ミケランジェロの傑作初来日~『システィーナ礼拝堂天井画』への道程
ミケランジェロ 『ダヴィデ=アポロ』
Michelangelo "David Apollo"
「ミケランジェロと理想の身体」展が国立西洋美術館で6月19日〜9月24日開催されています。日本初公開の彫刻作品『ダヴィデ=アポロ』を中心に、ミケランジェロに影響を与えた古代ギリシャ・ローマ作品やミケランジェロから影響を受けたルネサンスの作品50点を展示し、大理石およびブロンズ彫刻、壁画、油彩、素描、陶器など多様な作品を「幼少期から青年期の男性表現」「アスリートと戦士」「神々と英雄」などの切り口で紹介し、古代ギリシャ・ローマとルネサンスの身体美の表現に迫る展覧会となっていました。
Thework depicts a naked man and, apart from the enigmatic subject, the sculptureis made particularly complex via the use of versus twist, which shows thebody's contours in depth, multiplying the points of view. Arms and legs are setto play an effective correlation with some joints bent and the opposite beingflat. For example, the left arm is bent and stretched the right, and the rightleg is extended and the left is bent over an unfinished structure on theground. Some declare that the structure was intended to become the head ofGoliath. Behind the figure is a tree trunk, which essentially, is static andhas a function of support for the whole statue. Another unfinished portion ofthe marble extends upward along its back from the waist.
ミケランジェロは6歳の時は親に死なれ、幼児期病弱だったため澄んだ空気のトスカーナの北の農園で育てられました。私生児だったダ・ヴィンチと同様、母の存在を知らず幼児期を育ったことが、愛に対する深い感受性と独特の理解力を生んだとも言われています。その表現は、ミケランジェロの生い立ちと無縁ではないと言われ、『階段の聖母』の若い聖母がイエスに乳を与えている姿は、石工の妻の乳母に乳を与えられているミケランジェロの姿でもあるともいわれています。
ミケランジェロの彫刻のひとつの頂点ともいえるブァチカン聖堂の『ピエタ』(1498年)のように洗練されてはいませんが、若きミケランジェロの気迫あふれる力強さが伝わってきます。なぜ階段があるのか、左上の子供たちは何を意味するのかはいろいろな解釈があるようですが、この作品をみると、この作品の魅力は美しい聖母の存在感そのものであり、そのような不可解さは些細なことに感じてしまうのでした。
ミケランジェロ『若き洗礼者ヨハネ』
1495−96年 ウベダ、エル・サルバドル聖堂
初期の傑作『若き洗礼者ヨハネ』では、ルネサンス美術の重要な題材のひとつ「洗礼者ヨハネ」を純真無垢な姿で表している。幼さを残しながらも、成熟を予感させる生命力。20歳をすぎたばかりのミケランジェロが早熟な天才ぶりを発揮した作品です。
この作品は、スペイン国内に1点しか存在しないミケランジェロのこの彫刻で、スペインの教会に置かれていたが、20世紀前半の内戦によって甚大な被害を受け、無残にもバラバラの状態になってしまいました。その後50年以上の時を経てイタリアで修復が始まり、2013年、復活した姿がヴェネツィアで公開されたそうです。
『若き洗礼者ヨハネ』は、修復したところの方がクリアな白で、修復箇所とミケランジェロが作った部分がはっきりわかるように修復されており、接合部分は後からオリジナルの石片が見つかった場合に修復できるようになっているおり、内戦によって甚大な被害の爪痕を現代に伝えています。 ゲルニカでの無差別爆撃を知ったピカソが反戦の意志を持って描かれた絵画『ゲルニカ』と同様、ミケランジェロの『若き洗礼者ヨハネ』は、神のごときミケランジェロ作品であるとともに、スペイン内戦の激しい痛みを今に伝える作品となりました。ヨハネのオリジナルの両目が残ったのも不穏な今の時代を見つめているようです。意図的なものを感じない自然な反戦のメッセージはかえって強烈に心に残りました。
ギリシャ彫刻を理想とするとこらから出発したルネサンス彫刻は、体重の大部分を片脚に重心をかけることで腰が傾き、しなやかな筋肉が強調されるため、肉体美を表現するのに理想の立像ポーズとなっています。 パルテノン神殿が建造された古代からこの立像ポーズは多用され、ルネサンス期に再発見された身体表現の出発点もこのボーズでした。この視点からミケランジェロの彫刻を見ると、作品の躍動感、美しさを改めて体感することができました。
1506年、ローマ・ネロ帝の宮殿跡から発掘された古代彫刻『ラオコーン』の苦悶と悲哀のリアルで躍動的な表現の迫力は、当時30歳を超えたばかりのミケランジェロに強烈な衝撃を与えました。その魅力に取り付かれたミケランジェロは発掘現場におもむき、「芸術の奇跡」と感嘆しました。古代の伝統を吸収するのみならず、肉感の表現に発展させました。
ミケランジェロのラオコーン発見以降の作品には蛇状体「フィグーラ・セルペンティナータ」の曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現が使われています。ヴァザーリはこれに「自然を凌駕する行動の芸術的手法」と絶賛しました。システィーナ礼拝堂の天井フレスコ画でも『聖家族』でも採用された身体に大きなねじりを加えたダイナミックな表現は、古代作品に学んだミケランジェロの、従来のクラシック的な作品には見られなかった特徴となりました。
ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』
1530頃 大理石 バルジェッロ国立美術館蔵
『ダヴィデ=アポロ』 は、その主題・モチーフが聖書の英雄ダヴィデか、ギリシャの神アポロか解釈が分かれています。 物憂げな表情は、戦で敵方の戦士ゴリアテに石を投げつけた少年ダヴィデの勇ましさとも、音楽や詩をつかさどり、ギリシャ神話でもっとも美しいとされる太陽神アポロの厳かさ、どちらともイメージが合致しません。
制作途中でミケランジェロがフィレンツェを離れ、あとに残された『ダヴィデ=アポロ』の表面に残された無数のノミ跡、「どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ」と語ったミケランジェロにとって、彫られるべき内部の像は、すでに彫り出されていたのかもしれない。未完なのか、実は既に完成しているのかも、謎のままです。
表面を滑らかに仕上げずに残されたノミ跡がミケランジェロの生々しい制作過程を伝えています。力強く清らかな表面に残されたノミ跡の生々しさすら気高さへと昇華しています。古代彫刻の美を最大限に忠実に表現した『ダヴィデ=アポロの美しさは、この作品がまとう多くの謎によっていっそう高められています。古代ギリシャ彫刻の古典的なポーズであるコントラポストを基本としながらも、身体全体が螺旋を描くように大胆にねじれ、ミケランジェロが昇華させた独自の美が表現されています。
ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』の力強さと気品、躍動感と安らぎ、清らかさと色香、多彩な分野にわたるミケランジェロ作品の中でも注目すべき、ミケランジェロ芸術の神髄である彫刻作品において、20代の傑作『ダヴィデ像』(1504年)の制作から約25年を経て、古代彫刻の美を昇華させたミケランジェロがたどりついた官能の美ともいえる真のミケランジェロ芸術を伝え、ミケランジェロが50代半ばを過ぎてようやくたどりついた美の境地の作品ともいえます。
『ダヴィデ=アポロ』に見られる身体の重心を片側にかけた体勢の「コントラポスト」は、古代ギリシャ彫刻の古典的なポーズですが、重心と動きを対角線上に表現する古代の規範とは逆に、重心を置く足、動きのある腕はどちらとも左側となっています。大きく振り上げた左腕によって上半身がねじれ、前に右足を突き出して身体全体で螺旋を描き、頭から足元にかけての緩やかなS字カーブのような造形が、しなやかな美しさを表しています。
「動き」と「感情表現」をとりいれたミケランジェロ独自の様式は、古代から追求され続けた「理想の身体」を超えていきます。彫刻、絵画のジャンルを超えた天才・ミケランジェロは、メディチ家礼拝堂の天井画、フィレンツェ・アカデミア美術館の4体の彫刻作品『囚われ人』、ルーヴル美術館の『囚われ人』の像を経て、システィーナ礼拝堂の天井画『アダムの創造』を中心とした『創世記』に取材した9つのフレスコ画と祭壇壁の『最後の審判』に開花していくのでした。
参考文献
[図録]ミケランジェロと理想の身体 出版 国立西洋美術館 1018
新人物往来社 (編) ミケランジェロの世界 2012/8/1
こちらのblogのご案内ありがとうございました。
私は西洋画はあまり鑑賞する機会がなかったので、ミケランジェロの作品も今回やってきた2点を
そのまま鑑賞していたのですが、時系列で彼の歩んでいった道を追うというこちらの視点に
大変学ばせていただきました。
素晴らしいinputをする機会に恵まれました。
ミケランジェロの最もよく知られてる『ダヴィデ像』は、20代の作品なのですね。
有名な『ピエタ』や『階段の聖母』の完成された美しさもすでに20代に確立されていたことを知り、大変驚きました。
今回来日した『ダヴィデ=アポロ』は、それ以降、新たにミケランジェロが開拓していった新しい美の世界の始まりで、そこから晩年の大作、システィーナ礼拝堂の天井画『アダムの創造』を中心とした『創世記』に取材した9つのフレスコ画と祭壇壁の『最後の審判』がうまれたということですね。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
ミケランジェロは、膨大な作品を残していてどれも傑作ですが、その国の宝なので日本で見られることは大変貴重な体験でした。
ミケランジェロは、完成度の作品を制作しても、さらに高みを目指す芸術家ですので、ある程度時系列で彼の歩んでいった道を追っていかないと、十分理解できないですね。
しかし、ミケランジェロの芸術家としてのスケールの大きさはを知ると、より大きな感動が生まれると思います。
ミケランジェロは、最20代で早く作風を確立して、そのことつの大成を示したのが、傑作『ダヴィデ像』だと思います。
しかし、ミケランジェロはそれりに飽き足らず、新しい芸術を開拓し、システィーナ礼拝堂の天井画や『最後の審判』という、新しい壮大な世界を生み出したといえますね。
私はミケランジェロの作品を単体で見ていたので、こちらのブログではミケランジェロの作品の変遷について勉強になりました。
ミケランジェロは若くして自分の作風を確立させ、その後さらにそれを進化させていったのですね。
国立西洋美術館は、10月から「ルーベンス展」が始まりますね。
今年はいろいろな意味で厳しい天候でしたが,やっと涼しくなりそうですね。
穏やかな芸術の秋を過ごしたいものですね。
ミケランジェロの作品が日本に来ることはめったにないので、どうしても作品単体で見ることしかできませんが、ミケランジェロは途轍もなくスケールの大きい芸術家で、その芸術の進化は、美術史を創り上げていったといえますね。
ミケランジェロの偉大さを改めて感じました。
筋肉は鍛えることで、等しく大きくなるものです。でもその形や付き方が人それぞれでなので、一人ひとり必ず違った身体の形になります。『ダヴィデ=アポロ』の場合、西洋人特有のタイプで、大胸筋がやや高い位置についている身体で、すごくいい身体ですね。
ミケランジェロの作品は1度見てみたいと思っていたので、今回2点も見ることができてうれしかったです。
「ダヴィデ=アポロ」美しかったですね!
図らずも未完に終わったことで、ダヴィデなのかアポロなのか、または他の誰かなのか謎が深まりますが、それもロマンですよね。
とても豊富な知識に基づいて書かれた記事を拝読し、大変勉強になりました。
「ダヴィデ=アポロ」には魅せられてしまいました。
言葉では表しきれない魅力がありました。
maru♪さんが言われるように、ロマンがあるのでしょうか。
ミケランジェロの彫刻を生で見られて、ほんとう感動しました。
拙ブログへお越しくださりありがとうございます。
洗礼者ヨハネの両目はオリジナルだったのですね。
他の石片も徐々に見つかって、さらに修復が進むといいですね。
バルジェッロ宮殿を1999年に訪ねましたが、他の作家の作品も多く、ダヴィデ=アポロ像の印象が残っていません。
あのころ陳列されていたのでしょうか。
いずれにせよ、日本に来た作品はじっくり見ることになるので、得難い鑑賞体験になりますね!
貴記事を通して、
動かない大理石像に動きを与えようとする彫刻家の飽くなき探求が伝わってくるようです。
次回の記事も楽しみにしております。
ミケランジェロは、有名な傑作「ダビデ」像や「ピエタ」を制作した後、外面的な美しさだけでなく人間の無内面に迫る芸術を模索し始めました。
『ダヴィデ=アポロ』は、この時期の作品と考えられ、ミケランジェロの彫刻策粗品としては、比較的地味な作品といえますので、バルジェッロ宮殿でsnowdrop-momoさんが印象に残っていないとしても、無理からぬことと思います。
この美術展は、関西にも巡回すると思いますので、ご自身の眼でご覧になって、ご感想をお聞かせください。
私のブログは覚書程度ですが、とてもしっかりレポートされていて参考になりました。
素晴らしく息吹を感じられる作品の数々を、日本で観られて感激。
顔の表情はもちろん、今にも動き出しそうな彫刻達が、時間も場所も超えて語りかけて来るようでした。
背景となる物語にも、とても興味が沸きました。
ミケランジェロは、造形的美しさだけでは満足せず、人の内面の苦悩までも表現しようとしました。
顔の表情には深みがあり、、今にも動き出しそうな表現は感動的ですね。
見れば見るほど、新たに興味をそそり、尽きることがありませんね。
この展覧会を見逃してしまいましたので、とても参考になりました。人のこころの内まで、あの硬い素材に投影して表していこうとするとは、ミケランジェロは芸術家の中の芸術家ですね。
とりわけ、若きヨハネの像にはこれまでの変遷をへてもなお、みずみずしさと、イエスの弟子にされた輝かしくも大変な未来への葛藤がうかがえる秀逸作品かと思うのです。
ミケランジェロという芸術家は、比類なく完成度の高い領域に達しても、また新しい芸術を追求していく、ミケランジェロの芸術探求には終わりがなく、どんどん新たな芸術を開拓していくところがすごいと思います。
芸術の変遷の過程で、いくつもの金字塔を打ち立てていった、こんな芸術家はミケランジェロだけですね。