ピツァロのテアリアの緊張感を受け付け継いだ形で始まる、ピッツェロとロッコの二重唱では、ふたりの性格の違いを音楽でうまく描き分けています。言い争いが終わりふたりは退場します



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ピツァロの企みを聞いたレオノーレは、激しい憤りを込めて「悪者よ、どこへ急ぐか?」を歌います。オーケストラの劇的表現力と、それ正面から対峙するレオノーの歌は、ドラマティックで熱狂的なアリアは、強い情熱を秘めつつ、レオノーレの意志の強さを、ドラマティックで高度の音楽技巧で描きだしています。ベートーヴェンの理想の女レオノーレへの情熱が、ソプラノに限界的な技量を要求しているかのようです。ソロを伴う囚人達の合唱は、オラトリア的な雰囲気があり、レオノーレのアリアとともに情念と情熱が感じられ、このオペラのひとつのクライマックスを形成していました。合唱の終盤に、ロッコとレオノーレが登場し、さらにマルツェリーネとヤキーノが加わる四重唱、さらりピツァロが加わる五重唱へと変化していき、合唱と重唱が重なって、音楽が荘重さを湛えて幕が下ります。


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第二幕

冒頭のオーケストラの壮絶な迫力満ちた堂々たる響きは悲劇に満ちています。幕が開き、フロテスタンが絶望的な叫びでアリア「神よ、ここは何という暗さだ!」を歌い始めます。絶望はやがてレオノーレへの想いに変化していき、妻への愛の熱狂へと高まっていきます。

オーケストラに乗って、夫フロテスタンの救出を願うレオノーレとロッコとの会話に続いて二重唱、さらにフロテスタンが加わり三重唱となります。

ピツァロが現れ、フロテスタンを殺そうとすると、そこにレオノーレが拳銃を手に立ちはだかれます。トランペットが鳴り響き、レオノーレ序曲を思わせる音楽でドラマの激しい推移を音楽は、緊張感を漲らせながら劇的に展開していきます。ピツァロがフロテスタンを殺害する場面からレオノーレが立ちはだかるまでの音楽は、ドラマと音楽が融合したオベら音楽の白眉といえる音楽です。フロテスタンとレオノーレは救済を確信し、夫婦ふたりにより歌われる二重唱「ああ、言いようのない喜び」は、ふたりの心の気持を力を強く表現しています。


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 ここで「レオノーレ序曲」第3番が演奏されます。フロテスタンの親友である司法大臣ドン・フェルナルドが登場し、ドン・ピツァロの悪事はあばかれ、フロテステン、レオノーレをはじめ多くの囚人が解放されます。フィナーレは、へートーヴェンらしい劇的な音楽構成で、自由と正義を讃え、レオノーレを讃えるソリストと合唱の壮麗で雄渾な音楽が響き渡り、感動的な幕となります。



オペラに対するベートーヴェンの考え方

ベートーヴェンは、モーツアルトを尊敬していましたが、ダ・ポンテ・オペラの「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」に対しては批判的でした。「魔笛」を愛する一方で、ダ・ポンテ・オペラを容認できなかったのは、台本の不道徳にありました。当時のウイーンでは、オペラはイタリア・オペラを主流とする娯楽追の音楽劇でしたが、ベートーヴェンの啓蒙主義や理想主義とは、相容れないものでした。ベートーヴェンは、彼の理想主義をオペラに具現化するため、推敲を重ね、1805年「レオノーレ」として初演されたオペラを、1814年第3版改定作品「フィデリォ」まで改定を重ねました。ベベートーヴェンの紆余曲折の副産物として、このオペラのための「フィデリオ」序曲と、三つの「レオノーレ」序曲が生まれました。ベートーヴェンが「フィでリオ」に求めたのは、音楽における精神性であり、哲学や啓蒙思想でした。ベートーヴェンは、自らの思想を表現する言葉のある音楽ドラマを追求しようとしました。



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オペラ『フィデリオ』の難しさ

交響曲をはじめ器楽曲の改革者であったベートーヴェンも、オペラというジャンルを破壊して改革することは出来ませんでした。『フィデリオ』の難しさは、オペラという大衆芸術に習熟していなかったベートーヴェンが、伝統的な娯楽性を否定して制作した音楽作品という宿命にあるともいえると思います。



ベートーヴェンの音楽は偉大なのですが、『フィデリオ』の台本はそれに見合うレベルに至っていないように感じます。音楽を伴わないセリフがやたら長く、音楽の流れを中断させることも珍しくありません。さらに言えば内容が「夫婦愛」「勧善懲悪」とあまりに通俗すぎること、登場人物の人間像の厚みや奥行きがなく魅力に乏しく、人間ドラマとして演劇時上演するのは無理ではないかと思われるほど脚本が弱いわうに感ずるのです。




これについては、かつてカタリーナ・ワーグナーが語っていましたが、ベートーヴェンが『フィデリオ』で歌い上げた自由の歌は、単なる憧れでしかなく、ベートーヴェンの時代の後にこそ、いっそう強圧的で抑圧的で独裁的で残虐な権力者たちが登場し、人々の人権を蹂躙した時代で、第2幕第2場の解放の歌は実現することはく、ドン・フェルナンドは実は解放をもたらしたのではなくもっとひどい社会をもたし、自由と解放は夢でしかなかった。このオペラのストーリー自体、所々にほころびや不自然があり、ベートーヴェンが無理やり理念を強引に歌い上げたところもあります。このオペラが完成されたのも、まさにナポレオン時代から反動時代へと移り変わろうとしている時代で、実際には暗い時代の幕開けでしたが、ベートーヴェンは力づくで自由への憧れを歌い上げたと考えられます。



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それとは別の視点ですか、私も含めて多くのオペラ愛好家がオペラに求めるのは、夢のように甘くロマンティックな心地よい快楽、ドラマティックな音楽展開、現実社会では味わえない陶酔感など色々ありますが、大きく捉えればあくまでも娯楽性なのだと思います。



『フィデリオ』は、ベートーヴェンの独自理念に貫かれながら、ヤキーノ、マルツェリーノというオペ・ブッファキャラクターを登場させ、マルツェリーノが男装したレオノーレに恋心を抱くという、従来のオペラで、物語に奥行き与える手法を受け入れています。しかし、その後は、アリア、合唱も、オーケストラも、ベートーヴェンの完成度の重厚な重量級の音楽が延々と最後まで続きます。従って、せっかくのオペラブッファ的な部分も、婦愛の物語の急進性を妨げる要素をとしなっておらず、むしろ場違いで浮いていたように感じました。ベートーヴェンの独自の理念に貫かれていることは理解できますが、オペラとしては求心性の弱さを感じてしまったのは私だけでしょうか。



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プッチーニなら、フロテスタンが絶望的な叫びの後、レオノーレへの想いに変化していき、妻への愛の熱狂を歌うアリアで、『トスカ』の第三幕の「」のような思いっきりロマンティックなアリアにしていたでしょう。その後、フロテスタンとレオノーレと出会い、救済を確信した夫婦ふたりにより歌われる二重唱は思いっきり美しい「愛の二重唱」を歌わせて、観客も愛の喜びを分かち合い、劇場の中はブラボーの嵐で包まれたのではないでしょうか。



しかし、ベートーヴェンの『フィデリオ』には、観客を喜ばせるこのような技術は排除にされます。音楽としては完成度の高い、重厚な音楽が、これでもか、これでもかと連ねられています。そこに遊び心が付け入る余地はなく、オーケストラも合唱もアリアも、ひたすらベートーヴェンの独自の音楽理念に従って突き進んで生きます。オペラの音楽に不可欠な、物語として説得力や強い意志の強さは、オペラの演出家、歌手、演奏者にゆだねられることになります。ベートーヴェンの他のジャンルの音楽は、それ自体完成度が極めて高く、プロの演奏家に限らず、ハイアマチュアの演奏家の演奏でも、それなりにベートーヴェンの音楽を体験できるのであるが、『フィデリオ』というオペラは、演出家、歌手、演奏者の力量により、舞台が全く共感できなかったり、説得力を感じなかったりすることもあります。これは、ある意味で『フィデリオ』というオペラの宿命的な難しさのように、私には感じられるのです。




今回の舞台と感想

今回の舞台を演出した、ワーグナーの曽孫で、バイロイト音楽祭総監督であるカタリーナ・ワーグナーさんでした。カタリーナ・ワーグナーさんは、は、時代も場所も設定のない舞台設定にし、歴史上常にあり、現代も将来も続く権力闘争をテーマとしました。

カタリーナ・ワーグナーさんは、作品に真剣向き合い、作品に込めけられた演出家の情熱が、舞台を通して観客に伝わり、その舞台を見て観客が様々に思いを巡らせることが重要と考え、話の緊張感を維持したまま物語が進という演出にしました。ここで「レオノーレ序曲」第3番が演奏することで、むよう、長い対話の部分的カットを施しました。ベートーヴェンの音楽はすばらしいのですが、対話の内容が物語を進める原動力になっている面ものあるため、対話をできるだけコンパクにしつつ、物語の推進力になるように腐心しました。


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それに加え、興味深かったのは、従来から持ってしいた疑問、即ち『フィデリオ』は、ピエッロがフロテスタンを殺害する場面でレオノーレが立ちはだかるところまではレオノーレの夫フロテスタン「救済劇」として完璧なのですが、実際にフロテスタンを救い、ドン・ピツァロの悪事をあばいたのは、フロテスタンの親友司法大臣ドン・フェルナルドのように感じさせてしまう脚本の弱さに対する処理でした。カテリーナ・ワーグナーさんは、夫を助けに来たレオノーレとフロテスタンが、ドン・ピツァロ逆襲にあい、ふたりは地下牢に閉じ込められてしまうという演出にしましたという演出にしました。「レオノーレ」序曲第3番は、第2幕第2場の前に演奏されたが、傷を負って倒れたレオノーレとフロレスタンのいる地下牢の通路の入り口は、序曲の前半部分で、ドン・ピツァロによってレンガが積まれてふさがれ、序曲の後半部分は、全く行き場のない閉空間を舞台上にして演奏されることになります。地下牢に閉じ込められて行き場を失ったレオノーレとフロテスタンの「レオノーレ」序曲第3番の視覚イメージは強烈に、レオノーレとフロテスタンの愛の世界を示す音楽としとて蘇らせました。そして、『トリスタンとイゾルデ』の第二幕の観客から観察されているような状況を作り、レオノーレとフロテスタンを「死の覚悟」、ふたりの愛に結ばれた「死への憧れ」さえも感じさせる音楽場面構築しました。


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このように『フィデリオ』の脚本やオペラ自体の弱点を見事に整理して、緊張感と物語の推進力を強化して、ベートーヴェンの音楽はすばらしさを際立たせたカテリーナ・ワーグナーさんの演出家としての手腕は見事だったと思いました。私達がオペラに何を求めるか関係なく、ベートーヴェンにとっては、これこそがオペラなのだということを胆に命じさせられ、ベートーヴェンの音楽のすばらしさを堪能した舞台でした。


『フィデリオ』が、この劇場のオペラ部門の芸術監督として指揮する最後の演目である飯守泰次郎氏と東京交響楽団はドラマのスケールと機微を顕した名演でした。音楽と演出が分かちがたく一体化していることは明白で、新国立劇場合唱団のハイレベルな合唱も素晴らしく、特に囚人たちの男声合唱の響きは「霊力」を感じさせるものでした。レオノーレ役のリカルダ・メルベートは、ピツァロの企みを聞いたレオノーレが、激しい憤りを込めて「悪者よ、どこへ急ぐか?」と歌うアリアから気迫にこもっていて、声量、声の美しさともヒロインに相応しい存在感を示していました。フロレスタン役のステファン・グールド、迫力ある表現から繊細な声の表現まで大変魅力手空きでした。血も涙もない極悪人ドン・ピツァロを演じたミヒャエル・クプファー=ラデツキー、要所で和みを与えてくれるロッコの妻屋秀和氏も最高の出来栄えで、マルツェリーネ役の石橋栄実さんとなども大変印象に残りました。





参考文献

新国立劇場情報誌 The Atre 2018

名作オペラブックス(3) ベートーヴェン 

  フィデリオ アッティラ チャンパイ, ディートマルホラント () 2001

荒井秀直 「フィデリオ / ベートーヴェン」音楽之友社 2001



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by desire_san | 2018-06-20 21:14 | オペラ | Trackback | Comments(10)
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Commented by Katoromrelr at 2018-06-29 21:10 x
今回の「フィデリオ」に係る精緻なご考察、たいへん興味深く読ませていただきました。いつもdezireさんのオペラに対する造詣の深さには敬服しております。
ただ、私は、カタリーナ・ワーグナーによる今回演出には、大いに疑問を持っており、演出の域を超えた暴走あるいは挑発だとも感じています。このオペラが、ご指摘いただいた不備等により、作品としての面白みを欠くことは事実ですが、我々は、それを含めて、無骨なベートーヴェンと真摯に向き合うべきではないでしょうか。「結末を逆転」させることなど、許されることではないと考えます。百歩譲って、「結末を読み替える」ことを許すにしても、ただ「逆転」させるということは、あまりに単純すぎて、そこに思考も葛藤もなく、奇をてらったとしか思えません。鬼退治に行った桃太郎が、鬼に殺されるようなものです。確かに、「ブー」と言われてなんぼの演出家ではありますが。もっとも、こうして演出に関し、いろいろと議論をするのもオペラを観る楽しみの一つと考えても宜しいかとも。以上、乱文乱筆をお許しください。
Commented by rollingwest at 2018-07-04 05:40
新国立劇場でクラシックを楽しまれのですね。こんな暑い日はこういう時間の過ごし方がいいかも!関東は6月終わりの史上初の早い梅雨明けでビックリ!週末は北関東で37度になる所も出現する程の超猛暑でしたが、今日は何とか暑さも一服収まりそうです。
Commented by Crasica_45 at 2018-07-05 22:09 x
第 1幕からフロレスタンが姿を見せているのだろうとか、あるいは、レオノーレの男装と本来の女性としてのいで立ちとを使い分けるところはなかなか面白いな、セリフを少しカットしているようだが、その分テンポはよいな、とか。また、今回の「フィデリオ」が、この劇場のオペラ部門の芸術監督として指揮する最後の演目である飯守泰次郎は、開始部分から気合十分であり、彼に応える東京交響楽団も、細部のニュアンス表現から力強い推進力まで、素晴らしい熱演でした。
Commented by 山口博和 at 2018-07-06 17:49 x
2018年5月30日、新国立劇場で「フィデリオ」を見ました。歌手では、フロレスタンのステファン・グールドが圧倒的でした。伸びていく芯の強い美声で音量もすえばらしく、息たえだえのフロレスタンのわりに元気で英雄的なのぱむオペラの宿命でしょう。レオノーレのリカルダ・メルベートも立派な声で、マルツェリーネを歌った石橋栄実もきれいな声で音量豊かでした。三澤洋史の合唱指揮の囚人の合唱も、最後の合唱もとてもよかった。厚みがあり、音程が素晴らしかったです。オーケストラについては時々金管のミスが聞こえ、弦楽器も精妙とはいえな買ったが、徐々に盛り上がって、第二幕で演奏されたレオノーレ3番は素晴らしかく、底力のあるドラマティックな音楽が展開されました。
Commented by CHERO_SERENADE at 2018-07-06 18:51 x
こんにちは。
私もこの舞台を観ましたが、私が感動したのは演出でした。第1幕のテーマは「春」だと思いました。マルツェリーネは花が咲き、人々が愛を歌う春に憧れています。フロレスタンは地下牢にいて女性への思いを忘れられず、マンガチックな女性の絵を描く。ピツァロも実はレオノーレにあこがれているらしい(どうも、ピツァロは恋敵であるためにフロレスタンを陥れたという設定のようだ)。だが、オリジナルとは異なって、カタリーナ・ワーグナー演出では、春は憧れであるばかりで、実際には訪れない。囚人たちは暖かくなった春の日差しを受けることが許されずに、暗い牢獄につながれたままで歌います。
 第二幕、フロレスタンがピツァロに刺されて殺されるのでびっくり! レオノーレまでもレオノーレ第3番が演奏されている間に刺殺されてしまった! 第2場では、黙役のフロレスタンとレオノーレが登場して舞台が進むが、死者である二人が墓場から声を出して歌うという設定になっていました。
 第2場に登場するドン・フェルナンドは人々に自由をもたらす解放の使者ではなく、強圧的で権威主義的な人物で、おびえた囚人たちを選別して釈放し、囚人たちは解放の歌を歌うが、実際には暗いところにいるままで解放されません。舞台の奥で希望が輝いているが、現実には人々は解放されているわけではないのです。そして、最後、ドン・フェルナンドは地位を保ったピツァロと友好関係を結ぼうとしています。カタリーナ・ワーグナーの演出は「読み替え」だとは思わない。私が「読み替え」と思うのは、原曲にはない演出家の自分勝手なメッセージをオペラに託して語ろうとするものです。カタリーナ・ワーグナーは現在から見た「フィデリオ」というオペラの本質をえぐりだし、ほかの人が気づかなかったこのオペラの特質を見せてくれます。このような演出は明らかにほかの演出家には例がセなかったもので、ベートーヴェンの便策を冒涜しているという批判はあると思います。これは単なる「読み替え」とは根本的に異なり、演出家の自分勝手なメッセージをオペラに託して語ろうととしているのでしょう。このようなカタリーナ・ワーグナーの演出に接すると、オペラ演出の力を強く痛感し、快適な気持ちになりました。。
Commented by desire_san at 2018-07-12 17:00
皆様、いろいろご意見ありがとうございました。

今回のカタリーナ・ワーグナーの演出には賛否両論あると思います。私も、先入観があってそこまでやっているか築かず、CHERO_SERENADEが詳しく書いておられのを読んで分かった次第ですが、脚本を書き換えてしまうことは。演出家の越権行為だと思います。


Commented by rollingwest at 2018-07-14 07:22
しかし本当に毎日暑いですね~。この3連休は体温を上回るような信じられないような猛暑になりそう・・。クーラーを効かせ水分をしっかり摂って熱中症に注意されて下さい。これから朝日連峰(山形)に出掛けてきますが、灼熱地獄の中で修行登山になりそうなのでやや気が重いです。よきホリデーをお過ごし下さい。
Commented by primex64 at 2018-07-21 13:23
興味深く拝読しました。
ベートーヴェンのオペラってのはオペラの分類ながら、歌唱付き舞踊のオーケストラ作品というか、何が主眼なのかが難しいところがあって、カルチャーとしての歌劇が未分化な時期の作品という整理でおりました。それを周到かつ創作性の高い演出でどこまでも完成度を上げる事が是なのか、あるいはこれらの試みは過剰な変形にすぎず非なのか、悩ましい問題ですね。
Commented by desire_san at 2018-07-21 18:05
primex64さん、コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、ベートーヴェンは、オペラを歌唱付き舞踊のオーケストラ作品と考えていたのでしょうね。ワーグナーの子孫のキャサリン・ワーグナーさんは、ワーグナーのオペラ、楽劇のような総合芸術の意識が強い人なので、ベートーヴェンには足りないと考えたところを、大胆に演出して、オペラとしての完成度を高ようとしたのだと思います。ベートーヴェンを崇拝する人たちは、この試みを過剰な変形ととらえ,批判的にとらえているように感じます.


Commented by rollingwest at 2018-08-01 07:04
今日から8月、7月は、西日本水害・猛暑最高気温の新記録・逆走台風・・、本当に異常気象の月でした。まだまだ異常な夏は何か起こりそうな予感が・・。安全健康第一で乗り切っていきましょう。

by desire_san