クリムト『接吻』 と エゴン・シーレ 『死と乙女』を始めとした傑作が集う宮殿美術館
オーストリア・ギャラリー
Österreichische Galerie Belvedere

この美術館・オーストリア・ギャラリーは、オーストリアで2番目に大きな美術館で、ハプスブルグ家に仕えたプリンツ・オイゲンが夏の離宮として1723年に完成させた宮殿「ベルベデーレ宮殿」の中にあります。ウィーンのベルベデーレ宮殿晴らしいバロック式の建物と、大きな池や綺麗に整備された大きな庭はオイゲン公が過ごした時代を感じることができます。この宮殿はオーストリア・ギャラリーとなっている上宮、そしてこれも美術館となっている下級、オランジェリーの3つがあります。

オーストリアのウィーン分離派、最大の画家グスタフ・クリムト代表作の1つ「接吻」(1908年作)があり、これはオーストリア・ギャラリーを代表する至宝です。他にも、「ユディト」(1901年作)などたくさんのクリムトの代表的な傑作を観ることが出来ます。
The Belvedere's art collection presentsan almost complete overview of the development of art in Austria and, thus, aninsight into the country's history. The world's largest collection of GustavKlimt's paintings lies at the heart of the presentation of Art around 1900, onshow at the Upper Belvedere. Its highlights are Klimt's paintings, The Kiss(1908/09) and Judith (1901), and masterpieces by Egon Schiele and OskarKokoschka. Key works of French Impressionism and the greatest collection ofViennese Biedermeier art are further attractions at the museum.
クリムト『接吻』 1907-1908年 180×180cm | 油彩・画布

『接吻』はクリムトの最も著名な作品です。クリムトと恋人であったエミーリエ・フレーゲと最も良い関係であった頃に自身らをモデルにして、当時タブーとされていた題材である『接吻』を主題とし描いた作品です。 1908年にウィーンで開催された総合芸術展≪クンストシャウ≫で、検閲を逃れて発表されました。クリムトの『接吻』は熱狂的と言えるほど大好評を博し、クンストシャウ終了直後にオーストリア政府に買い上げ、国が認めた名作として高い評価を受けました。 運命の女思想とエロス的表現を、クリムト独自の世界観による金箔を使用した、いわゆる黄金時代期において頂点を成す、最も優れた作品としても広く世界に知られています。眩いばかりの黄金の中に溶け合う男と女は、非現実的でありながらも、極めて深い思想と官能性に満ちています。この作品が観る人に強いインパクトを与えるのは、 平面的に描かれる男性の纏う衣の装飾「四角」と、女性の纏う衣の装飾「円形」が補完を意味しており、同時に男女の間に潜む敵意をも表しているという絶妙な表現にあり。男女が立っている色彩豊かな花の咲く崖が、愛の絶頂期においても愛や幸せと疑心や不安が紙一重であることを暗示し、見る者にその先に待つこの二人の悲劇を予感させます。
クリムト『ユディト』 1901年 82×42cm 油彩・画布

クリムトの傑作『ユディト(ユーディットとホロフェルネス)』に描かれるのは、旧約外典(旧約続編、第二正典)のユディト記に記された美しい女「ユディト」の姿であです。 「ユディト記」では、美しく裕福な未亡人ユディトの住むベツリアへ、アッシリア王ネブカドネツァルの命により、将軍ホロフェルネスが軍を率いて侵攻するも、暗殺を目論むユディトが将軍ホロフェルネスの気を惹くために近づき、酒宴に招かれたその夜に、酔いつぶれた将軍の首を切り落とし、ベツリアの街を救ったとされる逸話で、ルーカス・クラナッハ、カラヴァジョを始めルネサンスからバロック、ロココ時代の巨匠もこのテーマの作品を描いています。
クリムトは英雄的な姿でユディトを描くのではなく、匂い立つような妖艶性と官能性を全面に押し出し表現されているのが最も大きな特徴です。薄く唇をあけ、白い歯を見せるユディトは恍惚とも怠惰とも解釈できる不可思議な表情を浮かべ、その視線はあたかも観る者を淫靡に挑発しているかのようです。金色で装飾されたユディトの身に着ける薄透の衣服や、そこから微かに見える右乳房などは、観る者に対して直接的に肌を露出し表現するよりも、よりエロティックな妄想や官能性を掻き立てる効果を生み出しています。さらに古代アッシリアのレリーフの断片に着想が得られている背景の、黄金と黒色による豪奢で平面的な画面構成や色彩表現は、ユディトの美しい肌と見事に対比し調和しています。この作品に描かれるユディトのモデルは、裕福な銀行家兼企業家フェルディナント・バウアーの妻アデーレ・ブロッホ=バウアーと考えられており、一部の研究者たちからは一時的にクリムトと愛人関係にあったとしいう説もあります。事実、クリムトは後にアデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像画を二点残しています。クリムトは数年後(1909年)に、同主題の作品『ユディト』を制作しています。
クリムト『フリッツァ・リードラーの肖像』 1906年 153×133cm

クリムトの代表的な肖像画作品『フリッツァ・リードラーの肖像』。この絵のモデル、フリッツァ・リードラーは、ドイツ出身でウィーンの高級官僚の妻と言われています。この作品で特徴的なのは、写実的に描写されるフリッツァ・リードラーの顔と、それとは全く対照的な、平面的・抽象的描写で表現される背景や装飾具、家具塔との対比にあります。裕福なブルジョワ階級らしく気品に溢れたフリッツァ・リードラーの顔は、古典的な自然主義的な写実によって描写されているものの、その頭部の極めて独創的な装飾的表現はウィーン美術史美術館に所蔵されているスペイン・バロック絵画の大画家ディエゴ・ベラスケスの『マリア・テレーサ王女の肖像』やエジプト美術からの影響が考えられます。フリッツァ・リードラーが座る椅子の孔雀の羽や生物の瞳を思わせる抽象性や平面性、背後の数箇所に散りばめられた小さな四角形のモザイク文様の使用や、平坦な色面によって面化された表現は、ウィーン分離派独自の様式の特徴を示してます。フリッツァ・リードラーの顔の写実性と背後の装飾性との対比と、画面左上の金色と背景の大部分を占める朱色とフリッツァ・リードラーが身に着ける柔らかな白地の衣服、この単色的な白地の衣服と椅子の複雑な文様性など至る箇所での対比的表現を見事に使って、作品の美的完成度を高めています。
クリムト『水蛇』 1904-1907年 ミクスト・メディア・羊皮紙 50×20cm

『水蛇』は、クリムト黄金様式の典型的な作品のひとつで、クリムトが初期から取り組んできた「水の中における官能的女性美」を象徴的画題とした作品の中の1点です。 同時に同系統の作品中、同性愛的傾向が顕著に示された最も優れた作品として認められています。画面上部に配される美しい黄金の頭髪を水中で揺蕩わせる裸体の女性は恍惚の表情を浮かべながら、同じく金髪の女性を胸に抱き寄せています。抱き寄せられる金髪の女性は、薄く非常に細い抱き寄せる女性の胸を愛撫している様で、観る者に官能的な印象を抱かせます。両者の背後には文様のような鱗が特徴的な水蛇が女性たちの官能的な愛の世界と絡み合うかのように配され、象徴的雰囲気を感じさせます。画面下部には頭部が巨大化する古代的な魚と黄金色の水草と様式化された蛸の足などが描き込まれていて、水中の様子を強調しています。この作品で注目すべき点は2人の女性らの同性愛的抱擁表現と、退廃的でエロティクな雰囲気を絶妙に隠蔽する装飾性の高い模様的描写にあります。女性2名の水中で揺らめく細い黄金の髪やそれと呼応するかのような水蛇の文様、同色の水草に示される単純化された形状による主題の象徴的表現は当時のクリムトの典型を明確に感じる極めて高い美術的完成度は特質に値します。この作品に描き込まれる水蛇はクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」からの引用が認められます。

そしてもう1人、オーストリアを代表する画家の1人エゴン・シーレの傑作も数多く展示されています。
エゴン・シーレは1907年、ウィーン美術アカデミーでクリムトに出会います。クリムトはシーレの才能をいち早く認め、28歳という歳の差を越えて親しく交際しました。二人の作品のテーマが、「死・生・エロス」という点では同じでしたが、表現方法は異質なものでした。クリムトは、華麗・耽美の中にそのテーマを追求し、装飾的な表現に向かいました。シーレは逆に装飾的な要素を取り払い、自己をさらけ出す表現を追求しました。絵を見ていると伝わってくる身体の生々しさ。剥き出しになった肉体のヒリヒリとした感触は非常に刺激的で、エゴン・シーレの絵から受けるこの感触の異様な快感を一度覚えると、エゴン・シーレの絵画の虜になってしまうような魔力のようなものを感じます。
エゴン・シーレ『ひまわり』 1911年 90.4 x 80.5 cm

エゴン・シーレは、何作かの『ひまわり』を描いています。ゴッホに敬意を表して描いたのではないかも考えられます。しかし、シーレの『ひまわり』は、ゴッホのように、ギラギラと咲き乱れるひまわりではありません。どれも死んだひまわりです。シーレの「ひまわり」には、下を向き、花びらの落ちたひまわりがいくつも見られますが、何か強い美意識を感じさせます。エゴン・シーレはどんなモチーフを描いても、そこに何か強い美意識を感じ、奇才といわれた美の才能を感じざるえない不思議さを秘めています。
ひまわりの花には「生命」を感じる人が多く、「生命」を表現するのによく使われる花です。しかし、エゴン・シーレの手にかかると、そのようなまわりでも、どこか退廃的で物悲しげなひまわりに変わってしまいます。死んだひまわりとその周囲の朽ちた花たちが不気味で印象的です。生は死の狭間で、死はギラギラと輝いているかのようです。「生きるとは何なのか?」という問いを投げかけているように思えます。
エゴン・シーレ『家の壁』 1914年

エゴン・シーレは、人物が意外に街の風景画を数多くのこしています。エゴン・シーレが愛したチェスキー・クルムロフのエゴン・シーレの美術館で、この町の風景を描いた作品を数多く見ることができました。エゴン・シーレの町を描いた絵画は、ユトリロの全盛期の絵画と同じように、人物を一切描かないため、かえって孤独感を感じさせる心象風景になっています。この『家の壁』にも青春期の心理的不安を、象徴的、かつ、独創的に描いた夭折の奇才シーレの感性と美意識が感じられます。
エゴン・シーレ『を傾けた自画像』 1915年

エゴン・シーレは、異常なほど数多くの自画像を描きました。シーレの自画像ほど、精神と肉体全てをさらけ出し、題材としての自己を描いたものはないかもしれません。「絵の対象としての自分自身に興味がない」として自画像を描かなかったクリムトに対して、シーレは数多くの自画像を通して、苦悩・欲望・恐怖・不安・悲哀・憎悪‥などの内なる感情を描きました。あらゆる感情が自己愛的に表現されています。シーレの自画像は背景が描かれていません。「自我像」としての「自画像」には、背景など必要が無く、ただただ内へ内へと向かって行きました。
エゴン・シーレ『死と乙女』1915-16年

エゴン・シーレは、1916年は妻エディットと結婚したが、それまで一緒に住んで4年にわたってシーレに忠実に尽くしていたヴァレリーという女性がいました。しかし、シーレは結婚相手に別の女性を選んでしまいます。それがヴァレリーにどれほどのダメージを与えたかは、シーレ自身がよく知っていました。ここに描かれている乙女はヴァレリーで、死はシーレ自身でした。しがみつく骸骨のような細い腕の頼りなさ。相手との絆を断ち切られた深い悲しみで心はうつろヴァレリーに対して、どうにもならない自らの打算とエゴイズムへの罪悪感に怯える目のシーレ。ヴァレリーは間もなく志願してバルカン半島の戦場に赴きあっけなく命を絶ちました。
エゴン・シーレの「死と乙女」は、美しいのに何とも怖くて哀しいです、複雑な感情を抱かせる作品です。映画『エゴン・シーレ死と乙女』は、この作品が生まれる瞬間を中心として、エゴン・シーレとはどんな画家だったかを事実にほぼ忠実に描いていいて、 “美しいのに怖くて哀しい”この名画にこめられた
エゴン・シーレの思いを知ることができます。
文字をクリックすると、映画『エゴン・シーレ 死と乙女』鑑賞レポートにリンクします。
エゴン・シーレは“美男のプレイボーイ”としてもその名を歴史に刻んでいます。数多くのモデルと浮き名を流したと言われ、映画でも、彼の人生のなかでとりわけ大きな存在となった女性との日々を描いています。妹のゲルティは、敬愛する兄のために若くして絵のモデルを務め、シーレが息を引き取る最期まで献身的に支え続けました。もう1人はシーレの公私にわたるパートナーでありミューズであり続けたヴァリは、シーレにとって「死に神」のモデルとなって行きます。この絵を描いた時には知る術もないのですが、間もなくこの絵は現実となり、ヴァリは戦場で死に、シーレや妻もスペイン風邪で亡くなります。28歳の若さで早逝した天才画家、エゴン・シーレは、世紀末画家クリムトの快楽主義の流れを受け継ぐ快楽主義的な画家であり、決してキリスト教的な現世の快楽を否定する画家ではありませんでした。
エゴン・シーレ『抱擁』 1917年

ここに描かれているのは、ふたつの肉体がうごめく悲しみの現世です。ふたつの肉体は、孤独のうちに育ち、大地から有機的に生まれでてきたものなのです。この地上の世界によって、人物たちも含めて、本質的なものがすべからくはかないものであることを表現したかったのでしょう。シーレの作品の中に漂う死のイメージは、彼が15歳の時に父親を梅毒で亡くしていることとも繋がりがあるのかもしれません。
2012年には『嘆きのピエタ』でヴェネツィア国際映画祭・金獅子賞を受賞した映画監督キム・ギドクは、2001年の韓国映画『悪い男』でエゴン・シーレの『抱擁』」をモチーフに使いました。キム・ギドク監督は、エゴン・シーレの『抱擁』」について、以下のように語っています。
「エゴン・シーレの絵から伝わってくるもの─乏しく骨にまつわりついている肉の苦しみ、そのやつれた姿に苦悩が宿っているということ、この世界を生きることに深い軽蔑を感じながら、この世に存在せざるを得ない、まるで骨から離れられない肉のような頑なさ、これらはみな、まさに私たちが悩まなければならない、逃れることのできない苦悩だと感じたのです。映画「悪い男」のソナが切り取った絵を選んだ理由は、二人の肉体がもつれ合い、まるで鉄鎖のように絡まりあって抜け出せない、まるでソナとハンギのような気がしたからです。」、キム・ギドク監督もエゴン・シーレの絵画に描かれている身体の生々しさ。剥き出しになった肉体のヒリヒリとした感触に強い衝撃と共感を受けたのだと思います。
エゴン・シーレ 『座っているシーレの妻 』 1918年

エゴン・シーレは、ウィーンに転属すると作品制作を再開できるようにもなり、 暖めていたアイディアの製作に打ち込みました。1918年、 大戦も終わりに近付いた時、クリムトによる 第49回ウィーン分離派展に50点以上の新作を一挙に公開しました。 それまであまり知名度の高くなかったシーレの作品群は 一躍注目を集めました。シーレの絵の価格は上昇し、次々と絵の買取依頼が舞い込むようになりました。 画家としての大きな一歩を踏み出したシーレが妻エーディトとの一時の幸せな生活を過ごすことができるようになりました。そんな頃に描いたのがこの作品です。死に向き合っているような作品が多いエゴン・シーレの作品群の中で、「座っているシーレの妻」は、珍しく死の影は感じられません。対象の捉えまえ方、表現に独創性が感じられます。妻エーディトの表情には、夫の才能に対する尊敬と好意が感じられます。
しかし、大戦前後に流行していたスペインかぜに罹り、 シーレの子供を宿したまま亡くなります。
エゴン・シーレ『家族(うずくまる人物群像)』 1918年 152.5 x 162.5

家族(うずくまる人物群像)』は、エゴン・シーレが亡くなった年に描いた作品です。シーレの作品では珍しく奇怪な感じのしない作品です。清楚で美しい妻エディットを後ろから抱いているシーレの顔はすっきりと綺麗に描かれています。孤独感と不安な感情を抱きながら生き続けたエゴン・シーレに、まもなく待望の3人家族が実現する。この瞬間を待ちきれないのか、シーレはまん丸な赤ちゃんを描き込んでいます。背景の暗い色調はシーレの不安な気持ちを表しているようです。スペイン風邪によりエディットが死んだ3日後に、シーレも同じ病気で息をひきとりました。28歳の若さでした。孤独感と不安な感情を抱いたまま短い生涯を閉じたエゴン・シーレの最期の作品がが『家族』。シーレの端正な顔が今も心に焼き付いて離れません。
参考:
オーストリア・ギャラリーの公式サイト
ウィーン観光局公式サイト
アレッサンドラ・コミーニ、千足伸行,「グスタフ・クリムト」1989
ゴットフリート・フリードゥル著:
「ウィーン分離派 ・ シーレ・クリムト– 2005
山田視覚芸術研究室 グスタフ・クリムト「ウィーン滅亡と女性」2016
新人物往来社 (編集) クリムトの世界 2011
ヴォルフガング・ゲオルグ フィッシャー (著)「エゴン・シーレ」– 2001
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ハプスブルグ家が立てた宮殿としては、ウィーンの王宮・ホーフブルグ、シェーンブルグ宮殿の他に、インスブルック、ハンガリーのゲデーレ城、広大な王宮庭園を有するチェコのプラハ城などがあります。
これは、私の全く個人的な理由で恐縮ですが、草間彌生さんの感想を書こうとしましたが、自分の言葉で書けず、草間彌生さんの才能は感じましたが、言葉で説明する帆と理解できなかった背景があります。オーストリア・ギャラリーのクリムトとエゴン・シーレの鑑賞レポートを書いていてこちらもかなり難しい芸術ですが、こちらならなんとか自分で理解できました。クリムトとエゴン・シーレを書いていて、草間彌生さんのアートを連想したのは、同じ芸術でありながら、全く共通するものがない、真逆な芸術を同じと票に入れて考えてみたいと感じたからです。理解しがたい行動と思われた方には、お詫び申し上げます。
美術館のお写真、とても美しく この風景を見るだけでも、価値がありそう。
訪れてみたいです。
美術についてはど素人な私。
ここで新しいモノに出会えて、勉強になりました。
事口に美術と言っても、様々な表現がある所が、美術のおもしろいところでもありますね。
クリムトもエゴン・シーレも分りやすい作品でありませんが、表現が強烈なので、魂が揺さぶ゛られるな感動があります。草間彌生さんも才能ある芸術家だと直感的に感じましたが、クリムトもエゴン・シーレと比べると、人にやさしい感じ化して、何を伝えたいのか今一つ理解できませんでした。そういう見方をする芸術ではないのかもしれませんね。
オーストリアの美術館は、
こんな王宮の中にあるのですか。
日本とは、見る前から雰囲気が全然違うんですね。
クリムにトシーレ、
美術に疎いので、名前は初めて聞きました。
どちらも独特の世界観ですね。
これからもよろしくお願いします。
オーストリアの美術館は、エルミタージュを小さくしたような宮殿術館です。
クリムにトシーレは殆ど作品が日本に来ないので、あまり知られていませんが、その鮮烈な美術表現は、観た人を虜にするような魅力があります。
オーストリアのウィーンは、生気町は世界の芸術の中心の一つでした。
欧州の一時代を制覇したハプスブルグ家の本拠地がオーストリアで、各地に当時の栄華の後を観ることができます。
ちょうどクリムトについて興味を持っていたところでしたので、今回のレポート大変興味深く読ませて頂きました。
レポートを読みながら改めてじっくり絵を見て、クリムトの作品が持つ魅力は写実性(特に女性は外面的な美しさだけではなく内面から滲み出る艶やかさも描写していますよね)と幾何学的な装飾性が融合している点にあると感じました。
この2つの要素をひとつの画面に入れると、どちらかが悪目立ちしてしまう可能性もあると思いますが、そうなっていないというのはクリムトの持つ感覚の鋭さがなせる技なのだと感じます。
絶妙なバランスが画面に心地よい緊張感を生んで観る者を惹きつけるのだろうなと思いますし、私自身もこの画家に惹かれている最大の理由はそこにあるのだろうなと感じています。
シーレはあまり詳しくなく『死と乙女』ぐらいしか知らなかったので、新たに知ることばかりで楽しく読ませて頂きました。
独特なタッチが印象に残る画家ですよね。
今回の中でしたら個人的には『家の壁』が良いなと感じました。
最後になりましたが私のブログの方にも訪問頂き、草間彌生展の感想にコメントも頂きありがとうございました。
草間彌生とクリムト、確かに世界観は真逆ですが、幾何学模様を画面にまとめるデザイン的な感覚の鋭さという点においては私は同じ匂いを感じます。
クリムトはエゴン・シーレにも自分の手法が上流階級の人に絵を売るために有効だと教えましたが、シーレは直球勝負の人で、クリムトはアドバイスには従いませんでした。
草間彌生さんは、 ミニマリズム、フェミニズムアートムーブメントの先駆者と言われ、新しい芸術の先駆者としては、クリムトと共通していると思います。アンディ・ウォーホルやクレス・オルデンバーグは、草間彌生さんの影響を受けているという指摘もあります。
私もはじめてウィーンに行った時は、美術史美術館しか知りませんでした。帰ってから調べてみるとたくさんの魅力的な美術館があるのを知り、改めて2回目に行き、いろいろな美術館を観ることができた次第です。 sennnennkobakoさんのウィーンの旅のお役にたてれば、嬉しいですね。
早速訪問させていただきましたが、情報量の多さに読みごたえを感じております。
クリムトの作品は普段から目にする機会が多いですが、エゴン・シーレの作品は自画像くらいしか観た記憶がなかったので、あらためて勉強になりました。
ありがとうございます(^^)
他のページもゆっくり読ませていただきますねー♪
私の記憶にによると、本格的なクリムト展もエゴン・シーレ展も20世紀末にそれぞれ1回開かれただけで、21世紀になってから一度も開かれていないのではないでしょうか。日本でクリムトの作品ず彼らしい作品を所有しているのは、豊田市美術館と愛知県美術館くらいで、日本にいてクリムトやエゴン・シーレの作品を観る機会がないのは残念に思っています。日本ではラファエロ前派やミシャのような耽美的な絵の方が好まれるのかもしれません。日本人好みと言えない、カラヴァジョやエル・グレコ、ティチィアーノなどの美術展が開かれたので、近いうちクリムトやエゴン・シーレの作品展も来るのではないかと期待しています。
クリムトが金箔多用したのは、官能の輝きを表すとともに、エロスを金で包み込むことで画面全体に抑制を与えるためでした。クリムトは自身が確立した金色を使用した豪華で装飾性豊かな表現様式を捨てたのは、若き盟友エゴン・シーレなどの台頭により、クリムトのウィーン総合芸術展での成功により得た名声に陰りが見え始め、クリムトもそれに限界を感じていたからで、多色的な色彩表現に新たな道を見出しました。

